最強メンバー。

 作品でも仕事でもひとりでは完結できない場合がある。個人作家や個人事業主ならば営業アイテムや作品の規模やタイプによっては、ひとりで完結させることもできるケースもあるが、大きな規模の仕事の場合、個人の才能や能力や財源など諸条件でひとりの限界は必ず存在する。僕はデザイン制作会社にお世話になっていた頃でも、比較的小規模の会社組織の中で仕事に取り組んできた経験しかないので、チームでひとつの仕事案件に取り組む場合でも多くて5名程度のチーム単位だった。当然、5名のチームでも仕事量や品質の面でも限界は必ずあり、若い頃ならば無理して徹夜したり、身体的にもかなりの無理を強いてその限界点に挑戦していた。しかし、そんな体制・取り組み方では長く続けることはできないし、いくら精鋭チームだったとしても個々の才能や技術や発想力には限界がある。また、ディレクションという立場で仕事の制作スケジュールやデザインの品質、予算の管理なども面でも限界点は必ずある。こればかりは努力や誠実さでは超えられない壁なのだ。

 一方、芸術家は基本的に単独で作品を生み出しているゆえにそれ相当の苦労や試練を重ねている。だからこそ芸術品の価値には良い意味で「むら」があると言える。「目利き」と呼ばれる画商さんやコレクターやギャラリーのオーナーさんなどはこの「むら」を自分のモノサシで分析し作家との友好的な交流を経て、買い手との良質な関係をつくることに長けているわけで、その部分に自身やスタイルやこだわりが無ければ本人は「幸福」にはなれない。例えビジネス的に成功したとしても、本当の「幸福」を手にすることはできない。

 それでは、仕事でも作品でも大きな組織で成果を生み出す場合と個人がストイックに探求して生み出すケースを比較した場合、どちらがどれぐら作品に効果的・有効なのだろうか?仕事や作品の狙いや意図が異なれば「効果」の品質とサイズ感が変化するわけだが、僕はデザインの仕事に従事して8年目に決意したと同時に自分だけの「モノサシ」を発見したのだ。

 大きな仕事にコマ(スタッフ)として関わることよりも、小さな仕事でもいいから自分で仕切りたいと。そう決意した根拠は今となればなんとでも説明できるが、前者よりも後者のスタイルの方が「幸福感」が大きいと感じたのだ。

 この視点で世の中に流通している数多の仕事や作品に対する「分析癖」があり、自分のモノサシ(尺度)で映画作品から小説や漫画や音楽を推量し、つくり手の制作意図や状況を想像している。機会があればつくり手にお話を直接聞きに出向いたり、つくり手のWEBサイトや書籍を徹底的に読み、自分なりの分析をしてきた。長年、デザインの仕事をしてきたことでこの「分析癖」はかなり精度が高くなっている感覚はある。しかし、この「精度」については誰かと比較したり、なんとか協会やなんとか賞の基準値を意識しているわけではないし、また、誰か権威に依存しているわけではないので、あくまでも独自の、あくまでも個人用の「精度」である。少し、話は逸れるが、つくり手にはこの「個人的なモノサシ」が必ず必要だ。最初は誰かのレンタル品で代用しなければならないが、本当に自分の価値感の中で幸福を推量・計測するためには自分用の「モノサシ」を1本持っている必要がある。言葉を変えると「覚悟の刀」のようなツールだ。

 で、最近、ある1本の映画を観た。勿論、現在の日本の映画作品にはいろいろなタイプがあるのだが、この映画には現在、実装できる日本の最強メンバー(俳優さん・女優さん)が集まっているぞ!と感じた。ファーストシーンから最終カットまで、全くスキがない。ま、プロの仕事だから当然だと言えばそれまでだが、あくまでも僕のモノサシ基準では、劇場公開している映画作品の中でも個人的に「スキ」を見つけてしまう。その「スキ」がワンシーンでもあると、もう映画に集中できなくなる。たった15秒のテレビCMでも一瞬でも「スキ」があると商品情報まで気持ちが及ばない。例えば、それは助詞の選び方ひとつで彼女は「が」と言ったが、この場合は「は」じゃないのか?というスキである。また、登場人物の目の動きひとつで言葉と表情が乖離してしまい心が乱れスキが生まれるのだ。

 この映画、このスキが一回も生まれない映画だった。唯一、一瞬だけ1秒も無かったのだが、ある女優さんがビキニの水着姿で登場するのだが、その腹筋が割れていた。このキャラクターと腹筋はミスマッチだった。だが、唯一この一瞬だけだった。映画監督もそれを感じたのか、意図的にか一瞬でその女優は子どもの背後に回り腹筋を隠したようにも見えた(思い込み!?)。ま、これは僕のモノサシなので大意はありません。

 今でも僕自身がその家族の一員になったような感覚が残っている。いや、監督にそうさせられてしまったのだ、と言った方が正しいだろう。いやいや、しかし、唯一無二の映画です。この作品に登場できなかった女優さんや俳優さんは、かなり悔しかったんじゃないかな。だって、僕のモノサシでは、現在日本の「最強メンバー」が集まった映画なのだから。恐らく、この映画はこれからつくられる多くの日本の映画のひとつのモノサシ(目印・フラッグ)になるのだと思います。

 ひとつだけ残念なのは、その最強メンバーの内、御一人様が他界されたことだ。

 映画「万引き家族」を、もし、夏目漱石が生きていたらどのように分析・評価したのだろう?