机の上での議論。

 会議など多くの人が集まる場所(机の上)ではあまり生産的でクリエティブな意見やアイディアが出にくい。生まれるのは「傲慢」「嫉妬」「後悔」「焦燥」「揶揄」ぐらいのモノだろう。これら非生産的な思考がなぜ会議の場で生まれやすいかと言えば、心の中で消化しようと蓄積されていた食物が一見フラットな会議の場で心の噴門(胃の入口)が緩むのだ。日頃、健康な状態ではモラルやセオリーのリミッターが機能しているため噴門は開かず、十二指腸へ消化された食物は流れていくのだが。

 会議の場というのは基本的に最少公倍数を絞り込む場所なのだが、余計な的外れの変数が出てしまう空気になるのだ。これは日本に特化した傾向なんだそうで、中国なら議論のベクトルが散り、アメリカなら共感が生まれない、アフリカゾーンならそもそも会議という習慣が理解できず、成立しない傾向が強いらしい。なるほど理由は国民性なのかと知れば知るほど、この日本の会議の傾向は無意味だと感じてしまう。多数決、予定調和、根回し、いずれもクリエティブな印象はないし、そのトップレベルのお話が、仮に日本経済の指針を決定する政治の世界にも適用されているとしたら、そのゾーンにこそ国民性の特徴・個性が機能していることになる。よって、私達の一票はあまりこの国の舵取りに有効ではないような気さえしてくる。むしろ、政治家と呼ばれる人とたまに対面で日常会話をすることがあるが、いたって普通のポテンシャルであることが多い。ただ、然るべきシステムと手順で選ばれたというだけで、決してポテンシャルが高いからではないのだ。

 会議は「議が出会う場所」だから、「傲慢」「嫉妬」「後悔」「焦燥」「揶揄」が明白に露呈して生産的で建設的なベクトルに変換されれば、意義・意味・価値はあるのだろうけど、そこまでのファシリテイターは稀有であろう。

 なぜ、こんなややこしいお話をひさびさにブログで書いたかと言うと、現在、ベトナムに短期留学し「起業モデル」に取り組んでいる若者から最近、質問・相談があったのです。それは「企画の存在意義が混沌としてきました」「何か有効な打開手法・解決手法はありますか?」という相談だった。僕はその相談に「一旦、机から離れましょう」とアドバイスさせていただいた。混沌と混迷が少しでも融解・消化して良質な成果が生まれるといいのですが。