音に神経質な僕。

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 デザインやイラストレーションなどモノヅクリにおいて意外と色や形に対して僕はラフに捉えている(ラフ過ぎてカミさんによく怒られるのだが)。以前は水彩画でもペン画でも鉛筆画でもとことん手のタッチを出さないような、写真に近い状態の仕上げを狙っていた。ま、スーパーリアリズムほどではないが、徹底的にフォトリアリズムチックに取り組むことがひとつの作品を制作する際のゴール(スタイル)だった。

 DTPデータをイラレで制作する際も左上の座標から計算して1ピクセル単位、0.01mmのチューニングをしていた。でも、ある時、「そこまでやったとろで誰がそのチューニングを分かってくれるんだ?」という気持ちになった。普通、ソフトウエアでDTP作業をしていると水平垂直は絶対に狂わない。だから、あとは感覚で写真や文字の位置を決めればいい。版下時代は三角定規で水平垂直の狂いを目視で確認したのだから進化である。だから、普通にイラレを使えば、紙面の空間をいかに心地良くするかを計算しレイアウトすればいいのだが、それがなんとなくつまらなくなった。これは「味つけ」の問題である。イラストも同様に手の生きたタッチを出した方が「味」が出る。しかし、意図してもダメで長けていなくてもダメ。そんな感じで僕はモノヅクリにおいて「ラフ」な意識で取り組むことが基本スタイルになり、あまり、徹底的に数値で設計することをやめた。だから、映像制作中の「音素材」についてもラフに最初は捉えていた。しかし、最近、「整音作業」という言葉を知ってから、「音素材」への取り組み方がかなり神経質でディープになっていることに気づいた。とは言え、音楽コンテンツを本格的なスタジオで作曲したりミキシングするわけじゃないから、プロレベルの神経質さとはレベルが違う。ただ、それでも上記のような波形編集ソフトで音源のデジタルデータを見てしまうと、時間が許す限り、終わらない調整が始まってしまう。音づくりも正解のない世界なんだろうけど、感覚的に「よし!これでGOOD!」というレベルまでとことんこだわってしまいます。恐らくそれはソフトの機能でいろいろできてしまうことが影響しているのだろうし、コネコネやってっても最後は感覚で決めるわけだから、どういう気持ちで客観的に聞くかで答は出せるのだろうが。つまり、音づくりって最終決断する感覚の部位が自分の耳だから正解はひとつじゃないのです。耳が理論理屈モードになっている状態は「これでいいかな?」と思っていても、ちょっと考え事をしてヘッドフォンで改めて聞くと「うん?ここはやはり違うな!?」ってことになる。あまり、やりすぎない方がいいのは分かっているのですが、どうも悪い癖でやり過ぎてしまうのです。

 ま、これも経験の部分でいずれはデザインや絵のように、ラフな感覚で良質な心地良い音源づくりができるまで、しばらく徹底機に神経質に取り組んでいこうと思っています。