2020年02月 アーカイブ

「熱量」について。

人の想いや「熱量」の強さって
なぜなのかは分からないんですけど、伝わります。
伝わってしまいます、とでも言いましょうか。

その熱量が、当然、文章や画像などデザインにも伝わるので、
仕事中は特に熱量をそこそこ上げておく必要があります。
0やマイナスじゃ話にならないけれど、
常にMAXも続かない。
だから、そこそこの熱量を常にKEEPすることが大切。

不思議なものですが、「熱量」ってそういうものなんです。

デイジー・リドリーさんの新作2本。

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 デイジー・リドリーさんの新作映画2本。上が「カオスウォーキング」で下が「オファーリア」。う~ん、ワクワクの期待値が止まりません。これがいわゆるフォースの力なのかもしれません。

 そもそも僕はS.W.の1~6を映画館で観ていない。あまり興味が無かったからだ。しかし、7作目から映画館に行くようになった。勿論、第9作目も映画館で観ている。今後、ディジーさんが主演する映画のDVDは恐らくすべて買うだろう。だから、僕はS.W.のファンではなく、ディジーさんのファンなのだと自己分析しています。その理由はまだ非常に曖昧で言葉にできないし、わざわざ、とりたてて理由を言葉にするって、なんかつまらないですし。

瀧澤材木店様WEBリニューアル!

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 本日、瀧澤材木店様の公式WEBサイトを公開(リニューアル)させていただきました。WPベースでレスポンシブテーマを細かく改造して仕上げています。特に新築・古民家再生・リフォームと幅広く建築事業に取り組んでおられ、日本材を使った本格的和風住宅から古民家再生住宅まで、高い技術力と経験値で何世代にも渡り受け継がれる瀧澤材木店様の「こだわりの家づくり」を紹介しています。また、オリジナル家具など材木店様ならではのオリジナル家具製品づくりも展開しておられ、今後はその製品情報などを紹介していく方向で更新を展開していかれる方針です。一度、瀧澤材木店様の施工事例をご覧ください。ぜひ!

→公式WEBサイトはこちらです。https://www.takizawa4590.com/

情報発信の心得。

 情報発信ってかける時間やコストや規模などなどピンキリだと思いますが、それがどんな情報であれ、どの程度の頻度や取り組み方の深さであれ、あまり他人のことは気にしない方が結果、良い成果が生まれることが多いと思います。
 
 他人と自分を比べない。他人のやっている事に口出ししない。他人の批判をスルーする。自分のやりたい事に向き合い、自分自身の武器を磨いて、集中することが大切だと思います。だから、他力本願な気持ちで情報発信しても、どこか余所余所しい業務連絡のような会議の報告書のような記事情報だと誰からも共感を得られないばかりか、自分自身でもうすうすの部分で結果つまらなくなってしまい情報発信が続かない。また、金銭的にサポートしてくださる企業様やスポンサーがいたとしても、結局、それは本意ではない部分を記事の中に盛り込まなければならないという制約が違和感になる。100%嘘というわけではないのだけれど、たとえ1%でも嘘が入るとその違和感が真意を侵食して嘘になってしまう。そういう気持ちのまま記事を書き、美文が書けたとしても、違和感を感じながら書いていると、やはり、どこか嘘臭くなってしまうような気がします。文章を書く上で特に注意すべき点は、この「違和感」だと思います。

 だから、良い意味で「自分本位」の体勢・姿勢がベスト。何事もマイペースが一番だと思うのです。

 心地良い良質な音楽や映像の条件とは、「違和感がまったくないこと」らしいです。豊富な知識と専門的な技術、類稀なるセンスから生まれた作品とは確かに、すっと心に入ってきます。それは、誰かの推薦であったり、無理矢理、詰め込まれ押し込まれたり、損得勘定や因果関係で飲み込んだ何かと比べると、違和感がないのです。ましてや理論理屈で組み立てられた作品を義務感で評価できるほど、人間の本性は低俗・低調・低能ではないのです。とは言え、必ずしもすべて高尚である必要もないと思います。だから、情報発信も同じで、好きなことを好きなタイミングで好きな表現で発信するのが心地良く、それがひとりでも誰かに伝わればいい。ま、これが広告の仕事やコストをかけて有料メディアを活用する場合、そんな呑気なことは言ってられませんが、プロのライターさんならそのあたりをデリケートに上手く変換できるテクを持っておられるのだと思います。

 だから、とにかく、僕の場合は自分の「違和感」に正直になりたいと思っています。

記憶力とデザイン力の関係

記憶力がいいとデザインの仕事にも良い影響があります。
記憶力がいい人はデザインの仕事に有利なのか?

 業務の基本的な内容やクライアントからの要望など重要なポイントは覚えているため、仕事をする上で重要な優先順位や効率やコストなど、いろんなことが常に整理できています。与えられた仕事をするにも、業務の基本的な内容を理解して記憶していなければ意味がありません。記憶力がいい人は、業務の基本的な内容を瞬時に判断し、展開する手順を理解できます。理解が早いことで仕事の開始も早く、効率良く仕事ができます。

 とは言え、デザインは効率を優先しているだけではないので、理論や理屈をいくら豊富に記憶していても、着想する力やアイディアを組み合わせて試行錯誤する柔軟性を「非効率」と捉えていては結果、デザインは貧弱になってしまうこともあります。

 ただ、業務の基本的内容がわかっていない人は何回も見直したり確認するため、作業効率が悪くなりますし、また、基本的な内容や手順を覚えていないと分かっていないと、簡単なミスも増えます。しかし、非効率だからと何回も見直す作業を切り捨てることはできませんし、基本的な内容や手順だけでは成果物のレベルが上がりません。非常に悩ましい部分です。

 また、記憶力が良いと臨機応変な対応ができます。頭の中に必要な情報(経験値)が豊富入っていれば、何かトラブルや問題があったときも、頭のなかの情報を元にどう対処すればいいかをすぐに導き出すことができます。記憶力が悪いと何か問題に直面したとき、どうしていいか分からずパニックになってしまいがちです。これでは臨機応変な対応はできません。

 とは言え、どうでもいいことや忘れなければならない事は早々に忘れ去り、頭を新鮮な状態にして活性化させる必要もあります。臨機応変な対応が過去の記憶だけで上手く繋ぎ合わせて成果に繋がればいいのですが、既存の流れ作業やすでに仕事のフローが確定している仕事には、記憶力は断然有利かもしれませんが、デザインの仕事に関して言えば、文字や数字の記憶よりも、映像記憶や全体のフローの中で流れを理解し、記憶していることが重要で、案件が二転三転した経過・経緯や根拠・背景などの因果関係も非常に重要な情報なのです。ボツになったデザインに固執しても一円にもなりません。

 で、私の記憶力はどうなのか?

 自分ではそこそこ記憶力は強いと思っているのですが、カミさんに言わせると「どうでもいいことはよく覚えている」タイプのようです。つまり、好きな好奇心の高いジャンルは細かいディテールや背景まで記憶しているのですが、どうでもいいことは全く覚えていない(覚える気がない)と。例えば、ゴミの分別。何が不燃で何がプラで何がリサイクルゴミなのか?
いまだに間違えて分別して雷(イカズチ)を落とされています。

 つまり、記憶することはある程度グーグル任せでいいじゃん!という結論です。

Happy Birthday to Photoshop!

アドビからこんなメルマガが到着した。

2月19日、Photoshopは誕生から30周年を迎えました。
日本では「平成」の時代とほぼ重なるその歩みは、
多くのクリエイターのみなさんに支えられてきました。

30年前の今日、アドビはPhotoshopの「バージョン 1.0」を発売しました(※)。
1993年発行の「アドビ・フォトショップ日本語版A to Z」の著者で、
Photoshopの黎明期を知るグラフィックデザイナーの遠藤悦郎さんは、
1990年の春、あるイベントで初めてデモを目にしたときの衝撃を
今でもはっきり覚えているそうです。
(※)日本での発売開始は翌1991年4月

当時のフォトレタッチは、何億円もするような高価なシステムを使い、
専用のオペレーターに依頼しなければできない、時間もお金もかかる大変な作業でした。
それがMacでできる。これはとんでもないものが出てきたと思いました
(遠藤悦郎さん)

ここまで。

 確かに私も30年前に新宿でモノクロマックを使い始め、イラレの英語版に慣れてきた頃にフォトショップに出会いました。ただ、その段階の製版技術と比較するとDTP環境で製版まで、完全データを制作するには至らず、写真は従来のドラムスキャンでデータ化してフィルムに転写する方式。グラフィックデザイナーが製版作業まで仕上げられるようになったのはそれから数年後です。まだ平面スキャナも高価な時代でしたし、デジタル一眼カメラも無かった時代ですから、フォトショップの最初の印象は単なるレタッチソフトでした。ただ、その頃のレタッチソフトは専用の端末でソフトウエアも数千万でしたから、とても個人や小規模のデザイン会社が導入できるツールではありませんでした。まずは写植の代わりにMACでレイアウトデータを制作して、印画紙出力し版下を仕上げるというなんとも、今、考えると手順が逆行していましたが、文字(印画紙)を版下台紙に切って貼り込み、水平・垂直・並行に神経を使う仕事から解放されただけで喜んでいた時代です。フォトショップを本格的に製版に使うようになっても、写真や画像をデジタル化する周辺機器が結構高価でしたし、いざ、デジタル化してもパソコンのスペックが小さく、演算スピードが遅く、たったA4サイズのDTP作業をするのに数時間かかる時代でした。今でこそハイスペックなPCであればB1ポスターサイズの写真データのカラー調整やフィルターワークでも数秒で完了します。だから、PHOTOSHOPの30年の歴史はイコール、日本のDTPの歴史と完全にシンクロするということです。これからPHOTOSHOPがどんな進化するのか楽しみではありますが、個人的な意見としては現状でほぼ完成形だと捉えていますので、あまり、2.5次元や複雑なフィルターワーク機能は追加させずに、いい意味で「現状維持」を希望します。勿論、A.E.もこれからビデオ映像時代に向けてグイグイ進化していくでしょうけれど、P.S.はこのまま安定した機能を提供し続けて欲しいと願います。

「春よ来い」。

 まずはこれ、「春よ来い」を練習しています。「難易度:D」がどれぐらいの難しさなのかは分かりませんが、とにかくこれを弾けるようになる。最初のハードルです。

 キーボードを両手で弾くという挑戦はこれまで一回もしていないので、Y.T.で「両手でピアノを弾く」というキーワードで検索すると、まずは両手、10本の指がどれぐらい曲がるかを確認しましょう、というアドバイスがありました。例えば、スポーツで骨折をしていたりして指が自由に動かないという状況なら、そのことを意識して練習を始めましょうというアドバイス。幸運にも10本とも指は正常なので、楽譜や動画を確認しながらこの課題曲を習得したいと思っています。

 キーボード(ピアノ)を演奏したいと思い立ち、最初に頭の中に浮かんだ曲が「春よ来い」でした。他にいろいろな教本を見たり、Y.T.で「初めてのピアノ練習曲はこれです!」みたいな課題曲があったが、どれもピンとこなかった。確かに指がしっかり動くようになるための課題曲としてはそれらがベターなんだろうけれど、なんとなく、気持ちがその曲には乗りませんでした。「春よ来い」が難易度の高い挑戦なのか?意外と簡単に習得できてしまうのか?ここは持ち前の「粘り」でなんとかクリアしたいと思っています。

ブルーデージー

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 二株買ってきてセットで植木鉢に植え替えました。なんか、こんな小さな花が好きです。

映画「ドントウォーリー」

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 ステキな映画でした。

キーボード到着!

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 これはヤマハのキーボード。まずは、超ビギナー用として、冒険せずにお手ごろな価格帯を選択しました。これでしっかりテクニックを練習して、いつか近い将来、オリジナル音源データをつくろうと思っています。BGMもDLモノやDVDモノをソフトで切り貼りしてつくるのではなく、音楽素材もしっかり自分のイメージに合ったモノをつくることが最終目的です。

 で、遊び感覚のネタとしては、YTコンテンツとして「ひとりコピーバンド」映像をつくりたいと思っています。まだまだ、構想の領域ですが、ま、ドラムはDAWで打ち込むとして、ギター・ベース・キーボード・ボーカルは実際にひとりで演奏してみようかな、などと考えています。どんな仕上がりになるのか分かりませんし、テスト撮影がいつ頃できるか分かりませんが、大きな壁は、やはりキーボードです。エレクトーン教室に通っていたカミさんの強力なスパルタレクチャーを受けながら、なんとか一曲、完成させたいと思っています。さてさて、どうなることやら。具体的な練習予定曲は「スタンド・バイ・ミー」かな。

光栄な出来事。

 僕が外出している時、甥っ子が会社に来た。最近、甥っ子は絵を描くことに興味を持ち、仕事場にある何かを描きたいと言ってやってきたらしい。で、仕事をしていたカミさんに、会社に無造作に置いてある木の切れ端や何かの骨や金属の塊などを見て、「なんでこんなモノがあるの?」と聞いた。カミさんはおっちゃんが集めているモノなんだよと説明すると、甥っ子は「おっちゃん、子どもみたいや」と言ったらしい。55歳になって、いろいろな老化現象を日々受け止め、辛い気持ちになることが最近多かったが、この甥っ子の言葉で一転、元気になりました。子どもに「子どもだ」と言われるなんて、これ以上、光栄な言葉はありません。

 理論理屈を抜きにしてこんなに嬉しい気持ちになったのは久しぶりです。大人になると言葉にいろいろなオプションが付着して本来の真意が隠れる。むしろ、意図的に隠すための言葉をチョイスすることが常識だ、みたいに。いやいや、伝わる人には伝わるんですね。伝わる人だけに伝わってほしい伝えたいことって、何をどうしても消えないし、絶対に真意として消してはいけないんだと思うのです。大人の言葉って、過剰な包装紙みたいなモノで、それが意図であれ、演出であれ、社交辞令であれ、良識であれ、素直にコミュニケーションする上では本来は要らないモノなのかもしれません。

 その御礼にスケッチブックにペンで描いた最新ジャンプの表紙の漫画(模写)をプレゼントしました。それを甥っ子は大切そうに持って帰ってくれました。こんなことが実は一番嬉しいことなんですね。

圧倒的な黒。

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 テレビで知った塗料商品です。これはこれは凄まじい黒です。早速、一缶購入。何に塗ってどんなことをするのか?何ができるのか?非常に楽しみです。

→詳しくはこちら

「怪獣の子供」全5巻。

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 昨日、コミックス「怪獣の子供」全5巻が到着。早速昨晩、第1巻を50%ほど開きましたが、なんか、もう、絵といい話といいお腹と心がいっぱいになってしまってここで閉じて寝ました。この感覚はなんと言えばいいのでしょう?とても心地良い絵と話なのです。登場人物が紙面の上で生き生きしてて、なんの違和感もなく感情移入できてしまう心地良さ。今後、どのような物語が展開するにせよ、ただただ期待値が膨らむばかりでした。他に併読している書籍がいくつかあり、一冊は「オオカミの本」、一冊は「ナノテクロノジーの本」、もう一冊は「サウンドデザインの本」なので、カテゴリーはまったく違う本なのに、どこかで何かが繋がっているような感覚です。今夜、第1巻の残り50%を開くわけですが、とても楽しみです。

 ひとつ、心地良さの理由は、やはり絵のタッチです。五十嵐さんの絵の心地良さはたくさん漫画を読みましたがとても新鮮な気持ちになります。どうしても技術的なペンの軌跡や構図のテクニック、そして、台詞・言葉のチョイスあたりに気持ちが行きガチなんですが、それを五十嵐さんの絵に対する姿勢がふっと摘み上げてくださり、「いやいや、その場所ではなく、この場所から絵を見てくださいね」という優しい手が差し伸べられる感覚です。この感覚、宮崎監督の「ナウシカ」の原本のコミックスを初めて開いた時の感覚にとても似ています。結局、「ナウシカ」は宮崎さんの偉業(映画作品)となり、その原石(原作本)がなければ生まれていないわけですし、ひとりの人間の手が生み出す世界観って凄まじく、そして、崇高で稀少価値の高い成果なのだと改めて、です。

ポーズ人形02

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 先日ブログで紹介したポーズ人形を買おうと思ったのですが、こんな製品があることは今まで知らなかったので、もう少しこのタイプのポーズ人形をリサーチしてみようと思いました。すると同じ製造元でこのようなポーズ人形シリーズがありました。こちらの方が人間っぽいですし、アマゾンの商品紹介ページのレビューを読んだら、シルエットも人間に近い上、可動範囲が人体の可動範囲と合っていることや、あまり複雑なポージングは出来ないが、通常のデッサン用のポーズ人形(木製)よりははるかにシルエットが人体に近く、デッサンの勉強にもなると好評価が多かった。映像制作やアニメーション制作用の絵コンテを描いている人や漫画を描いている人もリアリティーがあり重宝しているというコメントが多かった。他にもこのポーズ人形の製造元はいろいろなタイプ(SFチックなタイプやセクシーなタイプなど)の製品を販売しておられましたが、どうやらこの2体がベストのような気がしています。

DTPデザイナー!?

 「DTPデザイナー」と聞けば、なんとなく、アドビのソフトを使ってデザインをつくる人ぐらいのことは想像できるが、正確には「DTPオペレーター」と「グラフィックデザイナー」、それぞれの仕事内容を合わせた人を指しているような気がしますが、世間一般的には「DTPデザイナー」という言葉にはとても違和感があるというネットの記事を読んだ。

 例えば、求人広告で「DTPオペレーター募集」って書いてあったら、デザインはできないがアドビのソフトは使える人が問い合わせてくるだろうし、「グラフィックデザイナー募集」と書いてあったらデザインはできるがアドビのソフトはあまり長けていない人がくる可能性がある。しかし、求人した制作会社側としたら、DTPの知識や技術があれば、デザインはできるだろう?とか、デザインの仕事をしたいのならせめてアドビのソフトは使いこなせるだろう?ぐらいの感覚があり、それを総称して「DTPデザイナー」という言葉が成立しているのかもしれない。つまり、専門ソフトは使えるがデザインはできない、デザインはできるがソフトは使えないという人の方がこの現代、圧倒的に割合として少ないのが現実なのだろう。

 僕はマッキントッシュ(MAC)が日本に入ってくる前からグラフィックデザインの仕事を始め、数年してからアドビのソフトを習得した。この段階で世の中にはDTPという言葉はなく、すべてのグラフィックデザイナーがMACを使い始めている時期・時代でもなかったので、むしろ、ソフトが使えるだけでデザインナーの価値が上がる時代でもあった。ただ、現代のようにインターネットが定着し、一般的にパソコンを使えることが標準になってしまうと、逆にパソコンが使えない、詳しくない、アドビのソフトも活用できないという人はデザインの仕事に取り組むには大きな壁があることになる。また、「デザインの仕事=パソコンとソフトウエアでつくる仕事」という公式も実は微妙に違う。このあたりを明確にするために「WEBデザイナー検定」とか「DTP検定」などを受けてみようかなと問題集を読んだり、実際、セミナーに行ったこともあったが、実感として本末転倒な知識や技術のお話が中心だったので、検定は受けなかった。ただ、模擬テストにトライしてみたところ、非常に簡単だった記憶はある。やはり、本気で仕事に使うためにソフトウエアの機能を覚え、応用技術を習得するには基礎知識は当然のこと、各機能の連携やその他、関連するデータの知識や作業手順を理解していなければならない。そんな「検定」の模擬テスト問題レベルで判断できるほど現場の仕事は単純ではない、と感じた。だから、「DTPオペレーター」だろうが「グラフィックデザイナー」だろうが、「DTPデザイナー」であろうが、呼び方のカテゴライズはどうでもよく、デザインの仕事に対して真摯に向き合う覚悟さえあれば、どれも容易に包括できるような気がします。結論、デザインの仕事に取り組むためには何が必要かと言えば、国家試験もない、公認検定試験なども存在しない、非常に曖昧でレンジ(階層)が広く多様な世界なので、これだけ習得すればあとは安泰だなんて気を抜かずに、いつまでも好奇心旺盛でいる姿勢・気質があれば、何とかなる世界だと思います。だから、よくデザインの仕事をするために必要な知識・技術・経験は何ですか?とよく質問されるが、僕はこう答えている。それは「デザイン以外の知識と技術と経験だと思います」と。そのゾーンが充実してさえいれば別段、「DTPデザイナー」に違和感を覚えることはなくなります。

1万時間の法則

 「1万時間の法則」で検索すると、「1万時間の法則という言葉は、英国生まれの元新聞記者、マルコム・グラッドウェル氏の著書『天才! 成功する人々の法則』(講談社、2009年)(原題:Outliers: The Story of Success)によって広められました。グラッドウェル氏は、ある調査において「エリート演奏家は20歳までに合計で1万時間の練習を積み重ねた」という結果が出たと述べ、大きな成功を収めるには1万時間もの練習が必要だという「1万時間の法則(ten-thousand-hour rule)」の存在を指摘しました。モーツァルトやビル・ゲイツ氏をはじめとした成功者には、大成するまで1万時間の下積み期間があったというのです。」という情報は簡単に入手できる。僕がこのキーワードで検索しようと思ったのはある方から「絵が上手くなりたいのですが…」という相談を受けて、「どれぐらいデッサンなどの練習をすればいいのでしょう?」と聞かれ、この法則のことを以前、本で読んだ記憶があり「1万時間ぐらいですね」と安易にも答えてしまった。で、改めて自問してみると、幼稚園の頃から僕は絵を描くのは好きでしたし、軽口程度に「僕の絵は上手い」などと言ってしまうこともありましたが、本心では「絵など上手くても仕方ない」と思っているので、「上手さ」みたいな部分には興味が、実はない。だって、「上手いですね!」と他人に評価されたいから絵を描いているわけじゃないから。

 しかし、それでも僕は本当に1万時間以上も絵を描いたのだろうか?と自問してみると、1日3時間3,333日(約9年間)絵を描いていたら約1万時間になるのですが、恐らく僕はそれ以上絵を描いている。絵らしきラクガキ程度なら幼稚園の頃なら休みの日は1日中描いていた。さすがに小学校~高校はと振り返ってみてもやはり絵は描いていた。芸大ともなれば1日8時間ぐらい描いていた日もあったぐらいなので、社会人(22歳)になるまでに1万時間は軽く達成している計算になる。で、デザイン(イラストレーション)の仕事とライフワーク(習作)でともなれば、恐らくですがこの人生(55歳)で5万時間ぐらいは何かを描いているはず。でも、それは何故か?と振り返ってみても、単に好きだからに尽きる。だから、ご相談に対しては誠に僭越ながら、「絵が上手くなるためには1万時間絵を描いてください」とアドバイスするのではなく、「上手さなど気にせずとにかく手を動かしてください」と言うべきだったのだと少し後悔している。本の知識など自分で消化できていないのに安易に口にするもんじゃないという反省・告白でした。

ポーズ人形

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 イラスト(漫画)を描く際、どうしても人物の構図を決めるのが難しい。デッサンを整える上である程度のポージングは描けても、細部までは想像では限界があります。まして、複数の人物を画面に配置するとなると前後の関係やスケール感を整えるのは至難。しかも、アングルを想定しながらのポージングはとても描けません。昔ながらの木のポーズ人形は持っていますが、これではあまりにもポーズ人形チック過ぎて人物を描く上でリアリティーがなく、可変駆動部分範囲も小さい。ということで、こういうポーズ人形のニーズがあるわけなのです。と言いましてもこの商品を知ったのは最近で、早速、購入して目視で描いたり、いろいろなレンズで撮影して構図を決めたり登場人物の配置を吟味したいと思います。こんな商品があるなんて知りませんでした。