違いがわかる男。

 芸大の頃、工芸学科のひとつ上の先輩が卒業制作でグランプリを獲得された。その方は武骨で感覚的な職人タイプというよりも繊細で言葉少ない冷静沈着な理論派タイプだった。その先輩は卒業後、静岡のある工房に就職された。その工房はその頃「違いがわかる男」CM(ネスカフェ)シリーズでCMに登場しておられた工芸家の工房で、芸大でグランプリを獲得するとこんなメジャーなところで働くことができるんだと、ひとり興奮していた記憶がある。そのことがあってか、何かにつけ僕も「違いがわかる男」になりたいといつも心のどこかで常に考えるようになり、何かを選択するとき、些細なことでも「違い」について過敏にこだわる癖がついた。ただ、僕は「違いがわかる男」になるために観察・分析しているだけなのだが、世間一般的に(特にカミさん)「違い」の捉え方が少しねじれているらしい。ねじれているだけならまだギリアリなのだが、大きな大前提が間違っているのでオソマツな成果しか生まれない。このCMの「違いがわかる男」の条件は「上質」で「孤高」で「独創的」で「自然体」で普通に好感を放っている男でなければならない。僕はどうやらそのレベルには到達できそうにない。しかし、そう願い、そう意識し続けてきたことで個人的に得をしたと思っていることがひとつある。それは、実益にはならないし、誰からも評価されないし、たいした伸び代も期待できない程度の粗末な得なのですが。「圧倒的(極端な)な異物」側からモノゴトが見えるようになった。でも、その見えたモノを共感できる人は極稀なので手元にそれらが蓄積されてしまい、ただ、モヤモヤだけが残ります。でも、「違いの分かる男」の皆さんはその後、どうなったのだろう?だって、何をどうしていても「違い」が分かってしまうんだから、分かった以上、何か反応しなければならないわけです。意外と僕と同じで皆さん、モヤモヤしていたりするんじゃないかな。だから、結論、「違い」ってあまりわからないほうが幸福かもしれませんね。と言うか、「違い」が分からない状態を「幸福」と呼ぶのかもしれません。