客観的に。

 文章を読むことが子どもの頃から好きだったので、長文や専門書を読むのが苦ではなく、デザインの仕事をする上でとても役にたっている。ただ、問題はその知識や経験がどうも自分自身の客観性を打ち消しているような感覚がある。事実、僕が書く文章はひとことで「メンドクサイ」。無駄に長く、言いたいことが分からない、どこか偉そうな語感がある。実際、この評価はいろいろな方から言われ続けてきたことで、中でも一番の正しい分析はカミさんの評価だと思っているので、そのカミさんが「メンドクサイ」と言うのなら、僕の文章は何をどう自己弁護しようが「メンドクサイ」のである(すでにこの言い草がメンドクサイ)。だから、よくクライアント様から「もっと客観的な文章にしてください!」という要望が多く、けっこう、ずっとそのことで悩んでいる。

 その原因のひとつに頭に浮かぶことをすべて文章にしようとする傾向が強く、結局、思考から文章へのチューニングが疎かで拙いのだ。文章テクニックの本を読むが、読んでいる本人がメンドクサイ奴なので、当然、素晴らしい文章でもインプットする際に客観性に欠き、少し捻れた解釈のままその情報が保存されてしまうのだ。だから、そのスクラップ工場の瓦礫を整理して、必要な価値のある情報だけを選択し、次のアウトプットのために整理しておくことが大切なんだ、とこのあたりまでは素直に自覚している。

 ただ、問題はやはり「客観性」である。最近読んだ「客観性」に関連するネット情報では、このように書いてあった。

◎客観的で且つ魅力的な文章を書くためには
客観的で良い記事を書くためには、以下の3つを意識してみましょう。
・事実から考えられる事柄
・複数の事実の紐づけ
・事実の深掘り

◎客観的な文章とは
きゃっかん‐てき〔キヤククワン‐〕【客観的】
1 主観または主体を離れて独立に存在するさま。⇔主観的。
2 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。
「客観的な意見」「客観的に描写する」⇔主観的。

◎「客観的な事実」だけでは文章はかけない
ということは、「客観的な事実を記載してください」というレギュレーションがある場合、
「データをまとめた記事にすれば良い」ということになります。しかし、客観的な事実だけで文章を書くのは非常に難しいのです。文章にならない、文字数を埋められない、という状況に陥りやすくなります。データだけで固めた文章は、羅列になりやすく、ひとつの記事としてまとまりがなくなってしまうこともしばしば。

とここまで。

 とても分かりやすい文章である。「客観性」について悩み出して8年ほど経つのだが、文章の内容よりも文章のテイストや著者(書き手)の姿勢に気持ちが偏り、何を書いてあったのか?この著者は何を言いたかったのか?が記憶に残らないという弊害がある。でも、文章って「事実」の羅列ではつまらないから、文体として書き手の個性と自然に組み合わせる必要があるのだと捉えている。

 なかなか、客観的で魅力的な高い評価を得られる文章テクニックはハードルが高いですね。

 別の観点で、映像制作の仕事をしているが、ある映像技術の専門書に「優れた映像は技術的に品質的に感覚的に絶賛されるパーツを集めた作品ではなく、誰も普通に違和感なく観れる映像である」という意味の言葉が書いてあった。文章も同じなのかな。