センスとテクニック。

 大阪芸術大学美術学部を卒業し東京でデザインに挑戦した。約30年前の話である。デザイナーとして一人前になることが目的だったので、まずは「テクニック」を習得しなければならないことが分かった。その頃はデザイン会社にパソコンはなかったのですべてアナログツールで仕事をする。やっと、レイアウトの基本やアイディアの出し方が分かってきた頃、デザインの技術を習得することが楽しくなった。しかし、どうも「センス」が分からない。デザインの素人がいくら「センスの良いデザイン」を見ても何がどういいのか分からない。東京にはセンスの塊のような人がいっぱいいて、その人の姿勢というか気質というか本質を盗んでやろうと試行錯誤したが、どうも「センス」はどうにもこうにも身体の内側に入ってこない。ただ、仕事を進める上で、必要な「営業力」や「コミュニケーション力」など「ディレクション」という業務は自分と相性が良く、たくさんの人に助けてもらった。この部分も非常に楽しかった。

 さて、このような経緯で先日、晴れて!?55歳になった僕はいまだに「センス」のことが分からない。こればかりはどうもとても根が深く、ちょっとやそっとじゃ良質にならないのだ。恐らく、このまま僕の「デザインのセンス」は三流以下を低空飛行し続けるだろう。ただ、楽しいことは徹底的に掘り下げるという代償を得た、というか、これにしがみ付くしか道が無かったのだ。良くも悪くも「センス」を放置・放棄してしまっているのだけれど、一旦、諦めてしまうと僕のセンスはどこかに逃げ去ってしまったような感覚で、どこを探しても顔を出してくれない。ま、「センス」なんて青い鳥のようなモノで、気まぐれにいつか気がついたら視界に入ってくる。そして、いつか僕の方にちょこんと乗って、まるでテトのように愛らしくしてくれるだろう、と、やはり、30年、青い鳥はやってこない。

 ではどうする?徹底的にと言ったが、こればかりはかなり常道を逸している「テクニック」への渇望が年々加速している。「テクニック=ツール」でもあると捉えている僕の手元には多くのツールが見事にコレクションできた。まるで、500色の色鉛筆である。しかし、そんな状況でも美術人の本質がここでもささやく(天使なのか?悪魔なのか?)、「弘法筆を選ばす」だろと。そう、ツールは入手して使えば誰でもある程度、使いこなせるが、一本の筆を巧みに操るテクニックこそが真骨頂なのだという逃げ道である。確かにそれはそれで真理なのだが、どうも「センス」に見放された僕はその捉え方を逃げ道として利用していることに最近気がついた。「テクニックさえあれば飯が食える」「テクニック>センスで何が悪い!」と究極の開き直りである。本当は「センス」のある人が羨ましくて羨ましくて仕方がないのだ。ああ、僕の「センス」はどこへ?

 昔、小学校から高校まで野球をしていた。思い返せばどうやらここが「センス」と決別(無視された!?)した時期だったようで、当然、野球のセンスが皆無だった。「野球のセンス」って脚力や肩力とは関係なく、練習では身につかないが僕の結論。センスのない人間はがいくらがむしゃらに「フィジカル面」を鍛えてもセンスがなければ、試合で結果が出せないのだ。ティーバッティングで練習台のボールはいくら強打できても、ピッチャーが投げるボールをいくら適打できても、試合でヒットは打てないのだ。それが野球である。結果、練習の鬼となり、足の故障で戦線を離脱した。だから、僕は「センス」が憎い。こんな経験を重ねてしまうと、根の深い部分でどこか捻れてしまい、素直に「センス」と向き合うことができなくなり55歳になってしまったのだ。

 一方で「テクニック」の話なら永遠に説明することができる。デザインの仕事には専門的なテクニックがいろいろあるのだけれど、市販されているデザイン関連のソフトウエアはほぼ100%使える。それもそのはず、30年間もそのゾーンだけを掘り下げてきたので当然である。同様にそのソフトを使いこなすためには連携して様々な特殊なソフトやプラグインが存在する。これらもほぼ、すべていつでも使える状態にセットアップできているし、ソフトさえ起動すれば、制作手順はすぐに分かり、マウスを握れば忘れていた機能も自然と思い出す。手が覚えているのだ。ツールも同様で周辺機器やカメラ機材などデジタルツールも筆などのアナログツールも仕事場にはあふれている。鉛筆一本あればどんな仕事でも手順が見えてくるし、白い紙に向かえば手がオートマチックに目的の成果を生み出せる。

 下の写真のようなスタジオも完成したことだし、そのあたりをユーチューバーになって紹介していこうと思っています。「センス」に見放された55歳のおっさんの類稀なる「テクニックコレクション」である。そんなライフスタイルではあったが、ひとつだけ嬉しいことがある。そう、この偏った本質が娘に遺伝しなかったことだ。良質な「センスとテクニック」をバランスよく使いこなして仕事をしているようなので、ひと安心である。