2019年08月 アーカイブ

アリータ。

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 いよいよ、9月4日DVDレンタル開始。11日にはDVDが販売開始である。う~ん、映画が製作されるという情報を知ってからもう数年が経過している。結局、映画館にも行けなかったので、もう、僕の中ではヴィンテージワインのように熟成している。当然、原作は初版を持っていて何回も読んでいるし、断片的なCMやYT動画は何回観たことか。楽しみ。

凪さん。

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 最近のテレビドラマNo.1は間違いなく「凪のお暇」。そんな予感は第1話からプンプンだったが、回を重ねる毎に展開がタマラナイ。これほどまでに突き抜けてしまうと、あまりにも魅力的な物語り過ぎて感覚が痺れてしまいます。

オリガ。

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 最近、コミックスをあまり買わなくなった。良くない傾向だ。しかし、「宇宙兄弟」だけはマスト。しかも、最新号はかなりバヤイ。

大学で学んだこと。

 就職活動の面接対策として「大学で学んだことをうまく伝える4つのポイント」という記事を読んだ。この時代、採用側が何を求めているのかがよく分かる。その4つのポイントがこちらだ。

ポイント1:まずは何を学んできたのか整理する
ポイント2:学んできたことを掘り下げる
ポイント3:更に“得たものはどう活かせるのか”を深く掘り下げる
ポイント4:結論は「学んだこと」と「どう活かすか」の2つ

 なるほどなるほど。しかし、来春、大学を卒業しようとしている4回生に対して「何を学んだのか?」という質問は結構厳しい、ハードルが高すぎるような気がする。さらに、「どう活かすのか?」という質問に関しては、絶対に企業側の正解を出せる気がしない。現代は情報が氾濫しているから、ネットを検索すれば恐らくいろいろな正解のバリエーションを確保できるだろうし、それを拝借して自分の言葉に変換するぐらいは造作ないこと。でも、それをココイチの面接で言葉にしてしまうことは安易過ぎる。だって、社会構造を知識・情報としてしか認知していない大学生が「どう活かすか?」に対する結論を持ち合わせているはずがない。また、結論、結論と正解だけを求め根拠や背景やプロセスを軽視するのも良くない傾向だと思う。

 さて、自分自身が大学4回生の夏。この意識があったらどんな思考を巡らせていただろう。「大学で学んだこと」とは何だったのだろう。卒業してもう34年が経過して、要約、「ああ、こういうことだったのか」程度の実感に辿り着いているレベルなのだ。私は大手企業の入社面接を受けた経験がないので、まったく分からないし、現代の就職活動のディテールも実感がないが、恐らく、今、私が大学生だったら「大学で何を学びましたか?」という質問をされたら、こう言うだろう。

 「学び方を学びました」と。それが精一杯の真意である。

商品撮影。

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 今夜は商品撮影。映像制作用にスタジオをつくりましたので、商品写真撮影には充分なスペースです。以前は商品撮影の度にスペースをつくるのに時間がかかっていましたが、常に映像撮影用に準備ができているので、グラペを引いて左右に光を回すためのレフを置けば即撮影可能です。映像撮影用にいろいろなタイプのライトや三脚を揃えているので、写真撮影はとても手軽にできるようになりました。映像撮影と比べると写真撮影はそれなりに基本手順はありますが、配慮・注意するポイントが比較的少なく手間が省けるので、その分、構図づくりやライティングに凝れます。

良質なアイディア。

 「絵に描いたモチは食えない」。これはよく企画会議で僕自身が言われ続けてきた言葉です。

 「そんなアイディアは実現性が低いからやめよう」
 「言いたいことはわかるが誰も共感を得られない」
 「一旦、そのアイディアは保留してもっと現実的な…」などなど。

 いくら自分が良いアイディアだと感じていても共感を得られなければ意味や価値がないということだ。確かに逆の立場なら同じことを言っていただろう。アイディアを出す立場になるとそれが見えなくなり客観的に大局的にモノゴトを見極める・絞り込む能力がスルーされるのだ。「良質なアイディア」とは実現性と比例するのだ。

 しかし、本当にそうなのだろうか?そんな理論理屈や道理や通念・常識で支離滅裂で破天荒なひらめきを忘れてもいいのだろうか?突拍子もないことでも形にして実在させることができれば、机の上やモニターや紙面を見ながら固定観念と先入観をまるで錬金術のように振り回している人達にヒトタチ浴びせることはできるんじゃないだろうか。

 そう、アイディアは実現させれることができれば見え方が変化するんだ。言葉と感覚で堂々巡りを繰り返しているうちに「セオリー」「定石」「古典」「基本マニュアル」が作用して、良質なアイディアを排除していることもあるんじゃないだろうか。これらにドップリ依存している人達に共通していること。それは「知識と技能と感覚」を習得していない。一時が万事「つくれないからつくらない」という結論の上にあぐらをかいているように見える。

 一方、つくり手は日々、新しい知識、新しい技能、新しい感覚をもとめて試行錯誤しているのに、その苦労を知らず、平気で「やめましょう!」と断言してしまう。確かに実現性が極端に低いクリエティブだとしても、実現させることができれば、ひとりやふたり共感を持ってもらえる人が見つかるかもしれない。数多の偉業はひとりのつくり手が生み出したモノがたった一人の共感を生み、それが万人にインフルエンスして金字塔を築いたのだから。それを、つくらない人がどうのこうのと言うのは伸び代を見切り蓋をするようなことでもあるんじゃないだろうか。つくり手は失敗を恐れてはいない。だが、そういう人達は極端に過敏に失敗を恐れる。これは議論・協議の余地のないゾーンだから仕方ない。ポテンシャルの問題だからこちらもそちら側へ歩み寄るつもりはない。ならば、別の共感者を探せばいいだけだから。

 ただ、知識と技能と感覚を探求していない人の言葉に共感する価値は少ない。世の中の不特定多数の人の中に「良質なアイディア」を発見した時、僕は全力でそのアイディアを実現させてあげたいと感じるだろう。その時、自分の中の「知識と技能と感覚」が良質であるようにコンディションを徹底的に365日整えるだけ。つくり手にできることは、ただ、これだけだと思っています。

絵を描く。

 「絵を描く」「画を描く」という言葉は企画構想を練る際に使う言葉だが、何故、企画書や提案書に「絵」が必要なのか?文章が小気味よい理論と道理と物理定数で整然と並んでいれば成立しそうなものだが。理論や道理で情報を整理することに長けている人でも、「絵を描く」という作業が苦手な人が意外と多い。白い紙(無題ドキュメント)に一文字目を書き出すのは長けているが、絵を描き出すことはなかなかハードルが高いのだ。僕はそもそも文章を書くことが好きではあるが、整然とスッキリとした文章を書けないので仕事でもお客様からの評価は低い。ダラダラと余計なことばかり書いてしまいポイントが分からない文章になる傾向が強い。ま、文章は思考がダイレクトに転写されるので、つまり、僕の思考がダラダラと混沌としているからだろう。

 一方、「絵」はすぐに次から次へとひらめく。それは、視覚情報の記憶力が標準以上あるようで、メモや資料も文字情報としては記憶することは苦手でも、絵として記憶しているので、記憶の中の画像にある文字を読むことで文字情報を引き出すという、とてもメンドクサイ構造なのだ。だから、長時間の会議も数十人の会議でも言葉はほぼ覚えていないのですが、「音」として記憶しているので、それを再生して言葉を思い出している。

 「絵」と同様に「写真」や「映像」もかなりの細かい部分を記憶しているが、それが論理的に何かのテンプレートや基本的な知識とは連動していないので、頭の中のモニターで再生しているが、状況に合わせて引き出す選択力に欠けてしまう。これは技能というよりも本質や姿勢の部分なので、整然と理論を丁寧に誠実に並べなければならない状況ではとても苦労する。

 さて、では、効果的で良質な企画書には何故「絵」が必要で、企画書を制作するためにまず、「絵」つまりイメージから入ることが大切だという方法論は文字情報・言語情報と比較してどれぐらい有効なのだろう。これはとても大きなテーマ・課題なので、簡単に答を出すことはできませんが、結局、人間がインプットする情報は五感を通って入ってくるので、中でも視覚と聴覚が80%と言われているほどだから、文字や言葉に変換する前の状態でアウトプットできる技能やテクニックが企画書の精度を高める効果的なのだろうと思っています。

 最古の人間は32文字の記号を活用して生活していたらしい。たった32文字である。現代は少し文字情報が過剰なのかもしれない。

IQ120以上!?

 「Y→S→?→K→D→N」の「?」には何が入るか?というIQ120以上レベルの問題がある。このアルファベットはある法則に元づいて並んでいるとのこと。

 この手のIQ問題は子どもの頃から大好きだったので、答を導き出すためのいくつかあるパターンにあてはめてみた。問題文の内容が「ある法則に基づいている」という部分がポイントであることは明快である。さて、普通に考えれば6つの文字が並んでいて何かの法則があるとなれば、6に関連する、もしくはそれ以上連続する法則のどこかの一部分なのだ。パターンの中から感覚で「幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→」と1分でひらめいたが、うん?「N」って何?となった。なるほどなるほど、これは新しいパターンなのだとそこから1時間、頭を捻る。IQ120だからそれほどレベルは高くないだろうし、なんらかの法則がこの連続するアルファベットにあるとすれば、それは常識レベル内の法則だろうから、専門的な知識が必要なわけではないだろうと、「六大学」「六法」「六地蔵」「六門」あたりで探る。さらに、6以上の連続する数字や単位など、思いつく連続性を書き出して法則を探る。当然、「Y行」から「N行」のひらがなについても法則がないかを探る。しかし、どうしても、最後の「N」が分からない。

 「Y」をスルーすれば、「水曜日→日曜日」も有力だが、だとすれば「Y」は何だ?「火曜日」だとしたら一文字目は「K」のはず。久々にガチで頭を捻ったのですが1時間で諦めた。

 そして、答を確認してみると、なんと「N」は「ニート」だった。うん!?じゃあ、答の法則とは「幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→ニート」なのか!これは何の法則なのか?何かの漫才のネタか!?それとも、これが現代の通念としての法則なのか?しかも、IQ120以上の問題???

 結果、なかなかの頭のエクササイズになりましたが、とてもモヤモヤしています。つまり、現代の法則とは「モヤモヤ」としているものなんだという学びを得たというお話です。

録音機材は大切。

 映像制作にはカメラも重要だが、録音機材も重要だ。僕は映像制作においてはどうしてもカメラ機材を優先する傾向が強くいろいろ検討した結果、2年前「GH5」を購入した。いつもの機材集めの流れならば、レンズが増えていくのですが、今回はその流れが「録音機材」、マイクやレコーダーなどにシフトしました。ほぼ、マイクの種類は揃っているものの、反省材料としてチープなマイクに手を出してしまった(予算は無限ではないので)。しかし、ひと通りのマイクが揃ったとは言え磐石ではない。テレビ局が使っているような機材もネットでリサーチするが、とても個人レベルで購入できる価格帯ではない。しかし、録音機材のスペックも大切なのだ。そこで、現在リサーチしているのが下記の2点の機材である。ひとつはコンデンサーマイクが接続できるレコーダー「ZOOM H5」。レコーダーはひとつもってはいるのですが、このレコーダーだとカメラに直接接続して同録にも使えますし、会社以外の施設内でのアフレコ録音もできる。当然、防音遮音用の「スタジオマイク吸音フォームリフレクター」は必要。でも、実際、アフレコを誰かにお願いする場合、会社に来ていただくことが難しい場合もある。そのために機動性も必要なので、2本目のレコーダーとしてこちらをチェックしています。

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 そして、こちらもレコーダー(マルチトラックレコーダー)なのですが、これはコンデンサーマイクは繋がらないのですが、4つチャンネルがあり現場でのミキシングが可能です。例えば、B帯のワイヤレスからのピンマイクの信号、手持ちのインタビューマイクとガンマイクからの信号、そして、バウンダリーマイクからの環境音の信号をそれぞれ感覚的に調整して録音できるというツールです。それぞれに単体で録音して後で編集すればいいのですが、なかなか、現場では時間的な余裕がつくれないことが多い。できれば、現場の適正な音源をそれぞれのマイク(ガン、ピン、バンウンダリー、ダイナミック)で適正に調整したうえで録音が効率もいいし良質な録音ができるだろうという期待値を込めています。これも、撮影現場に出るとどうしても映像優勢になり、録音作業は雑になってしまいます。結果、映像や録音状態をパソコンでチェックすると、「あっちゃ~!」となってしまいます。

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 よって、実際の現場で活躍するのはマルチトラックレコーダーかもしれないのですが、どうしても、現場ではいろいろな条件やハプニングがあるので、念のため精度の高いアフレコもしたいというケースを想定し 「ZOOM」は必要だと思っています。ま、価格もそこそこなので、この2本は必要だと思っています。特にアウトドア系の映像撮影が多いので、雨や雪なども想定すると、できるだけ機材はいろいろな条件を想定して揃えたいと思っています。

 映像制作は「音のクオリティー」がとても重要なのです。

感動的なシーン。

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 これは映画「ジュラシックワールド2」の感動的なワンシーンです。

 よし、次はこの映像制作に挑戦しよう!で、まずは、SHADEで「ブルー君」をつくらねば。

机の上での議論。

 会議など多くの人が集まる場所(机の上)ではあまり生産的でクリエティブな意見やアイディアが出にくい。生まれるのは「傲慢」「嫉妬」「後悔」「焦燥」「揶揄」ぐらいのモノだろう。これら非生産的な思考がなぜ会議の場で生まれやすいかと言えば、心の中で消化しようと蓄積されていた食物が一見フラットな会議の場で心の噴門(胃の入口)が緩むのだ。日頃、健康な状態ではモラルやセオリーのリミッターが機能しているため噴門は開かず、十二指腸へ消化された食物は流れていくのだが。

 会議の場というのは基本的に最少公倍数を絞り込む場所なのだが、余計な的外れの変数が出てしまう空気になるのだ。これは日本に特化した傾向なんだそうで、中国なら議論のベクトルが散り、アメリカなら共感が生まれない、アフリカゾーンならそもそも会議という習慣が理解できず、成立しない傾向が強いらしい。なるほど理由は国民性なのかと知れば知るほど、この日本の会議の傾向は無意味だと感じてしまう。多数決、予定調和、根回し、いずれもクリエティブな印象はないし、そのトップレベルのお話が、仮に日本経済の指針を決定する政治の世界にも適用されているとしたら、そのゾーンにこそ国民性の特徴・個性が機能していることになる。よって、私達の一票はあまりこの国の舵取りに有効ではないような気さえしてくる。むしろ、政治家と呼ばれる人とたまに対面で日常会話をすることがあるが、いたって普通のポテンシャルであることが多い。ただ、然るべきシステムと手順で選ばれたというだけで、決してポテンシャルが高いからではないのだ。

 会議は「議が出会う場所」だから、「傲慢」「嫉妬」「後悔」「焦燥」「揶揄」が明白に露呈して生産的で建設的なベクトルに変換されれば、意義・意味・価値はあるのだろうけど、そこまでのファシリテイターは稀有であろう。

 なぜ、こんなややこしいお話をひさびさにブログで書いたかと言うと、現在、ベトナムに短期留学し「起業モデル」に取り組んでいる若者から最近、質問・相談があったのです。それは「企画の存在意義が混沌としてきました」「何か有効な打開手法・解決手法はありますか?」という相談だった。僕はその相談に「一旦、机から離れましょう」とアドバイスさせていただいた。混沌と混迷が少しでも融解・消化して良質な成果が生まれるといいのですが。

ソフトウエアの機能数。

 「ソフトウエアを使いこなす」という目的で日々リサーチを繰り返し、試行錯誤を繰り返しておられる人は多いはず。

 なんせ、ネット情報には使いこなした結果だけが魅力的に輝いているからだ。「この表現はどうしてつくるのですか?」「このソフトウエアはどういう手順で使うと効率的なんですか?」「他のソフトウエアとのデータの互換性について教えてください」という質問をよく頂きますが、なかなか、ひとことで短時間で質問に答えにくい。何故か、機能を活用する順番は無限のパターンがあるからだ。しかも、HTML関連になれば、ローカル環境だけで解決できない問題が多い。つまり、契約しているレンタルサーバ会社の機能やダウンロードしてくるプラグインや各種プログラムとの相性、そして、目的の表現を見極めなければならないからである。僕はプログラムの専門家ではないし、PHP言語を0から書ける知識も技術ももっていない。だから、断片的な知識を自分なりに組み合わせて目的の成果を達成しなければならない。そのためには実際、自分で制作環境を用意してつくってみるしか方法はないのです。何回も何回もエラーになり、問題点をプログラムの中に探したり、同じ問題を抱えている方のブログ記事を拝見して解決策を見つける作業である。

 単純に「ソフトウエアを使いこなす」とはソフトの基本的な機能と手順を覚えて、それを繰り返すだけではないのだ。僕はビジネスソフト系に長けていないが、実際、設置している成果物を30分ほど使えば大体の設計内容は理解できる。どの画面とどの変数が関係していて、どういう機能が設定しているか、などである。

 しかし、グラフィックデザインやWEBサイトや映像コンテンツを作成する専門的なソフトウエアはそう簡単に流れが設計構造が見えてこない。作業を開始して保存するまでなら、その行程はすべて「ヒストリー」に記録されているが、一旦、SAVEをかけて閉じてしまうともう分からない。専門家ならどこかのメタ情報を解析してその行程をすべて確認できるのだろが、そこまでの知識と技術を習得する時間はない。

 ちなみに、映像制作で長く(約15年)使っているアドビの「AFTER EFFECTS」。バージョンは「3」ぐらいから使っている。現在は「CC 2018」を頻繁に使っているが、単純にソフトウエアを起動した時の上部のメインメニューをプルダウンすると合計221個の機能が用意されている。しかも、それぞれサブメニューに分岐するので、恐らくだがメインメニューからだけでも2,000個近い機能数がある。また、実際のオブジェクトに適用する「エフェクト&プリセット」という機能があるのだが、メインフォルダが24個、サブフォルダが20個、さらにその中にサブフォルダが30個用意されている。つまり、24×20×30=14,400となる。これは概算だけれど、約1万個以上の機能が「エフェクト&プリセット」には用意されている。実際、僕が過去にこの中から使った機能は約200程度だろう。時間があればこれらの機能をすべて使ってみてYT動画を制作すれば、皆さん観てくれるだろうが、なかなか、仕事をしながらこの探求を繰り返す時間はつくれない。

 ま、A.E.ほどではないが、当然、「イラストレーター」「フォトショップ」にも同じぐらいの機能数があるのだから、「ソフトウエアを使いこなす」って、途方もないレンジ(幅)と選択肢があるわけです。ほぼ無限のこの選択肢から、どのようにして最適ルートを見つけるかはつくり手のモチベーション次第なのだ。いずれも高価な専門ソフトウエアではあるが、よくこんなソフトウエアをアドビの人達はつくったものだ。あきれる。

 だから、使わせていただいている側とすれば、この機能を駆使して「あきれる成果」を生み出さねばならないと日々、試行錯誤に取り組んでいる。

肯定派?否定派?

 僕は基本的にどんな相談でも否定することはない。むしろ、肯定的に「ここがいいですね!」「もっと、こうしたらさらに良くなりますね!」と本音でそう感じるので、そのまま素直に言葉にしている。多少、違和感があってもそれはどうにでもなることだから、それよりも、もっと品質を上げるための改良点や修正点を言う傾向が強い。しかし、世の中にはとことん否定的な人がいて、何をどうしても肯定しない。確かに理論理屈はその通りで、その分析はどれも頷ける内容なのだが、やはり、僕も人間なのでそういう相手だとテンションが下がる。いや、厳しい意見や貴重なアドバイスを頂けていると捉え、その方の苦言を真剣に聞くように心がけていますし、基本、自分自身が肯定派なので相性的には悪いと感じつつ大人の対応を心がけています。それらを充分理解したうえで、もしかしたらこの人は他人を否定して自己肯定したいだけかな?という気持ちになる場合があります。例えば、名刺のデザインを制作する。否定派の人に見てもらう。リアクションは薄く、評価は低い。そして、「こうすればいいんじゃない?」「この方向性もあるよね?」というアイディアがどこかズレている。しかも、改良案がどこか曖昧で抽象的である。イメージ的で感覚的に熱弁をふるいながらも次第に自分の世界観全開で、実際、とても実現性はほぼないような改良点や別案だったりする。いやいや、まぁ、つくるのは僕ですから、技術的なお話はさて置き、そのデザインが完成できたとしてそれは、今、目の前の僕のデザインよりも上?となってしまう。口数の多い人ほどこの迷走が激しく、そんな人の熱弁を聞きながら僕はドン引きしてしまう。で、熱弁が終わりそうなタイミングで僕は一言。「そのデザイン、どういう手順でつくりましょうか?」と聞く。つまり、優れた良質でトビキリの完成形をいくら思考の中で描いても実現できなければ「絵空事」なんです。いや、「絵空事」ありきであとから手順やテクニックを考案するのがつくり手の仕事なんだけれど、否定派の人は自分を否定されるのを嫌う傾向が強いのでコミュニケーションが難しく、素の部分で歩みよる気持ちになれない。基本、頑固者なので肯定にも限度がありますし、酩酊のような熱弁を聞いている時間があれば、少しでもつくり始めたい僕は「手順」という制約でクロージングすることが多い。ただ、「手順」って経験値や技能でもありセンスが大きく作用する部分なので、結果、自分に足りないことばかりが露呈してしまうのですが。

 ま、約33年間、デザインの仕事をしてきましたが、一番、気持ちいいのは実は「肯定派」でもなく、「否定派」でもなく、「素(ニュートラル)」であることなんです。肯定しても否定してもいずれもエンドレス。思考はただ制限時間いっぱいまで巡るだけで結論はでない。そんな状況で最も良質な結論を出せるのは「素の自分」しかないんです。最近、ようやくこの年齢になってそれが少しだけ分かってきたような気がします。何事も「素」じゃないと楽しくないんだと。

デモ映像第3弾完成。

 テレビ番組企画「近江のタマテバコ」デモ映像第3弾です。いろいろ詰め込みましたが、2分間という制約はなかなかタイトです。でも、まだいろいろ気になるとろこがあるので、さらにチューニングしようと思っています。映像づくりは大変ですがとても楽しいです。

音に神経質な僕。

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 デザインやイラストレーションなどモノヅクリにおいて意外と色や形に対して僕はラフに捉えている(ラフ過ぎてカミさんによく怒られるのだが)。以前は水彩画でもペン画でも鉛筆画でもとことん手のタッチを出さないような、写真に近い状態の仕上げを狙っていた。ま、スーパーリアリズムほどではないが、徹底的にフォトリアリズムチックに取り組むことがひとつの作品を制作する際のゴール(スタイル)だった。

 DTPデータをイラレで制作する際も左上の座標から計算して1ピクセル単位、0.01mmのチューニングをしていた。でも、ある時、「そこまでやったとろで誰がそのチューニングを分かってくれるんだ?」という気持ちになった。普通、ソフトウエアでDTP作業をしていると水平垂直は絶対に狂わない。だから、あとは感覚で写真や文字の位置を決めればいい。版下時代は三角定規で水平垂直の狂いを目視で確認したのだから進化である。だから、普通にイラレを使えば、紙面の空間をいかに心地良くするかを計算しレイアウトすればいいのだが、それがなんとなくつまらなくなった。これは「味つけ」の問題である。イラストも同様に手の生きたタッチを出した方が「味」が出る。しかし、意図してもダメで長けていなくてもダメ。そんな感じで僕はモノヅクリにおいて「ラフ」な意識で取り組むことが基本スタイルになり、あまり、徹底的に数値で設計することをやめた。だから、映像制作中の「音素材」についてもラフに最初は捉えていた。しかし、最近、「整音作業」という言葉を知ってから、「音素材」への取り組み方がかなり神経質でディープになっていることに気づいた。とは言え、音楽コンテンツを本格的なスタジオで作曲したりミキシングするわけじゃないから、プロレベルの神経質さとはレベルが違う。ただ、それでも上記のような波形編集ソフトで音源のデジタルデータを見てしまうと、時間が許す限り、終わらない調整が始まってしまう。音づくりも正解のない世界なんだろうけど、感覚的に「よし!これでGOOD!」というレベルまでとことんこだわってしまいます。恐らくそれはソフトの機能でいろいろできてしまうことが影響しているのだろうし、コネコネやってっても最後は感覚で決めるわけだから、どういう気持ちで客観的に聞くかで答は出せるのだろうが。つまり、音づくりって最終決断する感覚の部位が自分の耳だから正解はひとつじゃないのです。耳が理論理屈モードになっている状態は「これでいいかな?」と思っていても、ちょっと考え事をしてヘッドフォンで改めて聞くと「うん?ここはやはり違うな!?」ってことになる。あまり、やりすぎない方がいいのは分かっているのですが、どうも悪い癖でやり過ぎてしまうのです。

 ま、これも経験の部分でいずれはデザインや絵のように、ラフな感覚で良質な心地良い音源づくりができるまで、しばらく徹底機に神経質に取り組んでいこうと思っています。

デモ映像第3弾が完成!

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 オープニングのCGグラフィック(SHADEアニメーション)から長浜周辺のロケ撮影(ドローン撮影など)、試飲映像、イラストレーターで作成したインフォグラフィックス画像、BGMとSE、そして、ナレーション録音、これらをすべてAFTER EFFECTSに並べ終えました。今回もトラック数は120を越えてしまいましたが、あとは微妙な音声の整音作業と各トラックの細かい調整で完成です。世の中は10連休のお盆休みだったみたいですが、私はいつものことながら無休でした。しかし、とても充実したお盆休みでした。1本の映像を仕上げた瞬間って、たまりません。この仕事、う~ん、癖に中毒になります。

 これで本日はビールを飲んでバタンといきたいところですが、これから八幡山ロープウェー様に伺い、夜間イルミネーションと八幡山山頂からの夕景と夜景の撮影(写真撮影と映像撮影)です。

ロケ最終日。

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 昨日、最後のロケ撮影が終わりました。お盆休みのところ、長浜バイオ大学の松島先生に浜湖月様まで来ていただき、お酒の試飲映像を撮影させていただきました。何回もこのタイプのロケを繰り返しながら、ようやく必要な機材とその活用術が見えてきました。しかし、蝉の鳴き声がうるさかったですが、このガンマイクでなんとか補助録音ができました。あとはソフトウエアで整音作業です。松島先生、ありがとうございました。そして、ロケ会場を提供していただいた浜湖月様、本当にご無理を申し上げました。

プラトー。

 プラトーとは、一時的な停滞状態のこと。トレーニング時の能力向上の停滞期を指す。プラトーになると今までと同じトレーニング内容にもかかわらず成績が向上しない。この原因は、休養不足、栄養不足などが挙げられるだそうだ。実際、野球や陸上の練習をしていた頃にも、今までと同じ練習をしているのにまったく技術的なレベルアップが実感できず、焦った経験が多い。勉学でも同じで「僕のポテンシャルはこんなもんじゃないはず」という焦りを経験した。知識も技術も感覚も何か高い目標設定をして、レベルアップを目指しているケースって、仕事でも同じ。特にデザインの仕事はデザインに関する基礎知識があったとしても、ほぼ、それでは仕事にならないことが多い。仕事にならないと言うか現場で通用するレベルではないのだ。世の中のデザインの流れや技術的な表現方法についてのテクニックや知識、WEBデザインに取り組んでいるのならHTMLコーディングに関する世の中の進化、映像制作ならばキャリアや専用機材の進化などなど、習得するべき技能は無尽蔵だからだ。

 デザインワークを始めよう、実施に始めたがいきなり壁にぶつかる時って、基礎知識をある程度取得したあとにやってくる。これがデザインテクニック向上段階の「プラトー」である。デザインテクニックって無形だから向上のレベルに基準がない。と言うより無限に評価基準が存在する。世の中的にはグッドでも、クライアント的にはNGというケース。つくり手としてこのテクニックでこのスタイルでと思っていても、クライアントがNGならば仕事は成立しない。単にレベルが向上すればNGにならないのか?という問題でもない。これが非常に悩ましい。陸上ならタイムアップで向上レベルは分かるし、野球ならヒットを多く打てばいい。しかし、デザインワークのホームランは何パターンもあるからだ。

 さて、デザインワークにおける技能の向上に深く関連してるのが、パソコン(ソフトウエア)の技能だ。パソコンの健康管理やネットワーク構築上の基礎知識は勿論、データを管理するための整理術なども効率と深い関係があるし、データサイズの適正化や形式の汎用性などについても基礎知識レベルである。また、デザインワークの場合、ある特定のソフトウエアにのみ長けていてもあまり効果や利点はなく、連携させてなんぼ、みたいな側面もある。データの互換性に関する知識と技術、そして着想力(思考力・連想力)である。印刷物には印刷物のWEBサイトにはWEBサイトの映像には映像の適正なデータサイズと形式があるのだ。当然、エクスポートとインポートを繰り返しているとデータ本体は劣化するし、予期してない破損もよくある。映像データなどもそれぞれの表示デバイス毎に推奨されているデータ仕様はあるものの、実際は正解はないように感じている。

 これらの技術を退化させないためにはやはり、日頃の鍛錬と探求しか術はない。デザイン道にも近道はないのだ。しかし、自分の知識が技術が今どのレベルかを規定する適正なモノサシがなくてとても悩ましい。常に「この方向でいいよな」「ちょっと脱線しているのかな」「とりあえず、こことここはしっかり習得しよう」と試行錯誤&暗中模索の連続なのだ。概ね手順として、ネットや専門書で基本的な操作を知る→実際にモックアップを制作してみる→その知識と経験から仕事用に転換する切り口(アイディア)を見つける→実際にデータ制作(デザイン制作)→そして、徹底的なチューニング→完成。一番肝心の部分は3つ目。「知識を仕事用に転換する」という部分。ここで技能の向上レベルを判断できる。つまり、いくら良いアイディアがひらめいても完成できなければ「絵空事」で終わるからだ。この「絵空事」が非常に多い。自分自身に期待するのはいいことだが達成できな目標を設定しても時間の浪費に終わるので、目標設定を下限修正しなければならないのだ。しかし、一定の平衡状態・均衡状態を抜けると、面白いほど実現率が高くなり、それに同期して良質なアイディアやひらめきが生まれるようになる。ここからがつくり手の真骨頂・醍醐味である。

 そう、プラトーを脱出する出口が見えた時、デザイン技能は確実に向上しているのだ。

Photoshop&Illustratorテクニック

 「Photoshop & Illustrator テクニック」という内容の本を僕も良く買うのですが、確かにソフトウエアのテクニックを使った基本的な表現方法がいろいろ紹介されていて、「仕事に使えそう!」と一瞬感じるのですが、よくよく吟味し整理していくと「これはちょっと違う」「これもちょっと違う」「う~ん、結果、どれもこれも使えねぇな」という状況になることが多かった。これは単に僕が食わず嫌いなのか、素直にそのテクニックをデザインに活用すればいいだけなのかもしれないが、いや、それにしてもそのテクニックで意図している、クライアントさんからの要望をデザイン表現としてクリアするとは思えないのです。それもそのはず、その本の内容は一般的な「PhotoshopとIllustrator」のテクニック集なのだ。そのまま使って仕事に応用・適用できるなんて安易な考えの僕がNGなのだ。だから、それらの本に整理されているテクニック集はひとつのトリガー・ヒント・呼び水なのだ。マルパクリを推奨しているわけではないのだ。それは分かっている上で、フォーカスを甘く広く浅くしても到底、実践では使えなかったことが多かった。それは具体的に非効率だったり、テーマとの相性が悪かったり、狙いの表現に対してパワー不足だったりするのだ。確かに「Photoshop&Illustrator」は素晴らしいソフトウエアだし、これを抜きにデザインのDTP仕事は考えられないほど感染しているのだが、実践現場はそんなパターンで成立するほど浅くないのです。浅いなら浅いなりに、つくり手の感覚が必要だし、深いなら深いなりにとことん徹底的に研究して活用しなければならない。このさじ加減を決めるのはすべてつくり手次第なので、要は「Photoshop&Illustrator」はよく切れる包丁だけれど、どのように切るかで料理の手順は大きく変化するということ。完成した料理を見て、包丁の使い方テクが分かることが一番重要なのである。これが実践向けのテクニックなのだ。

PCスキル。

 「PCスキル」という言葉がある。「PCが得意である」という人は得意ではないという人と比較して求人数が約13倍。年収に換算すると23万円も格差があるというデータがある。これらのアンケート調査結果はオフィス系ソフトウエアに限られている「PCスキル」のお話なのですが、それでも、「PCが得意」であるということはビジネスの現場でそれなりのアドバンテージがあることになる。恐らく、マイクロソフトのオフィスや会計ソフトや顧客管理・仕入れ・売り上げに関する業務を指しているのだろうが、私はオフィス系のPCスキルはほぼ長けていない。デザインの仕事を展開する上で必要なソフトではあるが、別段、長けている必要がないからだ。確かにエクセルやパワーポイントなどは資料づくりには便利だと思うが、けっこう安易に捉えている。それらのソフトウエアだったら「マニュアルを読んでただ使えば使えるでしょう」程度の安易さである。つまり、それぞれのオフィス系のソフトはそれらのファンクション(機能)をどこまで実務に応用するかがポイントであり、ファンクションを目的に合わせて選択していくこと。単純な操作ミスさえなければ比較的、誰でも使えるソフトウエアのジャンルだと捉えて、深く掘り下げようとはしてこなかった。そもそものニーズの問題である。

 一方、アドビに代表されるクリエティブ関連のソフトウエアは当然、オペレーション的な使い方も基本・王道ではあるが、そもそもの目的や意図もつくり手のポテンシャル(素質)に左右される。また、正確無比で高効率さだけが目的ではないので、感覚やテイストなどの曖昧だけれど、コンテンツの完成度を引き上げようとする知識や技能も連携させなければならない。ま、それはつくり手のポテンシャル次第なので、そこまで求めなければオペレーションに徹するだけで充分に「PCスキル」は成立する。この感覚の部分と従来のソフトウエアのファンクションとの相性が意外と均一ではなく、ムラがあることに気づいていない人が多いように思う。つまり、これらのソフトウエアの機能を覚えた環境によって、習得できるスキルが異なるからだ。

 仮にアドビのイラストレーターというソフトウエア。代表的なDTPソフトだが、全機能が1,000あったとする。長年、バージョンアップを繰り返し、現在はCCになっているが、デザインワークには欠かせない代表的なソフトウエアである。学校で基礎的な部分の300を習得してあとは独学で習得した。そして、仕事現場に就くとよほどの大手広告代理店でなければ、仕事のバリエーションはパターン化している。300の基礎知識を現場のコンテンツに応用しながら、必要に応じて新しいファンクションを習得すれば仕事は成立するだろう。そうなると、実際、使っている機能は50ぐらいになる。そして、その仕事スタイルがルーティーン化されていくと、残りの250やまだ知らない700の機能は「必要なし」と判断され選択しなくとも仕事は成立するので習得の機会を逃す。実際、イラストレーターのローバージョンから使っている人ならよく分かるだろうが、結構、現在のイラストレーターは一見多機能になったように思え、実際は「この機能、一生使わねぇな」というゾーンが多い。また、「デザインテクニック100」みたいなコンセプトの書籍を読んでも、90個ほどは「これは実際に仕事に使わないだろう」というテクニックがピックアップされていることが多い。デザインワークとソフトウエアの関係って、意外と最大公約数は狭いのだ。ということは、デザインワークに関して「PCスキル」よりも大切なスキルがあるということになる。

 さて、そんな意識からそのゾーンを網羅した本を長年リサーチをしてきた。ずっと、結構、真剣にリサーチしてきた。しかし、そんな都合のよい本はまだ一冊も出会えていない。「それはそれぞれの現場でしっかり習得するべきスキルだから」がその理由だろうが、でも、それが一番知りたい。33年間もデザインの仕事をしてきて、イラストレーターに限っては英語版から使ってきた私でさえ、そんな本があれば必ず即購入するだろう。仮にそのスキルが習得できたとして、求人件数が増えたり、年収が増加するとは思えないが、欲しい人は多いはず。

美意識。

 某有名カメラマンの仕事に対する取り組み方姿勢のお話。多くのメジャーなアーティストの商業写真や化粧品メーカーの商業写真を手がけておられる男性の方である。その方が著名になるまでの経緯は決してライトだったわけじゃなく、何回も何百回もクリエティブディレクターに自分自身のポートフォリオ(作品集)を見せて好機を引き寄せられたのだ。写真作品は当然、基本的な知識からカメラのスペックを活用し、スタジオならライトの配置テクニック、ロケなら光の調整技術などは基本中の基本。その上でどこまで独自性のある良質な写真を撮影できるか、クライアントの期待や要望に対して、要件定義をどこまで達成するか、これがフォトグラファーの仕事。だから、デジタルカメラやスマホで撮影した一般の方の写真とフォトグラファーの写真に格差があるのは当然。しかし、不特定多数の一般の方が商業写真の場合ターゲットなのだから、ややこしく複雑な理論や方法論などの専門家のアプローチが背景にあったとしても、それをこと細かに説明する余地は存在しなので、一枚の写真にすべてを集約して実装させなければならいのです。

 そこでそのフォトグラファーの方は日本の「美意識」を徹底的に突き詰めようと、自ら華道に挑戦し、5年間修行をした後、師範代クラスの知識と技術と感覚を習得されたそうです。寺院や仏閣に自ら足を運び、日本の美意識をその感覚の中に刻んだ上で、写真撮影に取り組んでおられるのだそうです。この意識、正にプロ意識です。

 デザインやWEBや映像の仕事も同じだと思います。基本的なデザインの知識や専門機材やツール(ソフトウエア)の知識と技術。そして、あくなき好奇心と向学心で感覚を磨くことしか良質な仕事をする道は存在しない。近道はないのです。東京でお世話になったデザインの師匠のひとりからは「デザインバカになるな」という言葉を頂いた。デザインはただの手法だからその世界の知識や技術を習得することは決して無駄ではないが、良質な仕事を長く継続するためには、「デザイン以外の世界」を広く深く知ろうとする好奇心が大切だという意味でした。それは、知識・技術・感覚の先にある気質や人格や姿勢の部分で、デザインをエンジョイすることなんだと理解しています。

 ここでも、やはり、大きく強く作用するのは「美意識」なんです。

健康診断結果到着。

 日本列島、非常に暑い日が続いております。クーラーの効いた仕事場と外出を繰り返していると体力の消耗が想像以上に激しい。これも老化現象のひとつだと思って、歯を食いしばって毎日頑張っているわけですが、どうも午後4時ぐらいになるとお腹がグルグルと鳴り出します。決して下しているわけではなく、ただの健全な空腹のサインです。しかし、春から梅雨の時期にはこのサインはなかったので、やはり暑い日が続き、必要以上に身体の中のエネルギーを消耗しているサインなのかなと思っています。

 昨日、4年ぶりに健康診断を受けた詳細結果が病院が届き、ほぼすべての項目で診断結果は「1」でした。診断結果は6ランクあり、1が「異常なし」、6が「要治療」というランク設定です。血液や心臓や身体機能の診断結果はほぼ1だったのですが、1箇所だけ「5」という赤い数字がありました。それは十二指腸に異常があり「要精密検査」という診断結果。一瞬、ドキリとしたのですが、過去の診断結果を見ると、4年前も7年前も同じ「十二指腸に異常あり」となっていて、診断結果ランクは空白だったのが、今回に限り「5」になっていました。ま、こんな捻れた妄想はしたくないですが、これがいわゆる「健康診断ビジネス」かなと思ってしまいます。そりゃ、病院から厳重な封筒で到着した書類に「要精密検査」と診断されて、再検査に行かない人はいないでしょう。でも、今回に限ってならドキリなのですが、4年前も7年前も同じ診断結果で今回だけ何故「要精密検査」なのか?病院相手にこんな疑念を抱いても意味はないでしょうし、医学的に何の結論も出せない素人は素直に再検査を受ければいいのだろうけど。どうしたものかと悩んでしまいます。こんな診断をされるから、ただの空腹のサイン「グルグル」でさえ、悪い想像をしてしまうのが人間の弱さです。再検査、どうしようかな…。

「カリ・モーラ」到着。

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 またまた、トマス・ハリスの新作を読めるなんて、至福です。

カリ・モーラ購入。

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 本日、「カリ・モーラ」をアマゾンで購入。2019年7月26日初版の小説である。なんと、ページ数が「424」と!個人的にこっそり嬉しい数値です。

 アマゾンのあらすじ紹介は「マイアミに暮らす美貌のカリ・モーラは25歳。故国のコロンビアでの凄惨な過去を背負い、移民として働きながら、獣医になることを夢見ている。彼女は麻薬王の邸宅管理のバイトがきっかけで、屋敷に隠された金塊を狙う犯罪集団の作戦に巻き込まれ、彼らと対立する臓器密売商の猟奇殺人者シュナイダーの妄執の的にもなってしまい──。極彩色の恐怖と波乱の展開に震える傑作サイコ・スリラー。」となっている。

 う~ん、震える震える、ヤバイよヤバイよ!

「表現の不自由展」中止!

 これはなんだかとてもデリケートなゾーンであるが、青天井の興味があります。そうそう、こういう意識のエネルギー量って明確に実感ができないのですが、相当、鬱積してそう。最近、デザインの歴史を整理しているのですが、160年前に「デザイン」という概念が生まれてから、偉業と呼ばれる「表現(作品)」が生まれた。しかし、表現の制約や条件やルールのアウトサイドにはインサイドでは納まらない破格の「表現」があったはずなのだ。脚光を浴びていないゾーンに暗躍する無限のエネルギーを黙認(抑制・規制)できる時代はそろそろ終わりかけているのかもしれない。

人気ソフトウエア100

 特にMACを使い始めた30年前からWINを併用するようになっても、一番気になるのはソフトウエアの存在。パソコンを使い始めたきっかけがアドビのイラストレーターとフォトショップだったことがとてもラッキーだった。もし、あの時、この二つを使っていなければ今でも新しいソフトウエアに挑戦しようという強めのモチベーションが生まれていないような、どこか後手に回って先頭集団の後ろからついていくような姿勢になっていたかもしれない。あの頃、確かにイラレとフォトショップはハードルの高いソフトだった。マニュアルもチュートリアルも英語版。画面はクソ小さく、モノクロで粗い。現在の5Kモニターなど想像できない環境・状況だった。つまり、それほど私達の仕事の効率や成果はパソコン(ソフトウエア)ワークに左右されているということだ。

 未だに「私はパソコンが苦手です」とか、「新しいソフトウエアのマニュアルを読むのが嫌いだから」という言葉をよく聞くが、これはもう、自分の知識や能力の向上を放棄している敗北宣言。一方、常に新しいソフトに挑戦してゴリゴリ使って新しい成果を生み出そうとする人がいる。時代が大きく変化しても、歯を食いしばって好奇心のアンテナの感度をビンビンにして貪欲に技能を獲得しようとする人は当然成果を上げ、高い評価を得る。この姿勢が当然、インターネットやクラウドやAIのフィールドを闊歩するための脚力になるのだから、自分に言い訳するのはやめて、とにかく歩き続けるしかないのだ。

 そこで、現在、私が挑戦しようとしているソフトウエアベスト3を紹介します。

 第3位はDAW関連のミキシングソフトだ。当然、AEやPRにもミキシングがフィルターやエフェクトは多く存在するし、CUBASEやAUDITIONなどの有名どころもすでに使っているが、それでも、ミキシング作業は奥が深いから好奇心と探究心を消してはいけない。もっともっと「レベルの高い音づくり」を習得したいと思っています。ま、とは言え、使える楽器がなんちゃってキーボードとレスポール(エレキギター)しかないのが現実なので、もっと、ちゃんと音楽理論を学んでおけば良かったなどと後悔しなくもないが、そんな安易に「音楽」が習得できるはずはないので致し方なし。音楽を極めようとしている「鬼達」をたくさん知っているので、あの世界は阿鼻叫喚なので。

 第2位はプログラミングソフトの「パイソン」である。2冊ほど本を読んだレベルだが、このツールの未来図はデカイ。AIを使って自分に何ができるかまだ明確には分からないがこれはやっておく必要がある。絶対にある。デザインやWEBや映像コンテンツに対してどう有効なのか?この部分を見極める必要があるだろう。「いやいや、あんたがそれを使わなくてもどこかにゴリゴリのエキスパートがいるから覚える必要はないよ」ではダメ。ツールはまず使うこと。

 第1位は「弥生」「FREEE」「MF(マネーフォワードクラウド)」あたりの会計ソフトである。これはこれまで完全にスルーしてきたゾーンなので、まだ全容さえ見えていない。すでに専門書は4冊読んでいるが、それでも全容が見えていない。必要に迫られて使い始めているが、う~ん、まず、経理・会計の専門用語がチンプンカンプンである。でも、所詮、ソフトである。経営者や個人自営業の皆様は使っているわけだから、習得できないはずがない。

 余談ですが、アマゾンで人気売れ筋ソフトウエア100選というページをチェックすると60%がオフィス関係、30%がセキュリティー関係で10%がOTHERである。少しびっくりしたのは僕が日頃仕事で使っているソフトウエアが1本もこのランキングになかったこと。そうかそうか、これが世間一般の売れ筋なのかと改めて驚きでした。だから、僕が使ってきたような専門的なソフトウエアの知識やテクニック解説はニーズとして極薄だが、解説書や応用テクニック集などを企画して制作す意義や価値はありそうな予感がしています。

 そう!「人気」の裏側には必ず本質的なニーズが潜んでいるんです。

トマス・ハリス新作!

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 もう、新作は正直、読めないと思っていた。「ブラックサンデー(1975)」から「羊たちの沈黙(1988)」も13年間の執筆期間があり、「ハンニバル(1999)」もその11年後。そろそろではあったが、遅筆で有名なトマス・ハリスも78歳。「ハンニバル」の後、次回作の話はずっと出ていなかった。それが、それが、「カリ・モーラ」である。素直に嬉しい。好きな海外の小説家が遺作を残し他界していく度に、とても寂しい気持ちになります。もう、新作を読めないんだと。だから、だから、「カリ・モーラ」は徹底的にとことん嬉しいのです。

絵画と画家はワンセット。

 どうも「絵画」と「画家」ってワンセットだなぁ~って感じます。

 と言うのは、例えば、「絵画」だけが有名で画家は知られていないとか、「画家」が有名だけど絵画は大したことはないっていうケースもあります。で、世界的に有名な「絵画」とか「画家」って当然、有名なんだから資料や手記が残っていてどちらも相乗効果で偉業が成立するわけです。「おおっ!この絵画は素晴らしいなぁ~、でも、誰が描いた?」っていう場合もあるだろうし、「最近、新進気鋭の画家がメディアで取り上げられているが、作品を観たら…」みたいなこともよくある。これって、すでに古典的な情報として世界的に有名な「絵画」と「画家」はすでに既製事実として「有名印」が付いている状態で認知するので、当然と言えば当然。普通の感覚でそうならない原因を特定できないほど、「有名」という事実を受け入れているわけです。でも、そんな先入観や予備知識を抜き、ゴッホの「ひまわり」や「自画像」を観るってことは至難の技なので、一般的にそのゾーンはスルーされているってこと。でも、絵画表現で何かメッセージを残そうとするならば、「有名」になりたいからという理由は少し見当が外れているような気がします。この問題は非常に奥が深いのでまた良い解釈がひらめいたらブログに書きたいと思います。

千本ノック。

 日曜日、自治会の有志が集まりソフトボールの練習をした。集まったメンバーは5名。順番にボールひとケース分(約30球)のバッティングをして他のメンバーは守り。私はセンターあたりで若手20代の方が打たれる打球を広いピッチャーに返す。この繰り返し。打順が回ってきてひとケース打つ。しかし、20代の方の打球は鋭く距離が出る。私の飛距離は若い方の約70%。う~ん、これが現実である。若い頃ならオーバーフェンスもあったろうに。私はセンターで千本ノック状態である。

 そして、打撃練習が2回りした後、休憩をはさんで全員でファースト付近の守備に入りノックを受けた。高校の硬式野球時代はレフトだったのですが、内野の守備も好きでした。内野の守備で一番肝心なポイントはボールに反応して前に出ること。打球を確認して足が止まるとボールに差し込まれ、取って投げるまでの動作が受身になりスムーズに対応できない。これ頭では分かっているがなかなか難しい。以前は待ってしまいポロポロとボールがグラブからこぼれたが、先日はしっかりボールに反応できた。足が前に自然と出たのだ。飛んでくるボール対して体制・姿勢が前に出ると身体の反応も鋭くなり自然とボールを捕まえることができる。頭で考えているだけじゃダメなんです。打撃練習はまるで千本ノック状態だったので、適度に力が抜けて自然とボールに反応できたのだ。

 う~ん、ソフトボールの守備も仕事も同じである。攻めないと守れないんだ。