相手のことを考える。

相手のことを考える能力は5歳ぐらいから発達し始めるらしい。

ゴリラやチンパンジーと比較した場合でも、
この能力は人間に特化している能力で、
五感などの感覚の鋭さや手先の器用さなどの運動能力などは
猿と人間を比較した場合、猿の方が能力は高い。

人間が人間であるひとつの大切な能力として
相手のことを考えるという能力が、
いわば、ひとつの人間の条件なのかもしれない。

自分本位に怒りちらして自分の考えを強要したり、
感情的になり人間関係を損なうタイプも
逆に過剰に萎縮して警戒するあまりに円滑な言葉の選択や
行動が控えめになるのも、どこかこの能力がなんらかの理由で
低下・鈍化しているのだろう。

そう言いながら、僕自身も相手の気持ちを無視したり踏みにじり
自我を通そうとする傾向が強い。
それを個性だと勘違いしている節がある。
理論や理屈で通らなければ無碍に威圧したり感情をあらわにして
本意を貫こうとする。まるでゴリラレベルである。

常に理性をコントロールして穏やかで優しい本質でいたいと願う一方で
感情のままに言葉を放ち、自分勝手な行動をするケースが多い。

この相手の気持ちを想像する能力は普段の人間関係を円滑にしたり、
生産的・建設的な意見を立て交わす企画会議などのケースでは
有益に作用することは一般的によく知られていて、
ビジネス書などで「正しい空気の読み方」などの切り口で論じられている。

また、この「相手を想像する能力」の応用として、
何か商品開発をしたり、自社の商品を市場に向かって情報発信する場合も有効だ。
常識的なペルソナ(ターゲット)を想定して執筆する、動画配信をする、
営業コンテンツを制作する。
これら一連の作業をデザインの仕事でもこの能力を使うからだ。
当然、対面での打ち合わせや電話やメールでも、
相手の気持ちを考える能力は有効なのですが、
あまりにも空気を読み過ぎたり、謙り過ぎたり、
熱意や親切が空回りして理屈ばかりこねてしまう場合もある。
結果、「良かれ思って」が「メンドクサイ奴」になってしまうパターンである。

対面での会話ならソフトなのに、メールの文章は「偉そうだ!」というパターン。
ま、若気の至りなら少しぐらいの堅苦しさは許してもらえるが、
56歳になってカチカチのメンドクサイ言葉選びや文章構成はNG、ナンセンス。
48歳の頃、僕の相手の気持ちを考える能力がそんな危険信号サインを実感し、
適正な文章を書くための指南を編集者の知人に依頼した。
それから、ほぼ7年が経過して、自分自身が大きく改造された意識や実感は
あまりないのですが、ひとつだけ、どんなことでもすぐに言葉に出さす、
一回深呼吸をすることだけは身についた。
文章を書く時、打ち合わせをする時、絵を描く時、立体作品をつくる時、
行動を起こす際のほんの数秒だけ「間合い」をつくることはできるようになった。
この数秒が本能的な判断の熱を少しだけクールダウンしてくれる。

人間なら5歳で習得しているこの能力をちゃんと使うための
数秒の「間合い」が有効なんです。

誹謗中傷メール文を感情のままに入力したが、送信ボタンを押す前に
この「我に返る」ための数秒の「間合い」があれば、
大抵のケースで人間はクールダウンできる能力があるはず。
「覆水盆に返らず」とも言います。
「保存ボタン」「送信ボタン」「購入ボタン」を押す前にも
この「間合い」がとても有効です。
これで最近衝動買いが極端に減りましたから。