光栄な出来事。

 僕が外出している時、甥っ子が会社に来た。最近、甥っ子は絵を描くことに興味を持ち、仕事場にある何かを描きたいと言ってやってきたらしい。で、仕事をしていたカミさんに、会社に無造作に置いてある木の切れ端や何かの骨や金属の塊などを見て、「なんでこんなモノがあるの?」と聞いた。カミさんはおっちゃんが集めているモノなんだよと説明すると、甥っ子は「おっちゃん、子どもみたいや」と言ったらしい。55歳になって、いろいろな老化現象を日々受け止め、辛い気持ちになることが最近多かったが、この甥っ子の言葉で一転、元気になりました。子どもに「子どもだ」と言われるなんて、これ以上、光栄な言葉はありません。

 理論理屈を抜きにしてこんなに嬉しい気持ちになったのは久しぶりです。大人になると言葉にいろいろなオプションが付着して本来の真意が隠れる。むしろ、意図的に隠すための言葉をチョイスすることが常識だ、みたいに。いやいや、伝わる人には伝わるんですね。伝わる人だけに伝わってほしい伝えたいことって、何をどうしても消えないし、絶対に真意として消してはいけないんだと思うのです。大人の言葉って、過剰な包装紙みたいなモノで、それが意図であれ、演出であれ、社交辞令であれ、良識であれ、素直にコミュニケーションする上では本来は要らないモノなのかもしれません。

 その御礼にスケッチブックにペンで描いた最新ジャンプの表紙の漫画(模写)をプレゼントしました。それを甥っ子は大切そうに持って帰ってくれました。こんなことが実は一番嬉しいことなんですね。