お仕事 アーカイブ

絵って何だろう。

 そもそも私が大学4回生の時に考えていたことはいたってシンプル。「絵を描いて飯を食う」だった。しかし、この発想が社会に通用しないと実感する機会はすぐにやってきた。「絵が好きだ。」という理由だけではどこの会社にも採用してもらえなかったのだ。さて、そこで次に考えたのが「絵を描くことに近い仕事」だった。大学生レベルの知識と経験では選択肢では少ない。もう、「デザイン」しかなかった。幸運にも4年間過ごした寮の中にデザイン学科の先輩や同級生がいたのでデザインに対する予備知識を得ることができた。デザイン学科の友人も多かったのだ。しかし、実習も講義も専門的な授業は一切受けていないから素人同然。しかし、選択肢がなかったのでデザイン会社に就職するためにはどうするかを真剣に考えた。大阪芸大の美術学科の友人達は関西の会社に就職したり、地元で美術の先生をする。中には就職はせずアルバイトで生計を繋ぎ、作家活動をする。などの展開展望が多かった。それらの選択肢に私は一切興味がない上に、「生計をたてる」という考えがピンとこなかった。

 うん?「生計をたてるために仕事をする。」という考えが「自分が好きなことは一旦放置・保留し、まずは働くんだ。」という捉え方になってしまったからだ。これは今考えるとほぼ同じ意味なのだが、その時の私の捉え方はまったく違った。極端な絞込みであり、荒唐無稽な目標設定であり、乱暴で軽率な意思決定だったが、「デザイン会社でデザインの仕事をしたい。」という気持ちが何故か強かったのだ。というかそれしか見えていなかった。もし、現在4回生のデザイン学科の学生がこの話を聞けば、「お前、それは無理やで!」と瞬殺だろう。4年間基礎の基礎から多様な応用、真剣にデザインに向き合ってきた4年間と絵しか描いていない人間を比較した場合、「お前はデザインをなめているのか!」と一瞥だろう。

 だが、美術的な知識やスキルが社会に通用しない以上、即効性も汎用性もない美術のスキルと知識を社会に適用し、仕事に変換するには理論や理屈ではなく、自分の直感を信じるしかない非常に切羽詰った状況だったのだ。危機感の塊だった。

 そして、たったそれだけの決意と覚悟で東京に引越し。勿論、デザイン会社へのコネも人脈も知人も0だった。しかし、唯一、「デザインの仕事をしたい」という異様に大きな、不思議と揺るがない気持ちがあった。

 そして、今、改めてこの年齢(53歳)になり考える。絵って何だろう?と。

 第1戦、「マット・デイモン」では負けたが、第2戦は気合いを入れるぞ!

こんな空気感。

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 やはりこだわるならこんな空気感の映像にしたい。自分自身が影響を受けてきた名作を表面的にパクる結果になったとしても、オーマジュとしてリスペクトして勇気ももって参考にしたい。モノヅクリを仕事にする上で、安易なコピーとリスペクトした参照の違いを明確にしなければならないのだが、この境界線は現実問題、白色でも黒色でもない。悪意ある複製と善意からの参照については永遠に答は出ないだろう。つまり、刃の上を裸足で走り続けるしかないのです。その時が来るまで。

こんな構図。

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 こんなシンプルなデスクを画面の真ん中に置いて、パソコンとタブレットと資料を囲んでいろいろなしゃべりをしているような映像をつくりたい。背面は合成するので、琵琶湖や伊吹山がいいな。上海の夜景でもカトマンズの風景でもいいな。そして、テーブルの上には必ずコーヒーがあると。これが「FIKA」っぽいのかな。

梅田のディスプレイ。

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 今日は打ち合わせで大阪北浜へ。大阪はいいなぁ~、何気に歩いていてもセンスある魅力的なシーンに出会える。このようなシーンが日常の中にあるか否かで無意識のうちに、感覚・感性にかなり格差が生じているだろう。理論理屈ではないダイレクトな部分だけに意識していろいろな場所に行かねば。しかし、平面表現やデジタル表現より立体作品表現って存在感があって良いですね。素敵なディスプレイ作品でした。

エクシブ琵琶湖様にて。

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 昨日はエクシブ琵琶湖様に夏原グループ様の「夏原会長の米寿を祝う会」のビデオ撮影に行ってきました。1ヶ月前に取材させていただいた映像と会長の幼少時代からのお写真を組み合わせた記念映像2本の撮影・制作をこの日に向け仕上げ、この日は準備段階からオヒラキまでの映像撮影担当です。夏原会長、自らが語られた波乱万丈の人生を10分2本の映像にまとめる作業はかなり集中しましたが、ご来場された夏原グループ様の役員様約50名の拍手を頂き、最後方でビデオカメラを回しながらほっと安堵感に浸っていました。夏原グループの社長様を始め、式典映像の担当の皆様お疲れ様でした。とても良い機会を頂き心から感謝しています。

 夏原会長様の約2時間の取材映像を編集しながら、会長様のお言葉が今でも心に焼きついています。大きな企業を根底から支えてこられた会長様の大きさゆえの言葉。自分自身に置き換えて仕事に邁進したいと強く感じました。

 こちらは開演少し前の打ち合わせ風景。千穂さんも長丁場、ほんとにお疲れ様でした。

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 偶然にも、この映像を制作するためのエクシブ琵琶湖様での夏原会長様へのインタビューが私の53歳の誕生日だったということもあり、いつまでも心に残る印象的なお仕事のひとつになりました。

 式典の中でもインパクトのあったゾーンは、やはり、「ザ・ぼんち」様の漫才のひととき。「生おさむちゃん」を拝見しましたが、芸能人さん・タレントさんのポテンシャルの高さ・強さ・大きさをビシビシと感じてしました。しかし、何事もライブって良いです。モニター経由の情報はいかに表示技術が進化しデバイスの機能が高くなろうが、「ライブ」の迫力に比べると、4K・5Kどころか100Kでも足りないと思います。それほど人間の感覚は素晴らしい受信機能があるということです。

瀧澤様見学会。

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 瀧澤材木店様の現場見学会2日目に行ってきました。静かな在所の中、余裕のある敷地に建つ本格的な「日本の家」の魅力が、ご来場された皆様の心にしっかり残ったことでしょう。

→瀧澤材木店WEBサイトはこちらです。

起業支援。

 国が掲げる「起業支援」の取り組みには実態をケアできていない印象がある、あるように思える。私が知る限り、起業支援を受けない起業家の皆様は独立独歩で逞しく事業に取り組んでおられ、意欲が旺盛で何事にも貪欲な印象を受ける。一方、独立するきっかけとして公的な資金援助を得ようとしている人、もしくはそれを得て事業を展開している人はスキ(別の捉え方をすれば余裕)がある印象を受ける。あくまでも印象レベルの個人的な感想だから、実態・真意・心情は分かりません。

 また、比較的大きくメジャーな仕事を組織の中で展開している(展開する機会を得ている)人と、規模として小ぶりでマイナーな仕事に取り組んでいる自営業の人を比較すると、同じ印象があり、戦いの現場で、前者は立派な鎧を着て戦い、後者は素肌むき出し状態。同じ相手のひと振りを受けた際、前者は多少相手の剣を喰らっても傷は受けない。一方、後者は間合いを見誤るとそのひと振りが命取りになる。重く頑強な鎧でフットワークを鈍らせて防御するのが正解か、身軽に立ち回り相手への攻撃のタイミングを見極めるのが正解か?かという捉え方ができます。
 
 例えば、○○交流会や○○協議会、また、世界規模の組織団体に所属して、然るべき属性を得ていると、私はその安心感からかどこか貪欲さが抜けていく感覚になりました。時間と費用をかけて得た属性(機会)だから、無駄にはしたくないし友好な交流をする機会もオートマチックに増える手はずだから、機会を逃すことは本末転倒(損だと捉える)となる。つまり、ベクトルが内側に向いていたのです。一方、何にも属していないとベクトルを内側に向ける余裕がない。無駄打ちに終わったとしても、無計画で準備不足だとしても、前に外側に向けて何かカタチあるものを放たなければならない。常に余裕がなく、一時も安心・安全な状況ではないのです。勝負するコマはたったひとつ、自分の頭と体のみ。そういう状況で、理想を描くことは難しい。常に現実的に生活するための生業がイコールビジネスなのです。当然、金銭感覚も違い、当然、能力や才能も異なる。

 そんな気持ちで毎日仕事をしていますが、不安になった時に確認していることがあります。それは、今、現在その瞬間、自分自身に「3つの姿勢(伝え方と捉え方)」があるか?という確認です。

 それは、「ハングリー」と「アングリー」と「フレンドリー」です。

 公的な起業支援がなくともこの3つの姿勢さえあれば、事業は展開できると思います。むしろ、外からの支援が重い鎧が枷にならぬよう、私は軽快で俊敏な姿勢・体勢を重視したいです。ケースによって理論・理屈は瞬発力や感覚を鈍化させてしまう。この現代社会、人間の本能・感覚など必要ない、美しいテンプレートの上で立ち振る舞うことがスタンダードだという捉え方も否定はしないが、個人的に鵜呑みにはしたくない。致命的な失敗を完璧に回避しなければならないからだ。また、そのピリピリ感が一回味わうと中毒になり慢性化する。~は死ぬまで治らないということ。それが本質のようです。

ドローンで空撮

平均値と偏差値。

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 こちらはある統計データで「デザイナーの年齢別年収」。

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 そして、こちらが「偏差値」を割り出すための基本グラフ。

 いずれも、明確に相対的な数値で座標を知ることができる。

 「平均値」や「偏差値」を意識したことがないと言えば嘘になるが、極力、思考の中に入ってきてほしくないベクトルである。しかし、ビジネスを展開し、生計を立てるためには無視することはできないし、無人島で自給自足生活でもしない限り、社会生活には必ず「平均値」と「偏差値」が伴う。この思考タイプを一般的に「左脳タイプ」とすると、「右脳タイプ」とは、イメージや直感や曖昧だけれど感覚的で実質的なタイプとなり、言い換えると「言語的」と「非言語的」なの対極となります。

 アートやデザインの仕事に取り組んでいる人達は「右脳タイプ」が多そうだが、実際はどうなんだろう?感覚的で直感的なセンスだけでデザインの仕事は成立しないから、常に感情や思考についても相対的なアプローチと絶対的なアプローチが必須となる。

 例えば、本などで知る億万長者の成功事例物語には、必ず「右脳タイプ」非言語の精神的な取り組みや偶然を必然に代用する曖昧だがリアルな物語が書かれている。しかし、この夢物語にも実は「左脳タイプ」の優れた特異な数値的意識と相対的な自己分析が作用し合っている。しかし、文章にする場合、精神論や曖昧な非言語情報の方が心に響くため、現実的な数字や平均値については整理される場合が多いように感じていた。「読者が何を欲しいのか?」という視点と、デザインの仕事でお客様が何を求めているか?はそういう作用ありきで似ているものだと思い込んでいた。でも、実はもっと「平均値」「偏差値」から割り出した座標のことを知りたいのが現実みたいだ。ゆえに、バイアスを抑制し、先入観や思い込みを停止させなければならない。

 これがなかなか難しい。特に上の二つのグラフなどを見ても心が拒否してしまうのだ。

 捉え方としては、「ゆえに」ではなく、「むしろ、バイアスを~」なのである。何事も。

ワークスペース

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 こんなワークスペースにしたいが、まず、どこから手をつけようかな。

 まず、本とか書類をしっかり整理しなければならないし、カメラや周辺機器も使いやすい場所に置く。広い机も欲しいが現状のモノを活用しつつ、この完成イメージに近づけたい。

ワークスペース

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 今更ながらデザインの仕事場というのはこのようにお洒落でシンプルな方がいいのだろうか?「机の上が整理できていないのは頭の中も整理できていない証拠だ!」と何かの本で読んだが、今更ながらその通りかもしれないと気づきつつあります。「つつ」なのは、長年、見慣れた仕事場の風景を変える決意・勇気がまだ不充分なのである。しかし、歳も歳だし、どんどん記憶力とか集中力が低下している。なんでもメモをとり残しているつもりが、そのメモがどこか分からなくなる始末。このようなモヤモヤを一回リセットするために、仕事場をシンプルに整理し、思い切って模様替えをしようと思っています。こんなことぐらいしか解決策がないのが現実。正に蜘蛛の糸だ。

「いろは」様駐車場看板

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 看板の盤面が仕上がりました。明日、取り付けます。

 仕事では印刷物からWEBデータ、パッケージから映像コンテンツなど、いろいろ取り組ませていただいているが、中でも「看板デザイン」は仕事としての達成感が大きいです。他の仕事と比較してとかではなく、どこか本質的にデータを制作したりイラストを描いたりすることよりも、何かモノをつくる作業が好きです。

 以前、オリジナルの立体作品をつくりネットショップで紹介しようかとも考え、材料を仕入れてみたが、どうもそういうノリが好きなのではなく、まず、お客様の要望が明確にあり、設計をし完成させるというプロセスが好きなのです。

 話は逸れますが、最近、SNSにまったく興味が無くなった。仕事として必要不可欠だから、どこまでも仕事として捉え、仕組みについては常に最新情報を確保しているが、個人的にSNSに対して、完全に冷え切っている。何故か?掲載されている情報に心が震えないのだ。恐らく、世の中の人たちも同じで、そろそろ「ただの記事」「ただの情報」には飽きてきているのではないだろうか。では、どんな情報を期待しているのか?となると、まだ明確に絞り込めていませんが、なんとなくですが、「完成度の高い情報」を欲しているような気がします。以前なら「鮮度の高さ」や「著名度」や「希少価値」あたりがキーワードだったのだろうが、芸能人のブログを毎日チェックしたところで、得るものがない。まして、文章が巧みでも温かいわけでも鋭敏なわけでもない。圧倒的にSNSにはそのタイプの文章が氾濫しているので、結果、ネットの情報発信は個人が丁寧に日々の想いを綴っている個人ブログに回帰するような気がしています。でなければ、繋がれない繋がらないような。だから、しっかり考えて、粛々とこのブログを書いていこうと思っています。

ガラガラ山キャンプ場。

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 日曜日(26日)は4月1日オープンされる福井県の「ガラガラ山キャンプ場」の内覧会に行ってきました。雨を心配しながら長浜から車で約100分。なんとか雨が降る前にドローンも飛ばし、ドッグランで犬と遊んできました。うちの愛犬は100分のドライブには耐えられないのでお留守番。それに、ここのドッグランに例え連れてきたとしても、恐らくお歳なので「ラン」は難しい。他にもいろいろなキャンプ設備があり、アウトドアを満喫するなら100点満点のフィールドです。次の楽しみは「イカBBQ」です。

ただ、練習あるのみ。

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 飛ばし始めて約3年になりますが、時間があれば練習場で飛ばしています。なんせ、バッテリーが15分ほどでパワーダウンするから、新しい飛行テクにチャレンジしようとしても、すぐにタイムオーバー。後継機を買う時はもっと予備バッテリーが必要です。しかし、師匠の言葉を信じて、一切プログラムでは飛ばしたくないので、飛行テクを磨くしかない。これは練習機のつもりで買ったドローンです。軽い墜落も何回か経験していますが、墜落を恐れては新しい飛行テクは習得できません。やはり、もう一台必要です。

安定感。

こちらはWORDPRESSのテーマサンプル。

デザイン的にも機能的にも安定感のある良品です。

http://tcdwp.net/tcd037/

早速、入手して、アクトのサイト内に設置しようと思っています。

360fly設定完了。

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 スマホと360Flyがペアリング(同期)できました。写真や動画を撮影しプレイヤーで見るだけで360度写真(映像)になっています。あとは、You-Tubeなどにアップロードすれば公開は完了。なかなか素敵なカメラ「360fly」です。しかも、4K画質です。なかなか、素敵な「デジタル目玉おやじ」です。

ウェブ・セールスライティング

10~20年間の間に現在の47%の仕事が無くなるという分析結果があるそうです。その中心は「製造業」で効率化されたシステム管理が人の手を借りずとも実現するからだそうです。

一方で必要なスキルが「ウェブ・セールスライティング」という仕事で、企業や商品の特徴や魅力をしっかり文字・文章にする能力。

人から人へ伝える手段としてのライティングとは、技術面もあるでしょうし、豊富な知識・知恵と人間性が決め手だとのことです。

無くなる仕事もあれば、脚光を浴びる仕事も稼げる仕事も変化し、増えていくということ。

さて、「デザインの仕事」はどうなるんだろう?

彦根市の便利帳広告。

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 彦根市全戸配布の便利帳。あまりアクトは広告を出さないのですが、この便利帳には長浜版に引き続きお世話になりました。春頃から配布されるそうです。
 なぜ、インコなのか?大した理由はありません。直感で「インコかなぁ~」と決めました。

バスサイン。

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 デザインしたバス用のカラー出力が仕上がってきました。これをバスに貼り込みます。

リレーマラソン大会

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 日曜日は大津の皇子山陸上競技場でリレーマラソン大会の写真撮影に行ってきました。朝から雨。けっこうな雨だったのですが、受付している参加者の皆様は笑顔。ゴールの制限時間は4時間でしたが、優勝チームは2時間30分ほどでゴールされました。後半に少し雨は小降りになりましたが、終始雨のリレーマラソン大会でした。コースのいろいろな場所での撮影は疲れましたが、ランナーの皆様を4時間撮影し続けました。

 この写真はトップのチームが、そろそろいよいよゴールというタイミングの一枚です。

360度カメラ。

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 本日、これを買った。さて、どんなコンテンツをつくろうか?

 かなり期待しているぞ!チビボール君。

アイコンTシャツ

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 なかなかのセンスである。これさえ着ていれば海外に行ったり、言葉の通じない相手に気持ちが伝えられます。素敵なデザインの効用です。素敵なセンスです。

「ACT」について。

 最近、15年以上お世話になっている社長様と「ACT」という社名について、改めて最初に聞いた瞬間の感想を聞かせていただく機会がありました。その社長様は初めてこの社名を聞いた時、「デザイン会社でアクトって!」「ひねりも工夫もないし、全くデザインっぽくないやん!」「大丈夫か!この会社は!!」と感じられたそうです。

 それほど、言葉を変えれば陳腐で平易で軽率な社名だと感じたそうです。そんなぶっちゃけを聞き、私はとても嬉しい気持ちになりました。

 この社名はまだ、私がN,Y,に滞在していた頃に思いつきました。アクトの現会長から「社名を考えてほしい。」と言われ、まだ30歳だった若造にとても勇気のある寛大な決断だったと、今思えば恐れ多いことでした。だってだって、どこの馬の骨とも分からない娘の彼氏に、独立する株式会社の名前を考えさせるって!私が逆の立場なら到底、そうは決断しないでしょう。なのに、会長は私に新しい会社の名前を考えさせてくださったのです。その気持ちを30歳の若造なりに真摯に受け止め、3ヶ月ほど考えました。

 あの頃はインターネットもありませんから、英語の辞書やらネーミング辞典をリサーチして、それらしいネーミングを書き出していきましたが、どれも、ただ、「らしいだけ」でした。自分の中にある思考回路や資質や本質とは何か?ここに辿り着き「ACT」という名前を提案しました。B案なしの1案だけでした。それを会長は採用してくださった。こここで私の覚悟が固まったのです。そんな経緯の「ACT」なのですが、お世話になっている社長は最後に「でも、今、改めて考えてみると、とことん、この社名はスギノさんらしいんやな、なんて言うか、潔いんやな」とのこと。

 「ACT」の意味は「行為」「行動」です。それがどうやら私の本質だったようで、あの時の覚悟のまま、今日も同じ気持ちで仕事ができているのも、「ACT」なんだと捉えています。感慨深いというのか、兜の緒を締めるというのか、ふんどしを締め直すというのか、とても新鮮で潔い気持ちです。

 覚悟をさせてくださった会長にも感謝ですし、「ACT」にいろいろな仕事案件を投げてくださった全てのクライアントの皆様に感謝なのです。その結果の感慨無量なのです。

 改めて「ACT」にして良かったと感じています。

 今年もあとわずか、世間の年末ムードとは関係なく年末年始も仕事に明け暮れます。

素敵なネーミング。

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 最近、このタイプのネーミングが気になります。とても。

素敵なロゴマーク。

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 さすが東京、素敵なロゴがさりげなく街角にあります。

大野ダム空撮。

 美しいフィールドです。京都美山町の大野ダム。でも、今年は釣れなかった。

ガラガラ山という天空ゾーン。

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 今日は早朝より福井のキャンプ場へ現地打ち合わせと視察に行ってきました。現在、フルリニューアル中で来春プレオープン予定です。工事も着々と進行し、この日本海ビューはここのキャンプ場ならではのオンリーワンな眺望。この日本海の水平線に沈む夕日を早く見たいです。

 福井インターから車で約30分と意外とアクセスが良い場所なので、結構、パワーユーザーが集まりそうな匂いがプンプンです。当然、日本海の海の幸はマスト。基本キャンプ場ですが、ひとつ大きな仕掛けもありますので、そこがホンマルになるでしょう。

パンチのある写真。

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 なかなかパンチの効いた写真(著作権フリー)を入手しました。なんかの仕事で使えそうです。

彦根城バス発見!

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 以前、近江鉄道様と彦根市役所様からのご依頼で「彦根城バス」の外装をデザインした。昨日、彦根市内を走っているバスを発見。彦根駅前の営業所様に伺い経緯を説明し、写真撮影をさせていただきました。

デジタルツールの利点。

 改めてデジタルツールの利点は圧倒的な効率と正確性で複製することだ。

 ひとつのオブジェクトを簡単に複製できることが利点なのです。

 東京でデザインの仕事を始め、2年後初めてMACに出会った。英語版のイラストレーターを覚えながら、なにかとてつもない道具を使っている興奮と期待があった。覚えている最中やそれを少しづつ活用でき始めた頃はデザインの仕事のノウハウも平行して習得時期でもあり、この興奮と期待がどんどん大きくなった。そして、仕事を幅を広げるためいろいろなデジタルソフトに挑戦し探求してきたが、ふとこれらの経験を思い返すと、デジタルツールはただオブジェクトを複製しているだけなんだと気づく。最近のお話である。

 つまり、1を2に、2を100に圧倒的な効率と正確性で複製することはとても優秀であるが、0から1を生み出すことはしない。白紙の状態から1つ目のオブジェクトを描くためには自分の中にある引き出しから1つ目のオブジェクトを出してこなければ何もつくることができないのがデジタルツールのようです。

 最近はネットの中にふんだんにあるテンプレートや無料素材を材料として用意し、それを複製(加工・編集)すれば意外と簡単に誰にでも、デジタルツールのファンクションさえ習得していれば仕事が成立する。それも、ふんだんにある材料は非常に充実しているため、ただ複製しながら「それらしい技」さえ駆使すれば「それらしく」仕上がるのだ。デジタルツールからデザインの世界に入るとこの「それらしさ」を自分のデザインテクニックと勘違いしてしまう傾向になり、むしろ、その入り方しか習得していないため、0から1の感覚を実感しないままデザインの仕事を続けることになる。

 これはこれでイマドキの主流であるし、「それらしいデザイン」が成果として評価されているため、仕事としてビジネスとして当然成立してしまう。つくり手の中にもあまり0から1を生み出すことに対して意識せずとも、「仕事として成立していればいいじゃん」的な感覚と、「私が覚えたデザインのノウハウはこれですから」的な意識でも、とにかくその成果が売れるのだからデザインの仕事として大きな問題ではない。逆に余計な時間をかけ、無駄な労力を費やし、0から1に固執することで、何も生み出すことができないぐらいなら、1から2へ、2から100へ、サクッと仕上げた方がスマートなのである。

 さて、この感覚、正しい順回転はどちらなのだろう?デザインの仕事のテクニックやノウハウをアナログツールの時代から始めてしまったゆえに、このような感覚になっているだけであり、世の中の大きな潮流がもうその「0から1」の感覚を見切っている以上、そんな砂金を探すようなことをせず、サクッと海に出て大きな収穫を得ればいいだけなのかもしれない。

 とりたてて「0から1を」などと言ってはみたが、結局、アナログツールでもやっていたことは同じで、なかなかおいそれと0から1は生み出せていなかったはず。0.3ぐらいから始めていたはずなのである。デザインの仕事はアートではないが、デザインの仕事がそもそも差別化やテーマの価値を増殖させる作業だから、100よりも101の「1」があるのかないのかで評価が上がるとしたら、アートの感覚をデザインの仕事に適用するノウハウも無駄ではない、無駄ではなかったと、私は捉えている。

 100円ショップに並ぶあらゆる商品の中に、101の価値をデザインの力で追加できれば、素晴らしいことだと私は思うのです。

パソコンが得意。

 本日到着したメルマガに

 「パソコンが得意か不得意かで求人件数が13.1倍、年収も23万円変わる」という情報があった。

 具体的に「パソコンが得意」という部分の説明は不十分だったが、なんとなくこの時代の傾向なんだなぁ~と感じた。ひとことに「パソコンが得意」と言っても多種多様で、当然、スキルやテクニックも案件次第。ただ、求人案件を比較して13.1倍という数字は無視できない。年収が23万円という数値も格差として大きいのか小さいのか微妙な数値だが、現実的にはこの程度なのだろうと捉えた。

 さて、「パソコンが得意」になるためにはどのような知識と経験が必要なのだろう?

 私が勝手に思い描くにパソコンのスキルって、ほぼパソコンソフトの知識であって、パソコンのスキルを10段階で分けると、データの保存や文字入力がレベル1で、テクニカルな専用ソフトの応用スキルがレベル10に相当するのだと捉えています。専用ソフトともなれば、ソフトウエアの知識や活用術だけでは成果は生まれない。プログラム言語の知識やグラフィカルなセンス、パソコンを使ってより高い成果を上げるためクライアントからの要望を正確に聞き取る能力も関係しているし、さらに要望に対してエキスパートとしての提案力も必要になるだろう。ここまで習得して「パソコンが得意」となる。

 では、私は「パソコンが得意」なのか?と自己分析してみると、実はあまり得意ではないように感じている。その理由は私の知る限り、仕事先の担当者さんや仕事仲間との情報交換の際、「ええっ!そんなことも知らないのですかスギノさん!」「それは基本中の基本ですよ!スギノさん」と言われることが非常に多い。ソフトウエアの知識もそのレベルだし、パソコン機器の物理的な知識たるや、スイッチの場所とコードの差込口ぐらいの知識はあるが、OS面での管理力やメンテナンスに関する知識は皆無である。経験上、誰でも知っているレベルの知識はあるものの、恐らくパソコン機器の知識はレベル1程度だろうと捉えています。

 よって、今から私がどこかの「求人情報」を血眼になって物色することはないにしても、こんな時代だからこそ、「パソコン以外のことが得意」で良かった良かったと、少しだけ安堵感を感じています。もし、その「以外のこと」がなければ、決してパソコンが得意ではないので、求人も少なかっただろうなぁ~と。

アナログとデジタル。

 デザインの仕事で印刷物はアナログですし、WEBサイトはデジタルコンテンツです。双方のつくり方もアナログツールとデジタルツールを併用していますし、自分自身、どちらが効果的かについてはケースバイケースで臨機応変に使い分けています。

 では、成果を生み出すという視点でアナログ的なアプローチとデジタルツールの使い分けはどのように決めているかという部分ですが、この部分、未だに明確な理由・根拠はなく、アナログツールでしか表現できないモノとデジタルツールでしか表現できない、生み出せないコンテンツが混在していて、独自の曖昧な理論理屈と直感で使い分けています。

 一番やってはならないのがこの判断の場面での「思い込み」です。昔ながらの方法で職人的なつくり方をするためにはアナログ的なアプローチでとか、一般常識・セオリーではこのコンテンツはデジタルツールだから当然、専用ソフトを使うと思い込んでしまうと、新しい表現は生まれませんし、効率も手順も平凡になり想定外の伸び代もサプライズ的な鮮度の高い発見もありません。

 ある意味、「思い込み」は長年培ったノウハウやテクニックでもあるので、どうしても固執してしまう傾向はあるものの、やはり、アナログかデジタルかという判断の場面において、直感的に「組み合わせたり」「変換させたり」「見切ったり」する意識が必要なのです。

 長年、デザインの仕事に取り組んできているので、頭も心も魂も(身体も技も!?)固まっています。そして、「思い込み」だけで成果を生み出し、安易に満足してしまう自分もいます。

 では、この「思い込み」を良い感じで壊すのはどうすればいいのか?ただ、闇雲に壊し、致命的で非効率な仕事になってしまえば、本末転倒です。「思い込み」を崩し、新しい発見・探求のベクトルで進化するためには、「前を向く」「頭を上げる」「止まらない」ことを意識し行動するしかないようです。

 中国では淡々と自分の世界を築く人を「活人」とよんでいます。

 まだまだ、なんとなくの感覚ですがこのテイストが私はベストのような気がします。

 やはり、歴史のある国には多くの価値ある意義ある言葉が残っています。

 このテイスト(捉え方)、仕事に活かしたいですね。

デジタル顕微鏡。

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 よし!これは良い。買おう。

このタッチ。

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 このタッチ、やはり、なんか、落ち着きます。

登録承認完了。

 「しがクリエイター情報データベース」サイトへの登録を承認していただけた。こちらがその中のマイページです。

http://www.shigaplaza.or.jp/creatordb/profile?creator_id=186

 いろいろなエキスパート・プロフェッショナルな方が登録されていて、皆様、素晴らしい経歴です。素敵な出会いがあることを期待しています。

 まだ、登録作品数が貧弱なので時間をつくって過去の作品をアップしていきたいと思っています。しかしながら、自分の作品と言ってもけっこういろいろな仕事をさせていただいてきたので、整理するのが大変です。個人的に印象的だった作品を紹介すると偏るし、たくさんの種類を網羅してもポイントがズレる。「お前はどんな仕事をしてきたのか?」というお問い合わせに対して、「なんでもやります!」では、工夫がないし、「この仕事は自信があります!」でも、なんとなく、クリエイティブな印象が弱い。過去の実績を整理するって、意外と難しい。

描画用ソフト。

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 これはある描画用ソフトのサンプルイラスト。

 このソフトを使うとこんなクオリティーのイラストが描けますというサンプル。

 良い意味で誤解させる、期待させる効果はこの絵にはあるのですが、実際、この描画用ソフトを使ってこのクオリティーのイラストが描けるのか?についてはあまり考えない。いや、考えさえない戦略を感じるサンプルイラストです。さらに、このクオリティーの絵を描けたとして、それが仕事にビジネスになるのか?という部分はまったく次元が別で、釣りが上手でもそれで飯は食える!?という現実問題が残ります。

 なぜ、そう実感できるのかと言えば、過去にその誤解でたくさんソフトを自分自身が買っているからです。ひいき目に見て、全滅ということではなく、50%ぐらいは稼ぎに繋げられているものの、残りの50%は「良い経験」で終わっていいます。しかし、知識やテクニックは案件が発生してから入手・習得・装備していては遅いのも現実。だから、無駄打ちになりそうな予感がムンムンでも、ただの「経験のひとつ」で終わっても、気になったら触手をのばさなければならないのです。

 この意識、デザインの仕事に限った捉え方ではないと思います。

New XPS タワー メインストリームグラフィック

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 いろいろ検討しましたが、やはり、これかな。

 ノートブックは結局、使用頻度が低いし、iMACもひさびさに買ってもいいかななどと考えましたが、やはり、堅実に仕事に使うツールなんだから、「強いPC」が一番。このスペック、かなり最強最新のようですし、OSも10のPROで、慣れておく必要がありますし。アプリはほぼ現状のCCで問題なしと判断しました。

 さて、最新のCPUに16GBのメモリ、どの程度のパフォーマンスか楽しみです。

瀧澤材木店様「現場完成見学会」

大野ダムで空撮。

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 大野ダムで空撮をしてきました。この日(8月7日)は美山町主催の大野ダムのバスフィッシング大会でした。

 スタート直前(午前7時前頃)の大野ダムの空撮風景です。これは映像からの切り抜いた静止画です。さらに高い位置からの空撮映像も撮影したのですが、初の水上水面撮影だったのドキドキしました。

 皆様がスタートした後、私も大会に少し遅れて参戦しましたが、釣果は31名中22位でした。午前9時頃を過ぎると太陽全開で、暑さで頭がクラクラしましたが、できるだけ日陰のボートポジションで無理をせず、規定の3匹を無事釣り上げることができました。

 次は下流から上流までの飛行映像を撮影したいと思っていますが、そうなると長時間飛行する必要があります。陸からの離陸ではなく、ボートからの離陸に挑戦する必要がありますから、さらにテクを磨く必要があります。琵琶湖湖上や山岳ゾーンでも飛ばしたいので、やはり最後はフライトテクを高めなければ、なのです。

DELL NOTE

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 久しぶりにノートが必要になってきました。

 タブレットでも良いのですがやはりアプリよりもソフトが欲しい。このDELLのノートは以前のモデルと比較して薄さも魅力的である。当然、ノートとしてのスペックも普通に高くなっていることでしょう。ただ、OSがWIN10なのがネックなのだが、そろそろ10も使っておく必要があるだろうし、タイミング的にはそろそろいいかなと考えています。

 従来のシルバータイプではなく、ゴールドってのも刺激的・魅力的です。

上空5mからの自撮り。

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 上空5mあたりからの自撮り撮影です。風速は地上で3~3.5m。しかし、5m上には別の風が吹いているので、推測ですが風速4~4.5mはあるはず。さらに高度を上げるとGPS機能と衛星6機以上の信号を受けホバリングしているとはいえ、結構、機体はフラフラ状態です。そこで重要なのが目視と操縦テク。機体を進行方向に対して180度回転し、さらにカメラの角度を45度に傾けて撮影したのがこの自撮りです。映像からのキャプチャーなので自由に切り取れますが、フル広角モードなので上下左右が歪んでいます。またまだ、欲しい絵には程遠い。これらの状況判断を繰り返し、操縦テクで機体を制御しつつ写真や映像の構図を決める必要があるのです。いやいや、なかなか、まだまだ、充分なテクを習得するには長い道のりです。しかし、この道、とても楽しいです。次は勇気を出して湖面に出たいと思っています。

 いつか必ず映画のファーストシーンやラストシーンのような、迫力のある空撮映像が撮影できれば、当然、このブログで紹介します。「レオン」ファーストシーンのような、「ブレードランナー」のラストシーンのような。

眼鏡型双眼鏡。

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 これは眼鏡型双眼鏡。これで遠距離作業を目視し確認しながら、両手は遠隔操作に集中するためのギアです。比較的視力の良い私ですが、さすがに遠方(100m以上)の機体をしっかり目視するのは困難だと判断し入手しました。

プラスエイチ・ワークスさん

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 昨日、取材と撮影に同行させていただいた守山を営業活動拠点にされているプラスエイチ・ワークスのご両名。私は滋賀県に来て22年が経ちましたが、なかなか諸手を上げ素晴らしいと思える、魅力的なクリエイターさんに出会う機会はありませんでした。私の目が節穴なだけで優秀な人もおられたのでしょうが、個人的な感覚として、諸手を上げて、心の底から魅力的なクリエイターさんだ!という印象の人はなかったように記憶しています。県内、大手の印刷会社様などで、「らしい」人はいましたし、新聞などメディアに取り上げられた「天狗さん」などもおられましたが。

 しかし、このご両名、まだまだお若い、これからバリバリと営業展開されていく感じがお二人から溢れ出ていました。私も52歳、そろそろ息切れがしてきたような感覚もありますが、このような若い有能で魅力的なクリエイターさんの存在を意識し、ムチを入れていきたいと痛感しました。

 柔らかい人当たりに対して、揺るがない都市での不動の経験値。武士に例えるなら脇のしまったスキのない構え、安易に踏み込めば、一瞬で一刀両断に切り捨てられそうな佇まいです。これからも滋賀守山を拠点に良い仕事をご両名のスピード感で展開していかれることでしょう。このような存在はホントに刺激的です。とても良い出会いでした。

 引き続き、よろしくお願いいたします。Hさん、Kさん。

 暑い中、精力的な取材と撮影、本当にお疲れ様でした。

ポイント。

 何事も、仕事でも生活の場面でも、「コツさえつかめば・・・」という状況があります。

 特にデザインの仕事でも、テクニック的に多くのアプローチや表現方法を習得・収集しているより、案件に合わせてポイントを見分ける眼力があれば、成果が生まれやすいという状況がよくあります。長年の経験値や収集し過ぎた情報が逆に負荷となり枷となり成果を生み出しにくくしているということが多いのです。その場合、過去の失敗事例の検証やなんとなく違和感のある手法をやめ、一旦、基本に立ち返ることで想定以上の成果が生まれます。

 例えば、パンフレットのデザイン。特に表紙は内容をしっかり表現しながら、魅力をより印象的に表現しなければなりません。理論・理屈ではおおむねどのような文字情報とイメージを組み合わせれば、内容にそったより魅力的な表紙デザインの完成形は見えているのですが、実際、グラフィックソフトでつくりはじめると完成形どおり、設計どおりにつくっているつもりが、どこかしっくりこない。タイトル文字のサイズなのか?フォントのタイプなのか?その位置なのか?内容を表現するために描いたイラストのモチーフやタッチが当初の想定になっているはずが、全体的な表紙デザインとマッチしない。さて、どこに原因があるのか客観的に冷静に捉えようとするが、もう、分からない。という状況です。モニターでデザインを制作しているため、しっくりこない時のポイント(コツ)として一回プリントアウトして、成果物の原寸で目視する。そして、そのプリントアウトをホワイトボードなどに貼り、しばらく眺めると、その違和感の原因を限定することができます。つくっている最中は見方が偏り、全体的な文字情報とイメージの組み合わせ方がニュートラルに捉えられないのです。ホワイトボートに貼ったプリントアウトをそのままにして、一回、別のことをしてから、改めて眺めると違和感の原因に気がつくのです。「ああ、イラストの顔の表情だった」とか、「タイトルの文字の位置とサイズだったのか」などなど。

 こんなポイント(コツ)のお話。長年、デザインの仕事をしてきましたら、その歳月(ほぼ30年間)だけあります。そのポイントの中には基本的ないろいろな多くのケースに適用できるポイント(コツ)もあれば、ある特定の限られた案件にのみ適用できるポイントもあります。いわば、デザインの仕事におけるテクニックや能力とはこの「ポイント」の数で実現率・達成率が変わるので、基礎的な形や色、そして、言語的なルールなどをしっかり知識として準備できれば、あとはポイント(コツ)をノウハウとしていくつ持っているかに尽きると思います。

 時代が変わり、デザインの仕事として求められる要望も多種多様になりますから、当然、基礎的なポイントを常にブラッシュアップして変化させる取り組みも必要。過去の事例で良かったことが、現在取り組んでいる案件に良い作用があるとは限らない世界なのです。だから、理論・理屈を多くかかえ、知識や経験値が豊富であることはとても重要ですが、それはモノゴトの一面に過ぎないという意識が大切なのです。杓子定規にセオリーどおりに仕事を進めて、違和感や物足りなさが感じられなくなった時、実は、クリエイターとしては危険信号なのです。

 仕事のポイントは常に変化しているのですから。

専用バック。

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 こちらが「ファントム3」用のキャリーケースです。明日、到着予定です。

フライト練習が大切。

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 ここでしっかりフライトテクを磨きたいと思います。とても素敵な練習場所でした。

上空30m。

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 上空30mあたりからの自撮り。これで2台目への確証と実感を得られました。次はどこで飛ばそうかな?

GO-PRO用ヘッドバンド。

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 GO-PROというマッチ箱サイズの高性能カメラがある。

 このバンドは頭部、額のあたりにそのカメラを固定するためのギアである。これにカメラを搭載して何を撮影するのか?登山かゴルフかボルダリングか、まぁ、いろいろ想定できるが、まずは手頃なところでバス釣りだろう。動画撮影も可能なカメラなのでバッテリーの続く限り釣り場で頭につけて撮影しようと思っています。釣りの映像を撮影して、それが楽しい映像なのかどうかは分からない。バス釣りに興味のない人が延々と水面の映像を見て楽しいと感じるはずもないがのだが、延々と水面を見ている釣り人には確固たる理由があり、例えその時間が5時間で、ルアーで魚を釣り上げる時間が1分だったとしても、釣り人というのはその1分さえあればいいのである。恐らくこの気持ちを共有できるのは釣り人同士だけだから、さらに面白い。これは理解するしないの問題ではなく、釣り人同士なら確実に容易に共有できる感覚なのだ。その感覚・実感を持ち得ない人にどんな言葉で説明しようが、どんな刺激的な写真や動画をたくさん見せようが意味がなく効果は期待できない。しかし、それは単にバス釣りだけのお話ではない。良い仕事を共有したければ、共に延々と同じ水面を見る必要があるのです。

 いい絵(映像)が撮影できたら、釣れた釣れないは別として、その絵をブログにアップしようと思っています。

必需品。

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 とにかく、物忘れが激しい。考えていること、必要な物の置き場所、マストなこと、とにかく、忘れる。作業行程もしかり、連絡事項もしかり。老化だから仕方ないと開き直るには不利なケースが多い。

 さて、どうしたものか。とにかく、一番目につく場所にそれを置き、必要事項はメモすること。これしかない。恐らく、パソコンやデジタルデバイスが便利過ぎて、データを確認したら致命的な問題にはならないだろうと安穏とし、重要度や優先順位をも軽視してしまっている傾向である。

 だから、行動パターンの中でも、一番、目に付く場所に整然と並べておくこと。引き出しに仕舞いこんだり、ファイルや封筒に入れた段階で忘れると想定しておく。ポケットに入れたことさえ忘れるのだらか、もう、目につく場所に並べておくしか仕方ない。

 レクターが言っていた。最初の欲動は強い、しかも、それは毎日目に映っている情景の中にあると。トマス・ハリス恐るべし。

瀧澤材木店様現場見学会開催中!

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 長浜市口分田にて瀧澤材木店様の現場見学会が開催されています。期間は本日(18日)と明日の2日間です。「木の家」「日本の家」「瀧澤の家」を現場でぜひ実感してください。

 詳しくはこちらへ→瀧澤材木店様公式WEBサイトへ

SPEEDLITE 430EX II

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 本日到着、一眼デジタルカメラ用のフラッシュです。上位機種なので相当の光量があります。さらに、本機とワイヤレスで発光同期するので、様々なライティングが可能になります。ほぼオートで使用する予定ですが、細かい補正やマニュアル対応も可能。特に絞り優先で背景にボカシを入れる場合はこの光量が圧倒的に有利です。これでさらに一眼デジタルテクを磨こうと思っています。さらに、料理撮影や内観(部屋)の撮影サイド補助ラインもLED照明を買いましたし、ピンスポット用にかなりの光量の携帯ピンライトも購入しました。これでほぼ磐石です。

 ちなみに、大光量(1020ルーメン)のピンライトはカメラ本体のボタンを確認するにも役立ちます。なんせ老眼なので、メガネをかけても小さいボタンが見えない。ピントはオートですが、モニターならルーペで確認できるのですが、なんせ、カメラ本体のボタンが見えない。これでイージーミスを0にしたいと思います。直径20mm、長さ120mm程度の携帯ピンライトなのですが、光学設計が秀逸でとてつもなく明るいです。1020ルーメンは頼りになります。

REデザイン。

 まっさらの状態から仕事が発生する機会は非常に少ない。つまり、新しい企画、新しい事業、新しい商品に対するデザインを制作する機会である。そのような機会でさえ、世の中にはすでに存在する製品があり、ライバル会社との競合商品などの場合、それらを意識したデザインが必須となる。よって、常にデザインとはすでにある何らかの成果を充分に分析し「より良く」することが求められるのです。安易に制作会社を変更すれば、つくり手を変えれば、リデザインが完結するとはならない可能性が高いのが、デザインという仕事の難しさであり、本来の価値でもあります。

 この捉え方はすべてのデザインの仕事にあてはまるので、まず、仕事の案件に取り組む際は、分析力が非常に重要になります。当然、定期的な案件や自社で取り組ませていただいた案件についても、「そろそろリニューアルを」という展開はよくあり、以前の自社で制作させていただいたデザインをさらにブラッシュアップし、新しいアイディアや表現手法を取り込んで、より良いデザインをつくらねばならないのです。「デザインの仕事の真価」とはこの部分にあるため、テクニックや知識の鮮度を常に維持することと合わせて、分析力の活性化も同時に取り組まなければ、いつのまにか感覚が鈍り、古臭い、特に年齢と共にこの感覚は鈍化・劣化・退化するので、私など特に歯を食いしばりながら、感覚の鮮度をキープしなければならない。当然、現状維持に甘んじていては、下降を意味するので、何がなんでも、石にかじりついてでも、上を向いて歩いていかねばならないのです。

 そして、デザインの仕事の評価は多種多様です。しかし、クライアント様に理論的な説明や、多くの事例との比較検証事例を説明しても、納得していただくことは難しい。そんな常識のお話をしたところで、お客様はピンとこない。それはそのはず、私もユーザー目線に立った場合、「欲しい!」と思っている商品に対して、理屈や正論を並べられても、定石はどうでもよく、自分が「欲しい!」という気持ちをいかに納得させてくれるか?という売り手様から買うのが普通の流れなのですから。つまり、私が「欲しい!」という気持ちをどこまでプロの売り手として理解(分析)してくださるかで、買い手を決めているのです。

 しかし、「リデザイン」とひとことで言っても千差万別です。長年、デザインの仕事をしてきましたが、同じパターンが適用できるケースなど皆無でした。例え同じような内容のテーマの規模の仕事だったとしても、同じパターンの分析は通用しません。それが現場です。つくり手でさえ、その日の気分で分析手法や感覚が変化するのですから、買い手の気持ちが理論や理屈でいつも整うはずがない。「昨日まで、このデザインでOKだったに・・・」「このタイプで合意していたのに・・・」「このテイストで喜んでいたのに・・・」、今日は今日の風が吹き、確実に明日は明日の風が吹くのです。

 そんな、一見、苦しい仕事をよく続けてきたなと自分でも思いますが、実はこれが楽しい。

 これこそがこの仕事の醍醐味だと思っています。

 自分も変化するし、クライアント様も変化する。この微妙な間合いこそが、実はデザインが、デザインこそが埋められる唯一のアプローチなのだと思います。杓子定規に「ねばらならない」「であるべきだ」を繰り返していると、いつか孤立する怖さを痛感しているだけに、つくり手は貪欲に好奇心と向上心と探究心で、明日吹く風を予測しているのです。

4つ目の机。

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 昨日、イラスト制作用のデスクが到着しました。この3連休は仕事場にこの4つ目の机を設置・完備することがメインテーマでしたので、これで完了・完成です。

 盤面の角度を調整できる机で商品のセールスポイントとしては、「製図用」「イラスト制作用」「マンガ制作用」という目的で製造された机。盤面の角度も5度、10度、15度、20度、25度とワンタッチで変更することができる上、盤面の重量も充分。さらに、机の高さも4段階に変更できます。オフィス机は当然フラットなので、パソコンや書類や資料用。見積もりや原稿の整理などに活用する分には充分なのですが、製図やイラストを描く場合、描いている用紙に対して下から見上げてしまう体制になります。そして、長時間、絵を描いていると姿勢が悪くなる傾向があり、特に椅子に座る姿勢が元々良くないので、それに気がつかないままフラットな机で絵を描いていると最近疲れるのです。また、紙面を下から見上げている体制では、微妙に作品のデッサンが上下が間延びします。アングル的に下方からのパースが作用するのです。ちょうど、カメラでローアングルから撮影したような構図になるので、描く用紙に対して、できるだけ視点は紙面の中心、真上の位置を維持したいのです。しかも、簡易的な机だとグラグラしたり安定感のない机は描く最中に微妙なストロークが難しくなります。できるだけ、安定感があり、紙面に対して視点を常にいい位置に置きたいのです。それがこの机を購入した最大の利点なのです。

 そして、このDVDは昨日、販売開始された「スターウォーズ7」。1ヶ月前から予約して、昨日入手しました。本作の1から6までは、正直、あまり興味がなかったので、7の情報を得た時も同様に興味はありませんでした。映画館にも行っていないし、ネットでS.W.ファンのような入念なチェックもしていない。昨晩、早速、鑑賞しましたが、物語としては自己評価で平均点以下です。カミさん曰く「スター・ウォーズならレンタルでええやん」とまで言われる始末。

 しかし、S.W.7のDVDを買った理由はひとつ。レイ役の新人女優、デイジー・リドリーさんを画面で観たかったのです。どうも、自分がDVDを買う条件は大きく3つあり、「好きな監督」「好きな物語」「好きな女優」のどれか条件に当てはまれば買うパターンが多い。逆に人から勧められる作品は買わない。今回はその3つ目の理由で迷うことなく「買い」だったのです。壮大な宇宙で展開しているイマジネーション溢れる最高の映像技術の結晶である本作において、デイジーさんの存在感はキュートでタフでとても心地よかったです。歴代のキャストがどんどん老いていく本作の流れにおいて、レイ(デイジーさん)は正に「光」の象徴でした。

 で、結果、3連休も仕事ということになりましたが、いい机がセットアップできたので、どんどん新しい作品を描いていきたいと思っています。

仕事場の整理。

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 いつもやろうやろうと思っていて先送りになる仕事場の整理(気まぐれですが一年に3回ほど)。今朝は午前6時に目が覚めたので、仕事を始める前に本格的に整理と掃除をしました。これで整理後ですから、普段の雑然さが想像できます。3時間、資料らしき印刷物やなんの目的で残しておいていたのか分からないモノを捨て、この状態になりました。仕事ではデスクトップ3台、ノート1台、タブレット1台を使うのですが、この写真の裏面に一台新しいイラスト制作用デスク(板面の角度調整付)を購入したので、そのためのスペースづくりが今日の整理の目的でした。

 新しいデスクを買うのは新しいパソコンを買うよりも心機一転度合いが高く、到着がとても楽しみです。

 これまで仕事用のイラストは事務机で描いていたのですが、視界に書類や資料があると集中できないことが多かった。それにイラストを描きだすと3時間ぐらい集中して描くので、板面が水平だと少し描きにくい。さらに、今の事務机は高さも中途半端なので、けっこう疲れる。目的に合わせて机も変えてみよう!と、昨晩、ひらめいたのです。

無免許。

 例えば、無免許で自動車の運転をすれば法律に反します。医師も弁護士も様々な国家資格も無免許では仕事ができません。家を設計し建築するのも同様です。しかし、デザイナーは無免許でも仕事ができます。免許の更新や許可書を提出しなくても仕事が成立します。長年、デザインの仕事をしてきてよく考えることです。「無免許だから良かった」と捉えるか、「無免許だから誰でもやろうと決意すればできる、つまり、すべてのデザインを志した人が競合相手となる。」と捉えるかの違いこそあれ、とにかく、デザインの仕事を始めるにあたり免許や認定資格は必要ないのです。

 以前、彦根のパソコンスクールで、デザインの仕事をするためになくてはならないアドビのイラストレーターとフォトショップというソフトウエアの活用術を教えていた時、若い男性の方から「デザインの仕事って、特に免許とか認定資格は必要ないですよね?」という質問を受けた。ソフトウエアの使い方を教えていたわけだから、テクニックを習得して知識を得ても、さらに免許が必要だったどうしよう?と思っておられたそうです。私も長年デザインの仕事をしていて、まったく意識がなかったので、その時、改めて「デザインの仕事をする上で免許や許可、認定資格は必要ないんだ。」と痛感しました。

 さて、免許があることは有利なのか不利なのか?それとも、どうでもいいことなのか?恐らく、どうでもいい免許など存在しませんから、免許があれば有利なはずです。では、何に対して有利なのか?免許を取得しているということは、一般的に安心してその仕事を依頼できることの証でもあり、無免許なのに、テクニックや知識があっても、一般的には信頼されにくいのです。無免許の医師がいて、テクニックも知識もあり、人柄も良い、現場の経験も豊富だけど、やはり、免許のある医師に看てもらいます。それは、保険のような作用・効果かもしれませんし、免許を持っていることが通念として信頼の証だからです。

 では、もし、デザインの仕事をするために、「グラフィックデザイン一級国家資格」なるものがあり、専門の学校で専門の勉強をし、インターンで経験を3年ほど積み、その後に試験を受ける。ということが義務づけられていたとしたら、自分自身はこの免許を取得するために猛勉強をしたのか?という自問があります。恐らく、そんなプロセスが必要だったとしたら、私はデザインの仕事をしていない、デザインの仕事を選択しなかっただろうと思うのです。勉強が嫌いという大前提(勝手な理由)がベースにあるのですが、そもそもデザインのテクニックや知識、そして、経験値をひとつのフォーマットに整理して、テスト化することができなかったため、デザインの仕事には免許や国家認定が存在しないかななどと仮説を立ててみたりします。つまり、それほどデザインの仕事は「多種多様」であり「複雑怪奇」な仕事だからなのかと。誰でもできるが誰でもできない仕事なのかなと思うのです。改めて。

 例えば、良くあるケースは「デザインが好きだからデザインの仕事をする」という発想・連想です。子どもの頃、医師に両親の命を救ってもらったから医学に感謝し憧れ、自分も誰かの命を救いたいと医師を目指す人。プロスポーツ選手が大会の優勝コメントで「お世話になった恩師やトレーナーの皆様に、そして、何より苦しい時支えてくれた妻にこの勝利を捧げます」というスピーチを見て、感動して、僕も私もとプロスポーツの世界に挑戦したいと考える人。目標設定するケースや条件は様々ですが、何を省みても「好きだから」という理由ほど強いモチベーションは存在しませんから、このパターンはとても自然で理にかなっています。同様に、「デザインが好きだ」というモチベーションは、優れた医師との出会いや魅力的なプロスポーツ選手との出会いと比較しても容易ですから、医師よりもプロスポーツよりもデザインの仕事をやりたいという人は多いはず。しかし、入口はとてつもなく広く、免許も認定資格もないデザインの仕事の世界ですから、出入り自由、フリーパス状態なのですが、10年間、デザインの仕事を続けるということは、とてつもなく大変なのだそうです。

 デザインの専門学校を卒業し、デザイン事務所に就職し、独立したがデザインの仕事は辞め、転職したというケースです。この境界線・分岐点がどうも30歳あたりに1回目、40歳あたりに2回目があるのだそうです。このケースがとてつもなく多いそうです。冗談半分で学生の頃、「デザインの仕事をしたければ、自分勝手に「デザイナー」という肩書きの名刺さえ印刷すればデザインの仕事はできるぜ!」という捉え方でした。このゆるい言葉を鵜呑みにしたことが私のデザインの仕事への出発点だったかもしれませんが、なんとか22歳で始めたデザインの仕事を、51歳まで続けることができ、お陰様で明日、52歳になり、もう少しデザインの仕事は継続できそうです。

 無免許で始めたデザインの仕事ですから、まったく保証もありませんでしたし、国からも県からも守られている仕事ではありません。今後も、恐らく、ひとりでつくり続けるだけなのです。どこかのタイミングで免許資格試験を受けるようなピリピリしたポイントもなかったですし、ここまで習得すればあとは安泰という気分になれた日も一日もありませんでした。それなりの覚悟があったのかと自問しても、明確に国家認定証を公布されたような経緯もありません。ただ、ありのままに、デザインの仕事を選び、一日も安泰・安息することなく挑戦し探求してきただけ。恐らく、今後も同じなのでしょう。

 正真正銘の名実共に「無免許運転」ですが、52歳になっても、22歳の頃と同じ気持ちで、自分のデザインを追求し、お客様ひとりひとりにとって、頼りになる「つくり手」でありたいと思います。

 52歳の自分への決意表明でした。

ラフスケッチ。

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 仕事では構想したり設計したり、また、気分転換にラフスケッチを描きます。それは仕事用であったり、ラフワーク用であったりします。仕事場でも描くし、お客様のところで打ち合わせ中に言葉では具体的なデザインがイメージできないケースや、完成イメージをお客様と共有するケースでサラっと描くケースもあります。ラフスケッチですからラフに描くのですが、これがとても有効なのです。まだ、この書籍は本日到着したので、まだ、サラっとしか確認していませんが、恐らく80名のクリエイターの皆様が仕事現場で描いたラフスケッチを完成デザインと合わせて紹介しておられるのだと思います。

 アイディアって頭の中にあるだけでは無効です。言葉にしてもほぼ無効です。カタチにして具体的に見せられる状態にして、はじめて「アイディア」であると言えるので、ラフスケッチはとても重要なプロセスなのです。これ結構、良い買い物だっと思っています。なかなかこのようなトッププロのプロセスを見る機会は少ないですし、完成度の高いクリエイティブの出発点を情報としてインプットできるのはとても良い機会だと思います。

 白い紙、ラフスケッチやミスコピーの裏などを手元に置いたが、頭が真っ白な状態って結構辛い状況です。そんな状態で白い紙を見つめていると、頭の中が転写されているようでさらに不安が募ります。頭が動いていない状態って手も動かないのものです。逆に手を動かせば頭も動き出すという効果もありますから、構想するぞと決めたら、まず、なんでもいいので白い紙に向かって手を動かす。これがモノづくりの基本的なルーティーンなのです。

水彩画8

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 これは水彩画を描くソフト。同じようなことはphotoshopで可能なのですが、「水彩画」という切り口で開発されたソフトウエアだけに、描画用に様々な工夫がある。多様なタッチや透過具合などもphotoshopと比較して簡易ではありますが、描画するだけならば繊細な調整は必要ないため機能として排除してあります。その代わり、水彩画以外のペン画などのテイストを描く便利な機能があるのでダウンロード購入しました。これだけの機能がついて¥4,800(税別)ですからツールとしてはお値打ちです。

 実際、カラーインクやアクリル絵具で水彩紙に描くことと比較すれば、このソフトが手に馴染むまで試行錯誤は必要ですが、手に馴染めば仕事にも充分活用できそうな気がしています。

水準器。

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 これほどまでにデジタルデータ優勢の時代、水平を確かめるのは小さな水泡。

 人の心もこの水準器のような水平さを確かめるツールがあればいいのに。

スマホの機能イメージ。

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 イメージ写真や動画などの素材を提供している「アマナイメージ」さんの商品データです。公式ホームページはことちらです。

 「スマホ」デバイスの機能イメージ写真です。しっかり作っておられる魅力的な写真素材です。

がちゃこん君パネル

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 年末に、近江鉄道さんの彦根駅と八日市駅と近江八幡駅に納品した「がちゃこん君パネル」です。パネル面は地元の看板屋さんにカラー出力してアルミの複合板に貼りこんで頂き仕上げていただきました。それを切り抜いて裏面に自立用の木枠を接着しました。3体制作するのにのべ3日間ほどかかりました。平面やデジタルの仕事も楽しいですが、モノヅクリも楽しいです。

新しい名刺。

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 毎回、自分の名刺は200枚づつ制作し印刷しています。いつもデザインを新しくしているのですが、これは(たぶん?)12回目のデザインです。これまでいろいろ詰め込んでいたのですが、今回はシンプルさを意識しました。それでもゴチャっとはしていますが、やはり、名刺だけに潔よくサラっととはできない性格なので、このデザインで落ち着きました。これで2016年も頑張って営業展開していきたいと思っています。2015年もあと10日です。

材料が整いました。

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 これで材料・パーツが揃いました。あとは加工です。この案件、楽し過ぎます。絵画やデザインも楽しいが、何かモノを制作するって楽しいです。

パノラマ写真。

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 待ちに待ちましたよジャクソンさん!ようやく「360度パノラマ写真コンテンツ」を制作するソフトウエアがドイツから到着し、無事、私のPCにインストールが完了しました。しかし、このソフトはドイツ製でヘルプは英語。さて、どうする?という状況ですが、基本的に専門のサイトやソフトウエアのサポートページをひとつひとつ確認して習得するしか方法はなさそうです。でも、これがまた楽しい。新しいソフトウエアを習得するって、当然、最初は0からのスタート。右も左も分からない状態ですが、ひとつひとつの機能を確認していけば、必ずそれらの機能は使いこなせます。この状況が根本的に本質的な嫌いな人はソフトウエアは習得できない。私の場合、このスタート地点が大好きで、何事もせっかちな気質の私なのですが、ここ(ここだけは)はじっくり慎重に冷静になれる不思議なゾーンなのです。まったりとチュートリアルにダイブしたいと思います。試作品はまたこのブログでも紹介させていただきます。

33年目の電気ストーブ。

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 このストーブは1回生の冬に買ったストーブ。だから、今年で33年目。タフな奴です。

WINDOWS10

 毎日パソコンを起動する度にWINDOWS10へのアップグレードを訴求されるが、私は一切、WIN10を使う気持ちはありません。趣味レベルならWIN10の新しいインターフェイスを使ってみたいという好奇心は正常なのかもしれませんし、リリースの流れが今後、どう考えても、逆行することはありえないので、いつかWIN10が主流になり、WIN7のサポートが終了したときのために、という捉え方も適正な捉え方だと思います。しかし、「捉え方」と「仕事」を混同してはいけないと私は考えていて、15年以上前、デザインの仕事を展開するのならMACだと、しかないという捉え方をしていました。本体のデザイン性や機能性がデザインの仕事にマッチしている、デザインの仕事をするのならMACだというセオリーがあったからです。しかし、このセオリーもただの捉え方でした。並行してWIN-XPを仕事に使い始めてそれが確信・実感できたからです。いいデザインの仕事をすることを目的として、機能性や安定性と筐体のデザインや素材は無関係だったという結論です。デザインの業務をMACからWINに移行してなんのトラブルも問題も不具合もありませんでした。デザイン=MACという固定観念はただのアップルの戦略であり、その啓蒙・訴求にはさほど実益がなかったということです。確かにデザインは思考面やイメージを着想する部分でツールに依存している面が多いのですが、それさえも固定観念だったのです。その背景にアドビはWINでしっかりソフトを走らせているし、インターネットに関してはWINの方が有利です。そんな中、MACの購買ゾーン(市場)がWINに圧迫されたのでしょう。その結果、当然、MACは販売価格帯を下げてきました。「デザインワークにはMACだ!」いうマジックのネタがばれたからに他なりません。それから私がデザインの仕事を日々展開する上で、MACの比率・配分は極端に減り、最近ではMACを起動しない日もあります。どういうケースでMACを起動するかと言えば、ただ、なんとなく起動したくなった時だけです。まったく、明確な根拠はなく、どこまで行ってもMACというツールは「気分次第」で使う、使われているのだと個人的に捉えています。

 そこへ、WIN10の登場です。何故?WIN9をスルーしてWIN10にしたのかは諸説ありますが、結果、作り手・開発元の「気分次第」だったように捉えています。市場に対して明確な機能性や安定性の根拠がないケースでは気分次第で「イメージ」や「概念」に対して訴求しようとする流れ・傾向が、パソコンというツールにはあるようです。これは別段、何が正解だという問題ではないのですが、何より仕事で円滑に活用できて、時代の流れにマッチしてさえいえれば、適正だと捉えるしか選択肢はないと捉えています。それぞれのOSの歴史は安定と不安定の振幅がありますから、世の中の情報と自分自身が実際活用しながら適正ゾーンを模索し続けるというスタンスです。

 このスタンスで言えば、現状、「WIN10」はナシです。MACについても高解像度のiMACが登場するたびに購入を検討していますが、どのスペックも実際の仕事に活用できるか?となれば違和感がありそうで、購入には至っていません。「イメージ」や「概念」でツールを選択できるほどの余裕がないということと合わせて、「決め手」のないツールにコストはかけたくないという結論です。

 余談ですが、スマホも同様の観点でナシです。ガラケーで電話はでき仕事に支障がない限り、余計なアプリも機能も興味がないからです。仕事用には各種デバイスを揃えているので、個人の趣向と仕事への活用・転用を明確に区分けしている結果、スマホはナシという現状の結論です。

 ただ、WIN10も最新MACもスマホも、一方的に排除する思考は、致命的な事態を誘発させる原因になる場合もあるので、意識の中で絶対に消さないようにしています。ツールなのだから入手すれば活用できるはずですし、必要性が生まれてから入手しようと思っています。私自身、新しいソフトウエアや日頃活用している以外の分野のソフトウエアやデジタル周辺機器については、貪欲に入手してしまう傾向が強いのですが、ことプラットフォームに関しては過剰に慎重すぎる傾向があります。この傾向は、興味があれば気分次第で次から次へと手を出して(購入)しまう本質のようなので、「衝動買い」や「宝の持ち腐れ渋滞」にならないためのブレーキだと思っています。仕事が目的で車を運転している以上、それにガソリン(コスト)も必要なので、アクセルとブレーキの加減は慎重になり、自分の安全運転(判断基準ゾーン)をしっかり意識したいと思っています。

 とはいえ、世の中の市場は「気分次第」で動いている、変化し続けていることも事実。同期し連携しなければならない場面もあるでしょうから、いつでもトップギアに入れられるようにしておきたいです、ですね。

商品写真。

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 インターネットで商品やサービスを訴求する場合、写真の力を侮ってはいけない。そんなことその道の人ならば十二分に承知している、ものの、いざ自分が取り組んでいる案件で、商品やサービスや施設などの魅力的な写真を撮影しようとすると、いきなり巨大な分厚い壁が出現する。イマドキの写真撮影は一眼デジタルが進化し、それぞれのメーカーでモチーフや状況に合わせた、撮影プログラムモードが用意されているので、フィルムカメラの時代から比較すると格段にツールは進化したと言えます。しかし、カメラがいくら進化しても写真が同様に進化し品質が上がるということではない。訴求力のある魅力的な「強い写真」を撮影するためには、やはり、基本的な撮影の知識や技術が不可欠で、それらをベースにシャッターを切る人の感覚や緻密なプランやテクニックが、強い写真を生み出すのです。

 例えばこの写真、何気なく検索していて目に止まったサイトの写真です。ワンピース商品など無縁の私でさえ、この写真の強さには心が動く(止まった)ぐらいだから、女性の方なら共感できる強さがある写真だと思います。外人モデルが着ているからウエア商品もよく見えるということは誰でも理解しているが、実際、身の丈に合った販売促進の展開をしようとすると、このレベル・クラスとの現実的な格差に愕然とする人は多いはず。なかなかのハードルの高さがあります。勿論、コストのかけ方が違うわけですが、コストをかける価値があると判断できる条件・状況だということや、そう判断するべきだと思える素養も含めて、すべて強い商品写真を生み出すために必要な捉え方なのでしょう。

 何気ない商品写真ではありますが、強い写真だと感じました。

熱血とポンコツ。

 世の中には熱血タイプとポンコツタイプがいて、私など常にこの間で右往左往しているのですが、自分のことはさて置き、他人の「熱血さ」加減と「ポンコツさ」加減から何かを学ぼうと考えています。自身の熱血さにもポンコツさにもいろいろなタイプがあり、いつもその中間地点で安定してくれればいいのですが、青天井と泥沼に翻弄され、つい、「うかつ」に思考と行動の歯車がずれる。昨日、接点のあった「熱血タイプ」と「ポンコツタイプ」からも学ぶべきことは多く、できれば、その中間ゾーンあたりを自身の糧としたい。

 まず、そのポンコツタイプは、明らかに風体・風貌・ふるまいがポンコツで、当然、取り組んでいるビジネスモデルもポンコツだった。そもそもビジネスで取り組んでいる以上、関係者各位とビジネス上のつながりがある。お世話になっている方がいてビジネスは成立しているのだから、どんな案件であれ、受注させていただいている以上、自身のビジネスの外観を整えるべきだ。よれよれの風体で、言葉のキレも悪いし、当然、表情は濁り、口から出る言葉に精力がなく論理が崩れている。ボキャブラリーなど当然のように支離滅裂。この思考と行動でよくビジネスが成立しているものだと終始呆れる初見となる。短時間でこれだけの見切りをしてしまうタイプとの出会いは、最近、非常に稀だったので、呆れる以上に、何故?どこが?このタイプはポンコツなのかと、ひとつひとつその要因をカウントしいていた。実に21個が、私のポンコツゾーンに適用された。まぁ、何がどうあれ、人との出会いは大切ですから、今後、お客様になる可能性も0%ではないので、礼儀と節度をキープしながら対応し、打ち合わせの場を失礼したが、21個は新記録だった。真理から言えば、ビジネスとは人である。人との関係性よりもコストや手前の都合を優先した段階ですべての歯車が狂う。このことを特にポンコツタイプは理解していない。

 一方、熱血タイプの方は、言葉の丁寧さや論理の脈が一本通っていて、その対応速度も速い。レスポンスが速いだけで質量が伴わない人は、レスポンス自体を勘違いしていることが多く、それらのタイプと比較するとこの熱血タイプは、非常にクレバーさが際立つ。クライアントとの連携について、自分のポジション・スタンスをしっかりわきまえていて、円滑に仕事が進むことや、重要度の高い、優先すべき順列が適正なのである。優先順位について、理論的なタイプは、自分の理論を組み替えることをあまりしない。固執しているとまではいかないものの、自分の理論が常に起こる自体よりも優先されて、ジグソーパズルのように、どこかに必ず大きな絵を完成するためのピースがあると信じている。このタイプは、たったひとつのピースがなくなっただけ不安になり、絵を完成させることを諦める。当然、ビジネスも経済状況もたったひとつのピースの都合で放棄し、致命的な状況を招く。しかし、それでも自分の理論を崩さないという破滅的で悲観的なタイプです。一方、この熱血タイプはそのプライオリティーを健全に適正に組み替えるセンスがある。ビジネスの展開上、ピースが紛失することなど日常茶飯事だからだ。欠けたピースなど自分で作ればいいのです。そのテクニックがないから、自分のピース群に固執してしまい依存する結果になるのです。緊急事態にも関わらず、適正な判断と円滑な業務を再構築させようとする熱意には感銘を覚える。このように自分自身がその熱血タイプに感銘を覚えている以上、私は全力でその方を応援しようとする。これは当然のパワー配分である。現代は人間関係に苦労する人が多いストレス社会だという価値観が蔓延しているが、裏を返せばそこに勝機があるということになるだろう。生きていることはストレスの中で変化し続けること。ストレスは酸素のようなモノだから、変化するためのエネルギー源のひとつなのです。

 自己分析では、私の中の熱血タイプとポンコツタイプはこの両名をこのように分析・洞察した。反面教師ではないが、今日からの仕事の糧にしたいと思う。

 おまけネタとして「反面教師」という言葉、なかなかのツボであり、評価点が高い。この言葉が「反面医師」や「反面漁師」や「反面調理人」ではなく、「教師」だった根拠がツボなのである。学校の先生とは、いわばその矢面に立っているわけだから、特殊な仕事だと思います。最近は「反面」でさえもなく、「鏡面」だったりするから、教育者というポジション、なかなか混迷である。熱血なら救いがあるが、ポンコツだった日には、生徒達の自立精神が自立能力がその反作用としてより高まることだろうと期待できる、という利点もあるだろう。

電話帳の広告。

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 アクトの電話帳広告デザインです。日頃、仕事中の正直な気持ちを広告にしてみました。

イラレとフォトショップ。

 デザインの仕事を展開する上で、アドビのイラストレーターとフォトショップの2大ソフトウエアはマストツールです。デザイン系の大学や専門学校でもこの2大ソフトは必須科目だし、当然、現場に出ればこのソフトウエアの知識やテクニックは実践に非常に有効です。一般的にもデザイン制作会社以外でも広くこのソフトは浸透し、活用されているだけにこの2つのソフトを習得することはデザイナー(つくり手)として避けて通れない王道です。一方、オフィス系のソフト(ワードやパワーポイントなど)をグラフィックデザインに活用しているケースも最近は多いようですが、私はオフィス系で何かデザインを制作した経験も知識もない。デザイン感覚で取り組めばツールなのだから、できないことはないだろうが、オフィス系は完全に見切っています。

 では、イラレとフォトショップで具体的に現場ではどんな作業をしているのか?この質問はよく仕事仲間やクライアントさんからされますが、ひとことで語ることは難しい。決してテクニックや知識を出し惜しみをしているわけではなのですが、世界中のデザイン制作現場に完全に定着しているこの2大ソフトの膨大な機能や活用術を短時間でまとめることはできないのです。また、芸術系の大学や専門学校でどのようなチュートリアルに取り組んでいるかも不明なので独自独学の知識と一般常識レベルのソフトの基礎から応用を比較することもできないのが実情(正直なところ)です。

 しかし、デザイン制作現場でイラレとフォトショップを活用している、の「活用」の部分を事細かに分析していくと根本の原理はポストスクリプトとピクセルの制御となる。ベクトルデータとビットマップデータの原理・特性を理解することと、さらに、デザイン全般の思考や概念を経験値から総括し応用に繋げるには、相当多くの多様な予備知識とコンデションを維持しなければならない。

 デザインの現場で私自身はイラレとフォトショップ以外に多くのソフトウエアを活用しているが、どこまで便利な機能が増えたとしても、それは機能が増えたに過ぎない。どの機能をどの成果に対してチョイスして実際にオブジェクトを加工・編集・チューニングするかは、完全につくり手のテクニックに依存する。イラストレーション(絵)を描くプロとはテクニックや経験値もさることながら、本質的に絵を描く人であり、デザイン、特にグラフィックデザインは視覚的な表現手法を生み出すことに精通している、つまり、そもそもが「そいう人」なのです。努力や修練で培えるテクニックもあるが、そもそもという部分との関係性が仕事現場での伸びしろ・成果に大きく作用するように思います。

 というのも、文章を生み出し、それを生業とする「物書き」「執筆家」「小説家」なども同様に、ただ、文章に親しんでいるだけ、つまり、単なるリーダーでは文章のつくり手にはなりえないのです。文章表現は知識とアイディアなど気心があれば誰でも書けでしょうが、根本的にアマとプロの違いは、技術や知識や理論などが生まれた素養・素質の部分に大きく関係しているのだと最近、強く感じています。

 イラレとフォトショップ、つくり手を選ぶほど、偉大で鉄板な秀逸なデザインツールなんですね。最新のCCのテキスト本なども書店でよくチラミするが、そのあたりの微妙な部分の記載はないから、これからこの2大ソフトに対峙しようとする人達はそれ相当の覚悟が必要だし、手に馴染めばこれほど有効な表現手段はないということになります。文章なら鉛筆1本あればいいが、デザイン制作において、もはや、2大ソフトは不可欠な存在なのです。機会が得られ要望があれば、この2大ソフトに対する自身の取り組みやノウハウをお伝えしたいとは思っているが、なかなか、日々の仕事に忙殺されてその余裕が生まれないのが現実です。しかし、ご要望があれば何でもお答えする所存です。

あきない商い。

 何をどう理屈で考え理論で解釈しても人って飽きる時は飽きます。例えそれが信頼できる師匠からの助言だとしても、無二の親友からのオススメだとしても。一時期のマイブームのように盛り上がることでさえ、時間の経過と共に気持ちがのらず、テンションが下降しブームが去っていく感覚。

 学生時代、アルバイト先を選択する時も最初はちょっとぐらいタフな仕事内容でも給料が良ければそちらを選択しているが、結果、いろいろなアルバイトを重ねていくと自分自身の本質との相性が見えてくる。すると、その相性基準でアルバイトを決めるようになり、給料待遇よりも自分の相性が優先される。結果、本質的な好みや解釈の基準がアルバイト先を決める結果となり、そこからやりがいや達成感や充実感が生まれる。しかし、それも原因不明の「飽き」がどこからともなくやってきて、「あれれ?これが自分の本道だと思っていたが、ちょっと飽きてきた。」のように変化する。気まぐれで気分次第のこの「自分」が今、何を求めているのか何をフェイバリットと捉えているのかを都度整理しておかないと、次から次へと飽きてきて、最後は結局どこへもたどり着けなくなる。結果、アルバイト代は稼げないという事態になる。このベクトル、下降している時と上昇している時があり、「飽きる」ことひとつにしても、メリットとデメリットがある。「飽き性」と捉えるか「貪欲さ」「探究心旺盛」と捉えるかも自分次第なのである。

 さて、自分の仕事はどうか?結果、続けるためには自分が「あきない商い」になるようです。私の場合。

IMPROVISATION(インプロビゼージョン)

 インプロビゼーションとは即興である。本来は音楽や演劇の分野で使われている用語です。型にとらわれず自由に思うままに作り上げる、作り上げていく動きや演奏、またその手法のことを指しています。アドリブともいいます。

 形式による制約よりも、演奏時・演舞時の知覚を優先とすることで、音楽・ダンスなどにおける創造の源流でもあり、作品制作時のインスピレーションとも深く関係しています。

 さて、「即興」という言葉の語感にはちょっと「軽快=軽率」「直感=安易」などのニュアンスが含まれているような気が私はしています。形式や理論を重んじる、方程式や法則から生まれるものこそが真価であり、軽快さや直感で生まれるモノは品質的に低いと。どこか「その場しのぎ」「小手先の」というニュアンスが通念にはあります。しかし、デザインの仕事やアートの制作現場では、即興から生まれる優れた成果が多い。むしろ、即興で生まれたモノは鮮度が高く表現的に研ぎ澄まされているケースが非常に多いと捉えています。何故か?それは、つくり手として理論や理屈でつくることが成果に足してあまり効果的に作用していないことが多いと考えているからです。

 若い頃、デザインの仕事現場で知識もテクニックも足りない状況では、自分の中に蓄積し予習した知識だけが唯一の頼りでした。当然、経験がないということは失敗も壁にもぶつかっていないピュアな状態です。テクニックも知識として頭の中にはありますが、実戦経験とはシンクロしていませんから、言葉にリアリティーがありません。知識だけ理論だけでどれだけ言葉を巧みに操っても人の心は動かないことを知らなかったのです。そんな実戦経験から学んだことが、「即興」の重要性でした。仕事には必ず、相手(クライアントさん)が存在します。ただ相手の意向に合わせるという安易な対応ではなく、相手がいい仕事をしてもらうために放った言葉やイメージをどこまで受け取れるかがまず仕事のスタートラインです。どれだけ経験がありテクニックがあり知識が豊富だとしても、まず、相手の考えを受け取る力がなければ、仕事は成立しません。受け取る情報も明確な言葉が理路整然と整っているとは限りません。むしろ、そうでないケースの方が圧倒的の多いのです。まして、クライアントさんはつくるプロではありません。意図や狙いはあっても伝えることが得手なわけではありません。伝える表現力が高ければ、つくり手としても能力がることになりますから、私は必要ありません。そのような場面では、「聞くテクニック」や「感じるテクニック」が必要なのです。

 そして、「即興テクニック」が有効です。仕事の実戦現場でのヒアリングとはレコーダーで録音するのような無味乾燥な捉え方では何も引き出せません。そんな聞き方なら簡潔にまとめた企画書を預かってくるだけ事は済みます。つくり手として仕事の主旨を聞くということは、「引き出す」ということなのです。自分の理論や理屈をただ当てはめて正解と不正解で判別するのなら、小学生でもクリエイターになれます。言わば、小学生レベル、もしくは、それ以下のヒアリングテクニックでは実戦現場では通用しないということ。「雑談テクニック」「即興テクニック」はとても重要なコミュニケーション能力なのです。当然、リズム・テンポ・ユーモアなどのアドリブも効果的です。

グラフィックデザイン。

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 どうも本文をおざなりにし、煌びやかな世界に気持ちを奪われる傾向があります。イラストレーター・グラフィックデザインから自身のデザインの仕事はスタートしたのだから、今更、煌びやかで流行を追いかけても仕方ない。触手を伸ばすタイミングはこれからもあるだろうし、やはり、基本的に私自身はグラフィックデザイナーなのだから、DTPや2次元のデザイン制作についてしっかり向き合わなければならないと、最近、感じています。言葉やイメージからグラフィックデザインを生み出すテクニックって、普段から普通にオートマチックにやっていますが、改めて俯瞰で捉えると、緻密な感覚と思考術も含めた理屈・理論で取り組んでいるようです。打ち合わせの際、「この作業をこの短時間でやっちゃうんですか!」「そこまでロゴマークひとつで深く思考して着想しているんですか!」などと、ヨイショさると、そりゃ51歳だって木に登ります。

お仕事ランキング50。

 世の中にはいろいろな仕事ある。「機械に奪われる仕事ランキング50」って、現代はどういう状況なのか?機械はツールで人間の暮らしを豊かにするための存在が、仕事を奪うって、そんなデータをこのように収集してまとめる仕事も仕事だし、人間の思考・心理はいったい何層あるのでしょう?玉ねぎのように剥いて剥いて剥いて何もないのか?磨けば輝く宝石なのか?世の中にはいろいろな仕事ある。
 「グラフィックデザイナー・クリエイター」という仕事がこのランキングに入っていなかったことに、ホッと、胸をなでおろしている場合ではないにしても、機械に奪われたらどれだけ懇願しても返してくれそうにもないのが一番恐ろしい。人間相手なら「なんとかそれだけは勘弁してくださいよ!」とお願いすれば、「そうやな、お前さんも頑張ってやってきた仕事なんだから、今回は奪わないでおこう。その代わり一生懸命、天職を全うしてくださいよ」的な展開も期待できる。しかし、機械はスイッチを切るように、仕事を奪うんだろうな。まぁ、そうなったらなった時、別の仕事をすればいい。機械には想像できないような、機械の手が届かないような仕事をすればいいだけ。だって、変化することは人間の一番得意技なんだから。

 さぁ、次のブログで4,000本目。何を書こうかな?


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デザインの基本。

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 私は美術学部だったのでデザインの基礎的な知識は学校では習っていない。大学4年間の実習で学んだことは絵を描くための素養や気質の部分とテクニックに展開するためのテンプレートだけです。デザインの基本についてはデザイン会社の現場で1から習得しました。

 例えばこの図のような考え方もすべて現場で習得しました。デザインの仕事現場で基礎的な知識がないことは、不安でしたし、すでに経験値のある皆様とのコミュニケーションもぎこちない手探り状態でした。しかし、基礎知識がないことは探究心や研究意欲に繋がりましたし、今、思えば右も左も分からない状態で仕事現場に飛び込んだことで吸収率も高く、応用として即戦力に繋がったのだと、勝手に捉えています。

 デザインの基本とは、学生の頃にしっかり習得すべき知識と経験ではありますが、基本的な知識とは言え、ここまで知っていれば習得していれば十分というリミットが実はなく、応用力はもとより、基礎知識でさえ、仕事現場では案件毎に変化・変動するので、逆に基本的な知識が0だった状態から、いきなり現場に入ったことで、何事も案件毎に「1から学ぶ姿勢」が「あたりまえ」と捉える姿勢になったのでとても現場向きの体質になれたのかなと捉えています。

 何事も「点から線へ」「線から面へ」「2Dから3Dへ」へというルートは基礎知識ですが、最初の「点」をどこに打つのか分からないと成果に繋がらない。これが現場で起こる障害の原点です。「点」など、インターネットで検索すれば無限にあるだろう的な捉え方をしている以上、無重力空間で手足バタバタ状態に陥るタイプの典型的なパターンです。ソフトでドットやピクセルを自由に制御するためにも、最初の1点は自分の手で打ち込みたいものです。

起業家型ビジネス支援。

 「「職人型ビジネス」から「起業家型ビジネス」への発展を支援する。」切り口のコンサルタントからダイレクトメールが届いた。無作為に送ったのか、どこかで私の情報とメアドを入手したのか、ルートは見当つかないし、よくあることなのでその部分は受け入れるとして。

 このコンサルティングのポイントは「経営者が動き続けなけれればならない「職人型ビジネス」からの脱出方法とは?」からの「社長が3ヶ月不在でも成長する会社のつくり方」という切り口。ああ、こういうことか!なるほどなるほどという第一印象でした。つまり、具体例や実例はこの段階では隠す手法であり、曖昧な言葉をあえてジャブを打ち、海外の白髪の老人を登場させ、創始者らしき写真を掲載して、リアリティーはそちらで判断してくださいという情報タイプなのです。当然、現代、景気は悪いから「社長が3ヶ月不在でも成長する」というフレーズは甘味ですし、仕事にプライドやスタイルを持っている人はどうしても自己分析上、自分自身を「起業家タイプ」とは捉えず、「職人型」だと捉える傾向が強い。そのストライクゾーンを設定した上で、「3ヶ月不在」という売り言葉で決断を促している。

 また、職人経営者では事業が大きく発展しない3大理由と題して、「職人としてのプロ意識」を最重要だと考えてはいけない。「売上」を商品を販売した合計金額だと勘違いしている。会社を発展させるために優秀な人材を探すことに四苦八苦している。と限定している。つまり、通念・セオリーを覆すことで、職人型から起業家型に変化しなさいという警笛なのです。まぁ、すべて情報として受け入れたとして、「ここまで言うなら一回相談してみようかタイプ」がこの企画のメインターゲットでしょう。想定・推測ですが、このメルマガの送信先の0.3%ぐらいが現実、反応するのかな?

 ここ数年、起業ブームで非営利から有限・株式と凄まじい起業が起こっていて、その80%の企業が1年以内に倒産・機能停止しているらしい。この数値は海外でも同様でアメリカでも1年以内に機能停止する企業が80%以上で、自滅ではなく、起業プランがビジネスの潮流に乗らず投資家が手を引くというパターンらしい。自社の中核競走能力が明確に打ち出せず、大きな世の中の流れである「エコ」「新エネルギー」「介護」「投資」「バイオ」などのフレーズをトレスするだけの起案が圧倒的に多いらしい。日本でも「まちづくり系」「アート系」「エンタメ系」の切り口が氾濫しているが、これらはさらに表層にある、超薄口の切り口です。

 根本的に「起業したいのか?」「仕事をしたいのか?」さえ、曖昧なタイプは「私は職人タイプだから」「これからは起業家タイプで!」と自分の属性ばかりを気にし過ぎ、前後関係の調整に本質を見失っているだけです。このタイプのメルマガに反応する人がいるかもしれないという推測が成立すると捉える、意識してしまう本質こそが、実は最大の敗因のような気がします。

 って、偉そうなことを言いたいのではなく、自分自身は自身の覚悟のレベルを確かめることで、情報を取捨選択し本質的に手が届くゾーンの中でしっかりひとつひとつ成果を上げていきたいと思っていいるスタンスなので、仮にそれが職人型でも起業家型でもどっちでもいいことです。属性に依存するタイプは常に負け戦を想定しているため、自己責任を黙認(無視)し組織に責任を転化することを当然としているのだそうです。「チームワーク」「和の精神」「団体行動」「協調性」がほぼ欠落している私はギリギリ社会人のひとりとしての属性を感じ(捉え)つつも、常に自分の思考・言動・行動に責任を持ちたいと思っています。それが苦難(当然)であっても、茨のルートであっても、このルートしかなかったのだからこのまま進むしかないという覚悟です。少しバイアス気味の考えですし、ヒューリスティックな思考かもしれませんが、とにかく、あまり美味しい言葉には警戒心を、甘美なイメージは一旦全否定してからニュートラルに捉える、ぐらいがちょうど良い加減なのだと思いました。

 最近、野良猫の子どもが玄関をうろうろしている。我が家の番犬も威厳を失ったものです。で、子猫が5匹いるのですが、餌を小さいケースにいれて玄関のあたりの置いておくと、かならず、ちょっとやんちゃな1匹が食べに来ます。あとは警戒してそれをただ見ているだけ。恐らく空腹だろうに。勇気を出して餌を食べに来た最初の子猫は偉い!親猫でさえ、それをただ眺めている状態。3m以内に犬がいるのに、1m以内に人間(私)がいるのに、その一匹だけが餌を食べに来ます。「お前さん、勇気があるね。」ってかんじです。恐らく彼は「職人型」でも「起業家型」でもないはずです。

素敵なアイテム。

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 これがこう見えて鉛筆なのです。意外となかっただけに即バイト!


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 これは、世界のインク・オブ・イヤーになったインク。アメジズトという宝石をコンセプトにその成分も含まれているらしい。深い赤味のあるエンジ系とパープル系の中間の色で、なかなかこの色味はイラスト用のカラーインク(染料)にはなかった色調です。イラスト用ではなく文筆用です。


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 そして、こちらが500ページの特厚ノート。用紙はかの「パピルス」。なんか文庫本チックで素敵です。


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 そして、気まぐれ衝動買いが特に多いライト。とにかく、理由もなくライトとナイフは直感的に買ってしまいます。どうしても。いや、どうしてもってことではないのですが。

 なかなかの逸品揃いです。我ながら。

新しい机

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 ホテルの支配人のご好意で白いデスクを譲っていただいた。お部屋をモデルチェンジしたため必要なくなった机です。保管場所に困っているため、という理由で処分するぐらいなら使っていただければという経緯です。ホテルのお部屋用の机なのでビジネス用ではないのですが、とてもしっかりした作りです。広さも十分ですし、余計な引き出しがついていないのでシンプルなデザインの机です。

 白い机、そして、いつも仕事で使っているアイテムです。気がつけば「白色」が多いことに気がつきました。あまり意識はしていなかったのですが、最近、ここ1年ほど、購入するツールやアイテムは「ホワイト系」が多い傾向です。元々、白という色は一番好きな色なので、年齢を重ねる毎に本質的な趣味趣向に立ち返っていくようです。白色が精神安定上、フェイバリットな色のようです。

 机も広くなったので、思考枠もしっかり余裕をつくりながら仕事を頑張ろう、という感じです。

修正・訂正・微調整。

 デザインの仕事は一見、華やかでクールな印象を持たれやすい。実際、自身も東京でデザインの仕事を始めた頃は、自分のスタイルをクライアントに披露して理解させ、スイスイっと仕事を成立させるという理想像だけを描いていました。しかし、精通すればするほど、アイディアや着想はごくごく初期の段階のプロセスであり、独創的な表現や固執した技術だけでは成果につながらないことに気づきます。当然、無知で知識が足りていない状態ですからこそ、そう捉えてしまうしかないわけで、その裸の王様的な状態がクリエイターだと思い込んでいたのです。今、考えると冷たい汗が流れます。しかし、世の中には有名・著名なクリエイターがいて、その皆様は実際、自分のスタイルのみで成果を生み出すことを期待されている人たちです。しかし、一般的なデザインの仕事はこのような一方通行では決して成立しません。しっかり、クライアントさんの企画書や指示書を頭に入れて、デザインの方向性や表現手法なども習得しておかねばなりません。なんせ、それが欠落していれば仕事が成立しないのですから。いい仕事はこのような知識やテクニックを習得するとてもいい機会です。それは、20代の頃も、51歳になった今でも全く同じ捉え方をしています。

 着想・設計・制作からの、「修正・訂正・微調整」、このチューニングのテクニックこそが実はデザインの仕事の真骨頂なのだと捉えています。

 しかし、ただのチューニング専門職ではデザインの仕事は成立しません。修正・訂正・微調整作業など誰でもできるからです。このプロセスでも「より良く」「よりらしく」という捉え方をする必要があるのです。そのための経験値であり予備知識であり専門的なテクニックなのです。自分の理解力の低下、知識の浅さ、モチベーションの鈍化などなど、マイナス要素はあげればキリがなく、苦しいことも多い仕事ですが、それでもどこか「楽しい」のが、デザインの仕事の一番の魅力だと思います。私は。

 とにかく、うまくことが運んでいる状態、気持ちが高揚し調子に乗っている時こそ警戒しなければなりません。諸手を上げて浮かれていると、ひっそりこっそりと「暗雲」が西の空からやってくるからです。

イメージナビさん

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 いつもデザインの仕事用にイメージ写真を購入しているイメージナビさんの写真データです。こちらは、「働く女性」イメージというカテゴリーのレンタル写真商品の参照用のデータですが、工具とデジタル機器と女性という組み合わせがどんなイメージに繋がるのか?この写真を見た人がどんな心情になるのか?させるのか?ということがデザインの仕事ではとても重要になってきます。仕事に活用するためにも自身がこのイメージをどう捉え、どう解釈しているかによって、このイメージ写真商品を生かすことも殺すこともできる。イメージとは曖昧ですが、強い印象を残します。デザインの仕事にとても大切なソースなのです。

仕事も釣りも。

 不謹慎なお話ですが、仕事とバス釣りはとても似ています。一生懸命、誠心誠意準備して取り組んでも、成果がぱっとしないのに、緊張感がふっと抜けた瞬間にグイっと反応があったりします。虎視眈々、悶々と戦略・戦術を仕込んで、反応をを期待して渇望しても獲物は、射程圏内をすり抜けていくのに、自然体になった瞬間に向こうから回遊してきます。もう、あがくのをやめて、待ちの態勢に切り替えても反応はない。焦れば焦るほど縺れるライン、迷う心。肩の力が抜けた瞬間、想定外のエリアからストーンと獲物がやってくる。なんとかしたいと思えば思うほど、ベクトルはエネルギーはどこかに抜けて行きます。仕事もバス釣りもまったくもって、難しい難しい。

インフォグラフィック。

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 最近、お仕事で「インフォグラフィック」に携わらせていただいているのですが、なかなか奥が深いデザインの仕事です。ちょっと、パンフレットの説明用にとか、WEBページの補足説明ようのグラフィックなどはよくやりますし、単純にグラフの3D化なども制作することが多いのですが、本格的に最新の鮮度の高い情報をインフォグラフィック化するというのは、ポイントが多く、しかも、デザインのクオリティーは落とせないという意味で奥が深い仕事です。

 どうやら、デジタルデバイスで閲覧する時などは小さい限られた画面の中で、数値化された情報とイメージをデザインで融合させて表現する。そして、訴求力や印象度を高めるという狙いがインフォグラフィックスの真骨頂なのですが、この数値化された情報を左脳が担当し、イメージの部分を右脳が担当してなどと杓子定規に考えている時間もなく、自身の直感とイラレのテクニックに任せ、まず、ラフスケッチをスケッチ帳に描き、アイディアを出し設計してから、直接イラレの作業開始。というプロセスで取り組んでいます。数値化されたデータを適正に効果的にグラフィック化する仕事と、言葉にすればただこれだけの短さですが、実際、データをどのように見せて表現するかを理解して、さらにその設計にデザイン的なアイディアや工夫をする。ほぼこの思考と作業を同時にイラレでやっているので、思考やアイディアはなんとかなるものの、そのイメージをダイレクトにイラレで再現するテクニックとなると、これが、なかなか奥が深いのです。逆にイラレのエキスパートだったらこの作業が効率がいいかといえばそうでもなく、やはり、理解力と着想力が必須になります。

 なんの根拠も確固たるデータもありませんが、私のイラレの作業速度は国内でもトップクラスだろうと勝手に思っているので、早いマシンと鮮度の高いアイディアを生み出す着想力があれば鬼に金棒だなぁ~と勝手にひとりでほくそ笑んでいます。まぁ、そんなたわいもない自己評価はさて置き、現代の情報化時代におけるインフォグラフィックスのニーズはどんどん高まっていくのでしょうから、どんどん、このテクニックを研磨して高めていきたいと思って取り組んでいます。

 イラレのテクニックについて余談ですが、イラレは26年前に英語版で習得した経験があり、現在使っているCCまですべてのバージョンを仕事で使ってきました。さらに、文字入力はブラインドタッチで通常の文字入力検定規定数の2倍以上の文字を入力します。さらに、最近はWINが中心なのでショートカットの際に左手の小指が起点になるので、手のサイズの関係上、中央から右寄りのキーボードはさすがに右手を使っています。しかし、元々左利きなので、基本、右手でマウス、左手でキーボードとなり、この両手の作業上の頻度の割合が2:8ぐらいで作業をしています。つまり、作業中、ポインターでオブジェクトを選択する、大まかにオブジェクトを移動する、各ツールを選択する以外はすべてキーボードのショートカットでつくるからです。恐らく、推測ですがこれがソフトウエアでデザインの仕事をする最速で適正なオペレイト手法だと勝手に思っています。

 昔、大阪でクライアントの仕事場で簡単な仕事をした時のお話ですが、デザイナーが30名ぐらいいる制作会社様ですが、社内で最速で作業できるチーフの方が私(当時28歳)の作業スピードを傍らで見ながらひとこと「画面しか見ないのですね。」と言っておられました。代理店の制作会議でも、会議の進行や複数のディレクターの指示を同時に画面でオペレイトしながらオブジェクトを仕上げていたので、このテクニックが習得できたのだと思います。ライブペイントとかイベントでよくやっていますが、もし、「ライブオペレイト」をイベント企画でお考えの方はご一報ください。ライブオペレイト演者のインストラクターをさせていただきます。

カスペルスキー恐るべし。

 あるエキスパートの方からオススメのセキュリティーソフトを教えていただいた。まずは試しに1ヶ月限定の無料ダウンロードを試してから正規版を購入したらというアドバイスでした。長年、パソコンのセキュリティーはノートン一辺倒だったが今回プリンターのドライバーを自動更新でブロックさせてしまうという致命的なトラブルを発生させたので、別のセキュリティーソフトを検討する流れでした。

 無料のラインセンスが切れる1週間前、「そろそろライセンスが切れますよ。今なら割引キャンペーンをしているので、こちらへ。」的な画面が毎日定期的に表示されたが、普通ならこれらの表示はめんどくさくなり非表示に変えてしまうところ、カスペルスキーからのこの定期的な表示はとても紳士的な印象を受けた。そのまま画面にそって「プレミアム版」を購入した。現在、インターネットにつながっている機器はタブレットをいれると8台フル稼働しているので、台数が限定されるのはあとで管理が大変になるからです。ライセンスを購入して、無事、無料版を正規版に上書き完了したのですが、まずは、無料版でインストールする本体の全データ、約3,600,000個をフルスキャンする。すると、なんと、7個のウイルスの影響を受けたデータが検出され、それを無料版で削除。そして、正規版をインストールしてアクティベーションコードを入力しサーバ確認を完了し、すべての設置作業が完了した。当然、再起動して私のメインマシンはほぼ完璧にセキュアな状態になりました。

 すると、なんと、カスペルスキー恐るべし、システムの起動から、アプリ・ソフト関連の体感速度が倍以上になっている。どうも、画面の転換が早い、文字表示、グラフィック表示の残像が残るような感覚があったのでよくよく一連の動作確認をすれば、確実に2~3倍にすべての速度がアップしています。いかに、ノーマルの無防備な状態ではインターネットから余計な情報や自動アクセスをして、システムが過食気味になって肥満化しているかという証です。当然、アプリは劣化し強制終了や破損の可能性が高くなる。私のメインマシンはそこそこ強力なエンジンを16発積んでいるので、そのレスポンスがこれで最大限発揮できる状態になったということでしょう。素晴らしい!

インスピレーション。

「突然ひらめく考えをインスピレーションといいます。似ている言葉で、「直感」や「第六感」がありますが、少し意味合いが違います。「第六感」は、人が元々持っている感性のことで、シックスセンスと呼ばれています。これは、「直感からのひらめき・瞬間的に浮かぶ思いつき」という意味になります。元々「吹き込まれたもの」という意味の言葉です。その意味から、「霊感」や「閃き(ひらめき)」という意味にもなります。創作活動をする人が、突然名案を思いついた場合などによく使われます。「インスピレーションが沸いた!」などのケースです。霊感は霊や神様・仏様などを感じたり反応したりすることですから、心にふと感じる、その不思議な感覚のことをさします。」

 この文章は「インスピレーション」という言葉を検索して1番にヒットした説明ページの文章です(少し整理しています)。語源では「吹き込まれたもの」という表現をしていますから、突然ひらめくが、突然何もない状態から新しい考えが生まれることではないようです。どちらかといえば「突然、思い出す。」というニュアンスになってしまうようです。ならば、「インスピレーション」はただの「記憶」「知識」なのか?ということでもありません。すでに頭の中にあった記憶を突然、思い出すことがインスピレーションだとすると、創作活動をしている人が生み出す秀逸な名案もただの記憶や知識の欠片だったということになります。また、神様や仏様でインスピレーションを説明するのはかなり断片的で偏重がありますし、「心にふと感じる。」という表現も曖昧です。最後に「不思議な感覚のこと」としているため、結局、インスピレーションは「不思議なこと」という、言葉でありながら、結局、「不思議」で処理されてしまっている不思議です。

 このように言葉はある一定の周期で意味や理論が回遊しているので、歴史や文化や慣習などの状況や条件やルールの中にある回遊ルートを見極めなければ、本来の言葉やその組み立ててた成果物である文章や理論は崩れる、というか、そもそもしっかりと構築できていなかったということになります。

 例えば「ペンは強し!」というニュアンスは文字にしてアウトプットすればそれが仮に偽りであっても、現実として存在するという意志になり、ただの頭の中に在る思考と比較して影響力が非常に大きいということを伝えようとしているフレーズです。しかし、この表現(フレーズ)でさえ、「強さ」という部分を少し掘り下げていけば、かなり曖昧なニュアンスです。それを、どのように解釈して捉え、認識するかによって言葉は千変万化に変容します。ゆえに、「インスピレーション」という言葉が効果的で便利で重宝するのかもしれません。

新しいプリンター

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 5年前に購入設置したプリンターの保証期間が終わるため、新しいカラーレーザープリンターをリサーチしています。いろいろメーカーも検討したのですが、やはり、「OKI」さんかなと思っています。そこで、具体的な機種はどれか?となると、このあたりかなと絞り込んでいます。結果、5年前は本体に80ほどかけ、保守料金も30ほど支払っているのが、このプリンターならば、保守料金込みで30を切ります。たった5年でそこまで下がるのかという驚きです。まぁ、使う立場からは嬉しい状況なので、しっかり仕様やランニングコストも検討して導入したいと思っています。

 5年前と同じ費用ならば、あと、最新のMAC本体とNIKONのハイスペック一眼が購入できるということになります。アクトはつくるツールを充実させるべきなので、周辺機器が安価で多機能になることはとても嬉しい状況です。ツール選びは毎日仕事で使うモノだからとても重要です。

 デジタルデータでデザインの仕事の確認作業が円滑にできるようになったのですから、プリンターなどのハード機器関連はできるだけコストを下げたいです。

便利なマグネットクリップ。

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 いつもどうでもいいメルマガが多い中、たまにこのようなストライク商品情報が入ってきます。オンラインショップを成功させる、うまく軌道にのせる人の条件の中に、「オンラインで衝動買いができる人」というお話を何かの書籍で読んだ。理屈ではなく、情報を判断して「買う」という実感を得ている人はオンラインショップを公開しても買う人の気持ちを実感として理解しているので、いろいろな面で有効に作用するという道理なのだろう。確かに商品情報のどの部分をどう判断して価格と比較しているかを実感できていないと、売る立場になったときに買う人の気持ちは分からない。

コードレス・クリーナー

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 最近、夏に近づいているのか仕事場に小さな虫が入ってきます。毎年のことなのですが、朝、仕事場に来ると机の上にいっぱい虫の死骸が落ちているのです。つまり「バグ」というやつで、この処理をおそろかにしていると、キーボードとかPCのファンが吸い込んで予期せぬトラブルの原因になります。当然、プリンターについても、特に手指しなどで用紙を補給している場合、このバグが用紙といっしょに巻き込まれて、バグ付きのプリントアウトになる。さらに、プリンター内部の重要なローラーや冷却ヘッダーにこいつが痕跡を残すと細かい傷になり、高価なヘッドが交換となる。だから、こまめにバグを処理しなければなりません。ということで昨日アマゾンで購入。本日の昼に到着したコードレス・クリーナーです。コインも吸い込む強力タイプなのでこれでバグ対策は万全。

上海から。

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 月曜日(25日)、上海から到着したルアーフィッシング専門誌のバックナンバーです。昨年の9月から毎月記事を制作して出稿していたのが一気に到着しました。

 このボロボロの梱包を見る限り、かなりタフな旅をしてこられたようですね。

日本の家。

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 いいなぁ~いいなぁ~、こんな家。やっぱ、いいですね。

→この家を建てられた会社様はこちらです。

長浜市広報広告

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 ひさびさにアクトの広告を出しました。今までほとんど広告は出してこなかったのですが、長浜市庁舎が新しくなったことで新しく企画・発行された「長浜市暮らしの便利帳」の広告デザインです。

鉛筆力

 デザインの仕事をしている関係でいろいろな筆記道具を使います。その中で鉛筆はイラストを描く時の下絵やデザインラフを描く時などの、比較的気軽にライトに何かを描きたい時に活用しています。その利点は、「軽さ」と「タッチ」です。消しゴムで消せるという利点も勿論ありますが、鉛筆のツールとしての利点は鉛筆本体が木製なので軽い上、手の感触としてプラスチックやアルミなどのように硬い感触ではなく、木の感触が手にマッチするという利点です。その感触は実際に用紙に何かを描く時のタッチにも作用してきます。筆圧を上げれば濃くなり、下げれば繊細な線が描けます。ナイフで鋭く研げば細かい描写に適し、丸くなればラフで力強い大胆な描写に適しています。私は描写用の鉛筆を4Hから6Bまでの12種類を持っているのですが、それぞれに細く削ったり、荒々しく描くことで、ほぼ無限の表現力があります。

 芸大の頃、デザインの基本技術を学ぶとレニーングで、白から黒までの10段階を1本の鉛筆で描き分けるという課題がありましたが、正にそういうことで、実は鉛筆1本あれば、かなりの表現力を手に入れることができるのです。テクニック次第ではりますが、この鉛筆の表現力に勝る描画ツールはありません。

 そこでこの特徴を整理して「鉛筆力」というテクニックをしっかりとまとめてみようと思っています。恐らく、これまで人生で鉛筆を使ったことのない人はいないだろうし、一番、親近感があり、製図専用のシャープペンシルやイラスト用のカラーマーカーなどと比較しても安価です。そんな安価なツールなのに、テクニック次第で高いレベルの表現力があり、仕事や趣味や日常生活のいろいろな場面で豊かな成果を上げられれば、とても有意義で有効だと思います。しかし、それでも鉛筆はただのツールなので、使う人の想像力やテクニックが当然成果物に作用しますから、そこも同時にテクニックとして引き上げるということが大切です。

 何歳になっても、仕事で毎日デジタルツールを使う立場でも、デジタルツールで描いた絵は好きになれません。好きになれないというか、あれは正確には「絵らしきもの」であって、一旦、タブレットやタッチ画面で擬似演算されているカラフルなデジタルデータに過ぎません。優れた五感を持つ人間が好感を抱くはずがないのです。おまじないのように「本物みたいな絵だ」と黙視的に思い込みたい人は、心地よく騙され続けていればいいが、本質な微細な絵とはほど遠いピクセルの集合だということ、人間の頭は知っています。まぁ、便利の「おまじない」みたいなモノですね。「ナムアミダブツ」と唱えて、天国と地獄を人間は生み出せるのだから、それが幸福の方程式なのでしょう。デジタルツールも同じ。

セキュリティーソフト

 「まぁ、これを入れておけば間違いないだろう。長年使っているから、詳しい機能について深く知らなくてもいいだろう。」と、セキュリティーソフトは「これで安心」だと、今日の午後3時頃までは思い込んでいました。しかし、本日、正確には昨日の昼過ぎぐらいからレーザープリンターのドライバーの不具合(故障?)が原因でドライバーエラー表示になっていたのです。結果、本日クライアント様に提出するためのA3カラー出力を、ただ、2枚出力しようとしたら「エラー」の症状が出て、メーカーのテクニカルサポートの方に2時間ほど電話でサポート頂いたが、どうやら、プリンターにもドライバーにも問題は特定できず、ケーブルの異常?PCの異常?という結論になった。この段階でメーカーさんのテクニカルサポートの担当者は完全にお手上げ。「物理的にPCの問題ですかね?」と尋ねると、力なく「そうかもしれないですね。」というレス。あらゆるケースのサポートテクニックがあるはずのメーカーさんがお手上げの事態にイライラがマックス。結果、いつもPCの救急先である師匠に電話連絡すると、一回、チェックしてみますから持ってきてくださいとのこと。いつも最高の診断をしてくださる絶大な信頼を置いている方に診察してもらうために病人(急患)を車に積み込みます。この段階で、何がどう故障なのかも原因もまったく分からない状態です。もし入院となれば仕事に穴があく、ぐらいの状況でしたから、私には原因がまったく分からず特定できなかったので、不安いっぱいで救急病院に到着。

 結果、物理的な診断をサクッとした後、昨日からの経緯を師匠にお話すると、「もしかして・・・」と、ネットで思いつく原因をリサーチされました。「恐らくこれが原因でしょうね。」と1枚のプリントアウトを持って来られました。これが黄金の処方箋ということで、まず、原因だと推測される悪腫瘍をPCから削除してプリントアウトを確認して、それでダメならこの処方箋という手順でした。

 そのまま会社にPCを持って帰り、悪腫瘍をPCから完全摘出して、軽いデータをプリントアウト!なんと、普通にプリントできた!なんだ!なんだったんだ!午前9時から午後までのイライラの時間は!っても、その時間はもう戻らない。とほほ・・・。

 でも、問診だけで悪腫瘍を推測・特定する師匠の素晴らしさ!!!

 皆様も仕事用PCのセキュリティーソフトはぜひ「カスペルスキー」にしましょう!長年使っているからという安心がアダになることもあるのです。結果、前のセキュリティーソフト(悪腫瘍)が昨日、勝手に最新機能をダウンロード更新して、その影響でプリンタードライバーがブロックされ、プリントアウトが出来なかったというオチでした。こんな時代だからウイルスをブロックしてくれるのはいいことだが、肝心な仕事のデータのプリントアウトまでブロックするようなソフトは意味がない。もう、私のメインマシンからはキレイさっぱりアンインストールしました。そして、今は師匠オススメのセキュリティーソフト「カスペルスキー」がインストールされています。これでひと安心です。

 私はもう二度とセキュリティーソフト「ノートン」は買いません。これ今日の教訓です。

著作権の問題

 「クリエイターが創作活動するうえで、知らないと損する著作権をはじめとする法律や知識、ノウハウが盛りだくさん!「何が良くてダメなのか」「どうやって自分の身を守ればいいのか」「権利や法律って難しい」「著作権ってよくわからない」「そもそも著作権って何?」といった疑問に会話形式の堅苦しくない読み物でお答えします!」という切り口で出版されている書籍は多いし、メルマガでも「クリエイターの著作権」についての情報はよく届く。その都度、クリエイターとしてしっかり著作権について精通しなければいけないと思い、専門書やネットに記載されている専門的な方の記述を読むと、実例を引用したり然るべき法律を軸に白黒明確に結論を導いておられる。

 しかし、専門書に書かれている実例や専門家が明確に判断されたケースというのは、自分自身の捉え方ではちょっと別次元だったり、別世界のお話のように捉えてしまいがちです。「確かにそのケースならそういう結論が正しいだろう、でも・・・」とか、「そこまで明確に仕事が成立していてもそんなトラブルになるのだったら、自分自身が取り組んでいる案件はゆる過ぎる設定なのかな・・・」などと、メジャーなケースだから明確な判断ができるが、クリエイターと言ってもいろいろな状況があり様々な案件があるので、ひとつひとつを「著作権の法律(ルール)」で縛ってしまうと、本来のクリエティブの柔軟で自由な魅力が低下してしまうように感じてしまう。この捉え方は法律や厳格な契約に対して私自身の意識が低いことに起因しているからなのですが、なかなか、クリエイティブワークの本質は正しい、正しくないを明確に線引きすることができない、時には正しいことの中の正しくないことに魅力を感じてもらったり、正しくないことの中に正しいことを組み込み魅力を表現したり、もっとも優先すべきことは、いかに市場や消費者に適正な情報を成果物として伝えるか、こそが真価だと捉えているので、ある断片、ある一部の捉え方を本質だと定義して正誤を判断し、結論を導出するのは気持ちは一時的に晴れるし、明確な答えがでることは爽快な気分になるが、そもそも、創り手の気分を晴らすために、爽快な気分になるために何かを生み出しているわけじゃない。などと考えてしまう。

 創造とはある意味、「継続する苦悩」でもある。別段、苦悩だけが好きなわけではないが、なんでもかんでも座標軸に当てはめて、明確明白にすることだけに心を奪われてしまうと、クリエティブに大切な部分を殺してしまう危険性も高くなるような気がします。確かに正解を出せた時の達成感や充足感は一時的に心地のいいものですが、それは反面、断片的で偏狭で狭窄的な視点なのかもしれない。

 そもそも「著作権」と言えば、「問題ありき」というふうに反応してしまうのは、どこかピントがずれているように思える。これも無知ゆえのねじれなのでしょうけれど。ただ、私はクリエティブってのはちょとぐらい捻れていて無駄があって不完全で多面性のある方が魅力的だと思うタイプなのです。それが「人間的だ」「体温がある」なとど擁護しているのではなく、そもそも、人間が何かを正しく、人間の規定で整えようとすることでいい結果にならないことは歴史を振り返れば明白である。そうならないためにと、法律を何重に重ねていくが、歴史は明白である。捻じれを許容する能力も人間にはあるはずだから、どうせならその方向性で逞しく強い鋼のようなクリエイターでありたいと思います。

韓国語とハングル文字。

 世の中の韓流ブームに1ミリも心の針が動かなった私なのですが、やはり、仕事となると話は別。早速、「韓国語の初歩の初歩」という書籍を購入して情報を頭の中に入力しています。元々、東京で韓国の何か販促ツールを制作した時に少し、海外旅行のパンフレットを作成した時に少し、韓国語とハングル文字についてはダイブしようかなと考えた時期もあったのですが、その頃は真剣度が低く身になりませんでした。しかし、今回、いろいろ上海関連の仕事やコンテンツを制作しながら中国語に触れ、優秀な中国の方とも接点ができたことで中国語については少しづつ身になっている実感があり外国語への体温が上がっていましたので、さらに韓国語とハングル文字への探求再出発とスムーズな流れを実感しています。もともと、デザイン的にハングル文字の形状や言語としての秀逸性、そして、その文字の美的な完成度については興味がありましから、遅かれ早かれだったのですが、かなり「遅かれ」になってしまいました。しかし、なんとも完成度の高い言語です。韓国語の知人も少しづつ増えてきたので、いい師匠が見つかって万全の体制づくりをしています。まぁ、韓国にブランド品を買い物に行ったり、韓流映画を観ることはないが、興味を持つということは何事も有効なスイッチ・教材になるので、「挽歌」ぐらいから始めてみようかなと思っています。

12連休!

 勿論、本日、私は仕事をしています。昨日もしたし、明日もする予定。世の中は12連休や14連休ってことでいろいろな購買が発生しやすい状況のようですが、そんなことはさらさら実感がない。逆に自分の社会人人生を振り返って「12~14連休」というものがあっただろうか?と考えてしまった。私がお世話になった社長様には無礼千万ですが、大きな会社ではなかったし、デザイン・広告の仕事だから、完全に通常の休みなど諦めていた。この「諦める」感じ、実は、学生の頃からの捉え方で根が深い。勉強中心の友人達は部活組とは一線を画し、休みは休む。しかし、部活していると休みは練習だから、心も身体も休むという感覚がこの学生の頃からない。大学に至っては平日は実習・講義、休みはアルバイトという組み合わせの4年間だったから、夜勤のアルバイトなど日常茶飯事だし、夜勤をして講義を受けて実習をして寝る、みたいなひとつのサイクルが36時間だったこともある。つまり、私と「休み」は完全に無縁なのである。そいうい人生サイクルなので、「12連休」という実感がまったくない。逆にそれは拷問である。12日連続休みなのである、仕事をしないのである。そんなそんな12日間は絶対に耐えられない。休みありきで「どこかに旅行でも」「どこかにドライブでも」という発想がないから、目的や狙いのない思考も行動もしない。それらの「旅行」や「ドライブ」は無駄遣いのような気がしてしまうのです。時間があるから何かしようという優先順位の感覚がまったくありません。

 だから、まだ人生で一回も経験していない「入院」という経験は、恐らく地獄の方が快適だろうと想像しています。「12日間連続入院です。」って言われたら死刑宣告に近いのです。

 12連休、悲喜交々です。

いい天気でした。

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 福井県、前坂キャンプ場さんにて。とても気持ちのいい一日でした。

MACノート

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 娘のお下がりを仕事で使っています。決して快速ではないが、確認用として、また、MAC-OSに特化した機能を使う程度にはちょうどいいマシン。ほんとに欲しいのは「ゴミバコ君」だから、これは私のマシンの中では7番バッターぐらいの存在です。意外な場面で適正打を打ってくれれば監督(私)は満足です。

ニコン一眼レフ

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 これいいな。現在、キャノンを使っていてなんの問題もないのですが、「なんの問題もない」だけなのです。これが意外と実際、使い始めると言葉で表現できない違和感が生まれ、「愛着」になりにくい。仕事で活用するツールだから、「なんの問題もない」で充分なのですが、さらに、何かが足りない感覚になってくるのです。やっぱ、カメラはニコンかなというなんの根拠もないのですが、使いたくなるという仕組み。これがブランド効果なのか先入観なのか固定観念なのかバイアスなのか、言葉にはできないゾーンなのです。一度、モノホン実物を量販店の売り場で手にしてみようと思っています。

南森町へ

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 昨日はお仕事で南森町と梅田へ。天気もよく気持ちのいい一日でした。

携帯ソーラーパネル

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 こんな商品があるんですね。ちょっと気になります。

A4モノクロレーザープリンター

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 最近購入したキャノンのモノクロレーザープリンター。カラー出力は他にもインクジェットやA3Wのレーザープリンターや複合機があるのですが、ちょっとしたWEBサイトの参考ページや受信メール、そして、添付データなどを確認用にプリントアウトするのには小型のレーザープリンターが有効です。大型のレーザープリンターやインクジェップリンタートは、やはりカラー出力が基本だから1枚あたりの単価が高い。これらに比べてこのモノクロレーザーの1枚あたりの単価は20%程度です。印刷速度も速いし黒色だけだから綺麗だし、なによりもこの本体価格が¥8,000前後なのですから、ありがたいありがたい。
 文字データもモニターではじっくり確認できないし、いや、モニターでじっくり確認すればいいだけの話なのですが、やはり、ここは一旦、プリントアウトしないと実感がないのです。この仕事上の実感が意外と大切・重要で、用紙にプリントアウトしていれば、期日を手書きしたり、メモをそのプリントアウトに直接書き込むことでしっかりした自分用の資料になる上、頭の中にしっかり記憶できるというメリットがある。モニターのチラミで仕事上の確認作業を済ますことは非常に危険です。
 やはり、デザインという仕事のプロセス上、安価にプリントアウトする環境は整えておくと非常に有効かつ便利です。このプリンターとてもいいです。

ACT-WEBをリニューアル

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 ようやく、新サーバに移転しドメインの移管が完了。そして、これを機にWEBサイトデザインを一新しました。まだ、本体リンクページ内は作成中ですが、この中にこれまで盛り込めなかった情報をいろいろいろと掲載・公開していきます。やりたかったことがたくさんあるので、やっと入れ物が完成した実感です。新しくデザインテクニックに関する記事や情報などもアクトの公式ブログもつくったので、このノギスブログと合わせていろいろ新しい情報を発信し紹介していこうと思っています。

新社会人。

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 新社会人の皆様が新しい職場での希望に胸をふくらませていることでしょう。不安と期待の混在した複雑な心境なのでしょう。これまで学校で得た知識や経験を糧に各自のポテンシャルが試されるのでしょう。頭で考えれば、気負わずニュートラルに冷静に沈着に謙虚に軽快にという言葉が数珠のように連なって心の中に呪文のように浮かんでいることでしょう。失敗を恐れず大胆に若者らしく大きな目標に向かってなどと、50歳のおやじが考えることなどさて置き、現代の若者達はときに冷静に、ときに情熱的にこの社会を分析・洞察しておられることでしょう。だから、おやじもこの季節には冬に蓄積したガスを抜くべく、何歳になってもリセットできる体制をkeepしたいと自身を無理苦理、発奮・高揚させています。固執するのも簡単ですし、経験だけに重点を置き後ろ体重になることも簡単です。しかし、春なんだから、気持ちも身体も発起し前体重にしようと思っています。
 学生の頃は何かと複雑な優劣のモノサシにさらされ数値的な比較に一喜一憂、喜怒哀楽が多かったことでしょうが、社会に出ればベテランも中堅も新社会人も同じステージ上でフラットです。最後はポテンシャル勝負の世界なのですから、その覚悟さえあれば渡る世間の鬼たちからいい評価が得られ、気がつけば自身がたくましい鬼になっていることに気がつくでしょう。いつもこの季節は新宿のドアーズのドアの前に初めて立った日のことが思い出されます。

北欧テイスト

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 北欧テイストのデザインには独特のテイストがあり、「お洒落さ」や「いい感じ系」の代名詞のように捉えられてる。実際イケアの店内を購入目的でなくともぶらぶら歩いているだけで、不思議と心地いい気持ちになります。もう理屈や道理ではない「心地よさ」が北欧テイストのデザインにはあるのです。では、純和風と北欧風の違いは具体的に何だろうと考えてみると、配色だったりフォルムだったり機能性だったり、また、その組み合わせ方にポイントがあるようです。しかし、この部分についても明確に文字にして違いを列挙することは難しく、やはり、テイストやフィーリングなど非言語の部分で「どこか違う」としか解釈することができません。ヨーロッパやアメリカのデザインの歴史はいろいろな分析や書籍を読んでも体系化されていることが多く、「ああ、そうなんだ。」とデザインとその言語的評価を比較して、自分自身の自己評価と比較してきました。頭で考える部分と心で感じる部分なのでしょうが、この捉え方をしている段階ですでに頭で考えているわけですから、同じように北欧テイストの心地良さを分析・洞察するモードではないとなります。ただ、北欧風デザインを生み出している人にしてみれば恐らく「北欧風デザインをつくるぞ!」とは意気込んでいるわけではなく、自然体で心が感じた絵柄やフォルムや色彩を個々のテクニックで生み出しているだけとなるでしょう。本質の部分というか、先天的な生まれ持った感性に後天的な気質が融合しその独特のテクニックを得て、そこから生まれてこそ、はじめてテイスト感やフィーリングが醸し出せるという仕組みなのでしょう。
 2次元の世界から3次元の世界へ創造のステージを変える時にもこの本質と気質を充分に実感できていなければ、世の中に飽和する情報や数多のテンプレートにその本質や気質が影響を受け、本来のテイストへたどり着けないまま、中途半端なチュートリアルレベルの完成度に失速していくのでしょう。その失速感に支配されないように、独自のスタイルと感性で最後まで自分の狙い通りの成果物を生み出せるまで疾走するために、推進力としてのテクニックは必須となるのだと思います。
 実際、北欧テイストのデザインを自分のデザインの仕事に転用しようとしても、本質で受け入れられていなければ取り込めるはずはありません。恐らく、海外の方が日本のデザインや生活様式に無類の興味を持たれるのはその本質に心が惹かれている証なのでしょう。インターネットで世界が小さくなりこれまでの情報技術では知ることが触れることができなかったテイストを視覚的に聴覚的に知る機会が増えましたが、本質を感じ取る、つまり、その成果物が醸し出す空気感や作者の狙いを伝えるにはまだ微弱な伝達経路だと思います。目視し手にとり鼻で嗅ぎ耳で聞くことでしか本質のスイッチはオンにならないような仕組みなのだと思います。

新MACノート到着。

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 確かにどのパソコンメーカーにもない空気感がMACにはある。現在の仕事のプラットフォームはWIN90%:MAC10%の割合になってしまったが、一見の容姿には秀逸なクリエイターを高揚させる何かがある。以前、その何かがデザイン性だと思っていた頃はWINの機能性を劣等と捉えていた。感性で勝負している人間が機能性に走るのはいかがなものか?と。しかし、MACの機能性が劣悪だったというわけではなく、結局、メディアから送り出させる戦略イメージと単純な価格比較でWINに移行したわけで、改めて新しい最新のMACノート本体を見ていると、その美しいデザイン性と質感に高揚してしまうのは、デザイン性や機能性の単純比較ではなく、それらを含めた存在感の違い、質量とでも言うのか、気配とでも言ったらいいのだろうか、とにかく、ツールとしてデザイン性や機能性のその先にある何か特異な刺激を感じる。しばらく冷却期間があり自分の中のMAC感が少し枯渇していたのかもしれない。
 言葉にならない、道理や理屈では解釈できない部分を刺激するMACはやはり秀逸なツールなのです。

常識を疑う。

 日経新聞の一面にこんな記事がありました。「働きかたNEXT常識を疑え 豊かさ・充実感・・・若者移る」というタイトルの記事でした。その概略は東京から飛行機と列車で6時間、人口が10年で2割減った過疎の町で古本のネット販売をする32歳のお話。東京から1時間半の浜松市で創業16年のソフト開発会社。この会社は海外の大手を顧客に事業を展開している。また、札幌から地元に戻り起業した39歳の男性は「自然に近い環境でライフスタイルを提案したかった。」という思いで洋服店を展開している。このオーナーの考え方やビジネススタイルを発信源に移り住み雑貨店やカフェを開店する動きが活発なったらしい。その展開が話題となり町の人口が増えた。東京から移住し2013年にホテルの運営をはじめた34歳の男性は「仕事は忙しいけど家族と過ごす時間を増やせた。」とのこと。

 東京の魅力を感じなくなった若者が仕事のやりがいと豊かな生活を求めて地方に移っているという主旨の記事だった。明治大学教授の小田氏はゆとり、充実感、人生に何を求めるかという発想を持つ人にすれば、地方は新たな仕事に踏み出す格好の舞台となるとこの記事をしめている。

 最近の若者が地方へ移住し独自のスタイルで仕事とやりがいのある豊かな生活を求めているという
ことを知り共感を感じました。地方への移住ということは定年退職した年配層が悠悠自適の生活を求めて移住するというニュアンスではなく、仕事も生活も田舎でリセットしようとするスタイルのようです。自分自身、同じような考えて21年前に滋賀県に移住したことも時代は変われども同じ目的でした。「仕事とやりがいのある生活」が何故東京では手に入れられなかったのかについては明確にその理由を思い出すことはできませんが、ただ、いつの時代も「常識」という考え方・捉え方があり、常識を疑って地方に移住したわけではなのですが、「東京」に対する期待を持ち移住したモノが、次の段階で「地方」に期待する思考に変化した何か理由があるわけですから、その部分がとても興味があります。

 振り返ると自分自身、いろいろな葛藤があり迷いや不安もありましたが、「東京」を離れた、「都会」を離れるにはデメリットもあったでしょう。しかし、メリットも自分自身で実感できていたから行動できたのだと思います。その行動に確固たる自信や戦略があったかと言えばそうでもなく、迷いや不安の方が大きかったはずです。この記事に紹介されている30代の皆様も同じ迷いや不安を抱えて移住し、現在、新境地を切り開いておられるのでしょう。つまり、「「逞しい人」とは常識を疑い行動できる人」なんだとこの記事を読み感じました。

MacでWindows10!?

 「MAC-OSでWINDOWS10を走らせましょう!」というメルマガがソフト開発会社から到着していた。パソコンが売れない状況とスマホも停滞気味、さらに、タブレットもあまり振るわないし、アップルはウオッチを開発するしで、デジタル機器開発者達の販売ルートは打つ手がなく閉塞感が漂っています。すべてのルートがすでに飽和状態なのだから、どんなデジタル機器を開発しても市場の反応が鈍くなる。そもそもWINDOWS10はWIN-OSで走らせたらいいのに、なぜ、MAC-OSで?「直感的」という売り言葉には、少しハードルの高さを感じてしまうのでしょうが、仕事中にそうそう直感を使うことって実際ないですからね。「直感的」って刺激しておいて、現実は重いシステムの保険だったりすることに、MACユーザーもWINユーザーも気づいているのです。携帯性とネット環境との連携を活用するためのタブレットやスマホデバイスも無料ゲームコンテンツは頭打ちだし、SNSでは結果、ビジネスモデルとして正しく生育しなかった。極一部の金字塔を見上げて、アプリを開発している人もそれはそれで脈があれば自由でいいだろうし、クラウドとかビックデータにぶら下がって「進化」と「機能性」に過敏に反応したところで、結局、「新しいモノ」を消費したかっただけ。だから、もう、MACとかWINとかではなく、そろそろビジネスもライフワークも本質的なテクニックの時代に回帰し始めていくと思います。「ワークシフト」「パラダイムシフト」などと提唱され久しいですが、本当の探求の道は、電子機器のスイッチをオフにした瞬間に見えるルートなのだと思います。
 光がまぶしく明る過ぎて見えなった道とでも言いましょうか、ようやく灯台の足元を見なければいけない時代になるとでも言いましょうか。

お値段がつく情報とは。

 すでに情報は氾濫している。マスメディアの枠を超え、そのスピード感さえ凌駕するマイメディア。これらの飽和した情報の中に、さて、お値段がつく情報があるか?という最大のテーマ。これがSNSの持つ現代の最重要問題です。マスメディアがマイメディアの後続に収まってしまっている以上、先行する情報の鮮度は高いとして、です。鮮度がビジネスに変換されるためにはそこにかならず「なぜ?」や「どうして?」が必要になってきます。端末から無作為にあふれる情報を価値ある情報に変換する術(テクニック)が必要なのですね。このリテラシーはどこにあるのか?ネットにある一方通行の情報ではディテールがない。どれだけ鮮明な画像であろうが、奇抜で飛び抜けた映像であっても、常に伴う「なぜ?」と「どうして?」が解決されなければ正解に遠い。
 「知る」ための仕組みや文明はこのまま増幅・増殖すればいいし、ビックデータがサーバに蓄積されること自体は有益なことだが、そのデータに属性を持たせ整理・精査され、有益な情報だけを抜き取るテクニックが必要なのです。
 一見、マスメディアから受けていた啓蒙が解れマイメディアが代行していると捉えることもできるが、実は、情報は解れたままなのです。しかるべき誰かの情報である根拠や背景に信頼度を見いだせるか否か。つまり、情報の分析・分解と再構築のテクニックが必要なのです。このテクニックがあってこそはじめて飽和する氾濫する情報を有益な情報に変換できる。ただ、本来、このアプローチにはマニュアルも正解もないので個人の備えているモラルや能力がこれを誘うという仕組み。
 代価の基準や相場は現在いたるコミュニティーで生まれつつある過渡期だけに、分析力や編集力や再構築力を高めておくことが、情報のお値段と密接に関係がある。
 ややこしい分析をしましたが、これまさに「デザインの仕事」でずっとやってきたこと。つくる人の条件にドンピシャでマッチします。より少なく、そしてより良く。ひとつひとつ丁寧に情報を解いて紡いで解いて紡いで。

九頭竜湖駅のつらら。

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 昨日は打ち合わせで福井県和泉村へ行ってきました。2メートル近い雪の壁にはさまれながら車で走っていると、自分の身長ほどのつららがいたるところにできています。このつららはJRの九頭竜湖駅のホームで発見したつららです。日中は少しづつ溶け始めて雫が落ちていましたが、夜になればその雫が氷りさらに長く太くなっていくのでしょう。北陸自動車道の福井インターから車で約1時間の福井和泉村。北陸方面からも岐阜方面からも車で2時間以内圏という、大自然を満喫するにはちょうどいい距離感。エリア限定ですが三葉虫の化石に容易に出会える場所もあり、アウトドアを満喫するには最高のゾーンです。

 この九頭竜湖駅もレトロ電車マニアの人達の満喫スポットらしいです。いろいろなタイプの旅人が集い交流している素敵な素敵な福井和泉村です。

2015年七つの目標。

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1.この年齢になるといろいろなことが億劫になる。老化だから仕方がなく自然の道理だろうから、過剰に反抗して若い頃のような無理はやめておこう。無理をすればしただけの見返りを頂戴するハメになるからだ。しかし、50歳には50歳のやり方がある。身体能力、特に視力や体力の低下は受け入れなければならないし、記憶力や着想力の鈍化も受け入れなければない。これはもうどうすることもできないと正直諦めている。合わせて感覚的なセンスも敏感さが低下するだろう。でも、それを小手先のテクニックで補うのではなく、沈着冷静に、そして、謙虚に軽快に向き合うことでこの年齢に合った成果を生み出すことができると考えている。この捉え方をキャリアだとか経験値だなどとも捉えたくないし、今この時、何を考えてどう行動し意思決定するのかを丁寧にひとつひとつ自分らしくひねり出していきたいと考えています。

2.ユーモアや愛嬌を常に忘れないこと。情報過剰になりがちな現代、電子機器や情報技術の進化は留まることなくさらに加速していくだろう。景気や消費が低迷している以上、社会の構造や仕組みはより緻密になり、より多様になる。その中には当然、有益無益があり、手を伸ばせば届くモノもあったり、届かないモノがあったり。常に貪欲でありたいが無謀な人にはなりたくない。スマートにクレバーに立ち回りたいし、いろいろな意味でスベりたくない。だから、ユーモアと愛嬌を忘れず元気なおっさんでいたい。眉間にシワを寄せて重々しく言葉が出てたら要注意。そんな大義名分は楽しくないのだから。

3.やはり技能(テクニック)は大切。いつの時代も自分の精通している技能の需要が世の中の供給を上回っているかをしっかり見極めて、大きな社会のシステムや機械やソフトに代用されないように、そして、広く理解されるための努力を怠ることなく、いつまでも、デジタル職人としてもアナログ職人としても成立できるために努力し、探求心・向上心・好奇心を失わずにいろいろな仕事案件やライフワークに挑戦していきたいです。振り返ると、いろいろな挑戦と失敗の連続であり、効率の悪い技能やノウハウもありますが、それも含めてすべて自分のテクニック。ツールがどれだけ進化しても丁寧に1から始めればいいだけ。誰かと比較して自分のダメ加減気づくことも大切なテクニック。推し量り、仮説を立て、ひとつひとつリサーチし検討し取り込めば、それらがすべて新しい自分らしいテクニックになるのです。

4.「類は友を呼ぶ」。性別・世代を問わず、自分と同類・同タイプとの新しい出会いを心から渇望しています。インターネットでの出会いは「明日は明日の風が吹く」だろうし、自分の足で動けば「犬も歩けば棒にあたる」だろう。ただ、自分の五感を頼りにただ前へ進むだけ。

5.公式の100m競技にエントリーする。目標タイムは13.9秒。

6.6回目の富士山登山にアタック。

7.伊庭内湖のバスフィッシング大会で優勝する。

ご縁があり。

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 あるお仕事で映画公開前からこのフォルムを見る機会があり、ポスターやチラシやノベルティーのデザインを作成しました。毎日、このフォルムを見ていて感じたことは、この飽きない完成度です。この比率、この質感、このストーリーと、どこをどうチェックしても作り手の熱意が感じられる。天下のディズニーだから当然といえば当然ですが、天下の???ということもよくあることなので、このフォルムの完成度はさすがです。まだ、物語は知りませんが、これはDVDを予約する予定です。しかし、「優しいロボット」とはなんとも圧巻です。どうもガチガチのロボット系には反応できなかったタイプなので、このようなロボットの物語は心が震えました。また、ロボット=戦いという構図も人間の都合ですから、創造=破壊みたいなテイストになりがち。創造も破壊も紙一重のところではありますが、紙一重といえばデザインの仕事もそうですし、世の中のあらゆる仕事も紙一重。ブレードの上を駆け抜ける勇気がありますか?という投げかけからはじまったロボット(アンドロイド)映画のテイストもここに来てベイマックスに到着したのかなと感じてしまいました。アナ雪からのベイマックスの展開は、トイストーリーからのウォーリーみたいな素敵な素敵な展開力です。

iPad-mini

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 仕事で必要になり購入しました。PCとノートとiPod-touchと携帯電話があれば特に不便ではなかったのですが、今回はそうも言っていられなくなり購入。決して使いたくないというこだわりもなく、必要に迫られて購入したのですが、当然、デザインの仕事をしている以上興味はあったツールでした。興味があったのに何故購入しなかったかのかという理由も明確にあったのですが、それを覆す状況になったということ。ひとつのツールへのただの興味だけでは購入しないという自分なりのルールがあり、それはツールに対する自分なりのリスペクトでもあります。世間の評判や一般的なセールスポイントだけでツールは購入しないというルール。このこだわりの中には必要性という視点が作用しているのですが、この必要性は個人差があります。気質的な部分では「もったいない」という感情もありますし、高価なツールですから「ただ、世の中では活用されているらしい」だけでは買わないというだけ。誰かに「便利ですよ、デザインの仕事をしているのなら、買っておかなきゃ」では買わないのです。だから、買った以上、擦り切れるまで使います。せこい根性むき出しに、高いツールなんだから、値段以上のモトは取る覚悟がなければ買わないのです。
 ただ、ずっとずっと、かなり欲しかったツールでしたから、こうして手の中にあると満足感はあります。ツールで危険なことは実はこの満足感。決して「買っただけ」で満足にならない覚悟が必要なのです。買ったらテンションが下がり机の上のアクセサリーにならない覚悟がなければツールは仕事で活用できないという経験則なのかもしれない。毎日の仕事の中でこのツールが律動的に稼動させることが最も大切なのです。
 売り場で他のメーカーのタブレットを一応チェックしたが、やはり、iPad-miniに代わる完成度はなかったですね。

これから。

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 「これから」というフレーズがとても気になります。「日本のこれから」「世界のこれから」「自分のこれから」、「これから」を気にしない人は恐らくひとりもいないだろうから、このタイプのフレーズで引き付けられると個人差はあれど、すべての人の心が動かせるでしょう。とても参考になります。この本は買わないけれど。

木枠完成

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 デザインの仕事ではデジタルデータを構想して作成することがほとんどですが、たまにはこんな仕事もしています。これはある施設のサイン用フレーム。現地の寸法を計測して材料を購入して組み立て、黒色の塗装(防腐剤入り)を塗装して現場に設置するという行程です。

 そもそも、デザインの仕事に関することは紙面やデジタルコンテンツがほとんどなのですが、どちらかと言えば、得意で好きな作業は木や土で何かをつくること。仕事上、クリーンなデジタルデータばかりつくっていると、たまにつくる立体物やサイン関連の仕事は違った達成感があります。サインの設置など、現場に成果物と道具を持ち込み設置が想定どおりに完成すると、仕事をやりとげた感覚が大きいです。

 現場の仕事には独特の達成感と充実感があります。たまにはキーボードとマウスから離れて、ノコギリやドライバーやヤスリを使って仕事するのも楽しいです。

恐るべしPS-GIFアニメ

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全くこの歳(50歳)になっても知らないことばかり。恐るべしフォトショップGIFアニメ。これはいい、これは非常にいい。

モノヅクリの道具が好き。

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 最近、看板の設置やパネルの施工など大規模な仕事ではないですが、サインの取り付けやパネルの施工が増えてきました。よって、これらの道具が常に仕事場に待機しています。

 そう言えば、子どもの頃は家を作っている現場で、大工さんの仕事をずっと近くで見ている子どもでした。太い柱を削ったり、土壁を塗ったりするのを暗くなるまで見ているだけで楽しかった。休みの日には木片や板をどこかから拾ってきて、家の大工道具でいろいろな工作をしていました。何かを作っていると時間を忘れて没頭できるタイプだったのです。

 結果、その集中力は大工ではなく、仕事としてはデザインやアートの世界にスキルを適用してきましたが、モノヅクリの根本はノミやノコギリや金槌を使う実体験から得た楽しさのようです。いろいろなデジタルツールを仕事で使いますが、私の中では大工道具と感覚には同じようです。

 サーバにコンテンツをアップロードすることも、木ねじで壁にサインを設置することも、どうやら同じベクトルのようです。どちらも楽しい仕事です。

その手に、大きな成果を。

 「これまで以上に作業の効率を上げたいなら、iPadが最適です。そのパワフルなアプリケーションは、iPadならではの能力を最大限に活用できるように作られています。だから、あなたが本当に重要なことをするために必要なものがすべて手に入ります。」

 作業効率を上げるためには、何故iPadが最適なのだろう?

 パワフルなアプリケーションが能力を最大限に活用できるとは具体的に何の能力だろう?

 あなたが本当に重要なことをするためにと限定されても・・・。

 「すべて」が手にはいる。そんなに結論を急いでどうするのだろう?

 「その手」が、大きな成果を生み出すのであって、iPadは何ができるのか?

 豊富でパワフルなアプリケーションがあるのは現実だろうが、多いことが大前提で、
 選んでいないから、大きな成果を得らていないだけですよ、と言いたいのか?

 どうも、アップルは大きな勘違いをしているように思える。

 「成果」は、アップルが決めるものではないし、どのように能力を最大限に活用するかも、正確にはアップルは知る術はないだろうし。徹頭徹尾、ただのプラットフォームなんだから、そのゾーンはクリエーターに任せるべきだ。モノヅクリ屋がクリエイターの手に「大きな成果」を直接、誘発させることはできないのだから。どうも、オゴリとホコリを誤認している。

 アプリやプラットフォームが生み出せる「成果」について、開発者はいつの時代も現状に立ち返り、無謀な予測や過剰に飛躍した展望を抑制し、「成果とは?」について充分に再認識する必要がある。それはクリエイターとて同じだが。

新しい名刺

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 新しい名刺デザインです。明日ぐらいに印刷が仕上がります。

 裏面のイラストは芸大生の娘の仕事です。グッドジョブ!

 なぜ、「ハチドリ」と「蟻」と「ピラニア」なのかは、その時が来るまで封印です。

働かないオジサンの給料はなぜ高いのか?

 「働かないオジサンの給料はなぜ高いのか?」というタイトルの書籍があったり、このテーマの講習会やセミナーが注目されている。若い世代のニートやひきこもりが通念化したから次のテーマがこれなのだろう。「働かない」としか捉えられない未熟な視点に格差の原因があるのでしょうね。この深い谷のが言わば日本の熟練者とパートタイマーの間に横たわり、継承するべき知恵やノウハウが定着できず浮遊し往来を隔ている理由なのだろう。「給料の高さ」の水準だけ確保しても、「給料の意義」の水準は二の次なのだ。
人工が減り、海外の人材が流入し、市場はさらに多様化・国際化する。政府の援助を受け続けている自治体の行く末は、「給料の高さ」では現状維持できないというのに。「働かないオジサンの給料」のことはもういいじゃん。もっともっと、世の中が個体レベルで自律しなければいけないのだろう。

梅雨が明けて

 どうやら九州は梅雨が明けたらしい。昨日、仕事で草津に行く途中、湖岸道路沿いの気温計を見たら38度を表示していた。いきなりの夏日に、いよいよかという感じ。車内の気温計も34度を表示していたかぐらいだから(いつも外より少し低い)、道路沿いのセンサーが直射日光を受けて38度を感知したのだろう。琵琶湖湖畔も恐らく梅雨は明けたようだ。そんな日に屋外での作業は辛い。凄い体力だなぁ~と関心するのは、道路で上下制服(長袖長ズボン)とヘルメットを付けて道路工事の交通整理をしているおじさん達だ。もし私が照りつけるようなアスファルトの上で、一日中、交通整理をしたら、数時間でダウンだろう。最近、50歳になったことを過剰に意識し過ぎて、「体力低下」を言い訳にダラダラした気持ちや行動になりがちだ。だから、梅雨から夏への気持ちと体調のスイッチングをしっかりしたいです。
 映画「アナ雪」がロングラン上映中のDVDの予約は異例らしい。雪の女王でも観て、涼しい気持ちになろうかな。
 昨日、「マーニー」を監督した麻呂さんが映画の公開に向けての宣伝番組に登場していたが、あの独特の風貌と絶大なる天才肌のクリエティビティー。宮崎さんが認めたジブリの次の看板男はいったいどんな作品を創ったのだろう。予告編を観たが涼しそうな場面だった。
 また、スカーレット・ヨハンソンの「LUCY」という映画が近日公開予定。人間は脳を10%しか使っていない、残りの90%が覚醒すると・・・というテーマの物語。ディップの最新作もちょっとテイストが似ていた。つまり、人間の能力の限界点を描いている。この視点で「LUCY」ではどのようにこのテーマを描いているのだろう?楽しみ。

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 とにかく、梅雨が開け暑い夏が始まった。つまり、1ヶ月後の富士山アタックに向けて調整開始という段階なのだ。

使えるか?

 「現場のビジネスに、データの「使える化」を!」とよく目に耳にするフレーズだが、まるで、ビジネスの現場にデータを使っていなかったような語感がある。タブレットを使用しているだけで、スマホを使用しているだけで、「活用」してるとは言えないし、デジタルデバイスを使用せずとも世の中の情報を使っている人は多くいる。その部分をそのように線を引くことに、このマジックのネタがあるのだ。「見える化」って、おやじギャクの寒いダジャレレベル!?と処理しかけ、ふと思うのは、いやいや、このダジャレ路線が意外と有効なのかもしれないという捉え方。扱うテーマはデジタルビックデータ、ツールはデジタルデバイス、だけど、アプローチや訴求する時はダジャレが有効だという方程式なのかもしれない。スマートな商材をスマートに使うためには、ベタベタが数字(営業結果)を持っているのだろう。しかし、ビックデータをデジタルソースだからスマートと決めつけてもいけない。逆にベタベタなソースをベタベタなツールで使うことがスマートだという方程式に置き換えることができるのかもしれない。例えば、たこ焼きは大阪の屋台で食べれば当然「ベタ」だが、パリのカフェでフランス人のカップルが食べれば「スマート」みたいな違い。そこで、「たこ焼き」というソースは、果たして、使えるのか?と。

 デザインの仕事は正にこの部分の置き換えの連続であり、時代を越えて普遍なソースと時代と共に変化・進化したソースをデスクトップ(机の上)に並べて、どっちが「使える化?」と腕を組んでいる状況が意外と多い。

WORKSPACE

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 雑然とした仕事場の中にある法則こそが次の着想へのトリガーだ。

技術の継承

 その分野で屈指の知識と技術を持っている方の言葉のバリエーションとポテンシャル感は身体の芯が震える。非常に専門的で特殊なお話だったためにブログレベルで詳細をアウトプットする事ができないのが残念だが、屈指の知識と技術とはサーバに複製しない方が価値がある。というか文字や写真で紹介したところで、それをモニターで目視しているだけでは1%も伝わらないからだ。何故サーバを介して書き出すhtml言語にはディテールを込めることが難しいのか。何故、車を5時間も走らせて直接お会いしなければならないのか。その理由はその場所でそれを実感した人しか分からないのだ。決して出し惜しみしているわけでもないし、広く伝えるべきタイミングはいずれ想定しているが、その時までこの情報は出さないし出せない。1次元の情報を2次元に変換し、さらに3次元に再構築さたなら、それをアウトプットする適正は方法はインターネットではないのだろう。屈指の知識と技術とはそういう価値がある。
 断片的なお話ができるとしたら、「技術の継承」についての話だろう。景気が後退し沈滞し失業者があふれている現代。企業は人件費と開発費と広告費を抑えて収支を整え、自己の持久力をキープしている。この現実の構造の中で生まれた歪みや摩擦は、確実に技術の継承率を低下させている。伝えるために有効なツール(インターネット)を手に入れたのにもかかわらずだ。その理由は1次元と3次元の問題が構造的な要因だとしたら、感傷的な要因は継承を受けるべき人達が聞く耳を閉ざしているからだろう。仕組み的に学ぶ施設や機関やコンテンツはビジネスを活性化するために増殖しているが、その場所へ継承すべき水が流れるルートが何かの原因で断たれているのだ。その理由を経済や景気に限定したり、政治や社会構造の歪みだと責任を転嫁するこは頭で考えれば簡単・容易かもしれないが、本質はもっと高く深く、そして、目の前直下にあるような気がする。見ているのに見えない、聞こえているのに聞こえない、伝えているのに伝わらない本質(性分)にあるのだろう。すべてがクラウドの中にあるわけではないのだ。在るのはただの情報に過ぎないことをもっと真摯に受け止める必要があり、そういう次のステップに来ているのだろう。見ない聞かない言わない3匹の猿の美徳が捻じれているのだ。平準を重んじる人間の心に潤滑油が切れて「遊び」と「良い加減」が劣化しているのだろう。
 私には屈指の知識と技術がある。充分ではないだろうし、誰にも負けないレベルの知識と技術ではない。しかし、そのキャパシティー(埋蔵量)と優劣の軸は無視していい。ただ、「在る」か「無い」かが重要なのだから。

砂丘に飛ぶトンビ

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 初めて訪れた鳥取砂丘だが、特にコメントするような特筆に値する魅力はなかった。イメージが先行し過ぎるって諸刃である。ふと砂丘を下りながら見下ろすと低いところを砂丘の風をうまくつかんでトンビが飛んでいた。鳥の目には人間はどのように映っているのだろうとか考えながらイオスのシャッターを押した。長浜を午前3時に出発して鳥取砂丘に到着したのが午前8時すぎ。早朝の5時間は疲れました。

ADOBE CREATIVE CLOUD

 昨年から検討していたアドビクリエティブクラウド。マスターコレクションCS4があるから当分必要ないかなとその時は感じていたが、XPのサポート完全終了や小さなソフトウエアのトラブルが続き、ようやくアドビCCの導入を決意しました。決意というほど大袈裟なことではないのですが、多面的に検討をした結果、月額¥5,000という費用は必要だと判断しました。現在、アドビではCS3以降のユーザーであれば、5月30日までに導入すれば初年度は月額¥3,000という特典があるので、これを導入のタイミングにしました。

 さてさて、アドビの最新ソリューションはいかなものか実に楽しみです。恐らく、ユーザーのタイプ的にイラレとフォトショップだけのユーザーであれば、月額¥5,000は高価な出費だろうし、WEBだけのユーザーにしても同じ。これから新しい仕事の分野に挑戦するために新しいソフトウエアの習得に挑戦するという意欲的なクリエイターならば価値はあるだろう。私の場合、バージョンがCS4の時にマスターコレクションを買った。メインのソフトは仕事ですべて使っているのでCCへの意向はとても自然の流れです。しかも、このCCでは、サイドパーティーがとても充実している。ライトルームやタブレットアプリケーションを作成するツールや、DVDのオーサリングや音声編集ソフトなど。これまでアドビ以外のソフトを目的別に追加で購入して併用していたが、それが、この月額¥5,000でオールインワンなのだ。このことを知った時は少し感動した。パッケージを購入すれば、マスターコレクションは約¥300,000だから、月額に換算すると5年分の費用となる。今後やマイナーチェンジにもクラウドで対応してくれるし、小さいトラブルに対してもクラウドだから利点は数え切れない。

 なかでも、特に楽しみにしているが、「MUSE」だ。WEBはD.W.でゴリゴリ創っているし、スタイルシートで制御したり、CMSを改造したり、CGIやPHPと連動させたり、ASPと連動させたりと、どうも力技ぎみだったことと比較すると、この「直感的なWEBツール」とのキャッチーな新しいソフトは楽しみだ。まず、これにダイブだろう。あとは、JAVA.S.系のアプリをクリエイトするためのツール「ADPS」だろう。これもしっかり取り組み成果物につなげたい。

 また、鉄板のAI,PS,INDD,AE,PR,DWあたりはさすが、痒いところを心地良くしてくれる進化を遂げている。合わせて世界のアドビユーザーとSNSできる環境も用意されているし、個人的なポートフォリオを公開するツールもあり、20GBのストレージサービスもありがたい。

 と、最新のソフトウエアと最新のクリエティブプラットフォームが月額¥5,000でこの手の中に落ちてくることになる。しかしながら、いずれのソフトも初挑戦となるツールではないので、不安は全くない。とにかく、あとは16GBのプラットフォームにインストールして仕事に使い、手に馴染ませるだけ。ある方が、「ADOBE CCを導入した機会にFLASHを使いたいが・・・」とか、「CCを入れたのでA.EFFECTSを使ってみたいのですが・・・」と相談を受けたが、この2つはAIやPSと比較してオブジェクトの創り方が少し異なる。それには明確な理由があるのだが、それを理解するところから始める必要がある。でなければ、今、自分が何をやっているか完全にソフトウエアの中で迷子になるのだ。また、鉄板のAIとPSを知らなければ、他のツールに連動はできない。ソフト単体で何かを創って満足ならいいが、何のために全てがALL INになっているのかに考えが至らない人が多い。ひとつのツールを極めて仕事が成立するほど現代のクリエイティブは甘くない。全ては世の中の変化を受け入れ得たテクニックと全てのツールの機能を連動させてはじめて成果物が成立するのだから。さらに言えば、デジタルツールだけで全てが完結しないことについて、どこまで本気で腹を括れているかも成果物の品質を左右させる大きな要因だ。

 あらためて「ADOBE CREATIVE CLOUD」というソリューションはそのことを世界のクリエイターに問い正しているのだろう。「デジタルツールは最新最高の進化をしたよ、クリエイターのアナログ面(ポテンシャル)はこのツールについてこれるかな?」と。

50インチ

 一般的に1920pxあれば「美しい映像だ」と思い込んでいたが、それは20インチレベルのモニターのお話。50インチで美しく写真や映像を見せる場合は1920pxでは足りない。単純にモニターの解像度が72として、50インチだから、3600pxなければ同等にならないのだ。しかし、3600pxの写真や映像を編集するって相当のスペックが必要になる。私のPC環境としては最速のCPUを16GBのメモリで走らせているが、ソフトもオーサリングも3000を超えると悲鳴をあげている。だから、「ゴミバコ」なんだと。一足先を見据えるということはこういうことなのだと、遅々として進まない作業行程バーが進む速度を眺めて腕を組んでしまった。「ゴミバコ」の最速モデルを最高にチューニングしたら80万円を越えてしまうようだが、このスペックは成り金悪趣味タイプのデコレイティブなウオッチやビンテージバイアスのウエアと比較した場合、私は圧倒的に「一本!」だ。どうやら、50インチでも美しくを目指さなければいけないようだ。

 ま!写真を美しく見せるためには必ずしも「ピクセルの数」だけではないのだから、同様に多様なデジタル&アナログテクを駆使しながらも「美しさ」を目指すわけだが、描いた餅を実際に食べたことのない人では2個目の餅は描けない。

 具体的なツールとすると、「ゴミバコ」と「イオス」だろう。

まちやホテルいろは。

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 今日は長浜市内のまちやホテルいろはさんで写真とムービー撮影でした。旅人はこの宿泊施設にどんな期待を抱くのだろうかと、いろいろな構想を頭の中に描きながら撮影していました。長浜という場所が旅人にとって何を提供できるのか?大きなテーマです。

こういう構図か。

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 なるほど、こういう構図なのか。で、クラウドが年間¥48,000となるわけだ。Macに出会って25年目、このタイミングでこれが気になるということは、巡り合わせのような御縁を強く感じてしまう。最速のこのマシンをクラウドにぶら下げて、自分のコンテンツを創り出しているイメージを想像しすると、なんだかとても元気が湧いてくる実感がある。今回のこの気持ちは、どうも抑えられないかもしれない。

オーバークロック

 CPUの演算速度を上げるあれだが、私はあまり興味がない。スペックを上げることや、自作でPCを構築することに興味がないこと以上に興味がない。自作のパソコンで処理能力とコスパを比較して得られるメリットとリスクのバランスが悪いからだ。知識のない人間が演算速度を上げることだけの目的でプラットフォームに手を入れるのがメンドクサイ。仮に一般購入価格の50%で同スペックのPCが構築できたとしてもメリットだとは思わない。趣味の世界だとも言えるし、クリエイティブの世界とは別次元の属性だと捉えているからだ。手作り感満載のプラットフォームでデザインの仕事をすることに慣れていないだけだろうが、現段階でその取り組みをスマートだと捉えたことが一切ない。例えば、車でもバイクでもそうだが、カスタマイズして一喜一憂している人がいる。否定はしないが肯定もしない。車もバイクも最高のプロフェッショナルの工業デザインを施し、最高の工場で最高のスタッフが世の中に送り出している商品を、中途半端な素人が、見苦しいパーツや機能を付けたり削ったりして、商品の仕様やルックスのクオリティーが高まるはずがないのだ。例え同じ知識と同じ技術を持っていたとしても、私はそのフィールドにダイブしない。オーバークロックもマシンの寿命を縮めるだけの短命なお遊戯のような気している。ただ、お遊戯だけに楽しいのだろう。なんでも勝負をして勝つことは快感だが、瞬間風速は要らない。穏やかに心地良い風がいつまでも吹いてくれることだけを願っている。お仕事も人生も同じ。

 ただ、常に自分の限界を探究したくなる気持ちはあるが、外因にそれを求めるのはリアリティーに欠けるから興味がないのだろう。常に内因に対してのオーバークロッカーでありたい。

コワーキングスペース。

 「フリーランスで働く人や起業家が各自の仕事やノートパソコンを持ち寄り、情報やアイディアをやりとりしながら働く場所。壁や仕切りを極力排し、休憩スペースや無線LANや電源を用意する。東京・渋谷が一大集積地だったが、ここ数年で地方都市でも増え、全国で300ヶ所になっているとされる。イベントや勉強会も多く開催されており、会社帰りの人や学生にまで利用者が広がっている。」という記事。

 「仕事や立場が異なる人たちが、同じ空間で交流しながら働く「コワーキングスペース」が増えている。起業やビジネス上の連携だけでなく、利用者同士が刺激しあえると支持され、地域や人との関わりに生かそうとするケースも出てきた。仕事と暮らしが自然な形で近づく現場。」という記事。

 刺激し合うこと、情報を共有することは利点だが、刺激は特に依存になり、共有意識は固執を生む。人の心の二面性を意識化し、ルーティーン化するスキルがあるタフな人ならとても有効だが、それ未満なら自分の個性が封印されかねない。SNSは個人ネットワークの代名詞までに進化・浸透したが、人の持つポテンシャルを活性化したり覚醒させるまでには至っていない。心の多重性が価値を生み出す際の枷にならないようにしたいものだ。過敏する思考かもしれないが、慎重であって過ぎることはない。と同時に、大胆であって過ぎることもない。

ゴミバコとな・・・。

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 4K時代が来るか・・・。これもよろしいですな。

イラストレーターというソフト。

 イラストレーターというソフトは実に万能だ。もうグラフィックデザイナーやWEBや映像の分野でも、専用のソフトとイラストレーターとの組み合わせは必須。これがないと始まらないというツールだろう。しかし、このソフトを基本から覚えるためには然るべき費用と時間がかかることも現実である。このソフトを使いこなせればプロのデザイナーとして成立するのだから。だからと言って、特別な表現が得意なわけでもなければ、オフィス系のソフトのように複雑なテキスト処理をするわけでもない。やっていることは基本の基本ばかり。しかし、様々な現場で活用するためには活用術の基本原理を知り会得する必要があるというわけだ。一般に書店で販売されているテキスト本は基本原理を割愛しているという声をよく聞く。実際、私自身が基本原理を市販されている書籍から得たわけではないから分からないのだ。テキスト本には後処理や表現手法は網羅さえているためそのヒントや表現手法に興味が生まれた時だけ読む程度。では基本原理は何で覚えたのか?それは実践の仕事の中で覚えたのだ。これはバージョンが20になろうが変わらない原理なのだ。ここさえ会得しておけばあとはポテンシャル次第なのだ。

 しかし、原則はイラストレーターというソフトを会得する前に、必ずデザインの原理を知ることだ。これが一瞬でも前後すると、大変なことになるから注意したい。イラストレーターを覚えてからデザインを覚える(同時の場合もあるが同じ)デザインの学生が多いようだが、これは誠に不幸な出来事だ。その順ではイラストレーターの機能を充分に活用することが難しくなる以上にデザイン力さえも未熟のままツールを得てしまうからだ。何故?と聞かれることが多いが、何故?とかなどと理由は言葉にできないほど重要なことなのだ。羽が生えていないのに鳥が飛ぼうとすることと同じぐらい優先順位が逆なのだ。

国内最高級腕時計。

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 「国産最高級腕時計」で検索するとこの画像がヒットする。このキーワイドを「海外~」に変更しても押して知るべしだろう。これを使っている人には大変失礼千万だが、なんかモッサイ。ふと、そんな気持ちになったので、結構多様なウオッチをいろいろネットで検索したが、ダイヤを散りばめているような悪趣味な時計は論外としても、アウトドアからビジネスモデルからカジュアルテイストまで、モノヅクリ日本の腕時計はなんかデザインがモッサイ。モッサイという語感はカッコワルイとも言い切れず、悪趣味とも言い切れない、何をどう解釈しても振り切れていないというニュアンスなのだが、誠にモッサイ。まぁ、こういう人間だから、腕時計を付けるのが嫌いになってしまうのだが、日本のモノヅクリの熱意と技術は世界的に比較的に、大したものなのだろうが、デザインは突き抜けていないような気がする。

コツコツ。

 「職人技」と聞いて、最初に頭に浮かぶ言葉は「コツコツ」だ。熟練の技とはすべてコツコツと少しづつ積み上げて成立している。一方、「プロフェッショナル」と聞くと、なんかこう一気に直感的なスピードで成果が生まれるようなイメージがある。「職人技」と「プロフェッショナル」の間の語感にあるこの違いは、自分自身の感覚の中で、どのように生み出され区分けされていいるのだろう?世間一般の「職人技」に対する印象はいったいどんなニュアンスが正解なのだろう?「職人気質」と聞けば、無口で頑固で実力主義の現場主義。「プロ意識」と聞けば、物事が常に整理できていて、論理的で理路整然としているイメージがある。職人が「アナログ仕事」で、プロフェッショナルが「デジタルワーク」みたいな違い。同じ仕事なのに、極端にイメージが私は異なっている。

 私が絵を描く時は、明らかに「コツコツ」だし、デザインを考えてソフトで作成する状況でも「コツコツ」だ。さらに、プログラムの改造や映像コンテンツの編集加工となると、「コツコツ」どころの騒ぎではない。普通の人なら、ちょっとクラリとめまいするぐらいの数のレイヤーを微調整をして、一本の成果物を仕上げている。プログラムを改造したことのない人にも、映像のレイヤーを微調整したことがない人にも、この「コツコツ」は伝わらないだろう。単純明快にイラストレーターだけで数日、コツコツ地図を創った経験やページモノのDTPをしたことのない人にも、このリアリティーは伝わらないだろう。恐らく、ひとつひとつの作業を細かく分解して理解することは、素人でもできるが、大きな設計に基づきコツコツ積み上げなければ、売れる成果物にはならない現実。しかし、悲しいかなこのコツコツを整理することは、コツコツではできない。なぜなら、すべて職人技なのだから。

 無口で寡黙で頑固な職人技がデジタルワークをしているので、もう、あたりまえの作業をコツコツ積み重ねていくしかないのだ。ここにセンスもアイディアも工夫もないのである。

 一方、テレビププログラムで「職人」と呼ばれている人が登場して、テレビ用のシナリオ通りに、芸能人をうならせている場面ををよく見かけるが、あれはあれで立派な「職人技」だ。

アドバンテージを探せ!

 誰でも分かるアドバンテージを持っている人がいる。NASAで訓練し宇宙に飛び出した人、オリンピックで金メダルを獲得した人、ノーベル賞を受賞した人、芸能界に属し著名な人、有名企業のトップ、有名大学の教授らは、一様にアドバンテージを持っていない人とは存在感が異なる。この現実の法則は決定的に強い。ではこの「強さ」はどんな効果や作用があるのだろう?免許皆伝の特待生達が牛耳っている世界はどのようにして構築されていったのだろう?それは今でもバベルの塔のように、コロセアムのように君臨しているのだろう。無名の芸術家達が残した絵画も、貧窮に苦しみながら研究を重ねた科学者達の成果も、自らの心と身体にナイフを入れ絞り出した文筆家達の物語も、この法則(牙城)を崩すことはできないのだ。そういう世界に気がついて初めて見える「創造の神」がいる。私は自分の中にいるその神だけを信じている。

 だから、この世界は面白いのだ。

絵を描ける人。

 今日は改めて再確認できたことがある。私はずっと絵が好きだったし、大学でも独自の表現は追求せず、あるがままのモチーフをリアルに描く技術を求めた。デザインの仕事についても、自分のスタイルよりも、クライアントが欲しいデザインを創れる人でありたいと願い、そのための技術や表現を追求してきたのだ。「自分の絵」とは?「自分だけのオリジナルデザイン」とは?という疑問に対して過剰に反応してしまうのだが、そのレベルで自分自身は絶対に満足できないのだ。技術的なうまさや思考術的な特異性がどれだけ成果物に反映され成立していても、「自分の絵」など成立することはなく、それはただの思い込みであり無知ゆえの満足、増して「自分独自のデザインスタイル」などに価値はないと考えているからだ。だから、芸術大学では自分自身の描写力だけを追求していた。自分の絵に対する評価や自己分析は社会に出なければ正確な判断はできないだろうと(学生の頃にはまだそこまで明確ではなかったが・・・)ぼんやりと考えていた。結果、私は世界中の誰よりもなどと決して言わないが、どこでも通用する絵の技術がある。自分の中にある発想や誰から頂いたテーマについて、自分の思考と技術で絵を描き、そして、評価や分析に対する意見を絵に取り込み適用にチューニングできる技術がある。これは「絵を描くことで食っていく」という決意があったから会得できたのだ。だが、現実は「絵だけで飯を食う」ことはできないと感じ、デザインの仕事をしているのだ。つまり、いろいろあって私は絵を描けるデザイナーなんだと。絵を描けることとデザインができるということは意外にも同位ではないのだと。

パソコンができる人。

 この時代、仕事を探す時の必須アイテムが「パソコン」らしい。車の普通免許と同じぐらい就職にパソコンのスキルが必要なのだ。ある職人のお客様が「この歳で今からパソコンを覚えることはできるでしょうか?」という質問を私にされた。答はYESだが、その職人さんは「パソコンができる」ということの具体的な作業や知識をあまりご存知ではなかった。当然、「ソフトウエア」についても「インターネット」についても別世界のお話のようだ。誰も教えてくれる人が家族にも知人にいなくて、かなり以前からパソコンを使いたいと思っているのだが、何からどう始めればいいのかが分からないとのこと。なるほど、確かに、「パソコンができる人」とは具体的にどのようなことができるのだろう?例えば、メールを書いて送るという作業についても、全く知識や経験がない人はパソコンのスイッチのことから始めなければならないのだ。マウスやキーボードの使い方を覚えてメールソフトの使い方に挑戦する流れ。

 逆にデジタルネイティブの現代の若者は「使うこと」には何のコンプレックスやアレルギーもなくスムーズに使ってる。というよりも、使わされているに近い状態だが、使うことは問題ない。ソフトやアプリを自由に使いこなして仕事や趣味として活用している。でも、就職に有利な「パソコンができる人」とは少し違うような気がする。パソコンを何かの目的のために活用するということは、どのようなソフトウエアを使いこなせるかというテクニックや知識・知恵の部分。知識や経験や教科書通りのテクニックが、どのような仕事の現場で生かせるかは疑問だ。ということは、「仕事ができる人」が「パソコンができる人」に近いニュアンスとなりますし、いずれも「できる人」でなければならない。パソコンができなくとも仕事ができる人はいる。当然、パソコンも仕事もできない人がいる。この「できる」「できない」を見極める境界線が緩いので、とりあえず誰でも「パソコン」を使えるようになってひと安心のようだ。

 仕事ができる人こそ、「パソコンができる人」に一番近いのだろうと思った。

 突然、こんなメルマガが届いた。「突然ですが、あなたの「やりたい仕事」はなんですか?カリスマ就職コンサルタントの坂本直文さんよると、やりたい仕事を見つけるためには、まず「夢を描くべき」だといいます。仕事ができる社会人の多くは、仕事やプライベートの夢を持っているそうです。下記コンテンツでは、夢を描くことが「やりたい仕事」を見つけることになぜつながるのかを解説していますので、転職を考えている人はもちろん、今は考えていない人も、ぜひ一読してみてくださいね。」 当然、そのメルマガにはいろいろな切り口のコンテンツが用意されているサイトのURLが列挙されているという仕組みだが、その部分にはあまり興味はない。そこよりも「やりたい仕事」というフレーズが「夢」とどのように連動しているのかという部分が気になる。カリスマ就職コンサルタントという仕事はこの本文の坂本さんの「やりたい仕事」だったのだろうが、転職を考えている人に対してどのようなアドバイスをしておられるのだろう?

 さて、「夢」について古美門先生ならなんと表現するだろう?「夢」が果たして「やりたい仕事」にどう繋がっているのだろう?夢を描いて大学に進む人、夢を描いて新しい免許や技術を取得したいと考えている人、夢を実現するためのヒントは人それぞれで他人がアドバイスできるようなことなのだろうか?受け身で夢が成立するとは思えないのだが、能動的になる機会がなかったはずはない。私が「夢」を定義するとすれば、「自分自身の記憶の中にある、まだ芽を出さずに埋もれている種」のようなものだと思います。それをDNAで解釈することもできるだろうし、誰かコンサルタントの言葉の中に探すのもいいだろうが、なんでもいいから種を探してきて土に植えて水をやれば芽が出るものではないと思います。

セット完了!

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 今日は朝から新しいPCのセットアップ作業です。ソフトはまだ何も入っていないしドキュメントもなし。とりあえずネットへの接続設定とLANとの連動が完了。しかし、早い。「時は金なり」か・・・。

 ここからが大変な作業が始まります。ソフトウエアだけで30近くありますし、ログイン情報などなど、気が結構飛びそうになるぐらいの作業です。それぞれのソフトウエアについても使える状態にするには細かいチューニングをしているので、仕事をしながら少しづつ設定していこうと思っています。

 これは映像編集を中心に使っていくために購入したので、諸設定やチューニングもそれ仕様にする予定です。映像のレンダリングスピードが今から楽しみです。

NEW PC到着!

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 「第4世代インテル® Core™ i7-4770 プロセッサー (8Mキャッシュ, 最大3.9 GHzまで可能)とメモリ16GB」がいかなものか楽しみ楽しみ。

営業力

 書籍やセミナーいろいろな場面で「なんとか力」という言葉が百花繚乱だが、実は一番企業が大切な「力」は「営業力」だ。それを細分化してなんとか力というのは浸透しているかに見えて、それら全ては「営業力」で包括できる。

 若い頃、デザインの仕事だけをしていたデザイナー時代には、実はどこか「営業」という仕事を軽視していた。「営業?」みたいな、どこか、飛脚のような潤滑油のようなハブのような、あまりビジネスの中核には影響のないポジションという印象だった。ほんとにどうしようもない若造だったのである。デザインの仕事とはデザインが売りで営業さんは伝達手段であり、主軸はデザインを考えて創っている私だという誤解のドストライクだった。はずかしいというよりも視野が極狭だっただけ。

 さて、現代、なんとか力がここまで交錯していると、うん?仕事に一番大切なのはなんという「力」だ???となる。しかし、よくよく考えてみれば仕事を創っているのは「営業」の力だ。パソコンの前で眉間にしわ寄せてキーボードを叩いている人ではない。スタイリッシュなテーブルに洋書片手にブレイクしている野郎ではない。まして、モノヅクリモノヅクリと呪文のように唱えている信者でもない。それらをつなぎ合わせてクライアントの意向やタイプや特性を見極めて仕事が成立するようにリアルタイムにチューニングしているは「営業」なのだ。

 30歳でそれに気がついた私は本当に幸運だった。だから、今があるのだといつもそのことを考えるとと変な汗が流れる。

タブレット

 「タブレットの普及は急速に進んでいる。2013年9月に米国IDCが発表した予測によると、2013年10~12月期におけるタブレットの出荷台数は、パソコンの出荷台数を上回るという。こうしたトレンドはエンタープライズ市場にも広がっており、タブレット導入を検討している企業は急増している。」という情報はよく目にするが、タブレットを売るためには便利さを訴求し、世の中の急増感をどのようなデータで市場に伝えるかで結果タブレットの普及率の速度と深度が決まる。マスからの情報はいつもこのパターンだから、非常に捉え方の枠が大きく荒くなってしまう。パソコンの出荷台数よりもタブレットの出荷台数が上回るのは当然の流れだから特筆することではないとしても、「タブレット導入を検討している企業が急増」の下りはどの程度の急増なのかが分からず、ポータブル性とバッテリー容量がどこまでビジネスの多様な現場に適合するかにつきるだろう。さてさて、手札・手ゴマにタブレットは本当に有効なのだろうか?世の中がこの段階に来ていてもまだ決定的な導入理由が見つからない。

手書き

 「手書き」で一旦頭の中のモノを描き出すという作業はいろいろなメリットがある。こんな時代だから、手書きもタブレットのタッチパネルでさらさらが旬かもしれない。スマホのアプリで見事なリアルタッチをテレビで披露していた人がいたが、つまり、そういうこと。上手い人や描ける人は道具はなんでもいいのであって、その映像を見て同じアプリをダウンロードしても同じ絵は描けない。描くというこはそういうこと。

 手書きよりもパソコンやタブレットでデジタルデータにすれば「早くてキレイ」という先入観があるが、それは、描けない人がそれらしくできる補助機能を指して「早くてキレイ」という価値。イメージできて描けるならば紙と鉛筆がベスト。なぜなら、OSが起動する前に2~3枚描ける上に、手書きのスケッチにはソフトやアプリで描けない情報を直感で紙面に記録できるから。ましてや、アイディアはどこでも出て来るので、パソコンやタブレットがない状況でも「手書き」は有効なのだ。

 「手書き」のラフスケッチとは表現手法上のテクニックであり、デジタルデータとは比較できない重要な情報とディテールの集積なのだ。アナログだからデジタルだからと過剰に気負う必要はない。どちらも活用すればいいし、どちらも利点がある。

 スタイルを極めるということやセンスを追求するということは選択肢を収束することではなく、広いレンジの中から一瞬で適正な方向性を判断できるかで、狭い視野と偏った感性で同じ答を出し続ける意地ではない。その状況、リセットするのかしないのか?諦めないのか諦めるのか?突っ込むのか放棄するのか?判断する時間が短いほど伝導率が強い。

 白い紙に鉛筆で描くラフスケッチのようにマウスとキーボードでグラフィックソフトを自由に操れたらそれはモノホンのツールだ。

MAC復活の狼煙。

 「iPhoneやiPadを使い始めたのがきっかけで、Macへ移行してくる人が急増中。Windowsからのデータ移行、従来使っていた周辺機器、ソフトウェアの代替など、これさえ読めば、イマドキのMacの使い方には困りません。これまであったようで実はなかった切り口で、操作習得にすばやく効きます。」という実用書があるらしい。スマホやタブレットは復活への狼煙だったということか。アップルと世の中のクリエーターの関係が一周回ってスタート地点に戻ってきたような印象を受ける。もう一度仕掛けてくる準備ができているとでも言いたいのだろう。W8がスキを見せているとも思えないのですが、やはり、クリエーターの心を最初に掴んだアップルが次の一手を出すようだ。

小さな会社を強くする。

 「ブランドづくりの教科書」という書籍が本日アマゾンから到着する。「歴史も宣伝費もない企業や地域産業のための~」というターゲット設定が、この時代どこを具体的に指しているのかを確認したい。強くするためにはアイテムが必要だが、ネットのシステムは一見「アイテム」のような価値だと誤認されやすい。発信しているから価値があるという思い込みが蔓延し世界中が「発信」するツールを手に入れた。しかし、「発信」だけでは何も成立しない。「発信」を価値に変換できる人は元々何かのスキルや商品アイテムを持っている人達だからだ。スキルにもアイテムにもブランド化は適用できるが、ブランド化が成立していても買う人が不在ならビジネスは成立しない。そもそも大きな経済システム・教育システム・慣習氏システムの中で動くワーカーならばそこまで考えて行動する必要はないが、小さくとも会社を強くするという書籍を世の中に出したのならと、それ相当のバリューをこの書籍に期待して購入した。

 「トップカテゴリーになるために~」という下りがあるが、「トップ」を意識して本質を見失うとブランドどころの騒ぎではなくなるはずだし、この著者の気質や性分や潜在的な論理が自分自身のストライクゾーンに入ってくることを期待する。

 また、どうしても読みたくなり、地元の書店で物色したがキングの「ファイヤースターター上・下」がなかった。アマゾンでチェックすると、上・下それぞれ違う古本屋さんでリサーチできたので、別々に購入。「上」はカバーなし、「下」はふちがかなり擦り切れていた。でも、欲しい人は買うです。こんなロングブレスな成果物を創りたいものだ。

 小さな会社は日々、試行錯誤の連続です。

センスのモノサシ。

 センスを測定するモノサシはない。原器が存在しないからだが、だから、センスは多様で相関性がありいろいろな状況で多用されるのだろう。さて、センスとは感覚です。感覚とは五感です。デザインの仕事はほぼ視覚情報の操作なのですが、最近の情報技術の進化やデバイスの進化で音のセンスもデザインの仕事には取り込まれ視覚情報と合わせて音源との組み合わせもクリエティブのクオリティーを上げる要素として見聞を保有しなければいけない時代になった。とは言え視覚情報のエキスパートでなければならないと同時に、ただ視覚化することの背景にある理論や心さえ総合的に成果物に対して利用活用適用しなければならいなという意識がより強くなっている。職人技でグラフィックデザインが成立していた時代はツールと手のスキルが完成度に深く関連していたが、スキルの部分をかなりソフトウエアが担うことになり、デジタルコンテンツの創り方から技術的な価値が一見消失したかのように思われてる。確かにソフトウエアはなんでもできるが、同時に誰でもできるというフラット化をデザインの世界に浸透させた。フラット化された均一な品質を創りだすスキルを誰もが苦労せずにソフトウエアで手に入れてしまったから手の技を持っていた人が過去の遺物になり、必然的に淘汰された。では、一見消失したかのように思われてる職人達の技術の価値はどこへ転用されたのか?そのスキルはソフトウエアには転用されなかったのか?ソフトウエア自体がツールでありそのスキルはマウスとキーボードが使えれば誰でもどこでもコンテンツを成立させていると思い込んでいるが本当にそうなのか?

 ここでセンスのモノサシが登場してくる。コンテンツの優劣を決めるのはもう手の技の技術レベルではなくなり、PCとソフトウエアがあれば誰でも均一なコンテンツを創れているということは誰も疑わない現実だが、この「創る」が「創るだけ」になっていることを測定するために「センスのモノサシ」がまだ有効なようだ。デジタルコンテンツの創り込みの条件はもう技術の高低ではなく、創る気持ちの量と時間でフォルムが確定し、残りののびしろは創ることに関わっている人の気持ちで左右するのだ。しかし、このモノサシはかなりの自然環境で伸縮するモノサシで、実のところ、創り手の手に負えないぐらいに伸縮をする時がある。気持ちもロジックも「本気」なのだが、外因的要素で伸縮するのだ。気温で変化する元素のように。分子間の運動量は環境条件が同じならば継続して元素を繋ぎ続けるが、外因的な要因でモノサシが長くなったり短くなったりする。この振幅をご本人がどこまでコントロールできるか・・・が、実はセンスというモンスターを制御する技のような。内因と外因に相関させてセンスという生き物の振幅を動的にコントロールする技。これが実はデザインの仕事の本丸だと思うのです。

 どんな外因要素で私のモノサシは長くなり、どんな内因要素で短くなるのか?このテーマはブログではなく、改めてしっかり別のカタチで整理したいテーマですね。

アドビ・イラストレーター

 グラフィックデザインの仕事に不可欠なツールがアドビのイラストレーターというソフトです。他にも無料のベクトルオブジェクトを作成するソフトはあるし、編集系やプログラム系やHTML系のエディター系もあるが、やはり、デザインオブジェクトの作成はイラストレーターがベストだ。現在バージョンはCS6まで来たから16回のバージョンアップをしている。私は英語版から使っているので日本語版のVER.1よりも前から使っている。とは言え、書店に並ぶようなイラストレーターのテキスト本やチュートリアルを全て熟達しているかと言えばそうではない。自分が使う機能しか知らないし、たまに、機能ありきでデザイン表現をチョイスする時もあるが、それはあくまでも「試し」であって、その機能の中から実際に活用している機能は少ない。16段階の全てのバージョンアップを振り返ると実に市場のニーズにシンクロしている。特にWEBデザインと連携させるようになってから、FIREWORKSと比較されることが多いが、それでも、イラストレーターは秀逸のピカイチ。何よりもオブジェクトの構造がシンプルなことがあらゆるデザイン表現に有効なのだ。実際、名刺やフライヤーやカタログなどを作るにおいてもイラストレーターを欠いては成立しない。いろいろドリル化できそうなコツは多そうだ。

起業3年目。

 「起業して3年以上「続く人」と「ダメな人」の習慣」という本がある。誰でもいつかは独立・起業したい!と思っていると私は思い込んでいたが、世の中には起業したい人ばかりではもないみたい。でも、誰でも心のどこかに少しだけ「起業」へのあこがれみたいな気持ちがあるんじゃないかな。現代の不景気感や情勢不安定で不確実な時代に起業へのリスクは高いだろうから、心の中のリスクへの警戒心と自分自身の本気との比率が最終的に起業へのモチベーション量を決めている。

 起業後、「続く人」になるために、「ダメな人」にならないためにはどのようなことに精進すればいいのか?この「習慣」はすでに何十年も自営をしている人から最近起業した人まで興味のあるテーマだ。

 例えば、「うまくいく人は準備が整わなくとも起業し、ダメな人は準備が整ってから起業する。」「うまくいく人は小心者であり、ダメな人は気持ちが大きい。」「うまくいく人は失業手当をもらわず、ダメな人は失業手当をもらう。」「うまくいく人は「投資」をし、ダメな人は「貯蓄」をする。」などとても気になるフレーズが紹介されていました。

 まず、準備について言えば、起業するから改めてする準備なんてないし、結局、起業するための準備って本気か否かだけだから、本気の有無など準備はできない。完全にポテンシャルの問題だから、準備したから本気になることもない。準備とは本気のことだろうから、確かにダメな人は本気ではなかったと言える。

 小心者は決して悪い性分・気質ではないのだから、気持ちが大きければ世の中渡っていけると考えることがナンセンス。起業して20年、未だに小心者道をまっしぐらである。一度でも大きな気持ちになりたいものだ。

 失業手当など眼中にはない。だって、仕事を辞めた状態を「失業だ」と思ったことがないから。

 投資については、何が投資なのか実際しっかりと理解できていないし、投資と貯蓄の関係についても、すべて「たまたま論」であり、「結果論」だと考えているため、結果、これで投資ができていたということになるのかなと考察する程度の実感しかない。

 石の上にも3年、起業3年目の壁は想定以上に高い。就業して3年目に転職した私はこの3年というサイクルが何かを考え何か行動する時のとても適正なサイクルだと常に考えている。

 まぁ、仕事の成果を左右するのは勿論「習慣」だけではないが、微妙な「習慣」のさじ加減で3年間の振幅が大きく変化することも実感しています。

i-Phoneのこと。

 三つ巴の戦線が始まった始まったといつもの感じ。一人目の購入者がテレビカメラの前で笑っている。この笑顔の実態は何か?非常に興味がある。それぞれ3社が他社との差別化でどうのこうのという戦略も、ITコンサルタントのフリップのすみ分けも別段興味はない。ただ、この三つ巴の戦線には何があり、3社の社長のあのつかみどころのないコメントと笑顔は何を意味するのか?

 私自身は、i-Phoneに対してどの触手も動かない人なのでからかもしれないのですが、別段、スマホ自体を肯定も否定もしていない。ただ、無尽蔵なアプリはつまらない。携帯する電話にしては大きい。ゲームはつまらないので携帯する端末にあのサイズは必要ない。ただこれだけなのだ。そもそも、なんでもかんでも複合機化して多機能化することを「進化」や「技術革新」や「便利」だと啓蒙され続けている仕組みがNGなのだから、相場が下落するから本来の機能は据え置き余計な創り手本位の便利さを押し売りされるのはNGだという真理である。便利さはユーザーもそれなりに考えがあり、道具として価格と費用対効果を見極める力は持っているのに、のに、消費税を上げて、法人税を下げれば、給与が上がるという直線的な思考の情勢に依存してしまうのである。商売をしていれば、消費税も法人税も給与もすべて死活問題だ。最後の最後で郷に入っては~で統括できるという節が細いのだ。

 さて、i-Phoneというツールは何だろう?アップルの狙いは何だろう?この疑心暗鬼に対する仮想の答をシュミレーションできるアプリかゲームがi-Phoneにあれば買ってもいいかな。でも無理だろな。その答は0と1の間に潜んでいるのだから。

 だから、今回もi-Phoneはスルー。

仕事のカン。

 ある雑誌が「上位3%の人だけが知っている 仕事のカンの磨き方」という特集をしていた。その道のプロの記事を中心に成功事例・成功体験の紹介だろう。「仕事のカンがいい人と悪い人」の比較や、プロスポーツに置けるチームの絆のつくり方という視点でインタビュー式の原稿が特集として展開されているのだろう。

 仕事のカンと言えば、スキルを指すのか、ノウハウを指すのか、キャリアを指すのか、メンタル術を指すのか、もしくは、ネームバリューを指すのか?

 例えば、集客イベントを開催する時、その主体となる面子がプロでない人達の集まりである場合、恐らく存在するのは一定額の予算と熱意だけだ。しかし、過去に成立したことだけを時系列に捉え、狭い視野でその感触を達成感だと誤認してしまえば、予算のある限り、イベントは開催されて、「集客」が成立したかのような構図になる。しかし、人を集めることだけが目的ならいいが本質は活性化とブランド化。日本中どこでも発生しているこのダブルバインドを活性化するにはどんな「カン」が必要なのだろう。

 「仕事のカンの磨き方」というこの雑誌の特集記事と、飽和しているこの活性化への葛藤・挑戦は、どこかで繋がっているように感じた。来る2020年に向けて考えなければいけないことはいろいろある。

デザインの原則。

 天下のグーグルは「デザイン原則10」として下記を列挙している。

 「Googleのデザイン原則は以下の通り。
 1.人々に焦点を当てろ――彼らの生活、彼らの仕事、彼らの夢に
 2.すべてはミリセカンド単位で数えろ
 3.シンプルにすると強力になる
 4.初心者ユーザーを引き込み、上級者ユーザーを魅了しろ
 5.革新に挑め
 6.世界に通用するデザインを
 7.今日と明日のビジネスのために計画せよ
 8.気を散らさず、目を楽しませるようにしなさい
 9.人々の信頼にふさわしいようにしなさい
 10.人間味を加えなさい」としている。

 どれも襟の立つピリっとした原則である。

 私も日頃から留意しているデザインの原則について考えてみた。すると、絶対的な法則はなく、常に思い浮かぶ留意点や工夫点がすべて「人間味」というニュアンスに帰着することに気が付き、グーグルのこの原則を発見した時も、やっぱりな・・・という感想だった。さて、この「人間味」という部分をベースに「シンプル」「革新」「信頼」というディテールに分けてみると、やはり、「人間味」というフィーリングに流れるパターンと相反するフィーリングに流れるパターンに分かれる。人間が思考し人間のスキルで創出していながら、何故、「非人間味」に逸れるのかと。まだ、コマが揃っていないので、結論に達してはいないが、これはなかなか整理するのは難しいぞ・・・と。しかし、この迷いというか葛藤も最後には「人間味」で捉えることができるような気もしますし、結局、人間のために人間が創っている以上、どっちに転んでも「人間味」だろうなどと乱暴に考えたりもしてしまう。「デザイン力=人間力」などと安易に捉えることもできないが、逆にここへ向かうチカラを阻む存在に対してひとつづつ丁寧に規定して排除していけば、残ったモノが結果「原則」となりうるのかとも考えています。

無料セミナー

 クラウドが世の中の知を掘り起こしている。ネットビジネスにおけるテレビメディアの取り組みが熱い。テレビのシステムがいかに重要で価値があるかという証だろう。結局ネットビジネスの構造もそこへ向かうということなのかもしれないが、ちょっとその仕組みが違うように思える。前モデルが一極中央集中型だったのに対して現モデルは分散多様型とでも言おうか。誰もが写真画像・映像画像をクラウドにアップロードさせるツールを手にしてどんどん水が蒸発して巨大な雨雲も形成する。地上と空中の温度差化がハリケーンを生み気候に変化を及ぼす。それが雲ならば自然のルール・法則で雨になり地上に降り注ぐが、クラウドのキャパは無尽蔵だ。それは人間の欲のように。どこかで一気に降り注ぐのか、雲の中でそれを制御することが目的なのかは地上では分からない。地球を網羅包括するネットの糸が何を絡めて何を引き上げているのか。引き上げられなかったモノは水分と分離しそのまま地層として蓄積する。この構図と構造は正にあれである。

 世界の大学の講師達がクラウドを利用して無料講義をオープンにする活動が激化しているらしい。知の放出でそのあおりを喰らう制御サイドの人達。地上に沈殿する水を欲する人達に与えられた知が脅威に変化するのを恐れているのか?パレートの法則が現実的ならば20%の人達はどこで何をしている。ネットカメラの前で自分自身の体系化した理論を発散しているのか、テクノロジーのマジックで降雨エリアを絞り込んでいるのか、狼煙を上げて雨を欲する人々を煽っているのか。無料セミナーという取り組みがこられの二面性をより明確にしているように感じる。

 発汗で体温を調整している地球上で唯一の生物は、水が生命線だ。水こそが生物の根源であり未来である。水のある惑星の神秘を何で感じるのか、この夏の集中豪雨の被害事例は何かそれをアイロニカルに比喩揶揄しているようで恐ろしい。

 つまり、ループしているシステムは様々な振幅を一定のリズムで刻んでいるだけであり、そのリズムをコントールしようとする狙いが進化と逆行した時、無料セミナーが順回転だったことを我々は知るのだろう。そりゃそうだ、天気の話題はコミュニケーションツールの鉄板なのだから。

 さて、蜘蛛(雲)からの糸(意図)はどの一本だ。

だから、WEBデレクターはやめられない。

 という切り口がある。このフレーズはWEBデレクターという仕事は世間一般的にまだまだ浸透していないが、インターネット全盛時代にWEBサイトの企画や構想という仕事からデザイン制作・コーディング・プログラムの連動・各種デバイスへの同期・更新企画戦略の立案などなど総合的な知識と知恵とスキルとコミュニケーション能力などを駆使してキリモリするこのWEBデレクターという仕事はやりがいがあり、稼ぎの点も魅力があるということを表現している。

 デザインの仕事とWEBデレクターの仕事の関係性は前者の中に後者が含まれる関係性だと私は捉えていますが、デザインの仕事となるとその守備範囲は広く、現代のビジネスモデルの主軸のひとつでもあるインターネットコンンテンツ制作運営の仕事(デレクション)というのはまだデザイン一般の仕事の中の部分的な存在なのだろう。デザインの仕事におけるWEBデレクターの存在についても明確なルールは存在しないだろうから、これから・・・という分野の仕事に入るように捉えています。しかし、これから・・・という仕事がどの段階で主軸になり、一時代を築くかという境界線は明確にはないのだから、あまり、世間一般の兆候や傾向を過剰に意識して自分自身のポテンシャルを見誤らないようにしたい。したいが、躊躇もしたくないし、できうることなら、一歩でも二歩でも先行したい気持ちは強い。情報の流れからどこのポイントが「一歩先の先行」なのかを見極めることは難しいが、確実に時代は止まっていないし、世間の大きな流れも乗り遅れた人をケアしてはくれないことは疑いようのないリアル。全て自己責任において乗るのか反るのかを判断していかねばならない。意識の中での迷いが無意識の中では結論だったり、不自然な思考の中にナチュラルなルートが見えている場合が多い。「××××はやめられない」という仕事に出会うことは幸福なことだが、原因や背景があり結果、というか現在進行形の今があるわけだから、「やめられなない」の裏にある「いつでもやめられる」と仲良くすれば、乗るか反るかのジャッジも適正なタイミングが見えるだろう。

 真実は磨けば輝くダイヤモンドではない。結合と分裂を繰り返し常に変化し続ける有機体のような存在。どの鉱脈をどのタイミングで掘り起こすのか、変化し続ける化学変化をどこで抑制するのか、研磨し続けて価値を創出させるのか研磨し過ぎてただの粉じんに変えるのか、このさじ加減が難しい。真実は生き物だ。ここを押さえることができれば、どんな仕事も「~やめられない」ってぐらい楽しいはず。

 だから、デザインの仕事はやめられない。

FM滋賀さんへ。

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 大津のFM滋賀さんがある建物1Fです。なんと素敵な建物なのでしょう。上を見上げると吹き抜けがあり、不思議な空間でした。皆様撮影ご協力ありがとうございました。お疲れ様でした。

認められるために。

 「なぜ今の若者は有名企業をすぐに辞めるのか?」「なぜ優秀な若者がNPOで働こうとするのか?」 「なぜ若者は何の報酬ももらえないのにSNSで発信するのか?」「なぜ若者は友達がいないことを異様に気にするのか?」「なぜ若者はソーシャルゲームに夢中になるのか?」「なぜ若者はずーっとスマホをいじっているのか?」という疑問がかなり深刻な問題になっているらしい。49歳の私には現代の若者の諸子を単純にこの側面で規定してはいけないのだろうと捉えつつも、実際、私自身の年齢やこれまでのキャリアを経て分析・洞察すると「よく分からない」と乱暴にも置き去りにしてしまう気持ちが強い。これらの質問のディテールというか問題提起がどの方向へ誘導しているのかという意図の部分と、相対的に感情移入して自分なりのリアリティーで捉えてみたら・・・の部分を合わせて答が出せるとしたら、「誰かに認めてもらうための行動」に他ならない。では、現代の若者は誰から認めてもらいたいのか?という疑問に対して思うことは、自分の若い頃のことを振り返ると、会社の上司であったり、お得意先であったり、仕事仲間であったり、好きな女性であったりしたはずだ。その時の気持ちが「認めてもらいたい」だったかどうかは正確には想い出せないが、自分の存在価値を認めて貰いたい人に対してアピールすることに対しては貪欲だったと記憶している。この「認められたい」という気持ちと、「自分を主張したい」という気持ちのニュアンスには微妙に世代間の誤差が存在するようにも思うが、何を証拠・確証として「認められた」が現代社会では非常にあやふやなんだと思います。ふわふわしている、いや、誰かが何かの目的のためにふわふわさせていると捉えると、その狙いは「確証やリアリティーを獲得させない」という構図になり、もし、それがゲームやスマホを市場に送り出すことで成功させているとしたら、このデベロッパーはかなり狂気だ。人間性の成長過程で「認められたいエネルギー」を逆回転にさせて利を得ているシステムが存在するだとしたら、私のようなゲーム大嫌い、スマホ反対派のようなやっかいなおっさんが何かこの現状の問題解決に対して一石を投じれる隙間も存在するのかもしれない。

 安易な暴論で締めくくるが、「認められた。認められなかった。」などどうでもいいこと。自分自身の中にある評価点が一定レベルをクリアし続ければ、あとは野となれ山となれ、明日は明日の風が絶対に吹くと考えている。つまり、自信は共鳴してから作るのではなく、まず、苦労して苦労して試行錯誤を経て自分自身の中でしっかり創りましょうということです。SNSで友達が作れるはずないじゃん!友達申請して友達が増えたら苦労はしないですって!他人の言葉に敏感になる前に、自分の中の気持ちに敏感になりましょう!ということ。

 仕事柄、オンラインなので、諸々を成立させるためにオフラインで全てを完結させることはできないが、思考は常にオフライン状態でありたいと考えています。って、オンラインの恩恵を何%受けられているかは定かではないが・・・。

3Dプリンターの未来。

 いよいよ次世代型!?3Dプリンターの波が本格的にやってきたようです。それに伴いよくある問題が具体化している様子。完全コピーできるモノのクオリティーがここまで高まると、イマジネーションを高めているのは善人だとは限らないという問題。でも、何か一回作ってみたいですね。ちなみに、自分の顔の完全コピーマスク制作はモデリングとプリント費用で¥30,000ぐらいらしいですね。誰でも007時代の到来!?なのかな・・・。

DESIGN×WEB×VIDEO=?

 ADOBEが提唱するクラウドプラットフォームへの賛否両論が「迷信化」しているらしい。なるほどそりゃそうでしょうね。APPLEもそうですし、MSもそうですが、結局、そうなるんですよね。でも、それは当然と言えば当然の流れだから、迷信化する前にクリエイターが個々に対応策というか個人レベルの戦略を組み上げているかいないかで迷信になるか伝説になるか(まぁ、伝説にならないまでも均衡を維持できるか)となるのでしょう。もう別のルートはないのだから。崩れる時は一緒なのだろう。もしトラブルが発生して最悪の状況になっても自分のハーケンがまだ有効なら道連れになる前にザイルを切るためのザイル用のナイフを用意しておきましょうということだろう。ザイルはキャンプ用のナイフでは切れないですからね。そして、そこからでも次の一手を目指すポイントに伸ばすというのなら、それが「登る」というリアリティーだろう。

人間的魅力のつくり方。

 「魅力があれば他に何もいらない。魅力がなければ何があっても意味がない。」

 ここまで言い切れるこの書籍の著者は素敵だ。さらに、「人間的魅力」をテーマに書籍にしてしまうのだから、誠実で研究熱心で貪欲な人なんだろう。そういう人なんだろうと感じてしまいます。魅力があれば他に何もいらないと言い切る人が目の前にいたとする。その人は何のことを人間的魅力としているのか?という興味が湧く。これがジャブなんだろうし、書籍を手にしてレジまで持って行くにはもう少し理由や動機が必要になってくると思いますが、それでも、何かと反照して「自分は魅力的でない人間だ。」という判断をしてコンプレックスを持っている人(持っていない人などいないだろうが・・・)はこのタイトルに期待してその期待値から¥1,000を支払うのだろう。自分に足らないものを補えたら・・・と。

 で、書籍を買って読むと「なるほど」「確かに」「おっしゃる通り」があった場合この書籍は価値がある。しかし、「¥1,000の書籍にしては内容が軽いなぁ~」とかなってしまったら、なかなか絶対的に「人間的魅力」についてはどうでもよくなり、勝手な期待値と自分の消化加減・理解レベルと相関させて「そして、次へ続く・・・」になるのだろう。

 ひとつの言葉をどう解釈しているか?捉え方を限られたページに規定するということは、時間を切り取るような感覚であり、デザインの仕事と似ている。ミイラ捕りがミイラになることはどうしても回避したい。

 人間的か・・・、凄いテーマです。改めて。

自動制御装置と加速装置。

 デザインの仕事にはいろいろな意味で「自動制御装置」と「加速装置」が作用している。これをコントロールできればデザインの仕事の「苦しさ」と「楽しさ」をコントロールできる・・・と言いたいが、まだまだ、その域には達していません。この歳(49歳)になっても現在進行形なところがなんとも歯がゆい。が、この歯がゆさがなくったら終わる。何が終わるのか?それを今整理しています。

 時代と共にいろいろな仕事が浮き沈みしながら、創出され消失し、退化し進化する。その天真爛漫な怪物をどうしたら飼いならせるのかが永遠のテーマ。そいつはかなりのモンスターだから時に自分自身をちっぽけに感じさせたり、時に鉄雄のごとく月を破壊しようとする。ざるで微生物を掬い取るような作業もあれば、ライフルでジャングルの中の獣のこめかみにフォーカスするような作業もある。永遠のテーマだから、その鍵を手に入れればパンドラの箱は開くのか?

 教育や文化や慣習は自動制御装置をより強固にし先入観や固定観念の強度を上げようと作用する。流動的にカタチを変えたい時、そのリミッターを一瞬でリセットできるか否か。00ナンバーのリーダー、ジョーが加速装置を起動するように、その一瞬をマッハ3で好転させることができるのか?

 言わば、気功で人が吹き飛ぶような絵空事でさえ、イメージの世界ではアリなんだから、仮想空間を数式化しているプログラムでは決して想定できないRPGが実は一番楽しい。

 009でさえ、過去へ戻ることはできないのが絶対のルール。

きっちり!恥ずかしくない!!文章を書くために。

 「きっちり!恥ずかしくない文書」を書く勉強・訓練をしたことがないので、こんなタイトルの書籍には敏感になってしまいます。なかなか「きっちりとした、どこに出してもはずかしくない」基準って長年仕事に携わってきた人間でも、常に自分の文体に疑問があるはず。自分の文章はどうなんだろう?と。それにイマドキのSNS時代、芸能人レベルのジャンクなブログに書き綴られているようなテイサイの文章が一般化しているため、口語なのか文体なのか微妙なまま氾濫・飽和・充満している。やはり、はずかしくないというクラスを維持するためには、一通りのルールがあるのでしょう。

 例えば、「不必要な主語は省略する。」とか、「意味の固まりを意識して句点を打つ。」や、「「てひはお」を間違えると恥ずかしい。」、「未知情報の後には「が」を使う。」、「同じ意味の言葉を繰り返さない。」、「修飾する言葉と修飾される言葉を近づけるな・・・。」などなど。なかなか、絞り込んだことがこの書籍の広告文には書かれてる。「気づかないうちに、おかしな表現になっている・・・」とのことですが、恐らく、セオリーが何パターンも手元にあったとしても、「気づく」か「気づかない」かが一番問題のような気がします。それは、やはり、「気づく」ために美しいロジックや魅力的な文体や行間を読ませる工夫や熱意が書き手にあるのかないのかに尽きるでしょうね。

 英語も同じですし、文章もそれを出してきた部位(頭?心?条件反射?)が「恥ずかしい」と美辞麗句を並べても、文体を清涼に整えても、結果、「恥ずかしい」にぶれるのだろう・・・。ならば、ちょっとぐらい勢いがあって乱暴な荒文でも、魅力的な文章であればいいのではないだろうか。この感覚がすでに恥ずかしい域にぶれていたら仕方なし。

 絵画やデザインも同じかもしれないです。意外と逆に「はずかしい文章」を書けないリミッターの方が実はやっかいだったりなかったり。

大阪CITY

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 昨日は朝から大阪へ。結構上下に広いエリアを車で走りました。滋賀県と違って、やはり、市内を走るのは疲れます。というか大阪市内を車で走るとなかなかの密度だし、車と車の関係がタイト。名神高速に乗るまでは緊張感が続きました。グレーでミディアムで下層のレイヤーに潜むエネルギーはやはり大阪の魅力ですね。疲れた疲れた。

NEW PCが2台。

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 いやいや、新しいパソコンは新鮮な気持ちになりますね。只今、2台をセットアップ中。一台はお客様用に明日お引き渡しで、もう一台のワークステーションは新兵器。

 昔は、あんなにこんなに高価なデスクトップが今では・・・ってぐらい安価で高性能になりました。これも世の中が、スマホ・タブレット・ノートで浮かれている恩恵だと言えますね。あくまでも使用活用目的は仕事のツールだから、余計なデザインとか逆にいらない。いつの頃からかそんなベクトルになったので、アップルには心が響かなくなった。何故、響いていたのかさえ・・・状態。仕事として必要なOSだから会社にあるが、その響きはもう私の心には存在しないですね。それを価値だと捉えて機能以外のコストをかけるっていう時代が終わったということ。浮世に漂う無数のアプリがどんだけのものか知らないが、全く興味はない。それは仕事のツールではない。というよりもプロが仕事で使うツールではない。

 だから、コストと機能・スペックが納得できればどんどん装備したいと考えているが正解だと思います。まぁ、アマや一般の人のニーズはもっと多様だからそれを肯定も否定もしませんが、私は120%仕事優先。だから、高性能のデスクトップが一番。別にシルバーに輝いている必要なし。別に薄くて軽い必要なし。別に筐体のフォルムで自分自身の直感が鈍るとは考えていない。

腕のいいデザイン事務所で・・・。

 今この時代に「腕のいい・・・」というフィーリングがいったいどこを指しているのか?何がどうなれば「腕がいい」ということを意味するのか?わざわざ、この時代だからこの表現なんだ!みたいな部分がとても逞しく素朴で純粋チックでいい表現だと思います。何がどうあっても「腕の悪いデザイン事務所」に仕事が流れる時代ではないのだから。

 うん!では、バブルの時なら「腕が悪いデザイン事務所」でも仕事を引き寄せる要素・理由・背景があったってこと?いやいや、それはそれとしてもうその時代のことを今更どう比較しても仕方なし。いろいろな意味で大きく時代は変わったと言わざるを得ないというテイで話を括るのか、いやいや戦後の動向など地球上の歴史から比較すればちっぽけな・・・とタカを括るかの違い。どの物差しで何を比較検討するかで、これまた、「腕」の良さ悪さが問われるとか問われないとか。

 BY THE WAY... 「腕が悪いんだけどコストが安いデザイン事務所」より「コストは高いかもしれないけど腕はいいよねぇ~!というデザイン事務所」を目指そう・・・と思っています。

猛勉強。

 さて、最後に猛勉強したのはいつだっただろう?そもそも勉強は嫌いではなかったが、結果、高学歴ではないので世の中の猛勉強をした人達と比較した場合そのレンジには入らないだろう。さらに、猛勉強をしなければ合格しないような試験をクリアして今の仕事をしているわけではないので、一般的な猛勉強とは違うだろう。つまり、記憶を手繰り辿っても猛勉強したのは中学受験の時だけのような記憶しかない。仕事に就くために国家的な免許を取得したわけでもなく、仕事を続けるために現在の立場というか肩書きを維持するために何か専門的な勉強を続けているわけでもない。一心不乱にひとつのことにこだわってきたと言えば聞こえはいいが、客観的に俯瞰で自分自身を捉えると、まぁ、好きなことだけをやってきているだけだった。でも、好きこそものの上手ではないが、この「上手」を仕事にするためには猛勉強しても会得・体得・獲得できないモノはどこまでも貪欲に奪取してきた感触はある。それがなければ恐らく今頃は出世・昇進もできずに退職を待つノーマルな親父だっただろう。ノーマルな親父というテイではノーマルの真髄を走っているが、デザインの仕事は楽しいから続けてこれたという面と、これしかできないから続けてきたという面が相互に自分の中で関連し相関している。

 などと、最近、ちょっと振り返ることがあったので、あれ、そんな試行錯誤の紆余曲折を右往左往しながら、「猛勉強」というフレーズというかテンションはなかったような???と気がついた。そんな啓発があったからといって、何か猛勉強して今更国家資格を・・・などと意味のないことは考えないが、自分自身にとって「猛勉強」って何か血肉になったのだろうか?という疑念でもあった。

 一般的に「猛勉強」するのは社会的な安定や経済的な人生設計をより強固にするために行うのだから、価値や意義はある。しかし、いわゆる「猛勉強」モードにならなかったような感触の人生の場合、やっぱりのところ、アウトローだったと規定されてしまうのか?遊牧民のような、ダンス・ウイズ・ウルブスなのか?と。というわけでもないが、最近の私の名刺には映画「ダンス・ウイズ・ウルブス」の遊牧インデアン風の鉛筆画を描いて入れている。ロジックではない分、いろいろなサインやイメージの断面のパッチワークに過ぎない感覚かもしれないが、そんな風にいろいろ最近振り返る事が多い。

 それもあるコンテンツを創っていることが深く関連しているのですが、温故知新じゃないけど、猛勉強をしてこなかったわりには、なんとなく、私なりのチャンネルというか引き出しというか仕事のギアは揃っているのがこれまた不思議。人生、一生勉強と言うけれど、そんな言葉、イスラム語圏にはないだろうな・・・。勤勉勤労の国、ジャパン。その骨が骨粗鬆になり杖をつきながら折れるのを島で待つっていのもの嫌だな。いつまでもアンブレイカブルでいたいものです。

只、喝采を待つ!

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 これはかなり理にかなっていると思う。このような視覚化で何が引き寄せられるか?を期待しています。熱が伝導する法則にそって正しいタイミングで適正な熱量を放ちたいものです。

「K」が・・・。

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 ほぼ2年酷使したマイキーボード。これも癖なんだろうけど、必ず2~3年使用すると「K」の文字が消える。頻度の問題か、「K」を押す時に他のキーよりも無駄に力が入っているのか・・・。こんなことが起こります。恐らく頭文字が「K」のワードなんだろうから、「KHUZ」だろう・・・。

iMacか・・・。

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 確かにカッコいいし、安くなりましたね。ちょっと気になっています。確かに確かにどのWINの筐体にもない空気が漂っていますね。鑑賞するにはいいかも・・・。なんかこれを購入しても今の自分自身の会社に置いたらマッチしないような気がします。もっと、天井の高い、内装がコンクリートで、無垢のフローリングにリトグラフが壁に飾ってある。観葉植物はハーブ・・・みたいな空間ならマッチするのでしょうが、という感覚だから、結局、怖気づいて委縮してるから手を出さないのかもしれないかな。こんなプラットフォームがシンプルにデスクの上にコツンと置いてあるようなオフィスって憧れますね。私の今の空間ではちょとこの筐体が可哀想・・・。

このテイストには強い。

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 このテイストにはやはりshadeは強いなぁ~。やはり、ツールありきではなく、イマジネーションが先行しないとダメ。ソフトウエアに使われ(憑依)ちゃうともうなかなかリセットしにくい。使わないと何事も始まらないのですが、使いながら使い方も会得・体得する必要がある。この分岐点の見極めがなかなか難しい。テキスト本やマガジンには目ざとい読者、というか、パワーユーザー向けにゴリゴリのTIPSが百花繚乱。しかし、その多くが結実せずに枯れていく花。何がどこから違うのか?この見極めができれば、ソフトウエアは自由自在に手に馴染む。その最初の分岐点は「小さな誤差」だと思う。素直さや一生懸命さが仇になる前にその誤差に気づくこと。「あれ?なんか違うぞ・・・」という感覚が必ずある。その時、どうするかで大きくルートを自分よりに変えることができると思います。

直線的な思考パターン。

 ロジックの組立方が直線的だと大人数で共有する組織にはとても有効なのですが、実際、何かを起案して予算化して実動するまでの起案からアクションまでには複合的で多面的な要素が交錯することが多い。意思統一を重んじるばかりに議論が直線的になる傾向があるように思います。実際、時間軸に議題を並べて是非を問う会議が一般的であり、起案する際のプレゼンテーションについても同様で、起案理由や背景や具体的な効果と予算の効率からプロジェクトのディテールなど理解を得るためにのストーリー作成は直線的であるべきだ・・・という空気がどこでもセオリー。しかし、実際の現場は多面的であり複合的な要素が複雑に絡み合う事が多く、優先順位をつけるにしても、どの価値を優先するか、どの意見を重要視するかで議論が炎上する。それを本題に対する建設的で創造的なヒートアップと勘違いするとまともな結論が出ないことがしばしば。日本はまだ炎上ありきの文化・慣習ではないから、スムーズな組織がまかり通り経済大国という称号を手にしたかに見えたが、それも、結果、多面的な意味で泡だったという悲劇。でも、それに懲りず基本的な洞察・分析・仮説立てのポテンシャルは同じ。何か目的を設定したら必ずフィッシュボーンに頭から尾に向かう時間の活用術が一般的なんだと思います。そんな会議の場でそんな空気を読まず異論を発しようなものなら、失笑を買うばかり。その意見にタイマンを張る勇気の欠如からか、ポテンシャルの低さからか、逆転の発想からか、その空気は失笑のフェードアウトで意見もフェードアウトするという不思議なムラ文化。それは国家がそういう構造になっているからか、国家を形成する個体がそのタイプのカスタムから覚醒できないからなのか、理由も多面的だろうが、結果、直線的に是非を問い、多数決で出された結論を飲みこむ体質が常。

 で、クリティカル・シンキングというフレーズがある。これは、否定的だ!とする語感にパブリックでは浸透していなような風潮があり、この手法を導入する場合の条件があるように思う。ただの「論理的で構造的に考えること。」なのだが、それすらアレルギーを持って錠剤片手の会議になる始末。ただ、論理的であればどうなんだ、構造的であればどうなんだという逆説も確かにあるが、それさえも俯瞰で捉えなければ出せる結論も直線的議論と同じ。論理とは何か、モラルだとも言えるし、知恵・知識だとも、スキルだとも言えるこの論理でつばぜり合いをするには何が必要ということ。

 私達は学校の頃から黒板を見て思考している。社会に出ればホワイトボードに書かれた図表や文字列で思考をしている。PCのモニターからタブレット、疑似的に3Dな表現はあるが、思考は常に平面的になりがち。だけど、そこに時間軸が加わるだけでも、平面的ではないのだから、実際は多面的というか、立体的な思考をしているはずなのである。でも、共有する時に言語を用い、平面的な視覚的情報を共有するばかりに、アウトプットした段階で思考は平面化するのだ。平面のデザインを仕事にしている人間だから、そこを疑問視する必要もないし、映像であれ立体グラフィックスであれどうにでもできるから、そこは平面的なクリエティブに結果アウトプットするんだからいいじゃんという自分と、いやいや、そもそも思考が立体的な構造で行われているのに、無理やり平面化するのはやっぱり無理があるんじゃない?という自分がいる。

 デッサンなどは、目からインプットされる情報と後輩効果と言われるインテリジェンスの部分が手の筋肉を動かし平面化させているとも言える。ここに上手い下手という基準は存在しなのですが、有量の世界だからそこは表裏一体なのだ。無量の世界ならば、両手を合わせて煩悩を捨てたようなパントマイムで事は済むが、実際の思考はやはり立体的であるはず。これは何に起因しているかと考えると、つまり、首の上に保管された大きな臓器の仕組みと同じということ。

 まぁ、きっかけはこの程度にして、残りはまたどこかに記そう。

春の光。

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 仕事場にも春の光がいっぱいです。気持ちのいい朝です。

1万円分のアプリ!?

 「 学生のみなさんが今新しいMacを買うと、1万円分のアプリケーションをダウンロードできる。新学期を始めよう」カードをさしあげます。しかも、Macはお得なAppleの学生・教職員価格で購入できます。」とうメルマガが到着していた。学生さんと1万円分のアプリの関係はいったいどうなっているのだろう?どんなアプリが存在するのかさほど興味はなく、一般的な知識・情報しかないが、最近の学生さんはこの理由でMacを買う買わないを判断しているのだろうか?タブレットもスマホもそうだが、アプリアプリの百花繚乱で、そもそもアプリって何?という感覚が麻痺気味のような気がする。春だから何か新しいことを始めたいというベクトルになるだろうから、手っとり早いのはMacを買ってアプリでチマチマして何か自分のスキルやリアル感を満たす・・・だけ!?で、小手先の達成感が得られるならば的なアプローチだろう。そこに明確なインテンシブがあるのだろう?あるのかないのかで言えば、あるだろうが、それがどんなのびしろになる?というところまで踏み込まない・・・みたいな。アプリはアプリを使うことが目的なのだろうし、使ってみて「便利感」を感じる感じないの指標が不明確だから、使っていれば、便利だという根本的な勘違い。それにさて1万円の価値があるかないか?かな。

 で、私は勿論、それに1万円の価値は感じないからこの手の提案にはダイブしないし、出費も考えたことがない。1万円ですからね・・・、1万円あれば、時間つぶしのアプリを購入するよりももっと違う価値を手に入れることができると思っています。

 いつの頃からか、appleがこの路線を展開し始めてからMacをデザインツールとして見られなくなった。結果、一般ユーザーを抱え込むためにアップルはパワーユーザーを見切ったような感覚でした。ここまで露骨ではなかったものの、そんな印象を抱いてしまったから、プラットフォームとしての啓蒙力に陰りを感じてしまった。恐らくただの危惧だろうが、この気持ちの変化を感じたユーザーは意外と多いのではないだろうか。それまでデザインの仕事はMacで!という気持ちはあった。しかし、XPでそれが変容したこともリアル。何故か?費用対効果が確実にあったから。逆に、パソコンを開発して販売する時の物語を描く場合は、第1章はいいが、第2章を構想するのが難しいということだろう。TOUCHやPADにそのスパイラルが散ったことで、本体のPCに吸引力が無くなっていったという物語だろう。

 結局、プラットフォームもソフトウエアもアプリも各種デバイスも「道具」なのですから、デザインの仕事はどのブランドでもできるし、やりたいオブジェクトが明確であれば、安価で高性能をチョイスするが当然の流れ。それでも「Macが好きだ!」という人はある意味、救われるはず。

 私自身は、別に「便利=薄さ」でも、「便利=コンパクト」でも、「便利=タッチ画面」でもないので、入力とインターフェイスをしっかり制御できれば、マウスで充分だと考えているユーザーなので、このまま、メインプラットフォームを変えるつもりは当分ない。逆、タッチパネル系のデバイスについて言えば、画面を指でタッチするのはキライ。指の油脂がどうしても付くことが嫌。画面はインターフェイスや作成しているオブジェクトを正確に目視したいので、そこにチラリでも自分の指紋らしき汚れがついているのがとても気になる。というか嫌。クリーンなデジタルデータをわざわざ指の油脂で汚しているような感覚になる。だから、フラットなキーボードも嫌い。「ボタンです!」「これがキーです!」というインダストリアルが好き。

 で、今の時代の春、何か新しいことに挑戦したいなぁ~と感じた時、何が一番適正なんでしょうね?やっぱ、中国語かな?

集中力はどこからやってくる?

 ふと、集中力はどこからやってくるのか?と考えてみた。何事においても出来が悪いと「集中力が足りないんだ!」と言われてきたことの裏について考えてみようと思った。確かに何かをする時に集中力がある時と集中力がない時はある。その違いを若い時はうやむやなグレイな状態でもなんとかなったが、いやいや、50歳が近くなるとそうもいかないのかもしれないと少し心配。経験値や引き出しが多くなっただけで実際仕事の現場でそれに依存して集中力は大丈夫か?という自問自答。いやいや、そもそも集中力なんて自分でなんともできないものなんだから、自然に任せていつもの通りに黙々と仕事をすればいいじゃんという自分と、いやいや、この歳になったのだから、改めて気持ちを入れ替えて「集中力」とは何かを再確認して仕事をしなければいい仕事なんてできないぞ!という自分のジレンマ。

 で、結局、なんだかんだと気楽に捉えてなんとかなるだろうと考えながらも、ふと、どこからが「集中している自分」なのかと確認してみたくなった。

 さて、それはどこからなのか???

 例えば、集中している時の自分自身はどういう状態が多いのか。自覚的にどんな状態の時に生産性や効率が高くなったのか。そのモードで何が具体的にどうなったのかを少し整理したいな・・・と。仕事で言うならば「リズム」を感じる時だろうし、絵を描いている時などはあまりにも集中していると、汚い話、よだれが垂れる時。釣りで言うならば、水面から出ているラインの動きしか見えなくなる時。こんな時は明らかに集中しているし、だからということでもないが、結果が出る。※よだれはなんとかしなければいけないが・・・。

 で、どこからやってくるかと考えてみると、何かのサインがある。それは自分自身の中からのように考えてしまいがちだが、それは、意外と外因の場合が多い(私の場合)。それは自分自信がそのモードになるぞ!という気合いというか気持ちの入り方も大きく相関・影響・作用しているのですが、ココイチで集中する時は、何か身の回りのサインか合図で集中モード・クラスへダイブしているような。

 が、ブログ記事レベルに、何か書き出せば、簡単に答が出るかなと思ったがそうでもないので、このテーマはちょっと温めよう。面白い原稿になるかもしれないし・・・。

人と運を引き寄せる・・・。

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 「最高の接遇」と認められた元CAの里岡美津奈さん。誰からも好かれる女(ひと)の条件とはいかに?

 毎日を丁寧に、前向きに生きていくとチャンスや出会いがめぐってきます。運は自分でつかみに行くものではなく、引き寄せるもの。だからあたたも始めてみませんか。これからを輝かせる、丁寧は毎日づくりを・・・。と。

 この他にも里岡さんは「また会いたい!と言われる女(ひと)の 気くばりルール」という書籍も出しておられるのですが、このなんとも女性らしいタッチの素敵さ。自然体でありながら、女性の光の部分をキープしておられる感じ。恐らくその裏の影の部分ではそれ以上のご心労があったはずなのに、それを出さずに光を放つ女(ひと)って素敵です。

 内側の美しい女(人)はその一番外側も美しい・・・と。美しくない女(ひと)ってパラレルに美しくない何か内側にあるのだろう。内側と外側は表裏一体なんですね。それは結果どうしても目に見えてしまうから怖い怖い。

青い象。

 確かに青い象の事は考えないようにしたい。というか思考力の問題だけならいいのですが、思考している筐体は腹も減るし眠たくもなる。思考力ってやっぱミズモノですよね。蓄積したから積み重なるという訳でもないし、削ったから減るというものでもないから厄介厄介。

電脳の浸食。

 この場合「進化」と言わず、「浸食」とするあたり人間は誠に勝手である。コンピューターが人間の仕事を奪う的な文章を読むたびに奢りと過信の狭間で見動きできないムンクの叫びのような人間像を見る。真剣に捉えるべきことかもしれないが、そろそろガチのお話のようです。いろいろな職場で人の領域が侵されているという現実をどう受け止めるか?フェイスブックやツイッターのログに一喜一憂している内はいいが、そろそろだろう。それらは工場のような製造業に浸食をし、オフィス空間にもその触手を伸ばしているとか。雇用や賃金がどうのこうのという問題ではなく、人の仕事がガチでなくなる社会へのカウントダウンが始まっている。赤いデジタルの数字はいったいどこまで減ったのだろう?

 ドカン!とそれが起爆した時、できるだけ人間らしい空間でそれを煙草を吸いながら人間らしく傍観していたいな。

 「機械が人の仕事を代替する動きはゆっくりと進むので、人間でないとできない分野に労働力を移す必要がある。」と偉い先生が語っているが、人間も安く見積もられたものである。では、人間だけに出来る仕事とは?恐らく次に出て来るキーワードはどんな記事も同じで「高付加価値」となる。さてこの摩訶不思議な言葉のベクトルはどこへ向かっている?付加価値とはそもそもこの場合、具体的に何を示唆しているのか?それが一番の「浸食」の対象ではないのか?と。

 人とパソコンの冷たい戦争が始まってしまった以上、どちらが眠る獅子なのか?どこがそのボーダーラインなのか?見極める前にボーダーラインを超えてしまったら、もう、スピードがどうのとか呑気に語っている暇はない。電脳という言葉にストレスを感じている人が一番やばいはず。ふん!電脳なんて、スイッチを切ればただの粗大ゴミだぐらいでちょうどいいのに、そのスマホがあたなの心のペースメーカーになる前に本当の心臓の鼓動のままにその歩を進めたい。

クリエイターへの夢!?

 「「本当はデザイナー、クリエイターになりたかった」「芸術系の学科を卒業したけれど気付けば全然関係ない仕事に・・・」「クリエイティブな仕事って就職先が不安で・・・」ひとつでも当てはまる方、もう一度夢を追いかけてみませんか?」というテイのなんだかとても魅力的な文章を読むことが多い。例の資格取得サポートのあれでも、このテイ(アプローチ)はよく見る。でも、「本当は・・・」って、何故その道へ進まなかったのか?まず、それが一番大きな壁である。その判断の時に自分自身にどんなリミッターがあったのか、どんな種類のブレーキがそうさせなかったのか?それを家庭の事情でとか、タイミングがとか、先生のアドバイスで・・・などと外因的な要素で決断していたなら、恐らく、今回も難しいでしょう。だって、そいうテイのチラシやネットを見て「本当は・・・」って考えているのだから同じ。

 デザイナー・クリエーターになりたい!という自分自身の内側からのモチベーションがないのに、クリエーターにはなれないなれない。逆にアーティスト・クリエーターに本当はなりたかったのに、今は別の仕事をしている・・・って、その仕事はそんなに安易な仕事なのか?とならないか。では、何が軸なのか?迷いは当然誰にでもあるが、そこそこで折り合いを自分自身にどこかの人生のタイミングでつけた人は、それが癖になっている。慢性化しているはず。すると、同じ種類の決断の場面で、よほど腹を括るか、とてつもないグッドなタイミングに見舞われない限り、その癖(リッター)が機能・作用するはず。

 上記のような文章は心をくすぐる非常に有効な文脈だが、ガッツリと魂を揺さぶることはないが正しい。ボールを打つ気なら、グっと前へ踏み込まないと、カーブもフォークも打てないし、ストレートさえ打ち損じるだろ。体重移動ができているか?腰は鋭く捻れているか、両腕のしなやかさはあるか、迷いはないか?バットの芯に当たればボールは適正にフェンスを越えていくだろう。

NEW PC

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 とりあえずのセットアップ完了です。早い、早すぎる、確かに。感覚では操作している状態で動作が早過ぎて少しPCの方が作業の流れを追い越す感じです。まだ、何も作ってはいませんが、この感覚だと能率・効率は格段に上がっているようです。重いデータをレンダリングしてさて?というところでしょうけれど、確かに3~4倍の体感速度ですね。

 まぁ、この富士山をずっとデスクトップに配置することは色調の関係でないですが、デフォルトで富士山の写真が装備されていたので・・・という感じです。

 ここへ、いろいろソフトをセットアップしてニューマシンの完成という流れですね。

 それにこのIPSのモニターがキレイなのにもビックリです。ビデオカードもいいのを入れたので、現在、取り組みたいドキュメントは相当いい状態で取り組めそうです。いい買い物でした。

PREDATOR到着!

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 本日入荷!Wさんありがとうございました。これで頑張ってさらに仕事の品質を引き上げていきたいと思います。このスペックを使いこなせるように、さぁ!スタートです。この気持ち何回経験しても心地良いですね。

オーバースペック!?

 パソコン本体(OS:Windows7「Acer Predator G AG3600シリーズ」 ◎CPU:Core i7 i7-3770 3.4GHz ◎Memory:16GB ◎HDD:1TB ◎Blu-Ray Drive BD-R/RE(書き込みソフト付) ◎Video Card:NVIDIA GeForce GTX 660 ◎モニタ:LG 23型ワイド IPSパネル IPS23)がやってくる。このスペックを早く体感したものです。この(今使っているメインマシン)パソコンをほぼ3年使ったが、ススメて頂いた方の言葉を借りると比較すると「格段の体感スピード」らしい。ちょっと、オーバースペックかもしれないですね・・・って、そんな・・・。いずれにしても楽しみなプラットフォームです。楽しみ楽しみ。

 しかし、これだけのスペックが・・・という部分なのですが、3年前よりも結果購入価格は安くなっているのです。えっ!そうなんですか・・・という価格だったのですが、こういうパソコン機器の市場は改めてそうんなんだという感覚でした。どんどん高性能なPCが安くなるというとは、何を意味しているのか?ネット回線が早くなり端末・デバイスが多様化し、デジタルの潮流はどこまで行くのだろう?映像制作についてもかなりこのマシンへの期待度は高く、ブルーレイのドライバをカスタマイズしましたし、ということは、必然的に1920pxの映像を作成できることになり、十数万円のパソコンでかなりの標高まで辿りつこうと思えば、あとは創り手のポテンシャル次第ということ。ありがたい嬉しい反面、誰しもコンテンツビジネスに触手を伸ばせる時代だということ。つまり、この市場での競争率が激化するということ。

 未だにグラフィックデザイナーやWEBデザイナーはMACに固執ているということも聞きますが、それも王道だろうし、道具なんだから、安くて高性能であればPCは何でもいいかな・・・も王道だと思います。まぁ、最終的には「何をあなたは創れますか?」でこのモンスターを活かすも殺すも状態なんだろう。そう考えると、豚に真珠にならぬようガツガツ使っていこうと思っています。逆にこの鼓舞する部分でオーバースペックぐらいがちょうどいいのかも・・・。3年後には「3年前は凄いと感じたが、ちょっと今ではものたりないな・・・」ぐらいのところまで辿り着いていたいものです。

プレデターか・・・。

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 なるほどなるほどこれかこれか。グンバツのスペックに期待しよう。

LINEか・・・。

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 これが話題の「LINE」アプリか。PCへの設定ができるようになったらしいとのこと。早速、試してみよう・・・。いろいろなことが先へ先へなので、先頭は見えないが、この仕事をしている以上、ついていけるところまでついていくしかないかな・・・と。山があり谷があり登り下りの連続ですが、探究する気持ちだけは失わぬようにしたいですね。しかし、先頭集団は実際どこまで進んでいるのだろうか?

なるほどこういう感じで・・・。

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 ここへの出店というかスペースの確保の準備をしています。これがなかなかの障壁ありなのですが、まぁこういう時代ですから、何事も取り組んでみてから考えればいいかな・・・と。じっとしていても始まらないですし、動ける時は動きたいし、太陽に向かって植物が重力を逆らうように代謝を複製に取り組みたいですね。さてさてどうなることやら。

ネットを活用したから!?

 いろいろな人の話を聞き、いろいろなツイター・SNS、そして、いろいろなメルマガに書かれている文脈の中に「ネットを活用したから売り上げが増大した!」という記述。この文面をその言葉通りに取り込むと「ネットを活用すると売り上げが上がる。」「ネットを活用するだけで何かマジックのように売り上げが上がるんだ。」と比較的大きな勘違いに繋がるパターンが多いような気がする。ネットを活用したことはリアルとしても、ネットは手段でありツールだから、それを使っただけで自社のサービスや商品の本質が上がるわけではない。従来のお店売りでは売り上げが停滞しているからネットショップを展開する。これは極自然な流れだとしても、ネットショップスタイルに過度の期待をすることは、これだけネットショップが百花繚乱な時代に絶対にひとり勝ちは難しいと思う・・・。と、モヤモヤしていると、コストもかけてネットショップを公開したけど、あまり効果や反応がなかったから「やぁ~めた」となるパターンが意外と多く、さらに、10年以上WEBサイトは公開しているが効果はないので、もう、新しい企画も、ましてや、リニューアルなどせずにこのまま・・・となっている人の特長は、ガチな本気モードが欠落している印象を受けます。

 しかし、よくよく考えてみれば、「ネットの展開に期待する。」が手法だけを整えて実態の部分が欠落していたと考えてみる必要もあるような気がする。恐らく思うに「ネットを活用したから売り上げを増大した!」人とは、別にネットがなくとも覚醒しただろうし、本末転倒の部分で言うと、そもそも、売り上げののびしろをポテンシャルとして持っていた人が、ネットに情報を公開して、ユーザーと繋がったことで、商品の魅力やディテールが伝導し従来のお店売りに等しい反応があっただけ。結果、売り上げが増大したんだろう。すべては逆転・逆流の発想のような感覚。

 デザインの仕事も同じような側面があり、デザインの仕事をするために、専門の学校を卒業して、真剣に実直にデザインを仕事として向き合っている人が、仕事が出来るかと言えばそうではない(そうではない場合が私の経験の中では多い。)。とはいえ、大手有名広告代理店に入ることが目標ならば、然るべき大学を経て入社すればいいが、それとデザインの仕事のベクトルはシンクロはしない。恐らくざくっとした印象だが、デザインという仕事は想像以上にベタでありガチだから。パソコン使ってソフトでさらさらっとドキュメントを創ってスマートに仕事が完結する・・・というテイではない。もっと、地道で時間の余裕もなく仕事のことだけを思考し続けるようなタイプで、何事にも貪欲にどこまでも貪欲に新鮮で魅力的で有益な情報をリサーチし続ける。リサーチし続けながら、試行錯誤と紆余曲折、失敗と完成を繰り返しがら、ゴリゴリに前に進める図太さが何よりも必要なのである。

 では、前述した「ネットを活用して売り上げを増大させた人。」は、どちらのタイプか?私はゴリゴリタイプだと思う。何もかもが計算通りにはいかないことは周知の上、トラブルや憤りやジレンマさえ想定内のプロセスだと、瞬時に立ち位置を変えながら、新しい立ち位置で新しいひらめきを適正にケースバイケースにひねり出せる人が、前に進むことができる世界が「ネットの世界」ではないかと・・・。

 「インターネットとデザインの関係性」については、また、別の機会にしっかり言及したいと思っていますが、ふと、そんなことを思いついたのでログっておきます。

グラフィックデザイナーとは?

 「グラフィックデザイナー(英: graphic designer)とは、グラフィックデザインやグラフィック・アートの領域にあって画像、タイポグラフィ、モーション・グラフィックスなどを組み合わせてデザイン作品を制作するデザイナーである。パンフレットや広告のような出版・印刷される媒体、もしくは電子的な媒体のためのグラフィックを主に作成する。アートディレクター、エディトリアルデザイナー、写真家などを兼ねることも多く、組版、イラストレーション、ユーザインターフェース、ウェブデザインなども担当する場合があるが、専門職に委ねられる場合もある。また後進の教育に携わる者もいる。グラフィックデザイナーの中心的な任務は、情報を身近で記憶に残る形で伝えることにある。」ということがライン上には一般的に掲載されているが、これだけでは具体的に詳細としてのグラフィックデザインの仕事は分かりにくい。何も体系化されているから高尚な印象は受けるが、グラフィックデザインとはもっともっと普遍的で偏在している感覚のような気がする。そもそもよく言われるテイで「名刺の肩書きにグラフィックデザイナーと入れれば誰でもグラフィックデザイナー」というフィーリングはあながちである。もしくは、イラストレーターを使えたら・・・とか、D.W.を使えたらWEBデザイナーという話もあったりするから、決して、敷居のハードルの高いモノではないとは思いますが、しかし、その反面、世の中の情報産業をはじめとするメディアの構造は複雑になり多種多様になり多面化しているのも現実。その中で、自立したグラフィックデザイナーとなりえるためには、それ相当のポテンシャルが必要だとも言える。私自身、この仕事は長いのでどこまでのさじ加減がどれぐらい必要で何と何を抑えれば・・・という部分は整理不可能なぐらい自覚がない。

 何事も仕事ありきは当然としても、それだけでこの多様な時代、デザインという仕事をハンドリングできるか(できているか?)と自問するがこれまた正解のないが現実。つまり、上記のような規定は規定として、正解は仕事の数だけあるという乱暴なところでおりあいをつけるしかないのかなと。でも、軸は大切だから、こうしてブログに書き出してリフレクションを待ちたいとも願っている。

モノヅクリのエネルギーについて

 企業である以上、利潤を追求し会社を存続させるためがまず最優先される目標であり、それを欠いて何も成立しないが正解だが、それだけで「仕事」を捉えると現在の日本のような構造・システムに陥る。それがどのような経緯で根幹にを成す要因は具体的に何かと分析することは非常に難しい。難しい理由の一つにゆるがないベーシックな要因が機能・連動しているからである。そこにメスを入れると恐らくどの会社でも出血多量で死に至るからである。それを生物としての会社組織であることを経営者達は経営の根本に置いているからである。私自身もそこに不器用にメスを入れて太い血管に傷をつけるわけにはいかないから、抗生物質でなんとか腫瘍を小さくして自分自身の治癒能力でそれを解決したいと考えている。が、化学が創出する薬物には常に2面性があり、「薬と毒の関係」を知る人ならば、その効用を鵜呑みにはしないというジレンマというかダブルバインドなのである。引いてはエネルギー問題と構造や方程式は同じで、モノヅクリのエネルギーについてもプロトニウムを輸入すればいいという簡単な問題ではないのである。つまりこの場合エネルギーの総出力量が問題ではないのである。電気は電気かもしれないが、電気の質を精錬する必要がある。電子機器が安定して機能すれば電気に質は求めない・・・が現在の日本の構造に陥るトリガーになってしまったからである。

 では、クリエイターを動かしているエネルギーの本質とは?まだまだ私も48歳だからそのあたりを明確に言い切ることなど到底できないが、なんとかその登竜門には立っているような気がするから、この文脈を書いていると言える。ここで「登竜門って何?」となる人はもう一度、下山して、英知と脚力を整えてからこの門をくぐるべき。なぜなら、ここから本当の傾斜が始まるはずだから。ここからの傾斜を登り切り、次の門に辿り着くためには、資本も名誉もお家柄も知識も学歴も機能しないからである。必要なのは、英知と脚力と健全な魂しかない。それがこの登竜門なのである。まぁ、ここら辺で「メンドクサイ」と感じた人は下山して欲しい。ここから先のお話は文法など無視した感覚の言語であり非言語の世界だからである。

 では、そのひとつ「英知」について。モノヅクリとは若い頃、自分自身のIDのどこかを削り取り、アウトプットするモノだと捉えていた。削り取った後でも次のエネルギーを蓄えるために、できるだけエネルギー量を蓄積することに一生懸命になっていたような感覚。より多くがキーワードだった。しかし、貨幣価値でこれらの感覚が決して会得できないことと同じぐらい自分の身体・心・魂は偏在していると知る必要がある。だから、対話とかコミュニティーの存在感でIDを確定している人の言葉は水素より軽いとなる。とにかく量的なタンクの大きさがエネルギーの絶対量を決めて器が大きいと出力も大きいという先入観が実は人間のエネルギーのイン&アウトの方程式には適用できないことを分岐させているのである。

 「逆に」というフレーズが逆に芯を喰っているというミラクルなのである。つまり、強そうな人ほど強くない。弱そうな人ほど弱くない・・・的な真理。しかし、人間の歴史には武力こそ正義という論理が根底にあり、日本なら男尊女卑のルールがあらゆる生活の場面で機能している。それを慣習と呼ばず、日々のルーティーンとして麻痺している空間で、世界の中心で愛は叫べないのである。だが、隠ぺいする村文化にこそ実は生産的な方法論が隠されていると信じていた民が神格化された偶像への崇拝の後、その一生を摩訶不思議なリミッターでコントロールされているとしたら、それは間違いなく悲劇である。

 日出る国の悲劇と喜劇の隙間に核融合は不必要だったということを、モノヅクリのエネルギーの相関性に代用すると必然的に変数は何かが見えてくる。貴方のアミノ酸の活性率はどこまでセルフコントロールできますか?というお話。

冬の風景。

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 空の青、雪の白、モノクロの風景。冬の景色のコントラストは美しい。複雑な色彩に溢れる構図よりも、単純な色彩と構図に心は動く。それは冬だからなのかその場の気持ちからなのか、何かを美しいと感じることに理由は要らないと純粋に思える景色がいい。心と呼応している感覚に本来理由は要らないはずなのに便宜上の理由に純度の低い先入観に迷わされているとこの景色が見えなくなる。気持ちはこの川のように常に流れ続けているものだから、その時とその時の気持ちを俯瞰で捉える心を失わなければ、いつでもこのシーンに出会えると思う。日々の雑念に心を奪われ、焦り憤り疲労していると視力が淀むのだろう。曇りなき眼で・・・とアシタカが言っていたが、昨今、この現代ではそれがなかなか難しい。迷わされることが多いからか、本能が浮世の万象に機能低下しているのか。それを自由にコントロールできるようになれば、自然と見える力が蘇生されるはず。そんなことを考えてしまう福井和泉村周辺の原風景でした。

わかりやすい文書の書き方。

 これ非常に大切。最近、しをんさんの「舟を編む」を読んでいるのですが、日本語って深い。また、日本人のコミュニケーションって言語的に捉えると非常に複雑で、国語力って義務教育の中で学べるようで学べていない。国語(日本語)力が義務教育終了後全ての人に備わっているかと言えば・・・みたいなことがいろいろなビジネスの側面で取り上げられている。そもそもの部分が非常にグレイなのだから、文学やメディアやビジネスツールとしての日本語について当然穴があるという仕組み。

 で、このような書籍「正確に伝わる!わかりやすい文書の書き方」という書籍が必然となる。一読で要点がつかめるように書き、仕事の効率を上げる!ために的なアプローチ。その秘術!?を30のポイントで記されているのですが、「が」「は」「も」の使い分け。「ような」「という」「など」の乱発はしない。誤解を防ぐ「、」の語順。長い文の読みやすさは文の前半が決め手。社会人にふさわしい言葉遣いのツボ。「くださる」「いただく」で感謝と恐縮を最大に。誠意が伝わる謝罪の手順。案内状は大きな情報を先に示す。などなどがポイントからの抜粋項目ですが、なるほどなるほど。

 昨今、ネット上の「日本語」は時代と共に変容しつつあるということはなんとなく理解しているが、さりとて、正しい方法論はとなると基準値は不明が現状。あまり深い探求はしたいとは思いませんが、適正な文書に取り組むための指針は持っておきたいものです。

そろそろかな・・・。

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 そろそろこれかな?DELLのワークステーションで、最高級と。タブレットもスマホも別段欲しいとは思わないが、これはいい。絶対にいい。DELLのT3500も最初は良かったが2年使うと過労が目立つ。導入当初から比べるとどこか骨粗鬆症のようなケースが頻繁に起こる。そろそろメインマシンを変える時期かもしれない。となると、次はこれかな。さてさて、どこまでスペックを上げようか・・・という感じ。

ADOBE_INDESIGN-CS6到着。

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 土曜日、アドビのインデザインCS6(WIN)が到着。勿論、組版ソフトという進化をしてきんですが、やはり、電子書籍に関する連携・連動もしっかり装備されている。つまりマスターデータさえあれば、紙にもデジタルコンテンツにも・・・という仕掛け。

 FLASHの件ではアドビは孤立したようなイメージになっていると捉えられがちだが、本流はそちらの方が太いかもしれないが、いつの時代にも温かい支流がパラレルにあって本流の本流たる所以がある。何でもかんでも一世風靡することだけが全てのゴールではないと思っている。使い手・創り手がツールとして何をチョイスするかを、本流思考で考えると、それ以外の支流は不正解みたいな空気があるが、その考えのゴールは原子力発電で証明されている。本流には本流たる背景があるのはあるが、それが正解だとはいつの時代も限らない。

 よく使う機会があり手に馴染んでいる理由から、私自身はFLASHというソフトは好きである。コンテンツがインフラとの整合性の点でどうか?は賛否両論かもしれないが、創り手に響いているソフトウエアである以上、そのニーズがあると捉えている。とは言え、引き出しは多い方がいいとは思いますので、本流にもガッツリ取り組んでいます。

 しかし、このパッケージ、練り込んでありますね。ここまで突っ込む感じはさすがアドビのデザイナーと言わざる・・・です。ここまで突っ込んだら相当楽しいだろう・・・と。

パソコン上達のポイント!?

「私を含め、パソコンが上達した人の共通点は
 基本的な操作を見て、それを実際に自分でやってみるのを
 実践された方ばかりです。」?

「あと、達成感を感じて楽しみながらできる人は
 その分上達も早いです。」?

「この達成感は今まで知らなかったことができるようになり、
 さらに学習したことがすぐに実務で使えるときに強く感じます。」?

「世の中にはたくさんのパソコンの教材、書籍などがありますが、
 実務でよく使う操作方法から優先的に覚えられるようになっているものは
 限られています。」???

「動画パソコン教室!【楽ぱそDVD】ではマイクロソフト・オフィス製品の
 ワード・エクセル・パワーポイント・アクセスで実務に直結するスキルを
 動画で楽に覚えられるので人気の高い教材です。」?????

「動画ですと、細かな部分もそのまま映像で理解できるので
 スムーズに理解でき、時間の節約にもつながります。」というメルマガが到着した。

 まぁ、楽しく読めばツッコミどころ満載だが、この何とも言えない論理の曲げ方が素晴らしい。恐らく、この「私を含め」の人は、恐らく、自分の技術や知識に自信があるのだろうが、教材を売るためのライティングとしてはまだまだ芯を喰っていない。例えば、「弊社が運営しているオンラインショップは年商数億円です!オンランショップの新規構築はぜひ我社へ!!!」というロジックと同じぐらいねじれ方にドン引きである。つまり、販売戦略の広告キャッチフレーズはこの「捻じ曲げ方」のさじ加減次第なのである。別段、真理はどうでもよくってどう曲げるか?に真髄がある。ドローかフェードか、しかも、打ち合わけているのか結果スライスかプルフックか・・・ぐらいの違いがあるのですが、このテイのライティングのリサーチは駆け上がりの水面下にステイしているバスよりも浅い。

 パソコンの上達よりも上達しなければ挑戦しなければいけないことは地熱のように無尽蔵にあるのだから・・・。

アクトの日めくり完成。

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 本日、年末にお得意先に配る日めくりが仕上がってきました。東京へ、大阪へ、京都へ、発送&配達準備中です。ということで、あと1ヶ月。いよいよ年末モードです。

生まれる雇用消える職か・・・。

 このような記事はぞっとします。「ミャンマーのヤンゴン近郊、朝8時、NTTデータのソフト開発拠点で日本語の朝礼が始まる。12月の開業に向けて、研修を続ける現地の若者の目は真剣だ。大卒初任給は月100~200ドル程度。社員は5年で500人に増える。都内の主婦30歳はパソコンで内職に励む。家事と犬の世話の合間に。文章をインターネット用テキストに書き換え、1本4,000円。彼女に仕事をつなぐクラウドサービスの登録者は創業1年で8,000人。グローバル化とネットの進化は雇用の在り方を大きく変えた。ミャンマーと日本の2つの例は、企業が高いスキルや低賃金の人材をどこからでも調達できるようになったことを示す。オフシェアリング(海外への開発委託)を進めるNTTデータはインドに1万人、中国に3千人の技術者を抱え、来月にも3万人の国内従業員を海外が逆転する。次はバングラディッシュだとのこと。グローバル開発推進担当は常にコストの安い「頭脳」を求め続ける。今後の世界は2種類の労働者しかいなくなる。クリエイターとサーバー(奉仕者)だ。米コラムニストは自分の著書でこう語っている。ネットとグローバル化は労働の価値を世界的にフラットにし、新興国や非雇用者層にも雇用を生む。その結果、一握りの雇用の創始者とそれを支える大多数の奉仕者に働き手を区分けするという。さらに、日本IBMはビックデータを解析して経済指標を予測するシステムを開発した。約30万件の経済関連ニュースから、「生産」「雇用」などのキーワードを抽出して分析。製造業の景況予測ではプロのエコノミストの予測とほぼ同等の結果が出ている。ネット上のデータを用い、アナリストなどの仕事をコンピューターがこなそうとしている。クラウド上のサーバーは知識層とされた職をも奪う。破壊的イノベーションは職を生み、効率的イノベーションは職を奪う。雇用を生んだクリエイターの筆頭はアップルのジョブス。関連産業の雇用創出効果は生産拠点の中国を含めると世界で100万人を超す。では、日本ではどうか。過去10年間、企業買収も含め従業員数を最も増やした企業の一つはソフトバンク。連結従業員は5倍となり、創業以来、一人も解雇していなとのこと。サーバー(奉仕者)と、サーバー(コンピューター)。ネット革命は二つのサーバーを急速に増やしている。あなたの仕事は代替可能ですか?」と締めくくっている。

 なるほどなるほど、想定以上に経済の仕組みがシフトしているということ。「あなたの仕事は代替可能ですか?」と聞かれると、さて、どう心は返答すればいい?クリエイター的思考について25年の試行錯誤は確かにあるが、自分自身がサーバーを活用することだけにその思考をフォーカスしたいとは考えていないので、ソフトバンクがなんぼのものか知らないが、例えサーバー抜きに仕事ができない状態になったとしても、五感がある以上、人は人で有り続ければいいと思う。ネットに錬金術を求めても仕組みを創った側への流れを変えることは難しい。クリエイターだからという自負が理由で自爆は避けたいし、そもそもクリエイターを横文字のそれに置き換えている段階で、クリエイターではない。この記事を書いたライターが定義するクリエイターがどんなポテンシャルを指しているか見えないが、結局、言語で繋がっているグローバル化では、国境は超えられても、時間の壁は越えられないだろう。

VAIO-DUO 11

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 ここ数年あまり触手を伸ばしたくなるような新製品が無かった。しかし、ちょっとこれはいいかも?で、やはり、VAIOか・・・と。これを買うとバイオは3台目になるが、その時代その時代を象徴していることは間違いない。さらに、アップルのチタニウムノートも欲しくてウズウズが実は止まらない。パソコンを趣味のベクトルでは絶対に購入しないので、基準は「仕事にどちらが有効か?」となるだろう。価格は特に問題ないが、唯一無二で最大のポイントはどちらが手に馴染むか・・・。バイオもMACも長年使っているので、いずれにせよはずれはないだろうが、最後の最後でイメージで判断してしまう悪い癖を封印して、チョイスしなければ。うん、ひさびさに、触手のウズウズ禁断症状が止まらないぞ・・・。Which?

この仕事は凄い。

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 「メイクアップ」ってテクニックの向こうにある本能にコネクトしていますよね。だから輝くんでしょう。で、輝くためにはコネクトしなければということの具現化の究極かもしれませんね。恐らく、画家が絵を描くこともこのベクトル上なんだろうけど、女性のメイクアップはさらにその奥に何か別のモンスターが潜んでいそうですが・・・。それは、女性ではないので永遠に分からない・・・と。

新しいデジタル革命。

 インターネットがもたらす経済社会の変革を予言したベストセラー「ロングテール」「フリー」の著書、クリス・アンダーソン米ワイアード誌編集長が「新作業革命」を提唱しているらしい。今度はネットが「ものづくり」を変えるという。米国で始まった新たなムーブメントの正体についていろいろ語っている。まず、「民主化」が起こると。「新しいデジタル革命」は、今までと何が違うのか?「これまでの革命はパソコンや須スマートフォンのスクリーン上、つまり2次元の世界で進んだ。これから始まる革命は3次元、すなわちも「ものづくり」をも変える。」と。具体的にはインターネットにつながった3Dプリンターやレーザーカッターといった卓上サイズのデジタル工作機械を使って、これまで大企業にしかできなかった「ものづくり」が、一般の人々にもできるようになった。

 「装置がなくても製造を請けネットで設計図を送れば、自分のデザインを形にしてくれるという仕組み。2次元デジタル革命では、それまで表現手段を持たなかった一般の人々がメデァイ企業や映画会社と同じように、自分たちが創ったコンテンツやソフトウエアを市場に届けられるようになった。それと同じ「民主化」が製造業でも起きる。眠っていた膨大な数のアイディアや情熱や創造性が流れ込み、新しい市場が生まれる。アマチュアが明日の市場を創る。だから新産業革命なのだ。」と提唱している。なるほど。そりやそうだ。これは分業ではなく、誰がどのようにイニシアティブを取るかという旗取り合戦なのである。もう、プロもアマも物理的な境界線がなくなるまさにのボーダーレスな時代。

 では、何がその格差につながるの?それも、各段に多様性を帯びている。しかし、そもそも、多様性こそが根本の起こりであったはずなのだから、何かの原因で理由で背景で収束されていたベクトルが本来の流れに戻ったとも言えなくない。では、何故、収束されていたかを民主主義にお仕着せるのは簡単だが、そうではない、個人レベルの怠惰な依存性もあったことが、インターネットでデジタル技術で加速度的に流れやすい潮流に戻されたと見るべき。

 ではでは、「大量生産主義」はもう消えてなくなるのか?そうではないだろう。人間の本能が交わることを本能で欲している以上、傾向やパターン化は自然な複製のシナリオ。個体と個体が交わることの本当の価値を知っている、というか、それが生物の本文なのだから、そこを別の理由で意固地に仮説することのほうが毒。ならば、この時代、本当に意識化しなければならないのは飽和している「薬」から解放させるための処方箋だろう。つまり、これからの時代に必要なノウハウは「解毒剤」ではなく、「解薬剤」なのかもしれない。その究極と言えば「死」をどう処理するか?健康、長寿、永遠の美は言わば「薬」。慢性化したこの作用を解するのは何か?「新デジタル革命」はその処方箋のファーストステップかもしれない。

これは美味いでしょう!

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 このパスタ、これは美味いでしょう!仕事だったので食べることはできませんでしたが、この香り、写真ではお届けできないのが残念。こちら12月の20日から彦根の某食堂で食べられますよ。

アニメ産業の行方。

 新聞には「リーマンショックの影響などで停滞が続いた日本のアニメ産業が活気を取り戻してきた。新作の制作が増えたほか、海外での現地企業との合作、ネット配信の本格化など攻めの動きが目立つ。この勢いに弾みをつけ、日本の好感度向上にもつなげていきたい。日本動画協会によれば、2011年にテレビで放映されたアニメ作品は220本で前年比率10%増。06年の279本を頂点に減り続けた本数が増勢に転じた。新作に限れば164本と18%増だ。アニメは玩具、ゲーム、音楽、関連本、ファッション、美術、観光など周辺市場も活性化させる。主題歌のコンサートや仮装大会、舞台となった場所への訪問と、アニメファンの消費の幅は広がっている。自治体などはこの流れをまちおこしに生かすべきだ。日本アニメは海外にもファンが多い。歌や仮装などの催しも国境を越えて広がる。征服や弁当、神社に海外の若者が関心を持ち、観光や留学で日本を訪れている。今年12月には人気アニメ「巨人の星」が現代インドに舞台を移して再制作され、現地で放映が始まる。違法配信が多い中国でも、日本のテレビ局が参加して正規配信が始まった。こうした工夫の積み重ねで海外市場を収益源に育てたい。日本への親しみも増す。政府は「クールジャパン」の標語を揚げアニメ、漫画、ゲームなど大衆文化やサブカルチャーの育成を目指している。しかし現代は手探りが続く。東京都は10年前からアニメの都を目指し見本市「東京国際アニメフェア」を開催、10万人前後を集める。それとは別に経済産業省は3年前から小規模な「東京国際アニメ祭」を始めた。海外企業は戸惑いを隠せない。東京都は一方で漫画流通への規模を強めており、出版界の反発を買っている。大衆文化を育てたのは、戦後日本の自由な空気だ。主役は企業、制作家、消費者。官はサポート役。この分担を忘れず、せっかくの芽吹いた産業をうまく育てたい。」としている。

 恐らく、官たるや高学歴の諸子に「漫画」の「アニメ」のなんたるかなど分かるはずも術も道理もないだろう。「漫画」「アニメ」か一番遠い生活を送ってきた人間がこの鉱脈に触れるべきではない。この鉱脈、君達が考えているほど甘くないですから。「漫画命」「アニメ命」と銘打つ人間にドン引きコメントをしないでほしいものですね。だって、ある意味、「漫画命」「アニメ命」ではなく、「命漫画」「命アニメ」なんだから、このニュアンスを脳幹で感じる人達とスピリッツを共有したいものです。

 だから、「産業」という言葉も本当は嫌い。

ちょっと音楽が欲しい時。

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 ちょっと音楽素材が欲しい時は、このようなサイトでソースをダウンロードする。ひとつのテーマで100曲ぐらい入っているパッケージが5,000~10,000から購入できるから便利。そんな時、どのような検索をするかというと、ほぼ、音楽のジャンルで決めることが多く。あまり、楽器パーツや他のカテゴリーで決めることがない。音楽自体、聞くのは好きですが、創れないから、全くの受け身。結局、絵ほど音楽のイメージが湧いてこないと言いながらも、無音の状態で絵を見ていても何かしらの音の音楽のイメージが連動しているものだし、昨今の映像やWEBコンテンツは音楽効果や音楽表現がホントに素晴らしいから、やはり、いい音楽・音素材はしっかりと吟味しなければならない。マイクや録音機器の知識も暗いのでそこからサンプリングを加工編集するということも出来ず、ただただ、こういう音素材のWEBサイトに頼っている。

 しかし、そのほとんどが海外からの輸入が多いことに気が付く。うん?日本人の音楽性ってやっぱり海外と比較して貧弱なのか?とこの部分だけを捉えるとそう感じてしまう。世界的に有名なアーティストは日本にもいるだろうが、比較すると・・・である。比較するとやはり日本の音楽はある一方向に偏っているのだろうと思う。と、音楽関係者ではない人間が言うのだから、全く、背景も根拠も薄いコメントであり、ただのつぶやきなので音楽関係の方、ご了承いただきたい。でも、そう思ってます。だって、本格的にクラシック音楽をとなるとヨーロッパだし、ロックやヒップホップならロンドンやアメリカだろう。かりに、「J-POPS」という価値観でエンジョイするのもいいが、それは、村文化の極み、井戸端会議のつまみ程度。音楽の神髄や深く膨大な歴史の上で音楽を語るには、やはり、日本では(海外と比較すると)緩いとなる。

 と、自分を納得させて、このようなサイトで音楽素材を入手しているわけなのです。

作り込んでらっしゃる。

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 いやいや楽しげなサイトですね。スタイリッシュというか遊び心というかキュートというかインパクトがあるというかなかなかの作り込みが楽しさに突き抜けているからカッコイイ。いいモデルといい商品といいデザインが組み合わさるとこうなるというパターンですね。スッキリ系よりもゴチャっと盛っている方が好きだし、どこか至高を目指してますってテイよりも本能に正直な方がカッコイイと思います。しかしどこかで「品格」も漂いつつ手を抜かない・・・みたいな心意気は充分に感じられますね。さりとて自身商品には興味がないのでリンクページには入っていますが、ストライクゾーンの方なら最後まで堪能できそな情報がありげ・・・なサイトのような印象を受けました。ほんと、エンジンやブログやSNSの恩恵でどのページでもデザインを完結させよう的なノリもあるようですが、やはり、顔はトップページ。例えリンクページでヒットしたとしても、「ホームボタン」を押した瞬間に気持ちをグイっとこちらに引き付けるトップページがやっぱ強い。スマホやタブレットを意識していろいろなインターフェイスが存在していますし、試行錯誤も極限状態だろう。でも、デザイナーはクリエイターはそれでも追求・探究を止めない。だから、クリエーターなんだろうしそれが言わば条件なのかもしれないですね。いろいろいいイメージを広げてくださった刺激的なトップページデザインでした。

ハロウィン。

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 オレンジ色のかぼちゃ君がチラホラと目に止まる季節。10月31日が正確にはその日なのですが、に日本ではクリスマス同様にただのイベントになっている。そもそも秋の収穫祭と絡めてのカボチャのお化けは魔よけだとか・・・。つまり、カボチャの美味しい季節になったということ。天高く馬肥えるとも言われるこの季節にカボチャをくりぬいて顔にする。できれば中にろうそくの火を入れる。どこまで本格的にするかは個人差あれど、秋の収穫に対するリスペクトと海外の風習・慣習をお菓子で子どもたちが繋がれば、このイベントもありなのかなと思います。個人的にオレンジ色もカボチャも好きだし、家庭菜園で何度かカボチャづくりにトライしているが、成功した経験なし。う~ん、カボチャって意外と接点があるものです。お化けか・・・。

危機一髪の夜景撮影。

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 なかなか山頂の駅舎の上って!?下手すると下手してましたが、キレイな夜景が撮影できました。さてさて、どこでしょう???

なかなか。

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 素敵なイマジネーションですね。「人間と機械の融合」技術が先か倫理が先か、一番先端の人達の中では答は出ているのでしょうか?そう考えるといかに「ブレラン」が偉大だということ。

フランソワーズ。

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 こちらはアニメーション映画ようのモデリングサンプルのようですが、なかなか。子どもの頃にワクワクしてみていいた2Dのアニメが物語設定も現代にリデザインして3DCGで再構築されている。ここだけでかなりお腹いっぱいなのですが、さらに、すこしあらすじを読めば、なかなかのなかなか。楽しみです「009」。

3Dキャラのディテール。

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 ゲームキャラはあまりゲーム自体をやらないので知らないが、メディアに流通するレベルでPR用のビジュアルとして採用されている3DCGはいろいろ気になっている。ゲームが嫌いというわけではないが、あまり、やっていて楽しそうではないのでスルーしている状態。大それた言い方をすると、誰かが創ったプログラムをトレスするのが好きではないという観点でです。

 で、いろいろビジュアルとして気になっているのキャラが多いのですが、中でもこの最新のキャラは素敵です。どんな設定かあまり知りたいとは思いませんが、ただただ3DCGとしてこの完成度は素晴らしいですね。でも、動くとなんかぎこちないのが現代のテクノロジーの限界なのか、それとも永遠のテーマなのか・・・。

集中力とは?

 最近、自分自身の「集中力」ってどうなんだろうと考えてみる。子どもの頃の集中力、学生の頃の集中力、社会に出た時の集中力、そして、現在からの今後。子どもの頃は自分自身が好きなことには集中力があったが、勉強は?という程度だったような記憶があるし。とはいえ、「勉強は?宿題は?」という言葉に反応してやらなければいけないことという認識の元、勉強に集中をしていた記憶もある。遊びとなると、野球や釣りがそれなりに。しかし、集中力とその成果・結果の相関性は一貫して変わっていなような気がする。自分の中にあるテーマと集中するターゲットの相性次第でこのレベルは上がりも下がりもし、結果、その成果は比例している。学生になると「勉強」というテーマで結果を求められるし、自分自身でも目標設定をするから、その結果に向かって集中する経験の中で、自分自身のIDを確かめる。そこには失敗も挫折も成功も達成感もあるからこれらを総じて「学び」と称する。しかし、社会に出ると社会からの期待、会社からの期待、同僚からの期待の中で、このIDのベクトルを模索することになり、それまでは、自分自身のためだけ、親や学校の先生の鼓舞からの目標設定だった集中力のターゲットが社会という大きな括りになる。この時、恐らく、迷ったはずであり、社会に出て仕事をするということは、いろいろな期待に応えることであり、総じて引いてはそれが自分自身にフィードバックするというルーティーンで子どもの頃、学生の頃にはないIDを得る。

 さて、社会に出てこのIDはどのように変容するのか?現代は複雑多様になったと誰かが言っているし、メディアの源流の人間はその声を誰から聞いて言葉にしているはずだから、恐らくそれはループしてきた社会の声だという仮説が成立する。しかし、そもそもそれらは単純ではなかったはずだし、社会の規範が回り回って自分に還ってくるという仕組みもさほどのリアルさはない。誰のためにという価値観が失われた時、人間は指針を失う。仮想現実という価値観の中で電子コミュニケーションの是非が深刻化しているようにも見受けられるからこんなことを必然的に考えてしまうんだろうが、これらの現代社会の構造は人間の集中力を分散させようとしているのかなと、ふと、考えてみた。なぜ?何かから?どのようにして?は限定できないが、過去の歴史から人間のIDが確立されて、集中力が高まり過ぎると、都合の悪いループが潮流が起きやすくなるからかな?とさえ思う。このループが生産的なら、仮想空間にこのベクトルを分散させずとも、進化のスタイルはあったはず。購買が生まれるパンドラの箱的にその価値感を賞賛し過ぎるあまりの現代の精神疾患と、まぁ、こんなテイの記事を読んだ。文脈はこんなに歪んではいなかったが、独自の曲解をするとこうオチる。

 WHOが発表した世界の精神疾患「鬱」は全世界に3.5億人いるらしい。何をどう調査して3.5億人と言っているのかは読みとれなかったが、70億人中の3.5億人が「鬱」なのである。「鬱」を集中力というベクトルで分析すると恐らく低いはずであり、分散しているはずである。一つの価値感、一つのIDに辿りつけず、ループする社会構造の中で自分の立ち位置が見つからないのである。だから指針を失い、ベクトルが下がるのだろう。ある企業では従業員の中の35%は「鬱」もしくは「予備軍」だと規定されているというリアルな話も聞いた。とここまで洞察すると、決して「鬱」も悪くないのかもしれない。自殺するほどヘビーでなければ、どこか感覚が一部麻痺している状態は、ある意味、ある側面でフラットな均衡を維持できているとも捉えられなくない。

 人間の歴史で「集中力」が高まり、結束力が生まれ、団結力が高まるとき、必ず、大きな歴史的な「争い」が起きているという事実もある。それを「学んだ」人間がそうならないために国民の「集中力」を分散しているという仮説、なかなか、的を得ているような気がする。これが錬金術ならば、メディアはそれを適用するだろうし、それで、個人の利益が保護できれば、資産家もYESとなる。この構造が半永久的に「幸福論」と賞賛されるならそれもまたひとつの正解、だと考える人が多いのだろう。

 で、自分自身の今の集中力はどんな感じなのか?高まっているのか、分散させられているのか?淀んでいるのか、至高が見えているのか?エースの言葉重い。「海賊の高みへ・・・」と。イタチも重い言葉を残して昇天した。もうすぐ009のリメイクも公開される。たかが漫画、されど漫画。ふと、気がついたら、漫画のことばかり考えている自分がいた。このベクトルがモチベーションがノウハウがテンションが仕事とシンクロした時に自分自身の集中力がMAXになることを知っているから、仕事に集中し始めると、頭がたぶん、「漫画脳」にリンクするのだろう。ドキドキワクワクを学んだことを目の前の仕事に適用することが、一番いい状態なのかもしれないですね。どうですか?山梨の相棒様?

ツイッターのサーバ調子悪くないかな!?

 最近、ツイッターのサーバにアクセルするとIEが閉じるという症状が出ているがこれは、このIEが壊れているのだろうか?何回やっても書き込みができない。まぁ、あまり活用はしていないから仕事には特に影響がないが、ブラウザのことやサーバのことを少しチェックしています。何かツイッター関係で情報がありましたら教えてください。ここ最近のお話なので何かトラブルがあったのかな?って、ツイッターでつぶやこうと思ったのに・・・。

「きゃりぱみゅ」というアプローチ#02。

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 いやいや、「ファッションモンスター」良かったですね。ここまで仕込んでる感じはさすが。楽しい感じがこう自然と伝わってくる感じ。これは正に見えている人の完成ですね。見えているって強いですよね。大切です大切です。視力じゃないですからね、見えているって。知識があるから経験があるから努力をしているからって「見える」とは関係ないですからね。「見えている」って大切なことです。ホントホント。

 と、何故か、同じ記事にもう一つ記事を重ねてみたくなった。これもブログという表現の得意技のひとうかもしれない。書き換えるのではなく、2個目をパラレルに・・・みたいな。

「きゃりぱみゅ」というアプローチ#01。

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 いやいや、「ファッションモンスター」良かったですね。しかし、しかし、ヤスタカさんは仕込みますね。ここまで仕込んだら楽しいだろうな。いやいや、楽しいはずだ・・・。なんかこう「見えている」って感じですね。

毒か薬か!?

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 本日、アマゾンより到着。2012年9月6日第1版の書籍。さてさて、毒か薬かってことで、非常に楽しみな一冊です。

海外での競争力。

 「国立社会保障・人口問題研究所の予測によると、日本の人口に占める65歳以上の割合は、2050年には35%超にも及ぶという。まさに世界でも類を見ない超高齢化社会の到来である。これから10年の間に就労者の25%が定年退職を迎えリタイアしていく計算だ。これはすなわちプロジェクト・マネジャーに関しても、いま現役で働いている彼らの4分の1を失うことを意味するわけであり、こうなると日本企業が国際市場で競争を繰り広げるための貴重な戦力の喪失になると危惧している。実は、米国からも2009年よりこうした状況を心配する声が再三にわたって寄せられているのだが、今のところ日本政府の反応はほとんど見られない。実際、日本でPMP(Project Management Professional)資格を有するプロジェクト・マネジャーは、2011年8月に31,000人弱に達したのをピークに、ついに減少へと転じ始めている。一方で世界には47万人ものPMPホルダーがいる。なかでも中国やサウジアラビア、アラブ首長国連邦、ナイジェリア、ブラジルなどでは、対前年比50%以上という猛烈な勢いで増えている。ナイジェリアに至っては国家政策としてプロジェクトマネジメント教育に取り組んでいるほどだ。多くの日本企業が中国をはじめとする海外市場に進出しようとしているが、そこで競合となる新興国の企業が急速に力をつけているわけである。日本企業は一刻も早くベテランのプロジェクト・マネジャーの経験やノウハウを若手のプロジェクト・マネジャーに伝承しなければならない。どうすればそれがうまくいくのかというのが目下のところ最大の課題である。」という情報がある。

 つまり、全て老朽化しているのである。そして、いつまでもご老体の声が通りやすい社会構造になっているのだろう。それは慣習なのか経済のシステムなのか、はたまた、教育的な側面からなのか。いずれにしても、老朽化と空洞化が起こっていることに対して、政治が国が動かないのは当然。国単位でも企業単位でも上部の人間が動かなから会社が活性化しないとうそぶいている若者から中堅選手が一番タチが悪いというか非生産的。上記の脈からも経験のあるエキスパートから何かを伝えてもらることを待っているから層が厚くならない。国や政治の政策をいい意味でも悪い意味でも「待ち」の状態だから、現状があると捉えない中堅選手が多いのではないかな。文句だけは一人前、行動力はなし。資本もなし。ブレインもなしと。会社のシステムの中で考えてきたからそうなったとは考えず、氾濫する情報の中から自分に都合のいい情報だけをチョイスしてコレクションしているだけ。しかし、そこに自分自身の実態をリフレクトできていないから、フレミングの法則が崩れる。

 教育の現場でもメディアの現場でも見えている人は「見えていない人」とのネットワークをそっと切ることが多い。どうでもいい井戸端会議的な情報につきあっているほど、実は暇ではないのである。そんなネットの世界に血迷ったり、SNSの仕組みに呆けているぐらいなら、自分自身の眼力を鍛え、知力を高め、手足を動かして、努力をしなければ・・・ですね。基本全て「P.M.S.」なのですよね。

漫画の作り方#001

 最初の出会いはなんだっただろうか・・・。恐らく「野球」か「仮面ライダー」だろう。いきなり「アトム」とかではなかったような記憶がある。テレビアニメと記憶が混在してしまうが、恐らく漫画というスタイルの初めての出会いは野球関連で「巨人の星」あたりではないだろうかと記憶している。同じ野球でも、実際に野球をし始めると「侍ジャイアンツ」や「ドカベン」や「野球狂の詩」などがあるし、アニメなら「アパッチ」がとても鮮明に覚えている。つまり、モノゴコロとパラレルに「野球」が心の割合を占めていたことは確か。だから、シンプルにスポーツをするなら野球であり、将来の夢は的な部分では、野球選手という夢が描きやすい構造にシステムになっていた。それほど漫画の影響は子どもの心にダイレクトに訴求した。平行してギャグやSFテイストなどもあったし、正義のヒーローモノについては真髄までダイブしていたような。つまり、子ども頃、人格形成までとは言わないが世の中の価値感を推量するモノサシとして漫画という情報がかなりの割合で心に影響を及ぼしていることは事実。その中の後半で「釣りキチ三平」に出会うがここはまた「野球」とは異なる別の世界が展開されまたそのベクトルで子どもなりに試行錯誤し右往左往する。それが楽しいとなり、どこか心の充実度に繋がって、そこから新しい価値観がいくつも芽生えたのだろう。

 大人になるとそんな子どもの頃の感覚から漫画に対する軸足が少しづつ変化する。しかし、なんでしょう、漫画の不動の存在感は自分の中の「子どもの心」のかなり中心部分をそのモードで突き動かされている感覚がある。これは一生この感じなのかなと。

 で、漫画から絵の魅力を知った人間は一枚の絵に対して、物語を持つ。大学の頃、「あなたの絵は時間の切り取りや心象風景が多いですね。」と言われた。平面に作品を描く時、イマジネーションの源泉は自分の中にある。それを絵画・イラストレーションとして切り抜く場合、全体の物語の中のココイチを切り抜くのですが、これが自分自身では完結しているが、第3者にはピンとこない。この絵作りのアプローチでかなり悩んだ。それは漫画という絵の連続性を大前提にイメージを膨らませてきた結果、一枚の絵に切り抜くプロセスで前後のイメージも含めてしまう変な癖が機能していたのである。

 だから、一枚の絵にすることよりも、自分自身は物語を絵にすることの方が好きなんだ。という今現在の結論なのです。これが、詰まっていた血管が通る感じ。堰き止めていた異物がなくなり流れが一気に動き出した感覚。淀んでいた渕に新しい水が流れ込む感覚なのである。いやいや子どもの頃の記憶や経験って恐ろしい。

 ということで、基本の基本に立ち返り、漫画を描くための「ネーム」を時間があれば、スケッチブックに、メモに、チラシの裏に、ミスプリの裏にと描いている。また、これが心地いい。心地いい気持ちで描いた絵は必ずその「心地良さ」が伝わる絵になる。だから、このループはかなり本丸に来ています。

 で、ネーム(設計図)が完成したら・・・、完成したら・・・、そこから先は私の本丸中の本丸。ペンで絵の完成度を上げる作業になる。ここまで来たらもうホーム中のホーム。牙城の天守閣状態である。そこに行くためにも、ネームでとことんまで粘ろう。この作業、見事に見事に、PCではできない。ネームを描くソフトウエアなども存在しない。ここは正にアナログの紙と鉛筆の聖域なのである。パソコンやソフトウエアの描く絵が嫌いだと何回もこのブログで書いているが、やはり、それは、大前提は別として、「伝わってこない」のである。技術的にがどうであれ、PCで描いた絵は死んでいる。ただ、ビジネスとして美しい屍が欲しいというニーズもあるから、そこはそこで別ベクトル。しかし、数百年前の油絵や壁画に人の心が動く理由は「手が描いている。」「手が創っている。」からである。それをキモに銘じて鉛筆を動かしたい。

鉛筆と消しゴムでアナログモード、スイッチオン!

 どうも仕事がPC中心だから、仕事場で心や頭のスイッチと同期してしまっていたようだ。本来なら仕事のことを考える時って機器のスイッチとは無関係なのに、仕事がPC中心だから、頭の中もパソコンのスイッチで実際リアルにオンになるという仕組み。しかし、本当の仕事のモードっていうのは、PCのONとOFFとは関係ないはずなのに・・・。でも、実際、メールを確認して返信してネットを検索して、ソフトを起動して文字を打って図形を描いてイラストを描くことこれが全て電子機器のスイッチとシンクロし過ぎるとデジタルツールにできないことやアナログ作業に特化した技術力が衰える。

 長年のルーティーンがあるから、引き出しの中からデザインのネタを出すのが最も効率的なのだが、新しい創造的な作業はやはり、PCには不可能なんだと、改めて最近再確認。

 で、いろいろ冷静に考えるとあまりパソコンってできることが意外と限られているぞ・・・と。ネットで調べ物!?豊富で便利で早いがレンジが浅いぞ。プログラム・・・素直・純粋・シンプル過ぎてオモロクナイ。やっぱ、オモロイ人間とオモロイ会話しながら、楽しい空間で楽しいことをやらないと頭も心もオンにならないんだ。キーボードを打つ、マウスを動かす、画面にタッチする、これはなんかのリハビリか?これが進化か?これのどこが便利なのか?先入観とメディアコントールはほんとに怖い怖い。仮想空間のドツボの底なし沼なんてのは、たまのリフレッシュの時だけでいい。

 幻術を解除するには他人に触れてもらうことだとチヨバアが言っていたな。まさに!!!

アイデアは才能では生まれない!?

 売れるアイデアを生むために、誰でもできる手法がある!とのこと。それは、美崎栄一郎著の「アイデアは才能では生まれない」という書籍の広告のキャッチ。「常識を壊し、全部逆で考える」「問題解決への意識が「ひらめき」のペースをつくる」「経験と知識で「結び目」を見つける」「アイデアをつなげてストーリーをつくる」「情報をつなぎ合わせて「創造的瞬間」を導く」などなど、とても魅力的なフレーズの一端がちりばめられている。なるほどなるほど。ヒット商品のアイデアを世に出した8人の思考法を公開!というテイの書籍です。

 仕事という側面で「ヒット商品」は誰でもどの会社でも出したいと願っているし、ヒット商品が生まれる仕組みというかプロセスの中で「アイデア」という存在がどう機能しているのか?そもそも「アイデア」とはどういう思考のどういう存在のどういう価値のモノなのか?ちょっと、センスと同義のようなこのキーワードの実態は何だろう?また「売れるアイデア」ということになると、相対的な意味において、関係性は近く、しかしながら、その関係性において対極に離れれば離れるほど俯瞰でモノゴトを捉えられ、そこでひらめく何かをアイデアというのかなとも考えるし、「ひらめく」という電光石火な非論理・非言語中枢の落し物に必然性とタイミングを装備できるなら、これは正に平成の錬金術。しかし、錬金とは幻想であるから素敵なのであってという論理の元、全て(118プラス未知の元素達)の元素が「Au」になるわけではないことも知識として正解。
 
 だから、そのことは周知の想定内として、それでも、人間は「アイデアは才能では生まれない」と規定されれば、興味を持つのが自然。この摂理をマーケッティングして出された書籍が現代の社会構造の中での物理定数として「増版」になっているリアルが価値感の原器の単位を担う。それは分かっている上で、やはり、人間は「C」を「Au」に変えたいという本能を持っている。

 で、「才能」がハードかソフトかという考察と、「アイデアが生まれる」という部分のそもそも「生まれる」という表現でいいのか?という提起がさらにこの書籍への興味を駆り立てる。

本町船場の夕景。

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 なんとも大阪チックな場所である。暑いこの大阪本町の雰囲気はなんとも独特である。日頃、琵琶湖湖畔で生活しているとこのような都会の比較的ベタな場所に立つと圧迫されるような空気を通り越してなんとも懐かしい感覚になりますね。大阪で暮らしていた時も比較的市内ではなく、南河内や吹田だったので、この臭いは仕事でタイミングの記憶なんだろう。もしくは学生の頃のバイトの記憶が繋がり懐かしさになるのかもしれない。蒸し暑い大阪、しかも、ホコリっぽい臭い感じ。嫌いではないが、これまた雰囲気のある茶店に入るとさらに懐かしい感じになりましたね。なんか「TEH大阪!」みたいな。

報酬1億円!?

 ヤフーが技術者を対象に新しい処遇制度を導入したらしい。専門性に優れ技術伝承の役割を担う人材を「黒帯」と認定する資格制度のほか、最高経営責任者(CEO)並みの年収1億円超もありうる報酬制度を導入する。ソーシャルゲームの台頭などで新事業開発を担う人材獲得競争が激しくなるか、処遇を手厚くし、有能な技術者の確保をはかるのだそうだ。社内の2000人の技術者に向けて「黒帯」と呼ぶ資格制度を新設。メールシステムやネットワークなど分野ごとに専門性に優れた4人を認定した。一時金として一人あたり50万円を支給。1年の任期制で3ヶ月毎に選抜する。「黒帯」の保有者には技術の伝承や人材育成で指導的な役割を果たしてもらうとのこと。さらに、「プロフェッショナル職」という専門職を設け、従来は職務経験が長くなると管理職になるしかなかったが、技術者らに専門職コースを提供し、能力と成果に応じた待遇を充実させる方向らしい。報酬面では基本給や一時金を従来よりも個人の能力や成果、業績に密接に連動させる。「社長を上回る1億円超の報酬もありうる」というヤフーの社長のコメント。

 いやいや、それほトップクラスの技術と経験値を持っているIT人材は価値があるということなのだろう。しかし、年功序列だった組織の仕組みが若年・熟年に限らず実力で報酬や待遇が決まる会社組織になってきているのですね。実力のある人材はあのヤフーでさえ、社長の存在価値を貨幣価値で超えてしまうのですね。いやはや、IT技術と経験値は現代の錬金術のようです。「黒帯」を目指すという組織の目標も明確になるわけだから、モチベーションも明確。国内にとどまらず海外に優秀なブレインが流出してもIT技術なら報酬と待遇で繋ぎとめることができるという仕組み。正にIT時代なのだなぁと痛感してしまいます。

NEW COOLPIXです。

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 1台目のCOOLPIXが壊れてからどうもブログの写真点数が減っていたが、やっと、2代目のCOOLPIXを購入しました。これが、防水で耐久性もいいし、容量もかなりかなり。雨でも水中でも大丈夫というアクティブな2台目です。で、それでケースを撮影。これは機動力がありそうです。

ノマド・ワーキング。

 「東日本大震災以降、在宅勤務やオフィス以外の場所で働くことを認める/今後認める予定の企業が増えている。「ノマド・ワーキング」という言葉も広く認知されているようだ。しかし、在宅/ノマド・ワーキングを実践するには、それなりの環境が必要である。本企画では、「大規模な初期投資を行わなくても安全で快適な在宅/ノマド・ワーキング環境」構築のハウツーを紹介する。会社も社員もハッピーになる環境を、ぜひ手に入れてほしい。」という形態もあるらしい。つまり、ブレインワークやクリエティブな仕事はこれでPCやネットを活用してできるだろう。しかし、これにはやはり必要不可欠なスキルと経験値とコミュニケーション能力が必要になってくるだろう。海外との仕事を視野に入れるなら、言語能力や他の慣習・文化をリサーチしておく必要がある。市場がノマド化しているというこはいいことだが、草原でのサバイバル、やはり、相当のポテンシャルと覚悟が必要だということ。しかし、仕事とはそもそもそんなテイなのかもしれないし、組織化や大企業化したことで、スルーしていた大切なことへ回帰しながら、進化を求められているのだろう。仕入れて売るみたいなことの仕組みの限界点を破る挑戦をできるか否か。

日向徹という人物像。

 まず単純に「岳」から小栗旬君に興味あることからこの月9のドラマを観ている。一般的に月9だからトレンド色が強いことやひねりのある設定やキャストの工夫もこの枠の特長ではあるが、それにしても小栗旬君がどんな役柄をするのかを観てみたかった。月9のドラマを毎週観ているということはかなり久しいことですが、なかなか、ありと言えばありである。「ベンチャー企業」のテイであることが何かと興味の中心のように描かれてはいるが、物語の核は実はそこにはないような気がしている。現段階で第4話が終わっているがまだまだ変幻自在な展開はするだろうし、日向徹という人物像を中心にいろいろな人間模様が展開してくだろう。さらに、この話、一体どこに向かうのだろうか・・・という感じ、とても、優れた脚本家の方が携わっているクリエティビティーのようです。その物語観を理解して演じている小栗君はさすが旬な俳優さんである。

 さて、ドラマのキーになる場面場面で展開される日向徹の世界観であったりビジネスに対する洞察や判断力。人間関係のそれについてもなかなか極みなキャラクターを完璧に演じている。監督の世界観が製作の現場としっくりきているように見受けられるがそれでもそれにしてもネクストイノベーションとはかなりのひねり出しである。このまま期待を最後の最後まで引っ張っていって欲しい。他に特筆するドラマが他の日に少ないだけに今回の月9はなかなか素敵ですね。

 「今までに見たことのないインターフェイス」というフレーズが第4話では飛び交っていたが、さてさて、この「今までに見たことのない・・・」というフレーズの使い方はいかなものか?このフレーズを有効に機能させるためにはいろいろな大前提を間違えてはいけない。旧態以前の価値感とのぶつかり方や現代に潜む多様な市場観や人物像がしっくりきていない舞台でこの言葉は有効には機能しない。紙一重で野暮なフレーズになる場合が多いにも関わらず、しっかり、日向徹のセリフとして「今までに見たことのない・・・」を成立させているこのテレビドラマはとてもいい感じである。

 さてこのままこのテイで進みつつ、どこで盛り上げてどこで落とすのか?いやいや、あと7話が楽しみである。

もう、25歳か・・・。

 「2012年、Adobe Illustrator が誕生してから25回目の誕生日を迎えます。四半世紀もの間、プロフェッショナル・アマチュアを問わず、実に多くの方に愛用され続けてきたIllustratorには、アドビが目指してきた理念と基本技術のすべてが備わっています。25周年企画として、アドビが Illustrator とともに辿ってきた 25年の歳月と、進化の過程を振り返ります。」というメルマガが到着した。そうかそうか、もう、イラレさんも25歳か・・・。私は現在48歳ですが、イラレさんに始めて出会ったのが25歳のころだったなぁ~。場所は新宿だったなぁ・・・。その頃、イラレさんはまだ英語版でバージョンとかなかったなぁ~、マニュアルは英語で分厚かったなぁ~、モノクロの画面懐かしいなぁ~、あの頃からずいぶん色気がでてきたよなぁ~。確かにデザインの仕事=イレストレーターみたいな関係性があるから、長い付き合いになる。つまり、カミさんよりも長いつきあいなんだから、人生の半分以上、イラレさんにお世話なってきたってこと。うんうん、感慨深いですね。おめでとう!アドビさん!!!

乖離の理由(わけ)。

 日本企業のポテンシャルとは品質の高い商品を開発・製造する「ものづくり」。得意とするか否かは絶対的な要因と相対的な要因がある。売れもしないのにニーズも発掘できないのに古い価値判断で「品質が高い商品」だと思い込み失速するパターンが加速していないかという疑問。消費者にとって比較対象になる機能やデザインが同じであればどこで創られたかは関係ない。強い強いと言われていたものづくりを活かせない市場条件が在る以上、それに固執するばかりに最悪のシナリオを黙認することになることだけは避けたい。避けたいがルートがなければそこへ一筆書きのように落ちることなる。こんな状況下なんだからものづくりにこだわらず、スタンダードなデバイスやソフトに注力しながら、古き良き経験値とノウハウを商品創りに注げばいい。このシフトチェンジがなかなか。つまり、優れたものづくりが価値づくりに結びつかず、乖離しているのである。

 その場合の乖離の理由は二つあるらしい。まぁ、一橋大学の教授の意見だから、そこは呑み込んでみたい。第一にどんなに優れた商品や技術でも独自性がなければ、過当競争になり価格が下がる。この法則こそが現代を支配しているわけ。極端な話、薄型テレビの価格の下落はまさにリアルタイムにその下落曲線を描いた。商品の存在価値の低下のスピードに制作現場が正しいタイミングを見誤る傾向にあるのだろう。第二に日本企業が創る新機能や高品質加減に顧客が市場が反応しなくなったということ。高い価格を支払っても欲しいという真の顧客価値になっていないということ。これら二つの理由はけっこう芯を喰っているから怖い怖い。

 さて、この場合の独自性とは何か?この一橋大学の教授は例のごとく「アップル」から学べと言っているが、これもいかなものか。で、日本企業の活路はとなると、真の顧客価値を創出できる技術経営への変革。特に単純機能を超えた意味的価値を提案できる人材とそれを評価できる経営プロセスが必要不可欠とのこと。日本企業はリスクを恐れ横並びになる傾向にあるらしいから、今はそれこそが最大のリスクだと捉えるべきなんだろう。どこでもやっていることを焼き直すことを見切り、独自の何かを創り出す工夫が勝負を決めるのだろうって、別に勝負勝負で白と黒でもないという大前提も忘れてはならない。

 ここまで分かったような分からないような現状の分析を経て、本当に変革を待つ人間が選別されたとして、そのエネルギーが空回りしない市場がこのまま日本であって欲しいと願うが、それもカオス。とにかく乖離してしまっているなら、何かで接合させねば。

売上を伸ばすためには?

 新聞にこんなフレーズがあった。やはり、この切り口を出されると気になってしまって、その広告をチェックしてしまうが、やはり、いつもの感じで緩い結末。

 そのフレーズとは「売り上げを伸ばすには、何を改善すれば良い?」となっていて、「月間抱えられる顧客の数」「商談にかかる総時間」「商談回数」「商品毎の成約率」という項目が列挙されている。一人の能力の限界をいわゆるクラウドやアプリがサポートすることで、これらを活用することで、一人の限界点を飛躍的に向上してくれるというオチ。そんなどんなソフトでどんなデバイスでどんな仕組みで数を稼いでも果たして果たして「売り上げは伸びる」のか?と疑問。本末転倒ではないが、そもそも売り上げを伸ばすためのポテンシャルというか中核競争能力をド返しして、アプリやソフトやクラウドサービスに依存するだけで数を稼いで果たして質が向上するのか?恐らくこの理想形について一見、スマートな仕組みを頭で考えると導入すれば目標値を簡単に引き上げられると考えるのが人間の浅さ。そんなことで売り上げが延びたら誰も苦労はしないしない。

 で、「何を改善すれば良い?」という正解は質を上げるために、「顧客の数」「商談の時間」「回数」「成約率」の適正値を見極めることでしょうね。安易なシステムやその場しのぎの皮算用に幻想を抱かず、自分の足で手で五感で自分自身の効率(技術や経験値や引き出しの数など)を見極めるしかない。道具は道具、戦略は戦略、売り上げは売上。何がなんでも「改善」することだけが改善ではない。「改善している。」が保険にならぬよう、そのテイに依存せぬよう、時には、設定値を下げることも必要でしょうね。実はこれが一番勇気のいる決断なのですが・・・。

マッキンゼーの人。

 マッキンゼーとは「マッキンゼー・アンド・カンパニー (McKinsey & Company.) は、1926年にシカゴ大学経営学部教授のジェームズ・O・マッキンゼーにより設立されたアメリカ合衆国に本社を置くコンサルティング会社。社名の「カンパニー」は「仲間達」の意味。関係者は単に"The Firm"と呼ぶことでも知られる。1926年、カーニー&マッキンゼーという一つのファームから、マッキンゼ-&カンパニーとA.T. カーニーの2つに分かれて、米国にオフィスを開設。米国、欧州、アジア、南米、東欧など世界44カ国に80以上の支社を持つグローバルな戦略系コンサルティングファームとして知られる。全世界の主要企業を対象に、年間1,600件以上のコンサルティング・プロジェクトを手掛ける。出版事業として、『マッキンゼー・クオータリー』の発行を手がける。1971年、東京に日本支社を開設。現在は六本木ファーストビルにオフィスを構える。日本支社の出身者としては、大前研一が有名。現在の日本支社長はジョルジュ・デヴォー。」と普通に検索すればヒットするが、そのマッキンゼーの人はなぜ年俸1億円でもその会社を辞めるのか?という書籍がある。

 で、「インパクト志向」というキーワードがあるのですが、さてさて、この刺激の鉱脈からは何が出てくるのだろう?ほんとに書店にいくと「年俸」とか「~歳からの仕事術」とか「~の間違い」あたりのキーワードのオンパレード。これを頭にすることで購買を仰ぐのが主な目的だとしてもこれで仮に自分自身が鼓舞できたとして何なる?それで人生が変わるとでも?自分自身の本質が根本的に変わるとでも?書籍は書籍である。人生を変えた一冊など夢物語でしかないのに、俺はこの書籍に出会えなかったら・・・みたいなテイは全くもってメンドクサイ。一冊の書籍で人生を変える前に一冊分の人生の蓄積があるのか?という疑問と不思議な構図。書籍の一文をシンクロさせて瞬間風速を上げている人、次の思考で辛い気持ちなった経験はないでしょうか?その場の瞬間風速にはあまり価値がないし、読んで知った情報が自分のスキルになったという勘違い系はネットの横行でより深刻になっているような気がする。これからの時代はF.B.でっせ!みたいな人達、いつまでそのテイが続くかな?もっと、地頭や地肩を鍛えなきゃ。年俸1億円を捨てる捨てないの話ではなく、「一億円」という貨幣価値に振り回されるか振り回すか!?みたい部分が実は軸。

 マッキンゼーという会社に全く興味はないが、1億円の年俸を捨てた人には興味がある。

お仕事の後。

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 仕事で水彩画(カラーインク)を描いたのですが、いつもその後にはこのようなafter worksが残る。これは、どこかで見た用紙。決して、イラスト用の専用の用紙ではなく、マクドナルドに行けばいつも5枚ぐらい商品といっしょに入っている紙。水彩画を描く時、いろいろな絵具(アクリルやガッシュやポスカラなど)を使うが、特に透明水彩を描く場合は染料系なので、ちょっとでも筆や筆洗の水に濁りがあると、色の発色(彩度)に影響を及ぼすので、さぁっと筆の水分を適正に取ってくれる用紙がベスト。布などもいろいろな種類をを試したが、吸い取る側の色の汚れが蓄積するとどの色が吸い取られたか判断できない。つまり、現在、筆についている色がどの程度の色なのか、どの程度の水分なのかをしっかり確認する必要がある。だから、布の使いまわしはNG。また、ティシュなどの紙も使ったがこれもダメ。絵具を吸い取り過ぎる。しかも、目が粗いので筆に入れた色のトーンが分からない。他にもいろいろこの用紙を試したのですが、このマクドナルドの手拭きがベストアイテム。だから、私の仕事場にはこのマクドナルドのティッシュがひと箱ふた箱ストックしてある。一回の仕事でこれぐらいの頻度になるから、仕事が終わればポイ。描画するボードの白度にもよるが、この白さなら筆に入っている絵具の色確認もできるし、水分を吸いこみ過ぎないので非常に有効なのです。

 ペン先も用紙の繊維がしっかりしているのでとても有効です。このマクドナルドのナプキンは、なかなかのスグレモノなんですね、実は。

5698件。

 クラウドに穴が開いた。大手サーバ会社のクラウドデータの完全消失。その被害件数が5698件。この数字は多いのか少ないのか。その被害額をこのサーバ会社は保証できるのか?この不徳の事態にそなえた保険はあったのか?いやはや恐ろしい世界です。サーバがどうなってこうなるのかは知らないが、経理上のデータや顧客データだけではなかったはず。全てをクラウドに依存したばかりにこうなってしまった時に「想定外」だったと諦めることに人間は慣れていない。しかし、クラウドとは両刃でこのような不徳の事態に備えるというのもノウハウとして学ばなければならないのか。これが便利を手にする側面なのかもしれない。

 同様に、もうすぐ大飯原発が再稼働を始める。自分自身が生まれ育った地元がこんなことでホットになるとは想定外である。橋本知事は関西電力のことを精一杯のその立場で言及しようとしているが、最近は予定調和として次の段階にシフトしているように見える。つまり、この再稼働を決定した世代を見切るという判断。もう、この国は大飯原発の再稼働を決定し決定を促した世代に翻弄され続けている。この世代は恐らくこの日本の経済の大多数を管理して最終決定権を持っている世代。その世代が正しい判断をできないのなら、次の世代がもっとしっかりしよう!というスローガンである。しかし、どの時代にも「正しい」はなく、「しっかりしよう!」レベルの抽象的なモチベーションでは、どこかこの本土内に膨大なレアソースか燃料ガスが噴出しない限りこのままプレートを残したまま沈没するだろう。

 教育の現場でもこれらは同様にその世代が戦後の価値感とシステムをコピーペーストしている。それが、継承だと誤認しているのをどこかでリセットさせるタイミングが必要。必要だった。3.11はその絶妙なタイミングだったとも言えなくないが、それでも、フラット化のシステムはまだまだ健在だったということ。それが、原発再稼働であり、5698件のデータ消失とどこかがバタフライエフォクトのような気がする。

 で、本日、富士山開山。今年も充分にトレーニングはできていないから苦しい登山になるだろうが、それでも、あの場所に立ちたいと考えている。富士山山頂には何もなかったが、また、そこに行きたくなる気持ちは確実に心に刻印されている感覚。つまり、動いて、考えて、創るという、体、心、技術のバランスを崩させる情報を排除しスルーし、いいサインを自分の手に馴染ませることがもっとも価値があるということ。逆にそれ以外に翻弄されぬよう迷いながらでも前に進みたい。

 5698件の皆様、この度はご愁傷様でした。クラウドの神様はいたずら者ですよね。ウチも気をつけよう、バックアップバックアップ。

ソフトのバージョンアップの件。

 この頃、いろいろなソフトのバージョンアップのサイクルがどんどん短くなっているような気がする。確かに次から次へと新しい機能が装備されるのはユーザーにとっては嬉しいことなのですが、その度に、コストが発生する。つまり、いわゆる、ソフトの開発者の手玉にとられている!?という錯誤感さえ感じる。そんなに短いサイクルで新しいバージョンが発表できるなら、もっと、バージョンアップ費用を低めに設定してもう少し長期的なサイクルでいいので、安定してよりいいものを市場に出して欲しいと願うが、これは、デベロッパー側にいない人間の、バージョンアップを生業としている人間の反対側の意見。やはり、古いモノよりも新しいモノを使いたいという本能があるから、これぐらいのコストならそろそろアップグレードしておこうか・・・みたいな非常にいいタイミングを向こう側の人達は見極めているのだろう。しかし、昔のように開発費用や販売促進費用的にドカンと使って開発してドカンと告知するみたいなことができない世の中になってしまったので、短いジャブで持久戦みたいな構図かな。

 で、私自身の基準はソフトのバージョンがアップグレードの最後の対象になるまでアップグレードするとすれば待つ。で、そのソフトがよほど手に馴染んでいるなら、思い切ってアップグレードはしない。仮に、上位バージョンが欲しければ、新しいシリアル正規版を購入する。というサイクルでソフトウエアを揃えています。その方が気持ちをしっかり切り替えることができるし、せっかく一定期間を使って手に馴染んでいる道具を、わずかばかりの目先の追加機能でリセットすることを考えれば、短いサイクルでのソフトの機能アップは魅力的ではない。つまり、ソフトウエアは道具なので、切れなくなったらダイヤモンドシャープナーで研ぐが、目的の対象物が切れるならメンテに終始し、新しい道具はスルーするが正解のような気がします。そんなソフトウエアのバージョンアップごとにコストをかけていたら、何をしてることか?状態ですからね。そのあたりの適正なタイミングってとても重要だと思います。

 逆に、デベロッパーもパワーユーザー向けなのか、ビギナーユーザー向けなのかでバージョンアップの仕様をそのタイミング以上に検討してるだろう。裾野を広げる、ディープなプロに求められる、いろいろな思惑がこのバージョンアップには込められているはずだから、あえなく失速していくソフトウエアや知らぬ間にサポート終了・・・みたいなソフトはこの戦いに負けたのだろう。

 さぁ、A.E.CS6はどう進化している?SHADEの13.1は?INDESIGN-CS6は???

中国市場攻略!?

 「米国に本社をおくインフォアは、長年にわたり生産管理やサプライチェーン、財務会計等のビジネスソリューションを提供してきました。刻一刻と変わる市場環境に対応するための「スピード」を重視し、業界に特化したソフトウェアで、業務とプロセス改善のお手伝いをしております。この度、主に製造業のお客様で、海外展開を視野に入れている、もしくは生産管理や受発注・在庫管理のシステム刷新を検討している企業を対象に、セミナーを開催いたします。今回は特別に、日本能率協会コンサルティング中国法人董事長の横田様より、現地でのコンサルティング実績をベースにした、中国市場攻略のためのポイントをご講演いただきます。 皆様のご来場をお待ちしております。」という記事はいかなものか。現地でのコンサルティング実績をベースに中国市場攻略のためのポイントって文字にすればスマートですが、現場はもっと複雑怪奇なはず。スマートな文字をいくら羅列しても、いや、羅列が好きな人、コンサルティングという言葉に弱い人、講演というテイありきな人には最適な機会でしょうね。誰しも中国市場を攻略したいと考えているのだから、何かひとつでもキーワードが発見できれば的な藁だろう。

 しかし、一番上の方で俯瞰視すると、攻略しようとして攻略できる人はいない。攻略ありきのスタート地点でゴール設定はどこ?資本主義の極意があるとしてもそれが今どうなっているのかセオリーとしてではなく、自分の中核競争能力とアイデンティティを比較検討できているのかからベクトルを整理しなければ、誰で彼でも同じ攻略をしてたら中国市場がなびくとでも考えているのだろうか。大手企業さんの戦略部門で高学歴の人達が手を変え品を変え戦略に時間を費やしている今現在でも中国の市場は秒単位で変化している。沈滞している日本の経済でさえ適正な戦略が練れずに万歳三唱している人間が成功事例だけを鵜呑みにして追随できるとは考えにくい。まぁ、私のパイで大それたことは決して言えないし言及したところで、一陣の風に過ぎない。ただ、攻略するのではなく、共鳴しようとする心の在り方の方が美しいように理にかなっているように感じました。

3点分割法とな!?

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 某テレビ番組でやっていたプロのカメラマンの構図創りのテク。それは画面を3分割してそのポイントに被写体の中のポイントを重ねることでいい構図の写真になるという法則らしい。これは映像やイラストにも適用できるのではないだろうか・・・?と早速ブログにメモりました。いろいろな絵づくりに参考になるのではないでしょうか。このネタなかなかいいな・・・。

どの音源にするか?

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 さてさて、どの音源にするか?音楽って絵とかデザインよりも無駄な要素がない。ストレートに耳に入ってくる素材だから、もう、言語的な考察や解釈が通用しない世界。だから、あまり音楽のいい悪いを左の脳で考えてちゃダメ。だからと言って右だけでジャッジしても感覚的になりすぎる。これが楽器から出る音ならば感覚的に感じて感覚でアウトプットすればいいが、一旦、これが、デジタルになると意識の中で言語的に解釈しようとしてしまうスイッチがオートマチックに起動するから、そのボリュームは極限に抑えて感覚で判断する。これがなかなか音楽だけに趣味趣向でチョイスしてしまい感情で判断してしまう。結果、映像や画像にマッチするしないで迷うことになるのである。すると、結果、最初のインスピレーションが一番正解だったりする不思議。これって結局、音楽のチカラなのかな・・・と。

GOOD JOB!

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 いい仕事はいい仲間といい気持ちでいい場所で。それがどこでもいつも同じ気持ちでできること。これが一番大切。無駄に浮かれず無駄に落ち込まず。いつもフラットな状態を心掛けていますが、なかなか気分は落ちたり浮いたりする。やはり、一番はいつも緊張感を与えてくださるお客様と、なんでもぶっちゃけられる仕事仲間がいることに尽きます。走馬灯のように現れる余計な心配や危惧や先入観も、いい仲間がれば吹き飛ばせるって感じ。いやいや、そんなことを考えてのこのおっさんのSMILE.

 何事も、TAKE IT SLOWLY...

芸大卒の就職率について。

 「芸術大学は就職に不利」というイメージがあるらしい。これは、芸術大学からのパンフレットの中にある「ご父兄の皆様へ」という冊子の戦略。確かに一般的にステレオタイプに考えるとこの論理は実しやかに思えるし、自分自身が芸大への入学を考えていたこともこの部分はかれこれ悩みの部分だった。しかし、その信憑性はいかに?確かにこの冊子が手元に届き読んだ「芸術大学を卒業していないご父兄」の皆様はこの論理を鵜呑みにするだろうし、このパンフレットに展開されている論理・文脈を自分自身のモノサシで推量することは不可能に近いだろう。価値感のない経験値のない分野に対して「不利」とか「有利」の判断はできるはずがない。仮説と想像と規範から判断するしかないだろうから、正確には判断できないが正解である。

 このパンフの論理は芸大生は「集団行動における意識の形成が優れている」と記載されている。まず、集団行動が嫌いであり独自の世界観を主張し過ぎるというイメージや先入観がある芸大生に対いて「集団行動における意識」とは?となる。また、芸大卒業生の就職率についても記載されているが、この内定率とはどのような基準で算出された確率か?恐らく大前提から便宜上のフレームの中で算出された物理定数だろうから、基点はあるようでないが正解。そこで、芸大生の4年間の過ごし方を紹介しているのですが、そのキャンパスライフにおける「コミュニケーション能力に長けている」「困難にあってもやりとげる知力と能力がある」「新しいことに常に挑戦し続けるチャレンジ精神」「集団を率いるリーダーシップがある」「チームワークを重視し協調性がある」「ストレスに対する耐性がある」「ビジネス感覚が強い」などという特性を列挙している。これが意外に自分自身の感覚の中にスムースに浸透する感覚があるから、不思議なのであるが、確かに!という感覚はある。

 で、これを経て芸大生は現代社会の荒波に向かって独自の世界観とコミュニケーション能力を持って社会を牽引する人材となる・・・あたりが落とし所だろう。

 さて、この論理、芸術大学を卒業していないご父兄の皆様にはどう映るだろう?きっと、手前味噌な勝手な一方的な論理にしか聞こえてこないような気がする。だって、そりゃそうでしょう、芸術大学を卒業していないのだから、コミュニケーション能力もチャレンジ精神もリーダーシップもストレスに対する耐性もビジネス感覚もないご父兄なんだから、理解もできなきゃ、感じることも無理。すると、つまり、何かというと、世の中の構造の人材の配分の比率だけの問題なのである。様々な能力を意識化にできる特性は芸術大学にはあるだろうが、それが社会に適正に機能するか否かはポテンシャル次第。芸術大学の関係者の人達もそれをちゃんとぶっちゃけないと・・・。ないと、誤解されますよね。

 芸術大学の卒業生は社会規範やビジネスモデルをどのように捉えているのか・・・などと決して総括することはできないが、まぁ、「地頭」が強いということだけは言及しても良さそうですね。恐らく、ストレスに対してもマクロにもミクロにも対応できる俯瞰力が持っていると思います。ただ、基本、私も含めて天の邪鬼であることから扱いにくい人間が本質にあるこも否めませんが、協調性もあることもリアル。つまり、何基準であれ独創性や思考における行動力は優れている人材が多いように思います。ただ、社会の規範との相性がどちらへ転ぶか・・・みたいなことでしょうか、結局。

アイディアが出てくる頭の構造とは?

 「発想は豊かに」と小学生の頃、美術の先生が言っていた。今思うと非常に抽象的な言葉だが、やはり、学校で美術という概念を認知させるためには、この程度の緩い言い方がベターなんだろう。で、芸大ではどうか?「斬新に!個性的に!」というニュアンスなる。恐らく、現在も、デザインやアート系大学ではこの教えを受けた人達が教壇に立っているはずだから、同じことを言っているだろう。しかし、「豊かに」「斬新に」「個性的に」という言葉は実に無責任な言い方である。私自身、学ぶ立場にいる間は絵を一生の仕事にするための「技術」を学ぼうと大学に行った。だから、あまり、発想やアイディアの豊かさや斬新な個性的なことについては、あとから付いてくるだろう…程度に捉えていたような記憶がある。だって、仮に授業を受けている学生30名程度を相手にこのパイで個性や斬新さを競っても意味がないと思っていた。逆に「発想の豊かさ」に飛び抜けるためには、現在、飛び抜けようとしている全体像を俯瞰で観察する必要がる。アートの世界で適正に「飛び抜ける」ためには、絶対に「飛び抜け過ぎ」てはいけないのである。これも実は学生の頃に学ばなければならない価値感というか洞察力である。ここをベースに個性だとか斬新であるだとかに対する自分の世界観を構築しなければ、ただの、無法者になる。

 で、アイディアとは何か?それを湧き出させるためにはどんな訓練が必要か?恐らく、そんなことは訓練で会得はできない。つまり「すでに偏在する内在する力を確認する。」だけが人間技の限界。時に天才と呼ばれる歴史に名を刻んだアーティストがこの能力に長けていたとは考えにくい。いずれも言葉にすれば「偶然」の「たまたま」でしかない。その「たままた」に左脳の能力に長けた人が文章化して情報化するから、その「たまたま」が化けるのである。

 だから、頭の構造など万人そんなに変わるはずがないのが正解のような気がしますね。ただ、この「たまたま」という出来ごとは人の人生・運命を左右するから恐ろしい。アイディアの最初は非言語であり、五感による認知の末、消化され排出されたSHITだから、かくも匂うのである。

水は大切。

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 本日完成し月曜日納品する販促用のパネルです。水は大切ですよね・・・。

決意のドア。

 新宿のデザインプロダクションさんでの初日の朝、そのオフィスのドアを開ける時、確か、深呼吸をした記憶がある。やっとここに来れたというドキドキと、ここで頑張るぞ!というワクワクで興奮し緊張していた。それがこのデザインの世界に入らせていただいた最初のドアだったからである。奇しくもその会社様の名称が「DOORS」。しかし、世の中には「自分に合った仕事を見つけられない・・・」と一生つぶやき続ける人がいる。「天職が何か分からない」とか言う前に、ガチでそれを探究したのか?ターゲットを絞り込んで考えて努力したのか?という話。何を仕事にするのかは、労働時間や休日の待遇や福利厚生や仕事の内容や給与の額面ではないはず。やりたい仕事がなかったから家業を継いだは最悪。お前は親父のために生きているのか?という論理。ほんとに家業が好きな仕事にならなかった理由があったはず。それを見切り安定を望んだのだから、その場所でベストを尽くすがお前の正解。まぁ、そんな連中は論外としても、最初に決意して入ったその場所こそが自分の場所なのである。

 で、会社の契約条件に文句を言う人は必然的に自分の仕事場に辿りついていない人。自分の仕事部屋に入っていないのだから、そりゃ、出口は見つからなくて当然当然。どこかにあったはずの「決意のドア」の前になんらかの理由で立たなかったのか立てなかったのか?なのである。自分の仕事に出会うには熱意だけは難しいし、幸運も味方につけなければいけないだろうが、それでも、運も実力の内。結局、時給額や休みの時間で仕事を選択し余った時間で国の経済振興を支えているという立ち位置になるというわけ。でも、それはそれで生産性を担っているのだから素晴らしい存在。

 しかし、自分自身もデザインの仕事が恐らく合っているだろうと考えているし、この仕事をやりたかったという強い意識はあったように記憶しているが、アートやデザインの仕事は底抜けに楽しいが芸術系の仕事をしたいという記憶の派生の前にいろいろな願望があった。科学に興味があったし、スポーツにも興味があった。それに、文学や製造業にも興味があったような記憶がおぼろげにある。しかし、上記の理由で、諦めたような感じだったし、その試行錯誤の結果、アートやデザインに辿り着いた。結果、この広告という仕事は、科学もスポーツも文学も製造もその他のいろいろな分野のお客様の仕事をすることになる。これも、不思議な巡り合わせなのかもしれない。

 という意味で、やはり、あの新宿のドアが私の「決意のドア」なのですね。

竹中式イノベーション仕事術!?

 イマドキ、「楽に生きられない日本で戦う12の力」という慶応義塾大学の教授、竹中平蔵という方の著書がある。まず、この時代、平蔵である。平蔵氏が語る竹中式イノベーション仕事術である。これだけでなんとなく喰いついてしまった。

 1.自分で自分をプロデュースする力、2.熱い心で思い込め、熱い心がなければ人生は無意味、3.BtoBを繰り返せ、飽きない力に目覚めよ、4.常に目的関数を見抜け、5.情報力とは馬鹿を相手にしないこと、6.心に宇宙を描く洞察力、7.組み合わせが力を生む、8.妥協しない力、敵ができても恐れるな、敵ができれば味方もできる、9.1日は24時間で人生は短い、10.人生でスイッチングを怠るな、11.志のSFCを貫け、12.人生、塞翁が馬としれという達観力。これがどうやら12の闘う力だという。後半は書籍へ導くためにちょっと???を散りばめているが、なかなか整理された12要素である。大学の教授が楽に生きられない日本にアドバイスをするのだから、相当日本も楽に生きられないという感じがヒシヒシと伝わってくる。

 おまけに、「ワンテーマに9年間没頭する」「ワンフレーズを何度も繰り返せ」「朝5時から6時にアイディアを練る」「議論は大きな数字で説得する」「お酒よりも志を同じくする」「雑務をまとめて大掃除をする日をつくる」「あこがれの上司・先輩を探す」「退路を断って、金を使う」「10年後の履歴書を書く」「中学校の教科書に戻る」「メモ魔になる」・・・他とのこと。このあたりは、ちょっと息切れしているようにも感じられるが、まぁ、それなりの書籍として体裁は整っているだろう。

 で、最後のヒトオシが「小さな決断で大きな成果」というボールを投げてる。書籍を紹介して買ってもらうためにはあと何かが足りないような広告になっているし、平蔵というワンフレーズもここまで読んでくるとそのパワーが失速する。イノベーション仕事術とか言うから、どこまで実践的な書籍かと思えば、結構ステレオタイプ。これを仮に書店で発見しても買わないし、この広告文の中で唯一ひっかかりがあるとすれば、このフレーズだろう。

 「熱い心で思い込め」。さて、この場合の熱い心が平蔵さんにあるという大前提でこの書籍が成立していることを願うばかり。

工場の夜景。

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 映画のワンシーンのような風景ですね。本日到着していた著作権フリーの写真ラボさんからのメルマガの中に紹介されていた画像です。このイメージ、3DCGソフトで創ってみよっと・・・。

合体技の弊害。

 「どんなものでも(複数の製品や機能を)統合するよう迫られることはある。だが、製品に妥協が生まれてしまうのであればそれは問題だ。妥協をし始めると、最終的には誰も満足させられないような製品になる。トースターと冷蔵庫を合体させることは可能かもしれないが、そんな製品は恐らくユーザーに満足を与えるものにはなり得ないだろう」とクック氏は言っている。そもそも技術の進化が人間の生活や文化にどのような影響を及ぼしたかを細かく分析すると、「便利」だと捉えてることは、本質的にどう便利なのか?という疑問に辿りつくような気がする。

 これも最近デジタルコンピューターを創造した技術者やアルゴリズムの開発者の書籍を読んでいることからスポイルされた考えなのですが、便利は実は便宜上の感覚であり、効率化されていると意識しているように思えて、実は、その「効率化」を意識させることがデジタルコンピューターの目的であり、さほど、「生産的な効率化」は実現していないのではないだろうか?という仮説である。あらゆるデジタルデバイスに言えることですが、インターネットが提供してくれる情報を懐疑的に捉えると、その情報の価値は実はいろいろな意味でFAKEの連続なのかもしれない。本質的な情報の価値とは誰でも入手できる情報ではなく、「誰でも入手できない情報」にこそ価値があるという視点である。それを明確にするために、インターネットやクラウドが進化し続けていると捉えると、どこかSF映画のプロットのようですが、非常に現実的なパラノイアに陥る。

 昔のテレビアニメで、ある特長とある特長を合体してより強いロボットに!という発想と現実の世界での合体ネタの二つの山の間には想像以上の深い谷が存在するような。

 で、それらを「弊害」と読んでしまうには語弊があるだろうが、逆に「無害」「無価値」と言ってしまえるような実態だったら、ちょっと寂しい。まぁ、そんなことはないだろうが・・・。

大切な勇気。

 意外と足し算の思考では無駄なエネルギーが蓄積されて悪いストレスになり完成形がもっとスリムでいいはずが重くなり過ぎる場合がよくある。あれもこれもとどうしても詰め込み型なアプローチをしてしまう。気合いが空回りするというか無駄なエネルギーばかり注視して肝心の・・・みたいなこと。これが、この歳になってもまだスッキリしない。逆に気合いが空回りする上に、的を外れてポイントが忘却の彼方みたいなこと。これは辛い。開き直りギリギリのところで辛い。

 すると、時には「やり直す効率」ということも考えて想定しなければ前に進めない。どんどんザックに想定されるトラブルや問題に対応するための荷物を積むがザックが左右に振られて股関節に負担が・・・みたいなこと。これは仕事でもよくある。脚力を鍛えれば鍛えるほど過信が過信を生み出し、「まだ行けるまだ行ける感」満載で最後の最後で鍛えているはずの部分が故障。

 つまり、何事も判断力であるから常に「白紙にする効率」を意識しろってこと。

 で、「諦める」ことはこの場合、決してネガティブなことではないのである。つまり、いっぱいいっぱいになれば、正直に「いっぱいいっぱいですごめんなさい!」と誠心誠意誤ることも大切なのだ。なかなかこの「諦めるという効率」が見えないことがある。「やり直し」とか「白紙に戻す」とか「諦める」なんて日本ではあまりいいとされない価値感というか思考パターンですが、時にこの判断が生産的で創造的な結果に繋がることもあるんだ。ウジウジネチネチと尾を引くよりも、スカァーン!とリセットする能力・勇気も必要必要。

仕事中毒。

 世の中はG.W.なのに、この時間に仕事をしているってどうよ!?でも、仕事が好きだから仕方がない。好きな仕事だから頑張り甲斐があるよね・・・とよく言われるが、別に好きだから頑張っているわけではないし、好きでも嫌いでも仕事は普通頑張るでしょう。まぁ、この頑張るっていう部分も十人十色でしょうが、健康で仕事があるってことに、ただ、感謝していますね。それだけを考えてみても、そりゃ頑張って当然。世の中、こんな景気だからいろいろな考え方のモノサシが氾濫しているが、他人のモノサシで自分の仕事を計測しないことですね。短くても細くても曲がっていても、やっぱり自分のモノサシで自分の仕事を測りたいものです。で、その寸法が間違っていたら仕方ないでしょう。他人のモノサシ、もしくは、親のモノサシで自分の仕事(人生)を測らないように。これが頑張れるか頑張れないかの分岐点のように思いますね。さぁ、もうひとふんばり頑張ろう!

ついにここへ。

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 ついに最終地点かなと。48歳の誕生日にこの書籍が手元にあるというのも何かの巡り合わせのような気がする。23歳でアドビのイラストレーター英語版に出会い、グラフィックデザインから始まった長い道のり。WEBに、3CDGに、映像に取り組んできた。漫画も映画も好奇心のままに貪欲に楽しんできた。映画や小説や個展はライフワークとしての部分であり、余裕があればいつでもできるだろう。しかし、23歳でダイブしたパソコンとソフトでのクリエティブの最終目的はここ。

 どこかでゲームを創って大儲けしたいという気持ちは勿論あるが、それが目的になることは最も危険なベクトルだということもこれでもかというほど理解している。だから、今、目の前にこの書籍がある。いつかこれを自由に活用してゲームコンテンツを創ること。それが手を伸ばせば届く距離になったリアル。さぁ、まず、何をする。一晩でこの書籍はざっと目を通したが、恐らく大丈夫。総648ページのことが頭に入った。

 ゲームか・・・、何を創ろう?ではなく、あんなゲーム、こんなゲーム、私自身が自分の時間でゲームを一切排除してきたのはこのため。どんなゲームが流行っているとかどのメーカーのあのゲームは刺激的だとかいう情報を一切遮断してきた。アイディアや構想が偏ることとフラット化することを避けるためである。「一般的なゲームの流行りを知っておいて損するわけじゃないでしょう」と言われるが、私はそうではないと思っている。どこにでもあるテンプレートをコピーするだけなら、3DCGを学んだ学生諸君の方が断然優れているに決まっている。この48歳がゲームの世界にダイブするんだから、自分のスタイルが覚醒しなければ、どこかで見たゲームになるだろう。アイディアは無数にある。あとは創るだけなのである。それを実現してくれるのがこのソフトなんだ。うん、とてもいい感じの誕生日である。

ええですねぇ~。

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ええですねぇ~、この空気感。やっぱ、これは購入する価値があるある。

アマナイメージさんWEBサイト http://amanaimages.com/

時は金なり・・・。

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 腕時計をしない理由は左手にすると元々が左利きなので違和感がある。しかし、右手にすると今現在は利き手なのでよくいろいろなところにぶつける。という理由で結局、腕時計を右にしても左にしても馴染まなかった。ただ、山や釣りに行く時は欲しいと最近感じている。特に上海に行った時、1時間の時差に気が付かず愕然としたのも腕時計を持っていなかったからだろう。時計や時間に対する意識が少ないためにただ「馴染まない」と腕時計を拒絶しているだけ。時間は大切ですから、腕時計をひさびさ(10年ぶり)に買おうかな・・・。

 で、砂時計ってなんとなく時間を意識できるのでいつも仕事場に置いています。手前から紫の砂が3分、黒の砂が5分、白が10分という3種類の砂時計君です。

素敵なカタログです。

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 仕事中の一場面のカットですが、なかなか素敵なパンフっレットでした。パンレットでもWEBサイトでも看板でも映像でも同じなのですが、文字(言語)表現というのはいろいろな解釈があるために、なかなかイメージが広がることが少ない。これはいかなる美辞麗句で紹介・案内をしても・・・である。英語表記などがイメージの広がりに繋がるのは英語という言語の特性だから。「英語がカッコイイ」という刷り込みにはそれ相当の背景と理由があるが、日本語の表現力を追求していくと、特に広告物や販売促進ツールにおける文字表現はとてもデリケートであり吟味・推敲・微調整する必要がある。元々そもそも私はコピーライターではないが、仕事上、どうしても企画書のライティングをチェックする必要があったためにデザインとライティングの関係性についても精通する必要があった。逆にライターさんから出てくる文脈を訂正・変更したりすることもあり、デレクターという立場で強引なこともしてしまった。しかし、それは、チームで組織でクリエティブの仕事である以上、共によりよいモノを創るため。と、それほど日本語の表現は曲解をまねく事が多いのである。それに対して写真はいろいろな捉え方があり、「強い写真」は恐らく誰がどう偏狂的に見ても「強い」という特性を持っている。

 WEBサイトで人の表情が多用されるのもそれが理由だろう。

 では、「強い写真」はどう撮影するのか?これは設備もスキルでも経験値でもなく、「強い気持ち」でシャッターを押すことがポイントだと思う・・・とカメラマンでもない人間がまた無茶苦茶な論理を呈しているが、それは機材とスキルとセンスありきだという大前提である。

 強い写真は商品の印象度を上げ訴求し、時に価値以上のSOMETHINGを語り始める。これがデザインのマジックなのである。この場合、特にタネはなく、ある意味、タイミングとTPO次第みたいなとこころもありますし、強い人が引き寄せるフォースのようなチャクラのようなものかもしれませんね。

2012CG検定

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 というのが開催されるらしい。内容は「CGクリエイター検定」「WEBデザイナー検定」「CGエンジニア検定」「画像処理エンジニア検定」「マルチメディア検定」という5部門があるらしい。その詳細を細かく見ていくとちょっとづつ自分自身の仕事と関連性がある。今更これだけのために復習予習をするつもりはないし、検定合格するために仕事の時間を浪費するこはできないが、ただ、なんでも我流過ぎる偏った知識の蓄積は自分自身非常に否めないので、基本的な部分をこの5部門の推薦教科書のような資料があれば、入手して再確認はしてみたいと考えています。これからこの分野にダイブしようとしている人ならば、このような検定は非常に有効だと思います。

 改めて自分がやっている仕事をこのように列挙されると、なんとなく、堅苦しいステレオタイプな人間に自分自身が思えつまらないしメンドクサイ。が、この世界に入りたいと願っていた頃の自分自身を想い出すと、間違いなくこの検定のためにテキストをチュートリアルに取り組んでいただろうと思いますね。検定を合格して修了書があってもそれは仕事もあるイコールではない現実もしっかり見据えて、トライすることだけでも非常に大きな意義があると思います。

 で、この検定の講師の皆様だってどこまで検定内容を熟知してることやら・・・。検定のための検定にならぬようくれぐれも。

本当の効率化。

 「効率化」とは一体何が目的か?という疑問。そんなこと企業として売り上げを上げるために仕事の流れを明確にし組織化を図り仕事の品質をしっかり管理することであり、その結果、企業活動が潤滑に上昇するということだぐらいはどんなマニュアルにも書いてある。でも、その「効率化」の結果、失っているモノはないだろうか?という疑問がある。つまり、よく切れる剣の両刃の部分ではないだろうか。対峙する相手も切るが実は自分自身も血が流れているような。

 で、結局、お互いに傷口の小さい方、血の流れ方が少ない方がその勝負の勝者みたいなパワバラがこの「効率化」の実態ではないだろうかと・・・。

 この場合の大前提は人間皆平等に一日24時間を与えられているという普遍のリアルがある。引いては、人生は1回だという生物の真理がベースにあり、この人生どう活用するかに対するマニュアルが実は存在しないのではないだろうかというジレンマ。唯一無二の存在である個体の中に存在する心の部分を人間の本能だと言及して一束にするためにあらゆる規律や法則や慣習が創出されているが、それらは実は願わない人、思わない人、求めない人に対してのテンプレートであり、見えている人、聞こえている人、感じている人にしてみればノイズ(枷でありリミッター)になっていないだろうかという懐疑。

 企業が効率化を提唱し組織の人間が手をつなぎ渡る赤信号。その赤信号が実は「日の丸」だったみたいなオチはやめてほしいが、その部分も周知のリアルなら、今握っている手を一旦リセットする必要もあるのではないだろうか。モノゴコロが芽生えた年齢から団体で組織で教育を受けてきた人間にしてみれば、その場所は心地がいい。企業もその延長だとしたら、もしかすると、社会もその延長であり、引いていはこの国もその延長だとしたら、どこかで別次元へダイブする必要はないか。そうしなければ、モノゴトを俯瞰で捉えることなどできないのではないかと考える。

 私自身でできることは、水中が怖いので水の中からその構図を眺めることができないのなら、高い場所に立てば・・・と考える。物理的に日常空間をテイクオフして高い場所は山となる。そこにある自然の声や土の香を五感で感じ息を切らしながら頂に立った時、そこにはそこだけのリアルがある。これはひとつの事例に過ぎないが、確実にその場所にだけしかないリアルを感じることで、一見遠回りのようなこのアクションが実は芯を喰っていると期待したい。

 時間の使い方がその人間の本質にシンクロするのだから、そこの試行錯誤だけは怠ってはいけないと思うのです。それが自分自身の唯一の「効率化」だから。

木のテーブル。

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 この質感、このフォルム、この存在感。う~ん、最高です。これぞ木の魅力のカタマリ。なんともなんとも、オキニイリのアイテムとなりました。これをどこで入手したのか?については、また、いずれ。そして、このオリジなテーブルの価格はいくらか?についても、また、いずれ・・・。たぶん、国内外、どんな検索キーワードでもこの商品はヒットしないでしょうね。っていうほどいい感じのテーブルなのです。ネット時代、検索したらどんな商品でもヒットするなんて幻想幻想。そんなにネットは完璧でもなければ、魅力が情報が飽和しているわけでもないっつうことですね。

 いいですよこの存在感。たまらんです。

13人の匠。

 「伝統工芸職人たちが抱える"ものづくり"への想い。ときに「こだわり」と表現される、その熱い気持ちは、時代や分野を問わず共通するものです。本企画では、そうした「こだわり」という視点から、日本の伝統文化を受け継ぐ13人の匠と、デルの「こだわり」が詰まったXPSTM 13 UltrabookTMをご紹介していきます。」という企画がある。なかなかストライクな粋なプロジェクトである。正にこれこそがこれからの手法になるのだろう。逆にこのアプローチ・方法論を抜きにして今後、何かが創造されていくということにはならなないだろう。ネットやデジタル機器はあくまでもツール。そのことを理解して感覚として捉えておかないと、システムが独り歩きしてものびしろはない。つまり、訴求も波及も認知も停滞するということなのだろう。

 つまり、創り手の責任というかポテンシャルが全てを左右する時代。それは、日本国内だけに捉われていることではそのパワーが濁り淀む。あくまでも、何かを構築する場合に、他言語の文化や歴史や慣習に精通しつつ、根幹の創り手としての中核競争能力を鍛えましょうというお話。もう、システムや手法だけの大量生産・大量消費型のビジネスモデルは成立しないのだろう。天下のデルでさえ・・・なのだから。

「アクト」電話帳広告仕上がりました。

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 本日、電話帳の広告が仕上がってまいりました。電話帳の1ページ目にドーン!

今津のFREEDOMさんにて。

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 日曜日は琵琶湖のロケ映像を撮影しながら、今津でちょっと打ち合わせ。なかなか、適当ないい感じのカフェがないなぁ~とブラブラしていたら、琵琶湖沿いのカフェを発見。その名前も「FREEDOM」って、いいじゃん!中に入ると、いい感じいい感じ。早速、大きいテーブルを確保して打ち合わせ開始。コーヒーも美味しかったし、店内もなかなか落ち着いた感じの中にも、暖炉や趣味の空間を演出しておられる。うんうん、なかなか、いいぞ。これは今後、奥琵琶湖での撮影の拠点にしようと確信しました。

 お店の窓際に座ると道路~松原~琵琶湖となんとも素敵なロケーションです。ちょっと、昨日は雪だったのですが、それでも、ロケーション的には抜群でしたね。お店の中で撮影などもさせていただきたいぐらい、ちょっとした、スタジオにも最適なお洒落な空間でした。

 湖北、今津に行かれた際には、ぜひ、FREEDOMさんに立ち寄ってみてください、って感じです。

雨対策。

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 富士山に初めて登った時、いろいろな面でアドバイスを頂けた書籍の著者のイチオシアイテムが「日本手ぬぐい」。バンダナだとサイズ的に正方形だったり、タオルだとちょっと生地が厚くなったりするために、マスクにしたり、首に巻いたり、頭に巻いたり、勿論、水をふき取ったりという多用なアイテムで「日本手ぬぐい」を入手した。これはその時から常にザックの中に入っている手ぬぐい。ちょっと寒い時や夏の日差しが強い時も、首に巻いたりすると日焼けを防ぐことができるし、生地が薄いので通気性も高く、濡れてもすぐに乾くのです。確かに!この日本手ぬぐいはなかなかのストライクなのです。

 そんな富士山登山で知った日本手ぬぐいのメリットから、いろいろなところに出向くたびに、いろいろな日本手ぬぐいを買うようになった。純和風の絵柄からちょっと可愛いイラストやデザインの手ぬぐいがあるのです。どれも使えば使うほど味がでるし、身体に馴染む感じが、ハンカチとかタオルとかバンダナとかとは違ってマッチする。やはり、日本人の知恵は素晴らしい。

 で、雨が降ってきた、風が強い、防水滴仕様のカメラであるが、あまりボトボトにはしたくないってことで、日本手ぬぐいによる雨対策がこれ。ちょっと車の中で広げておえば10分ほどで乾くのでとても便利なのです。日本手ぬぐい恐るべし!!!

アクトの広告。

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 あまりアクトは広告を出さないのですが、いろいろなタイミングの中でピクリとくる媒体には積極的に広告を出そうと思っています。よくある「おつきあい」は120%出さないが、なんとなくのびしろを感じられる場合は積極的に広告を出していこうと考えております。ってことで、これが電話帳用に作成した、サイズ:w56mm×h40mmのモノクロ広告データです。

 ざっと、オフィスを見回せば、至るところに「ライン」が縦横無尽状態。「時計」「地球」がラインで繋がっているだなぁ~と感じたわけです。それをそのまま広告にしてみました。小さい広告ほどなんとなく、アイディアが出てくるし集中してしまう感じです。「サイズが小さい」とか「カラーでなくてモノクロ」とか条件が限られてくればくるほやる気も集中力も出てくるようです。これもひとつのクリエイティブ・スピリッツかもしれませんね。大きな看板よりも小さな広告の方が好き。

海外就職のススメ。

 「海外留学経験なし、海外にコネなし、海外駐在経験ももちろんなし。普通のサラリーマンが、普通にアジアの就職エージェントに登録して、普通に就職活動をしてみました。そのノウハウと、体験談を一挙公開!実際に香港、深セン、シンガポールへ行き、現地のエージェントに登録し、現地企業と面接をしてきた体験を元に、今アジアで就職することの意義、アジア就職のためのto doリストから、どの辺のホテルに泊まればいいかまで、徹底紹介!本気で海外就職を考えている人から、日本で働くことにちょこっと不安を持っている人まで、日本以外の場所で働くという選択肢を検討するのに最適です!」という書籍の案内がアマゾンから到着した。以前に購入したパターンからチョイスしたのだろう。なかなかやりよる。確かに欲しい一冊である。

 というテイで細かいリサーチをしてこそが購買をニーズを見つける最短の手法だと言うことだろう。海外で仕事をするという意識は30歳の頃からあったので、具体的にとなるとなんにもリサーチしていないが、最低日本で仕事がないから海外に出よう的なテンションでもないので、ルールさえ守れば仕事はどこでも同じだろうぐらいにしか考えていない。文化や慣習やビジネススタイルが異なるということは想定以上に存在するだろうが、結局、人と人だからぐらいの楽観視。それで当然、ぶちあたる想定以上の壁はあるだろうが、それはその時考えればいいこと。今、思い悩むことではない。

 で、その先は野となれ山となれぐらいでいいかなと。立っている場所が変われば風景も変わるだろうし、気持ちも変わるだろう。その場所で自分自身が何を考えどう行動するかが実は一番ワクワクする。

上海浦東国際空港

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 来週の今頃はここか・・・みたいな。

ほんと、スパイクいいですね。

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 トヨタからホンダに変えて・・・みたいなちょっと不安があったが、全然快適スパイク。

ささっと。

 仕事に対する心意気の部分ですが、「ささっと」片付けるというニュアンスはダメですよね。この語感にはいろいろな意味合いがあり、プロフェッショナルとしての技術やセンスを充分に理解している上で、時間的に急ぐ案件だから、あくまでもあくまでもプロとしての実力を認めた上での「ささっとお願いします。」と、ちょっととにかく急ぐからお忙しいとは思うのですが、なんとかご無理をお願いして、なんとかなんとかお時間を創っていただき、「ささっと」と言ってしまうニュアンス。これは、決して、安易に片手間にやってくださいというニュアンスではないのですが、忙しい仕事に追われている人に対しては禁句。どんなに親しき仲にもですね、礼儀というものがあるということ。お調子をこいて安易にネット時代からと言って画像をメールしてちょっと時間がないので「ささっと」お願いしますよってやっぱり言ってはいけない言葉なんですね。ほんと反省。もっともっと言葉はえらばなければいけないという失敗談でした。

 逆に誰かからちょっと急いでいるのでこのラフスケッチやデザイン案を「ささっと」やって送ってくださよ!と言われた時に自分がどう思うかを考えらたらそんな軽々しく「ささっと」なんて言葉は出てくる道理はないだろう!という一般的な感覚がセオリーなのですが、そこは、調子者の極みで、ガチに「ささっと」やってしまうこともしばしば。これも逆にあまりよろしくないことですよね。

 で、何事も仕事として受けている以上、どうやら、お願いする場合も、引き受ける場合も「ささっと」は封印するべきだと思います。って、いっぱいいっぱいになるとどうしてもこの便利なフレーズを使ってしまうのですが、そもそもそんな余裕のないことがNGなんですよね。とにかく反省反省反省。

MAC&WIN

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 こちらが私以外のスタッフが使っているメインのマシン達。MACはMAC-PRO、G5、G4。WINは全てXPでそれぞれのCPUが走っています。最近購入したWINは私のコンパクトなボディなのに、私のワークステーションと同位のクラスです。この6台を2人で使っています。私はMAC2台とWIN2台。ほんとにほんとにパソコンとソフトはいつも新しいモノをそこそこなスピード感で揃える必要があります。寿命が短い生き物なので健康管理が大変。筐体やOSでは仕事のツールにはならないので、ソフトについてもそこそこのスピード感で。っても、ガツガツ新品揃いというわけにはいきません。

 でもでも、結局は道具ですから、使う人のポテンシャルが下がらぬように・・・の努力が一番大変ですね。意外と仕事の現場では最新ソフトは必要がない場合が多く、ひとつふたつ程度古い組み合わせが安定したりトラブルが少ないのがリアル。で、ちょっと古株についても捨てられないのは、何かのタイミングで「捨てないでよかったぁ~!」が結構あるから。そのあたりのタイミングとか組み合わせが大変ですね。ソフトもいずれCS6とかCS7になるのだろうし、WINも8になった時じっくりと本格的に検討しようと思っておりますね。

Appleは何をデザインしたのか!?

 確かにその疑問は長年仕事でMacを使ってきた人間として心にある。そもそもアップルが「デザイン」をどう捉えているのか?とか、デザインデザインって言うけど、Macは何がどうなのか?最初の段階では「デザインするならこれからはMacでしょう!」みたいなノリで使い始めているから、今更、アップルが展開してきたデザイン戦略について深く考察することはスルーしていた。が、iPodやiPadのそれは確かに他のタブレットやプラットホームとは何かが違う。だからと言って具体的に何が違うのか?と聞かれれば明確な答は自分自身の中でとてもグレイ。という程、Macは自分自身の中にしっかり溶け込んでいる感覚だから、今さら何故両手には10本の指があるのか?レベルの質問に値する実感がリアル。

 で、何をデザインしたのか?という疑問はこの書籍のアプローチでもいいので知りたいという願望が少しある。でも、それでも、今更という感覚もある。結果論だからどうにでも転がせるだろうし・・・。

「Photoshop の秘法」発掘キャンペーン実施中か・・・。

 アドビからこんなキャンペーンのメルマガが到着した。改めて「PHOTOSHOP」か・・・みたいな。かれこれP.S.にはどれぐらいお世話になっているだろう、目まぐるしい機能を追加しているイラレに比べて現場のあれもこれもに対してガチで進化してきた感のあるP.S.その真価はいかなものかとこのような「秘法ノリ」で捉えてみるとどうなんだろうかと。イラレに対してP.S.は写真の加工や編集に特化したソフトではあるものの、その用途たるやあらゆるデザインや広告・アートの現場に関連深い。私はかねがね最高のソフトウエアは何かと聞かれれば必ず「P.S.」だと答えているし、20年以上使ってきたがさほど「秘法」などという決め技は持っていない。しかし、自分自身の仕事がこのソフト抜きには考えられないので、改めて灯台の元に目を向ければ何かあるのかもしれない。普通にやっていることが実は!?みたいなこともあるだろう。昨今のP.S.はどうも3Dの傾向が売りのような情報の系統があるが、私自身あまりP.S.の3D機能はピンと来ていない。3Dは3DでしっかりとXYZの情報が必要だし、モデリングが仮にできたとしても、3Dソフトのマッピングとライティング、そして、アニメーション機能はP.S.がどう覚醒しようが手を出せないエリア。これは逆に手を出してはいけないエリアだとも思います。その代わりに最高のソフトウエアだと断言できるにたるその機能は素敵すぎる。全てをここで列挙することは不可能ですが、例えばカラーマネージメントについて言えば、その調整機能は何パターンもあり、細かい設定が可能です。よく「P.S.の裏技」とか「P.S.のプロの技」のような書籍を見ていろいろ研究はしているが、それは、あまり仕事には関係ないことが多く、表面的な見栄えの部分ばかりが特筆されている。そんな雰囲気にしたい時もあるが、そんなにそのフィルターは使うかな???みたいなことが「P.S.の技」みたいに紹介されている。

 「写真を加工・編集する。」だけのソフトではあるが、その奥義は深く広い。カメラマンが写真の調整レベルにP.S.を使っている場合と、印刷、WEB、映像への転用・流用を想定するとP.S.抜きには何も始まらないのである。

 で、「「Photoshop の秘法」発掘キャンペーン」となるのですが、さてさて、どのベクトルでのどの活用術を「秘法」としているのかが逆に楽しみである。勿論、応募するつもりはなし。

知恵を使え!?

 最近書籍を書店や新聞でチェックしているとなんやかんやで「知恵を使え!」みたいなテイのタイトルが目に付く。この場合の「知恵」とは何を指しているのか?例えば、「規則(ルール)に捉われずに、知恵を使え!」って事で言うと、恐らくこの場合はルールよりも知恵の方が選択肢としてベターだったケースを指している。それがどんな場面であれ「知識」か?「知恵」か?みたいな選択はそれぞれTPOがあるように思う。なんでもかんでも「知恵」があればいいってわけでもないぞ。さらに、そんな切り口で例え何万部売れている書籍があったとしてもそれはその著者が整理したTPOの中でその知恵が有効だったということだけ。状況や条件は時間と共に変化しているわけで、価値観さえも常に変容しているのですあから、あの場面であの判断がいい結果を及ぼしたって、次の瞬間にその判断が最適だとは限らない。なのにそれでも「知恵」にこだわるのなら、それはそれで規則に捉われているってことにならないのか・・・みたな。だから、結局、書籍の読み方ってそういう感じでいいはず。

 で、ソフトやデジタル機器の説明書やチュートリアルなども同じで、必ずしもそのマニュアルにそのソフトウエアの使い方というか応用術の正解はないように感じます。でも、文字が多いから出てくる書いてある言葉・専門用語が理解できないからと言ってマニュアルを放棄している人はナンセンス。それはモノゴトを安易に捉え過ぎ。で、これが自分のスタイルですって言い切ってしまう人ものびしろを自分で下げているだけ。よく専門的なお話を始めると、喰いつく人と視線が泳ぐ人がいる。それは確認しながらお話を調正しているが、それれも、ナンセンスな人は自分が知らない事ばかりまくしたてられた感じになって、スイッチを切ってしまう人。いやいや、聞いてきたのはあなたなのに・・・みたいな。でも、それでも、表情にその症状が現れたらこちらも一方的に並べるのではなく、噛み砕く、語彙をチョイスする判断をしなければいけない。だって、自分自身、その逆の立場での専門家に対する誠意を失い、スイッチを切ってしまったことで後悔しているこは多い。お互いいろいろな知識や知恵や技術を持っているのだから、聞く方も話す方も忍耐力なしに一芸に到達はできないということ。このあたりが実は相対的な「知恵」の本体でいいのではないだろうか。

限定・売り切り・手造り・希少価値。

 どうやらいろいろな情報を総合すると「限定」「売り切り」「手造り」「希少価値」のようなニュアンスが注目されているような雰囲気がある。そもそも本質的にこうなる背景にはガチの品質があるから結果こうなっているパターンなわけで、無理苦理このテイを演出しても本質・実態は伴わない。そんなに市場のニーズは甘くないだろう。逆に仮想的な概念的なブランド戦略や大量生産の廉価商品にそろそろ市場が飽きてきているのだろう。では国内の「made in japan商品」と海外ブランドの価値観の違いは上記のモノサシで捉えるとどっち?ってことになる。つまり、「欲しいモノ」の本質が多種多様になった上、情報の伝達経路が細分化されメディアに反応する比率がネットで下がったことから、ニーズのベクトルが分散している構図。逆の演出方法を戦略として捉えれば「希少価値」を演出するために絶対数の少ないレアでコアな商品開発にモードをスイッチングすればいいだけかとなるとそうでもない。そこには本当に価値のある創り手のモチベーションが確かに注がれていなければその商品は「その他大多数」となり情報の海の底に沈む。作意的に市場に開放された商品が本来の品質感や価値を認知され、口コミで広がるスピードでしっかり認知される経路こそがもっとも情報の伝達経路として有効な気がする。

 で、ビジネスモデル的にこの経路はいかがなものか?という皮算用のスイッチが入ると、効率や能率や回転率に気持ちを奪われてしまうが、ここでグッと我慢できるかがキモ。いい商品をお求めやすい価格でたくさんの人にの裏にある、ブランド戦略に乗っけて大量に消費させて儲けましょう的なベクトルには商品力が追随しないという現実問題のジレンマがよりリアルになったのだろう。大手がメディアやネットを操作・活用して認知された表面的な均一化された情報のすぐ下で無数の細胞分裂が起きている。それは、言わば、量子の世界観に酷似している。言わば、買う人も創る人も市場のニーズも重要と供給のバランスさえもミトコンドリア次第みたいな。

トランキライザー

 最近読む書籍の中でその分野はそれぞれ異なるのですが、よく出てくる言葉がある。そのひとつに「トランキライザー」という言葉ある。これまであまりこの語彙が気になることはなかったのですが、最近はなんとなくひっかかりがある。これは精神安定剤のことで具体的にはうつ病や精神的に不安定な患者に対して処方される薬である。大きく2種類に分類することができてそれぞれにその効果が異なるらしい。まぁ、まだ、この薬を処方してもらったことがないのでこの薬がどのような効果があるかなど自覚した経験はないが、科学や心理学やビジネス書にもこの言葉がよく使われているのを考察すると、世の中は全体的に不安定なんだなと感じてしまう。

 さて、精神がなぜ不安定になるかという問いに対して、自分なりというか、持っている知識で分析すると、多かれ少なかれ生物学的なアプローチが正解のような気がするし、精神が宿る肉体の構造を知ることで心の不安定は規定できるという仮説の元に「トランキライザーとは?」みたいなアプローチが見えてくる。自分自身、精神が現段階では不安定になる自覚はないもののこのような世の中だから、どこかで何かをトリガーに崩れる可能性が100%ないとは言えない。仮にそれが崩れたとしてもそれを治癒する自己防衛の手法として精神の不安定な状態も想定内に入れておくぐらいの時代なのかもしれない。

 で、そもそも精神とは安定していないものなわけだから、無理に安定させようとすると逆に破綻するだろうし、適度な適正な「しろ」「余裕」「振幅」を想定して何事にも対処することでその不安定さを楽しむぐらいのテイでいたいもの。感情は押しこめず外に出した方がいいとも言うし、日本の国民性としてどうしてもクローズするタイプが相対的な割合を占めているとそこを軸にフラット化する。すると、世界水準で捉えた場合日本人のそれは絶対的に低い値となるだろう。なんでもかんでも無頓着に無神経にオープンな国民性がよしとはしないまでも、理想値は常に保持しながら、振り幅の中で試行錯誤できればそれでいいのかもしれない。そこで、イエローカードが出そうになった時に自分なりのトランキライザーを携帯していつでも服用できるよう。さてさて、それは自分自身にとって何だろう?ある意味「仕事」かもしれないし、「書籍」かもしれないし、身の回りの「コレクション」かもしれない。ただ、インターネットやSNSの仕組みの中には絶対に存在していない。

京都にて。

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 昨日は京都で打ち合わせでした。その足で大学様へ行き、その流れで温泉施設にての打ち合わせ。結果、会社に戻ったのは午後9時。といういつもの感じです。この写真は京都駅周辺で登山グッズというかボルダリング・ロッククライミンググッズを物色していた時に発見した京都駅ビルの階段。寒い日だったので京都駅周辺とは言え人は少なかったですね。しかし、駅前のバスターミナルはいっぱいの人でした。この季節でもこの人の密度はさすが京都。こんな時代ですから、いろいろアンテナをはりめぐらせながらの実際の動きとなるわけですが、的確に動けているのか、適正に思考できているのか、いつもいつもの試行錯誤。でも、いくらネット全盛とは言え、PCの前にいるだけで、案件が生まれ、仕事が進み、全てが完結するわけもなく、やはり、動いて、考えて、創るというループのクオリティーを上げるしか方法はないような。適正なベクトルを維持しながら、どこかでステップアップするという余力も必要。そのためには、何はともあれ心も身体も健康であることが必要不可欠。どんな時でも美しい風景を美しいと思える心でありたいですね。って、この階段が美しいは個人差がありますが・・・。

EDIUS NEO3というエンジン。

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 まずは、使ってみましょう何事も。そこからスタート。また、A.E.やPRにはない機能的なのびしろもあるだろうし、専用ノンリニア編集エンジンってことですから、専用のプラグインやモジュールとの連携も深いはず。これをゴリゴリ使えるようになったらまた上位にアップグレードすればいいってこと。まずはこれで試作(パイロット版)創りを展開していこうと思っております。

 広告の分野でもデザインの分野でもWEBの分野でも差別化したり印象深いコンテンツを構想する時、そこに必ず「映像表現」が鎮座している。まぁ、ビジネスモデル自体が微弱な場合は何をどうしても展開力は見込めないが、ガチのコンテンツや既存のメディアとの連携や独自メディアの展開をコンテンツ化する時に必ず「映像表現」は必須アイテム。すでにある環境とソフトでソコソコはできるものの、やはり、その分野で確立している進化してきたツールってのは奥が深いのが常。これでゴソゴソやってみようと思っております。テーマ(題目)が何であれ「物語」を構想するのはかなり楽しい。これもデザイン思考の発展形なのでしょうね、この時代。

EDIUS6というツール。

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 映像編集はアドビのソフトでいいかなと思っていたら、いろいろリサーチする中でこういうエンジンを発見した。エンジンっつーか、結局編集ソフトウエアなんですが、それはそれで、やはり専用の臭いがする。よくよく読んでみると、確かにアドビのソフトでできる部分とこの「EDIUS6」は根本的に違う。なんというか、アドビは「映像データ」を料理するための鍋やプライパンであり、「EDIUS6」は映像を調理するためのレンジとかガスコンロみたいな。料理するのは人なんだけど、鍋やフライパンがあっても薪の火や簡易的なコンロではちょっと・・・。で、料理は鍋やフライパンなどのツールも大切なんだけど、やっぱ、調理環境が大切みたいなことかなと。ちょっと高価なソフトなので購入前にリサーチということで購入した書籍です。まぁ、映像編集は新しい分野でもないのですが、ひとつひとつこうして最新の機能やノウハウを知ることで、逆に世の中の映像編集のリアルを知ることができる。知識として知れば次の段階として使いたくなるか否かが判断できるし、その段階での判断が大切。情報が知識になり知恵になり技術になるプロセスを反復しながら、次の判断力が鍛えられるわけで、そのプロセスでしか、リアルな判断力も創造力も養えないが正解。動きながら考えて、考えながら創るということを2012年も地道に展開していこうと思っております。ハズレも多いがハズレだと思っていたことが、実は裏にアタリって書いてるってこともよくあること。このサプライズ感はどれだけハズレを引いたかで確率が変わるし、逆にこれは完全にハズレだろうっていう場合でも引くことで次のアタリを引き寄せることになる場合もある。つまり、ハズレとアタリは表裏一体みたいなことも起こるからこのプロセルは止められません。って、ちょっとハズレジャンキーなコメントでした。失敗は成功の元、それが失敗か成功など自分自信のさじ加減ひとつだということで。失敗するなら豪快に!何事も「七転矢追」っていいますしね。これに喰いつける人かなり少なし。※矢追さんまだ釣りに行っておられるのかな・・・。

NXCAM用の三脚到着!

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 やっと、10月にオンラインで注文していた三脚が到着。これで、どこでも気軽に撮影に行けます。まだまだ、このカメラは手に馴染むまでには至っていませんが、いろいろな条件でいろいろなモチーフを撮影なしがら、2012年はツールとして使いこなしていきたいといろいろ構想しています。いずれは大きな大作を完成させたいのですが、自分自身でなんでもやりたい人なのでまずは道具から。一人ができることって限界はやはりあるだろし、その限界の壁に何度となく打ちのめされてきたにも関わらず、なんでしょう、諦めないこの無謀な感じ。目標設定が身の丈にマッチしない無謀な高すぎる山だとしても、登れるところまでは実際踏み込んでみてダイブしてみてそこで自分の無謀さを痛感しながら変化していければと考えております。2012年はさらにそんな「無謀さ」に磨きをかけて守りに入らずに攻めていきたいと考えております。このカメラさえあれば、映像作品は元より「リアルインターネット放送」も相当の画質で送信できるはず。「映像コンテンツ」ってなかなか難しいノウハウやTIPSがあるようですが、まぁ、いつものように深く考えず創りたいモノを創りたいとメラメラしています。結果、それが、ビジネスモデルになればそれはそれでいいかなと。

お仕事で淀川区へ。

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 昨日はお仕事で淀川区へ。阪急の十三駅から徒歩にて約25分。バス停の距離にしてほぼ3駅分でしたが、別段、歩いてちょうどいい距離でした。富士山登山の副産物は体調的にも気持ち的にもかなり大きい。歩くといろいろなモノが見える。歩くといろいろなことが考えられる。仕事も人生も何事も歩きながらが一番健全な状態なのかも。いつまでも歩ける身体でありたいものですね。足が健康な人は頭も健康な人って何かの本で読んだがその通り。

なかなか快適、スパイク君。

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 スパイクはことのほか満足している。対抗馬はトヨタのラクティスだったが、スパイクにして正解だったと思っています。やはり営業車なので、大型や長い車はダメ。小回りが利く感じが良かったし、のわりには車内は思った以上に広くたくさんの荷物を積み込むことができるし、ファンカーゴよりも20cmほど長いだけに安定している。結果、4DWにしなかったが何の問題もない。現在、雪が降ってはいるが、4本ともタイヤは雪用なので安心。トヨタからホンダに変えたこともなんとなく時代の流れだったのかなと納得しています。いやいや、いいですねスパイク君。

 って、自動車なんて走ればいいと思っている人間が新しい愛車の特徴を分析したところであまりリアリティーはない。結果、なんでしょう、「スパイク」という名前が一番気に入ってる程度かも・・・。

素敵なオフィス@京都四条。

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 快適な場所に素敵なデザインのオフィス。場所にはエネルギーがあると人間は考えている。様々な条件や求めているモノがそこにあるからだと。しかし、それは真逆で、その場所をチョイスしている人間が最も素敵なのである。人が生活をするための条件とはそもそも自然環境から生命を守ることや水脈がその根源であったはず。そこから帝国が起こり、文芸が復興し、産業が覚醒し、経済構造が確立した。そして、インターネットで地球は仮想的に安定している。人が考えて創り動く拠点の条件とはさてどのような条件が必要なのか?あらゆる分野のお客様からいろいろな案件を投げて頂き、そのひとつひとつを自分自身の仕事として捉える時、まず、座標や属性を規定するために収集する重要な条件のひとつは「場所」であり「空間」である。そこに行けば何か感じる?的なパワスポのテイはあまり興味がない。あとづけの結果all rightだから。過去の何かで今を規定する安定感に魅力はない。大切なのは今現在何を感じられるかであり、それを積み重ねることを怠り、終わった事に固執することは建設的ではないと考えている。だから、その場所で自分自身が何を感じて何を考えてどう動くかが全て。ここに軸足を置いておかなにと、軸をぶれさせる要素で現代は溢れている。

 で、そういう意味で、この場所はなんとも素敵な印象でしたね。京都の四条でした。

このペア、最強!

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 最近、よく思うことがある。それは、奥様が素敵なお店・会社・組織は元気がよく魅力的だという法則。まぁ、ウチ(アクト)のことはさて置いて、奥様がテキパキと仕事の流れやお客様の流れを見ながら仕事が回っているところは軸がぶれていないし、フワフワとしていない。逆にのペアが緩いとけっこう脆いことになるような気がする上に、その会社の商品やサービスの本質、業務体系の本質までも緩くなっていくような気がする。結局、仕事上、商品やサービスを創るのは人。それをトップが組織化して効率化することが会社やお店の本来のスタイル。そこに、雇われ社長や「俺はワンマンだ!」みたいな古い小さいぶれているトップの会社って結果、時代的に愚鈍さを感じてしまう。バランスがいいと言ういうことは恐らく企業やお店の顔であるトップの方とその一番近くにいる相棒(奥様)との関係性に全て起因しているように思う。

 イマドキ奥様は専業主婦で仕事のことは主人まかせっていうテイは明らかにポテンシャルが低くのびしろに問題あり。女性の仕事観などについても、この時代はとやかくいろいろ言われているが、男性はこうあるべき、女性はこうあるべきなんてこと言っている段階でもうナンセンス。ペアに出会っていない人はやはり、最後の最後で弱い。結果弱いとなるのか、弱いから結果ペア不在なのか。仮に存在感はあってもお互いの存在感に呼応している感じがなければそれはひとりと同じ。さて、今、あなたに最強のペアはいますか?もしかしたら一人でなんでもできるなどと勘違いをしていませんか?漫才も一人ではできません。タレントもマネージャーがいますし、有名な芸術家・音楽家にも裏に必ずそれをマネージメントする敏腕がいます。そして、メディアの世界も、実は、最終決定権を持っているPは常に組織にはツインらしい。何か事を成す時、人間はひとりでは微力だということ。最強のペアを見つけてこそ事が成せるということ。これは、脳科学的にも心理学の世界でもペアニューロンの存在が実証されている。人間の細胞はペアに対して最強のレスポンスを発揮する構造らしい。

 まぁ、そこまで話を広げなくてもいいかもしれないが、とにかく、このペアも最強である。

パスタ@I.S.FUKUMOTO

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 で、これが福本さんのパスタ。バーやカフェやカラオケスタジオ、料理を出すビジネスは腐るほどあるが、レンジでチンではこの時代、子どもも騙せません。創れないなら出すなぐらいの時代。しかし、これは、すぐそこで創られたミラクルでありリアル。食べていることまでがミラクルになるお味だから、次も欲しくなるが正解。物流で流れてくるどこにでもある料理(既成品)につまらない時間を過ごすくらいなら、このような店で過ごすべし。胃袋は正直です。

イタリア食堂FUKUMOTO WEBサイト http://www.fukumoto77.com/

プロは・・・。

 「プロフェッショナルサラリーマン」という方の書籍のお話。22歳で一部上場の会社に入社。30歳でリストラ候補になって、33歳で社内で新しい部門を起業する。39歳で年商14億のビジネスに育てて、40才で上級顧問に就任したという経歴の方が言うには、「プロは仕事をつくって・回して・稼ぐ」ということらしい。これが私の仕事術だ!みたいなことが書いてある。ふーん、これで書籍として完結するんだ・・・みたいな印象ですね。実際、その細かいディテールを読み解きひも解けばそのリアルは流石級なのかもしれないが、ここまでの情報を判断するにそれらは「あたりまえ」のこと。改めて!?みたいな温故知新!?古きを訪ねて!?ならばチェックもしないのですが、唯一、この書籍の広告文の中にある言葉が気になった。それは「プロは群れることに不安を、孤独に安心を求める。」というフレーズ。結局、上級顧問という存在が何者か私は知る由もないが、企業の中で孤独とは???の部分を、さて置き、群れることと孤独の相関関係が「プロ」であることとどのように連動しているのだろうか?という好奇心が湧いた。

 で、大した「群れ」でも、大した「孤独」でもない可能性がむんむんなので、この書籍は買わないが、書店で見かけたらちょっとチラミしてみようと思っている。っても、たぶん、書店で見かけても覚えていないだろうから、こうしてブログに記述して自分の頭に入れようと思っております。

 最近、ブログはメモになっている。誰が読んで誰がアクセスしてくれてを全然意識しなくなってきた。これが悪い傾向なのかいい傾向なのかは神のみぞ知るでいいと思っている。だから、ブログはこれでいいかなと。しかし、どうせブログのプロならもっと孤独感を漂わせて孤高に・・・などとも考えてしまいますね。つまり、最近のマスメディアやインターネット内の情報とは書き手との共有性ではなく、孤独性にあり・・・なのかなと。っても、全てを網羅もできないので、「メモ」のテイでいいかなと思っています。

 あの、ウィキでさえ、公的な資料にはならない。結構、荒い情報らしいですしね。ってことは、GもYもさほどなんでしょう。つまり、誰でも公開できる情報にあまり質量を求めちゃダメってこと。資料づくりは自分の体温を使いましょうってことでしょうね。それが結局、プロの価値かなと思います。最後の最後で。

これいいなぁ。

なかなか、いい感じですね。こんなタッチのコンテンツがあるサイトを早く創らねばだ。

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GOOD JOB!

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 昨日のライブで仕様した機材関係です。いやいや、これといったトラブルなしに皆様、非常にいい仕事をしてくださいました。ありがとうありがとう。何分、技とかセンスがないものだから、機材に負担がかかるわけですが、まぁ、ツールとしてギアとして引き出しが多いということも、また、一つのアドバンテージかなと思います。機材や道具が仕事をするのだから、技術や経験をどこまで突き詰めるかって、古い日本の美意識みたいですが、それはあまりピンとこない。ってのも、私が基本的にこの機材で何か至高を目指している人間ではないからだろう。道具はどこまでのただの道具。インスピレーションがほんとに高まればこんなデジタル機器で人間の中から出てくるモノは表現できない。だから、楽器とか絵筆とかリアル書籍とか美味しい「近江牛!?」に呼応するのですね。そこの欠落している人が結局、仮想空間でジタバタしても飛べませんよ。「非言語の」「感覚の」「本能の」世界にダイブしないと・・・ね。

照明マジック、一柳さん。

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 あれをこうしてこうすればこうなるって、経験とアイディアとセンスが三位一体でないと絶対に実現しない素敵。エキパなプロフェッショナルな職人技ともいうべき照明デザイン。数々のモノホンの現場に携わってこられたからこそのこの仕上がり。いやいや、奇跡が奇跡を生むからこの仕事は止められませんね、って、止める気など毛頭ないのですが、それでも、圧巻です。この空気が現場仕事のリアル。こんな人達と一緒にチームで仕事をできることは最高です。

 もう、コストや予算面で大きな仕事だからいい仕事っていうわけではないのです。大きい仕事はやりたいが身の丈よりちょっと背伸びをする程度がちょうどいい。意識が高く、熱意のあるプロとの仕事は改めて自分自身の仕事を見つめ直すとてもいいチャンス。決して、ビジネスタイルに優劣をつけている訳ではないが、属性で言えば、テンションの上下は何かこのあたりのリアルと微妙に連動している感覚がある。資質が呼応するのか、たまたまが偶然を呼び時間の流れの中で自分自身のリアルになる瞬間。それを繰り返していれば少しづつ前進できるんだという実感。こんな仕事をいっぱいやりたい、そして、いつまでも、こんな現場に関われる人間でありたいと思いますね。

プロの仕事、モリイさん。

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 プロの仕事は見ているだけで頭の中が活性化されます。刺激もあるし、リスペクトなリアルを目の当たりにするととても心地いい。私が作ったロゴマークがこうしてメインステージにリアルに存在している感激感とそれを最適なカタチになる瞬間。これはこの仕事の醍醐味。いやいや、ありがとうございます!

「走・攻・守」ってことだと・・・。

 野球部時代、気にしていたフレーズがふと頭に浮かんだ。「走・攻・守」バランスのいい選手になりたいなぁーとどうやらガチで願っていたことと、何かのDAY DREAMがリンクしたのだろう。しかし、早く走れても、バッティングが得意でも、こと「守り」には定評がなかった。なお且つ、なお且つって!野球のセンスがなかったものだから、陸上選手ならいいが(って、陸上競技をリスペクトしていないわけでは絶対ににない。)野球の場合、「走」の部分にもセンスが必要。「攻」の部分も投げられたボールをただバット打ち返せばいいだけではなく、チームでプレイする野球では個人の「攻撃」能力がかなずしもチーム全体の戦力にならない場合がある。

 で、「守」の面で言えば、ビックリするぐらい定評がなかったから、致命的なエラーをする選手なわけです。それが、試合の流れを変えたり、決定的なエラーになる場合が多かった。これは何故かというと、守備についている段階で「もし、今、僕のところにボールが飛んできて、エラーしたら試合に負けるぞ・・・」としか頭になく、すると、必ずボールはその選手目がけて飛んでくる。結果、エラーをして、チームが負けるのである。だから、形勢が不利な状態で自分自身のファインプレーで流れが変わってチームが勝利した、などという記憶は皆無。

 ずっと、何故こんなにも、守りの状態でのプレッシャーに弱いのかをかなり悩んだが、結論としては、考え過ぎなのである。単調単純な作業の積み重ねは好きなんだが、チームプレイとか、運動センスが必要な場面では、見事に逆目の裏目のネガティブシンキングになる。この適性に気が付いた時はもうすでに高校生活が終わっていた。つまり、野球的に「走・攻・守」揃った選手ではなかったことが、逆に、美術やデザインやクリエティブの適性に気づかしてくれた。

 まぁ、決して、僭越にも恐縮にも、「美術やデザイン」においてセンスがあるとは微塵も思っていないが、ただ、この世界で誰よりも諦めない能力やとことんのとんまで追求する能力はかなり自負としてある。結果、こだわり粘ることがこの世界で喰わせて貰っている理由のひとつかもしれない。どんくさいこともあるし、ボケボケな失敗は数限りないが、でも、まだ、この仕事をできているのは、ただただ、諦めていないからである。すると、必然的に高みを設定しているし、そんな試行錯誤を繰り返していると、ふと、立ち止まると自分が意外と想定以上に前に進んでいる場合もある。三歩歩いて二歩下がる、みたいな連続ですが、でも、少し前に出れて少し視界が変わっているのを実感すると、自分はチームプレイよりも個人プレイ思考なんだと、そこに適性を感じています。

 チームに属する安心感よりも、単独行動のリスクの方が生産的だと建設的だとどこか感じているのでしょう。だから、こんな人間だから、「守」が苦手だという今日の結論です。

SONYカムレコーダー到着!

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 本日、SONYのカメラ「NXCAM」と映像カメラ用の三脚が到着。結構、長期間検討しただけに、渾身の一台です。これで、まず、1920pxの映像が撮影できる。で、比率も16:9だし、ハードディスクレコードなので、メンドクサイDVテープのコストも必要なし。ってことはそのままPCへダイレクトにCOPYできるから、キャプチャー(スキャン)での劣化がなし。撮影したらHDにCOPYして、次の瞬間にA.EFFECTSへGO!ってことになりますね。これが理想の映像編集システムって感じですね。撮影したいモノは無限にあるし、このクオリティーの映像カメラがあれば、まず、当分は大丈夫。ブルーレイコンテンツにも対応しているのですから、このコンパクトなボディで最強と言えますね。

 まぁ、私はテレビ局の人ではないので、大袈裟なカメラは必要なし。とにかく機動力ありき。それに、このカメラのHDで最長9時間の映像が録画できるうえ、メディアを入れればさらにその3倍。外付けのHDさえ増やしていけば素敵な素敵な1920pxの映像ライブラリーができるってわけですね。まずは、大好きな琵琶湖の映像を蓄積していこうと思っております。時間を気にしてテープを用意する必要もないし、ぼぉーと四季折々の琵琶湖の映像を撮影して行こうと思っております。

 で、このカメラの凄いところは、この機種初めての「防滴」「防塵」ボディだっつーこと。ちょっとの雨や雪、誇りや砂塵などで誤動作が発生しにくい構造になっているらしい。いやいや素敵じゃないですか!さてさて、このカメラでの一発目の映像作品は何にしようかな・・・。

ポトス君増殖。

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 仕事場のポトス君。3鉢だったのが増えてきたので、7鉢に分けて植え替え完了。

 はじめは2鉢だったのが、数年でどんどん育って、伸びていく部分を30cmほど切ってガラスの花器に差しておくと根が出てくる。で、根が出てきたら植木鉢に土を入れて植える。そして、そのガラスの花器には伸びた部分をまた指しておく。するとまた根がで出て植木鉢に移動・・・これを繰り返してこうなりました。

 しかし、元気です。そんなに手入れとかしていないのに力強い茎と葉を増殖させるポトス君。こんな劣悪な環境で素晴らしい生命力ですな。なんか観葉植物はいろいろあれどやっぱこの力強さと葉っぱのフォルムは毎日鑑賞していて心地いい奴達ですね。

スパイクの魅力、その一。

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 なんと言っても、まさに、テレビCMで言っているとおり!「ちょうどいいホンダ。」なのです。大きな車は嫌いだし、機をてらったタイプも嫌い。まして、あとから改造してどうのこうのなど問題外。とにかく、車は道具。シンプルで機能的で燃費が良くってスタイリッシュでいい。エンジンモノが好きな人は、あれやこれやと改造してご満悦みたいな人っていますが、「はい、そうですか。」みたいな感じ。本来販売している車って、構造もデザインも全てエキスパートが結集して製品化しているのだから、ドシが何を小細工しても、全体のクオリティーが向上する余地は0。悪くしてそれが個性だと思いたいなら、どうぞって感じ。だから、ドノーマールが一番素敵だと思います。っていう意味で、このスパイクはドストライクですね。この広い感じ、たくさんいろいろ積めそうです。

で、ホンダSPIKE。

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 ということで、新車はホンダのスパイク。5つのメーカー、12車種の中から厳選した1台です。とても満足しています。ちょっと納車が遅かったがいろいろあったので仕方なし。こちらも前任車同様に大切に乗りたいと思います。

お疲れ様20万4875km。

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 無事、小さな事故は2回ありましたが、愛車であるファンカーゴ君お疲れ様でした。雨の日も雪の日も酷暑の日も頑張っていただきまして、感謝感謝感謝。生涯4台目の車はしっかりガッツリ10年間おつきあいすることができた。交通安全の神様、ありがとうって感じ。

BBCさんにて事前の打ち合わせ風景です。

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 昨日は地元テレビのBBCさんにお邪魔して、NAGAHAMA JAZZ WALK!の広報活動として時間枠を頂き代表である高木Pと会場設営上羽Dに彦根スタジオまで来ていただきました。本番までの打ち合わせ風景。読み合わせで生放送の準備をしておられます。いやいや、お二人の中でのJAZZへの想いやNAGAHAMA JAZZ WALK!へのビジョンはとても5分程度では語りつくせませんが、そこを、きっちりと質量のある時間に変えて頂き、お二人の中からの言葉としてお話頂きました。これが12月のライブの成功に繋がり、2012年からのNAGAHAMA JAZZ WALK!の覚醒への礎になれば、最高です。

TNJW!@BBC

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 TEAM NAGAHAMA JAZZ WALK!の高木Pと上羽さんがびわ湖放送さんの夕方の番組「キラりん滋賀」にご登場。いやいや、非常に内容のある6分間でした。びわ湖放送さんの担当の方にもMCのひまりさんにも、そして、本局の編成の人にも、いろいろとご尽力を賜りまして、心から感謝しております。これはあくまでもVOL.02です。NAGAHAMA JAZZ WALK!はまだスタート地点。この「ゴンチチライブ」をスタートの合図に一気に2012年は加速していきたいと考えております。地元テレビ局BBC様ともいろいろなスタイルでコラボれたら嬉しいです。本当に、BBC彦根支社の皆様ありがとうございました!

長浜をJAZZの町に!

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 この一本のテープが伝説の始まりであって欲しい・・・などと妄想しながら拝見しておりました。いやいや、高木さん上羽さんパーフェクトです。お二人が登場する前のお二人のトークと比較すれば、同じ、テレビに登場している人でも明らかに明らかにポテンシャルが違うことが誰の目にも映ったはず。いい悪いではなく、ポテンシャルがあるのかないのか?これが、言わば、公と民の格差でしょうね。原稿読んでちゃいくらテレビでも伝わる温度は低い。メディアの価値が失墜したというかフラットになっていく理由はそこの仕組みに本来の価値がないことを、ポテンシャルの低い人達が乱用し過ぎたせいだろう。それを、高木さんと上羽さんはこの映像の中で証明している。それが、伝説にならず、何が伝説かというお話ですね。いやいや宝物がひとつ増えました。

山口絵理子さんのチカラ。

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 昨日、長浜バイオ大学様で長浜青年会議所様の公開例会が開催されました。そのゲスト講師として登場されたのが山口絵理子さん。その小さいお身体と30歳という若さからは到底想像できないぐらいの「挑戦力」「行動力」「コミュニケーション能力」「人間力」「バイタリティー」「ボキャブラリー」「研究心・探究心」が発散されていました。何をどうすればこのような人になれるのか???そんな小さい疑念さえも一括してしまうな絵理子さんの言葉言葉言葉。いやいや、素晴らしいひと時でした。

 その絵里子さんが企画・運営しているブランドサイトがこちら。まぁ、素晴らし過ぎます。

マザーハウス公式WEBサイトはこちらです。http://www.mother-house.jp/

「好き」と「上手」の関係。

 「好きこそモノの上手なれ。」という言葉がある。この「好き」の構造はいったい何だろう?個性を大切に、個性的で創造的で革新的であることで下手をこくと孤立してしまう世界がある。しかし、モノゴトのルーツを辿れば必ずその始点は1点に絞られているはず。情報が氾濫している時代、知識が飽和してフラット化された世界で、さてこの「個性」はどこにある?どこにあるべき?ある書籍では世界はシェアにむかって均一化された情報こそが真理であるという指針がある。社会性や客観性が紡ぐ価値観こそが・・・みたいな潮流にどう対峙するかが本来個人の仕事。そこに協調性や連帯感がなければこの機能は低下するという啓蒙である。ネットワークの中に複雑怪奇に流れるsomethingを自分なりの引き寄せる力で手元に手繰り寄せるから受信と発信が成立している。さて、その構造でさえひとつの仮説としても「好き」とはどういう感覚であるべきなのか?

 そこには、ビジネススタイルやライフスタイルやスピリチュアルなどの様々な世界があり、それぞれの分野で然るべき趣味趣向が能力や経験値がこの「好き」のベクトルをレベルをチャンネルを規定している。自分自身が好きな何かを自分にとっての価値として推し量ることとは、考える事よりも、行動が先であるべき。動くから感じることができる。感じたことだけが考えるための材料になるんだから、考えている時点で感じるは終わっている。こんな単純なことを、スタートだのゴールだのと言っているのは本末転倒どころか、そもそもの構造を理解していないってことにならないか。そのジレンマが正しいはずなのに、それが飽和して情報過多になるバランスでは、簡単に手法が目的に置き換わる。だから、「何故好きなのか?」と考える前の感覚を改めて再確認すると「何故?」という思考パターンこそが空回りであることを知る。

 そして、「上手」であるためには、何が必要か?「下手でもいいから好きでいい。」と言うが、これは正確には「上手」となる仕組み。つまり、上手って何基準ってことで、知識がある技術がある判断力があることが必ずしも「上手」ではないという仕組みが見えてくる。この相関性を「好き」と組み合わせれば、何を背負っているかでそれとそれを繋ぐパイプが自由自在に変容する。

 で、これって、実は、脳細胞が行っている構造であり、そこに全ては起因していると言える。人間が人間の脳を研究する過程でいろいろなモノが生まれた。カタチあるモノ、カタチのない文化や歴史や産業や学問などなど。それをインプットする手法にこそ価値がある。米を作る、ゴハンを炊く、食べる、血になり肉になる、排泄物が地球に還る。このループをいろいろなアプローチ・アクションに代入すれば必然的にそこに入れる変数が個体観となる。そこにIDを発見できた人がつまり、「好き」と「上手」を「らしく」コントロールできている人が強い。まぁ、この程度の分析ではこの洞察に対して思考のドアのノブを握っているに過ぎない。回すならもっともっとエネルギーが必要でしょう。

 「好きこそモノの上手なれ。」改めて大きな疑問を解く重要なカギなのかもしれない。

PhotoShopのセミナー。

 「Photoshop関連書籍の著者が一同に集結!Photoshop CS5の役に立つテクニックを解説いたします。生でエキスパートが語るPhotoshop CS5の魅力をぜひライブでご覧ください。」というセミナーのご案内があった。確かに製版とか編集とか電子書籍とかという分野でのセミナーは何回か行ったことがあるが、さて、イラレとP.S.はないな。P.S.はテキスト本やある作家の方の作品集などは持っているが、特にイラレはテキスト本でさえもない。そんなセミナーなど行かずとも、そんなテキスト本などチェックしなくとも使えるよ・・・というわけではない。なんとなくセミナーにも行かず、テキスト本も買わずじまいというのが現実で、イラレのことを隅から隅まで熟視して使いこなしていますということではない。

 逆にたぶん、こんなセミナーに行くと、発見ばかりで、いかに長年自分の限られた使い方の中でしかソフトを使っていなかったということに気づかされるだけだろう。だから、たまにこんなセミナーには顔を出して最近の流行りやベーシックな知識を情報として知っておく必要があるのだろう。でも、実際、学校を出たところのビギナーでもないからそこのバランスが難しい。

 で、結局、イラレとP.S.は向学心は最後の最後になってしまう始末。それよりも、好奇心のある仕組みやソフトやサービスが多すぎて、それにやるべき技術に関する最新の情報をチェック&リサーチするのに時間がいっぱいいっぱいがリアルなところ。この休みにも、いろいろ頼もしそうな買い取り型のプログラムを購入したし、別ルートのテキスト本も数冊買ったし、いつものことで映像用のカメラや周辺機器のプリントアウトしたPDFカタログのチェックだけでも時間が過ぎていく。だから、「イラレとP.S.」がちょっと疎かになってしまいます。突っ込めば素敵な鉱脈があるだろうに・・・。

勤勉の精神は今。

 製造業であれ、サービス業であれ、現代の産業社会の土台となっているのは「勤勉」という存在である。勤勉をいかにして引き出すかが今日の経済学の古典的問題なのである。お金では決して買えない「勤勉」という存在はもう成熟した経済大国では常識であるが、このことは、本来産業の分野をルーツとしていない。倫理や資本主義の精神が根底にあり歴史の根も深い。今も日本の主要企業で実践されている「整理」「整頓」「清潔」「しつけ」「清掃」が伝承の手段になっていることは間違いない。だから、トイレの神様に注目するし、抗菌雑貨がヒットし、かつらビジネス・にきびビジネスが大手を振っているという経済の仕組み。

 しかし、これらがいわゆる勤勉な国民性のイメージになっているが、本当にそうだったのだろうか?だって、詳しくは知らないが、ちょっと前までは刀を持っていた国民が、ザンギリ頭で文明文明と言っていたと思えば、結局、濡れ手の泡に翻弄されただけ。何が残りましたってことになっている。戦国時代の百花繚乱にしばし今を忘れたくなる気持ちは分からなくもないが、これって、間違いなく逃避。どうやら、「頭皮と逃避」の間にあるバタフライエフェクトがキーかもしれないですね。

 勤勉であれ!と少年を大志を抱け!の間にある深い谷には今も澄んだ渓谷があり美しい水が流れている・・・みたいなことないですかね。

マスコミに頼らない・・・と。

 そもそもデザイン会社や代理店の制作会社にいた人間にしてみれば、マスコミはひとつの媒体だったし、企画書を起案する場合でも、末端の一手法としてとしか捉えていなかった。広告代理店の仕事に携わっていた時代はそんな感じだったし、滋賀長浜に来て、地方で何かを展開しようと考えた段階で、さらにマスコミという存在は遠くなった。しかし、WEBサイトを企画・制作・運営するという仕事に着手してからは、どこかでマスコミの存在を意識せざるを得ないというか、対マスコミに対して、どうメディアを構築して認知させるかという意識が少しづつ芽生えていった構図。で、WEBという手法がここまで浸透し進化し拡充してしまうと、さらに、こんな小さなデザイン会社でもいっちょまえに「マスコミに頼らない」などという価値観が芽生えてくる。で、実際、このことに対峙して具体的に何をどう考えるかという段階になると、そこで、ほんとに自らのポテンシャルや会社としての機能と展開力に向き合うことなる。

 さて、まったくマスコミに頼らず何か広告展開を起案するまでにはさすがに至らないのが現実であり、媒体に対するパブリックな広告表現手法はやはりまだかなり意識下にある。しかし、それにかけるコストとなると、必然的にか現実的にか、もしくは、潮流的に削減の方向になる。頼り甲斐が無くなったのか、経済構造が分散した結果、その選択肢が細くなったのか、ただただ、その手法と連動する綾が少なくなったのか、それはただ神のみぞ知るであり、制作者としてクリエーターとして、コンテンツを企画し制作して展開する立場で「頼らない」という選択肢に鉱脈を見つけ何か自らのプランを捻じ込みたいという気持ちは多いにあります。個人の時代だと鼓舞することは容易いがそうそうイージーな構造でもない。政治家が言うように言葉と現実のギャップの谷はいつの時代も思った以上に深い。

 では、実際、現在、マスコミに属する人達はどう考えているのだろう?リアルな声はなかなか聞こえてくるまでに至らないが、案外、まだ、想定内だと思っている人が多いのかな。いやいや、見えている人達はそこから離脱して自らの販路を独歩し始めているのかな。まぁ、そんなこともちょっとは頭の片隅に置き、目の前の対応に集中しなければいけないです。そこが何よりも本丸なのですから。失敗や不備はいつでもどんな瞬間でも背中合わせ。どんな場面でも適正な対応ができるように心を持つことしか実はできないが正解でしょうね。頼る頼らないってことを考えた段階で全てのトルクが失速するような気がします。

世の中「自吸時代」へ。

 なにやら、書籍を自分で断裁してスキャナで全ページを読み込んで自分だけの電子書籍を作ることを「自吸(ジスイ)」というらしいぞ。凄い世界です。電子書籍は出版関連のビジネスからパーソナルなレベルに広がったということ。そのニーズに伴いその手のツールが販売されてまた新しいニーズに拡充・展開・連動していくのですね。そうか現代は自吸時代なのか。そこまでしてタブレットに入れておきたい書籍情報って「よほどクラス」なんでしょうね。まだ、電子書籍は販売店のサンプルでしか見たことがなく、実際、自分の持っているタブレットで改めて購入して読みたいということにはならない。

 電子書籍はそもそも書籍を読まない人が増えてきたから、買わせようとして電子書籍としたのか、とても本を読むことが好きな人達が簡単にたくさんの書籍を読みたいというニーズが開発コンセプトのコアなのか?今となってはもうどうでもいいことですが、電子書籍ってまだまだ市民権は得ていないような気がすが、それも、ただの「食わず嫌い」かもしれない。なんでもいいので買って読めば情報の端末して便利かもしれないし、それほど、アレルギーを感じるほどのデバイスでもないと思いますが、書籍は書籍のテイでいつでもどこでも自分の時間の流れでタイミングで読みたいから、本を読むのにスイッチを入れて・・・というのが慣れていないだけ、活用できていないだけなのですが、かなり億劫です。

 仮にタブレットを買ったとして、「自吸」はするかな???

悪意のあるソフトウエア!?

 パソコンで仕事をしていると、よく、セキュリティーソフトがオートで何かを勝手にやっている。まぁ、いちいちその作業全てを把握するまでもなく、大きな問題でなければ勝手やっておいて的に特に気にしてない。忙しい時はスキップしているし、時間がある時はまとめて更新用のプログラムをダウンロードしている程度。何がどう更新されているのかはほとんど無関心ですが、まぁ、これも適当に言われるがままで対応している程度。もっと、PCのセキュリティー面や作業の効率を吟味して最適な環境で仕事をできるようにパソコンの中を整理することも大切なんだろうけど、あまり、それは気が進まない。たぶん、PCそのものが好きなわけではなく、PCやソフトウエアを道具として使っているという意識がそうさせているのだと思う。

 これと同じで車などもう10年以上乗った自家用車兼営業者があるが、まともに洗ったことはないし、ワックスなどかけたことも一回もない。車内も一年に数回掃除機を入れる程度で今月いっぱいで他界される。次もホンダの車がやってくるがたぶん同じ境遇・環境下で走ることになるだろう。生涯、5台目の車であるが、今後も自分でワックスを買う予定はない。つまり、車は移動するための道具だと思っているので、そんなに毎週毎週キレイにしてどうするのよ!ぐらい開き直っている(カミさんは否定的だが・・・)。でも、そういうタイプの方は車が好きなので肯定も否定もするつもりはない。ただ、向こうから否定される筋合いもない。

 話が逸れたが、そんな感じで道具に対して必要以上の愛着がない。というか道具は道具として愛着を持っているし丁寧に神経質にメンテナンスをしているし、ツールの健康管理も自分の身体と同じぐらい留意している。そんな道具としてのソフトウエアであるが、そのセキュリテーソフトが仕事をする際にこんな表示が出ていた。改めて見るとどういうこと?となる。

 その表示は「悪意のあるソフトウエアを検出中です。」となっている。「悪意のあるソフトウエア」?それはどんな悪意だろう?ソフトウエアは道具だと思っているのに、それに「悪意がある」とは具体的にどんなこと?マイクロソフトかセキュリティー会社のソフトがそう定義しているだろうから、世の中には「悪意のあるソフトウエア」が存在するということ。でも、ソフトのデベロッパーが「よし、このソフトウエアは悪意をコンセプトに開発しよう!」と取り組んだ結果の成果物なのか?そのデベロッパーが悪意のカタマリで結果その成果物に「悪意」が注入されたのか???

 逆に、そのソフトウエアが具体的に分かれば使ってみたい気になる。なりませんかね???

我流ではなく基本から。

 「Mac Fan特選のグラフィック・DTP・Webデザイナー養成スクールとは? 確実にスキルを伸ばしたいなら、我流ではなく、基本から専門家に学ぶべき」というキャッチコピーのメルマガが到着していた。まぁ、よくあるメルマガの内容だったので特筆するべき要素はないが、この分野に限らず、現代は個人の持っているポテンシャルが仕事の成果を左右しそれが引いては会社・企業・組織の総合力になるという構図。これは何も現代に特化した傾向ではないものの、よりその傾向というか影響は熾烈でありリアルにガチになっているように感じます。

 で、「グラフィック・DTP・Webデザイナー養成」というベクトルでのお話ですが、例えば、グラフィックデザインの世界においてスクールで学ぶべき、会得・体得する知識や技術って最近ではどうなんだろう。いきなりイラストレーターやインデザインの使い方から入るのだろうか?そもそも、グラフィックデザインとはイラストレーターによるオペレーションのように捉えられているが、絶対にそうではない。それは手法や手段の部分であり、グラフィックデザインには、案件に対する捉え方やデザインに消化する際のアレンジやセンスやノウハウ的な部分がその完成度・品質を大きく左右するのに、その基本の養成となると、相当の時間とモチベーションが必要なはず。それをどこまでこの養成スクールで分化しているかがまず疑問。その上で、「デザイン」という概念をどう捉えているかでそれぞれののびしろが決まりますから、A4に文字を並べて大小の差をつけてテンプレートに沿って仕上げることが「デザイン」だと養成されてしまうと、のびしろは見事に期待できない。家を建てるのに金槌で釘が打てるだけでは家は建てられない・・・みたいな。

 つまり、いろいろな書籍でWORDでチラシをデザインしよう!的なノリはありはありだが、デザインしよう!の最初のボタンをかけ間違えている。デザインはそんなにディープな捉え方をする必要はないが、安易に捉え過ぎていると、自分自身が既存のテンプレートから抜け出すことができなくなる。そこをもし基本として養成されると、目の前の課題・案件はクリアできても、次の白い紙にひと筆も入れられなくなる。だから、紙面でもWEB画面でもモニター画面でも同じ。すでにある素材を並べるだけでは最近ならiPadで3歳児でもやること。素材からこだわりながら、最後の完成形のバリーションを頭の中の引き出しに幾つ温存・保管しているかがアマとプロの違い。爪を隠すことの醍醐味を知っている鷹は簡単に舞い上がらないということ。常に蓄えながら無駄なテンプレートを削除していく楽しさが実はデザインの仕事の楽しさなのである。と信じて取り組んでいます。

素材集到着!


 注文していた素材集が到着!うんうん、なかなかこれいいっす!さぁ、アクトのWEBサイトをそろそろガチでリニューアルリニューアル。仕事の隙間に捻じ込もうと思って早1年、ほんとにほんとにどげんかせんといかんいかん。もう、構想だけが妄想のように頭の中で独り歩きして実現不可ギリギリのところまで来ているから、ちょっとづつちょっとづつHTMLにしていかねば・・・。とは言え、古臭いモノにすることはできないのでこのさじ加減なかなか自分で自分のハードルを上げてしまう傾向にあり、手が止まる始末。やっぱ絵に描いた餅は食べられないということ。わかっているのですが、頭デッカチになってしまいます。この素材をきっかけに少しづつ少しづつ・・・。

労働法入門!?

 普通ならこの分野の書籍は平気でスルーなのですが、なんとなく、気分的に少々心が喰いついてしまっている感覚がある。別段、その基準値だとか「働く」ということや「社会人」の定義について正面から取り組んできたつもりもないし、そもそも、この仕事をしてきた上で「働いている」という意識がどこかの段階で欠落しているような感覚もある。確かに、高校生の時に大学で一人暮らしをするために自分の好きな家具を買うために建設業のアルバイトをやっていた。雪の降るかなで一日中セメントこねて運んでこねて運んで・・・みたいな。腰にロープ一本括って土砂崩れした山の斜面にブロック塀を積み上げるために30mぐらいの高さで平気でぶら下がってスコップで山の斜面を削ったり、延々と続く田んぼにU字溝を並べるために凍っている田んぼの中に降りてU字溝を一日中並べる。挙句の果てに、トラックからその自分の体重ほどあるU字溝が太ももの上に落ちてきて田んぼにドボン!みたいなこと。さてさて、こんな危険な仕事をなんの保証もなしに平気でやっていた感覚で言えば「働いている」というリアリティーはあったような記憶。そのまま大学の頃も美術やデザインに関する書籍や画材を買うためにアルバイトをやりまくった。昼から夜になりまた次の昼になり最後はその夜中で終わりみたいな40時間ほど寝てませんが普通に成立する世界。でも、それは、目的があったからであり、労働環境について何か基本を会得していたかというとそんなことどうでもいいことで、とにかく、アルバイト代の為に与えられた仕事をした。それが、仕事だった。では、「社会人」とは何だろう?どこかの段階で学生から社会人になったかと言えば、それは大学の卒業の瞬間だが、それでも、その瞬間にスイッチは入らない。というか、働くと言うことで言えば、小学生の頃から家の夏季旅館の手伝いをしていたから、ここがスタート。だから、社会人という意識の境界はさほど明確ではない。ただ、大学4回生の冬、大学が終わるなぁーと感じた時、「社会人」という言葉のリアルを少しづつ自分の中に取り入れていかなければ・・・と感じた記憶がある。

 で、そんな、「働く」感じなので、今更「労働法入門」と言われてもピンともスンとも来ないが、なんとなく、この「労働法入門」という書籍が気になっている。さてさて、「労働」の本質とは何だろう?

仕事の効率。

 「「仕事の効率が劇的に変わる」デジタルツールの活用術をiPadで読もう!」とかよくよく考えればかなり強引な持って行き方である。しかし、そこはスルーして皆さん「iPadモード」になっていくのですね。確かにあればあったでiPad2はいいと思いますが、どうも手元に置きたいと心底動機の虫が動かない。何故だろう?それ買うなら別に欲しいものがあるから・・・が主な原因なのですが、それでも、「仕事の効率が劇的に変わる」とか言われると何がどう劇的に変わるのか?やはり、iPad2を買って使いこなしてこそ劇的に変わるのかな?などと考えてしまいます。実際、iPad2を買って仕事が劇的に変わった!という人がまわりに一人もいないことが機会を完全に失っているのでしょうし、結局、誰かが使っていることで芽が出て、その方とのコミュニケーションの末、そんなに便利なのかという枝葉が出て、こんなキレイな花が咲くならば、こんなに美味しい実が食べられるなら、ならば、自分もiPad2を買うとなるまでに至っていないのでしょうね。

 で、仕事が劇的に変わるって、劇的に変わる要因があったのか?たったiPad2一台で劇的に変わったあなたの仕事っぷりってどうよ?みたいな。なかったらどうだったのか?と屁理屈しか頭に浮かばないぞ。つまりこういう人間は一生iPad2を買わないエリアに属しているのかもしれない。

 ずっとずっと気になっているが、まだまだ遠いiPad2。

 仕事の効率は確かになんとかして劇的に変えたい。効率も品質ものびしろも戦略もシステムも全てワンランク上を目指したいと常々考えているが、そのひとつの答がどうしてもiPad2だとは考えにくい。でも、何かのきっかけや要因で仕事の内容を向上させていきたいと考えているので、もし、八方ふさがりになり何をどうしてもどうにもならん!という状態になったら、藁の変わりにiPad2みたいなことになるかもしれませんが、アプリの機能で劇的に仕事の効率や品質を上げてもバッテリーが切れたら終わりですし、故障したら直すまで劇的に・・・が停滞するわけで、まだまだ、仕事の本質を依存させるにはiPad2は大人仕様の玩具レベルだと思いますね。どうも、アップルがパワーユーザーを無視し始めてから嫌いな面だけにフォーカスしてしまう。坊主が憎いとiPad2まで憎いみたいな。

イタリア食堂という価値観。

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 「イタリア料理=パスタ」ぐらいの貧弱なイマジネーションしかないので「イタリア食堂」という価値観をオーナーがどこまでののびしろと展開イメージを描いておられるかがまだ未知数。しかし、私ごときが「食の分野」に口出しをできるほど食の文化は浅くも小さくもない。その道のエキスパートが自己研鑽と試行錯誤を繰り返し蓄積した知識と技とセンスが結集するお料理とは?自分自身が料理など焼きめしと親子丼ぐらいしか作らないので、イタリア食堂の価値観など知る術はなし。このレストラン様がオープンした暁には、そのテーブルに出される料理を前にしてそれをただただ実感すればいいだけのこと。グルメ音痴の私でさえ、こうして新しいレストランのオープンに関わらせていただくことで、これまで使ってこなかった「食脳」少し震えていますね。味覚について繊細さの欠片もないだろうし、シェフの細やかな心遣いがどこまでこの私の味覚でレスポンスを返せるか、気の効いたコメントなどもってのほか、何をどう対応すればいいのか、その料理を出された時のことを考えるだけで、唾液ではなく、冷たい汗が流れます。たぶん、おそらく、間違いなく、あさってのコメントしか絞り出せないのだろうなぁ・・・。これがガチのリアルだからまだオープンまでは日がありますので、今から、今から!?お許しを斯う始末。

 ひねり出してひねり出して、結果、「美味しいです。」としか言えないような気がします。間違いなく。もっと、グルメに対して味覚に対してデリケートに敏感に繊細になれる機会はそうとうあったはずなのに、これも、先天と後天の末の結果。生涯で好きな料理が「1番うな丼・2番生姜焼き定食・3番トンカツ定食」レベルの私にはこのファーストインプレッション、今から実はかなりプレッシャーなのです。

jQueryでサクサクっと。

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 「jQuery」大枠理解はしているが、改めて、基本の基本が疎かになると応用に繋がらないことが多い。何回も何回も基本に立ち返ることが実は応用ののびしろの大きさを決めている。理解していることとそのツールやソースが手に馴染んでいることとは違う。ナイフは傷をつけること、拳銃は人を射殺できること、これらは誰でも知っていること。しかし、実際、ナイフで人を傷つけたり射殺するということは全く世界が違う。こんな極端な事例で例えなくてもいいのですが、実際、ネットの中で販売促進や広告の手法に深く入り込むということは、言わば、お客様と一緒に清水の舞台から、沈没しそうなタイタニックから冷たい海に飛び込むぐらいの覚悟が必要だと思っています。お客様もガチなわけですから、創り手もガチモードになる必要がある。でこそプロ、だと信じている。有効な武器を使いこなすためには、いいことばかりではない、それを逆手に人や会社に爪痕を残すようなこともできる。しかし、モラルの上でビジネスを展開している以上、安易に禁じ手は使えない。有効打を稼いで、ビジネスとしての決定打に繋げるための技術だから、その所存で取り組むべし・・・と捉えています。

 で、やはり、大切なことは「基本」ですね。絵画なら「デッサン」、デザインなら「色彩構成」、ビジネスなら「ありがとう」ですね。

ANIME CREATOR 7 PRO

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 なかなか素敵なソフトが出てくるものです。この価格でこの機能なら素敵でしょう。確かに、素材をイラレやフォトショップで作成する。FLASHで素材を作成する。これも確かにいいのですが、実際、動かす段階で段取りを踏まないと効率が悪い。動かせるには動かせるだけの行程があるので、それをこのソフトが補完してくれそうな気がとてもします。まぁ、言ってもイラストを動かすわけですから、描画力やアイディアや楽しい物語を持っていなければ無用である。そこはまぁ、いいとして、この時代のこのタイミングで市場に投入しようということなのだから、それ相当のツールであることは想定される。

 なんでもソフトは一発目に飛びつくと痛い目にあうというセオリー定石があるが、このソフトは発売日(9月29日)に飛びつく予定をしています。

 世の中、どうもなにかつけそこかしこに映像時代です。ツールとしてのテレビが地に落ちた。コンテンツ力さえあれば、配信する術はいかようにでも。ならば、もう、高価で独占された狭い世界としてのメディアは失墜しているので、創って配信、リアクションのままにクリエイターは創ればいいということ。テレビが不思議なシステムで映像文化を独占した時代が終わり、映像でさえ、気軽にインタラクティブできる時代が来ている。だから、アイディアやモチベーションを持っているなら、ただ、創ってアウトプットすればいい。小さな化学反応が核融合レベルに超電導レベルに覚醒するのびしろ・振幅を期待して。深く考え過ぎても時間の浪費である。「やるなら今しかない・・・」のである。

 ハリボテの付け刃なテレビプログラムに飽きた人・見切った人が、ネット内のクラウド内の映像コンテンツを物色する理由は明確。ただ「面白い」からである。もう、どこのプロダクションが創ったか、どのテレビ会社が創ったか、どんな有名どころが創ったかは関係なし。誰かが映像を作り、誰かがそれを観る。シンプルな時代になったということ。進化なのか回帰なのか?真価なのか怪奇なのか?みたいな。

梅の酔(よい)@佐藤酒造

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 梅酒(黒)から微発泡梅酒(赤)と2種のネーミングとラベルデザインとパッケージデザインに携わらせていただいた商品です。モノは梅酒です。お酒についてはまったく趣味趣向が素人なので、決して蘊蓄などとてもとても語ることなどできませんが、この黒と赤、いつも美味しく頂いております。特にこの夏から解禁の「微発泡梅酒」は梅酒の味わいもしっかり残しつつスパークリングなテイストで夏場にはロックで頂きました。しっかりと梅酒の濃度をキープしながらの微発泡なので、新しい感覚です。
 缶サイズの市販のサワー系はどうしてもソーダや水で薄めてあるので炭酸飲料みたいなのどごし。でも、この赤は梅酒に炭酸が注入されているので、この組み合わせが絶妙です。しっかり梅酒を味わいながら、スパークリングなテイストなのです。まだ、オンラインでの販売は展開企画中ですので、オンラインで購入できる仕組みが完成したら、また、このブログで紹介・案内させていただきます。

大量生産・大量消費というシステム。

 もう、大量に生産して大量に消費するためのメディアの仕組みは崩壊している。いわずもがなネットによる個人消費の構造が複雑になり、マスメディアの構造が綻んだからである。大量に生産して大量に消費してなんぼだったことが、どこまで掘り下げるかどこまで捻じ込むかどこまで分解してコンテンツ化してどのコマとどのコマを最適に組み合わせてどこにはめ込むかという消費のシステムがテッパン。

 だから、難しいと取られると難しい、安易だと捉えると安直となり、表面を流すのか真髄を追求するのかの判断が創り手にも受け手にも求められている。論理的に感覚的にどちらが正解かなど白と黒のお話ではなく、白色と黒色を持っているならどの程度混合させて、どの程度の絵に仕上げるかが雌雄の分岐点。経験値でもITリテラシーでも理論でも知識でもない、しかも機能でも技能でもない、そのまだ先にあるIDとIDの時間無制限の勝負なのである。

 これが、楽しい。

 まぁ、この程度のブログ記事で到底語り切れるモチーフ・議題・論点ではないが・・・。

おじいちゃんのVAIO.。

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 世の中ドッグイヤーらしいが、体感的にはPCの世界は10年でひと人生(人間の1/10)みたいなスピード感じゃないかな。10年前のPCをまだ使っているとよほどの「PCオタク」だと捉えられがちですが、いやいや、この98はなかなかのものでしぶといおじいちゃんである。今このスペックで¥30万越えはちょっと厳しいがこの時代のこのスペックは今も充分に健在健在。寝たきりになれば、すっぱりと粗大ゴミ行きだと捉えているが、このおじいちゃんは強いですね。今でもしっかりやれることをやってくださる。しかも、ときどき流れてくる古いデータをしっかり処理してくれるスグレモノ。

 テレビで下町の職人さんがゴムの加工やガラスの加工や溶接の工事など70歳80歳のエキスパートが登場していた。中でも88歳の溶接のプロのおじいちゃんは街のいろいろな人が金属製品の故障や新しいツールの溶接を頼みにおじいちゃんのお店にやってくる。配管の接着や工事用のはしごの溶接や配電盤の修理などなど。溶接費用はどんぶり、テクはピカイチ。で、現金商売って、凄いおじいちゃん。これぞ職人!だと思う。大企業ができないこととは、大きな資本で大きなビジネスばかりが人生ではない。我が道さえ歩いていれば、我が道はできる。大企業では結果・成果を最速で求められる仕組みになりすぎて、人材も使い捨て。長い10年20年30年のサイクルで技を磨く人材がいないらしいですね。そこを見切って目の前のニンジンを追い掛け過ぎた結果、自肩が弱くなっているのでしょう。

 で、この溶接のプロのおじいちゃん、現金商売で毎日の売り上げは2~5万円らしい。元気に今日も工場に来られる人のニーズに的確に答えておられるのでしょうね。

 そんなおじいちゃんになりたいものです。

ホンダのスパイクかな・・・。

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 そろそろファンカーゴが引退なので、次はこれかな・・・?

梅田は雨。

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 本日は打ち合わせで大阪へ。午後から例のスコールがやってきた。激しい雨と梅田の風景。梅田駅の風景がほんとに大きく変わってとても規模が大きくなり、とても便利になりました。やはり、いつの時代も駅が変わると街が変わるのですね。

20万キロ突破!

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 お仕事で10年間お世話になっている愛車「ファンカーゴ」の走行距離が先日20万キロを突破しました。ほぼ11年目でこれだけ走ったということになります。それだけ遠方に車で出ることもないので、それにしてはよく頑張ってくれたものです。もう、タイヤもいっぱいいっぱいですし、いたるところがガタガタなので、次の車を検討中なのですが、2回ほどちょっとぶつけられたりしていますが、それでも、ここまで乗った車は人生ではないので、いわゆる車好きではない私でも愛着しみじみです。

 エンジン関係にまったく興味のない私でも、これを廃車にする時は、どこかの部品を手元に残したいなぁ~と考えております。まず、車とかバイクとか走ればいいじゃん的な人間なのですが、この愛車「ファンカーゴ」は特別な気持ちになっています。

 って、買い換え近くにドカァ~ン!ってことにならぬよう、「100里の旅も99里を半ばとする」で安全運転で有終!?の美へ向かっている今日この頃なのです。

グーグルのヘッダーは素敵。

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 まぁ、グーグルもいろいろあるようですが、このヘッダーロゴの展開はいつものことながら秀逸です。大きな遊び心と深い知的好奇心と優れたコミュニケーション能力をバックボーンに秘めているからこそこの展開ができますよ・・・みたいな。

THE ARRIVAL WORLD

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 もう、素晴らしい、素晴らし過ぎてすでに3回夢に出てきました。なんでしょうこのワールド。ひとりが描いた作品だけに世界が突き抜けている。昨晩テレビで観た「コクリコ坂より」も、勿論、いろいろな映画もそうですが、産業の部分でいろいろな意見が介入して研ぎ澄まされていく部分とフラット化する部分があるはず。しかし、一般ユーザーはそこはスルーして純粋に楽しむか楽しめないかで観ている基準があり、創り手はそれらを想定しながらも自分の世界観を高めていく。ここに共鳴の渦を創るためには何が必要か?これが昨晩の宮崎駿さんの言葉のひとつひとつに感じられた。そして、「ARRIVAL」を改めて分析してみる。素晴らしいですね。一人の世界で完結できる強さが絵本にはあるが、絵本とて編集者や出版社の意向が介入しているだろうが、それでも、この作家ショーン・タン氏のこの絵は突き抜けているんですね。

 ああ~、突き抜けたい。

NXCAMか・・・。

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 これ欲しいなぁ~。これならHD記録方式で画像サイズが1920×1080可能。で、独自の映像圧縮形式でライン一本でPCに直結。そのままダイレクトに編集ソフトへ・・・みたいなこと。それにカメラに巨大なハードが内蔵で、メモリスティックも切り替え式なので、スティックさえ用意すれば、延々と映像を記録し続けるってことらしいぞ。出力端子も豊富だから、テレビ用からDVDコンテンツ用、勿論、WEB用にも、ライブ放送用にも抜群のレスポンス。う~ん、欲しいぞ、かなり。

東京行脚は刺激がいっぱい。

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 いやいや、今回の東京行脚もいろいろ素敵な情報や刺激のリアルをたくさん頂きました。お会いできた皆様、貴重なお時間いただきまして本当にありがとうございました。もっともっと、東京や県外に出ないと、もっともっと人に会わないとダメだなぁ~と痛感する2日間でした。ネットのメール交換だけでネットワーク感に浸っている場合ではない。現代なら千ネットは一対面にしかずとでも言いましょうか・・・。とにかく、同じ場所で同じことばかり繰り返していると、思考だけの先行型になり、頭の中だけ動き過ぎて実態は伴わなないみたいな。頭で豊富な大量の情報をたくさんインプットして活性化しているつもりでも、それは、頭の中だけで完結してしまい、実は周りが動いているから前に進んだような錯覚に陥ってるだけ。でも、実は元の場所みたいな。ぐるぐる山道を歩いてみても実は大切な羅針盤を失ってコンパスなしで歩いている状態。だから、へとへとになって同じ場所に戻ってくるみたいなことかも。そんな、へとへと感だけで毎日を満足してはいないだろうか・・・?みたいなことなんですね。

 で、たまに、ゆったりと東京に行くと、そのあたりの古い歯がじわりじわり抜けて、新しい歯がその後ろからガッツリ生えてくる感じ。

 まぁ、そんないろいろな出会いもありましたし、道場やぶりのつもりが、ばっさり一刀両断って感じもありましたし、東京ってたくさんの人がいることだけでも特異な場所だから、オモロイ人もいっぱい見かけました。そのあたり、じっくりと時間を作ってこのブログに書き出したいと思います。

 この写真は高速夜行バスで29日の朝到着した場所です。西新宿の朝は心地良かったです。う~ん、懐かしい場所、西新宿~!

ドレスの撮影。

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 仕事でいろいろなモチーフにレンズを向けるが、ほんとに、写真は難しい。カメラマンの人は技術とかセンスとかもさることながら、やっぱ、いい写真をたくさん見ているから、今、目の前のモチーフを見た時、その豊富な引き出しの中から最適な表現手法をチョイスできるんだろう。この光とこの環境ならこのアングルでこの構図で・・・みたいな。それが結果モノは言いようだが、「愛のある写真」になるのだろう。つまり、アーティストやクリエイターの皆さまの作品を見て、結局、それがあるのかないのかが最後の最後でその作品の強さや大きさや細やかさとして注がれ転写され刻印されるのだろう。う~ん、写真は難しい。

いちごの絵。

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 これはパンフかパッケージ用に描いたいちごのリアルイラスト。昨今のデジタル時代、どこかで写真を探してくればいいじゃん!となりそうなのですが、写真ではいちごの形とか構図とか色合いとか、いらないモノが映っていたり、光の加減で影が要らないとかの条件が発生する。するとなかなか最適なイチゴの写真はありそうでない。また、パンフやパッケージに使うにはちょっと暗かったり個数が多かったりとそこでごちゃごちゃ調整作業をしていると時間をかけて探した割りには中途半端な一枚になる。だから、使うツールに合わせて色や構図や背景の設定などを自由に創れるイラストレーションがベストとなる場合が多いのです。例えば、以前に大根とピーマンをあるパンフレットの表紙用に描かせてもらった時は、なんとか、大根とピーマンで円を表現するという難題だった。そんな大根とピーマンなどない。だから、大根とピーマンを買ってきて、円形のフォルムにしてリアルで描いた。

 で、この作業、なかなか、ソフトウエアではいい感じにならない。3DCGソフトもあるので、大根ぐらいはどうにでもなるが、あとでどのようなフィルターエフェクトをかけても、やはり、ソフトと手描きでは根本のニュアンスやフィーリングが異なる。3DCGでないとリアリティーが出せないモチーフも勿論あるので、ここは取捨選択なのである。ただ、リアルを描く人は少ない。このデジタル時代だから、そのスキルが必要なしと高を括っていると表現ののびしろを閉じることになる。やはり、いつの時代も相関性であり、デジタルスキルとアナログスキルはバランスよく会得しておきたいものである。

MIYUKIさんお世話になります。

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 本日はパッケージの打ち合わせで大阪の株式会社MIYUKIさんへ行ってきました。すでにお送りしていたデザインイメージで実際の箱見本をすでに作成してくださっていたので、それを持ちかえり現物と比較検討し、デザインデータの仕上げに向かっているという感じ。いろいろ、表面加工の件や箱の構造のご提案も頂きありがとうございました。サンプルもたくさん頂き、チラシやポスターなどのグラフィックやWEBサイトのデザインが日頃は多いので、ほんとにいろいろ参考になりました。販売促進ツールとしてのグラフィックデザインと実際の商品が入って販売されるパッケージ。微妙にデザインや企画のポイントがあるのですが、そのあたりの微妙なニュアンスもすべてヒアリングしていただけるのでとても安心しています。よろしくお願いいたします。

スマホは便利か?

 十数年前、携帯電話を買った時、なんて便利な時代になったものだと感動した。今のスタイルからすると相当大きいサイズだったが、その前に大きいトランシーバーぐらいの携帯電話。建設現場で現場監督が方からぶら下げているやつ。あのイメージが強烈だったので、便利便利だとは言え、ここはベトナムではないので、あれを方から下げて仕事はないなぁ~と感じていた。それが、手の平サイズの携帯電話が登場して購入した時は、何か新しい時代の感じがしたものです。そのから十数年、携帯電話を追随するようにスマートフォンが登場した。そして、機能合戦が始まった。最初は液晶のタッチパネルでちょろちょろスリスリするのが一見カッコイイようにも思えたが、さぁ、どうか?それだけ新しい技術でもないし、スリスリインターフェイスを制御するOSについても、もっと、携帯電話という機能の部分で頑張って欲しい。でも、電話はどんなスタイルになっても電話だから、余計な機能(アプリ)で付加価値としているようにしか捉えることができない。その機能は使う?無料ゲームとスマホの電話以外の機能との違いは何?公儀的な意味に置いてはどちらも大差ないぞ。で、みんなでスリスリタッチがどうもCOOLじゃない。インターネットWEBサイトのブラウジングという大切な機能があるから、マウスのない端末はこの手法でしか制御できないのは分かるが、普通の携帯電話の十字ボタンとスリスリタッチパネルの比較はどうなのだろう?

 で、買うのか買わないのか?ということがそろそろ迫ってきた。まず、iPhoneはスルーした。flashを見ることができないからが理由。で、アンドロイドを一回ガチで検討した。しかし、高い。その間、相当ガチでiPadを検討したがスルー。で、iPad2が出た。さほどリサーチはしていない。お客様のところでそれがあれば、こんなこともできるか!というテイで「便利な機能」を知るが、自分が持つ持たないの段階で「まぁ、いいか!」となる。つまり、電話をかけるなら今のauの携帯電話があるし、仕事でWEBサイトをリサーチするなら、小さい画面は嫌だし、iPadの操作性も好きではない。食わず嫌いなのは周知の上、やはり、これまで使っていたツールがいい。で、決定的な理由があるとしたら、たぶん、あの「スリスルタッチパネル」が嫌いなのだろう。WEBや写真をタッチパネルで閲覧している分にはいいのですが、文字入力が嫌い。いずれスマホの機能として言葉を話せば、勝手にテキストに変換してくれるような機能が標準装備されれば使うかもしれないが、お店で重要なことを声にしなければならない時は困るだろうなぁ~とか、やっぱテキスト入力はキーボードかボタンがいいなぁ~と思ってしまう。

 スマホか・・・。画面を大きくした分、本体が大きくなったことも嫌いの原因かもしれないし、スマホの機能上バッテリーの容量とか電話の接続性能などの面でまだまだ従来の携帯電話を越えられない現実もあるぞ。もうちょっと待とうかな・・・と言いつつ、結果、スマホは買わないような気がしますね。どう考えてもどうトレンドを過大評価してもスマホ自体が便利だとは思えない。結果、携帯電話とノートパソコンの折衷案だからかとも考えるからかもしれないが、お互いの利便性を装備しつもりが、よくあるテイで、お互いの利便性自体が失速しているような展開かもしれないぞ。電話は電話、パソコンはパソコンでいいんじゃなかろうか。そもそも「便利」って用意されているモノじゃない気がするし、どこか他動詞的なニュアンスが嫌い。テンションをどこか依存しているよな気がする。機能と技能で言えば、機能だけ先行して技能はどこよ?みたいな・・・。いたるところでよく見かける現代社会のsomething.

NIKKOR LENS 35mm f/1.8G

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 本日購入の新しいレンズです。とにかく、明るいレンズということで35mmの1.8Gにしました。で、これがそのボケ足の感じです。風景からポートレートに、そして、30cmまで接写できるので、まず、これは抑えておこうという感じ。あと欲を出したらマクロや望遠やシフトレンズが欲しいところですが、まずは、セオリー通りに揃えていきたいかなという感じ。レンズはニコンにしておけば、ボディをバージョンアップしても連携は可能ですし。まぁ、これで撮影のバリエーションがいろいろ広がるでしょう。やっぱ、明るいレンズは一本必要かなと。

MACはどこへ行く?

 あるメルマガより抜粋~「新Macミニを紹介するアップルのWEBページには、こんなコピーもありました。「必要なものだけ。不要なものはありません。」たしかに今日、個人的には光学式ドライブを利用する機会はほとんどありません。「音楽や映画が欲しくなったらiTunes Storeへ。」たしかに今日、というかもうずいぶん前から個人的には光学式ドライブを使っていません。「アプリケーションはMac App Storeからワンクリックでダウンロードできます。」たしかに今日、App Storeの便利さを知ってしまった以上、余程のことがない限り個人的にはパッケージに手が伸びません。ただし、そうはいっても、いざというときの利便性がまだ光学式にあるのも事実。他のMacやPCのドライブから認識させたり、外付けをいちいちつなげるのはやっぱり面倒で時間もかかります。でもその、いざというときも、たぶん近しい将来にはなくなるんだろうなあと思います。アップルがいうところの革新とは、まったく新しいものを生み出すのではなく、未来にある普通のものを今創りだすことですから(失敗もありましたけどね)。」とある。思考錯誤はいいが紆余曲折が曲がり過ぎ折れ過ぎ。何が便利かは誰が決めるのか?に軸足がない。そんなところを軸足にしていたら商品やコンテンツの進化はありえないが先方の言い分だろうが、そもそもを考えてみたい。パソコンはツールである。どう使うかはユーザーが決めるということへの割合いを無視して技術革新の押し売り(たたき売りかも?)である。で、あとは、これが「イマドキの便利です。」「サイシンのスタイルです。」って言ってるだけの言いっぱなし。

 これは私個人がMACを見切った理由ですが、ツールとしては別段さほど特化したことでもないし、別に、アップル=デザイン性、WIN=機能性などというパワバラはどうでもいいこと。さほどMACのインダストリアルデザインがいいとも思ったことはない。23歳の時(24年前)、新宿で初めてMACに出会った時からMACはツールでしかない。しかるにソフトウエアも同義である。機能と技能の関係をいい意味で無視できるほど趣味の世界でパソコンを捉えることはしないし、できないが正解。

 で、必要なものは?不要なものは?という質問が発言がメーカーから出る段階で完全に軸足がぶれている。そんな登り方では1,000m級の山も登れませんよ。アップルはダウンロードシステムで首を繋いだがそれは貴方の池に貯まっていた水をたまたま苦肉の策として売ったからでしょう。水はどこにでもありますからね。で、果汁(過重)を入れて、炭酸(起爆剤)を入れてボトルに詰めてパッケージ化したから、のどが渇いた人がそれを買っただけ。そんなそんな貴方達がのたもう程の大義名分は全てあとづけでしょう。

 MACという価値観はどこへ行くのだろう?できれば20数年のパワーユーザーとしていっしょに山を登りたかったですが、道の途中でほったらかしにされた気分です。だから、もう、アップルの展開には期待ができない。それに比べるとWINは足が地についているように感じる。相対的な重力に対して自重を受け止める体制が整っているような気がします。って、一寸先は闇ですが・・・。

 しかし、スマホってどこへ行く?あんなアプリ必要か?あんな無料ゲームに一喜一憂している時間が有益か?っていう前に感覚的に楽しいか?最新デジタルデバイスには非常に「?」が多すぎる。まず、それは何かを決めてほしいものである。それも、ユーザーに依存するのか?それとも、それはユーザーが決めることなのか?この現代では・・・。

パソコン時代に終止符!?

 またまた、ジョブスが言い切ってしまったようです。どうやら、スマホ時代をいつもの感じでゴリ押しするようである。確かに機能もいいしスタイル的にもスマートフォンってぐらいですから、いいのでしょうが、まだ、終止符って感じではないぞ。今のテイの携帯電話が登場まだそう歴史もない段階で、さらに、パソコンに関して言えば飽和していることは現実としても携帯性のあるなしで単純に「終止符」と言ってしまうことでどのタイプの波を起こしたいのか???というニュアンスが否めない。まぁ、世界に対して非常に影響力のある人間の言葉だから、「やっぱ、これからはスマホの時代なんやなぁ~」という割合が増えることで、新しいムーブメントや経済効果もあるだろうが、まだまだ、このシステムに有料な課金システムは存在しない。つまり、機能が先行して優先されるが、当の人間様の技能はさほどマッチしていない。だから、やはり、ハードを売りたいのでしょう。数万のアプリも別にスマホ使わなくてもいいじゃん!みたいなアプリばっかのような気がする。全ての発想や着想が逆のベクトルで出たから買う、あるから使うという構図と、チョイスして判断して吟味して買う人とこんなニーズがこれで効率化されるなら使おうという人の関係性がどうも蛇のしっぽのような気がする。

 この感覚も「使わないから便利さが理解できない。」と言われればそれもリアルですが、そもそも「便利」ってなんですか?というお話。電力問題が活性化する一方で経済を振る起こすための仕組みづくりの一旦がこのスマホ戦略なのだろうけれど、世の中のニーズは言わばうちわや扇風機のベクトルもあるし、もっと、メモ用紙やノートを活用しようという、手と筆記道具で脳を活性化しようという取り組みもあるわけで、小さい液晶端末をなでなでする感じがさて、人間の道具としていかなものか。って、自分自身欲しい気持ちは勿論あるわけで、とても複雑。まともに腕時計もしない人間がツールの意義を語るにはオコガマシイ限りではあるが、機能と技能の関係上、なんでもかんでも「終止符」なんて言い切っている立ち位置がちょっと強引すぎる。もっと、時間をかけていい商品なら水が大地にしみ込むスピードで樹々の根に届けって感じ。で、地下水になり大地が潤うみたいなことよりも、どうも、水路を創って水脈をコントロールしたいのでしょうね。そもそも水がなければ水脈は成立しないように感じるのですが・・・。

分解と組み立て。

 ふと、自分自身の仕事について俯瞰で分析した時、デザインの仕事って与えられた案件を自分の感覚と技術でキレイに分解してキレイに組み立てる感覚なのかなと思った。特に何きっかけということではないが、いろいろな書籍を読んでいると、いろいろな著者のいろいろな考え方を知ることになる。一冊の書籍の中で頭に残ることは多くて10個程度のフレーズでしかないが、書籍を読むということに対してもどこか仕事をしている頭で捉え、リサーチしているような読み方になっているような。何故この書籍に興味を持ったのか、この著者は何をいいたいのか、どのような共鳴・共感を求めているのか、そして、今後この著者はどこへ行きたいのか?などなど。書籍の読み方はいろいろあるだろうが、これが、オンライン上のWEBサイトでのリサーチならここまでゆったりと情報を捉える事ができない。大枠、これは癖の部分で書籍に対する集中力とネットに対する集中力の差に他ならないのでしょうが、仮に、iPadを購入したらもっとその中の情報に対して集中力が上がるのだろうか?とも考える。つまり、書籍の情報は分解できるのですが、ネット情報は分解しにくい。というか、書籍は言わば一冊のリアリティーがあり、ネットはもう芋づる式の一連のチェーンである。情報量が多いことは嬉しいことだが、ここまで!という仕切りがないことがこの集中力を拡散させているような。これも捉え方の癖だから全てこの法則で捉えることはできないのでしょうが。

 で、分解の仕方も様々で何をどうあがいても自分のスキルでは規定できないパーツがある。このパーツをさらに細かく分解するべきか、このパーツはこのまま一個の個体として並べておくほうがいいのかという判断がある。仮に取り組むべき案件が目覚まし時計のような存在だったとしたら、そのパーツの数は必然的に確定している。ネジ1個、歯車1個、文字盤1枚、これがパーツである。分解した順番を忘れなければ、同じモノに復元することは簡単である。しかし、デザインという仕事は目ざまし時計とデジタル腕時計を分解して新しいアナログ・デジタル時計を創る感覚に似ている。アナログ時計のリアリティーとデジタル時計の利便性を兼ね備えた新しい時計を作ることが目的の場合、パーツパーツの特性と組み立て方の創意工夫がいわばデザイン力となる。キレイに融合させるためには、双方の特徴をしっかりと理解している上で、双方の完成度を組み立てる時に留意しなければいけない。この判断を誤ると、絶対に時計にはならない。ここがこの仕事の難しいところでもあり、楽しいところでもある。

 子どもの頃、なんでも分解することが好きだったことや、修理しているのか壊しているのか?みたいな行為が多かったことを経験値として失敗は成功の元的なアタックを繰り返してきたことで、ああ、このパーツはいつか使えるな、このパーツはたぶん何を作るにも有効ではないなという感覚というかスタイルが獲得できる。これがデザインの仕事をする上での最大のポテンシャルとなる。デザインの仕事をするにはセンスが必要だと鉄板の合言葉があるが、このセンスとは何だ?となるが、これは、分解する技術と組み立てる能力なのではと思った。

 だから、仕事場も頭の中もいつか使おうと思っているパーツでごちゃごちゃ。頭の引き出しにはこんなパーツは一杯詰まっている。整理もしなければいけないが、次から次へと興味のあるパーツを持ちこみ過ぎという意見もあるが、それでも、この作業は辞められないし、楽しくて仕方ない。常にどんな場合でも最適の分解をできて、最適な組み立て方ができるように研鑽を忘れないこと。それがこの仕事の大枠のフレームのような気がしました。

麻雀のようなもの!?

 ビジネスは短期勝負ではない。長期的な取り組みの中に小さい波をどう設定できるか、大きい波が来たとしてもリバウンドで組織が微弱化したりコンテンツが失速すれば弱いビジネススタイルとなるそうです。ある出版社の社長の言葉より。で、そんな大きな波小さな波があるもので、それらを、運と言ってしまうにはちょっとニュアンスが違うんだけど、確かに努力のディテールや環境の整備や人材のポテンシャルに関係なく、大きな意味での波動があるように思います。積み上げて積み上げたモノが成就するとは限らないし、ふと視点を変えれば素敵な鉱脈にビンゴ!という場合もある。運は追いかけるものじゃない、運は向こうからやってくるモノだっていう言葉もありますが、確かに、追いかけても追いかけても運との距離が縮まらない感覚は確かにある。でも、ふとした瞬間、隣の席に運がほほ笑んでいるみたいな。

 で、これを麻雀に例えると、卓を囲むのは4名。ルールは同じ。経験値や技術力やセンスは異なれど、もし、同じレベルの4名が卓を囲んだ時、それでも、勝ちと負けるが結果として出る。これは、何がそうさせているのか?ということ。ぼやぁ~とした表現でしかないですが、それを「運(luck)」としてあながち的は得ているような気がします。だから、全体が見えている人、運の流れが見えている人は、つもが悪い時にあがかない。しかし、引きが強い時には一気に役を高く勝負に出る。役が高くなりにくいと判断できるなら、まずは上がっておき、次の配牌で勝負する・・・みたいな。決して、麻雀は強い方ではないのですが、弱い方でもない。振り込むと悔しいが、場の流れや運の流れが見えてくると、振り込む感覚がその前に予見できたりする。そこらあたりから麻雀が楽しくなったような気がします。

 麻雀も商売も同じなのかもしれない。直感ってホント大切です。

くよくよしていいんだ。

 小さいなことにくよくよしない人間は仕事が出来ないらしい。逆かなと思いきや、ある書籍にはそうは書かれていない。世間一般常識的に言えば、小さいことにくよくよせずに、計画的に大きくフレームで捉えて小さい失敗は気にせずに・・・みたいな感じが王道かなと思いきや、実は、それではダメ。確かに世間一般的に小さい失敗の積み重ねが大きな仕事に繋がるという構図。大きな仕事をするためには大きな人間にならなければいけないと小さい日本の教育は語られてきたような印象が深い。でも、それは、基本的に間違いのようです。自分自身に置き換えても、やっぱ小さいことが気になるし、ちょっとした失敗でお客様や仕事仲間の皆さまの気持ちが逸れてしまわないか心配です。それが、びびっている、自信がない、視点が小さく低いと自分自身を悲観している部分が多分にあった。しかし、無理苦理虚勢を張り自分を大きく見せようとクジャクのように羽を広げるがそれでも、小さいことが気になる感じが否めない。まぁ、気になるんだから仕方ないか・・・と人には言えないような細かいことをちまちま配慮・考慮しながら大きく見せよう大きく見せようとしていた感じ。

 で、くよくよしている自分に自己嫌悪している節があった。しかし、この著者はそれでいいと言う。なんとなく、この共感は強く深く近い。なぁ~んだ、くよくよしていいのか!と。小さいことに気がまわらないような人間に絶対大きい仕事を頼みたいとは人は考えないとこの著者は言う。確かに!

 あとこの書籍にはこのテイのネタが34本ありますから、また、このブログで少しづつ紹介していきます。

ブログのモチベーション。

 「何故、そんなにブログを書けるのか?」という嬉しい質問を頂くことが多い。数年前まではブログ?なんのこっちゃというタイプの人間が、書くこと自体が楽しいのか、少しづつレスポンスを頂けることが楽しいのか、貯まっていく記事をたまにぼぉ~と読み返すのが楽しいのか、まぁ、全部が相互に関係しているから続けられているのですが、やはり、一番は、「ブログ読んでますよ。」と言っていただけることが一番モチベーションになっている。いつもややこいことばかり書いているので、「ちょっと、コメントしようと思っているのですが、コメントを考えているうちに日が経ってしまい・・・」ということを言っていただける。これも嬉しいことですが、意味不明の乱筆乱文ではなく、もっと、チカラを抜いた記事にすれば、コメント数も増えますよというアドバイスも頂くことは頂く。でも、コメントは勿論、頂きたいがコメントを頂くことは自分にとって副産物なので、コメントが多いからコミュニケーションの活性率が高いとも言えないだろうという天の邪鬼の私は、いつものことながら、マイペースに続けています。そして、人間のタイプ的に「適当な力の抜き加減」が最も苦手。

 以前、ある書籍に毎日5,000ビューあり、ビジター数が1,000あれば、ブログとして優良だと判断していいというモノサシが書いてあった。数年前のことだから、現在の適正・標準値はどれぐらいか不明だが、とりあえず現在の目標はここ。でも、数字を上げるためだけに書いているわけではないので、やはり、自分自身が楽しい感じにならないと絶対に続かない。書くこと(入力する)が楽しいのか、文脈をアウトプットするのが楽しいのか、記事が蓄積されることが楽しいのか、まだ、限定はできないですが、どれもそこそこボチボチでいいかなと。結果、目標値になれば、嬉しい。現在、このブログは毎日4,000~4,300ビューでビジターが700~750を推移しています。それほどの人が何らかのカタチで場面でシチュエイションで読んでくださっているからこそが一番の続けられる理由ですね。「にわとりと卵」の法則のループで「楽しい」と「書く」が上向きのスパイラルになると、こんな楽しい存在はブログだけということなる。

なぜ、自分は判断を誤ったのか?

 「なぜ、自分自身は判断を誤ったのか?」を簡潔にロジカルに言葉にできる知性がもっとも良質な知性だと僕は思っているという著者の本を読んだ。その本にはこう続く。「少なくとも自然科学の世界はそうです。自分が提示した仮説を他の科学者によって反証されるより先に、自分自身の実験で反証し、仮説を書き換えることは科学者の名誉の一部です。ビジネスの世界だって同じです。自分が作り出したビジネスモデルの欠陥と限界を社員に指摘される前に気がついて、「まだ儲かるのに・・・」という未練を捨て、大胆に「撤収」という判断を宣言できる経営者こそがクレバーだと。しかし、この知性観を日本のメディアは採用していません。メディアにかかわる人の過半は、自分が仮に間違っていた場合でも、それを認めずに言い訳を繰り返し、なんとかその場を言い抜けることをむしろ知的なふるまいだと思っている。」と。少しスポットすぎるフォーカスではあるが、メディアに対する総論としてこの切り口は面白い。

 ようは、「個体」と「世論」のギャップを明確にすることがクレバーだということ。森を見ている木を見ている葉を見ている人が3人集まって地球のことは議論できないということ。「世間一般にこうだから」「概要に記載されていたから」「企画書にこう書かれてたから」という軸足では議論は本来成立しないのだが、それをロジカルに体系化したかのように(実はこれも立派な体系化なのですが、)言える人は逆に素晴らしいのかもしれない。個体が存在しないことはリスク回避のためなのか、その人のIQの問題なのか?というモノサシのお話だろう。

 何かひとつの案件に対して自分自身が正論だと思っていることにスキやミステイクが存在した場合、システムのバグなら解明し記述しなおせば正常に戻るが、人間の思考のバグはそう簡単に書き直せない。つまり、人間の個体そのものが言わば大きなバグなんだから。バグとバグが議論して正解が出るはずがない。だから、モノゴトは進行系である必要性を内在している。この会議の結論は?とか、君の結論を言ってみなさい?などと言われると、便宜上、表面のうわずみをすくいその場のお茶を濁すことはできるが、決して、モノゴトを断片的に切り取り正解を出すことは難しい。この情報化時代でさらにそのアプローチは難易度を引き上げられている。

 例えば、「もっと、このお見積りは安くなりませんか?」という投げかけに対して、どうコミュニケーションをすることが正解なのだろう?適正値を知れば知るほど正解は出ないことを知る。このチラシの制作期間を2ヶ月貰えればベトナムか上海で印刷するればが、たぶん、最安値だろうし、印刷代を気にせずに最速を求めるなら地元で印刷すればいい。しかし、モノゴトはそう安易ではない。だから、いつも判断を誤まらないようにしているし、仮に誤ったとしても瞬時にB案を起動できるようにしている。それでも、適正値が見つからない場合、臨機応変に事態に対応できる判断力とポテンシャルを持っておきたいものです。

 最後の最後で、クラウドもソフトウエアもプログラムも判断はしてくれない。キーボードを叩く指の本体が軸をぶらさぬようにと瞬間瞬間がガチの勝負なのである。これにストレスを感じる人は決してフロントには立てない。想定以上にこのアゲンストはキツイからである。しかし、追い風が吹いた時、それを身体全体で感じられるのもフロントに立つ人の優越感である。この風がたまらなく心地いいのだから。

IT部門をスルー!?

 このIT時代に大手の企業では生産性と効率化を図るために、IT部門を本来通す案件・プロジェクトでもスルーさせているパータンが2割ほどあるらしい。これは経営者幹部層に多い傾向らしく、IT部門に案件を流すよりも直接クラウドにログインして仕事を進める方が圧倒的に効率がよいということらしい。確かに大きな企業は大きな企業なりに確立された組織で動いているから、機動力やレスポンスのスピードは必然的に落ちてくるはず。しかも、多くの部署を情報が行ったり来たりしている間に人的な予期しないことが発生し情報が変異したり消失したりすることを、経営者レベルの人は回避するために、直接ログインみたいなことなのだろう。いくら優秀なスタッフを抱えていても、情報がそれぞれの経路を通すこと自体が組織の意味・価値なんだから、まぁ、本末転倒のお話なのですが、今や情報の質とは劣化させずに、そして、鈍化させずに、新鮮な状態で相互に活用しなければ、価値がないとされている。つまり、確認申請確認申請の行政のやりかたの弊害が、言わば、ヒューマンチックと対極に存在しているということ。ITリテラシーのボトルネックとはそこか!みたいな。結局、どんな道具を使ってもどんなに知識のある人がいてもどんなに技術力がある人がいても、処理能力(IQ)次第なのかな。

 高学歴が最近いろいろなメディアでヤリダマに挙げられている。まぁ、明らかに高学歴ではない私はなんのこっちゃ状態ですが、いわゆる「高学歴の人は災害に弱い。」高学歴でない人よりも比較的パニックになりやすくちょっとしたストレスで鬱になり人間としての機能が停止するらしい。そんな微弱性がイコール「高学歴」ということでテーゼになってしまているのだろう。そして、普通の人がそんな高学歴な人に手を差し伸べる構図が大災害の現場ではリアルに起こっていると。

 では、「IT部門の高学歴の人」はもう人間としてダメじゃん! なんでこんな構造になったのか、「ITリテラシー」と「高学歴」がこれほど失墜するような世界はこれからどこへ行くのか?ギラギラした獣のような肉食系の人間がこれからの弱肉強食時代を征する・・・みたいな。人間のIQと人間の臨機応変な活力みたいな能力ってそう言えばPCでは表現不可能ですし、インタラクティブってヨコ文字を聞いている分には耳触りはいいが、結局、ケーススタディーの典型で、変数を用意してデータベースで検索してくださ~い!ですから、「何を今更、そんなことは100も200も300も承知の上、その次の展開を今聞きたいの、私は!」という声が世界中のパソコンの前で蓄積してしまっているかな。だけど、ライブカメラでもリアル映像でもそれはまだまだ、リアルなツールではないのでしょう。やっぱ、FACE TO FACEが基本中基本としてのテッパンとなり、電話での会話におけるコミュニケーションがさらに至高となりフォーカスされる時、最後の最後で、人間力が雌雄を決するのでしょう。先読みは禁物としても、そんなことを予見させるオンラインからのニュース情報ネタでした。

「世論」というもの。

 「世論」を形成している数多の情報を物理定数で分類することが、言わば、経済や文化の仕組みにリンクしている。まぁ、人間社会はこんなに簡単ではないが、ほぼ全てこの方程式で解釈はできるはずであるという仮説。

 人が3人集まれば「世論」が生まれると言われている。だから、「良き世論」と「悪しき世論」を区別しましょうなどとは決して言えないし、慣習であれ政治であれ企業活動であれ、資本の面で上層部に君臨する人たちでさえ、この「世論」をコントロールすることは難しい。だから、いつの時代にも絶対に「世論」はなくならない。このどこにでもいつの時代にも人間社会のいたる場所に存在する怪物と人はどういい関係を維持するかしないかで孤立もし覚醒もし昇天もし失速もする。

 情報社会に生きている以上この怪物を無視することは生命の維持をも脅かすからである。無人島で自然に生息する植物や動物を食べて生活している人でさえ、言語を持つ以上、この怪物の影響を受けている。まして、現代の日本、この怪物はその実態を肥大させながら、ナノサイズでも活発に分子運動を続けている。しかし、その「世論」に対して誰かが確固たる責任を担うかというとなるとそれは違う。「世論」の「世論」たる所以はその責任が個人レベルにフィードバックされないことが条件。だから、無責任な怪物が自由自在に情報化時代を飛び回っているのである。熱くない火を吐き聞こえない咆哮を続け強靭な躯体で進化しながら繁殖を続けている。まるで、カブトの「穢土転生」である。

 「この健康食品はどうやら老化を防止するらしい。」という怪物に襲われぬよう、「今までに体験したことのないこのゲームソフトは凄いぜ!」という怪物に襲われぬよう、モノホンが持つガチでベタでリアルなvaleを見極めたいものである。

10ヵ国語か・・・。

 「10ヵ国語を手軽に翻訳!驚きの多言語翻訳ソフトの最新版!」というメルマガが到着した。う~ん、気になる。今からこの種類の多言語に精通することは不可能だが、こうして、ソフトウエアの力を借りて瞬間風速でも「10ヵ国語を手軽に~」という感覚を味わえるならこの価格(¥20,000)は値打ちである。実際、それをどのように使うのかということになるが、まぁ、英語、中国語なら仕事で文章を翻訳しないといけない機会とかがあるから、まぁ、その予習として捉えてもこの価格なら適正値だろう。

 と、ソフトウエアの価値を決定するための判断材料はその価格と機能内容が、取り組もうとしているオブジェクト・案件に適正かどうか?そして、どれぐらいののびしろがあるのかという視点と、それを、自分自身がどこまで会得・精通できるかという感覚との天秤になる。若い頃なら「興味本位」で「好奇心」でいろいろなソフトウエアに取り組んでいたが、実際、自分の仕事に関係することに対して有効で、しかも、会得可能なツールである必要があり、しかも、価格が適正であることが必須条件になる。と、つまり、上記の「10ヵ国語翻訳ソフト」も「デザインのツールとしてのグラフィック・WEBソフト」も「オフィス系」も結局、自分のさじ加減なのであることに気付く。というようにソフトウエアは道具なのである。嗜好品でも鑑賞物でもないし、まして、コレクションの対象でもない。持っていることで何の価値も生まない。価値を生まないことにコストをかける余裕もないが、気持ちの部分で好奇心の対象ではない。

 では、潤滑に資金があり、あらゆるソフトウエアを持っている。まるで、iPodの100万曲である。人間、一生のうちに100万曲も聞かない。と同じである。「ふ~ん、凄いですね。」で終わり。しかし、古いバージョンのソフトウエアでもゴリゴリに使って、最新バージョンの各種機能ができないような、表現や仕組みを創るノウハウを持っている人(職人・達人)がカッコイイ!なのである。最速のPCで最新のソフトウエアでぶざまなチラシもどきを創っている人、WEBもどきを創っている人を指して、世間は「一億人総クリエイター時代」だと呼んでいる。人が全てクリエイターであることは絶対に間違いないことだが、ソフトウエアで作成してプリンターから出てきた全てのオブジェクトが優れたクリエイティブだと勘違いしていると、上記の流れで「価値」が捻じれる。どこかでテンプレートを探してきました、ソフトウエアでパーツを組み合わせて、何かが完成しました。それを便宜上、なんとでも命名することはその人の自由だが、手法と目的がどこかで置き換わっている、まぁ、どこにでもある、よくある「交通事故」となる。そんなクリエイティブに対して高飛車に構える気持ちはさほどはありませんが、そんな私でも「あぁ~、これ事故ってるなぁ~!」というのがデジタルツールからよく創出されている。まぁ、言わば「大人のぬり絵」なんでしょうね。カタチにすることが楽しいみたいな。

 さて、100万曲と10ヵ国語の砂漠から一本の素敵な針をあなたは発見できますか?というお話。

日本酒仕込み微発泡梅酒「梅の酔」。

 ラベルとパッケージのお仕事での商品、微発泡梅酒の初仕込みをおすそわけしていただき賞味させていただいた。本来の日本酒仕込みの梅酒に専用マシンで炭酸ガスを混入した逸品です。これが上手い。夏場は最高だろう。梅のテイストもガッチリあり、炭酸の清涼感もガチでした。そのままグラスに注いで氷だけを入れて風呂上りに一杯。

 通常、晩酌など無縁の私がこの一杯の梅酒で20分後にはふらふら。どんだけお酒に弱いんやねん!ということなのですが、それでも心地よい眠りに誘われたという始末。まだ、市場には出ていないので、どこかで発見したらぜひ!

 圧倒的に日本酒より飲みやすいですし、女性諸子にはたぶんおそらくバツグンだろう。ちょっと寝苦しい夜な感じでしたが、コトリと落ちるように眠ったような気がします。朝も残らず快適に通常通りに起床できましたし・・・って、梅酒一杯で二日酔いになるか!いやいや、これが気を抜くとなるんですね、私の場合。という方にも美味しく身体にガチな梅酒の微発泡はオススメです。

 商品が発売開始されましたら、また、このブログで紹介させていただきます。お手頃な価格ですし・・・。

例えばこういうのだと・・・。

 例えばこういう15秒の映像だと、映像素材と音源素材を組み合わせてちょっと軽めに書き出すとこうなります。音源も8ビットのモノなので総データサイズが400MBちょっと。ユーチューブにアップするのにも5分程度でアップロード完了ですから、非常に簡単簡単。ほんと、映像配信の簡単な時代になったものです。あとは、コンテンツの創り込みをどうしますか?ということなんでしょうね。映像はほんとにオモロイ。

少しづつツイッターを。

 日常の機微をつぶやくことでリアルな何かがキャッチできる。このリアルタイム感が言わばツイッターの機能だろう。つぶやく人のリアルタイム感が時系列に更新される画面を見ていると、動いている人の気持ちが意外と伝導してきて見ている個体とすれば、まるでこの小さいデバイスやPCの中に自分だけの世界が広がる感覚。この機能をいかに活用するかはポテンシャル次第ということが基本なのでしょう。

 MIXIも最初の頃、一冊書籍を買って取り組んでみたがさほどハマらなかった。現在ではマイペースにボチボチペースになっている。FACEBOOKもしかりで、お誘いを受けダイブはしたが、まだ、さて、どうしたものかという感じである。に比べると確かにツイッターは機能的にはSNSよりも性に合っているような気がする。ツイッターの中に同じ趣味の人や同じベクトルの人を発見するとなんだかうれしいし、その人のブログを辿り、北海道や東京のボルダリング事情を読んだり、メンサ(IQ148以上のコミュニティ)の入会テストにトライした人の記事を読んだりすると、さすが、この情報のディテールはネットならではと共感を覚える。それが、ゴルフや釣りや山登りなどにしてもそうであるから、この共感をリアル社会で得ようと思ってもなかなか時間的な制約やコスト的な制限があるから、これこそネットならでは共感となる。

 と、情報の信憑性というか、情報の体温・皮膚感覚というか、そのあたりが共感を得るためのどうやら本丸だということなり、モノホンを知ることで得られる仮想空間のリアリティーとは、発信している人らしきSOMETHINGがそののびしろを決めているということなるのだろう。それを例えば仕事に適用した時に、どのようにしてその共感を得ていただこうかと考えることが、言わば、広告とか販売促進ツールの開発に深く連動しているように思います。これが、ネットの中でモノホン感のリアリティーを感じているケースと情報を発信してそのリアリティーを感じて欲しいというケース。立ち位置がこちら側とあっち側に分かれるもののそこを精査できれば、誰に対して何を訴求するかアピールするかが体感的に見えてくるのではないでしょうか。

 しかし、その場合のキモは発信者が高慢でも卑下しててもダメだということ。情報交換に置いて最大のルールはフラットであることのように感じます。水平なガラスの上に水玉が2滴落ちている。よほどこの液体の中に意志のある微生物が増殖していない限り水平面でひとつがひとつに向かうことはない。しかし、一方向から風が吹けばその水滴は同じ方向に移動するだろうし、水平面が少し傾けば同じ方向に流れ出すだろう。つまり、情報の世界の中では、水平であることが前提の世界なのか、風なのか傾きなのか、もしくは他の何らかの力が作用しているかで水滴は動くということ。最初は2滴でも、一筋の水の流れになり、大きな器に流れつけば水は蓄積される。それがバケツなのか、河川なのか、湖なのか、大海レベルなのかというこで、一滴の情報が体積を変化させるのだろう。リアリティーとは傾きであり流れであり風である。それを感じるのは人間が本来持っている平衡感覚や技能の部分。それが鈍かったり未熟だったりすると動きたい時に動けないみたいな、自分で自分のリミッターを解除できないみたいなことになるのだろう。

 誰もが自分自身を常に「活性化」したいと願っているはず。しかし、人生の中で体得・会得・獲得した数々の固定観念や先入観などのスタイルは時に活性化を阻むリミッターになる。そして、このリミッターが意外と気持ちいい場合が多い。さて、ツイッターとは最新のリミッターなのか、それとも、古き良きリアリティーの機能を装備しているのだろうか???

 で、最後の最後で自分のさじ加減ひとつだろうが、それでも、やはり、どこか隣の芝生は青い。

あとひとつ。

 今月はたくさんブログを書いたが、あとひとつだけとても気になっていることについて。それは、お仕事のこと。お仕事で活用しているソフトウエアについてですが、次から次へとバージョンアップをしやがる感じがこの頃富に早くないですか?ってこと。昔ならもっと長いサイクルでそれぞれのバージョンがそこそこ納得レベルの完成度があって、例えば、DTPソフトの代名詞的なイラストレーターはさすがに5.5はないが、8.0はいまだに現役バリバリで活躍しているし、機能自体も完成形だと思っています。そこからどんどん短くなるバージョンアップを繰り返して現在使っているのはCS4(14)。だけど、世の中はCS5.5(15.5)らしいが、なんで「CS5.5」なんやねん!なんでCS6.0やないの???そんなに短く切って切って買い換えて欲しい感満載じゃないですか!アドビさん!!!で、もう、何がどうなってるかについても興味がなくりますよ、そんな売り手市場な意識だと。とはならないのだろうか?やはり、パワーユーザーはこの短いバージョンアップにもしっかり追随して、「おお!そんな機能があるのか!」「おお、こんなことまでイラストレーターでできるのか!」「なるほどなるど、ここまでキタァ~!」って感じで満足満足なのだろうか???

 私的にはほんとDTPするだけなら8.0で充分。ロゴもイラストもDTPデータの作成もなんの不自由もなしなんですけど・・・。でも、世の中のニーズに答えてかどうか知りませんが、どんどん、新しいバージョンが出ること出ること。アップグレードしたらここまでもれなく・・・とか、このバージョンまでしかアップグレードできませんからお早めに!とかってなぜ、そんなに市場を煽るのか?市場がそほど沈滞しているという証拠ですよね。次から次へ新しくして使えないからセミナーをして、大手が最新版を活用するから、中小はついてきな!みたいなこと!?ついてきたいですが、先立つものがないので、私達は技術やセンスで最新バージョンに挑みたいと思っております。CS5.5のそれを8.0で創れる人は必要ないですよねCS5.5は?これってただのへそ曲がりかな???

1,000mmのリアリティー。

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 のみの市で発見した折りたたみ式のスケール。木製でなんとも味があり引きつけられて買ってしまいました。全部伸ばせば1mになるのですが、日頃、デジタルコンテンツばかり作成していると、1,000mmってただの数字でしかなく、プリントアウトしてもなんだか1,000mmに対するリアリティーは薄い。しかし、こうしてこうしてペコペコ伸ばして1,000mmという感じはやはりアナログツールならではの・・・って、別にって感じなのかもしれないですが、長さに対する知覚がアナログツールとデジタル表示では同じは同じでもなんとなく違うみたいな感覚があります。しかし、この細工たるやどんな行程を辿ればこんな完成品になるのか?竹は竹でもどんな材料のチョイスをするのだろうか?この1mm感覚のメモリはどうしてこの材料に刻むのだろうか?考え出したら止まらない。でも、そんなツールものみの市で叩き売られてしまう現実ってアナログからデジタルへの変遷における価値の失速という構図になってしまうのでしょうね。そういう意味で味のある木製スケールでした。

高周波減圧乾燥機

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 自然の木を建材用に加工する場合、生き物である樹木を建設資材として活用するために適正な状態にする必要があるらしい。生き物である木が自然乾燥する際に割れたり捻じれたりするのですが、それも想定して自然乾燥する場合は一定の時間が必要なのです。と、ここまでは専門分野のエキスパートでなくとも知っているだろうレベル。そこで、エキスパートはさらにその効率や品質を向上させながら、木の管理をしておられるのだと推察します。そのひとつの結論がこの機械なのでしょう。専門的な知識が少なくほんとに木についてはビギナーの中のビギナー。でも、いろいろなお仕事をさせていただきながら、見聞が広がるのは楽しい。自分の住んでいる家の一本一本の柱や階段の部材なども毎日なにげに登ったり降りたりしているが、そんなエキスパートの人達が手掛けた建材で自分自身の日々の生活が成立していると考えるとまず自然に感謝すると共にこうした様々なエキスパートのお陰に支えられていると知る。

 に比べて、福島の地の汚染度合は最低最悪。同じエキスパートでも雲泥の違いですね。月とすっぽんなどという例えも頭に浮かびますが、あの対応とテレビで観る人間性をすっぽんが観たら、それはそのよく動く口にどうぞって感じで、「噛みついてくださいレベル」でしょうね。

詳しくはこちらです。http://www.morian.co.jp/htm/kansouki.htm
 

カスタムカラー。

 印刷物でもWEBサイトでも大型テレビでもファッションの世界でも建築の世界でも日常生活の中でも配色というのは深く関係している。改めてWEBサイトの配色集みたいな書籍をリサーチするとカラバリのスタンダードの組み合わせが誠に整然と整理されている。

 例えば、「原色を使いこなすコツ」「淡色・純色を使いこなすコツ」「無彩色でまとめるコツ」「知的で誠実な印象を与える配色のコツ」「ゴージャスでエレガントな印象を与える配色のコツ」「ナチュラルで落ち着いた印象を与える配色のコツ」「モダンで洗練された印象を与える配色のコツ」「ポップで楽しい印象を与える配色のコツ」「キュートで親しみやすい印象を与える配色のコツ」「ロマンチックで優しい印象を与える配色のコツ」「さわやかで若々しい印象を与える配色のコツ」そして、「カラーユミバーサルデザイン」などの法則関連などなど。まぁ、見事に体系化してあるから、それぞれの配色パターンにはほぼ完ぺきなカラーリングが配置されていて、確かにその印象を受けることは認めてしまうことしきり。

 しかし、そもそも色相と彩度と明度で表現される配色の組み合わせはモニターや画材や染料などの成分上細かいミクロの単位まで分解すれば無数に等しい色の組み合わせがあり、人間の目の網膜で感知できる色の限界点や工業的に再現できる配色の限界点などがこれらのカラバリで規定されているだけで、それこそ、科学的に色を分析すれば色とはとてもとても奥が深い存在なのである。その世界と人間の心理を組み合わせて、商業や工業や芸術に展開してきた人間の歴史をひも解けば、そこには、からなず文化や歴史や慣習との深い関連性が存在する。そこが、旬なWEBサイトというテイで、モニターで再現できる色の深度となるから、大まかにフレーミングしておけば、まず、それ相当の適用が可能ということだろう。

 で、色について深く知れば知るほど~の部分、ひとこと「ロマンチック」と言っても、たぶん、日本人が感じる「ロマンチック」と、マダガスカルの人が感じる「ロマンチック」は異なるだろうし、日本の白のカラバリはたぶん一般的には5~6種類、しかし、アラスカや北欧の人の白は40種類以上あるらしい。つまり、暮らす環境やその国民性で色はどうにもで変化するということ。

 「カスタム=慣習」ということを根底に捉えれば、何かのプロダクツやツールを開発する際のカラバリのヒントになるのではないでしょうか。お仕事チックなお話になってしまいましたが、たかが色、されど色なのである。

ホビースタイルというコンセプト。

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 最近、販促ツールを作成させていただいた「ホビースタイル琵琶湖」様の内観写真。う~ん、素敵過ぎますね。昨今、本当にいろいろなライフスタイルがありそれぞの施主様のセンスやスタイルでいろいろな住宅が建てられています。自分の家を建てるという時、ご主人のご希望と奥様のご希望のパワーバランスが一番キモになるのでしょう。私の場合は家を建てるにあたり気になったのは構造の部分。配色や素材やっていうことはあまり気にならず、やはり、耐震性が一番気になり建築会社様を選択したような記憶があります。で、各部屋のレイアウトや壁や床やドアなんて部分はすべてカミさんまかせだったような流れでした。

 しかし、こちらのホビースタイル琵琶湖さんの家、まぁ~、素敵です。販促ツールのための写真撮影に2回ほど現場にロケにお邪魔して、撮影当日も朝から夜まで拝見しましたが、細かいところまでこだわりにこだわった素敵過ぎるお家でしたこと。最大のポイントはガレージなのですが、「ガレージのある家」なんて、自分自身の家づくりの選択肢に無かったので、おどろきのみの素敵なスペースでした。まぁ、1年に1~2回しか車を洗わない人間にしてみれば「ガレージ」が欲しいとなるはずもなく、会社の前に停めてある愛車など酷暑の夏も降雪の日も青空ガレージ。ウチの愛車がここのガレージを見たらなんとツッコまれることだろう・・・。親が選べないようにオーナーも選べないんですね。

 うん、素敵な印象に残る記憶に残るお家でした。

公式WEBサイトはこちらです。http://www.gallery-biwako.jp/style/

ワークスペースの整理整頓。

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 今日は天気がいいので、仕事場の整理と掃除をしました。とにかく書籍や書類や制作過程のプリントアウトやサンプルの印刷物などなどが氾濫して、「あれはどこへいった状態」に陥る場合が多く、整理をしなければしなければと思いつつ次の案件に着手してしまうサイクル。だから、当然、定期的に整理しなければ・・・なのです。「机の上は頭の中」ってことを肝に銘じて、仕事場を整理しながら頭の中も整理整頓。

人なりの不思議。

 結局、全ては人なりという不思議な方程式があるように思います。何事にも好奇心を持って仕事にライフワークに趣味にとパワフルな人の仕事はパワフルになる。キメが細やかでひとつひとつのストロークが強い上、根底にあるものがしっかりとしているから安心感があり信頼度が高い。一方、微弱な人。メンドクサイ人の仕事はそれに確実にシンクロする。何かの言動や行動でそれを感じる人には必ず何か原因がありそれが言葉やコミュニケーションにおけるディテールとして表出する。明確なのは金銭感覚。言いたいことだけ言って決済をできない人。たとえそれが1円でも1億円でも同じだろう。仕事とはこの信頼関係で成立しているから案件を起こしておきながら決済ができない人間はおそらく人生もそんな感じに生きてこられた結果だろうと推察するしか仕方ない。人間的にどれだけ知識が豊富で機動力があったとしてもここが緩い人は全てが緩い。最後の最後で信頼関係を築くことができな場合が多い。

 逆にプッシュの強い人、マイスタイルを確立している人は、言動も行動も思考も魅力的である。だから、人間に魅力があり様々なスキルとセンスを持っておられる。つまり、仕事についてもその分野で達人でありエキスパートな展開ができる人なのである。向学心に貪欲で世界を社会を空間を見極めることができる人。そういう人になりたいものである。

 世の中に対して否定的な考えを持っている人の軸は実は自分の中になく、常に自分以外のパワーバランスが気になる。だから、言動も社会や他人に対して否定的な言動が多く、決して、共感しようとしない孤立タイプ。天才的な素養があればそんな人でも何かシンクロできるような部分があるのだろうと思いたいが現世でそれを失っている人はたぶん来世で活躍されるのだろう。つまり、生を受けていながら、生を全うしていない人。何事も人なりの不思議がある。

 では、自分自身はどうか?他人は自分が映る鏡、リアクションで自分のそれがキャッチできないといろいろな展開が苦しく先細りの展開になる。最後はグランドゼロ。イーブンになることは時に有効な気分転換ではあるが、できればできれば、上のベクトルで何事も取り組みたいし、下降していると感じるならばどんなにカッコ悪くとも手足をバタバタ動かす感じでいいんじゃないだろうか。とにかくそんな感じで、何においても手足をバタバタしてきたが、まだ、この歳(47歳)になってもそれが足りないと感じています。登山道を歩きながらリフレッシュしながらでも、まだまだ、バタバタが足りないと後悔し焦り時間をどこまでも味方にしたいと願う。だから、リフレッシュには全然なっていないのですが、私の場合はそれで少しづつほころびを縫い合わせている感覚なのです。

 全ては人なりにでいいのだから、他人のことは否定も肯定もせずマイペースに生きたいものですが、社会との関わりの中で他人との関わりの中でしか自分自身のIDは機能しない。現代、ネット社会の構造はこのことがよりリアルに細分化されているように感じる。孤立するのは簡単、全てのデバイスの電源をOFFにすればいい。言葉を発さず目を閉じればいい。社会から孤立して霞を食って生きればいい。しかし、それでなかなか生命を維持することは難しいし、まして、家族がいるなら責任も伴うだろう。自分の世界の中で完結せずに動きながら考えていくことで場所を変え視界を変え動いている人が好き。そんな行動力と思考力のバランスのいい人に対しては自然と心を開けるものですよね。

「pencil」というソフトウエア。

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 最近ある書籍で紹介してたソフトウエア「pencil」これはWEBサイトを構想する際に、ちゃちゃっと構想プランを作成できるソフトウエア。まぁ、普通はイラレやフォトショップやFLASHでガッツリ作っているわっけですが、もっと簡単に全体のフレーミングをイージーに作ってしまいたい場合はこれが便利ですっていうお話。

 で、早速、アクセスしてダウンロード。さすが無料ソフトだけに軽い。なんかとても便利そう。で、ちゃちゃと作ったドキュメントが上記のような画面イメージです。英語版ってことでまだちょっと手探り状態ですが、たぶん、全ての機能が掌握できれば有効なツールになりそうな予感がしています。イラレの英語版にアタックしていた頃を思い出す。

 「時は金なり。」品質を落とさずに効率を上げるために猫の手も借りる的な感じ。少なくとも猫の手よりはなんかよさげである。

 いやぁ~、世の中にはたくさん便利なものが無料であるんですね。そもそも、CG系やグラフィック系やWEB系のソフトって高価なイメージがある。アドビのそれがスタンダードだから「仕方ないかぁ~」と思いがちだが、いやいや、無料で優良なソフトウエアは非常に多い。ソフトウエアの価格設定って多分、開発費用と広告費用でしょうから、そんなに頻繁にバージョンアップしなくてもいいので、販売開始してからある程度、開発費用と広告費用を回収したら無料にしてもいいんじゃないですか?アドビさん。インフラに連動するためにって、多様なニーズに適応するためにって、ブラッシュアップは必要でしょうし、その作業にコストがかかることは理解できますが、結局、アップルもそうですが、「便利の押し売り」をしているだけで、一定のパワーユーザーと呼ばれる層は反応していますが、それって何が「パワー」?って感じがします。結局、iPadに代表されるデバイスの便利さって「バナナのたたき売り」と同じ。そりゃ「美味しい美味しい甘い甘い」と連呼されれば買っちゃう猿もいるって感じ。

 よりも、アップルもアドビもデベロッパーなんだから、儲け過ぎない程度の設定値でお願いします。PCのフォントなども一時は高価な商品でしたが、もう、浸透して飽和してますから、ニーズが発生しない。予定調和なのかもしれないが、サービスのフレームを組み替えてもコンテンツの本質・品質は同じだからニーズが覚醒しないのでしょう。

 つまり、もう、手法や手段や方法を追いかける時代は終わりつつあるのでしょう。これがいい意味か悪い意味かは不明ですが、昇華・覚醒の時代がやってくる。「ハード」よりも「ソフト」、「機能」よりも「技能」、「知識」よりも「知恵」、「論理」よりも「実践」という意味での覚醒の時代へ。なんかそんな気がするのですか、これは老婆心でしょうか?だからさ、もう、ハリボテのxxxxx博覧会的なハード思考は辞めましょうよ・・・って感じ。文化や歴史に触れたいなら触れたい人と温めている人がONE TO ONEで繋がればいいじゃん。経済の活性だとか地域振興だとか雇用の創出だとかって、「文化や歴史なんて「甘いバナナ」程度・・・」の認識の人達が「美味しい美味しい!」と連呼しているようにしか見えません。本当の文化や歴史の創出や継承は絶対にバナナよりも美味しいと思います。まぁ、バナナ自体は美味しいのですが、きな臭くなると鼻につく・・・みたいな。

詳しくはこちら。http://pencil.evolus.vn/

仕事での「モットー」は?

 仕事においてのモットーや、常に気を付けていること、心がけていることは?という編集室からの質問に対してのQ。「他の人を思いやる仕事やサイトにしたいと思っています。少しの手間でハッピーになれる人がいるというのは素晴らしいですよね。」「利用者の立場で考える。」「できるだけ近視眼的な行為を避けようと思っています。常に、全体像を俯瞰して、長期的な視野で行動すること。」「情報の送り手側の都合を可能なかぎり排除したサービスを提供すること。でもそれは難しいです。日々、葛藤です。」「楽しく仕事すること。楽しんでもらうこと。仕事は人生の大切な時間を引き換えにしますので、せめて楽しくやりたいですね。」「見た目の美しさを追いかけないように気を付ける。造形的に美しくなくても、案件のテーマにマッチすることを優先するようにしています。」「自分にしか出来ない「らしさ」の表現。」とあります。いずれも、非常に論理的で感情豊かな解答です。非常にリスペクトの振幅が大きい。

 で、自分自身の仕事にたいする「モットー」は何だろうと考える。考えに至るまでのベーシックな部分を回帰すれば、私が幼稚園の頃、家の玄関には大きな冷蔵庫があり「豆腐」を販売していた。本格的なお店というテイではないが、親戚から仕入れて売っていた。子ども心に、ご近所の皆さんが、毎日、豆腐を買いに来られるのを見て、そして、祖母が豆腐を大切そうに水槽式の冷蔵庫から取り出し、お客様が持ってこられる小さな鍋に入れ30円とか50円を頂いている姿を見て、「豆腐」を通じてご近所の皆さまと繋がっている暖かい気持ちになったような記憶があります。また、夏場は夏季旅館をしていたので、いろいろなお客様が夏場だけ訪れ海水浴に行かれる。お客様が海に行っておられる間に、食事やお風呂や布団の準備をする。夜、蚊が多いと蚊取り線香を付けてお部屋に持っていく。宿泊している赤ちゃんが熱を出されると氷を持っていく。そして、海水浴を楽しんで帰られる時に宿泊代と食事代を支払って帰られる。微力ながらお手伝いに対してお金を貰える嬉しさは小学生的にはとても大きな意味や法則や価値があった。

 大学の頃、卒業が迫り、東京に行くことを決めた時、ふと、大学4年間で何種類のアルバイトをしたのだろうと振り返った。4年間続けたアルバイトもあるし単発のアルバイトもあったが、その種類は42種類は確実に覚えていた。ひとつひとつのアルバイトで雇い主や担当者の人にアルバイトの内容を指示されて仕事をしてバイト代を頂くという行為。目的は画材や専門書籍を購入するためではあったが、仕事として捉えると「社会の規範と触れることで自分自身の未熟な部分を覚醒させたい。」と捉えていたような感覚がある。嫌な仕事、好きな仕事はあれど、全て楽しかった。

 それが自分自身の「仕事」に対する気持ちのルーツだから、別にモットーは何?と聞かれてお茶を濁すことはどうにでもできるが、言及するなら、「社会との関わりに対して気持ちを開くこと。」なのかもしれない。現在、仕事のディテールは「デザイン」になったがその軸はぶれていないつもりです。

仕事の楽しさって?

 あるWEBサイト関連の書籍からの抜粋。「仕事の楽しさって?~WEBの仕事のおもしろさや大変な点を教えてください?」というQ。WEBデレクター達はこう答えている。「見えない相手の目的を達成させるための仕掛けづくりが楽しいです。」「思い通りに行かないことも多いですが、WEBサイトを公開する瞬間が一番楽しいです。」「変化のスピードに対応するのは大変かもしれませんが、新しい発想やアイディアを短期間で実現できるダイナミズムは大きな魅力です。」「仕様が決まっておらず、常に不安定な要素が多い点がおもしろいです。」「たった一人の個人デザイナーでも、チャンスがあれば、大企業の顔ともいうべきサイトのデザインができるのは大きな魅力ですね。」「紙媒体とは異なり、インタラクティブな仕組みや時間、動きを使った表現ができるのはWEBならではの楽しさです。ただ、数多くある環境に対応させるため、テストや確認作業に時間を取られるのが大変です。」「日々新しい技術が生まれ、それとともに表現の幅が広がるところが楽しくもあり面白くもありますが、その反面、常に新しい情報を取り入れ続ける必要があるので、そこが大変と言えば大変なのかもしれません。」となっている。

 つまり、「苦しさ」=「楽しい」という両刃の部分をしっかりと自分のスタイルに組み込んでひとつひとつの案件に対峙しているプロフェッショナルの皆さまの声だなぁ~と思いますね。ある、一定の技術や経験値があれば、ずっとそのスタイルでニーズを獲得し続けることができない面白さ。いつでも自分のスタイルを0ベースにリセットして再構築できるポテンシャルを持っているのか持っていないのか。世の中や人のニーズは対流し相互に伝導し合っているのにいつまでも同じ場所で同じ思考を守るタイプではこのループは実現しない。

 政治家の皆さまの仕事のディテールは知らないが、たぶん、ぶっちゃけて言えば、政治という仕事は楽しくないだろうなぁ~。仮に莫大な利権の綱引きをしているとして、仮に地位や名声や威厳を取り合うカードゲームだったとして、そのゲーム、勝っても負けても自分自身を浪費しているだけのような。意義のある政策や活動もそのポジションだからこその部分でしょうけれど、それは、別にあなた達のような人間がいなくとも実は成立するのかもしれないですよ。何も「ありき」でそんなに手持ちのバーチャルカードを浪費しなくともそのゲームを始めている段階で多きな意味では両者とも負けているような。まぁ、これはあくまでも「お仕事」という切り口のお話ですから、自分自身がそう考えるなら全うしていただければいいのですが・・・。

 で、楽しいですか?ってことです。もっと、別の使命感を芽生えさせる土壌がこの国に存在しなかったと言えばそれまですが、仮にバーチャルでもいいからイマジネーションの世界でもいいから、金魚すくいの金魚と小川のメダカの違いみたいな。

アクト電話帳広告完成!

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 総合出版さんにお願いした電話帳広告が完成しました。イマドキ電話帳広告ってどうなんだい!?となる感じもあるのですが、そこはベタでガチな部分としてこういうテイもありかなと久々に広告原稿を掲載お願いしました。ネット社会ってもすべてがWEBサイトで完結するはずがない。まことしやかにメディアはネット社会への啓蒙にいそしいがそこは広告の鉄板、電話帳ってことでアリかな・・・と。

うなぎ屋さんのタレ。

 昔からずっと営業しておられる料理屋さんで、もう何代も続いているうなぎ屋さんのお話。何十年も営業をしてこられてると、それこそ、戦争の時とか関東大震災の時など、お店が地震や火災の被害を受けて避難しなければいけない状況がいろいろあったそうです。そんな時、そのお店の先代様はかならずそのお店に代々伝わる秘伝のタレの甕(かめ)を抱えて避難されたそうです。自分の命が家族の命が危ないという危険な状態に銀行の通帳でもなく現金でもなく被災ツールでもなく、そのお店に代々伝わるタレの甕(かめ)をこぼれないように密封して抱えて避難したそうです。つまり、そのお店のご主人にとって命の次に大切なものが秘伝の味を継承してこられたタレだということ。う~ん、凄まじい職人・料理人スピリッツ。先代が試行錯誤して作り溜めた愛される味はいわばお店のご主人の命なんですね。レシピとしてのデータは頭にどこかに控えておられるでしょうが、それでは全然不十分なんでしょうね。

 そうかそうか、デジタル時代のコピー文化に情報過多なテクノロジー時代の効力が及ばないガチにリアルな宝物や財産とはそういう唯一無二の何かなのですね。例えDNAが解析され、人間の設計図が完成しても絶対に人間らしいものであり、人間ではない。SF映画のようなお話ではありますが、逆に人が培ってきた経験から現世に残っているリアリティーこそが唯一価値のある意義のある存在なのですね。この法則を理解していれば、それぞれの仕事の現場で何に取り組み何を残し何に意義を感じ何に邁進すればいいのかが見えてくるような気がします。デジタル・ネット・コピー時代に絶対に複製できないニュアンスやフィーリングやタッチやディテールこそが価値の中の価値なのでしょう。

 だからこそ、蒲焼きが美味い・・・と。世の中で一番好きな食べ物がこれなので、ちょっと、無意味にも大人気なくテンションが上がってしまった・・・。

タウンページ到着。

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 本日、タウンページが到着。この4月よりちょっと広告を出しました。これまであまり広告はしていなかったのですが、ある仕事仲間の方から、「けっこう、最近はタウンページからの問い合わせが多いですよ~。」という情報を頂いたので、それではということで、広告を出しました。インターネット時代にわざわざ電話帳広告って!?というパターンになりがちだったのですが、まだまだ、本当に困っている人って電話帳を調べるんですね。つまり、いろいろな端末が発達して浸透して活用される時代が来ても、それと連動・平行してこのようなアナログなツールも効果を生んでいるということ。改めて紙というメディアの情報の価値が普遍であることを感じました。

 で、これに連動させるためにも早くアクトのWEBサイトをどげんかせんといかんのです。あたりまえのことですがお客様の案件が何よりも最優先ですから、自分のところのWEBサイトのなど最後の最後ってことでずっと沈滞している始末。これではダメなんですが、時間は無限ではない。こんなブログで愚痴っていないで時間を捻出して手を動かせってことなのですね。

 タウンページも完成したことですし、そろそろほんまにガチなのである。何回かお尻に火がついて消えてついて消えてしているうちにお尻が炭化して石化している。そんなモノは捨てて、新しいお尻に火をつけよう~っと。

知層か・・・。

 東日本大震災関連情報番組の合間に流れる公共広告機構のCMの中、なかなか、いい感じのアプローチがある。ただ、それがいい感じ過ぎて怖くもある。裏で日本の半分が終焉を迎えようとしているのに・・・である。情報の正確性についてここで掘り起こしても意味も価値ものびしろもないから、つまびらかに「知層」について、真相との格差を感じたまま書き出したい。これが、真実が見えている人に届けばいいな。

 本や新聞を読む度に広がる世界がある。新しい世界は人にとって「知」の層となり豊な人生に繋がると言いたいのだろう。公共広告機構とはいったいどこを軸足にしているのか?そもそも、「知」があったとしてそれが層をなす、階層下に蓄積してなんらかの恩恵を及ぼすなら、「知」とは蓄積するだけの意義なのか?そうではないはず。しかし、それを「知層」と今、原子炉の真実をまるで階層下に封印しようとしていることを、言わば「知」に置き換えようとでもいうのか。真実はいつも時間と共に層を成し、それを人は礎にして生きているのだから、これを美しく風化させるためのfakeなのか?う~ん。

 そんなところで実態としての日本の経済構造に谷があったとは。フォッサマグナで分かれる東と西。もうそれは実は過去の「知」としてトップシークレットの文書のひとつになってしまうのかもしれない。それが誠に恐ろしい。しかし、現実はそこでは間違いなくカウントダウン状態なのか?時限爆弾の赤いデジタル数字のイメージ。

 豊かであることを「知」に置き換えるもよし、リアルを封印することを「知」に置き換えるもよし。そんな風にこのCMが流されているとしたら、それはとても恐ろしいことである。ただの深読みであってほしいものです。

引き出しづくり。

 世の中のニーズが多様になったとはよく聞くが、それは、商品の品質やコストの吟味ということでもある。デザインの場合この「商品の品質」ということが、印刷物やWEBサイトや映像コンテンツのクオリティーになり、コスト面ではイコール制作費ということになる。だから、一般的などこでも購入できるような印刷物や看板・サイン関係はバランス的に品質のよりもコストの比重が必然的に大きくなる。だから、例えばのぼりなどの作成をお願いされても、デザインはするがコスト面で、国内ののぼり制作会社様と競争するつもりはない。というかそこを目指すことができない。つまり、「のぼり制作会社日本一安いお店」にはなれないのである。「オリジナルののぼりを作ってほしい。」という依頼は受けるが、コスト面では必然的にどこかの日本一のぼりを安く制作する会社には絶対勝てないのである。この「多様なニーズ」の判断を見誤ると仕事として成立しなくなる。ここが一番の本丸。

 ならば、「コストもさることながら、ちょっとデザイン的に技術的にややこしいお話なのですが、一度、お願いできるかどうか聞いてください。」というご連絡は非常に嬉しい。何もあらゆるややこしいお仕事を100%完璧にデザイン・クリエイトできる自信があるからということでは決してない。そのほとんどが実際頭を抱えるようなご注文(ニーズ)の場合が多いので、一旦、ヒアリングの場では答を出さずに持ち帰る。そして、考えて相談して検討してそのニーズに対するアプローチや方法論を新しく創るのである。これまでそんなことばかりやってきたから、少し(23年分)ぐらいは経験値とノウハウがあるつもりですが、それでも、現代のニーズに対しては「引き出し」が足りないことばかり。だから、時間があれば「引き出しづくり」をしている。デザインの仕事に対する「引き出しづくり」とは?組織で考えず個人で得られる収集できる情報やディテールや感覚を一瞬でアウトプットできる状態にする訓練である。こう書くと非常に大袈裟なことのように聞こえるかもしれないが、これを仕事としてやっているというニュアンスになるとたぶんかなりのストレスになる。だから、このような思考や行動を心から楽しめないとこの仕事は無理。絶対に続かない。意外とヨコモジ仕事はジミで大変。

 で、本当に「ややこしい案件」や「こだわりつくしたご注文」や「技術的に高いハードル」をお客様から投げていただくことで必然的に自分自身の「引き出し」が増える。頭は抱えるが心の中ではニヤリである。これが癖になるといい意味でのサウンドバック状態が気持ちよく中毒になる。「どこからでも叩いてください。全部受けますから。」的な快感なのである。これは完全にMだとある社長様にご指摘いただいたが、まさになのである。でも、リングに立っている以上、どんなパンチを貰っても倒れません。そのタフさと能天気な明るさとフットワークさえあれば、クリエイティブデレクターという仕事は私の天職かもしれないですね。まぁ、打たれているだけれは楽しくないですし、時にはテンプルに重い右フックを入れたいですしね・・・。

 ほんと、無理難題を言って頂けるってことは心から嬉しいことだと思います。クリエイター冥利に尽きますね。