よく分からない。

 何事も「よく読めば」分かり、「よく読まない」から分からない。

 もっと、慎重に冷静にじっくり読めば理解できることを「邪魔くさい」「どうせ理解できない」「時間がない」という言い訳を添えて、ただ単に「分かる」ことを放棄している。これが僕の場合、とても多い。

 裏を返すと、「本当に分かりたい」とは思っていないのかもしれないという葛藤がある。これは言葉にすると固定観念なのか?先入観なのか?長年の悪癖なのか?自分に都合の良い、歩きやすい道しか選択していない。そんな気がしています。

 例えば、WWWサーバの設定が上手くいかない。サーバ会社のサポートにメールをする(何故かちょっとキレ気味で)が、返信のポイントがずれている。つまり、僕が正しく状況を整理できていない。

 で、再度、メールを送ると、「下記のURLをご確認ください」と返信がくる。
「いやいや、そうじゃなく、メールで分かりやすく書いてほしかったのに」と思いながら、URLを確認すると欲しい解答以外に専門的な言葉で自分のトラブルとは関係のない情報が規定通りに書いてある。僕のトラブルの場合、どこを読めばいいのか分からない。つまり、しっかり落ち着いて送られてきたページを読めていない。イライラして「どこに書いてあるんだ!」という気持ちが強くなり、文章が頭に入らない。つまり、すべてがそういうことなのです。

 次の日、冷静になって送られてきたページをしっかり読んで、書いてある手順でやれば、問題は簡単に解決。

 う~ん、今回も最初からしっかり読めば良かっただけか…、というパターンです。

 だから、「よく分からない」という気持ちになったら、一旦、画面やマニュアルから意識を外して、リラックスしてから再度読み始めることにしています。ゆっくり読めば理解できたであろうに、恐らく、イライラしてその機会をたくさん失ってきただろうと考えると、何事も「急がば回れ」なんだと痛感します。

 余談ですが、僕は本を良く読むほうなのですが、最近はちょっと新しい読書術に挑戦しています。それは、「同じ本を何回読む」という挑戦です。これまで一回読んだら次へ次へと中途半端な「分かった」を繰り返してきたかもしれないという反省から、挑戦していることです。
で、心に響いた一文があるとそのページの隅を折ります。そんな本が何冊かあるのですが、一番読む本はページの80%ぐらい折れているわけです。

 それほど僕の「分かった」は適当だったのです。