2019年12月 アーカイブ

撮影用モニター。

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 いろいろ検討したのですが、結果、この撮影用モニター商品を購入。このタイプのモニターはけっこういろいろなタイプが販売されており、価格もピンキリなんですが、当面、写真撮影用と映像撮影用としては充分なスペックだと判断し選択しました。実際、屋外の撮影現場に出ると、カメラ内蔵の小さいモニターでは正確な構図が判断しにくい。ま、老眼という一番大きな問題があるわけですが、いちいちノートやタブレットに転送して確認するというのも現実的には非常にわずらわしい。特に動画撮影の場合は撮影後でもカメラのモニターで再生しても、致命的な不具合を発見できないのです。特に取り直しができない現場で確実に撮影した映像をチェックできる利点と合わせ、テスト撮影中の構図変化やモチーフの動きなどもあとあとの編集を意識して撮影しなければならいので、撮影現場での映像チェックはとても大切だと実感したのです。ビデオグラファーの皆様が撮影している映像をYouTubeなどで観ていると必ずこのモニターをカメラに連結させて撮影しておらましたので、やはり、必需品なのだと判断しました。

不特定多数というターゲット設定。

 デザインの仕事に取り組んでいく上でこの「不特定多数」というターゲットゾーンの搾り方に非常に苦労してきました。

 当然、仕事はクライアントさんありきなので、ご要望や企画主旨・意図・狙いがデザインを設計する上で最優先されるべき基準なのですが、それでもデザイン表現が最終的に固まるまでに「不特定多数はどう感じるのか?考えるのか?」という課題が発生します。さて、この「不特定多数」を別の言葉に置き換えると「通念」「常識」「世間一般」になるのですが、そもそも、つくり手という人間(僕だけ!?)は着想する際、差別化させる前提でモノゴトを考えているため、不特定多数を視野に入れなければ、思考や着想がどんどんマノリティー(少数派)になっていく傾向が強い(考えやすい)。むしろ、希少価値であったり独創性などをデザインに実装する場合、「普遍」「普通」は「手抜き工事」と解釈される場合が多く、確かに自分自身もデザインを外注する場合、クリエイターから出されたデザインを見て、「どこかイマイチ」「何か足りないけど」「あとひと捻り」と感じる場合、センスの有無で評価基準を決めてしまうが、実は、何か足りないのだ。それは「不特定多数」を意識できていないことで生まれる、微妙なニュアンスの「不足感」なのだ。ただ、クリエイターに対してセンスのお話はあまりしたくないですし、というリミッターが作用してしまうのです。

 これは何もクリエイター同士だからという訳ではなく、クライアントさんに対しても同じ状況で、プロのクリエイターにデザインの仕事を発注しているんだから、「素人が口出す場面ではないけれど」、という違和感を感じさせてはいけないのだ。しかし、つくり手も、いや、僕もこの「不特定多数」というターゲット設定が未だに明確ではなく、絞り込むノウハウが確定・確立・完成していない。できれば特筆した秀逸な孤高のデザインをつくりたいと取り組んでいるので、どちらかと言えば「不特定多数など視野から外してもいいかな」とも考えてしまうケースも多い。となれば、客観的に公明に普遍的な節度で「これぞ名実共に優れたデザインです!」というデザインをつくればいいのだが、そこのゾーンも実はよくよく考えてみると曖昧なゾーンなのです。

 例えば、「グッドデザイン賞」。結論から言えば、僕は「デザイン」と「グッド」を組み合わせるのはナンセンスだと考えている。が、世の中は何がなんでも「グッドデザイン賞」ありきの風潮が徹底的にとことん浸透している。むしろ「グッドデザイン」でなければデザイン的には論外だ、ぐらいの空気をヒリヒリ感じながらデザインを構想している状態があまり健全ではないと捉えている。つまり、デザインに絶対的な基準は存在しないという結論である。逆にチープでプアで安直なビギナーチックなデザインは本当に価値がないのか?という自問が生まれる。実際、日本の雑誌と海外の雑誌を「デザイン」という視点で比較してみると、理屈的も感覚的にも僕は日本のエディトリアルデザインが優れていると感じているが、それは日本生まれだからに過ぎず、実際、アメリカ人はアメリカのマガジンこそホンモノだと捉えているかもしれないのだ。何が双方の誤差を相違点を生むかと言えば、「相対性・相関性による選択」としか言及できない、という結論になる(少し乱暴な結論の出し方ではあるが)。

 うん、「不特定多数」という相手は、いやはや、タダモノではないのだ。

時を戻そう。

 今年のM-1グランプリは例年にも増して見応えがありました。かまいたちさんも素晴らしかったですし、グランプリを獲得されたミルクボーイさんのネタも素晴らしかった。しかし、圧倒的に印象に残った、面白さの余韻が残った強さ加減で言えば、僕はぺこぱさんがNo.1でした。「お笑い」「漫才」「ステージパフォーマンス」としては確かにその4分間の中でどれだけ楽しませてもらえたかが勝負であり、審査員の皆様の評価基準なのだが、当然、コンビにはそこに立つまでの試行錯誤や物語がある。何故、そのネタなのか?どうしてそういうキャラをつくったのか?そして、その切り口になった背景、そのテンポ、その組立にした理由があったはず。その結集があの4分間だったとしたら、そのエネルギーやテイストがいつまでも心の中に残せるという基準も「お笑い」の真骨頂・醍醐味・意義だと思うのです。ぺこぱさんを初めてテレビで観たのは2年前の大晦日。その場面で感じたニュアンスのまま、見事に覚醒されていた昨晩のステージ。決勝進出を経て、この年末から2020年、ぺこぱさんをテレビで観る機会は増えることだろう。とても楽しみである。

YouTubeの活用術。

あなたはこんなことで悩んでいませんか?
◎YouTubeを始めてみたいけど何からやればいいかわからない!
◎動画をアップするとこまではいったが視聴回数が伸びない!
◎1本の動画を作るのに最低2時間はかかってしまう!
◎魅力ある動画の作り方がわからない!

 という内容のメルマガが良く届く。で、一般的にそのメルマガの構成は「解決策はこちら!」みたいな流れになっているが、問題は「解決策」ではない。

 さて、そもそもこの「悩み」の本質は何だろう?

 確かに「何から?」や「視聴回数」や制作時間の「2時間」は共感するテーマ・課題ではあるが、この部分だけを解決したら「魅力的な動画」は成立するのだろうか?何もYouTubeの動画づくりに関したことではなく、いろいろな仕事に適用できる問題点なのですが、つまり、問題の本質は「悩んでいること」ではなく、「悩んでいる状況・状態」のような気がします。具体的には「何から?」「視聴回数」「制作時間2時間」はそう解釈しているスタンスにあって、言わば「問題視」している観点・スタンスこそが「悩み」の元凶のような気がしています。スキルとかテイストとかツールは手法として目標を達成するために必要。あればより効果的なわけですが、そもそもの「悩み」の本質はつくり手本人の姿勢や気質にかなりの部分で依存しているような気がするのです。だから、YouTubeに限らず成果を生み出したいのであれば、問題視する姿勢を相殺してもオツリが残る程度の積極性(余力)を自分の中からひねり出すべきだと。ま、それができないから「悩み」が押し寄せてくるのですが、姿勢さえコンディションさえウォーミングアップさえしっかりできていれば、健全なスキルとメンタルをつくれさえすれば、何をどのようにどのタイミングで取り組んでも何かしらの成果は生まれると思います。

 行動する前にあれやこれやと言い訳を用意して動かない。この状況がかなりの確率で生まれるはずの成果を打ち消している。中途半端になっても、三日坊主になっても、結果、無駄遣いになったとしても、一回、気持ちのスイッチを入れて動いてみることが大切だと思っています。当然、そんなことばかり繰り返して、まともな成果が生まれないと、カミさんには怒られるというリスクが発生しますが。

スタジオをコチョコチョと。

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 動画撮影用のスタジオをチョコチョコ並べ替えたり、機材を増やしたりしながら、楽しんでいます。僕がよく観るYouTuberの方は「説明系」や「紹介系」が多いので、ま、分かりやすい映像を編集して音声をしっかり整音してという部分は勿論、「説明」や「紹介」の場面に効果的なアイテムがあることに最近気がつきました。それは「ミニホワイトボード」。いずれそれも買おうと思っているのですが、お笑い芸人さんのように流暢にテンポの良いしゃべりでも、さすがに長時間はキツイ。まして、楽しいトークに気持ちを持ってかれて、本来知りたかったことを確認するのに、ポーズしてプレイバックすることもしばしば。その場合でもホワイトボードを使って説明されていると、「ああ、そうそう、この部分この部分」みたいにテンポ良く映像を前後に行き来できます。

 あとは、最初のつかみの部分でタイトルとテーマを分かりやすく、しかも、カッコ良く見せる「オープニングムービー」が重要。かれこれ、どんなタッチにしようか?どんなテイストにしようか?どんな印象に?など、今までに数十本の試作映像をつくり、効果音やBGMもつくりましたが、「よし!これでいこう!」という1本に辿りつけません。だから、今、しゃべろうと思っているテーマの映像素材がまとまれば、試作品をひとつづつ、「オープニングムービー集」のように順番に公開しようかなと考えています。あらためて自分で制作したモノの最終ゴーサインを自分で決めるという難しさの壁にぶつかっています。

 なぜ、ここまでハードルをあげてしまうかと言うと、例えば、アドビのAFTER EFFECTSのプロが、それこそ骨の髄まで深く豊富なテクニックを、そこまで!という詳細情報で披露しておられるチャンネルがあるのですが、どうも、「オープニングムービー」が残念。いやいや、YouTubeなんだから「オープニングムービー」よりも本体コンテンツが重要だ!ということは分かっているのですが、最初の数十秒って初見の方にもリピーターの方に対しても大切なゾーンだと思うのです。見慣れている人はスキップしてるかもしれないが、やはり、つくり手として「オープニングムービー」はちゃんとしたい。

 一方、N,Y,在住のビデオグラファーのYouTuberさんなら、ビルの屋上とか、ストリートに出てカメラを回すだけで誰が観ても羨むようなシーンが撮影できるわけです。しかも、若手のイケメンだった日にはもうパーフェクト!でも、ここは長浜。だから、とことん徹底的に歯を食い縛って、N,Y,在住の若手イケメンYouTuberに挑まねばならないのです。それもまたYouTubeの楽しみ方のひとつなのかなと。

狼のお話。

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 最近、傾向として書籍の衝動買いが減った。実際、読んでいる本の数は減ってはいないのですが、中古の本をオンラインで買える書店も多くなったので、しっかり検討するようになった。ただ、仕事関連の本は熟考している余地なく必要性に迫られ瞬発的に買うケースが多いが、気になる本は結構長期的(半年ほど)にじっくり検討する期間を設定している。これは、ある本の著者のアドバイスで、本を読んで情報を得たり知識を増やすことも意義や価値があるのだけれど、「本を選ぶ」プロセスもとても重要だというアドバイス。ネットのレビュー情報などもいろいろ加味・考慮しながら、本の内容を想像するプロセスも実は大切なんだということ。確かに本を選ぶ際、「面白そうだ」「気になっている」「好奇心のままに向学として」などの理由で決めている。直接、何か資料として読む、知るという本の在り方よりも、なかなか言葉にするのは難しいですが、腹が減ったからハンバーガーが欲しいとか、喉が渇いたから珈琲を飲むとか、頭がモヤモヤするからタバコを吸うような感覚で本を選ぶほうが、結果、気持ちが良くなる。それはつまり自分の中にしっかりその情報や知識が実装されて、次の思考や行動にしっかり連鎖・連動・連携しているという実感が得られるからかもしれない。

 では、何故?「狼」なのか? それは実はまだ分からない。分からないから欲しくなった本なのです。ほぼ、半年ほどこの本の内容をずっと想像してきたので、何か得るモノがあると期待しています。

ドクター・ストーン。

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 老化というのは本当に恐ろしい。思い込みや固定観念が視界・視野を小さく固定してしまう。いやいや、そんなはずはない、いつまでも若い頃のように貪欲に新しい情報を探求していると思い込み、実は少しずつ鈍化していく感覚に気づかない。これが本当に恐ろしい。新鮮な情報、世間一般ではすでに充分に浸透して、多くの共感を生み出しているにも関わらず、老化してく人間は自分の殻の中で余裕・余韻に浸ってしまっている。そして、新しい魅力的と表現力で真理に向かって突き進もうとするベクトルを素直に受け入れることなく放置する。これが老化の実態である。

 さて、娘が録画していたアニメをチラリと観るタイミングあった。一見、イマドキの絵柄でキャラも特筆するようなテイストではないと感じたのですが、主人の台詞が気になった。「科学」という言葉を連呼して何かのテーマについて元気に語っているではないか。で、このアニメのタイトルは何かと聞くと「ドクター・ストーン」という少年ジャンプですでに連載されていて、コミックスも出ている。そして、アニメにもなって放送されているとのこと。愕然である。冷たい汗が背中を流れた。ああ、これが老化なんだと。

 ということで、本日、早速、第1巻から第3巻ぐらいを買って読もうと思っています。

 「魔界」や「ゾンビ」や「不死」について根拠が緩い漫画を否定し続けてきたが、いやいや、然るべき出版社の企画会議を通り、ビジネスモデルとして成立しているコンテンツなのだから、素人が手前勝手な理論・理屈で否定するのは言語道断、ナンセンスである。とは言え、漫画選びには好みも作用するから、はずれも多いが、何事も「食わず嫌い」はいけません。

南部鉄のペンスタンド。

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 最寄の文房具店でずっと気になっていた南部鉄のペンスタンド&ペーパーウエイトです。なんとなくこんなアイテムが仕事場にあると、能率・効率が良くなったような気分になりますし、頭の中を柔らかくしてくれる効果があるような気になります。お気に入りのモノに囲まれているって、とても大切。

3台目のキーボード。

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 1台目はPC(DELL XPS)本体に付いていたキーボード。新品だし、もったいないし、慣れようと思ったのですが、キーボードのキーの面がフラットでストレスを感じて10日間ほどで交換。そして、それから2年ほどは比較的キーひとつひとつがしっかり凸っているDELL純正のキーボード(写真:裏の1台)を使っていましたが、よく叩くキーの文字がいくつか消えてきたので、3台目を買いました。とにかく、毎日、たくさん文字を入力するので、丁寧に打っているつもりなのですが、文字が消えてくるのです。完全に消えているキーは「K」、半分消えているのは「A」「S」「N」「M」「Z」、そして、左側の「Ctrl」。恐らく「K」は「khuz」、「A」は「act」、「S」は「save」、「Z」+「Ctrl」は、作業の「やり直し」が極端に多いのだろう。