肯定派?否定派?

 僕は基本的にどんな相談でも否定することはない。むしろ、肯定的に「ここがいいですね!」「もっと、こうしたらさらに良くなりますね!」と本音でそう感じるので、そのまま素直に言葉にしている。多少、違和感があってもそれはどうにでもなることだから、それよりも、もっと品質を上げるための改良点や修正点を言う傾向が強い。しかし、世の中にはとことん否定的な人がいて、何をどうしても肯定しない。確かに理論理屈はその通りで、その分析はどれも頷ける内容なのだが、やはり、僕も人間なのでそういう相手だとテンションが下がる。いや、厳しい意見や貴重なアドバイスを頂けていると捉え、その方の苦言を真剣に聞くように心がけていますし、基本、自分自身が肯定派なので相性的には悪いと感じつつ大人の対応を心がけています。それらを充分理解したうえで、もしかしたらこの人は他人を否定して自己肯定したいだけかな?という気持ちになる場合があります。例えば、名刺のデザインを制作する。否定派の人に見てもらう。リアクションは薄く、評価は低い。そして、「こうすればいいんじゃない?」「この方向性もあるよね?」というアイディアがどこかズレている。しかも、改良案がどこか曖昧で抽象的である。イメージ的で感覚的に熱弁をふるいながらも次第に自分の世界観全開で、実際、とても実現性はほぼないような改良点や別案だったりする。いやいや、まぁ、つくるのは僕ですから、技術的なお話はさて置き、そのデザインが完成できたとしてそれは、今、目の前の僕のデザインよりも上?となってしまう。口数の多い人ほどこの迷走が激しく、そんな人の熱弁を聞きながら僕はドン引きしてしまう。で、熱弁が終わりそうなタイミングで僕は一言。「そのデザイン、どういう手順でつくりましょうか?」と聞く。つまり、優れた良質でトビキリの完成形をいくら思考の中で描いても実現できなければ「絵空事」なんです。いや、「絵空事」ありきであとから手順やテクニックを考案するのがつくり手の仕事なんだけれど、否定派の人は自分を否定されるのを嫌う傾向が強いのでコミュニケーションが難しく、素の部分で歩みよる気持ちになれない。基本、頑固者なので肯定にも限度がありますし、酩酊のような熱弁を聞いている時間があれば、少しでもつくり始めたい僕は「手順」という制約でクロージングすることが多い。ただ、「手順」って経験値や技能でもありセンスが大きく作用する部分なので、結果、自分に足りないことばかりが露呈してしまうのですが。

 ま、約33年間、デザインの仕事をしてきましたが、一番、気持ちいいのは実は「肯定派」でもなく、「否定派」でもなく、「素(ニュートラル)」であることなんです。肯定しても否定してもいずれもエンドレス。思考はただ制限時間いっぱいまで巡るだけで結論はでない。そんな状況で最も良質な結論を出せるのは「素の自分」しかないんです。最近、ようやくこの年齢になってそれが少しだけ分かってきたような気がします。何事も「素」じゃないと楽しくないんだと。