便利だけれど、お手軽だけれど。

 インターネットは「群れる」「つるむ」という目的で日々の不安を打ち消すにはとても便利な道具なんです。「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」となんとなく根拠なき自信を持てるようになる。それを「共感」「信頼」「絆」と呼ぶこともできるし、確かにインターネットをきっかけに確信を持てる出会いの機会は増えたように感じる。それは、どこか「政治」の仕組みと似ている。選挙に行く。投票をした方が当選する。投票用紙に名前を書いただけなのにその方が自分の願いを代弁してくれているような錯覚に陥る。そして、不適切な言動や行動を起こしゴシップになると、根拠なく「裏切られた」と誤解する。そもそもが誤解から始まっている関係なのに、結果、「誤解」としてではなく、「裏切られた」と認識してしまうシクミ。

 確かにインターネットで世界は小さくなったように感じる。会ったこともないNewYorkの人とチャットしていればそんな感覚も生まれるだろう。でも、これも誤解である。物理的に世界が小さくなるはずがない。インターネットが個人の想像力に作用してそう感じさせているに過ぎないのだ。しかし、例えそうであったとしても現実的にノーリスクだから、たったそれだけで不安が消えたり、心地よい気持ちになれるんだったら「アリじゃん!」となる。これがインターネットの中に存在する「楽しさ」の本性なのだ。確かにSNSはドキドキするし、次々に更新されていく様々な情報をモニターやSPで観ていれば、この世界は自分中心に動いているような錯覚に陥る。そして、その感覚が何よりも心地よく、時間を忘れることができる。

 でも、ふと、「大切な時間を忘れてはいけない!」「もっと他に大切なことがあるんじゃない?」「ほんとに僕は皆さんと共感しているのか?」という不安が生まれる。この不安、相手がインターネットだけに今までように簡単に消えてくれない。むしろ、観ない、使っていない時間がストレスになって禁断症状が出てしまう。あれ?これはやはり中毒なのか?とドキリ。

 便利だけれど、お手軽だけれど、インターネットはただの道具なんだから、主体的に「使う人」「活用する人」「応用する人」になろうと気持ちを切り替えた。僕がデザインの仕事を始めた頃はインターネットもパソコンも無かった時代だったから、その時と比較して仕事の進め方や発想手順を整理したりしながら。もう、「インターネットなし」「パソコンなし」ではデザインの仕事は成立しない時代になってしまった以上、放棄することはできないが、そこは試行錯誤しながら「55歳のおっさん」らしい使い方を見つけたいと思っています。