デッサン力とは?

デッサン力とは何か?という疑問に対して、ある方の解釈(説明)は

「2次元の用紙に3次元以上の説得力を持たせるための構成・調整する能力のこと。
 3次元の物体を2次元上で完全に再現することは、
 当たり前ですが理論的に不可能です。絵に描いたりんごは食べられません。
 よくできたデッサンは写真よりも、
 なんだったら本物よりも本物らしかったりするわけです。
 これはどういうことかと言うと、
 必要に応じて嘘をつき且つそれを嘘と見せないように編集し、
 結果としてはより本物らしく脳に認識させているということなのです。
 描くこと自体がそもそも嘘なのです」という解釈がある。

確かに言葉するとこの方の説明はある観点で正解である。
ただ、「デッサン力とは?」という質問に対する答が「100個」あるとしたら、
この解釈は「5個以下」程度だろう。

例えば、この5/100の感覚は目の前にラーメンがある。
そのラーメンは人気店のオススメメニューのNo.1。
芸能人が「スープの特徴」や「出汁の話」や「麺の特長」を完結に
レポートしているその内容が丁度5/100程度だろう。

実際に味覚などの感覚が得た情報を言葉にできるのが
一般的に20%程度と言われているから、
やはり、「美味しいラーメン」を食べて得た情報の80%は
「言葉できない」感覚のゾーンにあるのだ。

「デッサン力がある」ということが「そっくりに複写するテクニック」と
捉えられているケースが多く、勿論、目で見た情報を平面に再生する際に
結果、「そっくり」なるだけであって、
決して、そっくりに描くことがデッサン力ではないのだ。

「絵が上手い」=「デッサン力が高い」という解釈もある観点では正しく、
ある観点ではどうでもいい結果論に過ぎない。

さらに、「デッサン力のある人が描いた絵」が必ずしも「良質」であるとは限らない。
つまり、良質な絵の価値とは正確に描くことのずっと先にあるのだ。
しかも、正確に描かれた絵は確かに良質である要素を含んでいるが、
正確さとか緻密さとか丁寧さのみが良質な絵を生み出しているわけではないので、
やはり、「デッサン力」を言葉にするのは非常に難しい。

むしろ、人間にそれができたら「絵」の価値はなくなるような気もするし、
AIやチンパンジーが描いた絵に心が実装できてしまうと、
もやは、人間は絵を描くために「デッサン力」以外の能力を
習得しなければならなくなるだろう。

言語情報と非言語情報の間にある谷は意外と深いのだ。