SNSについて。

 僕はSNSについてこう考えている。

 SNSの中にも、信頼関係がありその信頼関係を構築できる部分は人間性の部分であり、それは個性(人間臭さ)です。その個性の種類や数量・物量の大小で発言(情報)の重みが変わってしまい、どんなに主張が正しくとも誰でも情報を発信できる社会において、正しいことはもとより、それに付随して自分が発信した情報に対して何らかの信頼性を獲得しなければならないのでは?と考えているわけです。

 それは「鮮度」だったり、「リアリティー」だったり、「信頼関係」だったりしますが、そもそもそういう関係性の薄い相手からレスポンスがあったとしても、「誰?」となってしまいますし、逆に名前の売れている有名人からレスポンスがあれば、それだけで嬉しくなります。この違い、意外と谷が深いような気がしています。「友達申請」って言われても、「友達」関係って申請したら成立するの?って感じ。そうじゃないですよね。

 いやいや、常識的に良質でお得な情報を正直に発信すれば、不特定多数からの指示や高い評価が得られるという常識・通念も少し違和感があります。この「常識・良質・お得・正直」というマジックに翻弄されてはいけないのかなと。たぶん、そのマジックには意外なタネがあって、それらはそんなに単純な構造ではないんじゃない?という疑問です。

 ビジネス書で「良好な人間関係を築きましょう!」って感じで具体的な基本的な手法がたくさん書かれていますが、確かにそれはその通り、恐らく、その意識でその姿勢でその行動を起こせば、常識的に相手は常識的な反応をするだろう…ぐらいは誰でも想定できますが、世の中で起こっているネット炎上や些細なイザコザはその先にというか、その裏で何かしらの理由・原因でスルー(無視)して起こっているような状況があるはず。

 だって、高学歴の官僚が次から次へと言葉の選択を誤っているリアリティーを毎日テレビで観て、それを揶揄したり否定する人達も含めて、こんな状況だから皆様の軸もぶれ気味だとしても、すべて個性的(人間臭さ)だと解釈すれば角は立たないような気がするのです。

 義務教育では「読むこと」「書くこと」を強化し、「話すこと」「聞くこと」は重きを置いてこない仕組みだったという情報を本で読むと、なんとなくぼんやりと曖昧にですが、現在のネットやメディアで起こっているいろいろな状況の構造が少しだけ分かるような気がします。

 で、SNSはどうか?

 なんとか、僕は個人レベルで「個性(人間臭さ)」を発信しようと試行錯誤していますが、まだまだ、正解は分かりません。しかし、それはもしかすると、分かるモノじゃなくて、最後の最後まで試行錯誤でいいんじゃないかなと、少し諦めもあります。

 そもそも「個性」って何かしっくり言葉にできていないので、当然ですよね。でも、本当の真意とか真理って、言葉にできない、してはいけないモノじゃないかとも思うのです。

 だから、SNSってとても難しいけれど、もしかしたらなんか素敵なツールなんじゃないかと期待はしています。ただ、自分の個性や能力がこの素敵な仕組みをしっかり使いこなせていないんじゃないかという消化不良感も抱いています。