プロとアマ(素人)。

 最近テレビを観て感じることがある。それはプロのタレントや俳優やアナウンサーのコメントよりも、一般人のコメントにリアリティーがあるように感じることだ。ただ双方を比較してそう感じるだけであって、良質なプロの仕事をしている人達は特定の目的を達成することにはとても長けているので、リアリティーというよりも上質・良質に情報を加工しているという印象だ。

 言葉のチョイスや表情のつくり方、テンポや情報伝達手法の組み立て方、その構成力が秀逸なのだ。これはコンテンツの完成度の問題でありテクニックの問題だから、そうなってあたりまえの世界。つまり、そう計画して設計した結果を披露しているだけなので、情報が変化したり鈍化するこはない。アナウンサーやタレントが理解した通りに限られた時間の中でプロの仕事をしているだけなのだ。と、このような少し醒めた観方をしてしまうと、「プロっぽい」という利点が効率や形の整然さだけに気持ちを奪われて、本来のリアリティーを感覚で感じることをどこかに放置してしまいがちになってしまう。「確かに楽しませてもらっているが、本当に心から楽しんでいるのか?僕は?」という疑念である。

 インターネットやSNSがメディア化する以前、四大メディアで情報を発信する人はすべてプロ達で然るべきフォーマットとテクニックで情報を整理し発信していた。受け手もそれが当然、それ以外に選択肢はなかったので100%信じて受け入れていた。しかし、YouTubeなどの映像メディアが世の中に浸透し氾濫することで情報のディテールを根底から変えてしまったのだ。そして、受け手の意識の中には「プロでなくともリアリティーがある魅力的な人」をインターネットの中で発見してしまい、共感してしまった以上、もう、やむをえずプロの仕事と比較できる状況が生まれたのだ。

 例えば、専門的な知識がある人が独自の技術や経験値を映像や文章で丁寧に紹介しているブログがある。姿勢も意識も高く、魅力的でとても理解しやすい言葉を使う。その上でそのブログに記載されている公開されている情報が有益であると個人的に評価できれば、何もテレビに同じ情報を求めなくなる。テレビは公共のツールであることや、必ず資金を提供しているスポンサー企業があるので、いろいろな制約が多い(想定以上に多い)。実際、それが番組映像やその構成にどの程度作用しているかは一般的なテレビユーザーは分別できない。何故ならそれを確かめる術(経験値)がないからだ。しかも、テレビ番組やCMをつくっている人はその意識を充分に想定して、情報の角を上手く取ることに長けている。突っ込みどころや違和感がないように情報を整理・精査して、本来、伝えたい狙いや意図のみに上手く情報を加工アレンジしているのだ。言ってしまえば、「可もなく不可もない一見美しい情報」「どうとでも解釈できる中庸な文章表現」を然るべき著名人効果と高い映像技術で仕上げられた情報なだけなのだ。これが間違っているとか歪んでいるという捉え方ではなく、リアリティーがあるかないかの是非である。つくり手の純粋な想いや成果物に対するディテールは、制約上、「無駄なモノ」と排除される傾向があるのだ。だから、「アタリ」は一見、スマートでソフトなのだが、実態が軽い(個人的につまらない)。もしくは取り繕われた結果、顕在化された「情報らしきモノ」がモニターから流れているだけになってしまう。

 一方、YouTuberにはテレビと比較していろいろな制約が少ない分、リアリティーが実装できるのだ。この違いを実感している人達が今後、増加していくとしたら、マスメディアの方法論はいつか「蚊帳の外」になってしまうだろう。その時、プロとアマ(素人)の相違点(境界腺)は消え、リアリティーを情報として発信できる知識と技術と姿勢を持った人のみが、本当の認知と共感と信頼を獲得するようになるのだろうと思います。