ラクガキ感覚。

 どうも世間一般の皆さんは「ラクガキ感覚」を嫌う傾向が強い。

 常にいつでもどこでも「完成度」を上げることに注視し心を奪われ、「緩さ」「中途半端」「いい加減」あたりのテイストを「未完成」と捉え過剰に嫌悪している。確かにどんな仕事でも「プロレベル」があって、そのレベルに達していない仕事は誰からも評価されない。それは思考術であっても技術面でも同じで、とにかく中途半端でセオリーや定石を逸脱し「満たないモノ」を拒絶・否定する。それは僕も同じでとことん徹底的に「完璧主義」「神経質」「抗菌スタイル」を貫く、意識する傾向が強いジギル君(天使)なのですが、その裏面のハイド君(悪魔)は少しぐらいは緩くても、中途半端でも、完成度が緩くとも感覚的な「可愛らしさ」「親近感」「ユニークさ」を優先する場合がある。この割合、年齢を重ねる毎にハイド君の割合が高くなっている。四角四面のプロ意識に飽きてきたのかもしれないし、ガチガチのセオリーに息苦しさを感じているのかもしれないし、荒唐無稽な性格・人格・本質が少しずつ露呈し始めている(化けの皮が剥がれてきている!?)のかもしれない。

 なんでこんなことをこのブログで公言しようと思ったのか?

 それは、最近、YouTubeで素人さんの動画を観る機会が増え、ま、技術的には拙いし、動画的にも緩いのだが、しかし、とにかく楽しそうなのだ。「そのテーマで動画つくりますか?」「もうちょっとテクニックを磨いてから動画をつくられては?」「う~ん、もう少しなんとかなりませんか?」と最初は否定的に観ているのですが、しばらく観ていると、「あれ、この人、これはこれで楽しんでるな!」という共感が多発・連発するのだ。恐らく、芸能人やタレントさんのようにピカピカのルックスで著名でお人柄も良質な映像をテレビで見慣れているから、そんな選ばれた限られた人達と比べて、どこにでもいるような初老のおっさん(僕のこと)が動画つくって「恥ずかしくないのか?」とか、「いい歳こいて、無理すんなよ!」、「芸能人・有名人になったつもりか?」などと、思われているだろうなという危惧が消え、こっちの方が実は楽しさの本質なんじゃないのか??? となり始めている。
 で、この楽しさのゴールは「チャンネル登録10万人」ではなく、小さく連続する「楽しさ」の形骸化なんです。ラジオ体操のハンコみたいなモノです。夏休み、毎朝、眠たいのに早起きして押してもらったハンコがスタンプカードに溜まっていく感覚。結果、その苦労がノート3冊だとしても、プライスレスな楽しさが確実の心の中に残る。確かに芸能人さん達は莫大なスポンサーからのギャランティーを得るために自身の「時間と知名度と才能」をカメラの前で切り売りしているわけですが、最近、その表情がなんか苦しそうに観えてきてしまう。それは、なによりもYouTubeで観る、誰が観てるのか分からないけど、とにかく楽しい動画つくって公開している人の表情の方がはるかに豊かで楽しそうなのです。

 これって、言葉にすると「ラクガキ感覚」だと思うのです。ロングテール時代、ネットの中の情報はヘッドゾーンとテールゾーンに分かれて、ヘッドコンテンツの短命さがテールコンテンツに完璧に凌駕されているわけです。テレビに露出するためだけにその人生をかけて、大人の言葉を鵜呑みにして若いエネルギーを浪費している裸の王様型の人と、手持ちの道具で自由なテーマで自由な戦略で好き勝手に「ラクガキ感覚」で動画をつくっている自給自足のターザン型(ドンキホーテ型!?)の人。圧倒的にテールゾーンではあるが、楽しさの本質はかなり上質で良質だと思うんです。SNSも同様で一旦、「セオリーのスイッチ」をオフにして、「エンジョイのスイッチ」をオンにしませんか? という結論の独り言でした。