何がしたいのか?

 最近、若い大学生の方から「何をしたいのか分からない」というご相談を受けた。自分自身が20歳の頃を想い出しながら、この相談についてしっかりと考えた。20歳の頃、自分が何をしたい、つまり、どんな仕事をして生計を立てたいと考えていたかという部分のお話。正直、その頃、僕は何も考えていなかった。漠然と頭の中にあったのは「絵を描いて飯を食う」、絵画(美術)に関連した仕事に就き生活をしていきたという程度だった。しかしながら、その頃はインターネットもなく、自分の好きなことをして生計を立てるという選択肢が極端に少なかった。「絵」を描く技術があってもそれだけで飯を食える時代ではなかった。現代のようにユーチューブがあって、自分の好きな映像を撮影し編集し公開するだけで認知度が上がり、人気が出てビジネスモデルが成立する時代ではなかったのだ。だから、「何をしたいのか分からない」という状況も僕が芸大生の頃よりも格段に選択肢が広がっているので、焦らずじっくりひとつひとつ確実に前進する意識を持ってくださいと、偉そうにアドバイスした。

 正直、普通の人間は「焦らずじっくりひとつひとつ確実に前進する」ことしかできないのが現実だという意識が僕の中に強くあったからだ。とにかく、焦っても成果は生まれないし、近道もなければ、錬金術も存在しないのだ。この世は。

 さらに言えば、「何がしたいか」は「何ができるか」と同列・同位であり、自分自身にどんな技術があるのか把握していない状況、テクニックのレベルを知らない状況で、あまりも高いレベルの目標を立てても意味がない非現実的なのだからだ。そして、「何ができるか」を明確に意識するためには「道具(ツール)」を使って自分は何がつくれる(生み出せる)のかを分かっている必要がある。例えば、鉛筆1本であなたは何ができるのか?最新のミラーレスカメラが手元にあるがそのツールであなたなどんな成果(作品)を撮影できるのか?アドビのソフトウエアがPCにすべてある状況で、それらであなたな何がつくれるのか?ということである。何ができるのか?を分かってから、「何がしたい」を考えればいい。つまり、スキルがない状態で高すぎるフラッグは立てることが難しいのである。シンプルな「辻褄」「因果」「利害」のお話である。