素人なんでも映画評論 アーカイブ

ローラちゃん

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 そうですかそうですか、すでに公開決定ですか。楽しみです。

万次さん。

 非常に迷ったのですが、原作を愛読しているファンとして、例え、世の中の評価が良くなかったとしても、この作品は観ておく必要性を感じ、心して映画「無限の住人」を観た。

 ほぼ、ネットに書かれている評価通りで、見終わって心が震えるような作品ではなかった。ある程度、予測・想定・覚悟していただけに、意外とニュートラルな心持ちで最後まで観ることができた。

 では、何故、原作のような感動や衝撃が映画にはなかったのか?配役や場面、セリフのやりとり、シーンのディテールなど、言い出したら止まらないぐらいの別物だった以上に、致命的なポイントが3つあることに気がついた。漫画原作のファンならこの3つのポイントは頷けるだろうが、映画を観ただけなら比較できないのでピンと来ないかもしれない。

 全ての登場人物に原作との違和感があり過ぎて、いかに原作がつくりあげた存在感が凄まじく秀逸だったかを改めて認識しながらも、何より、ポイントは「万次さん」である。背中の「万次」という文字のこと、隻眼の特殊メイクの処理品質、身長と体格、刀の構え方・打ち方などなどは言うまでもなく、原作の万次さんが絶対しないことを映画の万次さんは平気でやっていた。

 一つ目、万次さんは山道を走らない。

 二つ目、舌打ちはしない。

 三つ目、血栓虫にしゃべりかけない。

 この主人公の設定は監督が決めたのか、演出家が決めたのか、主役本人が決めたのか一般人には知る術はないが、原作を読み込んでいるのなら、この3つは絶対やってはいけないことだ。何故なら、これをやってしまうと万次さんではなくなるからだ。物語の進行上、致し方なかったのだろうが、それでも、移動の表現なら、カット割りで編集できるだろうし、セリフ回しも「舌打ち」を除くことはできる。さらに、「血栓虫」にしゃべりかけるってことは、それ自体に意味が生まれる。例え心の声だったとしても、セリフとして言葉として外に出てしまうと別の意味が生まれるのです。これら3つの判断ミスで、映画の中の万次さんは、原作の万次さんとは別物になってしまっている。日本の最高チームが映画製作に取り組んでいるはずなのに、肝心要の「万次さん像」が原作から継承できていないように感じた。非常に残念である。

 ハリウッドでワンピースが映画化されるらしいが、恐らくこちらも原作とは別物になるだろう。漫画が映画になるとき、かならずこのような不具合が生じる。この場合、不具合ではなく、興行作品として必要な要素であり改造ポイントなのかなとも捉えているが、それでも、原作を越えることはない。だから、実写版の映画作品を観る時は「絶対に越えないモノ」という覚悟が必要。

 現代では、漫画作品がテレビアニメ化・映画化・小説化されたりするのは一般的な流れになっているが、この流れが逆流することはなく、テレビアニメ・実写映画・小説が「後始末」「消化試合」のような状態・状況になっているのは、それぞれテレビ関係者・映画関係者・作家さんたちは容認しているのだろうか?それとも、この流れを逆行きできない差し迫った大きな理由が何かあるのだろうか。

 漫画作家のイマジネーションに俳優を割り当て、物語を再構築し、映像化することで、何故、ここまで全体的な存在感が劣化していまうのだろう。恐らく、監督や製作が真のファンではないから、演じる役者達が漫画作品を理屈で捉え、仕事として捉え、取り組んでいる以上、漫画作品を越える映画物語は生まれないのだろう。むしろ、それほどまでに「漫画」という表現方法は他に類を見ない孤高の表現手法なのだとなる。

 子どもの頃からそんな秀逸な漫画作品を身近に感じながら、リアルタイムで過ごせたことを今更ながらこの年齢になり本当に幸運だったと感じている。

 つまり、漫画作品の最大の魅力は「誰とも共有する必要がない」からなのだろう。それを、劇場で多くの人に観せるためにとか、広告(視聴率)ありきのテレビで楽しませようって理由がある以上、原作の「光っている部分」を失っても理論・理屈をカタチとして残さなければならないのだ。この流れに無理があるのだから当然といえば当然だ。

ブレードランナー2049

 28日土曜日、「ブレードランナー2049」を観てきました。

 僕が最初に「ブレードランナー」を観たのはかれこれ30年前、池袋の単館レイトショーだった。上司に連れられての初「ブレードランナー」だった。その衝撃の日からひとりでその映画館に3回通った。正直、映画に対する捉え方が大きく変わった。何がどう変わったのか?この部分、なかなか言葉にできない。すでに、世界中の多くのファンがそれについて多くの言葉を残し、いずれも共感した上で、僕には僕の「ブレードランナー観」があったからだ。この気持ち、未だに適正な言葉にすることはできないままだ。そして、「ブレードランナー2049」。「30年間」という時間の経過は大きな区切りでなのである。この映画製作に関わった多くのクリエイターにとっても、この映画を愛する多くのファンにとっても、「30年間」は大きな意味があり区切りだったのだ。僕の場合、それは23歳から53歳までの時間経過に過ぎないが、それと同じ時間がこの映画を愛するすべてのヒト達にも同時に流れていたということ。それが、映画館で「ブレードランナー2049」を観たことで完全にシンクロしたのだ。まず、その歓喜が優先してしまい、正直、まだ、映画本体に気持ちが入れていない状態である。あと、2回は映画館に通えば、映画の本質が少しだけ頭に体に心に入ってくるような気がする。

 公開日2日目、小さい劇場だったが、観客は僕を入れて6名。恐らく、同じことをそれぞれの個性で観点で捉えていたのだろう。

 そして、映画「メッセージ」からの「ブレードランナー2049」。なんとも贅沢なバトンである。

本日公開。

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 本日、映画「ブレードランナー2049」が公開。朝からソワソワしてしまいます。

「B.R.2049」明日公開。

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 映画「ブレードランナー2049」が明日公開です。

 心の準備はできているものの、ソワソワしてしまいます。

DVD「ARRIVAL」

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 当然、賛否両論はあるものの、僕のこの映画に対する評価は「あらゆる映画作品の中で1番だ」である。まだ、わずか1回しか観ていないので軽率な評価かもしれないが、見終わってからずっと激しい動悸が続いた。今も同じソワソワしている。確かにSF映画として、テーマである「言語」の捉え方に対して、各分野の然るべき専門家達からは厳しい評価を得たらしいが、創っていない人間はなんでも言える。僕の動悸が激しくなったのは、僭越ながらこの映画を「創った人」に同期したいと、少しでも同じ観点でこの作品を捉えたい、全身全霊で共鳴したいと願ったからだ。何をどう想定し期待しようが僕がこのような映画作品を創れる機会はないだろう。しかし、この映画に興味を持ちDVDを買い観てしまった以上、例えその確率が限りなく0%に近いとしても、0%ではないと信じたい一人の映画ファンの憂いである。

 確かに映画「CONTACT」はこの映画と比較するに値するし、今、思い起こしても「CONTACT」のあらゆるシーンが頭の中に浮かぶ。また、来週公開される同監督の「ブレードランナー2049」の源泉である「ブレードランナー」も、引いては「2001年宇宙の旅」にしても、この映画と比較してしまうのが当然だが、それでもそれでも「ARRIVAL」は勝る。

 むしろ、「勝る」「劣る」などと比較することすら意味がないと感じている。

 念のため、原作を入手しようと思います。DVDを観るまでひかえていた原作だけに、改めて原作を神妙に辿ってみようと思います。言わば「解答事例集」のような感覚で。

 「ブレードランナー」という映画はある意味「境界線(ボーダーライン)」で、決定的に観るヒトを二分してる。向こう側にはブレードランナーを分からないヒトがいて、こちら側には無くてはならないヒトがいる。優劣や正誤や好みという比較ではない。中庸なゾーンとしてこちらとあちらが存在しているのだ。そして、その議論は理論や理屈ではどうすることもできない程の決定的な存在としての境界線なのだ。映画「ARRIVAL」を観て、改めて、僕は安堵している。今後、この映画がひとつの大きなボーダーラインになることだろう。

 正に、何かを二つに切り裂く「ブレード」のように。

これ何だろう?

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 映画「メッセージ」のワンシーン。これ何だろう?

 DVDの到着が楽しみです。

40歳以上男性限定!?

 日本での公開に先駆けアメリカで「ブレードランナー2049」が公開されたが、興業成績はパッとしなかったらしい。

 また、日本での公開が10月末に迫っているが、恐らく「40歳以上の男性」限定になるだろうとネットで予想されている。僕もその通りだと思います。

 むしろ、この映画に反応する20歳代・30歳代がこの日本にいたとしたらそれは本物だ。何がどう本物なのか?残念ながらそれを言葉にすることはできない。「ブレードランナー」を感じることができない人間に言葉で共感を求めようなど言語道断。この映画、必ず映画館に行くが、どんよりした40歳以上の男性が静かに固唾を飲んで上映を待っている空気が想像できる。

 製作者は175億もかけたそうだが、恐らく、前の作品同様に35年かけて回収するつもりだろう。これが正しい映画のつくり方なのかもしれない。

目力(メジカラ)。

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 勿論、演技だとは分かっているが、この目力(メジカラ)強すぎる。僕は日常でも映画でも絵画でも写真でもネットでも、この目力に勝る目を見たことがない。Thank you, Claris.

 これは公式の大判ブロマイド写真(印画紙)です。

グルートがバヤイ。

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 グルートがとにかくヤバイぐらいに可愛い。かつて、これほどの可愛いキャラが登場した映画を僕は見たことがない。数多のキャラをブッチギリで抜き去り、先日、堂々の第1位になった。映画の第1弾からすでにその予感はしていたのだが、今回の第2弾作品でそれが決定的な第1位になった。セリフは「I'm groot.」のみなのに、なんで?なんで?なんで?

 ここで言及しておくが、慢性化している日本の「ユルキャラ」と世界を圧倒している日本の「アニメキャラ」全員が束になっても、グルートが勝る。あらゆる点で勝る。悲しいかな、日本の誰かがどうその才気をマックスにして挑んでも、この魅力的な存在を生み出すことは無理だろう。隕石とタイムパラドックスをレンジでチンした作品に浮かれていればいい。恐らく、ヒトの根にある生命力というか、生命に対する尊厳の強さがなければこのキャラは生み出すことができないと捉えている。「何をお前はそんな大げさな!」って罵られてもいいから、僕は真意をここで打ち明けている。もし、このテンションが伝わらないのなら、仕方なし。

 そんな時こそ、「I'm groot....」である。このニュアンス、伝わらないだろうなぁ。

2017.12.15

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 昨晩、SW-8の予告CMをテレビで確認。6までほぼ無視してきた映画なのに、7からリアクションが一変してしまいました。どうも僕は映画の好き嫌いを、ほぼ90%、主人公の俳優(女優)さんで決めている傾向がある。12月15日公開、非常に楽しみです。

ダフネ・キーンちゃん

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 また、新しい星が光を放ち始めました。という感じ。

DVD到着!

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 さて、ついに本日、待ちに待ったDVDが到着しました。

映画のセット。

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 数分のワンシーンを撮影するのにこのセット。映画が伝説になるには想像できないような撮影現場の苦労があるのですね。ネットでたまたま偶然に発見した画像1枚で、骨の髄までイマジネーションが刺激されました。こんなシーンの集大成なのですから、そりゃ伝説になるわけです。ため息が止まりません。

たまたま。

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 全く情報なしの状態でふと手にした映画にやられる時がたまにある。この「たまたま」にやられる時は期待しているもののニュートラルな状態だから、ガツンとやられると、かなりダメージ(良い)が大きい。ふいを突かれたと言うか、視界の外から何か強烈な一撃を喰ったと言うか。1日経った今も心がザワザワしている。当然、DVDは買いだ。近日中にDVDは届くが、次この映画を観るタイミングが意外と難しい。そんな映画「ある天文学者の恋文(原題:La corrispondenza)」でした。

永遠ですね。

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 確か「ブレードランナー」を初めて映画館で観たのは25歳。場所は池袋だった。当然、映画の封切りロードショーではなく、単館での再上映である。池袋の裏通りにある単館で、仕事終わりだったので夜だったし、今、振り返ると「雨」だった。だから、ここまで心を奪われてしまったのかもしれないし、SF映画の金字塔であることなども観たあとで知ったことだし、N,Y,のビデオ屋さんで英語版のビデオを買ったことなども重なり、いろいろな良いタイミングが個人的に見事に重なった作品なのだ。そんな良い映画を観るといつも「何故だろう?」と考えてしまう。この作品のどの部分が何故に心に響くのか?などを理屈ばかり考えてしまう。しかし、あれが良いからこれが良いからという思考の道筋ではなく、言葉や理屈になる前の感覚に確固たる「GOOD!」という感覚を意識したら、その実感を言葉や理屈に置き換えず、心に残っているその感覚をそのままキープするべきなのだ。

 デザインの仕事も同様に理論や理屈だけで取り組んでしまうと、感覚の部分を切り捨ててしまいがち。頭で「シンプル イズ ベスト」「引き算のセオリー」「ユーザビリティー」「グローバルデザイン」などと心地良い言葉に泥酔しないように注意が必要。だから、一番最初に来る(受ける・感じる)波のような感覚をその感覚のまま残すことを意識しなければならない。その蓄積しか良いつくり手になるルートはないのです。

 レイチェルの美しく脆い悲哀は何度観ても劣化していない。つまり、まだ、25歳の頃の感覚は劣化・退化・鈍化していない証だろう。レイチェルはそんな私の永遠の存在のひとつです。

ドクター・ストレンジ

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 同様に昨日からレンタル開始の映画「ドクター・ストレンジ」。マーベルの新作ということだけで期待値は上がるのですが、今回の主人公は「神の手を持っていたドクター」。「デット・プール」とは趣きやテンポやノリを変えたテイストの作品のようです。こちらもまったく内容とか設定とかはチェックしていない。「医術と魔法」をテーマにマーベルがどんな新しい世界を生み出したのか、とても楽しみです。

 ちなみに「マーベル」の意味は「驚異」「不思議」で、マーベルのスタイリッシュなところは「驚異」をただの「驚異」として描くのではなく、ノリの良い音楽や役者のキャラ、鉄板の定石を踏んだ上での意外性のある物語と、そのアレンジこそが「驚異」。つくり手のセンスや魅力的な作品を生み出そうとする能力の高さ加減がマーベル作品の真骨頂だと思います。

 恐らくこちらはレンタルは1周目以降になりそうな予感です。この映画作品のDVDは95%購入する予定なので焦らず、まずはレンタルでチェック。

奇妙な子どもたち。

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 6月2日金曜日からDVDのレンタルが開始されている映画「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」。チェックしているのですが、昨晩は仕事だったので本日レンタルしたい。恐らくさほど話題になっていない映画なので仕入れ数も少なめ。また、レンタル初日に借りようとする人も少なめだと予想しているので、2~3枚なら残っているはず。まったく物語のあらすじとか主演の女優さんはチェックしていないので、バートンの世界を堪能したいと思っています。

 しかし、映画のCMを少し観た印象は「奇妙な子どもたち」が実に奇妙だったが、何故、この時代にこの奇妙さを描くのか?どういう設定でどういう物語の展開なのか?そして、バートン監督は観た人たちをどこへ連れていってくれるのか?奇想天外で予想不可能な「奇妙さ」が展開していくのだろうと期待しています。

落ち着く壁紙。

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 映画の公開情報を知ってから検索して入手した壁紙。仕事用のメインマシンのモニターに貼り込んでいます。この壁紙、とことん気持ちが落ち着きます。

理屈抜きに。

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 理論・理屈を抜きにしてカッコイイって、とても大切なことです。

お気に入りキャラBEST3

 僕が観た映画に登場した「人間以外登場キャラ」のお気に入りベスト3です。

 まずは、番外編でとにかくインパクトがあったキャラ。「祟り神」
 「もののけ姫」という作品を根底から支えている強烈な存在です。あの森から登場するシーンはちょっとやそっとでは忘れらません。「獅子神」よりもインパクトがありました。

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 そして、お気に入りキャラベスト3です。

 第3位は映画「トイストーリー」のバズライトイヤー。
 あの頑固さと正義感。しばらく落ち込んでいたのが、あるきっかけで元気に戻るシーンはとても感動的でした。
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 第2位は映画「ベイマックス」の主人公の介護ロボット。
 この人も「頑固さ」と「誠実さ」を失わなないタイプ。愛する人のための自己犠牲の精神と、献身的なふるまい。そして、不思議な言動(思考回路)。愛すべきキャラです。
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 そして、第1位は映画「ガーディアンズオブギャラクシー」の「グルート」。セリフは「I am groot.」と「We are groot.」のみ。強く逞しく、まさに大木のように一本筋が通った誠実さ。エンドロールのダンスは可愛すぎる。
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 このGWから続編が公開されている。この作品はどんどん続いてほしいです。

映画「無限の住人」

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 この29日に映画「無限の住人」が公開される。

 特筆すべき、いや、見入るべきポイントはひとつだけ。市原さんの「尸良」である。

 恐らく、この映画の魅力はここに集約されている予感がします。プンプンと。

 市原さんはこの「尸良役」で、過去のどの作品よりも縦横無尽にハジけているに違いない。

 もう、そうなったら主役だろうがヒロインだろうが関係ないだろう。確かに「BOX」はハマっていたが、この「尸良」と比較したら比較にならないだろうと。このタイプの俳優さんがほんとに少ないから、市原さんをスクリーンで観るたびに、いつか「七人の侍」をリメイクする際は、ぜひ、市原さん主役でお願いしたいなどと考えてしまいます。

エピソード8

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 映画「スターウォーズ・エピソード8」で新しく登場予定のキャラだそうです。

 しかし、絵力が強い。

映画「無限の住人」

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 映画「無限の住人」、賛否両論のようですが、期待せずにはいられません。

 ただ、一番大好きなドウアちゃんがキャストにいないのが寂しいです。

 逆に、ほっと、ひと安心。

映画「ローガン」

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 またまた、ローガンで映画がつくられた。いろいろなX-MENあれど、何故、ローガン(ウルバリン)なのか?ただ無敵だから、不死だからという設定がその理由ではないような気がします。勿論、ヒュー・ジャックマンだからという理由も大きいだろうが、それ以外に何かもっと大きな、私たちが気づかないような理由があり、つくり手はそれを知っているのです。悔しいかな一般ユーザーにはそれが分からない。分からないから観たくなるのだろうし、その理由が分かってしまえば、面白くなくなるのかもしれない。複雑な心境です。だから、とにかく観なければ始まらないのです。それが好奇心を刺激する芯の部分なのだろう。

映画「無限の住人」

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 すでに賛否両論が飛び交っている話題作、映画「無限の住人」。私自身も以前、ブログで書いたとおり、この実写映画は否定的だった。とにかく万次さんが木村さんだと聞いて、意識が遠くなりかけました。が、さて、実写映画ありきと捉えると、他に万次さん役がいるのか?という疑問が浮かぶ。あくまでも沙村さんがその漫画作品の中で生み出した主人公。「不死」を演じることができるのは、意外にも木村さん以外に思い浮かばない。この捉え方には「良い解釈」と「悪い解釈」があるのですが、実写映画ありきなら、万次さんは木村さんが適正なのだと、今は感じています。

 背中がかゆいなぁ~、手が届かないなぁ~、だいたいここら辺かかなぁ~と手を背中に回して痒いかなと思ったところをかき始めると、その場所が痒くなる。すると、その周辺が痒くなり、次第に痒みが背中全体に広がる。そんな感覚です。

 よりも、市原さんが、とことん楽しみ。ここはかなりヤバイと思います。

映画「エクス・マキナ」

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 圧倒的な視覚効果の裏にある重く大きく深いテーマ。とても素敵な映画作品でした。

ライアン・レイノルズ。

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 昨晩、映画「デットプール」を観た。ひさびさに連続して2回観た。しっかりキャラを創り込んだ上で、テンポも設定も展開も良かった。ああ、こう来るのかと。アメリカの映画づくりの根底に流れている魅力を体感できた最高の作品だった。

 このノリ、X-menともアイアンマンともスパイダーマンとも違う、新しいノリである。今夜も恐らく観るだろう。ライアン・レイノルズ、ほぼ最高である。モラル的に倫理的にちょっとづつ違和感があるが、それがまたマイナスになっていない、そこがほぼ最高なのである。

映画「ジェイソン・ボーン」

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 最近、映画「オデッセイ(火星の人)」を観たところなのに、マット・デイモンが主役をする映画のサイクルのタイトさとレベルの高さが尋常じゃない。次から次へとこのレベルの高さをキープする俳優さんは他に思いつかない(とことんファンなのだから仕方なし)。この夏、最も楽しみな映画です。

GRAVITY

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 昨晩、地上波初の映画「GARVITY」をテレビで観た。

 SF作品で海外では高い評価を得ている作品である。「オデッセイ(火星の人)」が記録を抜くまでは、この「GARVITY」が興行成績記録第1位だったらしい。ここまでの情報を意識し、いよいよテレビで観戦しようとした矢先に、「誰だ!お前は?」的な男性アナウンサーと俳優が「「GARVITY」」について語り出した。しばらく聞いていたが、見事にトンチンカンでナンセンスな説明内容に怒りさえ覚えた。それはこれから私達が映画を観て自由に感じる部分だから、それを改めて、映画が始まる前に何故ベラベラと語り始めるのか?その目的は何?SF映画だから、予備知識として、映画の魅力をご丁寧に噛み砕き、要約してくれるのか?その判断はテレビ局のプロデューサーの見解なのか、構成作家の意向なのか、そういうコンデションづくりが必要だと安易に軽率に誰かが判断した結果なのか?それとも、この俳優をたてて関連映画作品、もしくはテレビドラマの宣伝をしたいのか?いずれにしても、ポンコツ過ぎる。まったく必要がないこの冒頭の説明に、15秒でチャンネルを変えた。恐らく、この二人が映画を語り、おまけに番宣をしたとしても3分が限界だろうと判断して、3分間別のチャンネルに切り替えて、怒りを鎮める。そして、チャンネルを戻すと、まだ語っている。再度チャンネルを切り替えて30秒。チャンネルを戻すと、満足そうな二人は「さぁ、映画をお楽しみください。」というシメの部分だった。まったく、必要のないカットである。テレビ局も相当迷走しているものだ。

 ポンコツ二人の無駄な時間のことは忘れ、「GARVITY」に集中した。

 しかし、当然のこと、いい場面の展開中にCMが入る。ほんとにいい場面でトンチンカンなCMが入る。テレビだから仕方なし、なのだけれど、何故、テレビメディアが退化してしまったのか、この流れが原因だと改めて感じました。秀逸なSF作品に対して、余計な切り口で無駄なカットを入れ、世界最高峰の映画陣がつくり上げた作品を15分単位でぶつ切りにする有様。大好きなSF映画だったので、最後のシーンを観終え、「もっと楽しめたはずだ」と感じてしまいました。

 さて、今日は「GARVITY」のDVDを借りてこよう。「字幕なし」、「英語」で楽しもうと思っています。

 余談ですが、最近、テレビをつけると、ほぼ100%、芸能人がどこかで料理を食べて「美味しい」としか言っていない。まぁ、高そうな料理だから美味しいのは分かるが、「それがテレビ電波を使ってわざわざ伝えたいこと?」「それだけ?」とツッコミを入れてしまっています。

 最近、テレビの中に登場する人達の言葉や理論や論理やふるまいがあまりにも貧素・貧弱で、テレビ文化の劣化・退化はこのように進行しているんだ、などと感じています。

 さらに、AKBの総選挙の季節らしいが、彼ら彼女達のゴールはどこなんだろう?

 また、LINEが第1部に上場した、F.B.を超えるサービスを提供していくらしいが、さて、「超えて」どうするのか?こちらもゴール設定が分からない。ガラケーがあと数年で製造中止になって、第2期スマホ時代が到来するらしいが、それでも、私はスマホ以外の端末を探し出したいと思っています。

 映画「オデッセイ(火星の人)」の原作小説が届くのが待ち遠しい。

デイジー・リドリーさん

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 正直、過去のスターウォーズ6本はDVDを買う気持ちにはなれなかった。「フォースの覚醒」を観た上でも、「1~6巻」を揃えるつもりは毛頭ない。でも、「7巻」はどうしても欲しかった。理由は唯一、ヒロイン、デイジー・リドリーさんが素敵だったから。この感じ、あの、かの、「スターウォーズ」が食われていたような、完全に飲み込まれてしまっていたような気がします。恐らく私が根からの「スターウォーズ」ファンではないからだろう。

リスベット・サランデル

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 昨晩、「ミレニアム4」上下巻の上巻を読み終えた。物語の内容についてお話することはしませんが、正直な感想は「リスベットのキャラが少し違う」という感覚です。上巻のあとがきには、ミレニアム4の企画が発生した段階からの経緯がありましたが、ラーソンの死後、ミレニアム4と5の下書きがパソコンの中から発見されたが、それを完成させることは難しいと判断し、新たな作家を厳選し、ミレニアム1・2・3を熟読した上で、彼が新しいミレニアム4を再構築したと書いてあった。そして、この企画は今後5・6へと展開が予定されているとのことです。

 映画では、ノルーウェー版1・2・3とハリウッド版の1「ドラゴンタトゥー~」があるわけですが、すでに映画「ミレニアム4」企画がこの原作を元に進行中のこと。2と3の映画企画もまだ生きているということも追記してあった。当然、ハリウッド版の2・3も観たいが、さて、映画「ミレニアム4」はどんな作品になるのでしょう?などと期待が膨らみます。

 さて、ミレニアム4のリスベットへの違和感は具体的にどのような部分なのか?

 ここでも本編に触れることはできないので、詳細は書きませんが、「ラーソンだったらこのテーマを選ぶのだろうか?」という疑問と連動するリスベットへの違和感です。キーワードは「特異点」。

 「特異点」については、私は数学や物理や天文学の専門家ではないので、あくまでも「かじりレベル」ですが、2050年のシンギュラリティのことが頭に浮かびました。非常に大きなテーマです。世界重のあらゆる起業家や研究者がそれぞれにこのテーマに取り組んでいることは、新聞や書籍で私のような立場の人間にも理解・掌握できます。それが具体的に日常生活や自分の仕事にどう作用するのか?などは途方もなく崇高で想像の域を超えることはできません。しかし、それは必ず実現されるだろうという予測はできます。2050年ということは私は85歳ですから、もうどうでもいいジャンルのお話になっている可能性が高い。でも、この動向が加速し世の中がそうなれば、それは良いことなのか悪ことなのか?と想像力が高揚するのです。

 話は少し逸れますが、宮崎監督が「ナウシカ」の連載を完結されたのが1994年。当時53歳でした。テレビのインタビューなどで宮崎監督が「ナウシカ」の原作を制作されたのが40代の頃だったと知り、その頃の世界を宮崎監督はそんな風に捉え、未来を想像し、非常に大きなテーマを掲げ、「ナウシカ」を完成されました。ラーソンも他界された時は50歳でした。ということは、人は50歳を超えたあたりから、想像力のスイッチが覚醒するだろうか?という感想です。

 勿論、50歳になったから誰でも自然に入るスイッチではなく、20代から40代まで然るべき思考と行動に精進・邁進した末に獲得できるスイッチですから、それまで人生をサボっていては自分の中のスイッチすら持ち得ることはできない。人生を仕事を生活をしっかり積み重ねてきた人だけに与えられるスイッチなのだと思います。

 実はミレニアムを書店で発見した時はあまり興味がありませんでした。他にも読みたい書籍がたくさんあったので、気にはなっていましたが、購入には至りませんでした。結果、1・2・3の上下巻計6冊を買ったのは映画「ドラゴン~」を観てからですから、後手になっています。

 ひとりのつくり手が生み出したキャラクターに心を奪われることは、他の小説や映画でもありましたが、その中でもリスベットは特別席に鎮座しています。自分の中で勝手に映画や小説を観て創造した「リスベット」と、新しく再構築された物語に登場している「リスベット」。当然、書き手が違うのだから仕方ないと言えばはそれまでですが、この違和感の意味が下巻で完全に払拭されることを、今は期待しています。

ラプトル君

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 印象的な映画の中には必ず印象的なシーンがあり、そのシーンに至るまでの物語の展開がそのシーンに向かって加速し、そのシーンからつくり手の言葉にならないメッセージが拡散していきます。過去に観た多くの映画の中にも「このシーンこそがこの物語の中心だ!」と勝手にチョイスして、映画を楽しんでいます。

 最近の一番はやはりラプトル君。バイクでいっしょに疾走するシーンではないのですが、ラストシーンで登場する、あの勇敢に疾走するシーンは何回観ても心が跳ねます。ということで、DVDを買うことにしました。恐竜モノってことだけですでにお腹はいっぱいなのですが、その中に心が跳ねる名シーンがあるとなれば、このDVDはマストです。

 つくり手の中にこの映画を構想する最初の段階で、恐らく(勝手に)このシーンが明確に浮かんだのではないでしょうか、などと妄想気味の憶測を巡らせています。これも映画鑑賞の楽しみ方です。

70歳。

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 とにかく、DVDが到着するまでにネットで読んだレビューの通りでした。

 いやいや、デニーロが素敵過ぎる。

 映画の中でデ・ニーロは70歳のインターンなのですが、存在感があり、おしゃれで気が回り、若者からの信頼感がある。決して、特別な能力や才覚に恵まれているわけではないのですが、素敵な素敵な70歳なのです。あと20年もすれば、私も確実に70歳になるわけですが、こんなに素敵な存在でいられるのだろうかと、とてつもなく不安になりました。この映画のデ・ニーロが演じた役柄をお手本に、誠実で丁寧な歳のとり方ができるよう努力したい、と感じた映画でした。

 当然、デ・ニーロが素敵であれば、アン様も素敵。「プラダ~」の時のメリル・ストリープとは逆の立場だとしても、アン様への共感はインターステラー、ONE SONGを経て、さらに強固になりました。映画を観てこのタイプ(種類)の気持ちになれたのは、「スタンド・バイ・ミー」以来です。なんと言いますか、言葉にするのはとても難しいのですが、「人生は過剰に飾らなくてもいいんだな。」とか、「挑戦・探求はし続けなければならないが、無謀・無理はしないほうがいい。」という気持ちです。

 自分が70歳になり、どこかの若者から「10年先の自分へ何か一言ありますか?」と質問された時、私ならなんと答えるのだろう?まっすぐ若者の目を見て、「Be yourself!(お前らしくあれ)」ですと言えたらいいな。

祐真キキさん

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 「ヒーローズ・リボーン」楽しみです。

不屈の男。

 アンジェリーナ・ジョリー監督の「不屈の男 アンブロークン」という映画があるらしい。

 あらすじは、元五輪選手の主人公が太平洋戦争で赴き、洋上で墜落。飢えとサメの襲撃に耐えて47日間漂流し、その後、日本軍の捕虜となり理不尽な暴力を受ける。しかし、戦後はその暴力を許し、80歳で長野五輪の聖火ランナーに参加するという物語である。日本軍の捕虜虐待が描かれていることから、「反日的」という捉え方がされ、日本国内での配給・興行が検討されていたらしい。政治的な背景よりも、人間ドラマとしての和解をテーマと解釈し一部の芸術系の配給会社が単館で公開するらしい。

 情報化時代、世界がひとつになったと連呼していても、その情報はどこかで誰かが主観的な意図や理論理屈で選択しているのです。ビックデータが表層に漂う無味無臭の浮遊物だとしたら、情報の真価はどこにあるのだろうか?というビッククエスチョンが頭に浮かぶ。それは、大海を悠然と泳ぐクジラのように人知を避け、自由にどこかを回遊しているかもしれない。

 映画表現ひとつ、まだまだ、国境(文化圏)の目に見えない壁は高いのです。

キャットウーマン。

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 「キャットウーマン」のスピンオフ企画もあるそうです。ぜひ!実現して頂きたい!!

フォースと共に。

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 第1話(4話)の公開から40年が経過し、現在第7話(7話)になる映画「スターウォーズ」。だから、フォースと共にあれというよりも、僕の人生が「スターウォーズと共にあった」となります。さすがに11歳の頃に第1話をリアルタイムで観てはいないが、この作品の誕生から現在に至るまで「宇宙映画=S.W.」というベーシックな部分は揺るがない。この「揺るがない」という捉え方には、その他のSF映画と比較してどこか何か「モノタリナイ」という捉え方のニュアンスが含まれるのですが、正直、好きか嫌いかで判断すれば、S.W.以外に好きな作品は多くあり、嫌いか?となれば絶対的な存在感がそれを許さないとう不思議な作品。まして、定番などと評価することさえもできない。好き嫌いという判断で言えば、「嫌いになどなれるはずのない作品」なのである。だから、「共にあった」という捉え方になります。

 昨晩、第5話をDVDで観たが、その気持ちは当然揺るぎようがないほどの圧倒的・絶対的存在でした。その不動の鉱石、シンボル、ダイヤモンドがこちらの「ヨーダ氏」。この物語の中核的存在です。この存在を描いている映画は少ないように感じますし、よくぞ「ヨーダ氏」を生み出したとさえ、なのです。人間のイマジネーションが生み出せる成果物の中でもこの「ヨーダ氏」は飛び抜けて至高で特別な存在なのです。

「スターウォーズ7」本日公開。

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 自身が学生の頃から始まった物語。宇宙を舞台にした壮大なテーマだけにいろいろな捉え方ができますが、魅力的な物語であることは間違いない。ある意味、このタイプの映画=スターウォーズという鉄板スタンダードだけに楽しみです。宇宙をテーマにした物語をどこか懐かしさと合わせて楽しめるという、非常に秀逸な作品だと捉えています。

京都大火編。

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 映画「るろうに剣心~京都大火編~」で登場した土屋太鳳さん。この映画、従来のもっちやりした時代劇の枠からかなりいろいろなモノがはみ出している。エンターテイメント、アクション、登場人物、物語の流れ、主人公の魅力などなど、時代劇である以上に何かどこか大きく深い。漫画が原作だということについて、イマドキの流れだと言ってしまえばそれまでですが、それにしても、他の漫画原作の実写映画化とは何かがどこか、トビヌケテイル。

 テレビで第2弾を観た段階で、今週、第3弾が放送されるわけですが、見終わったタイミングでその何かについて自分の中で一回整理したいと思っています。

 物語の中には刀を扱う侍と銃を扱う警察官が登場するのですが、混迷の時代、多くの血が流れた日本の歴史をロマンチックに描きつつも、第3弾でその物語がどこにたどり着くのかとても楽しみです。映画自体はヒットしたそうですから、多くの方が劇場でこの物語の魅力を大いに吸収されたという証です。しかし、銃を撃つ日本人の姿はしっくりこないのに対して、刀を握る日本人は絵になる。人生で1回だけモノホンの日本刀を握らせてもらった経験があるが、とても、映画のように振り回せる代物ではなかった。それに、日常生活であんな武器を常に腰にさしている人が生活していたという文化もおどろきである。どんな映画でも戦いのシーンが見事に作り出されているが、実際、その時代、刃を交えるというモノ同士の心境については、私には全く想像できない。まして、一方は刀、一方は銃で対戦する多くの軍勢がぶつかりあうシーンなども、実際、同じようなこと、それ以上のことがこの日本の国内いたるところで起こっていたと思うと、現代の日本とは凄まじい歴史の上に成立しているのだと思った。お互いの武器と武器で殺し合うということについて、まったく無縁の生活をしている現代、刀や銃は何に置き換わったのだろう、などと考えながら第2弾を観ていました。

 いまさらながらではありますが、第3弾、とても楽しみです。

 タケルさんも素敵だが、さすが、フジワラさんもその存在感を極めておられる。

CHAPPIE

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 「期待通り」「期待以上」という言葉が随所にちりばめれた作品でした。青天井に「期待」していた映画だったにもかかわらず。ここで「これほど」と表現してもどれほどなのか曖昧になってしまいますが、人工頭脳を使ったSF映画への私の期待は、「この作品がはじまりでした」と限定できるほど安易ではない。いつしかどこかで心の中に入り込んだ種が複数の条件が微妙に重なり発芽した期待であり、デザインの仕事に長年携わってきたエネルギーや探究心と同じレベルの期待、つまり、発芽した後も丁寧に親愛を抱きながら育成してきた期待だからです。

 例えば、「ブレードランナー」という栄養素は大きな作用・影響・効用があり、どんな状況でもその物語の全容がフラッシュバックするほど強力な栄養素だったし、「2001年」などは思考の感覚がマヒするぐらい、痺れと震えの先にある感覚レベルのカンフル剤でした。これらの要素がベースにある期待だから、「期待以上」という評価は相当な秀逸レベルなのです。アシモフ・セーガンからクライトンまでサイエンスを巧みに操る美学に心を奪われてから、私の古典はSFになりました。最近、ダビンチが描いた解剖図の緻密さや、その頃、研究され仮説をたてていた科学・医学・解剖学の分野の自然に対する分析力・洞察力の痕跡の一部分を見つめながら、例えば、骨内部の繊維構造情報が現在の建築物の構造に活用・転用されていることを彼らの作品の中で知ると、科学以前(以外)の書物の創造性の比率がいかに高く言葉の先にあったことを曖昧にし、頭の中にあった思考から事を始めているかに気づく。歴史とは視覚情報の正確無比な複製から起こるべきだった流れを、複製技術が伴わなかった故に思考に依存した結果となり、当然、その史実は曖昧に同じ場所を繰り返し輪廻している捉え方になる。当然、同じテイストの思考が生まれ続けるわけですが、科学はその輪廻にメスをいれた。正確に刻印し私情を排除し残すこと、残ったことからイメージを膨らませ仮説を組み上げていったのです。その一部がSF作品なのです。「これほど」の期待に応えるに値する映画だったと私は捉えています。期待以上でした。

 ハリウッドでも超有名で一流な俳優さんが2名登場しますが、それぞれのイメージとは異なる、ヒールな存在がまた秀逸でした。詳しくは映画をご覧ください。

ボーン・プリズナー

 ええ、「auCM雪女予測」に引き続き第2弾の「なんでも勝手に予測」シリーズです。

 昨日、映画ボーンシリーズの第5弾のクランクインが開始されたという記事を知り、ブログ記事に書いたのですが、まだクランクインだというのにひとりで期待値が高まり、タイトルを予測してみました。「アイディンティティ」「スプレマシー」「アルティメイタム」「レガシー」ときて第5弾ですから、シリーズの流れを継承しながら、新しい展開・設定・物語を展開してくれるでしょう。シナリオ・脚本も世界の一流が最高の手腕で仕上げているのでしょう。

 そんな第5弾のボーンシリーズですが、素人映画ファンなりに精一杯イマジネーションを起動・発動してタイトルと物語設定について推測してみました。これも素人ファンならではのレアな楽しみ方として稚拙な推察をお許しください。

 タイトル予測は「ボーン・プリズナー」。プリズナーは囚人の意味ですが、ちょっと第4弾の「レガシー」に引っ張られていますが、あえてその流れで法的な部分を掘り下げる物語ではないかと推測します。そもそも主人公のボーン自身の設定が特殊部隊なので、法律の外の設定です。しかし、暗い過去は一旦、アルティメイタムで終焉を向かえ、レガシーではちょっと消化不良な中途半端なノリになった。それをこの第5弾でギュっと絞めて絞り込む必要があると思います。まるで、アルティメイタムのトイレシーンのタオルのように。

 そこで、設定としてボーンは闇に消えたつもりが過去の後悔に日々苦しんで、計算の上で、他人の設定で軽犯罪を起こし刑務所に入ります。履歴も経歴もない状態で軽犯罪の初犯として服役しています。そこへ、以前、ボーンに攻撃を受けた、ドバイあたりの富豪がボーンに恨みを抱いていて、ふとした些細なきっかけからボーンがある刑務所で服役していることを知り、そこへ暗殺者を進入させます。出所まじかのタイミングでボーンは暗殺者を返り討ちにする。しかし、それが富豪からの刺客だと知らない刑務所の所長はただの囚人のいざこざと処理し、ボーンの出所を取りやめる。その事件をきっかけにボーンの存在が上層部にばれて刑務所の中でのディープな戦いが始まる。そこから逃れるために過去の相棒に連絡を取り、新しい組織との戦いが激化する。つまり、ボーンは刑務所の囚人であり、アメリカの国という大きな刑務所の囚人であったという物語で展開していくのかなという意味のタイトル背景です。

 いやいや、コウトムケイな予測・推測でした。

 恐らく、タイトルは今年の年末頃に公開されるでしょうね。楽しみです。

ジェイソン・ボーン第5弾。

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 そうですかそうですか、第5弾がクランクインですか、楽しみです。

 シリーズモノといえば、ミレニアムの第2弾と第3弾はどうなっているのでしょう?すでに、2本ともクランクインしていて、第2弾を公開して間髪入れず第3弾みたいなことだったりすると嬉しい、嬉し過ぎなのですが、そんな情報はまだどこにもなさそうです。

 そりゃ、S.W.もJ.P.も、かのM.M.もシリーズ展開しているのだから、ミレニアムをつくらないはずがないと、などと、思っています。

「SONG ONE」と「JUPITER」

 お盆休みはこちらの2本の映画を観ました。「SONG ONE」の制作費は7.5億円。一方、「JUPITER」は200億円。制作費用が映画作品の価値に比例しないことは言うまでもないが、自分本位に捉えると、心に響いたのは「SONG ONE」でした。
 当然、双方に世界のトップクラスの映画人が関わった作品であるにも関わらず、素人がそう捉えてしまうって、映画産業の難しさ、つまり、映画を観る人が多種多様であるゆえの難しさとなってしまうのです。7.5億円にしても、200億円にしても、まったく自分自身のビジネススタイルやポテンシャルとは無縁の蜘蛛の糸、いや、雲の上なので、大介、いや、次元の違う世界のお話とはいえ、映画ビジネスって難しんだ、成果物(プロダクト)をビジネスとして成功させるって、いろいろな条件や狙いの違いあって難しい世界だと思います。
 ただの素人映画鑑賞者でさえ、このような意見と思考が一人前にできてしまう以上、自身が鑑賞者、つまり、つくらない人から、つくる人へ移行した場合、同じ難しさに対面・直面するのだろと思います。多種多様なセオリーや法則の中に存在する定説を意識しながらも、自分の中だけにある意思や本質を尊重してこそ、つくる人の条件が整うのでしょう。

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◎映画「SONG ONE」

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◎映画「JUPITER」

 例えば「コンシューマ用途だけでなく、スマートフォンやタブレット端末が急速にビジネスシーンに浸透し始めています。インターネットに接続する機器として、紙書類に変わる社内情報伝達機器として、販売の現場をサポートする端末として、その可能性は大きく広がっています。では、こうしたスマートデバイスを自らのビジネスにどう活用すればよいのでしょうか。当セミナーではスマートデバイスの導入や活用範囲のさらなる拡張を考えている企業様担当者に向け開催されます。」という情報。すでに用意された「便利なツール」をコンシューマーからビジネスシーンへと強引にシフトチェンジさせようとする意図、そして、なにがなんでも紙から電子機器に目線を変えさせるための狙いを感じてしまうこの文章に、やはり、「ビジネスへの活用」という麻薬の強さを感じる。実際、アップル・ウオッチのことをほぼ指しているのですが、よくよく考えれば必要のないモノでも、文章で限定されれば、踏み込まされてしまう状況で、いかに自分の意思で踏みとどまるかが浪費と消費の境界線。

 最新のデジタルデバイスとて、つくらない人からつくる人に意識を移行できていれば、見極めも適正にできるのでしょう。何事も始めることは簡単です。しかし、続けることは難しい。そして、最も難しいことは終わらせることなのです。

 映画「SONG ONE」のラストカットが今でも目を閉じると鮮明に浮かびます。

 終わりは始まり、始めることとは終わらせることなのです。

映画「オデッセイ」

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 2016年2月公開か、ちょっと先です。でもでも、かなり楽しみです。

映画「ブルックリンの恋人たち」

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 DVDの発売が8月4日。そろそろ予約しようと思っています。アンさんが結婚後、ご主人と一緒に製作した記念すべき1本。これは何よりもマスト。音楽好きのアンさんならではなの素敵な物語らしい。とことん楽しみです。

映画「チャッピー」

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 2045~2050年頃、人工頭脳は人間を超えるらしい。これをシンギュラリティ(技術特異点)と呼ぶ。2020年に浮かれているわけにはいかない。世界記録を塗り替えるのは人間ではなくロボットになるかもしれないのだから。暗い未来への警告なのか、明るい理想への序章なのか?複雑な気持ちでこの映画を観れている人は、おそらく「こっち側」の人間だろう。

 ロイの言葉、「その時が来た。」が雨の屋上に静かに響くイメージです。

映画「マイインターン」

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 次から次へと精力的な大女優さんです。低予算の映画に出たり、ビックネームを牽引したりと大活躍。そして、この10月公開の映画「マイインターン」では、デニーロとの共演が実現しました。う~ん、楽しみです。

バケモノの子

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 ほぼほぼ、この作品についてはタイトルとコンビニで発見したこのチラシの絵しか情報がありません。しかし、監督が細田守さんということで期待をしています。この夏は「ジュラシック・ワールド」も公開されますし、楽しみです。

 ジブリが劣化し始めてしまった以上、日本のアニメ文化を牽引するのは誰なのでしょう?

ブルックリンの恋人たち

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 「インターステラー」のあとはこれか。正に変幻自在です。

映画「パッセンジャーズ」

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 DVDを購入する前に、「パッセンジャーズ」と「ブローバックマウンテン」をチェックしようとレンタルしてきた作品でした。結果、「パッセンジャーズ」は買いで、「ブローバックマウンテン」はなし。アンさんの映画は最新のインターステラーまで19本あり、13本は観たので、あと6本チェックしたいと思っています。
 本来、ラブロマンス系の映画をあまり観ることはないのですが、スクリーンの中にアンさんがいるとなんか落ち着く感じが最近ハマっています。バットマンも良かったし、アリスもいいのですが、真骨頂はやはりロマンス系だと思います。
 「パッセンジャーズ」なかなか、なかなかでした。

ベイマックス。

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 レンタル開始後、人気のアニメーション映画だけにレンタルショップで借りることができなかった「米マックス」。ようやく借りることができて鑑賞しました。DVDを予約しようかとも悩んだのですが、まずは、レンタルでチェックしてからと思い待機していましたが、瞬殺で購入決定です。英語版と日本語版、2回のモードで観たのですが、秀逸です。あらゆることが秀逸なのですが、際立つのはその物語のシンプルな構成です。お子様向けという狙いもあるのでしょうが、さりとて大人が楽しめないのかということではない。そもそもお子様向けと大人向けを意識していること自体がナンセンスなのです。イマドキ、大人のようなお子様もいるし、お子様のような大人もいるわけですから。

 さて、ベイマックス君のキャラ。このフワフワ・ムニュムニュ感をCGでここまで創り込むって世界最高峰のテクニックはさすがに凄いですね。路地のディテール、傘に落ちる雨、最新技術へのイマジネーション、どれも、圧巻過ぎて「見事!」という言葉しか浮かびません。いやいや、不思議な白いトトロです。

ONE DAY

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 なるほど。

 ヘップバーンの映画は主要な作品しか観ていないが、アンさんはそのルートを超えたのかもしれない。これはとても偉大なことです。ファン心理というのは恐ろしいモノで、過去と今の比較をその利己的な偏見で捉える能力がある。この比較はもう比較ではなく、唯一無二の存在にまで引き上げてしまう崇拝なのです。勝手に本動や王道を自分の中に引くようです。「好き」以上、何かを捉える強い気持ちはなく、理論や慣習や法典が例えマントルのようにゆるがない絶対普遍の存在だったとしても、ファンは今、目に映る五感が感じる情報を絶対的な普遍だと捉える。って、そんなことはすべて後付けですから、こうもギコチナクなる。曖昧な感情を文章化しなければその熱量は冷めないのですが、共有したいとか反応が欲しいと欲張りになった瞬間、理屈が生まれ熱量が奪われる。

 なるほど、このワンシーンがその断片なのですね。

レミゼラブル

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 なんとまぁ、強烈な役どころでした。ただ、「へぇ~ラッセル・クロウもヒュー・ジャックマンも歌うんだ」みたいなおどろきが最後の最後までおさまらず、ずっと違和感を感じていました。しかし、重要なポイントはあくまでもアン・ハサウエィさん。悲哀と希望を混在させた演技とそのキュートさ加減のバランスは、うん、申し分なしでしで、美味しくいただけた映画でした。ワンシーンワンシーンが油絵のモチーフになりそうなほど、切なく美しい構図の絵づくりでした。次は現代の「恋愛モノヒロイン作品」を借りてこよう。プラダじゃない方の別の作品です。

ゴーンガール

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 まず、何故?フィンチャーは「ゴーンガール」だったのだろう。これが映画を観終わった時の素直な感想でした。この「何故?」の中には物足りなかったという実感も含まれているのですが、いやいや、あのフィンチャーの最新作品なのだから、「物足りない」と感じてしまう自分自身の鈍感さが問題で、もっとしっかり感じなければこの映画の本質は理解できない実感できないのかという感覚もある。映画の紹介情報を印刷物で確認すると「ミザリー」や「氷の微笑」が引き合いに出されていた。いずれも観ているのですが、これらの作品と比較すれば「ゴーンガール」の真価が実感できるのだろうか?とも考えました。

 しかし、まだ、確固たる分析もできないまま、やはり素人なんでしょう、物語の経過や主人公・登場人物の心理の経路を辿ることしかできません。もしや、フィクションのようなノンフィクションタッチを狙ったのだろうかとか?深層心理の探りあいが生み出す誤差みたいなモノと現実日常生活の隙間を描写したかったのだろうか?などとも考えていますが、まだモヤモヤしています。心から愛している最愛の人に対する想いと現実の違い。利己的な人間の本質が生み出す言動や行動の複雑さと予測不可能なパターンをフィンチャーはテーマに選んだのだろうかなどと考えています。複雑怪奇な映画でした。

ブラント博士。

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 4月7日にアマゾンからDVD「インターステラー」が届いた。特典映像満載の初回限定版ブルーレイイです。最近は映画館に行く機会が少なくなっていたのですが、この映画は予備知識も公開前の情報などもほとんど知らずに「ふらり」とチョイスした映画でした。それだけに凄まじく強烈に心が揺さぶられたという始末。映画を観て即予約したDVDでした。原作本も2回連続読みDVDの到着を心待ちにしたほどです。
 すべて素晴らしい作品だったので、何がどういいかなどと一般人が語れるはずもなく、ただただ、素晴らしいとしか言葉が浮かびません。映画館でも原作を読んだあとでも、DVDを観たあとでも。
 この物語の中でアン演じるブラント博士は多くのことを語り、多くのシーンでその秀逸な存在感をしめしておられた。こんな映画のヒロイン役ってハリウッド最高峰の映画の世界でも稀な機会だと思いますし、作品のテイストや意味・価値においても、計り知れない重圧があったことでしょう。こんなに可憐でキュートな女性が人類の未来を背負うなどと。
 さて、今日は少しフィードバックして「レ・ミゼラブル」を観ようと思っています。

映画「ジュラシックパーク」

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 昨晩、久しぶりにDVDで映画「ジュラシックパーク」を観た。マイクル・クライトンの小説を新宿の書店で初めて発見して読んだのが1992年頃。映画を見たのが確か1993年だから、かれこれ23年前の映画である。マイクル・クライトンの小説はそれ以前にも好きだったし、よく読む海外のSF小説の中の好きな作家のひとりでした。しかもモチーフが「恐竜」となればそれだけで興奮し、書店で初めて上下巻を発見したときの感激は今でも覚えていて、その後もこの諸説は読み返しています。この夏に公開される「ジュラシック・ワールド」の公開のニュースをテレビで知り、昔の興奮を思い出しながら、そして、新作をいろいろと想像しながら鑑賞しました。
 まったく古さもなく、直線的なスピード感溢れる物語の強さもあの頃のまま、むしろ、改めてCGやクラフトで復活したティラノザウルスなど動きや存在感に改めて圧倒されてしまいました。20年以上前の作品なのに全く劣化していない映画。海外にはこのレベル・クラスの映画が圧倒的に多いように感じます。特にSFのジャンルは秀逸な作品が多いと思います。あと少しで発売日の「インター・ステラー」にしても壮大なドラマとサイエンスの融合は劇場で観て大正解でした。
 一方、日本の映画は何故こうもスピンオフが多いのか?テレビで俳優女優が登場して紹介するような映画はすべて「長いPV」です。旬なアイドルの脇を固める俳優らしき人達と一時の浮世を流す興行成績狙いの仕組みが生み出す映像作品。今、公開されている日本の映画、さて、20年後にどうなっているのだろう?絶対に観ることはないだろう長いPVを何故つくるのか?永遠に残る残すための映画を何故つくらないのか?つくれないのか?つくれない社会構造なのか?
 映画に登場した琥珀の中の蚊を見ながら、どこか自然の摂理を無視し、瞬間風速だけを想定した悪循環を感じました。観ないからつくらないという仕組みを根底からリセットするためには、手塚さんや石ノ森さんや宮崎さんのような人が次々と登場してこなければならいのでしょう。

 いやいや、「ジュラシック・ワールド」楽しみです。

 ちなみに上の写真は私が子どもの頃、すりきれるまで見ていた図鑑にあった恐竜の足跡で遊ぶ子どもの写真。ここから恐竜の虜になってしまったわけですが、人間は地球の歴史にどんな足跡を残すのでしょうね。

ガーディアン達。

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 宇宙を守るガーディアン達。なんとも特異で印象的なキャラ達です。最初は「とりあえずチェックしておこう」レベルでレンタルしたDVDでしたが、鑑賞後はこのキャラの魅力にかなり、かなりトリツカレテしまいました。「なぁ~んだ、CG使ったアライグマじゃん!」「へぇ~、木のキャラって意外だけど・・・」ぐらいの映画を観るまでの印象でしたが、いやいや、いやいや、なかなか、これが、なかなかのキャラ設定なのです。
 とてつもなく強い宇宙の支配者が登場して、宇宙船がドンパチやって、結果、意味不明の強烈なビームを放ち、悪者が爆発する、みたいなスペースアドベンチャーノリだと思っていましたが、それぞれのキャラが際立つ感じや、全体の映像のノリやセンスがこれまた秀逸。映画を観るまでは、どんなことがあってもこの作品はDVDは買わないだろうと思っていましたが、最近、ジワジワと「DVDの購入もアリかな?」とボディーブローのように効いてきている作品です。
 迂闊にも、想定外にもハマってしまった非常に「味のあるSF作品」でした。

「インターステラー」DVD

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 早速、アマゾンでBDを予約しました。発売日が待ち遠しいです。

ドラゴン映画パンフレット。

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 アマゾンで映画「ドラゴンタトゥーの女」の中古パンフレットを発見。早速、購入しました。探したぜ!この一冊。この質感、手元に置いておきたい一冊です。

ジュラシックパーク4

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 「ジュラシックパーク4」がこの夏、公開されるらしい。1・2・3と楽しい映画だっただけに期待が大きく膨らみます。ほぼ第1弾の原作を書店で初めて発見したのが25年以上前だから、恐竜をテーマにしたSFの中でもこの映画は別格。小手先の浪漫にはあまり興味がないのですが、「恐竜」と「宇宙」と「タイムトラベル」には浪漫を強く感じます。

映画「LUCY」

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 映画「LUCY」が16日DVDレンタル開始だったので昨晩、期待を膨らませながら観ました。映画公開時の評価はあまり高くなく、例えば「ストーリーに無理がある。」などというコメントが多かった。映画告知用のチラシの情報からも強烈な設定のヒロイン像だとは推察していたが、結末が抽象的で概念的になるのはテーマと設定が仮説だけに仕方ないとしても、あまり高い評価は見当たらなった。さらに、ヨハンソンの過去の映画を観ると、どうも彼女の美貌やルックスに依存する傾向にあったことも否めないしなどと期待と不安があった。
 しかし、結果、エンドロールが終了するまで映画の余韻を楽しむことができました。
 「脳が100%活性化する」というイメージをこのような映像と物語の展開で体験できて、とても満足でした。このDVDは「買い」です。

映画「インターステラー」

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 まだ、何も詳細は知らない映画ですが、このビジュアルを見ただけで嗅覚が反応してしまいました。恐らくいい映画だろうと。予備知識や情報を限りなく0の状態で何を捉えることが現代は難しい。簡単に情報が得られてしまうからです。危険やトラブルを回避するためにはこの仕組み、非常に有効だと思うのですが、何からなんでも知りすぎて、というか、別の人の主観や捉え方や解釈を知ることが嫌いです。できるだけ対峙する対象と自分自身の間に何も余計なフィルターや媒体が存在してほしくない。

 簡単に入手できる情報はそれだけの価値しかないからです。どれだけ巧みな評論でさえ、実態となる対象の本質を伝えることは不可能なのですから。

映画「LIFE!」

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 恐らく、これから死ぬまで、一番多くこの映画を観ることだろう。この時代に何故、この映画が生まれたのかその理由を考えるだけで思考の震えが止まらない。と同時に「このタイミングなのか・・・」と不思議な高揚感に包まれる。例えば、1年前なら、10年前なら、学生の頃ならと考えると、この映画から受けた様々なタイプの刺激は、「今」でなければならなかったのだろうと。

 刺激的でエンタメな映画は多い。感傷的なシクミが狙いの映画も多い。まして、それに値しないウンコのような映画も多い中、今、このタイミングでこの作品を観れたこと。それがたまらない。この言葉に出来ない感情は何だろう?しばらく心の中がこの感情で支配されるだろう。つまり、言葉にならない感情を表現するための手法が映画だからだ。そして、その手法から生まれてこそ「言葉」に価値が生まれるのだ。

 早速、DVDをアマゾンに注文しよう。

MOZU

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 毎週、木曜日の夜が楽しみだ。他のテレビドラマがマクドナルドのキッズセットのおもちゃのようだ。

エリジウム。

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 もう、予約開始なのか・・・。映画「エリジウム」。結局、映画館には行かなかった。映画の公開とDVD発売のサイクルが短くなったからかもしれない。二人が出ているSF映画なのだからこの作品のDVDは買わないわけにはいかない。さぁ、アマゾンへ予約!

パテマか・・・。

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 日本のアニメはいつまでも不滅ですね。まだ詳しい物語の内容は知りませんが、予感として間違いなさげですし、かなり期待度が高い作品です。映画を観る前なのに勇み足で原作本を買ってしまった。

陽だまり

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 まだ、どんな物語かは知らない。予備知識もなしで、今、原作を読んでいる。非常に楽しみだ。この想像している状態が一番楽しいのかもしれない。

モスクワ

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 どんな作品なんだろう・・・。

映画「オブリビオン」

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 2077年か。シンプルな物語だっただけに心に響いた。素敵な映画でした。やっぱりSF映画はいいなぁ~。

CUBE

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 少し涼しくなってまいりました。秋の夜長、どうしても観たくなる1本っていう映画あるものです。

幸せの1ページ。

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 ふと、この映画のことを想い出す。何がトリガーだろう?とにかく観てみよう。そうそう、最近観た映画では大作もいろいろ良かったが「TED」がとても、やっぱり、普通に「いい感じ」でした。地球規模の巨大なテーマもいいけど「祈る」ということのチカラは在ると信じたい。

そして父になる・・・か。

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 この二人、そして、福山君。やっぱ、今、最強なのかな・・・。

藁の楯。

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 「盾」じゃなく「楯」なんだ。ちょっと期待しています。で、松嶋さんだったんだ。大沢さん、藤原君はいいとして・・・。

RED LIGHT

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 こう来たか!デニーロ、みたいな・・・。

映画「イリジウム」

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 この二人かぁ~!そんで、イリジウムかぁ~!!!

美しさ。

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 人は何かを判断するとき自分の「経験のものさし」と社会に偏在する「セオリーや観念の規範」を基準にする。それは時に「幸福加減」にも適用される。基本的にデザインという仕事はこの「ものさし」と「規範」の相関性の中で成立するものであり、この相関性を例えば「費用対効果」などの指標で有効性や優位性を判断していると言える。硬いお話になるが、これらを言語的ロジックと直感的センスで思考してこそ適正なオブジェクトが見えてくる。しかるに「アート」についても同じテンプレートが適用できるので、そこに数多の万象の規範が機能・適用されながら時間上に乱数的に配置されていくのだろう。

 で、「美しさ」と基準でそれぞれの慣習の規範があり、そこに個人さや文化レベルの影響があるわけですが、やはりというか、「美しい」「美しくない」の基準はどこかの深層心理の部分で、ショーン・ヤングの存在が大きい。ミロやミュシャ、モナリザ、アングル、ロートレックあたりのものさしも必然的に「美」に対しての規範であることは当然だし、現代のビューティーについてもそのものさしは有効なのですが、どこかに軸を設定していたとすれば、ブレードランナーのレイチェルはかなり比重も割合も大きい。

 不思議なもので、それがどこかのタイミングで別のものに代用されてもいいぐらい人間の価値感や世の中の基準は革新に革新を重ね変容しているはずなのに、意外とそれはひとりの人間の中では不動になっている不思議感がある。何故か?という愚問はさて置き、それを受け入れることが軸を意識する上で非常に重要なことであり、実はこの軸を持っていない人の緩さは決定的な共有性を失うから怖い。アーティストは何故アーティストたるのか?クリエーターはどうしてクリエーターたるのか?これらを表面的なロジックで処理しようとしても、セオリー通りのチュートリアル程度の経験値で座標化しようとしても、吹けば飛ぶのは、その蓄積された一物に質量が欠けているから。

 必然的に、プロはそれを見抜くから、アウトプットする時に注意する必要がある。右に習えでいい人は見えている必要はないが、軸を持ちたいならそんな思考錯誤を日々繰り返すマイスタイルな鍛錬を怠ってはいけない。ライフスタイルありきで表面的にアートに親しみたいなら親しめばいいが、親しむと追求することは異物だと理解すべき。自らの手を動かさず鑑賞し続けたいなら貧弱なロジックは要らないと知るべき。

 それほど、このレイチェルは美しい。

舟を編む。

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 いよいよ映画「舟を編む」が公開される。宮崎あおいさんと松田龍平さんがよくテレビに登場している。映画の宣伝で辞書づくりについてのコメントがどこか時代を象徴していて書籍が売れた理由であれ、恐らく映画はヒットするだろうサインのようなものを感じています。

 辞書について言えば、主人公馬締さんほどではないが、私自身も書籍の中でともてリスペクトしている。というか頼りにせざるを得ない状況が人生の場面で何度も繰り返されていることは間違いないし、辞書を紐解いている時のドキドキワクワクする感じはまた勉強で新しい世界が見えて来る感覚やいろいろな書籍を読むことで原理や海外の慣習や創作を知ることとは違った側面があるように感じている。確かに辞書を書籍として読むということはあまりされないがだろうが、結構、何かデザインの仕事や言葉のチョイスに迷った時に一番ダイレクトにレスを返してくれる書籍は辞書だ。百科事典も好きだし専門書も好きだが、辞書はやはり特別な書籍だと言える。新しい言葉や生業の意味を多面的に客観的に記した辞書というツールは辞書だからこその価値がある。それを編纂するを物語にしてしまう三浦しをんさんがまず素晴らしいということ。それを世の中に出そうとした編集者・出版社の心意気がまたまた素敵。そんな素敵が幾重にも重なり蓄積した結果がこの映画なのだから、まさに、「舟を編む」ということだろう。書籍はかなり早い段階で読んだから時代が何を求めているのか?という大きなテーマについても読み方によっては見えて来る素晴らしい物語でした。

 一方、本屋大賞なるものがある。本屋が選ぶ書籍のアワードであるが、2012年は1位が「舟を編む」で、第2位が「ジェノサイド」だった。これは読んでいるのでこのアワードもなかなか素敵なシステムだなとは感じているが、2013年の対象が「海賊とよばれた男」だと今日知った。この作家、まぁ、好みで言えば、読む気がおきない。読む気がおきないのだから読まないのですが、全部読んで読む気がないは成立しないわけで、何がきっかけでこういう結論に至ったのかとなると、数年前、ある強烈な書籍の評論を読んだ時、この方の小説の素晴らしさを非常に巧みなコピーライトで表現していた。それを信じて!?初めてこの方の書籍を買った。読んだがとても残念だった。その残念の度合いが半端じゃなく、なぜこの内容でこう書くのか?と全く残念極まりないことになってしまった反省から、その後、どんな宣伝コピーで心が動いてもこの著者の書籍は読まないと決めた。結構、そういうパターンは多く、かなりの数の日本の小説家の作品は1冊で終わっている。現代を代表する小説家のほとんどにこの残念な感じを抱いており、この「海賊~」の著者もその仲間入りをしたというだけ。ほんと、残念。

 だから、書籍を選ぶ時はやはり、宣伝文句を信じずに自分の感覚を研ぎ澄まそうと考えている。しかし、新しい著者にダイブする時はとにかくリサーチしなければいけないから、無作為に1冊を読みジャッジするしかないのが正しい探し方だし、逆にこの著者の書籍はもう買う必要がないと判断できる方が無駄がないと思います。

 で、そんな現代の小説家の薄い感じと比較して圧倒的な筆力の三浦しをんさんという存在が際立つというパワーバランスなのである。もう、独壇場と言ってもいいぐらいで、恐らくそれを他の小説家の人達レベルになると完全に理解していると想像する。それって、「個性」と「アイディンティティ」で自分を納得させることができるのだろうか?それても完全白旗モードで自分のできることをやりましょう的な黙殺で日々の構想と執筆に向かっているのだろうか。それはそれで同じモノカキのプロとしてかなり辛い状況のように思います。

 まぁ、そんな大それたことを言いながらも、あたりとはずれを繰り返すことで、自分の中で際立たせるコレクションを1冊でも多く蓄積したいというのが本心である。

 昨晩、ひさびさに映画「羊たちの沈黙」を見た。「サンキュー、クラリス。」う~ん、この映画が20年以上前の映画だとは年々この偉業・金字塔・バベルの塔に舌を巻く。最後の最後のエンドロール後の「心地良いさえずり」まで聞いてしまいました。

こう来るのか・・・。

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 こう来るのか・・・。どんな日本なんだろう?

さよなら、アイアンマンか・・・。

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 やっぱり、3部作なのか・・・。ちょっと残念ですが。この流れがテッパンと言えばテッパンですよね。楽しみです「アイアンマン3」。

12MONKEYS DVD

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 よくチェックに行く中古屋さんでオンラン価格よりも安価でこのDVDを発見して、即、買ってしまった。また、ゆっくり楽しもう。

 「WE DID IT!」って、いつか言いたいものですね。

クラウド・アトラスか・・・。

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 まだ、テレビのCMしか見ていないが、さて、どんな映画なのだろう?できるだけできるだけ、情報は少ない方がイメージが膨らむし、映画を観る前に余計な情報は入れないようにしているが、気になればなるほど、想像が勝手に暴走する。少ない情報で想像の暴走が止められないぐらい、気になるということは何か理由がある。その理由が結局、想像力の核になるということ。つまり、逆に言えば、それを形成させる工夫というかアイディアというかIDを持っていれば、ひとりひとりの想像力に訴求できるスイッチを入れる事が出来るという仕組み。これはどれだけスマホが快適になろうが、タブレットが薄く、回線が高速化されようが、全て頭の中で起こっている変化だしそれぞれのポテンシャルだからニーズとして変容しにくい、コンテンツとして地肩の必要な取り組み。昨今、技術の進化、情報の飽和がもたらした混沌を混沌のままに保留以上手がつけられない人はそこがとりあえずの休憩ポイント。でも、先が見えているならば、まだ、足が動くならば、休憩せずに歩を進めた方が足は逆に動く。

 「クラウド・アトラス」。DVDが出たらチェックかな・・・?

Noomi Rapaceだったのか!

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 いろいろなスパライルがふっと重なり、小さい波動が予想外に深く大きくなる時がある。まぁ、普段、どんな気持ちで、書籍や雑誌やテレビや映画やWEBサイトを観ているかということに尽きるが、ガチガチな生真面目モードでもそれは見逃す。「見えている。」ということは意外にフラットな状態で100m全力で走ったあとののインターバルのような状態だから。

 そうかそうか、彼女が「Noomi Rapace」だったのか。そう言えば、あれも!あれも!そうだ!!!そうなんだんということ。これは逆にまさかの「サリー繋がり」。時と場所を変えて、一つのヒロインが二人の女優でここまで覚醒するのか・・・というドッキリ×10な感想です。

 で、Noomi Rapace観はまずは今回はこの程度にして、映画「プロメテウス」をやっと昨晩観る事ができた。気合いは充分に入っている。映画公開にも行けず、DVDレンタル開始から約1ヶ月が経過している。気持ちの中ではもう2~3回熟成してしまって、ワインが固形して粉末になっている状態。この映画の情報を専門誌で知ってからだと恐らく2年熟成したことになる。このスピード時代に何故そこまで待つのか?「お前は馬鹿か?」とよく入れるが、そんな時代だからこそ、目の前の鮎を飲みこむのか飲みこまないのかを「考える鵜」でありたいと思っている。「本能を本能で抑えてこそモノホンの本能である。」フランスの古い詩人が言っている。

 さて、何故このクラスの映画のレンタルDVDが6本しかないのか?早速、SELLコーナーに行けば、「品切れ」。だから長浜がド・ローカールな所以はここ。恐らく、仕入れの担当者のレベルが推察される。「この映画はマニアック過ぎる。」とか「本格的なSF作品は長浜ではレンタル及び販売につながらない。」と軽率に適正に判断している結果だろう。しかし、それは言わば適正な中の適正な判断。有名・著名な俳優・女優を軸に仕入れはするべきだろうし、このディテールこそが、長浜の、引いていは日本の縮図・相関図だろうから・・・。

 かなり、前置きが長くなったが、恐らく、2013年の最高傑作は「プロメテウス」だろう。もし、「火と戯れる~」が2013年に完成するようなことがあればこの発言は撤回する可能性があるが、恐らく間違いないだろう。どう考えてもこれ今日(現代)の世の中の万象と相関しても「これ以上の映画は不可能である。」と書いて間違いない。「何が何以上なんだ!」と厳しいコメントを頂くことになったとしても、素人なので許していただきたい。とにかく「これ以上の映画は不可能である。」という感想が一番しっくり来る一本でした。

 さて、アマゾンでDVDを注文しよう。

カッコイイ・・・。

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 なんだろう、このカッコイイ空気感は。カッコイイの芯を喰っているというか、カッコイイの向こう側に突き抜けているというか、カッコイイの最上級があるとすればこの写真だろう。ほんと、ファンの心理というのはイマジネーションがMAXになりがち、だけど、どのMAXの次が恐らく用意されているだろういうテイのMAXなんだから、高すぎる。いいなぁ~いいなぁ~。

早く次を。

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 早く次を観たいです。D.グレイグも007でアバターを抜いたらしいから、恐らく間違いなく「火と戯れる女」はそれ以上。ただ、D.フィンチャーがどう考えているのかが心配。絶対絶対、3部ともフィンチャーであって欲しいあって欲しい。しかし、このテイの映画、日本では無理だなぁ~。文化も歴史も慣習もセンスも違うのだろう。でも、それが逆にポテンシャルなんだろうけど、やはり、隣の芝生は青い!青過ぎる!!!

GIFT!

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 いつもぶらりと立ち寄る書店の近くにある中古ショップ。いつも流れで中古のDVDのコーナーを流すのですが、昨晩に限りこれが置いてありました。なんと1と2で3,900はビンゴでした。思わず購入しました。ということで、この休みは改めてファーストステージを楽しみたいです。DVD11枚の全22話です。楽しみ楽しみ。

Bow!

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 なんか、良いなぁ~。

残念!映画「宇宙兄弟」。

 う~ん、かなり、かなり期待していただけに映画「宇宙兄弟」は残念だった。何がどう残念かについてまとめてみたが、どれも、特筆するような部分はなく、とにかく残念だった。何だろう?すべて残念。とりたてて残念なのは月のシーン。あんなに月の砂は粗くはないなずだ・・・あたりが気になり、クレーターから見る地球はあんなにボケていないはず。手を伸ばせば届くような距離感で浮かんでいるはずなのに。しかも、なぜ、星雲ではなく地球なのか・・・。映画用の脚本がこうなってしまうと、こうなるだろな…的な。人気が出たから映画というスタイルにいいとこだけ映像にした感じだ。う~ん、コミックスの分厚い物語やキャラクターの掘り方が薄い。とにかく残念。

 早く、「プロメテウス」を観てこの後味を消したいものです。

リバランをひさびさに。

 ひさびさにDVDコレクションの中から「リバラン」を観た。フライフィッシングのお話であること、ブラッドピットの若かりし輝きの刻印作品であること、さらに、奥様であるアンジーの実のお父様との共演であるということなどなど、この作品の質量は高い。自分の中で高いだけであって、他の一般の感覚は分からないが、やはり、好きな映画を100本セレクトしたらこれは必ずBEST100に入ってくる映画である。淡々と流れる川のように物語は流れる。ぎこちなくフライフックを結ぶ映像から川面の映像までマクリーンファミリーの物語は心に響く。もう何回も観ている映画なのに、観る度に心への響き方が異なるのは何故だろう?決してテーマも手法もビジネス背景もごり押しはない。ただ美しい自然と川と魚、そして、家族という視点で物語は進む。しかし、そのワンシーンワンシーンが心に響く。そもそも「釣り人」というモチーフが最初はこれほど心に響くのかと反芻した時期もあったが、決してそうでもなさげである。ラストシーンで「私は川に心を奪われている。」的なコメントがあるが、その言葉の意味は非常に深い。その川をあの存在感で駆け抜けたブラットピット。やはり、いろいろなタイミングが交差しながらも、それが必然のようにパズルの最後のピースのようにその存在には意義がある。

 さて、今読んでいる書籍の中に「舟を編む」がある。勿論、しをんさんの作品である。来年に映画化が決定している作品であり、書籍が発行された時から書店に並んでいるのはチェックしていたが、それまでに読みたい書籍があったのでそれには手を出さないでいた。しかし、いくつか長編を読み終えて、そろそろかなと買って今中盤戦である。しをんさんの小説作品を読んでいると、小説家という人間の構造がよく理解できる。現代の日本の小説家では最近あまり心に響く作品がない。「ジェノサイド」は別格としても、他のよく映画になっている小説やテレビドラマなどになっている原作の小説作品もたまにはつまみ食いをするが、まず、アタリくじを引く確率は低い。また、書店のオススメ小説や話題になっている作家や作品も同じくつまみ食いをするが、このアプローチもアタリは皆無。すると、流れとして同じ作家の作品に触手が伸びることはさらに確率として低くなる。当然、好きな作家もいれば嫌いな作家もいるから、それらの作品は絶対に読まない。読まないというスタンスに意義があるからである。誰かに進められて書籍を読むことはないので、嫌いな作品は徹底的にタッチしない。私自身、他人に書籍を進められてその書籍を読むという人は5人ほどしかいない。この5名に進められた書籍は何を置いてもプライオリティーが高い。そんな5名には逆に年間どこかのタイミングで最近のベスト1を送っている。これが書籍の正しい読み方であり在り方のような気がする。

 さらに、国内の作家で言えば、やはり、金字塔は読む。というか読むべき金字塔しか読まないが。その金字塔には金字塔の背景があるわけですが、しをんさんの作品も、リバランもしかり、どうも、好きな小説には同じ川が流れている。とは言え、私の趣味趣向は非常に多岐多様で不連続なパターンがあり、それこそ上海のバタフライ飛翔とN.Y.の岩盤の振動ほどシンクロする変数が多い。どんなジャンルの小説をよく読むのか?とたまに質問されるが、この「ジャンル」という区分けがそもそもどこを指しているか不明な質問にはお茶を濁す程度で対応している。人が何故書籍を読むのか、映画作品を観て心を震わせるのか、絵画やアートの作品を観て心をどう動的に変容させようとしているか・・・あたりを、ガチで共有できる人意外は、申し訳ないが、直感でスルーさせてもらっている。「言語が違う」ということを言葉にしてしまうと、語弊が独り歩きするからである。また、軽々しく共鳴などした日には結果、心の中で、「なんて日だ!」と叫ぶことになるからである。

 で、「類は友を呼ぶ」ではないが、重ねる会話の時間とフレーズの量とシンクロの度合いは無関係。だから、こんなブログにこうして書き出していることも、1周回ってどこに向かっているかも不明なのである。が、実はこの「不明」な感じこそが、大切で、それが気にっているから人はただアウトプットをしているのだろうと考えている。だから、そのアウトプットを受ける時がさらに大切で、受け方とかよけ方とか見極め方の部分で楽しいキャッチボールをしたいものです。

 しをんさんの小説の世界観を読んだら出会ったなら、他の日本の現代の小説が「資料」のようにさえ思える。つまり、世の中が「資料」を求めているからなのだろが・・・。映画もテレビもこの「資料化」が止まらない。言語化されたいわゆる作品と呼べる質量を見極め蓄えるポテンシャルの小さい人が増え、多様化の影で単一的なピースを集めるだけのコレクターが増えたのかもしれない。

 うん、ひさびさにブラックバスの顔が見たくなった。

TED君!

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 なかなかこれがGOOD!

かなり残念・・・。

 いやいや、期待するとロクなことがない。ここまでひどいというか、ここまでテンションが下がるのか・・・と考えると、同じプロが創ったモノなのに、何か軸の部分が、何かどこかが違うからこうなってしまうのですね。フィンチャーの「ドラゴン~」を観て、そのまま、全6冊を読み、さらに、「ミレニアムと私」まで読んで、読んで本国の「ミレニアム1」を観た。ブログで紹介されているのもかなりチェックしたのに・・・である。この始末、ちょっと残念過ぎて、たいていのことでは落ち込まない私のハートがかなりダメージ。自分で期待値を勝手に上げて勝手に自爆しているんだ!と娘に言われてしまった日にゃ、親父としてどうすればいい?いや、どうすることもできないのが辛い。こんなに映画一つでダメージがあるとは・・・。しかししかし、ブログにはなんかいいこと書いてあったのに。やはり、原作の本国で創られた映画こそがモノホンだとか、サリーはマーラじゃ全然ダメ。小説の世界を忠実に再現するためには、ハリウッド映画ではダメだとか。空気感の捉え方がやはり本国の映画人が創ることで愛情がを感じるとか、ロケの一場面一場面が小説と完全にシンクロしているから・・・とかとか。一体、一本の映画作品を観るだけなのに、どこまでチェックしているのかってぐらいチェックしたのに・・・、う~ん、ミレニアム1はダメだ!これで、完全に2と3を観ることはない。どんなことになっても絶対にない。勢い余って映画を観る前にDVDを買おうとさえ考えていたツメの甘さ加減といい、何も何も小説のテイストさえ感じられなかったスウェーデン製の映画「ミレニアム」に失望である。

 しかし、なんでこうなるのんだ!役者か構成か絵作りかコマワリかカットの長さか???言い出したらきりがないというかどこも絵になるところがないじゃん!これじゃ、せっかくの「ミレニアム」の映像化が台無しじゃん!もっとしっかり創ってください!せめてせめて、音楽だけでも・・・。いや、音楽がダメだったから全体がああなるんだ。しかし、思いつくこと全てに残念が漂うって、一つの映画を何回も何回も頭の中で反芻するタイプなので、噛んでも噛んでもスカスカってどうよこれ。いかにいかにフィンチャーが色っぽいかってことですね。早く早くこの気持ちを払拭したいので、ハリウッドの「火と戯れる~」を観たい。ただそれだけ。あ~あ、期待するってほんとにロクなことがない。

 なんでもそうですが、いかにフラットでいられるか・・・みたいな部分ってとても大切。高揚も落胆もできる限りコントールしたいし、サプライズやハプニングをのびしろにつなぐためにも、フラットな状態って大切大切。禅でいう「無我」ってこれに近い状態なのかな。いやいや、何回考えても残念過ぎる。もう一度、最初から小説を読み直したいぐらい。あ~あ、早く、忘れたい。

ダニエル・クレイグ。

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 カッコイイ度が最近(ドラゴン~から)、急上昇中。ハンサムだからとかマッチョだからとかクレバーだからとかじゃなく、ノンバーバルに魅力的。理論や感覚を超越した存在感は「どこからくるのだろう?」という左脳的な信号を見事にスルーさせ、ただその画面の中に引き込む強さ。論理的な心地良さに飽きてきた現代人が本当の「引き込まれ方」をされたくて「待ち状態」だったところに現れたのか、結果、それが原因だったと捉えるべきか。まぁ、そんなこともどうでもいいぐらいに心が動く俳優さん。

 「心が動く」と言えば、政治の世界のガヤがうるさい。どうせと興味が萎えているわけではなく、政治システムに期待したいがいかんせんコマが悪くドングリの器比べ。どんな優れたシステムも猿以下のオペレーションでは議論も期待値も猿以下になるのが必然であり自然。このベクトルであまりエネルギーを浪費したくないから、国民は「政治家」に期待しないのである。日本の政治家はなぜ日本人でなければならないのか?そろそろ助っ人が必要なんじゃないだろうか?海外の人達の方が「日本のそれ」を熟知しているとか・・・。

 日本の政治家諸子も優秀なんだろうが、少し「俯瞰」でモノゴトを見ることができない条件・状況にブレインもボディーもマインドもオーバーワークなんだろう。恐らく今回の「解散」は「プロローグ」で、本編割愛の、「エピローグ」という舞台を又見せられることになるだろう。何故か?役者が不在だから。この舞台劇場はもうつまらないので、そろそろ、ハリウッドか、韓流か、スウェーデンであたりのリメイク版が観たいものである。

 で、その時、グレイグのような人が総理大臣だったら日本も何かが変わるかも・・・。日本の政治家達、ルックスもイマイチ、頭の中もイマイチ、行動力(実現力)もイマイチではチェックメイト状態。リセットはいいことだが、すでに、クイーン不在ですしね・・・。

FIRST BLOOD

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 「最初に仕掛けたのはどっちだ!」という石を投げているわけですが、ベトナム戦争をどう捉えるか、あの頃(30年前)は18歳だったから平和な日本では実際あまりピンと来ていなかったように覚えている。しかし、戦争という出来事を日本人の若僧として捉えて正義とは何か?ということぐらいは考えていたように記憶している。この映画はベトナム戦争ではあるが、第2次のあと、これと同じぐらいの悲劇がこの国でもあったのだろう。悲劇は教育という形式でキレイにデフォルメされ、国家の威厳だけが体裁を整えられ僕達私達の未来だけが美しく掲げられていたからだろう。昨今、反日のそれをこの年齢になり思うことが多い。世界の歴史はつまりそういう風に地球の至る場所で繰り返されている現実をしっかりとDNAに焼き付けておかねばならないし、心にも刻む必要がある。

 この映画の製作にはスタローン自身も少し関わり、脚本にも携わっている。つまり、肉体アクションスターの地位を築けたから映画「FIRST BLOOD」が存在するわけではなく、この映画に関係する多くのクリエイターの想いがあったからこそ映画作品として世の中にリフレクトしたのだ。そういう意味でこの映画はいつかこういうタイミングで手元に置いておきたいと思っていた。ノーマル版でもよかったのですが、幸運にもスペエディに出会えたので本日購入。いつもずっと、「FIRST BLOOD」というフレーズは頭のどこかにあったからこうして手元に来ると心が少し熱くなります。

 「映画」を「映画」としてではなく、スタローンやこの映画の製作に関わった人達の「想いの結晶」と捉えると、私自身も私自身の結晶をそろそろ創りたいと熱くなります。

幸せへのキセキ。

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 映画「幸せへのキセキ」楽しみ楽しみ。

乙女!?

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 そうかなぁ~、乙女かなぁ~。やっぱ、マスターDVDが必要かな・・・?

ZOO

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 まだ観ていないが、恐らく、これはビンゴだろう・・・。

赤いドレスか・・・。

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 なるほどね、これがハリウッドの映画ポスターのテッパンのひとつ「赤いドレス」か。そう言えば的なパターンですね。「赤いドレス」アイテムか、これでいっちょキャラを描いてみよう。

FLASH DANCE

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 ずっと欲しかったDVDを最近買った。数十年降りに観る「FLASH DANCE」。そういえば、最近はこのタッチのこの質感の映画が皆無だなぁ~と。時代の流れなんだろうし、技術が進化するとどうしてもそれを誇示したくなるのかな。最近、仕事で海外のサイトをいろいろチェックしていたら、基本的なFLASHの技術で、複雑な仕掛けやプログラムライブラリーなど活用せずに、シンプルに読ませて魅せる楽しいFLASHサイトがあった。ゴリゴリのプログラムフリークが洗練さのチュートリアル通りに作成した「洗練」と紙一重のWEBサイトよりも、私はこの「楽しんでいる感」がとても魅力的に感じた。英語版だったが、文字量は多いが文字のフェードイン・フェードアウトや写真やイラストとの組み合わせが完全に楽しんでいた。これは英語のユーモアや異文化・異慣習のテイストは100%感じれないにしても、「ああ、基本的に制作者がその会社のトップやスタッフの皆様が楽しんでいないサイトは魅力的ではない。」と思えた。

 BTW, 楽しめばいいのか?という側面があるが、いやいや、楽しめている段階で、恐らく、全ての技術的な背景やコンセプト的な問題は完全にクリアしているからの「楽しい」なのである。化学薬品で感覚を増幅させて「楽しい」と誤解することも、左脳に有益で刺激的な情報を送り「楽しさ」の0と1を羅列することも、恐らく絶対的な意味での「楽しさ」から離れている。

 そういう意味で、ひさびさの「FLASH DANCE」は楽しかった×10。

棒術について。

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 やはり、根本的に武術と言えば、リー様である。他にいろいろおられるが、ストレートにりー様のイメージが一番戦慄で興奮した。強いイメージというよりも、とにかくインパクトが強かったからだろう。

 ヌンチャクも確かに印象的ではあったが、私自身は、このシンプルな「棒」という武器にどこかあこがれていたような記憶がある。道具はシンプルで手に馴染むがBEST。使いこなして道具はその道具以上の結果(効率や品質)を出すと思いたいから簡単に道具を変えることはしない。とにかく、顔がいい道具を直感で選び、とことんまで使い込むことが一番重要だと考えている。高価な道具をセオリー通りにコレクションしても手に馴染んだ道具には勝てないと信じている。というより、技術も戦略も精神力も中途半端だから道具に依存しているパータンが嫌い。という視点でこの「棒」という武具が絵的に好きです。

終わらせる・・・。

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 「009」についてかなりの想い入れがある。昔の頃から時代が変わりテーマも同じでは完結しないだろう。新しい物語を少しサイトで拝見したが、サイボーグがその使命を担うにはちょっと壮大過ぎるような気がするが、そこはアニメーションの利点。テーマを見極めしっくり来ることを期待ししつ、この映画の公開を待ちたいですね。

ぜひ、次も。

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 いろいろ噂が飛び交っているが、ぜひぜひ、次回「火と戯れる女」も、サリーはルーニー・マーラでお願いしたいですね。ラーソンは第四部も仕上げ段階に入っていたらしいし、準備段階として第五部も想定されていたとかいないとか。まぁ、話が支離滅裂な海の猿や陸の猿(踊る猿)のようにファイナルぶっぱなして、すぐに次回作的なふざけているノリはナンセンスのキワミとして、ボーンに続く三部作として心から心から期待値を上げています。「眠れる~」が読み終わったら、一旦、「ミレニアムと私」を読もうと思っているので、なんとかなんとか、「火と戯れる女」もルーニーさんでお願いしたいですね。

D.ワシントン@デンジャラス・ランと。

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 これは強烈なお話っぽいな。チェックだな。闊達でダーティーで、しかも、論理の軸がぶれていない主人公、日本の映画では皆無だな。カナタを持てばその部分をくみ取ってもられるという安直なアプローチが、ひいては市場をフラット化していないだろうか?何も考えずただ「楽しい」だけのエンタメ。瞬間風速だけを、映画の存在価値を貨幣価値で査定することは大切ですが、あまりにも、右向け右の規律と相関性において長期的なトラップは組み込めなさそう。「売れる映画」が面白くなる方程式はたぶんどこにもないのかもしれない。だから、「面白い」の意味があるのかもしれない。つまり、直感で最後まで走り切るためには表現の条件を見極めて、ワイドとドローとデプスに時間軸をかけてそれが規定できるのかもしれないですね。クリエティブとはほんとに難しい・・・。

プロメテウスの仕掛け。

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 リドリースコット監督の最新作「プロメテウス」。賛否両論あるようですが、それでも、テーマはいいし、映像も間違いないはず。本格的なSFであることも間違いないが、それでも賛否両論あるらしい。映画とはそういうモノなんでしょうが、「人間はどこから来た・・・」というテーマでイマジネーションを膨らませる人が日本の中の映画を観る人の中で何人いるのだろう?と考えてしまう。映画って多様だから面白いのでありその多様性が魅力ではあるが、作り込み過ぎ絞り込んだテーマならではの孤立感という作品の臭いもしなくはない。楽しみな映画ではあるが、「エイリアン」を超えることはないだろうな。

「ボーン・レガシー」楽しみ。

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 M.デイモンの3部作の続編となる「レガシー」。さてさせて、主役が代わり普通のスパイ映画になるのか、ノートンが異才を発揮してくれるのか・・・ちょっと楽しみです。原作は書店で一回二回手にしたが、マット・デイモンはもう出ないということで読んでいない。期待値的には35/100ぐらいかな。

 続編で言えば、「ミレニアム 火と戯れる女」はどうなっているのだろう???現在、上が終わったところ、いよいよ盛り上がってくる感じです。これがハリウッドで映画になったら・・・うん、いいだろうな。

 ちまたは「るろうに剣心」のテイですが、まぁ、特筆するものはない。「アベンジャーズ」もスルーでいいだろう。でも、「ボーン・レガシー」は楽しみです。

リアルスティール。

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 ちょっと最近、「ドラゴンタトゥー~」を観てしまってから、最新の映画をチェックする気持ちが沈んでいた。ドラゴン~に圧倒されたからなのですが、でもでも、やはり、これはチェックしたいなぁ~と「リアルスティール」を観た。う~ん、安心する以上にいい感じの興奮があった。それに、近未来の設定なのでしょうが、またまた、人間臭い感じが最高。H.ジャックマンの無骨な父親がまたいい。そして、息子のキャラがまたいい。そんでそんでアトムである。なかなか、いろいろな意味で完璧という映画は少ないが、これは安心して映画の物語に120%感情移入できる作品でした。まぁ、アベンジャーズ的なノリはそれはそれでよし。日本映画も韓国映画も特筆するものはなし。だから、このタイミングでリアルスティールに手がのびるというもの。これはひとつ手元にDVDを置いておきたい作品でしたね。
 たかが「ロボットボクシング映画」、されど「ロボットボクシング映画」なのである。人間より人間臭いロボット。ロボットよりもロボットチックな人間の対比がまた痺れました。

宇宙人ポール。

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 こんなタッチがあったのか!この路線がこの展開でこのディテールはドギモレベルです。しかしながら、ポールのキャラはこれまでにない宇宙人のイメージをここまで細かく描写するか・・・という、いやはやなんとも素敵過ぎる映画でしたね。逆にETという映画、未知との遭遇という映画の路線を根底から・・・というタッチ。最近では、プロメティウス的なアプローチもあるが、人間臭い宇宙人というテイではなく、そもそも人間臭いって人間のルーツを考えれば、実は宇宙にその軸足を持って行くと・・・みたいなことさえSFチックに想像・想定してしまうぐらい、テンポがいい。小気味のいい映画、しかし、テーマは宇宙レベルみたいなとても素敵な映画でした。

せりかさん役、ピッタンコカン!

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 ムッタとヒビトはさることながら、なぜ、こうもう配役がイメージとマッチするのか?これもいい作品の条件。で、せりかさんが麻生久美子さんって!これ以上ない配役。恐らく他の登場人物も唸ることになるだろう。DVDのレンタルが待ち遠しい限り。で、ブライアンは誰だろう?私のイメージではあの人なんだが、あの人が「宇宙兄弟」に登場しているとは思えないし、そんなのネットを検索すれば、分かることだが、それは検索しない。なんでもかんでもイメージすることを楽しまずネットに依存するのは全くもって嫌いであり浅はかなる行為。逆にネットでキーワードを打ち込んで検索結果を分析するに、ほんとにこれだけ?確かにそれがヒットするのは理解できるけど、ちょっと、グーグルのデータアーカイブ偏ってないか!?とさえ感じている。グーグルや検索エンジンに依存して検索結果が情報の全てだと誤認するとそれこそ、均一な市場ができてしまうだろうし、必然的に均一なニーズに変化しないか?それがこのインターネットの最終的な目的ならば、SNSはその核弾頭だろう。スマホが手放せない人がいるってことですが、まぁ、これは末期ですね。余命で言うならバッテリーと同じかな。

 話は逸れたが、宇宙兄弟の捻じ込み方にはいろいろな戦略を感じる。しかし、それらの便宜的な部分よりも、やはり、軸に魅力があることが何より。このバランスが崩れると宇宙戦艦ヤマトになってしまう。まぁ、原作のポテンシャルは同じだと思うが映画としての成果物がああなると、なんでしょう、これ一重に集約のポテンシャルが影響大なのかな・・・。

 しかし、ブライアンは誰だろう???

千尋の成長。

 最近、親しい友人といろいろなお話をする機会があった。忌憚のないところでのぶっちゃけありきのテイではあるが、お互いに少しづつ社会規範にのっとり、普遍のモラルをトレスしながらのコミュニケーション論。お互いにお互いの「分からない」をぶっちゃけ合うが、まぁ、当然のごとく平行線。だが、このある一定の平行線感が有意義気な感じ。結論を出さない努力とでもいうのか、お互いに結論は棚にあげ、ボキャブラリーと自分自身の方程式だけを机上に上げ楽しく過ごすみたいな。これは、ネットではできない楽しいひととき。お酒のチカラで潤滑に雄弁に流れ出る言葉もどこかの時間帯からループが始まる。でもいい。何故かというと古い友人だから。以前にお互いのココイチの書籍を3冊づつ交換しようという案件で、彼からも3冊到着したが私の琴線に触れることのない文字列だった。その書籍で初めてそのジャンルのテイが盛り上がっていることを知るが、さて、だから?みたいな。つまり、これも前述の通りで、本人が目の前にいて、ご本人と親しい関係ならまた何か創造的な会話もできたろうが、書籍レベルの体感温度ではクソに近い価値だった。合わせて、私が送った書籍の感想を聞くがこれまた見事にノーリアクション。つまり、全てはそんなものなのである。自分のフェイバリットな何かと誰かのファイバリットにはいろいろな想定外の深い谷があるということ。これがまず大前提。で、昨今のツイッターやF.B.のそれがはなはだ疑問に思える。世の中がWEB1.0からブログモードになり、SNSが世界を席巻し、タブレットやスマホが浸透中。次は次は?と求め過ぎるイグアナ。さりとてこの短期間に進化できるはずもなく、爪も伸びなければ、水かきが指の間に出て来るわけでもない。だから、サボテンの花も水中の海藻も遠い。しかし、ネットの中を回遊する人達はサボテンの花を海藻を食べたような気になり空腹を満たしているみたいな。だから、何が「いいね」なのか・・・と。

 さて、昨晩、「千と千尋の神隠し」をテレビで放映していた。この映画何回観たことだろう。恐らく30回以上は観ている。が、ラストシーンまで釘付けになる感じは何故だ?ジブリの映画に言えることだが、宮崎さんが作成した以外のアニメ映画は見事にノーカンなのに対して、なぜ、宮崎さんの作品にはあれだけのいろいろな何かが潜んでいるのか?映画を観るたびにその潜んでいるモンスターが画面の中に現れてくる。それは、言わば、観ている人を映しているとでもいう表現の感覚。あの頃、世の中のジブリ作品のファンが騒いでいた頃に観た感覚と、こうして時を経て観る時、同じ作品なのですが、何か新しい印象がそこかしこに散りばめられていることに気がつく。それは、宮崎さんの映画は観ている人に何か小さいジャブを打ちこんでくるからかもしれない。映画作品を創る段階で、創り手は観ている人に対して受け身が基本姿勢なのだが、あまりにも膨大で感覚的な魂が込められた作品というのはその作った人と観ている人を繋げる仕組みが内在しているような。これを「感動」「絆」「学び」だと便宜上の語彙で処理することは簡単だが、非言語に対して言語や論理はナンセンス。非言語なら非言語で受け取らなければ。それを受け取ることができる人だけ用に実はトラップがあるのだと思った。何回観てもいいという言葉の裏に実はその作用が機能している。

 で、友人の言葉の中にある何かと、宮崎さんの作品の中にある何か。恐らく、私個人に対して捉えるならその構図は同等であったはず。だって、友人も一人の人間だし、宮崎さんも一人の人間。それを目の前で語るか映画作品で語るかの違いだけですから。しかし、映画の中での千尋の成長は、少女が大人に・・・などとクソみたいな表現方法では何千通りパターンにも及ばない非言語なリアリティーがあった。もし、私が、何か絵を描き、友人が何かイラストを描き、それを交換したなら、無反応は回避できたかもしれない。千尋の成長をあの物語のテイで描くためのエネルギーって、原子力発電所に例えたら何基分のエネルギー創出量?って原子力発電所の発電能力と宮崎さんの創作意欲のエネルギーは人間社会に対して前者がマイナスで後者がプラスなのだから比較にならないが、それにしても、「伝える」ことは難しい。だから伝わった時の喜びがモノホンなのである。これを繰り返し、サボテンの花を、海中の海藻を食べれるようにダイブしなければならないのだろうと。すれば、豚になった父と母が還ってくるのだ。あの豚、あの奇妙なキャラ、顔なし、そして、後半に登場したシルエットの人達。あの世界観がいったい何からどこから生まれたのかそのことだけに気持ちを集中できたことだけでも、千尋の成長はドラマチックですよね。もっともっと人の心は複雑怪奇ですが・・・。

COOL!

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 そう言えば、最近このクールさがどこにもなかった。なかなかこうはいかないいかない。クールというのは絶対的に本能的に真価としてのクールでなければならない。が、それがこの存在感には充分に封印・内在・含有している不思議。ぜひぜひ、「火と戯れる女」も引き続きよろしくお願いしたい。この二人でなければならないんです。他のテイもあるようですが、それはそれ、これはこれ。ぜひぜひ、このリスベットでお願いしたい。

長寿の価値と意義。

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 「ブレードランナー」を観て思うことはいろいろあるが、その一つに「長寿」という価値や意義についてふと考えてしまった。「ブレードランナー」を始めて映画館で観たのは池袋。何かの2本立てでやっていた。なぜそこで初体験だったのかは覚えていないし、他の2本目が何だったかも覚えていない。そこからこの映画を事ある毎に見続けてきた人間にしてみれば、なんでしょう、この「ブレードランナー」で学んだこととまで考えてしまう映画って他にあるかな???と考えるが片手で足りることになる。

 さて、いろいろなことが盛り込まれ過ぎているこの映画の中で「生命」というテーマというか側面で捉えると、長寿大国日本の意義とか価値って何になるのだろう。長生きすることは何の象徴なのだろう?長生きすることは本当にいいことなのか?ロイのようにレプリでも短く激しい生命も生命。ただただ延命上のアリアで維持することにも勿論意義はあるが、それは本当に「生きている」ということになるのか?と問い正されてしまうこの重さはこの映画を観てしまった人間だけに芽生える性かなと。

 アンチエイジングしかり、若返りと永遠の命みたいなテーマで生命を捉える風潮がなくなり、その場その場のケースバイケースからクラウド経由の仮想空間に仮説を重ねてそこにリアリティーを求めている世代には、さてさて、この映画はどう映るのか?さてさて、「長寿」にどのような価値や意義があるのかな・・・と。ふと、思ってしまった。

キュートなヒロイン。

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 なんともキュートなヒロインである。ちょっと今世紀これ以上のヒロインは創造も想像もできないレベルでありクラスである。たぶん、これ以上のヒロインは無理ですね。この映画のテーマというかキーワードがあるとしすれば、恐らくそれは「本能」だろう。「羊~」のクラリスはちょっと知的路線だったが、リスベットは一周回ってキュート過ぎる・・・。

待ちに待った2ヶ月間。

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 原作を読み、映画館に足を運ばず、DVDを予約して本日入金した。恐らく明日DVDが発送されるだろう。こんなタイプの期待をした映画作品は過去にない。まだ何も映像を観ていないのに期待値だけが青天井状態。あまり期待し過ぎて失速した映画は数多いが恐らくこの期待値をこの映画作品なら軽く超えてくれるだろう。それほどの期待をしていますね。じゃあ、映画館に行けよ!ということも言われて来たが、ドラゴンの場合そうでもない。私自身、映画館で映画を観るということは映画に対する愛の表現だし、映画関係者の人ならば、映画館に足を運んでもらうために映画づくりに関わっているのだろう。しかし、映画を映画館で観るということに対して実は昔からあまりリアリティーはない。いやいや、映画なんだから映画館で観るべき・・・の「べき」が嫌い。映像作品を世界の巨匠が創造し、ハリウッドの世界のトップクラスの俳優が脚本家が撮影部隊が集結した作品だからこそ、一番、自分の気持ちが映像に向き合える場所で映像作品を観たいが私の正解。この映画は誰と観たいとかこのタイミングならこのタイプの映画を観なさい的なことはもうナンセンスの極み。さらに、原作や監督や役者の蘊蓄や、時代背景などを語り出す人間も実はNO THANKSである。細かい映画のパーツを自分で組み立て直したい人もいるがそれは映画でなければならないのか?映画とはみたいな議論も実はメンドクサイし、映画について議論なども実のところどうでもいい。ということで、近日中にアマゾンから到着するDVDが待ち遠しい。

 おおよそ2ヶ月以上、予約してから、待ちに待ったが、この期間さえとても意味があり心地良かったと思って振り返っています。

 これで、第2部、「ミレニアム 火と戯れる女」を読めるというもの。

ルーニー・マーラさん。

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 この女性がリスベット・サランデルの人とは・・・。監督恐るべし、原作恐るべし。いやいや、6月13日のDVDが待ち遠しいぞ・・・。

なんだあの映画!

 なんだあの映画!あの綻び加減、あの稚拙さ、何を言いたいのか?よりも、何がしたいのか?原作が微弱なのか?監督がやる気がないのか?スポンサーが映画を作る気がないのか?とにかく、金があったから、原作を映画らしいモノに創ってしまった・・・だけなのか。それにしても、どう考えてもヒドイ。

 ひさびさにヒドイ映画を観てしまったものである。90%ほどこうだろうなぁ~と思ってテレビの前に座ったが、最後の最後まで「なんでやねん!」の連続。どこかで映画のエンジンがスタートするかなと思って観ていたが、キーは手に握ったまま終わってしまった。この原作は映画にするべきではなかったのだろうな。恐らく。奇をてらうならもっとちゃんとてらってください。この原作者の書籍はそういう臭いがしたので、完全にスルーしてきたが、今後、何がどうあろうともこの作者の作品を手に取ることは永久にないだろう。残念と無念が7往復してしまった感じ。

 まず、タイトルが「プリンセス・トヨトミ」なんだから、王女か?それに、戦国時代と王女と大阪をもっとちゃんと歴史的にも創作物的にもちゃんと組み立ててください!これじゃ、大河ドラマと同じじゃん!

火と戯れる女。

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 そうかそうか、続編制作が決定か・・・。ドラゴンタトゥーのDVDが待ち遠しい・・・。

宇宙兄弟、いいっすねぇ~!

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 ひさびさに骨太なマンガというか、チャラってない物語だなぁ~と思っていたら、ちゃんと映画になる。こうしてピックアップされるんですね。もう、ゾンビとか魔術とか奥義とかふわふわした設定はイナフ!どうせふわふわするな無重力の中でガチでフワフワしようよ!みたいな。このご両名もドストラクのようですね。いやいや、旬さん、なかなかいいですわい・・・。

DVD予約しちゃった!

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 小説を読み終えた。早速DVDを予約してしまった。発売は6月なのに・・・。

この存在感。

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 最新作はなんだろう・・・。

映画「127時間」。

 「助けてください。」と心からなかなか言えないものですよね。そんな状況にはあまりなりたくないが実感ではありますが、そういう場合は常にいつ何どきでも発生する要素があるということ。致命的なトラブルにならないために人は日々警戒しながらそのトラブルを回避するために考えて行動しているということ。それは日常生活のそれに翻弄されて下手をすると意識できないことが多い。というよりもほとんどそんなことは意識しないまま自分なりのライフスタイルやルーティーンで生活をしている。比較的安定した日本の一般的な生活であるから、「生きがい」や「やりがい」はフラット化し、大切な人とのコミュニケーションもその無意識さ故に充分に出来ていないことが多い。これはあくまでも主観として。しかし、本当のガチのトラブルになった時、人はそれを回想しながら自分自身を見つめ直す。最後の最後、これはもうダメかなという状況まで人は弱音をはかない生物なのかもしれない。本心を口にしない人というフレーズが映画の中にあったが、それはこの映画の主人公だけではない。多くの人が本心を口にしないまま最後まで突き進んでいるような気がする。自然の中に自分だけとりのこされ、自由を奪われた時、何を考えて、何を思い、何を感じるか。時間の流れ、自分の人生のこと、もっともっと、あの人にこの人に伝えるべきことはなかったかのか・・・と。

 で、人が求める自由の大前提に実は繋がっていることがあるのだと。なかなか、忘れない属性の素敵なカッコイイ映画作品でしたね。この作品は「買い」ですね。

 人は強いが弱い。

リスベットはいい感じですね。

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 確かに、リスベットのキャラ設定はいい感じですね。今後、ミレニアムの1・2・3の全6冊がとてつもなく楽しみになっています。このキャラって「よくぞ・・・」みたいな捻じ込み方ですね。いいですいいです。好きです好きです。

オリビア・ダナム@フリンジ

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 以前にこのブログで世界で一番素敵な女優はA.ジョリーだと書いたが、それはある意味そうなのかもしれないが、自分の中でそれが変容しつつある。まだ、フリンジしかしらないからこのアナ・トーヴという女優さんののびしろは未知数。しかし、フリンジについてもすでにファイナルステージ(4)がそろそろDVDリリースってことで、現在サードシーズンの5巻あたりを楽しんでいるのですが、それでも、なんでしょう、ダナムはいい。極端な比較ですが、過去にA.ジョリーの作品を20本観ているとして、ダナム@フリンジで比較すると、約1時間が1話だから22×2=44話を観ている計算になる。仮に映画が2時間としても、映画に換算すると22本分。ということは、A.ジョリーと同じぐらいの映像でダナムを捉えると、明らかにアナ・トーヴが勝る。しかも、A.ジョリーが連続で22話はちょっとキツイ。すると、物語に登場する主人公の立場で女優というテイで魅力的な演技をクリエイトしているとカタク捉えたとしても、アナ・トーブが勝ち。

 で、サードシーズン。すでに5巻だから10話を観ている計算になるが、それでも、11話目が観たくて観たくて仕方ない。これは物語は勿論秀逸だし、脇も最高値に等しい。が、やはり、それでも、なおかつ、ダナム(アナ・トーヴ)なのである。

 ファイナルシーズンが完結したら、全44本のDVDはコレクトしたいと思っている。

映画「TIME」。

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 全ての人間の成長が25歳で止まる。最も価値があるのは「時間」だという世界のお話。これはCMで得た情報です。さてさて、この映画誰が観る?勿論、私自身はこのテイは大好きだからDVDは絶対にレンタルして観ますが、このタイプの映画を日本で公開していったいどれだけの人間は反応するだろうか?と想像してみました。時代劇や「はやぶさ」的なタッチや激動の歴史とか、はたまた、時勢のテーマをアイドルや人気俳優が登場してノリで映画に・・・みたいなのが氾濫するこの小さいバケツにこの色はちょっと馴染まない。そもそも、「人間の成長が25歳で止まる」という部分にどう喰いつくのだろうか?かなり好奇心の強い、SFに精通している人でないと、最後まで持たないような気がする。いい映画か悪い映画か?などと観る前から先入観を独り歩きさせる必要もないが、恐らく原作は何かの短編、もしくは、監督のオリジナル脚本だろう。あのCUBEでさえ、映画が好きな人は喰いついたが、この「TIME」かなり変化球と捉える人が多くないだろうか。しかし、「ジェノサイド」が結構反応いい市場なんだからそのあたりがストライクゾーンの人はこれをチョイスするかもしれないだろう。

 で、全然内容や原作については情報をリサーチしていない段階ですが、時間軸モノならさらに喰いつく感じは想定できないと思う。恐らく「ミレニアム(ドラゴンタトゥーの女)」でもさほどトルクは上がらないような気がします。ってこれもメディアコントロールの部分的な印象だとしたら逆に市場はもっといい感じなのだろうが、そのあたり、実際、この映画の反応にとても興味がありますね。

映画「サンクタム」。

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 昨晩新作映画DVD「サンクタム」を観た。キャメロンの新作である。「アバター」から一転して舞台は地中へ。実話からの映画化ということで実に見事にアバター路線をいい感じで裏切っている。「アバター」の余韻と「サンクタム」の余韻で言えば圧倒的に後者。結局、仮想空間のイマジネーションの世界でいくら技術的な迫力と繊細さを見せつけられても3Dごときの表面的な錯覚で引き付けようとも、映画の物語に質量がないと余韻値は低い。ってことでとても良かったですね「サンクタム」。ベッソンが「グランブルー」を創りたかったように、キャメロンは「サンクタム」を創ったみたいなことかなと、自由自在な素人映画評論を展開して、ひとり納得しています。で、フィンチャーのミレニアム「ドラゴンタトゥーの女」ですが、ここはどうかな?書店で原作を発見したが、チラミすることも封印してしまった。レンタル開始まで温めたい作品ですね。

 息子が言う。「ただの岩だろう!」 親父が答える「ここにいると自分が自分でいられる。」みたいなニュアンス。いやいや、本丸ですね。

「ドラゴンタトゥーの女」か・・・。

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 「衝撃の世界的ベストセラー3部作完全映画化!」ってどういうこと?「原題」は?、で、どういう物語なのか?タイトルとD.フィンチャーが監督だということぐらいしか情報はリサーチしていない。けれど、この映画は観る。「少女失踪から40年、二人が突き止めた身も凍る真実とは?」って?SNSの後にこれってことはかなり挑戦しているってことかな?龍年にかけて「ドラゴン」なのかな?たくさんの「?」が散りばめられている。公開前のPRってこういう感じが楽しめますね。これが本当のワクワクドキドキですね。フラットなミニマムな情報からユーザーのイマジネーションが膨らみ、それを越えるクリエイターという構図。裏切られれば次はないし、期待を越えれば次に繋がる。全てがこの連続性で成立しているのです。

 で、最初に裏切ったのは創り手か観る側か?発信者か受信者か?みたいなことでしょうね。

「17歳のカルテ(Girl, interrupted)」

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 この映画(DVD)はずっと封印していた。実はこのように間違いなく観たいのですが、観ていない映画がいくつかある。なんでそんなことをするのか自分自身でも確証がないのですが、この映画をまだ観るタイミングではないかなと思える映画。勿論、「17歳のカルテ」も1999年の映画ですが、映画館では観ていない。これを知ったのはそれからすぐだったが、それでも、レンタルすることはなかった。で、今年の4月ぐらいにこのDVDを買った。買ったが昨晩まで封印しておいた。うーん、良かった。こんな映画だろう、こんなシーンだろう、こんなニュアンスだろうという部分がピタッとしっくりくる感じに大満足でした。いい映画はこれだなんて大それた法則もルールも理論も持っているわけではないが、なんというか、しんしんと重ねられるシーンとシーンの隙間に詰まった質量と密度。始まって引き込まれる感じや登場人物のそれに感情移入できる感じが、やっぱいい映画はこれだなぁーという余韻にまだ浸っています。

 いやいや、この二人はやっぱいいわ。なんか、秘伝の秘蔵の絵巻物をひも解いた感じです。

REAL STEEL.

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 男が惚れるとなるとちょっと語感とニュアンスが難しいが、でも、カッコイとはちょっと違う、艶っぽい俳優というか体温があり(全員あるのだが・・・)、どこか憂いがあるってことでは、年齢のこともあるのですが、ヒュー・ジャックマンはストライク。M.デイモンはカッコイイがまだ10年先・・・みたいな感じ。それでそれで、この年末の期待したい1本は「ゴースト・プロトコル」ではなく、この1本だろうな。映画館に行きたいな、でも、年末はそんな時間がない場合多い(ってほぼ毎年このまま年が明けている。)ので、おそらく、DVD待ちだろう。お話的にも温かくどこまでも感動モードになれる一作だと思うので、余計な疑念や無駄な蘊蓄は捨てて素直な心で鑑賞に浸りたい、浸れる一本かなと思っております。

 もうすぐ、「SUPER8」のDVDが出るので、間違いなくDVDを購入してゆったりともう一度鑑賞したいです。年末の唯一の贅沢はDVD鑑賞かなという感じになってきましたね。皆様、年末の感じはいかがでしょう?

世界で一番稼ぐ女(ヒト)。

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 現在の映画出演料が一番高い女優がアンジーさんだそうです。凄いですね。一人の人の魅力が大きなお金や企業の意図を表現することでの代価がそれなんでしょうね。人間って素晴らしいです。美しいだけではない何か大きなチカラがあるのでしょうし、作品や監督に恵まれてあらゆるタイミングがベストマッチしたらこうなるのでしょうね。美しいだけではない何かって実は美しいより大切なのかもしれません。

コンテイジョン(contagion)

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 この映画のタイトルの意味は接触伝染病。ウイルスよりも早く恐怖が世界を震撼させるというタッチ。それは恐らくこのネット時代、一瞬だろうから、実は、ウイルス本体よりも情報の交錯が恐怖を煽るのだろうというメッセージのリアルだろう。とてつもない俳優と女優が結集しているこの深いシリアスなテーマ。さらに、マット・デイモンも出ているとなると、これはチェックである。しかし、ヒアアフター(hereafter)良かったな・・・。

映画「HEREAFTER」。

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 意外とクリンスト・イーストウッド監督の作品は観ている。戦争関係の映画以外は観ている。本当に名作揃いなのですが、昨晩観た「HEREAFTER」は最高でした。恐らく今年もいろいろ映画をDVDや映画館で観たがベスト3に入ってきました。いわゆる、「リズムやインパクトやまして表現力」で押し切られ型の映画ではない。監督が自分の描きたい世界をとことん描いたからあとはポテンシャルにお任せしますので引き込まれてください的な「引き込まれ型」の傑作に近い。とにかく、レンタルショップさんではたくさんある棚の下段2列にひっそり置かれているから、ちょっと心配ぎみに手にしたが、冒頭3分で安心して最後まで観ることができました。やはり、このタイプの映画は明らかに「海猿」とは違う。

 で、次にマット・デイモン。このところ、個人的に特筆する映画の半分ぐらいはマット・デイモンが出ている。オーシャンは別にどうでもいいが、他の映画についてその存在感は他のどの俳優とも一線を画しているように目に映る。容姿と演技力などいうチープな語彙で表現できないマット・デイモンの魅力とはなんなんだろう?逆にどうなのよ?の連続でこれかなという感触が掴めないまま、映画は終わる。終わっても深い大きな余韻が残っているのにそれは何なのか定義も分析もできない魅力。本人の人間力50%と恵まれた監督・スタッフを引き寄せる運みたいなもの50%のような。とにかく、映画の画面に収まった時の全てがいい。

 で、で、この「HEREAFTER」という物語。恐らく、原作はなく、監督の組み立てた物語だろう。タイミング的に公開されて、津波のシーンの問題やテロの問題や死後のスピリチュアルなテイストが賛否両論ではあるが、それは、まぁ、この映画を語る時、大きなファクターではない。そこに注視する必要はなく、漢字で「死後の世界」みたいなことをあえて書き出すからそれにハエが飛び回る構図。美味しそうな臭いがすればそりゃハエは飛ぶ。しかし、この物語をどう捉えるかでこの映画の真価がみそにもクソにもなるようなぐらい振幅の激しい深い大きなテーマを監督は観る立場の人間全員に投げているような。だから、どこか、この映画を観ながら自分自信が試されているような気さえする物語の展開でした。この感覚は誰か分かるかな?

 そりゃ犬の言葉が分かるハイジじゃないんだから、死者の声が聞こえるあたりで普通の人はリミッターが機能する。まして、3.11の後、津波のシーンは空気的にと社会性とかセオリーとか先入観の警戒ランプが点滅するはず。でも、監督はそれさえ的から外して「人間の強さと弱さ」をしっかりと描き分けていると思えた。これがこの映画の本丸であるはず。うんうん、まだまだ、心の中にラストシーンの余韻が残っていますね。

「サイボーグ009」が復活する。


 いつか来るだろうとは思っていたが、こういう作品になっているとは、知らなかった。

 最新のテクノロジーで石森先生のあの009が復活です。どれだけ石森先生のコミックスから、テレビアニメから、この9人のいろいろなシーンを描いたことだろう。子どもの頃、ヤマトよりもドカベンよりも仮面ライダーよりも「009」が一番描いていたような記憶が蘇る。そんなファンは相当多いはず。ちょっと、マイルドになり、ちょっと、人間っぽくなった9人が素敵過ぎる。これが進化なのか・・・と。

 で、公開は2012年の秋なのですね。まだ、2011年の秋なのに・・・。

映画「HEREAFTER」

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 監督はこの映画のオフィシャルサイトでこう言っている「死後の世界があるかどうか真実は誰にもわからない。ただ、人は誰も与えられた人生を精一杯生きるべきだと、僕は常に信じている。」と。まぁ、これだけを読んでもこの映画が秀逸なことは感じ取れる。が、しかし、日本国内の興行成績はどうだったのだろう?そんなことは関係ないか・・・。「アジャストメント」のマット・デイモンはなんとも素敵だった。ボーン役がはまっていただけに、グリーンゾーンも良かったが、「アジャストメント」はマットデイモンだから成立した映画のように感じられた。特にこの映画に関するいろいろなサイトやブログのレビューをあまり見ないので一般的な評判とか映画評論家のコメントとかもまったく知らない。ただただ、感じたことだけを書いているまさに「素人なんでも映画評論」ではるあるのですが、そんな、現在、もっとも注目しているマット・デイモンの最新DVDが「ヒアアフター」。たぶん、「このあと」みたいな意味なんだろうけど、もうすでに5日からレンタル開始しているのに、娘の情報では、最新作にも関わらずレンタルコーナーには数枚あったとのこと。まぁ、そうこれに飛びつきたい人も長浜市には少ないとみえる。まぁ、だろうなという感じはあるし、ビックリするような日本映画が全部空で、うんうん、サンミュージックさんのマーケットリサーチ力の正確さがこのレンタル率に表れていると感じつつも、「この映画が・・・」みたいな。まぁ、そんな映画は手に取ることもしないので、完璧に瞬殺でスルーしている。が、「ヒアアフター」がレンタル開始翌日に余っているってどういうこと!?斯く言う私も忙しく行けていないので同じ穴であるが、早く、ちょっと気持ちに余裕を持ってこの映画を観たいものです。早くしないと芸術の秋が終わってしまううう。

Bruce Willisカッコイイなぁ・・・。

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 あのダイハツのCMを初めて観た時はちょっと感動というかショック。そうかそうか出るのかBruce Willisみたいな・・・。どんなオファーをしたのだろう。CM撮影の現場はどんなのだったのか?どんな雰囲気で現場は進んだのだろう。しかし、呼び捨てにするなダイハツのスポンサー役、って感じ。しかし、カッコイイーーーー。

映画「X-MENファーストジェネレーション」。

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 うんうん、いよいよ、今日からDVDがレンタル開始。楽しみ楽しみ。

映画「アジャストメント」。

 昨晩、映画「アジャストメント」のDVDをレンタルして観た。最近では、映画「SUPER8」でかなりテンションの高いブログ記事になってしまったが、これもなかなか、GOODでした。動機付けは勿論「M.デイモン」と原作のF.K.ディックではあるが、それにしても、GOODでしたね。こんなブログでその詳細は語ることはできないし、まだ、観ていない人に対して残念なことはしたくないので、主観的な感想だけを少し書きます。

 まず、「運命」の捉え方がいい。人がそもそも信じている「運命」に対してこういう切り口でこういう物語にされてしまうと、そりゃ引き込まれるでしょう・・・みたいな展開。それをリアリティーにしてしまうシナリオや撮影技術や特殊効果や様々なアイテムを追いかけているだけで、あれ?「運命」ってそう言えばそうだよなぁ・・・となる。それが、M.デイモンとあの女優さんですから、引き込まれないはずはない。着想している視点とこの時代だからこそのこの映画、それが、しっくりし過ぎでベストマッチ。たぶん、日本国内での興行成績は悪かっただろうと想定されるほど、秀逸な映画でしたね。

 で、原作を改めて読みたいと今考えております。映画を観るまではステイしておいた原作本なので、早速、書店でゲットしたいと思っております。おそらくディックの原作だと思いますので、短めでしょうが、映画を観た後だから、また、ディックの原作が沁み込む感じではないかと思っております。

 ぜひ、この秋にDVDレンタル的にはオススメの一本ですね。

映画「ハンナ」。

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 9月16日「アジャストメント」、9月25日「X-MENファーストジェネレーション」、そして、10月「ヒアアフター」と楽しげな映画のレンタルが開始される。そして、次あたりで恐らく「SUPER8」がレンタルされる。つまり、DVDの販売開始となるだろう。どれも一回観た上でDVDの検討となる予定。「SUPER8」は絶対に手元に置いておきたい作品だったし、上記の3本はいかなものか?

 で、映画「ハンナ」という作品が何かのレビューで紹介されていた。物語の骨子はよくある復讐劇になるのだろうけれど、主演が「ラブリーボーン」の女の子。「暗殺者」という定義が日本ではリアリティーがないので、海外の慣習というか文化というかシステムを一番感じやすいメタファであることから、どもう、心が反応しているのだろう。非現実的なスリルに対して感情移入する変数に魅かれているのだろう。実際、どんな理由であれ人を殺すという倫理は常道を逸していると思いこんでいるが、ある状況下である条件が揃ったなら人は暗殺者になるのだろうか・・・?みたいなイマジネーションである。

 芸能界とB団と政治家の連携・連動は毎日ゴシップのネタとして尽きないが、ゴシップになった段階でリアルの質量が薄くなる。それほどメディアが失墜しかけているのだろうが、それでも、メディアは偏った視点でニッチなゴシップで日銭を稼いでいる。文化にも歴史にも教育にも経済にもさほど根幹に響かないゴシップ。本当に動いている人、創っている人、考えている人には無縁の茶番劇。何かが大きく変わろうとするとき、そのトリガーを引くのは悪意のない優しい女性の指なのかもしれない・・・みたいな物語を期待してしまいますね。

 まぁ、160億円を浪費したなんとかメガマックスみたいな映画に一喜一憂しているうちに、そっと、小さいな指がトリガーにかかっているぞみたいな・・・。

「荒川アンダー・・・」の実写版!?

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 ほぉー、「荒川アンダーザブリッジ」の実写版があるのか。で、ニノ役がこの人。まだ、1巻しか読んでいないので、楽しみにしています。小さい情報源にダイブしたので、ちょっと危険かなと思いきやこののびしろは結果的にアタリの予感ですね。このままゆったりと最終章まで集めてみたいと思います。

映画「アジャストメント」。

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 たぶん、9月のDVDレンタルのイチオシはこれだろうな。楽しみ楽しみ。グリーンゾーンはちょっと戦場に馴染み過ぎでした。ファンとしては、もうちょっとM.デイモンが画面に出てほしいなぁーという感じでした。X-MENもレンタル開始ですし、楽しみ。その次あたりに「SUPER8」が出てくるから、これは絶対にDVDを買いなので、このあたりがこの秋のオススメです。

映画「グラディエーター」最初のシーン。

 ふと、ただ、気まぐれに欲しくなったので、ずっと、欲しかったのだろうが、いまさらながら、DVD「グラディエーター」を買った。最初の麦畑のシーンからもう一気にローマ時代に気持ちがダイブ。特典付きのDカットDVDだったので、リドリー・スコット監督のインタビューやラッセル・クロウの撮影の合間のカットなどもあり、なかなか、素敵な2枚組のDVDコレクションになりました。

 しかし、何回見てもいい映画はいいですね。最近、無謀にも自分で映画を撮りたい撮りたいと言いながら、10年以上が経ち、こんなど素人以下の輩が何をどうあがこうが映画などエベレストより高く、もしかしたら、月より高い位置にあるかもしれなのに、どうしても、映画作品を創りたいという気持ちが、失速しない。映画に精通している人や映像カメラマンの人や何本も映画作品を作成している皆様には、いつものことながら、厳しい言葉を頂いているのですが、それでも、映画作品を創りたいという気持ちが失速しない。ある方からは「まず、創りたい創りたいではなく、短い、ほんの数分のでいいから、撮影して編集すれば、いかに映画が難しく、楽しいものか体感できます。」と言われた。まさに!です。まず、スタートラインに立つためにも、「やりたい人」ではなく、「やり始めた人」にならなければ、何も始まらないのである。

 で、「グラディエーター」の最初の麦畑のシーンをどこかで撮影してみようと思う。あれ、難しいのかな?ということ、被写体深度の浅いカメラがいるぞ、となる。そうだそうだ、カメラだカメラ。

宮崎駿さん怒る!

 昨晩のNHKの番組に宮崎駿さんと息子さんの吾朗さんが登場されていた。「コクリコ坂から」の制作ドキュメントである。監督が吾朗さん、脚本が宮崎さんという組み合わせ。冒頭から完全に気持ちをロックオンしてテレビを観ていました。特に印象的だったのが、二人ともほぼ全ての画面でタバコを持っているか吸っているかしていること。宮崎さんはもうすぐ70歳。ほぼ1年を通して撮影された全ての登場シーンで宮崎さんはタバコを吸っている。心も身体も魂も健康な証拠である。「今日も元気だタバコが美味い!」なのである。

 そして、3.11、スタジオジブリはスタッフの安否を気遣い映画の制作追い込み期間にも関わらず、3日間の休みを決定する。しかし、宮崎さんは激怒!なんたることか!と。そこで宮崎さんが取材のカメラマンに言った一言が「絶対に制作者は現場を離れてはいけない!」だった。制作現場を離れて何が映画づくりだ!と。どうせ死ぬなら制作現場で筆をもって鉛筆を握って死ぬほどの覚悟がなければ映画なって創れないんです!と。これがジブリの心臓なんだと思う。これが宮崎さんの真骨頂なんだと背筋が寒くなり心と魂が震えた。「僕たちは映画を創る人なんだ、被災された人、災害地の前線で不眠不休で復興に取り組んでいる人に対して敬意を払いながら、僕たちは映画を創るんだ!」と。余震の中、筆をすすめた。作画を進めたぐらいがちょうどいい感じに伝説になるんです!と。その言葉を吐き出す宮崎さんを凝視する吾朗さん。凄まじい親子の構図である。

 で、映画の試写会が終わり。親父と息子の間にこれと言って会話はなし。その後、宮崎さんは取材の方に一言。「う~ん、少しは俺を脅かしてみろよ!」と一言。そして、その言葉を吾朗さんに伝えると、吾朗さんは笑顔で「くそっ!」と東京の街に消えていかれました。なんてなんて素敵な親父と息子。

どこが!?

 先週の日曜日、久々に映画館で映画を観た。目的の映画は想像以上に満足だったので別段それについてそれほどブーイングするつもりはなかったのですが、にしても、それってそれだけ何故人気があるのか?と不思議な感じが逆に改めての部分でリアルだった。そもそもそれは登場して相当年数が経っている。世界中でもブームなった。そこそこブレイクもあった。いろいろなグッズが世間を席巻した。ゲームに当然なった。それはそれでいいと思う。そういうベクトルがブーム的にハマることもあると捉えれらなくない。そんなこと言ってしまえば、AKBもエグザ~も韓国ブームもそれで考察想定内である。それを結果戦略だと言える人はそもそも結果が出ていることで事後のフレームとして理論武装しているのだから必然視もできよう。そして、年代的なことや仮にその戦略が的を得てなくてもそんなバイオリズムはエンタメの世界ではループしているもの。つまり、波動に乗ればセールスに結び付く。そして、そのポイントさえ見誤らなければ必ずトップに駆け登れるだろう。それに、選ばれたことにすれば、現在のそれが例え空虚な存在だったとしてもそれをたまたま偶然としてポテンシャルが内在していたとすることもできなくはない。全てのブームは一定のサイクルで巡っているという仮説の元にだが。しかし、それには、そのパターンもなくブレイクしたように考察しているし、他のアニメと比較してもそのキャラはさほどのびしろもなければ展開力もなければ魅力もない。さらに物語性が高いか?高くない。その存在自体に魅力があるのか?絶対にない。例えそれが子ども騙しだとしてもである。自分が子どもなら騙されてあげたのか?絶対に、自分自身が小学生でもそには120%反応はしない。もしや、それが世界を席巻しているなどとこの狭い日本で捉えているから黙視的になってしまうのか?もっと、視野を広げて捉えればそれはさすがにそれだけの価値と魅力と展開力があるのか?いや、絶対にない。あまり、ブレイクし頂点を維持しているこのムーブメントを頭ごなしに否定・嫌悪するのは良くないことだし、このテイについて一事が万事、天の邪鬼な私がへそを曲げて分析しているからかもしれない。僭越ながら、それでもである、それはどこが何がどのように一定以上の指示を長期的に引き寄せているか全く不明である。もしかして、私にはその神経が先天的に存在していないのかとも考えてしまう。

 それが、この夏休みに向けて「黒か?」と「白か?」だって!なんじゃそりゃ!?テレビアニメならいいが、映画ですよ、それも2本立てで、「BLACK OR WHITE?」って、なんでやねん!!!ほんとにこれだけは心の魂の精神の興味の好奇心のメモリが動かない。見事に動かない。

 なんなんだ!ポケモンって???

映画「SUPER8」。

 やはり、アタリだった。公開されてもう数週間が経つ。上映室には10数名。でも、明らかに「SUPER8」を観にきた感が漂う人達がいないぞ。他にも上映室は8ヶ所あるが、いずれも、ポケモンなどのお子様夏休みモード作品ばかり。これを映画館で観るのか?となる。まぁ、それでも、この時期、パイレーツでもX-MENでもなく「SUPER8」という予感があった。全くノーリサーチ。CMしか情報は頭にインプットしていない。それを判断するに、この時期のこの映画にしてはまったく世間一般的なセールスポイントが感じられなかった。人気の俳優も女優も皆無。しかもどこかSFタッチ。これではたぶん日本のマスメディアにコントロールされている人達は反応しない。それが、上映室の10名で理解できる。

 しかし、アタリだった。どうアタリだったかは、タイミングを見てDVDが発売されるまでにじっくり分析したいと思っています。もう数回頭の中ではこの映画が最初のシーンからラストシーンまで繰り返させる。覚えている限りのセリフとシーンを反芻しています。噛んでも噛んでも美味しい感じ。ひさびさの映画館での映画。このアタリな感じは爽快でした。

 いい映画と出会えたあとのこの感じ、う~ん、なかなか言葉にできない。

映画「ソーシャル・ネットワーク」

 いつものことながら、D.フィンチャーにはいい感じでやられてきたが、さて、この映画「ソーシャル・ネットワーク」はどうだったのだろう?もしかして、これは「フェイスブック」のプロモーションビデオだったのだろうか。設定も物語もリズムも悪くはなかったが、この映画はD.フィンチャーでなければならなかったのだろうかという気持ちがまず見終わった時の印象でした。もっと、何か仕込まれているのか?とか、意外性というか、そんな部分を期待して観ていたからであり、これまでの作品は間違いなくそのテイストがあったのに・・・。残念というほどのレベルではないが。

 しかし、最近、あるイベントに関連する物語(原作らしきモノ)を仕上げようと取り組んでみたが、その難しさに放置状態になっている。一気に思っていること考えていること感じていることを物語化しようとしたのですが、自分自身の奥の浅さが簡単に露呈した。モチーフを描くために必要なリサーチというか体感している材料が少な過ぎたと反省している。しかし、この物語はどうしても完成させたいと思っている。想定以上に時間が必要かもしれないが、絶対にひとつの物語として完成させなければならない。一人で完結する作品である絵やイラストや小説などは、他人の意見を考慮せずに自分の世界をただカタチにするばいいが、映画を作成するための原作、もしくは、物語を構築する流れでの映像化などと、最終的に多くの人の手や想いを内在させる成果物にするためには、自分勝手な世界観や展開では全然ダメだという壁がある。なんとかなるだろうとか、この感じはこう書けばたぶん伝わるだろうということでは、絶対になんともならず、伝わらないということ。この現実は結構大きい壁である。

 共同作業であり組織で何かを作成する場合、いろいろな意味の「足並み」というか「協調性」が必要だということなのだろう。これは、非常に自分的には難しい。経験値がないと言ってしまえばそれまでなのですが、では、この経験値はどうして会得すればいい。情報が飽和しているとは言え、この場合の本当にほしい経験値はネットの中には存在しない。例え、フェイスブックで何万人の友人がいたとしてもそのルートから経験値がダウンロードできることはない。だから経験値なのである。正々堂々と正面からガチで取り組んで失敗して失敗して失敗した後に、何か手の中に残るリアリティーが経験値であり。失敗の過程から情報ではなく知見としての見方や捉え方が会得できてこそなのである。だから、いつもこのことを頭の比較的前の方に置いて反芻を繰り返している。それに取り組むためのアプローチもできることをやっている。情報やネット上の好奇心はこうも簡単に連動・連結・連鎖する時代になったのに、この感覚だけはどうしようもない。ネットの情報がこうも「学ぶ」という存在と距離があるとは・・・。

 で、映画「ソーシャル・ネットワーク」がPVに見えてしまったという訳。

映画「127時間」

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 最近、特に、気なる映画は全くそれを観るまで予備情報をできるかぎり入手・リサーチしないようにしている。ちょっとでもテレビとかで適当な紹介をされているとすぐに目を反らし内容も聞かないよう音声をミュートしている。勿論、WEBサイトなどでの情報も全く入手しない。ただただ、自分的に「気になる」という感覚を映画館やDVDを手にする時まで反芻し純化させることが楽しいと思っている。

 「しかし、そんなことをしていると、ハズレが多いでしょう?」と言われるが、それが意外と少ない。逆に前情報を調べて調べて映画を観ました。で、ハズレの方が確率的には多いことに気がつく。これは、どういうことか?まだまだ、ゆるい仮説の段階ですが、飽和している情報には操作しようとする作意が在り過ぎて実際の映画作品の本質を歪めているのかもしれない。その情報を編集した人のポテンシャルが低かっただけかもしれないが。つまり、情報情報ってもその程度がリアルなところでしょうね。

 だから、この映画はまだ、数行のあらすじとこのメインビジュアル的なモノしか入手していいない。「気になるな」と感じた際の情報からまだ1歩も踏み込んでいません。この直観が意外とのびしろを頂ける場合が多いので楽しみにしています。

 で、ついでに「スーパー8」は今、一番の本丸。これも、CMしか見ていない。ネットでも雑誌でもどこでもこの映画についての情報を入手することは簡単ですが、まったく、それらに触手はのばしていません。で、来週あたり映画館に行こうと思っております。監督は誰かぐらいはCMで知っていますが、その程度で、ほぼ、予備知識0で観るこの映画「SUPER8」も楽しみにしています。

JAZZ男(じゃずお)、来る!

 実は今、「JAZZ男、来る!」というタイトルの映画を創ろうとしています。映画など創ったことのない私が何故このようなふざけたタイトルで高尚なJAZZを物語化しようとしているのか?を少しづついろいろなことを考えながらこのブログで紹介していこうと思っております。これは、ぶっちゃけの部分、自分が考ている映画のイメージを冷静に後日読みなおしたいからこのブログに書き出しているだけで、もし、これを読んだ人から、いろいろなアイディアやJAZZについての情報がちょっとでも集まればいいなかなと思ってブログ記事として書いています。そもそも、JAZZって何だろう?みたいなところがこのタイトルを着想したきっかけなんですが、いつか、どこかで、このようなタイトルの映画のDVDを発見したらこのブログのことを想い出していただけると嬉しい。って、まだ、何もこれと言って具体的なイメージがあるわけではなく、本日から少しづつ材料を集める段階。「この不景気な時代にさぁ~JAZZの映画って呑気なことを言っているものだこと・・・。」と世間一般の感覚だろう。が、この「世間一般」についての是非についても、JAZZを語ることで描くことで描写出来ないものかと思っております。で、JAZZなんだから、楽しくユーモアを盛りこんでスタイリッシュにムーディーにとネタを書き溜めています。言わばそんなことが映画創りの出発点でもいいのかなと思っております。制作費はどうするのか?協賛はどうするのか?配給会社はどうするのか?どこで上映するのか?誰に出演をお願いするのか?など全く0。でも、JAZZの映画を創りたい。この無計画で支離滅裂な感覚、さて、ありかなしか?

映画「ROBIN HOOD」。

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 ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット、そして、リドリー・スコット。なぜ、この時代の馬のシーンはこもうかっこよく、日本の戦国時代のそれは、ああももっさいのか?まぁ、もっさい話はさて置き、ラッセル・クロウ的には「グラディ~」を超えなかったが、それでも、代表作だと言えるのではないでしょうか。博士役も諜報部員役も勿論いい味なんですが、この時代とクロウは何故こうもマッチするのだろうか?その芯の部分をどこまでも理解している監督リドリー・スコットって、やっぱ、凄いですね。最初から最後まで安心して心を開放してドキドキできる映画でした。

映画「ブラックスワン」。

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 映画館には行っていないし、原作本にも手を出していない。そして、公式WEBサイトでも詳細はリサーチしていない。ただ、CMでしか知識を入れていないこの作品に対する温存感。たぶん、相当いい感じだろう。希望的観測をするに、「アイズワイドシャット」と「シャイニング」と「時計じかけ~」と「ビリー・ミリガン~」と「アマデウス」を足して2で割ったような映画レベルに期待しています。だから、何も情報を入れずそっとトレイにDVDを滑り込ませたい感じ。「17歳のカルテ」や「モンスター」も心の壺に温存してあるのですが、それと同じぐらいの期待値ですね。

映画「幸せのちから」。

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 珍しいタッチの映画をテレビ局がチョイスするなぁ~と思った。ウィル・スミスと実の息子が共演するという素晴らしい映画「幸せのちから」。一方でウルトラスパーマン「ハンコック」を展開しながら~の、このどこか社会からドロップアウトしそうな男を演じてしまうウィル・スミスの凄さ。たぶん、実の息子さんだろうなぁ~と思いながらのこの物語はなんとも切ないタッチで淡々と進む。アメリカの社会全体が抱えている問題なのか、この主人公の見極め方や判断力の過ちが原因なのか分からないが、この状況をどう打破するかという描き方をテレビの人達が、「どこか現在の日本とシンクロしているからチョイスしてみようか・・・」的な意図を感じてしまった。父と息子が現実の社会で日常の生活を維持するために、つまりは、生きていくためにどのような葛藤をしてどのような取り組み方をする~みたいな部分が非常にリアルに描いてあったような気はする。しかし、しかし、なぜ?わざわざ金曜ロードショーなのか?

 テレビの人は「ウィル・スミスも映画の中で頑張って、ドロップアウトしながらでも粘り強く頑張れば最後に道は開けますから・・・」的なささやきがそこかしこで聞こえてきそうでちょっとテンションは上がらなかった。そんなななめな見方はダメなんだろうけど、やはり、映画を観る状況ってTPOが大切。観終わってから、ああ~やっぱ、普通にDVDを借りて来て観るべきだったと少し後悔してしまった。

 ほんと、テレビのチカラが年々弱くなっている。そりゃスポンサーが離れていくはず。一流だけが枠を相当な広告費用で抑えていたのが、それが緩くなったのか、ちょっとこれはないなぁ~というCMが流れる場合が多く非常に目に付く。印象的ならいいが、悪い印象しか残らない。作り方も緩く、画面も仕掛けもメッセージもNGなCM。ああ~これもテレビメディアの価値を下げているなぁ~と思っちゃいますね。

 でも、ということは、この息子さんが大きくなって「ベストキッド」のリメイク~となるのか。役者の息子はやはり父の背中をしっかりと観ているんですね。DNAはしっかりと機能しているんですね。

映画「岳(gaku)」から始まるモノ。

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 なんでしょう、この物語の魅力って?数年前、初めてこの漫画を紹介してくださったのは東京のクリエイター仲間の方から。「登山の物語があるんですが、スギノさんだったらたぶんハマるかもしれませんよ。」とご提案を頂いた。まったく週刊で漫画を購入しないので連載モノの最新情報は皆無だったので、そのまま書店へ。登山のお話だということで、どちらかというとハードな「バーティカル~」や「クリフハンガー」ノリのお話かなと思いきや、いやいや、なかなかのヒューマンタッチのガチな山のお話。その主人公がまたまた大きな山のような男。いわゆる山男的なぶっきらぼうな荒々しい無神経男のテイストを残しつつも、どこか愛らしいほのぼのとした「島崎三歩さん」。第1巻から自分の中の「岳(ガク)」が始まりました。そこから、「富士山に登ろう」とか「トレッキングを始めようかな」とか「クライミングを始めよう」とかいろいろ影響を受けまくり。結果、富士山登頂を達成できて、雪山も登ったし、伊吹山にも登った。その上、クライミングジムの講習に行き、ロープクライミングの技術も知った。すべてが「岳(ガク)」はじまり。

 で、腰と首のヘルニアも落ち着き、快適げな健康状態を復活させることができた。この恩恵も全て「岳(ガク)」はじまり。まぁ、子どもの頃から全てが「漫画始まり」であることを振り返れば、この流れは必然であり当然。で、で、映画。期待し過ぎると失速するので、暖かい座布団に座るような気持ちで楽しみたいと思っております。この二人で「岳(ガク)10」ぐらいまで引っ張っていってほしいと願うばかり。

 また、ここまで来て~の、映画「岳(ガク)」から始まる何かがあるはずだろう。これもひとつの大きなマイルストーンかなと・・・。

詳しくはこちら。http://www.gaku-movie.jp/index.html

映画「岳(gaku)」まもなく!

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 この二人でよかったなぁ~といまさらながらそう思います。漫画の「岳(ガク)」を愛している人にしてみれば、三歩さんのキャラを映画になった時誰なの?という期待値があるが、それを受けられるのはそう多くない。あの漫画の物語の中のキャラを消化しつつポテンシャルも期待できそうな俳優さんとなると小栗君かなと。そして、久美ちゃんのあのキャラも、意外と誰でもよさげですが、山の絵とのマッチングを想定すると、うん、やはりまさみさんしかいないと思います。映画ではどのようなお話の展開になるかはまた別の期待値として漫画の中の三歩さんと久美ちゃんの関係がしっかり映像になって物語になっていればどんな物語でも映画「岳(ガク)」は完結するだろうと思っています。

 ってことで、いよいよ、公開です。楽しみ楽しみ。

「アビス」から「イール」へ。

 DVDコレクションの一枚、映画「アビス」をまた観た。う~ん、何回見ても素敵である。たぶん、今後、キャメロンがどのような映画を創ろうがこれを超えることはないだろう。「タイタニック」も「アバター」も結局この後の流れで、テーマや手法に予算が確保できたから、仕上がっただけ。いばわ、キャメロンが映画を通じて言いたいこと、表現したかったこと、創りたかったことは、この「アビス」で完結していると、何の根拠もない確証を持っています。これが映画ファンの恐ろしい心意気であるが・・・。

 結果、ここでも潜水艦の中の核弾頭がキーになっている。潜水艦が何かの原因で大破するということからこの映画は始まるが、結果、人間は地球にとっていいことを何ひとつしていない。結局、その強い自意識で人間は人間のことしか考えていないよと言いたいのだろう。それが、この後の映画ではモヤモヤし始める。アバターの戦いも実際、どこに軸足を持っていいものか不明である。

 そして、「深海のYrr(イール)」ヘ繋がる。かなりこの著者も「アビス」をリスペクトしている感じが読みとれ、ああ~ここで繋がっているのか・・・と知る。結局、最近のクジラをテーマにした物語の根底は全てここにあるような気がする。まぁ、歌を歌わせるのは自由だが、根本的な軸足があることを祈るだけ。龍氏の小説を読むことはもうないので、その真価は未確認ですが、たぶん、おそらく、深海と人類の関係は「アビス」と「イール」の振幅で包括できるような気がします。また科学分野の専門誌や研究書などを読めば深い洞察と分析が読めるのだろうが、そんな文献は一般の目に止まることはないので、一般レベルではここが一旦階段の踊り場でいいかなと思っております。

 イールは今、上・中・下の下巻の200ページあたり、あと400ページの中にどこまで深い文脈があるのだろか?楽しみ過ぎてもう読むのを止めようかとさえ考えています。

命は命で救う・・・か。

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 ついに映画となりました。コミックスの第1号をある方からオススメ頂き、はまりにはまった「岳(ガク)」です。あまりにも嵌り過ぎて富士山の山頂に立ってしまった。冬山の頂にも立ってしまった。それが、なんと映画になった。このテンション。世の中、東日本の大震災、そして、福島原発のレベル6の危機って時に、映画なんて・・・と不謹慎かもしれないが、それでも、三歩さんの存在はどこか、今回の救援部隊のそれとリンクしていて山と被災地がシンクロしてしまっています。

 国内から世界から多くのエキスパートが被災地に乗り込んで24時間体制で復興を目指しておられるその命、福島原発で24時間、被爆もものともせず発電所の復活にその生命をかけて対峙しておられるプロフェッショナルな人達の命。つまり、命は命で救うというこの関係。多くの命が自然の脅威の下になり失われた。しかし、まだ、尽きていない命を懸命な志をもった命が救っている。そのことを考えると、私にできることをしなければとなる。いろいろな命の意義や熱意や志が今、その場所に集結しているのでしょう。

ザ・ライトはやばいだろう・・・。

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 これはかなりやばいだろう。楽しみ過ぎて楽しみ過ぎて、楽しみが過ぎるとロクなことがないので、この気持ちを抑えつつDVDを待ちたい。そろそろ、SAWのファイナルもレンタル開始ですし、楽しみ楽しみ。で、やはり、A.ホプキンスと言えばの部分で「羊~」なんですが、あの頃の熱い感じがしびれる感じがようやくこれで復活したような気がします。ちょっと、「レッドドラゴン」も「ハンニバル」も遊び過ぎでしたしね・・・。

 で、「エクソシストの真実」ってことで、エクソシストは全く興味がないので、ここはスルーでいいとして、真実の部分がどう洞察しているかを、逆にのびしろとして期待したい。悪霊とか向こうの世界観をどう描いてもCGの作品集にしかならないので、そこはA.ホプキンスの表現力に期待したいところですね。

ベストキッド(リメイク版)

 なかなか、よかったですね「ベストキッド」J.チェン版。どこか過去を引きずったカンフーの使い手というイメージ。これまでのチョコチョコ妙な演技とアクションを絡めていたJ.チェンの路線からひとつワンランクの演技というか新しいとても素敵なJ.チェンを観ることができました。アクションで魅せるのではなく、存在感で魅せるという意味でとてもいい物語のサブ的な存在で光っていました。またまた、ウイル・スミスの息子さんがいい。これがこの映画をかなりの相当なクオリティーに押し上げていました。やはり、親の印象を受けながらも、蛙の蛙ということで全体を通して物語をグイグイ引っ張っていっていました。物語的にはテッパン系ですが、それでも、一喜一憂な感じがとてもgood!

デッドゾーン@キング。

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 ふと最近映画を観てないなぁ~と思い、まぁ、チェックしている最新作とかいずれの部分のラインナップと合わせてなんとなく観てみなくなった映画がある。それがこれ。キングが原作のウォーケンが主役の映画である。クローネンバーグ監督作品です。なんか最近はCGが凄過ぎてそこばかりに視点というか心を奪われて、非常に美しい映像であるのですが、あまり物語や主人公の心象風景とは関係ないぞ・・・みたいなテイが気になる。ほんまにほんま、CGは凄いんだけど、その技術でそれを伝えてもらっても・・・と映画など創れない自分勝手な小さな批評家は思うのです。この映像にかかった費用や人材がどれほの人間かって聞けばヒエェ~なんだろうけど、ただ、一ユーザーとすると、そのCGがヒエェ~なのである。

 で、この「デッドゾーン」はどうか?どうなのか?と言えば、ストーリーはこんなところでバラす訳にはいかないしそんな野暮なことはできないとしても、心理描写と映像の展開が主人公の存在感とこれほどマッチしてグイグイとくるのはとんと最近ご無沙汰だなぁ~と思うのです。

 勿論、キングの原作上・下も何回も読んでいる上、あまりにも好き過ぎてこの小説の上・下を覚えたてのワープロで、これまた練習中のブラインドタッチで、全文一言一句に再入力したほど。まるでキングになったような気分になりたかったのか程度の原作なのですから、なんとなくフワフワとした気分の時には思い出すはず。いまどきワープロってことですが、かれこれ、23年前のお話。それほど好きな原作の映画ですから、このDVDは入れておこうかなと、ふと最近・・・。

映画「ソーシャル・ネットワーク」。

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 これこれ、フィンチャーの新作新作、楽しみ楽しみ。

映画の公式WEBサイトはこちらです。http://www.socialnetwork-movie.jp/

ジブリの新作。

 宮崎監督が企画・脚本を手掛けたジブリの新作が「コクリコ坂から」に決まったらしい。時代背景は1980年ごろでその設定値も宮崎さんならではこだわりがあるそうです。作品のキャッチフレーズは「上を向いて歩こう」らしい。現代が前向きに進むのが非常に難しい時代で、みんなが下を向いている時代。でも、上があるじゃないか~と宮崎さんは言いたいのだろう。

 涙がこぼれないように~なのである。

トイ・ストーリー3

 ピクサーの映画を観るたびに思うことはなぜディズニーしきりの映画は面白くないのか・・・である。面白くないというと乱暴な言い方になってしまうが、楽しさが弱いというか、それぞれのキャラに魅力がないというか、物語にエッジが立っていなというか、創り手の意図が伝わってこないというか、どの場面をどう捉えてもカッコよくないのである。何故か?「好み」で全ての答は解決しそうですが。この「好み」が一番複雑。自分の「好み」をどう自分自身捉えているかをどこまで知っているということになると、これも未知数であり大枠ぼわぁ~としているようなモノだから仕方ない。としても、ディズニーの戦略はフワフワしてモノゴトの質量が限りなく0に近い。「夢がある。」とはこれまた都合のいい表現になるが、何を指して「夢」なのか。

 と、これと同じようなことが2大勢力の構図によく感じる。グーグルとヤフーである。どうも私は「好み」の部分でヤフーをあまり活用しない。とてもメンドクサイ。素晴らしいエンジンであることは周知の事実ではあるが、使うというスタンスでは使っていて楽しくない。業務的な部分が運営・企画・開発者の意図の部分だろうか人間的に相性が悪いという印象を受ける。シェア的には確かヤフーの方が日本人のシェアを獲得しているらしいからその理由がよく分からない。とにかく、ヤフーの印象は使っていて(あまり仕事上以外では活用しないが・・・。)感じることは「楽しくない。」である。

 で、同じテイでアップルとマイクロソフトの構図が一番仕事に関連する密接な比較になる。さて、この2社を抜きで自分自身の仕事は成立しないことを十分に理解しているというテイで、正直アップルはもうメンドクサイ。20年以上もお世話になってきていながらこんな判断をするのは非常に心苦しいが、もう、アップルは楽しくないし洗練さだと思いたい部分が鼻につく。一旦、このように何かがひっかかるともう最後の最後の細かい部分までがひっかかる。好きだった部分までが気になり好きでなくなる。これは道具だからと自分に言い聞かしてもどこかでボタンをかけ間違えている状態。折り合いはつかない。で、一方のマイクロソフトは最初はただの仕事のためだけの道具だった印象が、使っているうちにその機能性や安定性が身にしみてくる。派手でも戦略的もスマートでもないこのOSが実は実務的という部分でしっかりクリエイトしている実感である。「カッコいいからMACを使っている。」という声をよく聞くがこのレベルは本末転倒である。数百万クラスの腕時計を誇示している人間の薄さが比喩の対象になる。まぁ、そもそも、時計に数百万をかけるほど手持ちがないという現実を卑下している部分は否めないが、もしかしたら、手元に数百万ある人間になったら、必然的に高価なブランドモノの腕時計を購入するかもしれないが・・・。まぁ、このマジックについては非現実的な部分としてスルー。

 で、「トイ・ストーリー3」という映画、そいういう意味で面白くカッコいい胸の真ん中にズンと来ちゃう映画でした。たぶん、上記の方程式がすべて当てはまる「作り手」のそれだろう。

アイアンマン2

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 ベタだと言われようが、「アイアンマン2」は特筆する要素が満載だった。シリーズモノの2作目には落とし穴が多いが、その落とし穴を逆利用してさらに加速させて質量を盛り込んだらこうなりました的なクオリティー。良かった悪かったかでは良かったのですが、それでもベタな空気はぬぐえない。しかし、それでも一周回って楽しめる映画です。特にの部分では科学や工学についての表現がとても芯を食っている。勿論、画面のグラフィック処理たるや、逆立ちしても「宇宙戦艦ヤマト」のスタッフにはできないような気がします。それほどってことでそのディテールは何かとなると、やはり、最新テクを踏んでしっかりと設計のセンスが高いということ。デザイン設計が音につけ映像につけ画面構成につけ動画の表現につけ全てに最高の表現が画面に展開されているから。うん、1も良かったが2は確かに加速してる。

「ソルト」DVD到着!

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 アマゾンはほんとにいい。このスピード感とお値打ち感は圧巻ですね。コンビニ決済すれば手数料がない。これが一番何かを入手する一番いいカタチなのかもしれないですね。インターネットの活用術のキモはここにあるような気がします。

 で、「ソルト」これは映画として勿論珠玉ですが、それプラスがあるから購入して手元に置いておきたいわけで、なぜ、必要かがその作品の中にあるなしが何かを創造しようとするときのキーワードだと思います。そのためにはまず「見えている。」必要があり、この「見えている。」は決して情報化できなモノ。インターネットが地の果てまで浸透しても結局ここがホンマル。「炭素に人は反応している。」というフレーズを最近読んだある書籍で発見した。これが現代の真実のように思います。じっくり、このフレーズを分解して再構築できれば、それは優良なコンテンツとしてのクリエイトなはず。壊して創るから人間なんだと思いますね。逆に再構築さえできれば立派なクリエイターってことになる。

映画「ソルト」DVD発注!

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 結果、映画「ソルト」のデレクターズカットをアマゾンで注文しました。楽しみです。まぁ、コレクションとして手元に置いておきたいという気持ちもさることながら、非常に綿密に練れたストーリーだったので、ガッチリ物語をディテールとして頭に入れておきたいというところ。たぶん、あと2~3回観ることで、アンジーの微妙な演技の機微がさらに深く楽しめるような気がします。それに内容が完全に頭に入った段階で字幕を消して英語で観ると、これがまた、映画の本丸に触れられる。「あれ?あの翻訳はおかしいなぁ~」とか、「やっぱこの場面ならこう言うだろうなぁ~」が結構見つかるのです。別にこの物語でこの設定なら、他にもスタイルや存在感やテイスト的には女優はいるだろうが、やはり、A.ジョリーは超えられないだろう。どうも、自分でスタントをやってしまうとか、アクションの鍛練を怠らないとか、そっち系の批評がとても多いのですが、絶対にそうではない。アンジーの映画はたぶん、サイボーグ以外は全部観ている(DVDもほとんどある。)が、彼女を始めて「ボーンコレクター」で観てからそのルックスとかプロポーションとかではなく、演技の秀逸さが追随を許していないことになぜ映画の評論家は触れないのかと思っています。ボイド氏の娘だとかプラピの奥様だとかはどうでもいいこと。彼女のいいところは、あたりまえのことですが、その秀逸な演技力だと思います。この魅力の上にルックスやプロポーションやアクションや存在感が乗っかっているからアンジェリーナ・ジョリーなのである。

映画「ソルト」と「ボックス」。

 まず、市原君の「ボックス」。原作の小説よりは映画の尺にコンパクトになり過ぎているので、登場人物の心情が十分に描けていなかったのが残念。そして、クライマックスのあの長回しは圧巻でしたが、それでも、右を左に変えただけで・・・というちょっと残念な結果だった。小説のあのギリギリ感だけはなんとかして映画に挿入して欲しかった。あのジムの風景を映像にして欲しかったという気持ちが残りました。それ以外は青春映画のテイが充分に展開されていたので楽しめました。ちょっと小説の「苦さ」が大阪の風景の中で独特の世界観として描かれているのでは・・・?という期待感があったのでその部分だけが残念な感じでした。しかしながら、映画「ボックス」は市原隼人の映画ですから、市原君が画面いっぱい元気に飛び跳ねる・カッコ悪く泣く・無邪気な笑顔を振りまく・・・ともう市原隼人なしではこの映画は成立しなかっただろうというほどの充実度でした。ただ、例のタレントボクサーが画面を数秒だけ汚したことがなんとも遺憾でした。これは何をさて置いても監督として削除するカットだったでしょうね。一気に覚める瞬間でした。映画の色の部分だったのかもしれないですが、あのカットは絶対に映画「ボックス」には必要なかった。というよりも入れたことで映画「ボックス」のクオリティーを下げた結果になっている。本人もボクシングを愛しているなら自嘲すべきでしたね。全くの汚点でした。残念。

 で、映画「ソルト」について。何も気になるところがない。などと素人がどうのこうのと言うスキなどどこにも0.1秒も無かったですね。別に荒を探す観方を常にしているわけではなく、とにかく映画と早くシンクロして楽しみたいと考えているのですが、一つでも気になる場面や音楽や物語の流れや役者の台詞・表情・アクションなどなどがそのシンクロ感を0に戻すことが多い。そんな映画選びもレッドカードは絶対に見ないし原作も読まない。しかし、これはいいなぁ~というのは徹底的に事前の情報を入れる。で、映画開始ドン!で、映画が終り、「もう、何も言うことはない。」となる映画は本当に少ない。が、これがまさにそれでした。特筆するとすれば物語のテンポがいい。よくこのたかが100分程度の中にこれだけの情報を適正にリズムよく描けるもだなぁ~と。ほんとに優れた映画作品は心の底から見終わったあとに震えますね。で、やはり、予定どおりにDVDは買いのようです。

映画「宇宙戦艦ヤマト」について。

 しかし、ついに・・・である。しかも、キムタクと来た。日本映画ではありえないスケールのCGを駆使するらしい。アニメの物語はもう頭の中に焼きついている。さて、それがどうなるのか?あのあの「宇宙戦艦ヤマト」であるから、絶対にはずしてほしくない。海猿やSPのようなテイではかなり残念だから、絶対に絶対にあのレイジマツモトの世界観で突き進んでほしい。絶対にキムタクの映画にはなってほしくない。あくまでもあくまでも「宇宙戦艦ヤマト」としての映画の仕上がりを心から期待するばかり。ただただ・・・。

 ということは、あと10年20年後に「ワンピース」や「ナルト」が実写の映画になるんだろうか・・・、ぞっと寒気がする。

映画「ザ・ウォーカー」。

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 この監督でこの二人でこのテーマだったら、例え物語がシンプルでもスタイリッシュな映像が楽しめるでしょう的な映画。もう、原作は読んでいるので、その物語にどこまで映像がマッチするか?いやいやそれ以上のテンポと二人の怪演が楽しめるか?あたりが見どころかなと思っております。楽しみ楽しみ。

ノルウェーの森か・・・。

 そうかそうか、これが映画になるのか。何故今なのだろう?いろいろな意味で期が熟したのだろうか。かなり以前に小説を読んだが、不思議な小説だった。そこから完全に村上春樹は読まなくなった。軽すぎたのか重すぎたのかシンプル過ぎたのか難解すぎたのか直接的だったのか間接的だったのか、もう、その時の記憶はないが、何故かこの小説から村上春樹の小説は読んでいない。それが映画になる。小説と映画は質量が違うだろうが、さて、どんな映画作品になっているのだろう、少し、楽しみである。

映画「LEON」アドバンスコレクション。

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 一般公開された内容に約15%盛ってあった。それが、いいか悪いかは別としてレオンとマチルダの関係や二人の心情が深く掘り下げられているシーンという視点での再編集だったような気がします。「へぇ~そうだったのか」という部分や「あ~あ~、だからこうなっているのか」とう繋がりの部分で非常に一般公開分と比較して見ごたえがありました。派手な戦闘シーンが意味もなく増えているというわけではないので、映画「レオン」が好きな方、女優、ナタリー・ポートマンが好きな方はたまらん編集になっていますね。

 まぁ、改めてですが、ナタリー・ポートマンが可愛い。天真爛漫の部分と陰の部分をこの当時、たぶん、12~13歳のはず。で・・・この演技というか、このマチルダを好演。ご自身もこれが本格的なガチの出世作と言っていいはずですから、こういうタイミングで映画の歴史に存在できる感覚ってどんなに素晴らしい感覚なのでしょう。想像もできませんが、「どやさ!」という感じなのか、「しみじみするやん」的なジンワリ感なのか・・・。

 で、二人と合わせてもうひとり。G.オールドマンの存在。これを抜いてこの映画は絶対に語れないわけですから、改めてその登場から最後まで怪演怪演怪演怪演怪演の連続。そのタイプの怪演が多い人ではありますが、出世作よりも、この時期のG.オールドマンは最高です。近々にD.ワシントンとの「ザ・ウォーカー」とう映画でも貧弱なキレキャラのボスを演じているようですが、それも楽しみ。普通に観てたら普通に二枚目なのに演技力というか自分への脚色力が強い上、イマジネーションも秀逸なんでしょうね。

 レオンを観終わって、テレビで映画「SP」の紹介映像が流れていた。う~ん、なぜ、こうもスタイリッシュさやリアルさやテンポが違うのか。センスと言ってしまえばそれまでですが、それにしても、映画「SP」はそこそこリキが入っているプロジェクトでしょうし、ハリウッドのなんたらかんたらを呼びクオリティーを上げているとも聞くのに・・・、これは韓国映画よりも品質が低いぞ。どこらへんでこの場合はボタンをかけ違えたのだろうか。

映画「告白」。

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 主演の松たか子さんの充実した演技が観れるのだろう。とても楽しみです。物語については待ち切れずに原作を読んでしまっているので、展開は文脈では頭に入っていますが、さて、それが2時間の映像になり映画として鑑賞した時に小説のそれとどれぐらいののびしろとなるのか・・・?楽しみです。昨今、あまり邦画は興行収益的には洋画を超えているという情報もありますが、さりとて邦画が以前より面白くなったとは思えない。文学的な作品や時勢をトレスしたリアルな作品はいつの時代も爪痕を残してきています。海外で評価される邦画に魅力的だと感じる映画が極端に少ないので、邦画のテイストを引っ張るのはやはりやはり主人公の俳優さん・女優さんだと思います。だから、どんな偉大な受賞を受けようが素人なんでも映画評論的には「つまらない。」となる。

 が、さて、映画「告白」はどうだろう?R指定もあるそうだし、その物語的に話題にもなっていた。今のところ想定されるテンションを上げる要素は十分である。物語が良かったので映像も挑戦的な映像であって欲しいと願っています。

映画「アイアンマン2」。

 ちょっと複雑な正義のヒーローですが、原作とかコミックの原版を知らないのでこのキャラクターが従来のアイアンマンファンの皆様とどれぐらいのギャップがあるのか未知ですが、映画の1と2を観た感じではこのタイプの主人公はとても人間臭くってリアリティーがあり素敵でした。特別な力を手にした人がよく映画には描かれそれ相当の相反する苦悩が描かれる。これと主人公のタイプがマッチしないとなんだかこの主人公は強いのか弱いのか分からなくなる。で、いわゆる敵についても、社会に怒りを覚える、主人公に個人的な恨みを覚えてる、復讐のため、金のため、といろいろな目的があるだろうが、そのプランや具体的な行動力についても、やはり、人間(俳優さん)のタイプとマッチしなければどこかキレのない存在感になってしまうと思うのです。そして、それぞれの立場に絡む脇役の人達も。主人公との関係性や組織の中の存在感としてのタイプ。これらがすべてギクシャクしなければ、物語にスムーズに心が入る。という意味において、今回の「アイアンマン2」はキレもコクものびしろもあり、さらに非常に重要なテンポもありましたので、楽しいスピード感を堪能できながら鑑賞することができました。

 しかし、ミッキー・ロークの怪演がなければこのキレもコクもノビシロもテンポも成立しなかっただろうと言えるほどの存在感でした。

映画「グリーン・ゾーン」。

 マット・デイモンの映画「グリーン・ゾーン」を観た。グリーン・ゾーンとは「かつて連合国暫定当局があったバグダード市内10km²にわたる安全地帯のことである。イラク暫定政権下の正式名称は「インターナショナル・ゾーン」ではあるものの、「グリーン・ゾーン」の呼び名が一般的である。物語はアメリカ占領下のグリーン・ゾーンで起こるスリラーである。」と説明がオンラインにある。何が真実かについていろいろなテーマでいろいろなアプローチで小説に映画に描かれてきたが、やはり、この面子で組み上げられた映画作品だけにかなりの骨太な映画である。戦争映画はその時代時代の洞察をリアルに描いていることが多いと感じているので、なぜ、今、イラン・イラク戦争なのかという大きな視点とマット・デイモン演じる兵士の視点が戦争という存在をしっかりと2時間にスタイリッシュにドキュメントに描いている。いったい「アメリカ」とは何ものなのか?その策略や戦略の背景にある両国の深く黒い駆け引きの琴線に一瞬でも触れることができるガチな映画作品でした。

 勿論、主人公マット・デイモン以外にキーパーソンはたくさん登場してくるのですが、ちょっと、じんわりと魂に投げかけてこられる感じの心地良い重さの映画でした。いったい「愛国心」とは何なのでしょうという大きなテーマが物語の始点から終点までしっかりと流れている。キャメロンが広島の原爆を次に映画で描くらしいが、さて、それを観て日本人は何を感じるのだろう。そのタッチの映画をキャメロンに創らせてもいいのだろうか?時代劇やふわふわした恋愛映画程度の刺激で上書きできるようなマスターデータだからニーズののびしろが小さいのでしょうね。それに比べやはり、このテーマでこの描写でという映画を多くの協賛企業が賛同するような国の仕組みこそが言わばアメリカなのだとしたら、やはり、それはエネルギーの質が根本的に高いと言わざるを得ない。言語は国境を分けるが魂は人を真理で結ぶのだろうと思った映画でした。正義には正義の理由があるし、悪には悪の理由がある。が、それも所詮便宜上のひとつの区分けでしかない。そんなことよりも安易に黙殺してはいけないことに目を向けましょうとこの監督は言っているかもしれない。

LEON DVD

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 なんとなく買いたくなりまして、アマゾンにて購入。やっぱ、リュック・ベッソンは私(わたし)的には「グラン~」よりこちらなんです。

映画「ボックス」DVDは・・・?

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 どうやら11月26日がDVD発売開始らしい。もうすぐもうすぐ・・・。で、「岳」はいつ公開なんだろう・・・。

映画「カイジ」。

 映画「カイジ」の後半1時間を観たが、まぁ、なんと言いますか、残念な感じでした。マンガなら面白いのでしょうけれど、実際、藤原さんと香川さんでのあのやりとりのリアリティーはどうでしょう。設定もいまいち理解していな状態であのカードゲームだけを観たのでその重さとか臨場感が伝わってこなかったのかもしれませんが、お互いに重い演技をMAXモードで展開しておられるのですが、やればやるほど・・・重さから滑稽さに代わってしまう悲しさ。さてさて、どんなものなのだろうと観ていたのですが、やはり、最後はちゃんちゃんで残念な映画のひとつになりました。ひとつ人を洞察するという部分であのテーブルでのかけひきは良かったのですが・・・。移入はできませんでした。

映画「ハート・ロッカー」

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 104冠ということでチェックした。爆弾処理班の戦場のディテールがそこそこの時間展開されている。「大人になると好きなことが減る。」のだそうです。何が104冠でアカデミー候補なのかを読み取ることはできなかったが、戦場のディーテルと主人公の心象風景の細やかさはさすが新鋭の女性監督。映像の端々にメッセージやサインが隠されていました。決してテンポのある映画ではなかったし、「海猿」を観ていいる人の心には決して響かないいくつものリアリティーがあったように感じています。

 映画のクオリティーとは観る前の時間の期待感と観ている時間のリアリティーと観終わった後の余韻からさらに時間の経過と共に心の面に浮きあがる絵や音や言葉の熟成度で量れると考えているので、観ている時だけ笑おうが泣こうが言葉を無くそうがそれはそれでいいとして、観る前の期待感と観終わった後の残照というか残像というか、そいういうモノの量と質で好き嫌いとか言い悪いとかの一番基本になる部分の目盛りで実測できるように思います。

 「戦争」を描く映画は数多あれど、そういう意味・視点・ベクトルで「ハート・ロッカー」は存在感のある描いでした。見終わった印象で言えば、ちょっと「ディア・ハンター」に似ていました。

オフィシャルサイトはこちら。http://hurtlocker.jp/

映画「岳(gaku)」クランクアップ!

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 ようやく映画「岳(gaku)」がクランクアップしたようですね。楽しみです。公開はやっぱ冬だろうか?三歩さんの豪快なキャラを誰がと思っていたら小栗旬さんだった。かなりの筋力的にも脚力的にも三歩さんはマンガの物語の中で豪快だから、さて・・・どうだろうか・・・?と思っていたのですが、こうして二人の三歩さんと久美ちゃんの絵を見るとさすが、なんかマッチしています。どのお話がチョイスされるのか?映画用の本があるのか?穂高の美しい四季を見ることができるのだろう。いろいろな意味で楽しみな映画である。

海外TVシリーズ「HEROS-3」

 なんかのタイミングでフォロが中断していた海外TVシリーズ「ヒーローズ3」。シリーズ1と2はなかなかだったが、なんだろう・・・、ちょっと、サードステージのDISC1と2を観てちょっと休憩と思ったのだろうか。しかし、サンミュージックさん(地元のレンタルショップさん)の店員さんにレンタルの履歴を調べてもらったらDISC2まで借りておられますね・・・とのこと。う~ん、全然覚えていない。でも、まぁ、店員さんを信じて、DISC3と4をレンタル。なかなか、話が無意味なところで複雑なりつつも、結局、お父さん!お父さんが悪そう。でも、まだまだ、TVシリーズだから2転3転あるだろなぁ~という段階です。

 それよりも、なぜ、サードステージのDISC1と2だけ観てあとを観ていなかったのか???このことの方が映画より気になって気になって、しかも、2の話の続きもそれほど覚えていないので、前回までのあらすじでボヤァ~とした再スタートでした。いろいろな能力者が登場しながら~の、ファーストステージからの役者さんがそれぞれ深く表現されていてその絡み合いが面白い。が、やはり、話が複雑になっていく一方で、それぞれの能力がもう普通になってしまって、刺激という点ではもう「空を飛んであたりまえ」「手から火が出てあたりまえ」「他人の心を操ってあたりまえ」「過去に未来に行きまくってあたりまえ」になってしまっているのがちょっと怖い。どれひとつ不可能な能力者ばかりだから、「うん、こんな能力あったらもっと他のことに使うなぁ~」とか「なんでそれだけこの能力者達は協調性があるのか?」とか、メインのストーりーとは別の次元に気持ちが逸れてします。もし、自分が手も触れずにモノを自由に動かせたら・・・日本の政治家をなんとかしたり・・・ってこれもサイコかもれないなぁ~。

 うん?これが2まで観てその後を観なくなった理由かも・・・?

詳しくはこちらをご確認ください。http://www.heroes-tv.jp/

「ライ・トゥー・ミー」みたいな。

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 何故、日本ではこのタッチのテイストの作品が存在しないのか?ライアーゲーム!?比較にならないし、心理戦を描くに何故これほど日本人の俳優・女優の人達は長けていないのか。例えば例のメリーゴーランドムービーの「踊る~シリーズ」何故何故、あのテイが興行成績に繋がるのか?その中に交渉人、つまりネゴシエイトをモチーフにした映画があったが、まず、観るテンションにならないから、もしかすると加点するポイントも養護できる部分もあるかもしれないが、そもそも、その低すぎるハードル設定で何故わざわざ映画を見る時間約2時間を裂かねばならないのかが疑問。だから、観ない。120%つまならないからである。だから、3が創られようが、108が創られようが、観ない。そのままトラさん状態になればいい。

 で、心理戦で言えば、映画「トルゥー・ロマンス」のC.ウォーケントとD.ホッパーの名場面を覚えておられるだろうか?あのシーンは私の中では映画のワンシーンBEST100の中、第8位(ぐらい!?)に入っているのですが、これぞ心理線である。勿論、S.L.ジャクソンとC.スペイシーのネゴシエイターもいろいろキレていたが、それはそのテイのお話であり、二人の人間がお互いに相対するガチのぶつかりを描く状況でこの二人のシーンは忘れることができない。そんなこと言えば、次から次からそのテイのシーンは頭に浮かんできますが、それについてはまたいずれ。

 一人の男は「嘘をつくな、本当のことを言え。」という、もう一人の男は「俺の言葉が嘘か本当かお前が判断しろ。」というバトル。これは一番シンプルでガチである。男には嘘をつく時のパントマイムがいくつかある。それを俺は心得ていてお前の嘘が分かるんだと言うウォーケン。俺は本が好きでよく読むんだ。歴史はいつも興味深い。お前はニガーとの混血でそれはシチリア島に~中略~、だから、お前はボケナスなんだと言うホッパー。ここにもう嘘と本当の定義は必要ない。

 という流れで、この海外のテレビシリーズの「ライ・トゥー・ミー」にも期待大なのである。主演がT.ロスだし、これはこれはのサプライズである。楽しみである。続いて9月22日のレンタル開始の「フリンジ・セカンドステージvol.1~4」も楽しみにしています。いやぁ~海外の作品はいい。何よりアカデミックであリパッションレベルが高く、ディテールが軸にしっかり絡んでいると感じるのです。ただ単なるいつもの好き嫌いかもしれませんが・・・。

詳しくはこちらをご確認ください。http://www.7netshopping.jp/all/static/lietome_100618.html

一番カッコイイ男。

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 今、世界で一番カッコイイ男はたぶんこの人だと思っているのですが、まぁ、これもファン心理ですし、ルックスだけならイケメンはおります。しかし、いずれもその他大勢レベル。「カッコイイ」の場合はちょっとルックスとsomethingが必要だと思うのですが、これもファン心理のひとつ。仮に「世界一カッコイイ男は誰だアンケート」が世界中の人をターゲットに企画されどのような結果が出るかは未知数として、映画関連のプロダクションが「世界一素敵な女性は誰だ?」アンケートを展開した時は、投票者数の50%がアンジェリーナ・ジョリーに投票したらしい。そのテイで男性もやってもらいたかったものです。まぁ、男が選ぶカッコイイと女性が選ぶカッコイイでは軸が少し異なるとは思いますが、アンジーがダントツで一位なら、やはり、男性ならマット・デイモンですね。

映画「第9地区」。

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 うん、とてもgood. うんうん、3年後が楽しみ楽しみ。

詳しくはこちらをご確認ください。http://d-9.gaga.ne.jp/

「ザ・ウォーカー」という映画。

 マトリックスを制作した二人が何故この映画を作ったのだろう?で、D・ワシントンなんだ?さらに、ゲーリーオールドマンもこのポジションである。昨日、原作を読み終えて、あとがきで、D・ワシントンが映画と宗教の関係について書いていた。なるほどなるほどそういう狙いがあったのかと。よく、このテイの映画で「最後の戦争が~」「地球最後の日」という表現がされているが、それを監督のイメージで映像化された世界を見ると、必ず、どこか映像が渇いている。古くならマッドマックスなども砂漠がそのシーンととても合う。これは時代が変わっても「地球が滅ぶ」というテイは=乾くというイメージにマッチするからなのだろうか。廃墟をテーマにした写真集が書店にあったのでチラミするとなんか時間が止まっている感じが美しく思え、よくもまぁ、この写真家はこの構図を切りぬいたいなぁ~と思ってしった。もう、人気がなくなったテーマパークや銅山やホテルなどは写真だからもしれないが、時間が止まっている。決して美しいとは言えないその空間。やはり、乾いている。廃墟が美しく思えるのは人が離れた瞬間からその場所は乾き始めるというリアリティーに心が動いているからだろうか・・・。

 で、乾きとはつまり終焉であり、乾きと生命力は対義となるということ。このザ・ウォーカーでも原作を読んだだけで、告知版のCM映像しか知らないが、紫外線の熱に都市が荒廃しそこに残された一部の生命は何かを求めて蠢いているという設定。そこに、ウォーカーと荒廃した街の支配者が・・・という映画なのですが、物語のフレーム以上に二人の演じる登場人物がその映像の中で、どこまで「渇き=荒廃」と「生命力=希望」を演じているのかDVDが楽しみである。そういえば「ドミノ」も適度に乾いていた。

 余談で、録画して「龍馬伝」を観ているのですが、改めてNHKはCMがないのがとてもいい。見慣れないあの広角レンズの絵もなかなかいい感じ。彩度を落とし気味の色もいい感じですね。ただ、オープニングのCGは今回はちょっと残念ですが。

 詳しくはこちらをご確認ください。http://www.thewalker.jp/

月に囚われた男。

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 こういう角度から新しい金字塔が立ちあがるのですね。まだ、観てはいませんが、このテイなら結末が良くないはずはない。ううっ、ケビン・スペイシーが出てるのか・・・。

 詳しくはこちらをご確認ください。http://www.moon-otoko.jp/

アンジー@ソルト。

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 コノテイハ、シッカリトテイキテキニヤッテキマス。ヨサゲヨサゲ・・・。

 詳しくはこちらのオフィシャルWEBサイトをご確認ください。

「サロゲート」・・・残念。

 かなり期待していたのに・・・。映画「サロゲート」はもう、全て、B.ウイルスに頼り過ぎ。なんでもかんでも主役に依存してはダメダメ。勿論、その部分を担うのが主役なんだろうけれど、物語の質量まで主役の存在感に頼ってはダメでしょう。う~ん、期待していたのですが、開始2分ほどで、これはもしかして、B.R.の感じでは?と思ってしまったが最後、そのままエンディングまでB.R.との比較でしかなった。もしくは、アバターの都市伝説版みたいな・・・。なんか残念な気分でした。こんな気分の時はいつものようにB.R.を見てリセットしよう。

さようなら、D.ホッパー。

 いわゆる映画マニアの人達は生粋な部分があり、いろいろな方とお話をさせていただくたびに、まだまだ自分自身の映画の観方や接し方は生ぬるいと感じることが多い。それらの方たちは真髄が「映画を心から愛している人」なので、私の表面的な知識やそれらしい洞察では到底届かないぐらいの世界観をお持ちです。しかし、そんな時でも私は私なりに映画への愛情を語らせていただくと、そういう皆様は大きく受け止めてくださる。「なるほどそいういう観方もあるのですね。」と。明らかに映画に対する熱意や愛情が私の方が微弱であるにもかかわらず。すると、映画を通して映画の分野の人たちとの会話は私自身の「映画」ということの意義を学ばせてくれるし、そのコメントを通してまたまた映画が好きになる。このどこまでも続く正のループ。スパイラルに上昇するベクトルのその上に映画芸術の星が輝いているのだろう。

 D.ホッパー氏もたぶんそこへ召されたと考えられる。映画人の皆様に語らせると「D.ホッパー=イージーライダー」ということになるのですが、この映画だけはまだ私の映画のパンドラの箱から出していません。適正な機会を失った名作を入れている映画のパンドラの箱。いわゆる名作と呼ばれている映画が入っているわけですが、「イージーライダー」も確実に入っています。何故観ないのか?は明確な理由がありませんが、いつか観たいと思っているが今はそのタイミングではないと思ったからです。でも、このタイミングなのかなと思っています。

 で、私のD.ホッパー像は「トゥルーロマンス」のクラレンスの父親が全てです。このイメージが一番強烈でした。C.ウォーケンとのあのワンシーンは今でも鮮明に蘇ってきます。二人の会話のを何回も何回も英語で覚えたほど、そのシーンは数ある名シーンの中のひとつとして頭に刻み込まれているようです。あれを超えるシーンは想定できません。J.ニコルソンの「カッコー~」のように、デーニロの「タクシー~」ように、H.カイテルの「レザボア~」のように。

 さようなら、D.ホッパー様。改めて初「イージー~」を鑑賞させていただきます。

虹の女神、改めて。

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 やっぱ買ってしまった映画「虹の女神」。邦画でDVDを買ったのは「世界の中心~」以来なのですが、これはいつでもふと観たくなる映画なのでということでDVDを手元に置いておきたかった。コレクションに入れておきたかった。

 改めて3回目の鑑賞でしたが、やはり、いいっすね。純文学の香りがするというか、市原隼人さん、上野樹里さん、蒼井優さん、そして、その脇を固める役者さんの醸し出す空気が、これまた秀逸な物語の中でしんしんとシーンを重ねていく。開始からエンディングまでの気持ちの動かせ方についても、すでに3回目ということで観る前、観終わった後の期待と余韻の間にしっかりと「映画」が存在するというリアリティー。まさに、岩井さんが仕掛けた時限爆弾が4年の時を経てここまで覚醒をしているという質量。場わたり的な売上や観客動員や興行成績やメディア感度ばかりに気持ちを奪われた、心ここにあらず的な映画が氾濫する中、この映画の存在感はGREAT。

 主演二人の表情や言葉のディテールについて言えばそれぞれ二人の作品の中でもダントツにズバヌケで「虹の女神」ですね。また、しばらくしたら違う期待でこの映画を観て、また、その時に自分自身が何を感じ何を思うのかが楽しみな作品です。決して映画を観ている時間だけを楽しませてくれる作品ではなく、この映画の存在感が常にサインを発信し続けているような、数少ない「生きている映画」のような気がします。いいなぁ~、こんな作品を残せるって。心から羨ましいと同時に何か作品を創り出すということはつまりこういうことなんだと確信させられる作品でもありますね。

 もちろん、蒼井優さんの演技や存在感の部分は語るまでもなく。

やっと「アバター」。

 やっとのことで映画「アバター」のDVDがレンタルできて観れました。どうもふれこみが「あのタイタニックを抜いて歴代~」ってことだったので「タイタニック」と比較してどうのこうのとなるのはとてもめんどくさいので観ないかもしれないなぁ~と思っていたのですが、いやいや、これほど猫も杓子も状態だとやっぱ観ておこうかな・・・というふわふわした状態で観てしまいました。それが良かったのでしょう、「アビス」の頃のキャメロンのセンスや美術などなどこだわりの部分が存分に画面に出ていてとても素晴らしい映画でした。

 評判の中には物語がシンプルすぎて~とか、ただのCG映画だから~などという酷評が多く耳に入り、ああ、やっぱ、タイタニックで調子にのってその延長上で金だけつかったつまならい作品という印象があったのですが、いやいや、画面の展開やキャラクターのデザインなどなど、どれをとっても超一級品でした。これはかなりオモロイ作品でした。テーマも大きかったですがちゃんと結論に落ちていました。

ボックス!

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 アリスの前に映画「ボックス!」の告知版を確認。そして、同時に昨日、原作本の上下を読み終えました。なかなか熱い。物語は非常にシンプルですし、難解さはまったくありませんが、強い物語でした。そのテンションが100%映画になっているとは思えませんが、映画は映画のリアリティーがありますから、役者さん、特に市原クンの演技や筧さんの演技に注目したい。また、舞台が大阪ってことで、知らない大阪の表情がチョイスされているだろうからそれも映画での楽しみですね。小説の中にはよく知っている場面が多く登場したので、そのシーンの中の風景も楽しみです。天王寺動物園も楽しみですし、新今宮駅の周辺も楽しみのひとつですね。

アリス・イン・ワンダーランド。

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 いやいや、さすがである。原作のテイストを映像化するって、しかも、新しい物語として。どうなってるだろうかという部分で非常に興味がありましたが、いやいや、さすが。ルイス・キャロルの世界が最新の映像美術でこうなるのか・・・という感嘆感動感激のひとときでした。しかし、まぁ、J.ディップは怪奇な俳優である。アリスの衣装、登場キャラのリアリティー、物語のシンプルな強さ加減、音楽、美術、動き・・・まったくスキのない作品でした。またまた、DVDが楽しみです。

「フリンジ」ファーストステージの仕掛け。

 昨日、海外のテレビシリーズのDVD「フリンジ」のファーストステージ最終巻(No.11)にたどり着いた。結構11枚のDVDは時間がかかるかなと思っていたが、なになに、けっこう1ヶ月ぐらいで全20話を観てしまった。う~ん、ヤバイ。第一感想である。どうヤバイのか、たぶん、1話1話を細かく分析しながら分解しながら文脈を整えないと伝えることができなだろう。そして、充分に考察や洞察を文章化してもたぶん今感じているニュアンスの10%も伝えることができないだろうと思っております。

 それは、展開されたお話のことだけではなく、今、何故、フリンジなのか?という大きなテーマについては正確には書き出すことが不可能なのだからだと思います。簡単に不可能などという言葉は使いたくないのですが、たぶん、おそらく不可能でしょう。

 ぜひ、観た方と意見交換をさせていただけれれば、その「不可能さ」を共有できるのではないだろか・・・。しかし、比較的早目に全20話を観れたのも、それぞれ11本のDVDが常に借りられていなかったからであり、あまり、食いつきの面では・・・だったような気がします。

Mr.White@RESRVOIR DOGS

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 Look back on the track a little green bag...

映画「SAW6」のパターン。

 なかなか最近映画のシリーズで6まで進むケースは少ないと思います。そんな中、映画「SAW」のシリーズ展開が止まらない。ジグソウの展開が止まらない。SAWというゲームの展開が止まらない。いつものことながらパターン的に冒頭の数分が強烈であり、それで一息もつかせず最後までジグソウの鉄槌は止まらない。裁かれる!?対象が本当に悪なのか?この映画の中の狂気が善なのか?もう、このパターンになると分からなくなる。つまりそれほどのソリッドシチュエイションだということ。たぶん、この展開は「羊たち~」や「SEVEN」あたりから映画で描かれているように思っているのですが、実はもっと根がは深いだろう。もう、完全悪と戦う完全ヒーローは幻想だと誰もが気がついている。そのパターンでは心が躍らないと創り手が判断したのがたぶんその頃なのだろう。

 で、SAW6の展開はこのブログで記述することはできないが、なんとも古い動物園らしきセットがリアリティーがありディテールが見事だった。何の悪いこともしていないのに動物園の檻の中の動物が今更ながら可哀想だと思える瞬間があった。地球上で人間はやはり悪役なのだろうか・・・。

映画「2012」。

 昨晩、映画「2012」をDVDで観た。シーンは圧巻ですが、何でしょう、後味が薄い。これってかなりアルマゲドンなアポカリプトなお話なのに、それに、あれだけ都市が崩れ、山地からマグマが噴火しているのになんとなく仮想のお話という距離感を凄く感じさせられてしまうというか、そのシーンの素晴らしさを評価するスタンスが強くなりすぎて、地球が崩壊する、ノアの箱舟で避難する、全人類皆兄弟です的なメッセージの部分がどうも遠く感じてしまった。そして、大統領が非難しないテイも残された国民に対する愛情を示しているのは分かるが、それでは避難するサイドに選ばれた方たちの立場が・・・となる。確かに迫力のシーンの連続でしたが、物語的な盛り上がりが少し残念でした。

 結果、このタイプの映画は親子間の愛情のお話が軸なので地球と人類というテーマで何かひとつのメッセージに仕上げることの難しさばかりが目立ってしまって、もっと、マヤ文明の下りや、回避するための手法の部分や、コアがなぜフレアというかニュートリノで沸騰するのかという科学的な部分を描いてほしかった。それに昨今の地球環境の問題についてはノータッチだったような印象も、なんとなくしっくりこなかった部分かもしれません。人々が逃げ惑っているのに、キリンや象がヘリで輸送されるシーンはなんとも切なかったですね。

映画「サマーウォーズ」確かに・・・。

 昨日、DVDをレンタルできて映画「サマーウォーズ」を観た。う~ん、確かにさまざまなメディアの評価は正しい。原作本を読んでいるのに、絵コンテ集をすでに買っているのに、映画は映画として、それまでの期待度の上を行くこの完成度。痺れましたね。しばらく、なぜこの映画がこれだけ心を動かしてくれるのか、なぜここまで心がホットになるのか、なぜここまで隅の隅まで創った皆様の熱意が注ぎ込められているのか、しばらく、そのことを考えたい映画でした。宮崎さんの「カリオストロ~」の感動からこのタイプの感動は久しい。

なんでもゾンビにお任せ!?

 映画を観ていて一時からなんだか気になることがある。それは、「ゾンビ」の存在。人間が何らかの理由でゾンビになるということがごくあたりまえのように描かれてる。ゾンビになること自体がすでに空想であるにも関わらず、なんでもかんでも人間対ゾンビという構図の映画がどうもフワフワした感じがする。ウイルスや核戦争に犯されてゾンビに本当になるのか?それとも悪霊としてのゾンビは本当に何か緩くてもいいので根拠はあるのか?

 ヒーローがばっさばっさゾンビを切りまくる。バンバンとピストルでゾンビを撃ち殺す。これは観ていて爽快とはちょっと違う感じ。そもそもゾンビの定義が緩い上にゾンビは死なないはずなのに、敵対視する理由も緩い。と考えていくと、あれあれ、ゾンビってそもそも何だったけ?となる。

 M.ジャクソンのスリラーで市民権を得たゾンビだろうけれど、墓の中からモコモコと蘇るゾンビだって、そうなった理由や背景があるはず。それをしっかりと納得させてから登場し戦うというなら納得がいく。ただただゾンビだからと言って頭から敵対するのはどうか・・・?ということで便利なゾンビの使われ方が適用されている映画シリーズでベスト1.2.3.となると何でしょう???

「FRINGE」いい感じ。

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 「国土安全保障省の監督の下、マサチューセッツ州ボストンを拠点に、FBIのFringeチームの活躍を描く。世界中で発生する説明不能なおぞましい一連の事件「パターン」の捜査の為、チームは「fringe science」(非主流科学。境界科学とも)と呼ぶ型破りな手法を用いる。」「『FRINGE』(フリンジ)は、J・J・エイブラムス、アレックス・カーツマンらが手掛けるSFテレビドラマ(海外ドラマ)である。アメリカ・FOXで2008年9月9日に放映が始まり、翌年2月10日の第14話にて中断後、同年4月7日より第15話以降を放映。第1シーズンは同年5月12日にて終了(全20話)。第2シーズンの制作も決定した。CMが通常の半分の為、1話の放映時間は約50分である。」とウィキペディアにはある。

 昨晩、DISC1と2を見たのですが、これがなかなか。でも、たぶん、一般的には無理かもしれない。そこそこCMもやっていたので気がついたのですが、レンタルコーナーには最新である1も2も3全部DVDが残っていましたから。これを観たいという方はよほど科学・非科学に興味がなければ、第1話で・・・だろうと思いました。これに食いつく人ってかなりだと思いますね。

詳しくはこちらをご覧ください。http://www.fox.com/fringe/

今夜は「ポニョ」。

 今夜は「ポニョ」ですね。楽しみ楽しみ。

映画「KNOWING」を観て。

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 ずっとレンタルショップで気になっていたのですが、ようやく1点だけ返却されていたのでレンタル。物語はドキュメントSFタッチで50年前の暗号のディテールや飛行機の墜落シーンなどなどとても迫力がありリアリティーがありました。ニコラス・ケイジはどうもこのタッチの映画にほんとにマッチする。知的な雰囲気や勇気あるガッツある主人公はとてもマッチする。それに複雑な過去を背負う父親役というところも、ちょっと酒におぼれる部分なども含めるとこの役はニコラス・ケイジしか想像できなというほどのハマリ方でした。

 映画の物語の展開についてはあまりベラベラといくら個人ブログとは言え、書くものでもないというポリシーを基本にしているので、賛否とか偏った意見はできるだけひかえて、ひとつだけとても新鮮だったシーンがありましたのでので、それについて。

 それは、かなり後半の部分で重要な部分なのでディテールの詳細はひかえますが、オチが登場するシーンがとてもイマジネーションを極めた感じがして、「おお、ここまでクリエイトするのか!このリアリティーはやるやん!!」というクリエイトでした。CGありきで努力やガッツは感じますが、それだけ。もっと、センス的な部分やテイストの部分を物語に沿って組み上げて欲しい・・・という素人にありがちな青天井な意見がどうしてもどうしても浮上する映画が多い中、この後半からラストシーンのクリエイションはGREATでした。映画「コンタクト」以来。


 ただ、このオチ自体はありがちだったのでちょっと残念。でも、起承転結の「起承転」まではとてもとてもGOODでした。さぁ、地球の存在とは何?何?何?

詳しくはこちらをご覧ください。

ワンピース「ストロング・ワールド」を観た。

 やはりの部分で観て来ましたワンピースムービー「ストロング・ワールド」。さすがにもう「0巻」は手に入れることができず残念。が、絶対にどこかから入手したいと考えております。どこかお譲りいただける方がおられましたらぜひよろしくお願いいたします。

 さて、尾田さんの監修の元、記念すべき第10作目ということで、かなりの期待をしていきました。ここまでテンションが上がると相当の映画でも始めの数分でガッカリすることも多いのですが、そこはさすが物語や登場キャラは勿論のこと、ルフィーやルフィーの仲間達のそれぞの個性や展開がしっかりと尾田さんテイストでまとめられてて、それぞれのキャラの関係や場面設定も気になることなくひとつの物語として最後まで楽しむことができました。うん、なかなかの仕上がりでした。楽しかったです。

 金獅子のシキももっとキャラ設定を掘り下げるシーンや説明カットがあればその伝説加減もしっかりと伝わったでしょうし、浮遊する島の設定も空島ぐらいに表現できていればもっともっとテンションは上がる設定だったと思います。登場キャラがシキの仲間だけだったのでもっともっと複雑にいろいろなキャラが絡み合えばとも振り返りますが、それは映画の尺ですから・・・の部分で納得しています。ただ、ただ、唯一、ルフィーがバズーカ砲をぶちかますという設定は残念でしたが、たぶん、これも尾田先生的にこの映画だからこそルフィー達にバズーカ砲をぶちかませたかったというこだわりがあったのだと納得。それにしても、尾田先生的な進化の表現は流石。このテーマでいつか、本編と少し絡ませてほしいという部分もありましたが、それは尾田先生の頭の中にお任せして、なかなかの「ストロング・ワールド」な展開でした。

 あまり映画のストーリーをここで説明するのもヤボなのですが、冒頭のハリケーンの下りでドラゴンがもしかして絡んでくるのだろうか・・・とか、空に浮遊しているから、どこかでエネルがふらふらと現われてルフィー達を助けるのだろうか・・・とかその場面場面で余計なことが頭に浮かびましたが、シンプルに最後のバトルまで展開していったことが逆に力強くスッキリする展開でした。

 ほんとによくよく練れているキャラクター達にテンションを持っていかれた作品でした。

「容疑者Xの献身」か・・・。

 昨日テレビで「容疑者Xの献身」を観た。ずっとレンタルショップでDVDはチェックしていたのですが、なんとなくスルーしていた。東野さんの小説はガリレオブーム以前にも何冊か読んでいたのですが、テレビプログラムになりそちらでストーリーを先行して観てしまったことと、それが以外にも福山+柴咲というコンビネーションで印象が強かったので、テレビは本当に楽しく観れたのですが、映画となるとちょっとDVDには手が伸びなかった。が、昨日の展開はなかなかよかった。もしも映画になることで無意味にテンションが上がり余計なストイーリーの展開とは別の要素がチラチラしていたら嫌だなぁ~と予防線を張っていたのが見事に裏切られ、なかなか素敵な映画でした。福山+柴咲にプラスして堤真一さんが最高でした。ガリレオのテレビの面子にプラスの部分で堤真一さんの存在と犯人像の組み上げ方がなんとも充実していて終始に画面に引き込まれていました。最後の咆哮まであの緊張感はさすが。

 映画がいい感じで終わったその後、間髪入れず「アマルフィ」の映画の宣伝があった。ああ・・・なぜこうもうこのタイプはオーラがないのだろうか、「踊る~」も第3弾が決定したらしいが、ああ・・・なぜここまで心が踊らないのか。せっかく「容疑者X~」の余韻がぶち壊し。

 テレビプログラムで言えば、なぜキムタクではああなってしまい、フクヤマではこうなるのか。これほど仕上がりのクオリティーが対極になるのは何が一番の原因なのだろう。と考えてしまうほど、映画「容疑者Xの献身」は良かったですね。ということで早速原作をチェックしたいと考えております。歴代の文学作品以外にほんとに日本の作家で最近読むのは東野さんぐらいになってしまった。

 東野さんの小説を読んでいると中で海外の有名なSF作家の作品のプロットや作家についての感想が少し物語の中に自然と挿入されている場合が多い。それがなんともズバリなチョイスなのです。それって東野さんの作品を読みながら、海外の作家のテンションもいい感じで連動している気分になり、ちょっと得したような気分になります。ということで原作本が楽しみです。

カールじいさんはやばいらしい・・・。

 ピクサーの記念すべき第10作目「カールじいさんの空飛ぶ家」はかなりやばいらしい。はじめの10分で泣けるらしい。う~ん、早く劇場に行きたい。

ブラピに何言ってんの?

 タランティーノの映画の宣伝で日本にプラッド・ピットが来日していた。あごひげをのばして。で、セールスのためにテレビ番組に出てきた。もうそれだけでいいじゃんって感じなのに、その番組のMCはまだまともな質問を投げていた。タランティーノのテンションを見据えながらブラッド・ピットの顔は笑顔だけれど目が笑っていなかった。こんな番組のワンシーンで何が分かるってわけではないけれど、ブラッド・ピットだからどうしても見入ってしまいます。そつのない応えでやり過ごしながらも番組は進行していく。タランティーノは相変わらずのあのテンションのまま。

 で、MC以外のタレントが一言一言ブラッド・ピットに声をかけていく。あたりさわりのないことを言っておけばいいのに、相手はあのブラッド・ピットなんだから。日本の話題、一般的な映画の話題、この映画の話題、適当にお茶を濁すだけでいいじゃんん。なのに、そのタレントの一人がこう言った。「僕はブラッド・ピットさんの映画の中で一番、ファイト・クラブが好きです。」おおっ、いいところを切り込んだだなぁ~と思いきや、「僕は身体の筋肉が少したるんできたりするとファイトクラブを観て、筋肉トレーニングをして身体を引きしめているんです・・・。」それを通訳の人に聞いたブラッド・ピットは、失笑でノーコメント。だったように見えた。おいおい何を何をブラッド・ピットに言っているのですか?「ファイト・クラブ」のブラッド・ピットの筋肉のことなど、なぜなぜ、そこにフォーカスするのか?信じられない。まぁ、頭の悪いタレントが発した言葉だから何でも言葉にしたらいいってもんじゃないでしょう。それより、それを言わせた放送作家がいるはずだからそいつの無神経さがなんとも番組のそのタレントの価値を下げていることに一切気づいていないその空気とそのタレントの満足な表情がなんとも緩すぎる一瞬でした。日本人としてというか、ブラッド・ピットにそんなことをあの場面で聞いてしまう感性がなんともなんとも残念でした。D.フィンチャーも頭を抱えていることでしょう。

 もう少しもう少し、目に見えているモノの向こうにあるモノやその前後にあるモノをしかりと観て感想もしっかり純化してください。これはテレビでありマスメディアでありそこの画面の中にいるのはブラッド・ピットなんですから。野良犬が小さい飼い犬を見て「ワン」と吠えているレベルのコメントはなんとも寒く残念でした。

 もし、そのような機会が何かのミラクルで与えられたなら、私の質問は、「地下でビルのオーナーにボコボコにされ、メンバーに助けられながら椅子に座る時、やられすぎで足を組むこともできず、自分の手で足を持ち上げるシーンは、監督の演出ですか?それともご自身の経験から出た演技ですか?」と聞くでしょう。あのシーンは主人公の存在感とリアリティーを凝縮しているシーンだと思うのです。

カールじいさん、いよいよです。

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 いよいよ、やってきます。「カールじいさんの空飛ぶ家」がいよいよやってきます。ウォーリーからちょっとおこちゃま向け路線をシフトしている感じのピクサーですが、それほどお子様モードにしてもたぶん今のお子様は反応しなくなっているという背景もあるのではないでしょうか。それに引き替え邦画の子ども騙し路線的な企画映画の羅列を鑑みるとそれも引いてはターゲットに合わせた興業ありきの結果と言えそうです。しかし、映画も芸術とは言え産業的な側面があるわけですから、劇場に人が集まってこその世界。ターゲットのニーズにマッチさせる構図は販売促進の方程式どおりとなるのでしょう。何も映画に限ったことでもないですし、とは言え、そんな路線ばかりが邦画を占拠しているわけれもなく、分布の割合としてこの比率は多くなったり少なくなったりという推移が長い歴史上には存在するのでしょう。

 で、カールじいさん。「愛する妻が死にました。だから私は旅に出ます。」か・・・。このフレーズと風船で浮き上がるという家の映像だけで、もう、すでに少し痺れているのです。


◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://www.disney.co.jp/movies/carl-gsan/index2.html

スター・トレックの感じ。

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 正直なところ、S.W.は好きではない。善と悪についてあまりにも白黒つけ過ぎていることや、レーザー光線のドンパチがどうしても好きになれず、登場するキャラも科学的にどうしても気になる部分があるからで、もう少しだけフォースについて深く切り込んで欲しいと思うから。また、宇宙の壮大な空間の中に存在する「悪」がそんなに単純で浅いはずはないだろう・・・と気になる部分が雪だるま状態で、映画の物語やテーマに集中できないでいつも終わるからである。絵づくりの世界最高峰達がここまでCGでイマジネーションできてここまでのリアリティーを描けるよみたいな部分が誇示されて楽しくない。まったく、ブレードランナーのそれとは質が異なる。

 で、その系で「スター・トレック」はスルーしていましたが、ある方から絶賛の情報を頂いたのでDVDを借り観ました。正直なところ普通でした。ただ、ブラックホールの解釈が気になり、また、時間軸を簡単に飛び越える部分やワープ航法や物質の転送の部分がやはり気になりました。唯一、ザカリー・クイントが良かった。映画を観る基準がどうも登場人物(男優・女優)に牽引される場合が多いので、今後、このシリーズが展開される場合、たぶん、ザカリー・クイントを中心に観ることになるような気がします。

 ザカリー・クイントはヒーローズのサイラー役でその存在感をこれでもかこれでもかこれでもかと示した方ですが、スター・トレックと言えばスポックだったので、それを、ザカリー・クイントがここまで消化されているとなると、もう、スポック=ザカリー・クイントとなってしまうほど・・・、良かったですね。

◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://www.startrekmovie.com/intl/jp/

サマーウォーズ

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 映画はまだなのですが、原作本を読みました。なかなか素晴らしいお話でした。

◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://s-wars.jp/index.html

この弾け方!!!

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 この映画はあまり評判は・・・、だけど必見ですね、やはり。この弾け方は最高。

第4作目もマットで・・・。

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 第4作もぜひぜひ、マットでお願いしたいです。迫力あるのは間違いなく彼だからだ。

映画「ルーキーズ」84.2億円。

 今期(2009年)に公開されたテレビ局制作の映画の興行成績が発表された。第一位は「ルーキーズ」で興行成績がなんと84.2億円との発表。これが映画会社や洋画のジャンルになるとどうなるのだろう?2008年の結果としては、「崖の上のポニョ:155億」「花より男子ファイナル:77.5億」「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国:57.1億」「レッドクリフPart1:50.5億」「容疑者Xの献身:49.2億」となっているわけですから、まだ、2009年のテレビ局制作以外の邦画・洋画の状況は分りませんが、「ルーキーズ」の84.2億円は大きな数字だと思います。で、その系列で第2位が「ごくせん」、第3位が「アマルフィー」となっているのですが、この状況はいかなものかと。ヒットの原動力は視聴率の競争で培った番組作りの手法だとのことですが、さてこれもいかなものか2。テレビの延長に映画があること自体、映画に何を求めているというアプローチが完全にシフトしている感覚。テレビ関係者はテレビの存在感がメディアとして揺らいだ結果、そのベクトルを映画に向けてテレビのダイジェスト版を映画にしているように思える。これも時代の流れであると言ってしまえばそれまでですが、それでもこの現状はいかなものか3。

 映画に求められているものは「芸術性」よりも、「観客が求めているもの」を徹底して優先することらしい。ふ~んという感じ。これが映画作りのセオリーになり、次から次へと「花より男子」「ごくせん」「アマルイフィー」のような映画になれば、もしかすると映画表現とはの部分さえ根底から変わりつつあるのかなと感じています。「テレビ番組」と「映画」は違う質感が欲しいの(そもそも違うモノ)に、ただただ、視聴率を興行成績に変えるための「サラリーマン映画」のオンパレード。ただ、映画「ルーキーズ」に限り、映画は映画館で観るつもりはありませんが、DVDではチェックしようと思っています。他の映画に関してはテレビでさえスルーしているので、映画館でもDVDでもスルー。期待度が0以下なだけに、何かのきかっけで観ることがあれば、0ぐらいにはなるかもしれないが、0を期待してDVDを借りる「何かのきっかけ」ってそうないない。つまり、永久に観ることのない作品群。しかし、84.2億円が回収されているこの市場は、さてさて、いかなものか・・・4。

 ただ、「芸術性の追求よりも観客の満足度優先」としても、このフレーズに隠された意味は意外と深い。かなりかなり、この観客としている皆様の満足の度合が、「芸術」という言葉と対極にあってもいいと考えているということありきの言葉である。では、満足度の中身は何?この現状が何を意味しているかについて深く考える必要はなく、この事実だけをどう取り込むかという部分にフォーカスすればそれでこのことは洞察・分析・リサーチしなくともいいことなのかもしれませんが、映画が「芸術性」から離れていっていいと言ってしまうことだけが腑に落ちない。つまり、口の中には一旦入れるけど飲み込めず体内の臓器には落としたくないという感覚。味わう前に吐き捨てるのも食わず嫌いかもしれないが、色や形や作り方を見れば料理って分らない?ってお話。でもでも、食文化がシフトしているなら、この国のベクトルがシフトしていなるなら、それはそれで仕方のないお話なのかもしれません。

 で、映画関係者はどう思っているか?「やがて飽きる時が来る。空疎な作品を作って観客を失望させると、中長期的には映画市場全体を縮小させてしまう。」とイエローカードなコメントも新聞の紙面には存在することも事実。時代のスピード感が加速するということは、薄い新しいボードをたくさん次から次へと並べるイメージ。まるで日本の家のようです。とりあえず安く手身近に住めればいいがライフスタイルとして定着しているから、暮らしの質感が薄い。もっと、どっしりとした質感のある分厚い作品を360度回転していつまでも時代を超えて鑑賞できるような映画が私は好き。ペラペッラな原作・俳優・監督らがドミノのように並んでいる。一番先頭のドミノを誰かがつつくまでどこまで並べるんだい!って感じ。

映画「コンタクト」。

 『コンタクト』(Contact)は1997年のアメリカ映画。カール・セーガンによるSF小説の映画化作品。SETIプロジェクト、人類と宗教、科学、政治、地球外生命、などをテーマとする知的好奇心をくすぐる壮大な娯楽SF映画に仕上がっている。と、ウィキペディアより抜粋。カール・セーガンは好きなSF作家のひとりですから、原作も読み映画を観ています。いろいろなタイプのサイエンスフィクション映画がありますが、サイエンスの部分でこれほど追求したお話を映画にしたという意味ではこれ以上のSF映画は非常に非常に少ないと思います。娯楽という部分ではこれまた非常にたくさんの映画が存在しますが、どれもSFという体裁をとりながら、サイエンスの部分を疎かにしているような気がします。科学者ではないので、科学がなんたるかなどとても語ることなどできないですし、実際、科学の現場にいる方がどうこの映画を分析しておられるかなどについてもリサーチしているわけではないですが、海外のSF小説をそこそこよんできたというレベル内での見解ですが、この映画の完成度は非常に高いと思います。まして、J.フォスターが出ているということもその印象をグイグイと押し上げている。よくぞ、出られたと。

 で、ここからこれ以前の科学についての映画表現についても、科学の進化と並走しているだけに、いろいろな宇宙科学や思想の部分での隆盛が深く関係しているとはいえ、特に地球外生物とのコンタクトというテーマを映画として表現する場合にとても科学的なアプローチが隙なく描かれていると思います。これに比べれば、宇宙空間での数多の戦争モノや空想の域から出きれない根拠や背景の緩い純粋な娯楽映画がSFとして定着している中、やっぱ、これが最後のSF映画だったような気がします。特にタイムマシンモノや生物学的なアプローチは全て空想の空想のような。マイケル・クライトン氏が他界された現在、SF映画として第1級の作品が今後どのような切り口で仕上がっていくのか心配です。映画が娯楽として映画館への動員やDVDのセールスばかり注視し反応する市場と比例する以上、SF映画文化やSF小説がF.O.していくとしたら非常に寂しい。

 余談ですが、今、楽しみにしている、「幸せの1ページ」ですが、J.フォスターの新作ということで期待しています。この映画の舞台は地球のようですが、精神世界と現実の世界を対比させながら、心の成長を~というアプローチも美しいのですが、別のアプローチもどこか期待しています。

 ひさびさにこの秋は、「乾きの海:アーサー C.クラーク」や「星を継ぐもの:ジェイムズ・P・ホーガン 」や「夏への扉:ロバート・A・ハインライン」などをもう一度じっくりと読み返してみたいと思っております。

映画「幸せの1ページ」について。

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 昔は映画を観に行く時とか、新しい映画については、原作を読んだり雑誌でリサーチをそこそこしてから観に行くケースが多かった。そして、そのリサーチと実際の映画に対する感想の相違点に対してのみああだのこうだのと想いを巡らせて、酒の肴にしていたような気がします。でも、実はそんな映画の観方・楽しみ方はつまらないと思ってから、リサーチは最少限にしています。映画館に行く時間もなくったことでもっぱらDVDが多くなったのですが、それでも、リサーチはしなくなりました。

 だから、当然「ハズレ」にぶち当たる確率も高くなり、映画開始1~2分で、「あ~あ、失敗かも・・・」というケースも多々あります。でも、それはそれでアリなのかもしれないと粘り強く最後まで観るようにしています。すると、バッチリその開始直前の直観が「ハズレ」だったりする。それは、目から鱗でもないのですが、なんか不思議な巡り合わせ感が漂い、それはそれで得した気分になれるのです。やっぱ、頭でいろいろ考えてるだけじゃダメなんだと。

 で、この映画のリサーチはこのWEBサイトのトップページだけしかまだ見ていません。この映画に魅かれる原因はひとつ。J.フォスターが出ているから。その条件とトップページにあるこの写真とキャッチコピーからどれだけこの映画を観るまでのイマジネーションをふくらませられるかが、これまた、映画の楽しみ方のひとつだと思っております。「ブレイブワン」は微妙な終わり方をしたので、今でもその感覚が頭の片隅に残っていますし、「フライトプラン」はいいお話だったのですが、スッキリし過ぎでちょっと物足りない感じでした。さてさて、「幸せの1ページ」はどうだろう。

◎こちらで確認してみてください。オフィシャルサイトです。

X-MEN ZEROという仕掛け。

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 映画には全てが詰まっていると思う。そして、古今東西あらゆる数多の映画に必ず登場する主人公がいる。物語の主役である。映画は何で決まるのか?監督かもしれないし、原作かもしれないし、音楽かもしれない。また、制作費かもしれないし、プロデューサーの手腕かもしれない。しかし、この映画は間違いなく「ウルヴァリン」という存在であると思う。映画に登場する主人公には必ず物語がある。それは、生きていた人、生きている人それぞれの頭の中にある内と外との連鎖の仕組みである。誰もの思考の中心には必ず自己がある。それをどう位置づけるかについてこれまた数多の定義や方程式が存在する。その上で「自己」とは何かを考える。映画を観る際のひとつの視点としてこの自分自身の中に存在する自己と映画の主人公との連鎖がいかに、いかにかがその映画を大きく左右していると思う。そこに肯定も否定も無ければそれが関連性における自己の実態である。

 自由に空を飛ぶ主人公、いくつもの困難を乗り越え自分を見つける主人公、醜い世界で美しい世界で存在価値を求める主人公、比較や挑戦や葛藤が限られた時間の中でいくつも交差する時、そんな主人公達は光になり影になる。それが映画のひとつの醍醐味だと思っている。

 で、この映画である。ウルヴァリン、なぜこんなにも惹かれるのだろう・・・。まだその理由は分らないが、9月11日にそれが分かるかもしれないし、分らないかもしれない。これだけ一人の主人公に引き込まれるケースは本当に稀である。楽しみです。1・2・3とDVDをいつも時間があれば観ているのに、このZEROはまた違った味を感じています。

◎こちらで確認してみてください。予告篇ですが・・・。

「ROOKIES」という物語

 確かに旬な俳優がこれだけバッチリとはまりにはまった物語はないだろうと思います。原作は読んだのですが、さほど、特筆するテイストは感じられなかった。しかし、テレビドラマから映画の流れは圧巻です。元気のいい若者と野球というこれまたセオリー中のセオリーをここまでの質量に押し上げた俳優陣の能力に心を持っていかれた感覚である。

 いろいろなスポーツがあるが、自分自身にとって「野球」は別格の質量がある。実際、小学生の頃から始めて高校の硬式で甲子園を目指す段階まで20歳になるまでのそのほどんどを「野球」に費やしてきたからである。結果、甲子園の土の上に立つどころか、高校3年でも補欠にさえなれなかったのですが、野球から学んだことがこの年齢になり今もドクドクと心臓に焼きついている感覚はたぶん野球を鑑賞の対象としてしか、もしくは、「野球は楽しい」と感じている多くの野球ファンとは一線を画していると思っています。中学生の頃も野球をやりながら陸上の短距離をしていたものだから、中学3年生で両太腿の筋肉が練習のし過ぎで部分的に硬化してしまい、針治療やマッサージでは結局復活しなかったことがハード的な致命傷であり、ソフト(ハート)の部分では、練習は誰よりも一生懸命にするが、ここ一番の勝負の場面でハートがもろかったことが自分自身でも致命傷だったと思っている。結果、自分には「野球のセンスがなかった」と若い頃は折り合いをつけていたが、年齢を重ねる毎に、結果的にハードの致命傷がハートも崩していたように思っています。それに学び、芸術・デザインの道に進み、同じことを繰り返さぬよう、ハートを鍛えることに貪欲になったような意識がとても強くあります。

 で、「ROOKIES」という物語に出会った。市原君がいい、小出君がいいということ以上に、この時代、野球を描くなら中途半端では困るんですが・・・とチラミした瞬間、この物語のリアリティーにやはり心を持っていかれた。やはり、野球は自分自身にとってただのスポーツではなかったと改めて実感した。

 映画が好調らしいですが、映画館に観に来ている家族づれやテレビ番組のファンといっしょにこの映画を観たいとは思えない。だから、DVDを待ちたいと思っています。夏になると、厳しかった練習の日々が思い出され、あの時の心が少し蘇る感覚がある。高校3年生の時にはもうフルで走ることもできず、後輩たちの練習の手伝いをしていたが、最後まで野球を続けて本当に良かったと思っている。そして、また、夏が来て、甲子園が始まる。大阪で仕事をしていた頃も、仕事の仲間やお客様が「阪神戦を観に行きませんか?」と甲子園に誘っていただいたが、一度も甲子園には行っていない。まだ、あそこに行く気持ちにはなれない。

ひさびさのレザボアドッグス。

 ひさびに映画「レザボアドッグス」を観た。う~ん、気を緩める部分が1秒もない。さすが、タラ氏である。ここから大きな作品に繋がっていくが、これが一番いいと思います。しかし、この役者揃いの中においてもここまで輝くのかH.カイテルという感じ。う~ん、久々に聞く、ジョージベーカセレクション、昔に観た時よりもワンランク上の緊張感で観ていることに気がついた。これは映画の持つワインのような魅力なのだろうか・・・。
 で、何か物語や作品を創り込むならここまでのテンションがなければ・・・的な自分にとってのシャングリアのような作品である。Dick dick dick and dick, Hence,like a virgin.

ウルヴァリン。

 そうかそうか、そう来るのか。知らなかった知らなかった。早速映画のオフィシャルを観た。そうかそうか、そうなるのか。そもそも、1・2・3とDVDを揃えたのも、何が良かったってH.ジャックマンが良かったからであり、映画自体はそう・・・、だったわけで、あれで終わった・・・と思っていたのにこの映画の情報を知った時は嬉しくて嬉しくて状態である。しかし、いろいろな映画のキャラクターがある中で何故こうもウルヴァリンに気持ちが入っていくのだろうとX-MEN1の時から気になって仕方がなかった。そのまま3まで観て、ことあるごとにDVDでウルヴァリンを観ている。いろいろな批評を読めば「悲劇的」なニュアンスがあり「悲哀感」が漂うこのキャラクター設定がミュータントという存在をより人間臭くペラペラペラと知ったようなコメントが次から次へと羅列されているのですが、そこには全然魅力を感じてはいません。絶対。ミュータントという設定ありきで言えば確かに他にもっと強烈で強靭で豪腕なキャラはたくさんいるし、もっと人間臭く葛藤だらけのダークヒーローも存在するのに、何故かウルヴァリンには気持ちを持っていかれる。まるで、小学生の頃のように、テレビやマンガのキャラクターになれるものならなってみたいとさえ45歳のおっさんに楽しい妄想を描かせるぐらいのパワーがある。たかがウルヴァリン、されどウルヴァリンなのです。だからだから、早くDVDが欲しい。

「地球が静止する日」への洞察。

 小説はディックのように短くコンパクトに閉められていた。が、映画はどうだろうかとチェック。どうもう最近この路線が多い。未知なる宇宙への表現が~ウォーズから完全に離脱してリアリティーっぽく表現されている。つまり地球外生命は敵か見方ではなく、大いなる脅威だと。人間を描ける一番小さい存在まで落として逆に宇宙に対して心からリスペクトしていますよ的な路線である。乱暴な表現をすれば無関係に近い関係だと思いますし、仮にそういう団体が飛来したとしてもその団体の技術や知識がどうであれ、間違いなく同位もしくは同位以下であるはずはない(仮説)のだから、イマジネーションをフルに使って大きく描こうが小さく描こうか、それさえも無関係と言える。だから、そのような団体が仮に地球自体を救済するために光に包まれて飛来しても、さて人間とコンタクトをとろうとするだろうか?という疑問がこの手の映画には常に先行するので集中して最後まで物語を追うことができない。このタイプで言えば唯一J.フォスターのコンタクト(カール・セーガンによるSF小説の映画化作品)が唯一宇宙を描いた一番最適な表現のように思ってします。勿論、50歩も100歩も譲ってであるが。ラストシーンは感動的ではあったが感傷的すぎたし、J.フォスターの演技があったから高いレベルで成立していたが、他の女優さんだったらかなり疑問であり、小説を読んだ方がいい。
 で、「地球が静止する日」とは印象的なタイトルであるが、太陽系を公転している限りたぶん自転が止まることはないだろうし、宇宙の仕組みへの認識自体が誤っていたら止まるかもしれない。つまり、人間は宇宙のことをああだのこうだのと人類の未来のためだと言いながら探索してい探求して追求しているが、未だかつて「宇宙との関係」のリアリティーはない。いずれも想像と仮定の産物なのである。だから、いろいろな宇宙映画が成立するのでしょうけれど、夢や希望を描くならいいが絶望から関係性を描くのは映画でなくてもいいのではないかな。配給会社がそれを求めニーズがそれを求めているという構造だけが見え過ぎてあまり楽しめはしなかった。残念。どうせなら「ミスト」や「ハプニング」の方が格段にいい物語だったと思います。

「WALL・E」DVD到着。

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 初回限定の2DISC到着。映画館では見逃したCGシーンをじっくりと穴があくまで・・・。

綾瀬はるかちゃん、素敵でした。

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 うんうん、この映画は綾瀬はるかちゃんありき。間違いない。ただただ、素敵でしたね。邦画を観たのは「百万円~」以来でした。邦画も主人公がいいと素敵。パコも良かったし、ほんとに最近はいい邦画が多いですね。とかって、映画がどうのこうのではなく、ただ、はるかちゃんが存在感がありとても素敵だったということだけなのかもしれませんが・・・。

http://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/

A.ジョリーと映画「WANTED」。

 早速、DVDレンタル開始日にレンタルしました。う~ん、ナイトウォッチでは私的にはこけた監督でしたが、やはり、モーガン・フリーマンとアンジェリーナ・ジョリーが登場するだけでこれだけも映画がいい感じになるんですね。物語もシンプルでしたしとてもとてもいい展開でした。エンタメ的にはちょっとニュアンスが違うのですが、例えば、「ボーン」シリーズと比較した場合に、同じ暗躍組織を描きながらどこか人間臭い映画。また、登場人物の相関図的に比較した場合、「レザボア~」に匹敵するぐらいのかけひき感がある映画。また、A.ジョリーの登場した代表作品として比較した場合、同じ芯の強いヒロインではあるのですが、彼女の魅力の中のダークな部分がグイグイとくる映画。そんな映画でした。
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目白押し。

 本日発売の気になるDVDがかなりある。中でも、「ウォンテッド」と「アイアンマン」はとても気になています。一方、先ほどの第81回米アカデミー賞の短編アニメーション賞を受賞した「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)はまだ観ていないのですが、とても気になります。「おくりびと」より気になっています。あれから、何か「おくりびと」についての紹介記事が書かれたり、テレビで受賞の背景をドラマチックに紹介している場面を見るにつけても、テンションは上がらない。テンションだけで映画の価値を決定することは全くナンセンスなお話ですが、やはり、それよりも、断然気になるのは「つみきのいえ」です。DVDも増版されたとのことですし、早速書店でチェックしてみたいと思います。
 で、本日の朝のテレビで加藤監督が帰国してこられた空港のシーンで、とても、アカデミー賞を受賞してきたいぞい!というテンションが感じられない加藤監督を見て、さらに好感が持てた。断然断然、今の段階では「つみきのいえ」が「おくりびと」を10:0で勝ち。余談ですが、ワンピースの最新刊ももうすぐですし、「WALL・E」も4月ですし、楽しみです。
 しかし、「おくりびと」には日本人の死者に対する厳正なる慣習や細やかなこころが描かれているというおふれですが、生命の尊厳さをどう表現しようが、生命の尊厳さなどそもそも表現するものではないと思う。そんな時代だからこの映画が国際的に認めらたと考えるなら、この時代とはいったい何がどうなっているのだろうかと考えてしまいます。「死」には必ず「宗教」が付随してきますが、いわゆるスピリチュアルな映画ではないことだけを期待しています。

「おくりびと」について。

 アカデミー賞、外国語映画賞受賞か。さてさて、楽しみです。いろいろな意味で。

アベンジャー最高!

 昨夜、フォーサイスの小説「アベンジャー上・下」がFIN。なんとも素敵な余韻を残して物語は完結しました。う~ん、さすがのさすがです。痛快というか緻密というか事実は小説よりなんとかと申しますが、このレベルの小説は事実よりなんとかです。また、機会があれば読んでみてください。
 で、あとがきにあったコメントにつて。昔の物語は完全なる悪が登場して完全なる正義がいかに~みたいな物語が、最近の映画や小説ではそうではないらしい。確かに、その部分はよく理解できますね。例えば、映画の中で何かにたくさんの人が殺されるのですが、何が殺しているのかを描かない。また、情報戦で首謀者はいつも声だけで、物語の中ではずれを引くのはその下の下っ端みたいな構成が目につきます。個人的な恨みを解決することが本当の正義ではなく、正義も悪も理解した上で、主人公がどう考えるのか・・・という問題提起が極端に多い。それほど世の中が複雑になってきたのかと思いたいが、実はそうではない、もともと、映画をより面白く魅力的にするため、物語を盛り上げるために脚色としての悪と正義が設定されてきたことに慣れているからそう思わされているだけ。もともと、人間の歴史に明確な正義と悪なんてないわけで、2時間の物語にするために、600ページの物語にするためにのフィクションが世の中の規準だと思わないこと。例えばノンフィクションでも一人のライターの目線で書かれるから規準があり、それを公的な立場に公開するためにまた、いろいろな視点を介する。だから、正確な客観など存在しない。
 で、「アベンジャー」である。これらのことを踏まえて最高でした。またまた、ラストシーンの日付が2001.9.10と来ている。いいですよぉ~「アベンジャー」。

BUG(バグ)

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 昨日、この映画を観た。レンタルショップにはDVDが1本しかないので、レンタル開始からかなり待ったがようやくレンタルできた。かなりテンションの高い紹介コピーに心を魅かれて興味を持ったのですが、このパターンはよくあるが、50%ぐらいの確率でハズレに出くわすのやはり50%の期待感で観た。バグとは虫という意味があるのですが、他にもコンピューターシステムの不具合などにも使われる言葉でなじみがある。映画の詳細は割愛するとして、かなりソリッドなシチュエイションでした。たぶんこの映画は国内では興行が低いだろうと思います。それを計る基準としてやはり、レンタルショップで本数の少ない映画は興行成績に比例していると思うし、映画を観終わった段階で、このタイプはたぶん無理だろうなぁ~と感じてしまいました。多分、映画の宣伝文句を読んだ方は「エクソシスト」や「サイコ」を期待する。しかし、それよりもより複雑な設定だし、よりインパクトのある物語だから、「エクソシスト」を期待した方は物足りないだろうし、「サイコ」を期待した方はそのディテールに圧倒されるでしょう。最近では、「ハプニング」という映画と比較して「恐怖」という視点で分析した場合、恐怖のボリュームは明らかに「ハプニング」の方が巨大ですが、人の心に潜むパラノイアの部分では「BUG」の方が深い。人間の心のバグが人間をこう変えてしまうのか・・・という映画ですね。
 でも、DNAには多くのバグがあり、癌もそのひとつ。しかし、そこから新しい進化がはじまるとも言われているから、バグなのか進化の芽なのかそれは神のみぞ知るですね。神がいたらのお話ですが。

◎詳しくはhttp://www.bugmovie.jp/

「百万円と苦虫女」いいっすわぁ~。

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 ほんとにほんとに邦画は見ないのですが、やはり、これは観てしまいました。この前に観た邦画がミッドナイトイーグルなので、ひさしぶりでした。邦画を観る時の基準も緩いのですが、緩いなりに失敗も多いので、結構いろいろ予習してから観るようになってしまいました。すると、予習し過ぎてイメージがいい方向に膨らみすぎて結果的に「あ~あ、やっぱ無理無理」と映画開始10分ほどで結論が出てしまうパターン。これが辛い。普段映画をDVDで観ている最中にその場所を離れることは一切ないのですが、テンションが下がりはじめるともう集中できずにコーヒータイムになったりしていまいます。そんな自分の中での邦画のポジションですが、好きな俳優(いないのですが・・・)や女優さんが出てる映画はチェックしています。とは言え、中でも邦画を見る基準は蒼井優ちゃんが出ているか・・・という基準しかないことに最近気がついてこの映画もWEBでも映画の専門誌でもリサーチせずに安心してDVDをレンタル。そして、終わった感じはやはり想定以上。間違いないですね。どうも、フラガールからこのパターンでしか邦画を観なくなってしまいました。
 で、「百万円と苦虫女」ですが、監督の目線がいいですね。さすが今日本人の映画監督が一番使いたい女優だけはありますね。安心安心。新作は山田洋二監督、吉永小百合さんと共演の映画ですからね。う~ん、素晴らしいです。音楽シーンなら木村カエラちゃん、映画なら蒼井優ちゃん。この二人に追随するライバルは今のところ超主観ですが、見当たりませんね。
 この映画はひさびさの主演ですが、まぁ主役とか脇役とかじゃなくていいんですが、内田有紀さんの「クワイエットルームにようこそ」の蒼井優ちゃんもよかった。でも一番好きなのはやはり「虹の女神」の妹役でした。

◎詳しくはhttp://nigamushi.com/

◎詳しくはhttp://rainbowsong.jp/00_top.htmlへ

ブラピ&アンジー

 ヒルズに二人が現れたそうです。う~ん、行きたかった・・・。名実以上のこの二人の存在感。2008年は日本の映画好調で洋画が不調だったらしいですが、それはファンの質の問題でしょう。興行成績で映画の質は判断できるものではないとしても、だったら、日本映画に何があったの???私は「ポニョ」しか記憶にない。邦画と洋画。決定的に何が違うのか。それは全てなんでしょうけれど、明らかに監督と役者と映画ファンが違う。「邦画が凄い」と新聞で活字にしても凄くはならないでしょう。
 で、ブラピとアンジーはそういう意味で凄いとなる。他に追随が見つからないほど凄い。間違いない。

ボーン・スプレマシー

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 中古コーナーで安かったので思わず購入。あとはアルティメンタムを揃えていつでも3部作を観れる状態になります。最近の3部作ではやはり「ボーンシリーズ」が一番です。あと、ダイハードの4部作もかなりチェックしています。多分、適正価格になったら買うでしょう。

映画「ハプニング」。

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 これほど期待を裏切らない映画監督はD.フィンチャー以外にいない。DVDレンタル開始からチェックしてようやく昨日レンタルできた映画「ハプニング」。確かに「ミスト」はS.キングのテイストが楽しめし、あのエンディングはなんともキングらしくとても素晴らしかった。しかし、どうも現実とかなりかけ離れた「異次元」というファクターがどうしても最後の最後まで気になった。それが、この「ハプニング」ではそんなことを考えさせるスキなく、最後の最後まで物語への集中力をグイグイと引っ張っていってくれた。その素晴らしい仕上がりにエンドロールが完全に終了してから、思わず「やられた。」と言葉に出てしまった。何もああだのこうだのと言う必要がない。ただ「やられた。」という映画である。自らの命を自ら絶つ能力を持ち合わせた地球上で唯一の生物「人間」への警告なのか、未知なる大自然からの最終勧告なのか、頭の中でいろいろな渦が巻き始め、かなりの時間眠れなかった。

◎詳しくはhttp://movies.foxjapan.com/happening/

映画「WALL・E」の伝え方。

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 最近はあまり映画館に行くことがなくなりDVDでしか映画を観なくなりました。そんな中でも映画館で観たいと思う作品はアニメーションが多くなりました。その理由は定かではありませんが、スタジオジブリやピクサーの映画を映画館で観たいという気持ちになるのですが、どれだけ大作であろうが、好きな俳優や女優が出演していようが、実写はDVDでいいかな・・・、でも、アニメーションだけは映画館で観ておきたいという気持ち。と言うよりも、手軽にDVDで観るという行為よりも、好きなアニメーション映画は映画館というシチュエイションで鑑賞するという見方をしたいというこだわりなのかもしれません。とは言え、ジブリとピクサー以外の映画は観ない。全く興味がない。DVDでもチェックはなし。ということは、自分の中でジブリの宮崎さんの作品とピクサーの映画作品だけが特別の存在のようです。その新作「ポニョ」と「WALL・E」は必見でした。
 で、夏に観た「ポニョ」は2年越しの待望の待望だったので、最初に宮崎さんの「ポニョの制作日記」的なテレビ番組を2年前に観てからずっと期待していた以上の映画だったわけで、改めて改めて「期待を裏切らない」宮崎アニメの真髄の1本でした。
 そして、「WALL・E」である。確か「ニモ」のDVDか何かの映画を観た時の予告で次のピクサーの映画は~みたいな告知で「WALL・E」を知った。そのインパクトはこれまで観てきた映画のどれとも違い、期待感が甚大ではなかった。ちょっと「レイミー~」が残念だっただけに、大きく膨れるだけ膨れた期待感が逆に心配だったほどで、映画「WALL・E」が始まるまでできるだけその期待感を抑えつつ開演。しかし、その心配も開始数秒で狼狽となる。そこから終わりまでこの2年ほど「WALL・E」に対して描いていたイメージが実際のスクリーンで見れたという実感とそれ以上の映像を見せられてしまったという感覚でもうひとりの子ども目線で登場するキャラクターや場面や物語にスッポリと入り込んでしまった。映画のことをここで細かく記述するようなナンセンスなことはしたくないので、一切にそのディテールは記述しませんが、個人的な感想として、SF映画としてなら、「2001年宇宙の旅」を超えましたし、アニメーション映画としてなら、私の最高峰である「となりのトトロ」を超えました。そして、CG関連ではいろいろ名作がありますし、物語やメッセージ性なら数多の映画が存在しますが、それらの中のいずれと比較しても夢がありメッセージがあり心があり、間違いなくそれらの名作のひとつとして心に刻まれた作品でした。あまり内容には触れたくないのですが、映画が始まってしばらくはセリフ(会話)なしですから・・・。もうそれだけで「ああ・・・、やられた・・・。」ということになりますね。さぁさぁ、DVDはいつだろう?
 つまり、映画作品とは予算総額でも登場する人物でも物語の特異性でも脚本でもなく、監督が何をどのように伝えたいかの「伝え方」こそがその本質だと改めて痛感させられたという作品でした。

映画「ICHI」

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 最近で言えば、少し前の「座頭市」という映画がありましたが、特に、映画の公開もDVDも興味はなし。やはり、映画はその物語よりも脚本よりも監督よりも、どうしても、出ている人で選んでしまう傾向があり、よく、映画の好きな方には邪道だと言われる。「それじゃただの女優のファン目線じゃないか・・・」と。PVじゃないんだから、出ている役者で映画を選ぶのはどうかな・・・とよく言われる。でも、確実に輝いている。これから輝くであろう俳優さんや女優さんが主役をはっている映画には興味が湧く。興味が湧いたら物語に入れる。物語に入れたら映画を理解できた、ということにならないだろうか。というこの自論は映画関連のお仕事や映像の畑の人には冒涜に近い考え方らしいのであまり強く主張はできない。怖い怖い。
 で、とにかく、そのポスターを観てからというものの「ICHI」が気になって気になって仕方ない。明らかに、「タッチ」の実写とは異なると思うので・・・。

http://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/

WALL・E

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 WALL・Eがいよいよ12.5公開です。ちょっとオンラインで予告を観たのですが、もう、待ちきれません。待ちきれない映画、待ちきれないDVDはたくさんあるのですが、これはかなり別格。こんな映画が創れたらいいだろうなぁ~。

◎電子メールはこちらです。

映画「ブラックサイト」

 最近、ダイアン・レイン主演の映画「ブラックサイト」という映画を観た。なかなか身の毛もよだつようなシーンの連続でしたが、その手法は「saw」ほどではなかったし、サイコなニュアンスでもなかったので流れとしてそれらのシーンを追えた。確かに映画で紹介されたシーンなんて世界中で発生している事件のほんのひとにぎり。もっと現実に発生している事件を映像にして一般の方が観たら、それは世界観が変わってしまうほどでしょうね。しかし、インターネットという手法で確かに66億人の人が簡単に情報を発信できて簡単に閲覧できる仕組みに隠された落とし穴についてとても考えさせられた。
 で、主人公のマーフィーはFBIのサイバーなんとか課のエリート。自分のデスクには確か3~4つのモニターを管理して現場のスタッフとオンライン上で捜査や調査をしている。そのモニターの画面が意外に小さいことにびっくりした。実際のFBIの現実のモニターも小さいのか?と。どう見ても22インチはないし、比率も4:3である。情報を閲覧するだけという設定だからこれがベストサイズなのかもしれない。ただ、50インチとかのテレビで何かを観ても最近はそれほど感動しなくなったし、ふと考えて、どれだけ大きいサイズで映画を観ても映画館には程遠いのに、高価な大型モニターを持っているということが、何かのモノサシなら別ですが、映画を観るということでも、観る距離が3~4mで6.1chのスピーカーシステムだったとしても、仮にブルーレイだったとしても、モニターサイズはテレビの観賞用なら32もあれば充分で、仕事用のPCモニターなら19で充分な気がする。ワイドも使っていますが、デスクに置いてあるフォルムはかっこいいが、使うと私は19の方が生産性と能率が上がりますね。皆さんはいかがですか?ハードもソフトも機器も道具ですから自分の手になじむのが一番いいです。

こうなるのか。

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 映画という芸術とも文化ともメディアとも言える表現。こんな映画を観てしまうと、「こうであるべきだ」なんて思い込みはただの先入観のように思え、何かを創るという行為にフォーマットなんてないんだと痛感してしまった。「テラビシア~」しかり、いい映画には重くも軽快な質量保存のリズムがある。クォークの声が聞こえるほど突っ込んで突っ込んで時間さえ味方にしなければ、自分の考えなんて一陣のほこり。う~ん、ゴジラがこうなるんだから、アリスもレクターもアインシュタインも成立するはずです。これ映画館で観てたらしばらく席を立てなかっただろうな。

こうなって、

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 そして、こうなって、

こう来て、

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 なるほどなるほど、こう来て、

テラビシアに架ける橋か・・・。

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 いい映画には理屈はいらないなぁ~。ほんとにいらない。

「テラビシアに架ける橋」公式WEBサイト

マゴリアムおじさん。

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 人間のイマジネーションがいつもこのベクトルなら世の中に澱なんて溜まらないのに・・・。

「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋さん」公式WEBサイト

舞妓はぁ~ん!

 なんかとっても良かった。いろいろなひきつける力がありました。勿論、阿部さんと堤さんの怪演が支えていた映画だと思いますが、なになにそれだけではなかったですね。京都の文化というか舞妓さんという日本が誇れるステイタスをここまでエンタメに仕上げる脚本力と映像の力にただただ引き込まれた映画でした。舞妓遊びなど一生縁のないお遊びですし、何かのきっかけで舞妓さんと出会えるような人生でもなかったので・・・。しかし、映画の中の舞妓さんは輝いていた。舞妓の世界に飛び込んだコウさんが、最初はどこにでも(いやいやコウさんのようなOLは絶対にどこにでもいないが・・・)いるようなOLが好きな人のために舞妓の修行をはじめて、開花する様は女性の魅力がある限られた世界で研ぎ澄まされていく縮図を見たような気分でした。毅然とした凛とした女性はやはり永遠のシンボルですね。しかし、あそこまでとんでもない展開が思いついたとしてもそれを映画作品として仕上げてしまう人達の力に圧倒される。大文字焼きで「大好き」って!いやいや参りました。健康状態は靴にあらわれるのか・・・。

「ウォーター・ホース」いいっすね。

 ネス湖のネッシーはいるのかいないのか・・・、伝説の生き物は何のために存在するのか・・・、人は人以外の存在を敵か味方かで区別するとき、何故そんなに片寄った理解ができるのだろうか・・・、もし、それが現実なら意外と現実はつまらなく、もし、それが夢ならそれはそれで意外と素晴らしいのではないだろうか・・・などと、エンドロールで頭に浮かんだ映画でした。泳げない人の心のイメージが非常にリアルに描いてあった。あのシーンはドキリとした。男の子ならあの状況であれを見つけたら絶対に育てるんだろうなぁ~と思った。女の子にはない興味の対象だなぁ~と思った。そして、戦争。戦い争うことがこの地球上からなくなることがホントに平和なのだろうか、もし、平和が均等なら、夢や希望や感激や感動もなくなってしまうのでは・・・。
ウォーター・ホースのWEBサイト 

光と闇か。

 柔ちゃんの無念の銅メダルの試合を応援した後、ひさびさに無念な映画を観てしまった。始まった瞬間ほぼ3分ぐらいでその予兆はあったのですが、いつかいつかこの無念な感じを挽回する展開があるはずだ、このもやもやをふれこみのSFXでスカーンとフィニッシュしてくれるだろう・・・そう期待して最後まで観てしまった。しかし、無念に無念がどんどん重なっていく。これはなんという負の連鎖だろう。それはロシアの映画でしたとしか言えません。ブログで特定の映画を否定するようなことは書きたくないのですが、この無念さはどこからくるのだろうかという視点でしか観れなかった。
 まず、設定が光と闇のマスターが登場するのですが、これが基本的に緩い。ここが緩いとあとどれだけ視覚効果を駆使しても無理ですよ~と思わずつぶやいてしまった。そして、現代から12年前の設定。う~ん、画面が緩い。あの映画はあえてあの設定だから預言者の部屋はああだったのであって、この映画でこのシーンでこの部屋を使うとダメでしょう。みたいなシーンが続く。ジェットを吹きながら走るトラックも緩い。スローモーションも不完全。戦いも双方の技のキレも中途半端。そして、12年後。現代、お~い、なんじゃそりゃって何回つぶやいたことだろう。しかししかし、最後の最後でドンデンがあるのかもしれないあるのかもしれない、もしかしたらこうなるかもしれないから、これはその伏線だきっと伏線だと期待のベクトルを無理苦理引き上げて引き上げて、最後の最後で「あ~あ。」もう完全に「やっちまったなぁ~!男は黙ってカキ氷」状態である。その映画、第2弾があるが絶対に観ない。

ヤハリモッテイカレタ。

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 その映画の進み具合と平行していろいろ考えさせることも投げてくる。受ける側がどこでそれを受けるのかはもうポテンシャル次第。人間の能力とは何かを問い正している。人間の本質とは何を解い正している。そんな感想が残る映画でした。さて、第2章、彼は彼女とどこに現れる?

「崖の上のポニョ」には何があるのでしょう?

 日本が創出するアニメ文化は世界の中において本当に一目置かれている存在か否かについては、実証する手法がありそうでなさそうなので、軸足の置き場に困ってしまうわけですが、当の日本人はアニメ文化について少なからず自負を抱いていることは確かに共通項として存在する。押井守さんが昨日いいともに出て新しい映画の宣伝活動をしておられたが、短い時間ではありましたが、監督の監督らしさという存在感はその仕草や飛行機への夢や犬についてのこだわりなどたくさんちりばめられていましたね。
 昨年の今頃、何かの番組で宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」のイメージボードを描きながら映画を構想しておられる姿を構成したテレビプログラムを観た。宮崎監督は構想をまとめるために訪れた別荘のような建物の中とその近くの滞在先で、新しい映画のイメージボードを水彩画で次々に描き、それを、その別荘のような建物の壁一面に張り出して物語のワンシーンワンシーンを描き出しておられた。そのイメージボードがある程度固まった段階でジブリの精鋭の方たちがその別荘に召集され、宮崎監督から直接新しい映画についての構想案を聞かされるというプログラム。その監督へのインタビューがまた監督に対してあさってな質問ばかりして、監督がテレビの中でイライラしておられた。おいおい、インタービューアーさん、貴方はどこかの教授でしょう、事前に予習はしてきてるはずでしょう、なのに・・・。もしかして、純粋に緊張しているのですか?でも、その切り口と言葉のチョイスはないですよね。という茶番だった。まあ、それはおまけとして、宮崎監督は映画の始まりはこんな感じ、って、水彩絵の具で赤い小さな人魚を描いておられた。それは、まるで、少年が夏休に入り、開放感と緊張感の中、夏休みの絵日記の第1ページ目を描いているような表情だった。
 さて、その映画がもうすぐ公開。あの歌、あの表情、一回観たCMでもう釘付けです。さてさて、この映画にはどんなマジックを仕込まれたのか・・・。そして、この映画を観た日本の子どもたちは10年後、20年後、この国でこの映画を観たことをどう回想するのでしょう。とにかく、楽しみ意外の何ものでもない映画なのである。

ミッドナイトイーグル

 大沢たかお・玉木宏・吉田栄作の3人でなければ、この映画は成立しなかっただろうなぁ~という印象でした。終わってからも、3人の個性が頭の中に何回も浮かんで、台詞のひとつひとつが蘇ってくるような。もう少し、テロリズムの背景の説明が欲しかったが、それは、時期的に「核」というキーワードで説明ができてしまうこの時代がなんともやっかいです。そして、「ステルス機」が簡単に操作して爆弾がセットできるという日本のざる加減もなんともやっかい。最後にナパームで反乱軍が英雄3名といっしょにフィニッシュされるというオチももう少し夢が欲しかった。ええっ、そんなとこに常に潜水艦がいるのということも何の違和感もなしに納得してしまうこともやっかい。氾濫軍のパーソナリティーにももう少しスポットがあたってもいいのではないかな・・・と思いつつも、これはこれでブラインドの方がいいのかなぁ~とぶつぶつ。多くの戦地と日本のテロリズムの危機をダブらせている感じも、映画の世界としてなら違和感がないが、実際、現実、日本にはもっと恐ろしい危機があるように思いながらも、大沢さんの演技に見入ってしまった映画でした。
 しかし、なんでしょう、ホワイトアウトもそうですが、雪山という舞台は何もかもドラマチックに見せてくれる不思議なステージだなぁ~とつくづく。しかし、日本の映画らしく!?最後のパスワードにひとひねりが無かったなぁ~。

ハプニングが来る。

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 ということで、とにもかくにも楽しみである。

ハプニング公式WEBサイト

ヴィレッジ

 マイケル・ナイト・シャマランの「ハプニング」が公開まじかということで、昨晩はテレビで「ヴィレッジ」をやっていました。10時過ぎに帰ったので飯を食いながら映画の後半しか観る事ができなかったのですが、以前、何回かDVDで観ているので、物語は覚えていたのですが、改めて観ると、やはり、映像といい、物語の切り口といい、音楽といい、俳優・女優の設定が映画の独特の雰囲気がある。テレビと映画の違いは、勿論、予算的なことや、製作側のコンセプトの位置関係や構想期間の違いなど、様々な要素が「テレビ」と「映画」の表現力やクオリティーの差になっているのでしょうけれど、中にはこれはテレビ番組よりも絵がしょぼいなぁ~という映画があったり、これは、テレビで観るよりも、映画館でじっくりと観賞したい絵だなぁ~というテレビドラマがある。前者は勿論、がっかりするし、後者は勿論、なんとなく得をしたような気分になる。映画監督で映画の好き嫌いを決めるのは、かならずしも本道ではないと思うのですが、マイケル・ナイト・シャマランの映画は全部大好きです。それは、前述したように、「映画」を観た気持ちになれるからです。つまり「映画作品」にはクリアしてほしいいくつかのポイントがあるように思うのです。それは、ひとことで上手く言えませんが、「質感」「思想」「存在感」などの有無だと思うのです。

ヒーローズ第11巻。

 ヒーローズの第11巻を観た。とりあえず、ファーストステージは完結した。とても面白かった。いろいろな面白さが含まれていたように思う。この時代何が「ヒーロー」なのかしっかりとメッセージとして伝わってきた近年まれに見る中身と物語と登場キャラのマッチした作品だったように思う。いつ頃の全11巻のDVDの発売になるのかは知りませんが、それを待ってもう一度、観たいと思います。

HEROES

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 最近このテレビシリーズのDVDを続けて観ました。DVDは第11巻まで出ているようですが、今のところ、第7巻まで観ました。このテレビシリーズものではいろいろなタイプがあったのですが、どれも、それほど興味がなく、「これはいいですよぞぉ~!」「これは観ておかないと~!」というシリーズモノはたくさんあったのですが、どれも第1巻を手にする気になれませんでした。なのになぜ、この「HEROES」は?ということなのですが、それも特に理由はなく。だれだれが出ているからとか、だれだれのオススメでとかという理由もありませんでした。やはり、昔から「超能力モノ」には目がないので・・・という理由ででしょう。とにかく、飛んだり火が出たり爆発したりバイオレンスだったりする部分に期待して見事にはまり、第7巻まで観てしまったということでしょう。あと4巻もとても楽しみにしています。

HEROES公式WEBサイト

SAW4

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 第1弾は衝撃だった。第2弾はちょっと遊び過ぎ。第3弾はシーンで遊び過ぎ。だけどもだけっど!第4弾は非常に納得の構成でした。SAWならではのシーンはさて置きしっかりと主人公が描かれていたと思います。ジョンドゥしかり、人が人を殺めるには理由があり、それを映画にするにはそれ以上に背景や理由が必要だと思います。戦争ありきで正しいと悪いについてどうよ?みたいな映画は焦点がボケ過ぎで嫌い。だから戦争映画は嫌い。だけど、サイコな映画にも創り手の意図が見えるならその表現も含めてその映画に関わっている方の気持ちが伝わる。だから、そういう意味で第4弾はとても納得できた。

3月の原画。

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 言わずと知れた「チャーリーとチョコレート工場」の好きなカットです。ほんとに素晴らしいお話ですね。大人から子どもまで楽しめる極上のエンターテイメントメルヘンスピリチュアルムービーです。何回観てもも楽しいってどういう発想でどういう気持ちで創ればこんなクリエイトが成立するんでしょう。まったく、ミラクルな作品です。

「遠くの空に消えた」

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 天才子役がグイグイと不思議な暖かい物語を引っ張っていく。それを脇でしっかりと固めるベテランの女優や俳優さんたち。物語がいい、監督がいい、舞台がいい。すると、映画はこんなんに素敵になるんですね。評判では主演の二人の子役さんが絶賛されていますが、私はこの男の子が一番輝いていたと思いました。彼はいいですよ。「遠くの空に消えた」消えたモノは本当はなんだったの?ってメッセージが心に残り、最後のエンドロールまでじっくりと考えながら観賞完了。邦画はほんとに観ないので、たまに観てこれほどアタリだと嬉しくなります。

「遠くの空に消えた」公式HP

羊たちについて#001

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 映画の印象度に大きく影響する「前情報」。たとえそれが素晴らしい映画でも、この前情報とのギャップにもろくも崩れていく作品が多い。映画ファンとは妙なもので、前評判は詳しく知りたいが、自分の好みと違う切り口での情報には見事にフィルターをかけてしまう。誰がどのように「良いらしい」「悪いらしい」とコメントしているか、その理由は主観なのか客観なのか・・・などなど。で、共感を抱いている人物やメディアの情報はけっこう鵜呑みにして、あまり共感できない存在からの情報に対しては自分に都合のいい解釈をして澱を除く。結局、自分の観たい漠然としたチャンネルでしか前情報を入れないという誠に勝手な前判断をする。映画にはジャンルがあり、これまで楽しめた映画の傾向やカテゴリーを踏まえてこの映画はどのジャンルなのかもしっかりとチェックするように思います。自分で映画を決めて映画館に行く前は、両親や家族の好みや時代性で連れていかれるわけですが、私の場合はそれが「ジョーズ」の第1作目でした。何を感じたかについてはとてもシンプルで「海は怖い」という印象だけが子ども心に刻印されて映画館を出たような記憶があります。だから、最初に映画館で観る映画というのはその人の映画に対する印象のスタートラインですから、どのようなシチュエイションで映画にランデブーするかは非常に重要だと思います。これが、小説や絵や音楽なら、それほど、意識せずとも、最初に見たのは聞いたのは「ああ、あれだったかなぁ~」程度だから、緩い印象でいいかもしれませんが、映画を見るといういTPOは限られた空間に2時間ほど拘束されてそれだけを観賞するクリエイションだから、他のジャンルの芸術よりも印象度が高いのだと思います。逆に映画館に行くというのはそれなりの金額を支払って入るわけだから、気合も違うし、よく「この映画がつまらなくて映画館で寝てしまったぁ~」ということを言う人がいますが、これは私の場合は絶対にない。これまで寝た映画は1本もありません。この段階で、最初に観た映画「ジョーズ」が映画のスタートラインだったので、映画とは自分なりに最大限気合を入れて観るモノだということがこの頃にインプリントされたのかなぁ~と思っています。
 さて、「羊たちの沈黙」はそういう前情報が0で、仕事終わりで新宿の映画館で観ました。それが、18年前ということなのに、今でも、私の歴代映画ベスト10の上位3本(気分によって他の2本とコロコロ変動するのですが)に鎮座しています。N.Y.にいた時は英語版の和訳なしのVHSテープを買い、通常のDVDを買い、スペシャルエディションを買い、日本語の原作は勿論、英語版の原作本も持っているということになってしまっていますから、前情報がなかったことがとても良かった良かったと振る返るわけです。「前情報・前批評」の受け取り方やBEST3の他の2本についてはまたいずれこの中で書いてみます。
 で、こちらが絶対に忘れられない印象的なファーストシーン。しばらく、「素人なんでも映画評論」は「羊たち~」についていろいろ書き込んでいきたいと思っています。ところで、皆さん、観られました?

ブレイブワンを観て。

 あのエンディングに異論がある人は多いと思う。簡単に同意し共感しにくい物語だと思うが、それは基準の問題である。自分がその立場ならどうするのかという投げかけを感じ、映画を観ながらそのことを物語の進行するスピードで精一杯答えを出そうとした。そして、あのエンディング。同じエリカでもこうも違うのか・・・。

ブレイブワン/J.フォスター

 いよいよ、待ちに待ったJ.フォスターの映画「ブレイブワン」のDVDが3月9日発売になります。チェックしているDVDのリストは数え切れないのですが、最終的なひと押しは、作品のジャンルでも監督でも物語でもないような気がしています。自分の判断基準なのに確定できないもどかしさが、これまた映画ファンの複雑怪奇なところ。しかし、DVDもそう次から次へと買いあさるわけにはいかないので、しかも、ハズレもできるだけ避けたいので、かなりの時間を検討します。ふと、DVDコレクションを眺めると、DVDの買う基準はやはり主演している女優・俳優さんが一番の基準になります。その中でも、必ず手元に置いておきたい映画の女優のひとりにJ.フォスターがいる。この映画も問題作でR15指定となっているみたいですが、それは特に問題なく。そして、国内での興行成績もそれほどだったようですが、これも特に問題はありません。とにかく、映像の中にいてほしい女優BEST5の第1位がJ.フォスターなので、これは、レンタルして一度チェックするまでもなく、当日、DVDを買うでしょう。そして、同じタイミングで、主演ではないですが、「インサイドマン」も仕入れる予定です。知的だとか自立している女性像の代表だとか映画批評は語っていますが、そんなのも特に問題なく関係ありません。とにかく映像の中、映画の中で、動き話し物語りを牽引する彼女が見たいという純粋なrequestの度合いが満足できるNo.1がJ.フォスターなのです。勿論、「羊~」は海外で販売されているVHSテープも持っていますし、DVDは新しいコレクションエディションも仕入れようかなと思っています。
 楽しみ楽しみ。

http://wwws.warnerbros.co.jp/thebraveone/

2月の原画。

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 2008年のカレンダー2月の原画について。この原画は映画X-MEN3のラストシーンです。3部作にはいろいろな素晴らしい映画ある訳ですが、古くは「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」や「スターウォーズシリーズ」などなど3部で完結する物語なのですが、最近の3部作の中では、圧倒的にこの「X-MENシリーズ」が素晴らしいと思いました。また、アメコミの映画化も数多なのですが、そのジャンルの映画のシリーズの中でもこの映画が心に響きました。
 ミュータントと人間の関係について第1作から第3作までいろいろなドラマが展開されるのですが、中もで、主人公のウルバリンがダークヒーロー的な存在でとても魅かれました。複雑な過去をひきづりながらも自分の能力とミュータントという立場で苦悩しながら物語を引っ張っていきました。
 で、最後に最強のパワーを持っているジーンが覚醒するシーンで悪に支配されるジーンと正義の心がジーンの中で葛藤します。自分自身の中の悪をコントロールできず、破壊の衝動を押さえることができない。それを、ウルバリンは自分の能力でジーンを殺すのです。ウルバリンはジーンに愛情を抱いていながら、ジーンが求める安らぎである「死」を与えられることができるのがウルバリンだけなのです。この選択は誠にベタではあるのですが、3部作もの物語がベースにある最後の最後のシーンでそれぞれの能力に対する結末がこれなのか・・・と、3部作シリーズの中ではもっとも納得度の高い作品だったのです。勿論、3部作ですから、「マトリックス」も含まれますが、マトリックスは3話目が難しいオチでした。

ある意味金字塔。

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 言わずと知れたBrad PittとAngelina Jolie。しかし、不思議なゴージャスなカップルです。夫婦だと言いますが、ポロっと国を買ってしまうような二人だから、普通の夫婦という感覚ではおそらくたぶんないであろう。が、二人は夫婦というスタンスは基本に置いているような記事を読んだりすると、まぁ、夫婦なのかなと認識している。その記念すべき映画がこれなのですが、この映画のシナリオと二人の結婚までのシナリオは誰か有名なライターが原作・脚本・演出いるんじゃない?!そう思えるほど、この映画を観るたびに、普通な二人の会話とありえないキャラと強引な設定と収まる鞘的なオチにいつも心奪われて観てしまう。日本の現代の映画が相対的につまらなく嫌いなのは、分かっていてもつまらないから。外国の映画は分かっていても楽しいのです。この違いは大きい。もう、原作とか脚本とか俳優とか監督とかというお話ではなく、空気とか創る気持ちとか場所への空間への愛がない。だから、画面に愛がない。
 この映画はそういう意味では、バトル観覧車ムービーとしては最高傑作だと思う。「ええ~っ!」と思っておられる方も一度観てください。これはこれでとてもアリなんです。意外と愛があるんです。だからある意味金字塔なのです。

DEATH NOTEへの考察。

 最初に第1巻のコミックスが書店に並んだ時、キレイな絵を見て衝動買いした一冊です。内容は面白い切り口だなぁ~と思って見ていたような記憶があります。とにかく絵がキレイだったので物語の特異性よりも絵で引き込まれた作品でした。が、テレビアニメになり映画になり、登場キャラが単独で映画になるという展開までに進化してしまいました。「L」のキャラで1本映画になってしまうのかぁ~!とただ驚いています。
 デスノートというプロットが最初はかなり無理があるなぁ~と思っていたのですが、適度な設定説明で物語がしっかりとリンクしているように思わせる仕掛けがまたしっかり噛みあっていました。でも、気になる部分も常にありながら見ていると、いやいや、この設定の緩い感じもまた楽しいのかな・・・と思えてきましたし、設定と伏線がガチガチで組み立てられても、きっと、楽しめないでしょうし。
 そこで、「キラ」と「エル」という相対する存在とその取り巻きとしのFBIや警視庁の存在が、非現実を上手くコントールされ、それらの登場人物がしっかりと個性を発揮させながら、人類愛とか家族愛とかが軸に流れている感じも好感度が高い作品でした。ただ、そこで、「正義と悪」の定義の部分でこの作品の原作者の方の考え方がいったいどちらに比重があり、実はどこへ向かってこの石を投げられたのかという疑問があります。実は、コミックスもアニメも映画もまだオチを見ていないのです。昨日のテレビでの映画の前編の放映も最後まで観たのですが、後編で完結すると言っていたのですが、どうしようかな・・・と思っています。ここまで広げた風呂敷が結局何を包んでいたかを知ることは簡単で、その中身を知った瞬間、広げるだけ広げた風呂敷が実はハンカチだったみたいな展開が非常に多いので、それを観ない知らない方が「DEATH NOTE」に対して興味を持ち続けられるのではないかという非常に捻じ曲がった感覚でこの作品を楽しんでいます。しかし、映画「L」の映画宣伝をチラリとTVCMで観たのですが、あれあれ「アウトブレイク!?」みたいな展開でした。あれれ、こうなってしまうのか?とちょっと寒くなり、コミックスでもテレビアニメでも映画でもオチを知らない者にしてみると、「結局、適当なオチに、納まる鞘に納まった」んじゃないかと少し心配しています。でも、どこかでいつかオチを知るはずなので、それはそれで楽しみにしています。風呂敷が大きければ大きいほど落としどころが難しいのは「タシカニ!!」なんですが、せめて、DEATH NOTEに殺された犯罪者の意味があるよなオチを期待するばかり。原作者は何からこのプロットを得たのでしょうね?正義のモノサシがちょっと特異ですから、日本のアニメが世界の注目を浴びてきた理由はいろいろあるでしょうけれど、やはり、設定やキャラクターの特異性がその大きな理由の一つのはず。それが生まれる国民性とその物語を楽しむという国民性がなければ決してビックヒットには進化しないはず。この情報が飽和している現代でDEATH NOTEのオチを知ろうとしない見ようとしないというこのおっさんもかなり特異なのかもしれませんが。「リアル鬼ごっこ」が映画になるのだからナニゴトモオシテシルベシ。

ウォーター・ホース

 ネス湖の恐竜伝説は子ども心的にかなり衝撃でした。水の中=神秘的というイメージがあるのですが、この映画「ウォーター・ホース」を初めて知ったとき、ああ、やっとこんなカタチで映画になったんだと思った。時代背景が何やら複雑な時代のようですし、子どもと未知の生物を描く映画にはどこか感傷的な路線で押し切るパターンが多いのですが、この映画には期待したいと思います。とにかく最近の映画は「人類絶滅」を切り口に宇宙や地中や深海からいろいろな敵が出現するパターン。そして、人類が自ら墓穴を掘るパータンなど、とにかく絶滅絶滅と落としておいて、最後に人類って強いよ・素晴らしいって持ち上げるパターンなので、この「ウォーター・ホース」はもっと地球上に生まれた生物と生物が時代を超えての出会いをドラマチックに描いてほしいと思いますし、常に戦争という悲劇が暖かい物語に傷の付け役として描かれるわけですが、確かに戦争は過程としても結果としても絶対に起こってはいけない事ですが、全てが「起こってしまいました=しょうがない。」ではなく「なぜ、起こったのか?食い止められなかったのか?」みたいな切り口と未知の生物との奇跡を、終始SF的にも納得できるように観賞したいなぁ~と期待するばかりでございます。
 原作はまだ読んでいませんが、ジュラシックパークの原案レベルとは言いませんが、納得できる設定と共感できる時代背景を期待します。しかし、日本では「戦争」「地球」「人類」「環境」というテーマが展開されるとある片寄った側面でしか捉えようとしない傾向があるように思いますので、これらの先入観を完全に削除して観賞できるような物語を期待しています。

ウォーター・ホース_オフィシャルサイト

Abstractedness

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 2008年の卓上カレンダー1月用に描いた鉛筆画です。「Abstractedness」は放心状態という意味で使用しました。映画はJ.フォスター主演の「フライトプラン」です。飛行機の設計エンジニアである主人公がハイジャックと知能戦・肉弾戦の末、娘を守り乗客を助けるというストーリーの映画なのです。言わずと知れたJ.フォスターはやはりなんと言っても「タクシードライバー」からの長~いファンなのですが、羊たち~から特に大好きになりそこからの映画はほぼDVDも揃っていますし、独身の頃は彼女の映画だというだけで何回も映画館に観に行きました。映画館に行った回数ですと、やはり、羊たち~が一番で確かその時は新宿でしたが、4回は行きました。金のない時でしたから4回はかなりMAXな数字だと記憶しています。その彼女が映画の中で強さを表現されるようになり、設定設定も練り込まれ映画としても時代性や歴史館をプラスされた超一品の中、彼女の燐とした表情や仕草はやはり、ファンとすると釘づけにならずにはいられません。で、このフライトプランの冒頭のカットです。タイトルロールはシンプルですが、なんとも重くヨーロッパの生活のシーンとタイトルテキストが現れては消えるその表現・処理は映像としてもセンスが溢れ、「ああ、いきなりやられたぁ~」と始まりました。で、地下鉄のシーン。何を直視しているのか地下鉄の椅子に座っているカイル(主人公)。電車が到着、駅に到着、するともう一人の男性が現れる。次にフラッシュバックでその男性(旦那)が棺に眠る霊安室のシーン。震えるカイル。雪が降る夜、二人はいっしょに帰路につく。部屋に入ろうとするカイル。旦那が少し外で話をしようと言う。外は雪で外のベンチにも雪が降り積もっている。しかし、雪の中そのベンチに向かう二人。でも、現実はひとり。みたいなシーンなのです。旦那はもうこの世にはいない・・・。この始まり3分ぐらいの中にこの映画のエッセンスが凝縮しているのです。日常の中に存在する「放心状態」にぐいっ引き込まれたシーンなのでした。
 新作「ブレイブワン」が楽しみ楽しみ。

武士の一分か。

 レンタルが開始されてチェックしていたのですが、なんとなく、観るのを据え置きにしてしまっていた木村拓哉さんの「武士の一分」。昨日は新しい山田洋次監督の映画の宣伝なのかテレビで初登場ということで観ることができました。「たそがれ~」で寡黙な武士道のなんたるかを改めて感慨深く拝見できたことで、やはり山田洋次監督は凄いなぁ~と思いましたが、次の永瀬君主演の映画はどうしても観る気持ちはなれませんでした。武士と永瀬君がイメージの中でどうしても繋がらず、きっと、そのことが気になってお話に集中できないだろうと感じてしまったからです。食わず嫌いの勝手な先入観なのですが。しかし、同じく、木村拓哉さんのこの「武士の~」も同理由でスルーしていました。しかし、それは違っていました。たぶん、永瀬君のそれも「たそがれ~」のそれと同じく、山田洋次監督の武士道がしっかりと描かれているのでしょう。
 で、「武士の一分」の中での「切腹」という位置づけ。城下町に殿がいて家臣がいて町民がいて、その下の地位の衆がいる。そして街は成立している。その統制を乱す人間はそれが意図するしないとは無関係に過ちを犯し上部の判断の元自害する。上部の判断を仰がずとも、どのような悪行に手を染めていようが、自らの人生感において片腕を失った武士はその未来を思い右手だけで切腹をする。そんな時代に人間と人間は何を思い生きていたのだろうとしんみりとした古(いにしえ)の文化に思いを巡らすことができ、しかも、夫婦の愛についてもその時代背景をベースに、引き合うという人間の力の美しい部分をこの二人で表現されれば、そりゃ、ええもん見せていただきました!と言わざるを得ませんね。ちょっと、軽口(アイロニカルな表現)を叩く木村拓哉さんのキャラもしっくりと画面にはまっていました。盲人という設定もさすが徹底的に研究・リサーチされた演技がバッチリで引き込まれました。
 不条理を刀一本で解決し、非を認め自ら腹をかっさばく武士の侍の魂。日本の心のカタチのそのフォルムの美しさに引き込まれた映画でした。

Apocalypto

 物語は「マヤ文明末期、ジャングルの中で一族の者と平和に暮らしていたジャグア・ポウ (ルディ・ヤングブラッド) の部落を別の部族の者が襲い、応戦も虚しく一族のほとんどは殺されるか捕らわれの身となる。彼らはいったい何者か、なぜ一族を殺さずに捕虜としてわざわざ連れて行くのか。ジャグア・ポウらは前途に待ち受ける運命を知る由もなかった・・・」というようなテンションの映画です。監督がメル・ギブソン、あのメル・ギブソンだから、これをチェックしないわけにはいかない。パッションでその人が復活したシーンでは、確かにメル・ギブソンが表現したいテンションがとても理解できた。その前の表現がああだから、ああ、あそこまで表現して、あのシーンなら、そりゃ、心は動くって・・・という感じ。とても文章にはできない表現だったのでそのディテールは割愛させていただきますが、啓示や黙示の捉え方が根付いていない心には伝わりにくいと思った。逆にその考え方をしない分、映画として最後まで観ることができて楽しむことができたと思っていた。
 しかし、「アポカリプト」はあの人は関係なかった。きっと、マヤ文明が何たるやなど解明できないだろうし、文献や遺跡から全てが理解できるわけではないから、映画で語られているお話の信憑性は依存するしか仕方ない。しかし、本能と黙示の関係は普通の教育を受けてきた人間なら分かるだろうから、その綾こそがこの映画の中で最初から最後までスピード全開で走りきる。そんな映画でした。物語の起伏は父と子、そして、子孫へみたいな形状はスタンダードで共感することができたし、長老の言葉も心にすっと入ってきた。何より何より銃が登場しない映画は気持ちいい。人は死ぬ。映画の中で無残な殺し方も登場するが、それは残酷というより、恐怖や争いの結果の人間の弱さという意味が込められてるので受け入れることができた。「文明は外部からの力では決して滅ばない、文明が滅ぶ力は内部から起こる」という冒頭の一文が、たぶん、メル・ギブソンが一番伝えたかったことだろう。
 興行的にはいろいろあったようですが、気持ちのいい映画でした。

忘れちゃいけませんなぁ~。

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 何も言うことはありません。忘れてはいけないモノを再確認できた映画。いやいや、それ以上の映画ですね~。参りました!A.ホプキンスって感じ。私もそこに行きたいものです。

「バベル」について。

 レンタル開始からいつも新作を観るのに2~3週間しないと目当てのDVDがレンタルできないのが普通で、いつもいつも、週末になるとレンタル屋さんに行くのが日課になってしまったのですが、長い場合はこの期間が1ヶ月以上になる場合が多い。しかし、えてして1ヶ月待った作品は「残念」が多い。映画館で映画を観なくなったのは、時間も理由にありますが、やはり、おひとり¥1,800は高いと思うようになってしまった。しかし、「バベル」はひさびさにどうしても映画館で観たいと思った作品でした。でも、やはり、足が遠くなってしまっており、その期間も映画館へのモチベーションは上がらずDVDを待つことにした。だから、かなりこの「バベル」は楽しみに待っていました。
 レンタル開始から1週間でひとつ返却されていた。しかし、他の新作よりもコーナーに置いてあるDVDのケースが少ない。???あれ?あまり人気が上がらなかったのか?ロッキーファイナルはバベルの少なくとも3倍の数は置いてあるぞ。一般受け、日本人受けしないのか???そう感じながら観た。
 結果、想像していたよりも良かったし大満足でした。
 「バベルの塔」とは皆さんもご存知のとおり「バベルの塔とは聖書に記されている伝説のひとつでバビロニア帝国にノアの子孫のニムロデが建てようとしていた塔で旧約聖書の創世記、第11章にバベルの塔のことが記されています。この内容を説明すると全地が一つの言語、一式の言葉だった頃にバビロニアの人々が「さぁ、我々のために都市を、そして塔を建て、その頂を天に届かせよう。そして、大い我々の名を揚げて、地の全面に散らされることのないようにしよう。」ということで、神への崇拝の為ではなく建築者たちの名を上げるために塔を建設していた時にそれを見た神が怒り、人々の言語を混乱さ人々が互いの言葉を理解できないようにさせてバベルの塔の建設を途中で終わらせた。という事が記されてあります。この話で注目する所はよく、本などで「神が塔を崩した」などと書かれてあることがありますが実際の聖書には「神が崩した」とは一切記されておらず神は人々の言語をバラバラにし、塔を建設できなくさせたということしか記されていないという点です。このバベルの塔は実際に存在したとされており現在のメソポタミアの辺りにその基盤の跡が残っているそうです。この塔の高さは、90mとも185m以上とも言われていてはっきりしていませんが、かなり大きかったようです。また塔はレンガで作られていたそうです。この「バベルの塔」のバベルというのは「混乱させる」という意味の「バーラル」という動詞からきていると考えられています。」となるのですが、この混乱という意味で映画「バベル」は一丁のライフルを中心にモロッコと日本とアメリカとメキシコで展開されるドラマなのです。文化が違い言語が違うということがちょっとタイミングが狂うとこんな悲劇に・・・みたいな映画でした。菊池凛子さんの存在感が話題になっていましたが、まぁ、それはさて置き、日本の家族、アメリカの家族、モロッコの家族、メキシコの家族像がリアルに感じられる映画でした。とてもとても満足でした。
 映画「クラッシュ」以来の素晴らしい物語でした。


「スパイダーマン3」ですが・・・。

 1、2、3と難しくなりましたね。1のドキドキな感じも2のバトル感もどんどん無くなって、どうしようもなくなってしまったヒーロー像になんとか話をねじ込んだような印象でした。話の流れが間がありすぎて、この話はどこに行くのかずっと不安な雰囲気が全体に漂い、結局、これだけ!?という結末。寂しいというより悲しいというより残念な感想でした。やはり、コミックのヒーローが実写になり、どんだけCGを多用しようが本体に絶大な魅力がないと話だけではふくらましきれない・・・みたいな印象でした。123を通じて一番印象深かった存在はやはりのやはりでW,デフォーだった。俳優のポテンシャルってやはり大切。間違っても「スパイダーマン4」の企画が動いていないことを願っての素人なんでも映画評論でした。

The reaping

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 確かにキリスト教ありきではありますが、それでも、その奥にある人智を超えた何かを描くことに対する熱意とその表現力と構成力は圧巻です。少女も神秘的で存在感があるし、主演のヒラリー・スワンクはこの摩訶不思議な物語をひとりでその演技力と存在感でひっぱっていく。苦悩も疑惑も完璧に表現しておられる。それに比べて設定上の理由でしょうけれど男性は弱めに描いてありました。これも、この映画の真理と関係があるように思いました。幸いと災いは紙一重。オフィシャルサイトのプリローダーもなかなか良かった。

◎「THE REAPING」オフィシャルサイト

SUNSHINE 2057

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 太陽をテーマにした映画は少ないと思う。そのテーマに真正面にぶつかっていく感じがまさにイカロスのように心地いい。人間が人間として生物としてもっともリスペクトしなければ、と言ってもその度合いは天文学的な度合いで人知をはるかに超えていえる度合いなのですが。光と闇といえばなんとかウォーズ的な絵空事のロールプレイでは幻滅レベル以下なのですが、太陽は生命の象徴と生物の歴史上崇め続けられていることに異論を持つ人は地球上に0人のはず。そんなテーマの映画になんとキャプテンで真田広之さんが出ている。これが本当の目当て。原作を読みたくなるほどの話の含みと背景、でも、原作がなさそう。しかし、鑑賞しているのは真田さんの演技だけ。最後、真田さんが太陽に・・・、これはここでは言いません。これから観る方に失礼なので。とにかく良かった良かった。さぁ、次は「バベル」だ。

◎「SUNSHIN」オフィシャルサイト

対であること。

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 映画「シャイニング」のワンシーン。小さい男の子には不思議な能力がある。父親の仕事の関係で山奥のホテルに家族3人で訪れたその男の子。さまざまな歴史の綾を静かに押し込めたホテル。その一室で男の子はいるはずのない双子の女の子を見る。そんなシーンです。
 絵や映像の構図にシンメトリーとう構図がありますが、左右対称の構図は安定するが変化を持たせにくいと思う。しかし、私は絵やデザインを構想する時、最初に描くイメージは圧倒的にシンメトリーが多い。こじゃれたデザインレイアウト感で変化を「ありき」とするならば、配置・構図・バランス感は以外と簡単に手に入る。しかし、シンメトリーの構図は奥が深い。シンメトリーな構図を多用したと言われている故S.キューブリック監督。この映画も代表的な映画なのですが、原作者と最後の最後まで衝突しながら、原作とはある意味方向性を変えながら、キューブリック監督の映像と物語が映画の猛吹雪ようにザクザクと降り積もっていく雪のようです。狂気のJ.ニコルソンも凄まじい妖気の光を放ちながら孤立したホテルの中を縦横無尽に闊歩する。しかし、ホテルのあまりにも強靭な深すぎる歴史に正気を失い雪の中でフリーズ。この映画の中で双子の女の子が画面の中央に現れる瞬間、現実か幻像か迷うほど美しいのは、人の視覚から入る信号の中でシンメトリーな構図に反応する独特の何かがあるように思います。対である事が私達のあらゆる感覚の中に言葉にならない強烈な意味を感じさせるパワーがあるように思います。DNAの螺旋構造の書籍を読みながら、シャイニングのこのシーンを思い出してしまったのにも何か意味があるように思うのです。

映画のファーストシーンのような。

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 こちらは東京の某所の写真。撮影者はあるギャラリー様のオーナー様。ご好意でお譲りいただいた。東京で仕事していた時は高層ビルなんてなんとも思わなかった。いつも見慣れた風景でしたから、立ち止まって「おお~っと」なんて見上げることはなかった。初めて東京駅から地下鉄で池袋の駅前に出て見上げてた時の記憶はかなり強烈でしたが、そこに住んでしまうと風景は自分の生活の一部になり、初めての感動が薄れていきました。東京を離れてしばらくしてぶらぶら歩いても、まだ、暮らしていた時の記憶が残って新鮮な印象は皆無。しかしながら、この写真は強い。「色彩」「曇天」「構図」といろいろ分析してみるのですが、パーツパーツは心に残留してる新宿の高層ビルイメージとそれほど変わらない。徹夜を明け仕事仲間と見上げた冬の都庁ほどインパクトはない。なのに、今、この写真をギャラリー様で拝見して、ドキリとしてしまった。たぶん、撮影された方の視点に何か秘密があるように思います。
 あと10年後、仮に東京大震災が発生し東京が廃墟化し日本が本当の意味で崩壊するなんてSF映画をD.フィンチャーが撮ったらこの写真は間違いなくファーストシーンだろうと思う。東京の幻影をシンボリックに表現している写真だと思う。東京の街に魅力は存在しないし、東京という先入観が肥大し、今、綻びながらも機能を失わないのは、それ以上にそこに暮らす人達が肥大した先入観を信じて止まないからなのでしょう。排他的なイメージですが、それほどこの1枚の写真にはイマジネーションを覚醒されてしまいました。

世界最速のインデアン

 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインデアン」をDVDで観た。いつもレンタルに行く時に常にリストの中にあった1枚でした。何か自分なりのタイミングで観たいと思っていたので、なんとなく今回は手に取りました。また、その理由が説明できるような理由だったらいいのですが、それがとてもファジーなグレイな理由なので、「感覚的な理由」としかここでは申し上げられない。きっと、映画を観る前は何かを求めて手にしているはず。その中には最新モノであるとかフェイバリットであるとか誰かのイチオシでとかという理由があるのでしょう。
 で、で、アンソニー・ホプキンスは最高である。という感想にたどり着く。非常に経過のないダイレクトな感想になるのですが、物語のスピード感がいい、登場人物の個性がいい、世界最速という高みがいい、そしてそして、何よりA.ホプキンスがヒーローってしびれる。空も飛ばなければ光線も発射しないし不思議な武器も出てこない。だからカッコイイ~!これが実話だと言うから腰が抜ける。
 「感覚的な理由」が求めていたモノは間違いなくこれだった。

デジャブ

 デンゼル・ワシントン主演、ジェリー・ブラッカイマー製作、トニー・スコット監督作品「デジャヴ」を観た。DVDのレンタルであれ、購入であれ、とにかく吟味するようになった。なぜなら、おこづかいの上限が決まっているからだ。とはいえ、一番の理由は「はずれ」を手元に置きたくないからである。書籍を買って読んで書庫に整理するが、その後、それらの書籍はどうなるという部分。よほどの事がない限り、再度、読み始めることはしない。書庫に立ててある書籍の背を見て脳内活性を促す事で、いつでも目に見える場所に置くことができるのが書籍の最大限の魅力。いつでも、どこでも、ページをめくるだけで、確認したいことが必ずそこにある確証。だから、書籍は借りて読むことはしない。「買う」ことと「借りる」ことは決定的に自分の中でその存在そのものの価値を判断して手元に置いているつもりです。ので、DVDも同じ。
 で、DVDのレンタルとSELLの境目はかなり自分のルールではシビアなレーダーチャートが存在する。きっと、皆様もお買い物の際にはマイレーダーチャートのそれぞれのメモリが上下し独自の多角形を形成していることでしょう。
 そこで、新作映画や名作映画がどれだけ前評でひどくても自分のレーダーチャートが反応したら迷わず借りるし、購入モードに反応したら迷わず購入する。映画「デジャブ」について言えば、そのタイトルのイメージとD.ワシントンが出ている。制作がJ.ブラッカイマーである、監督がT.スコットであるという事だけで「レンタル」のバーは軽く越えてくる。しかし、「購入」のバーに届くかどうかは鑑賞後に決定する。たぶん、D.ワシントンが主演でなければこのストーリーは厳しい。孤高のテロリストも反対側にD.ワシントンがいたから狂気に描くことができたように思える。ヒロインもD.ワシントンのペアリングでなければ、あれだけ輝くことができなかったように思いました。何より何より最後のD.ワシントンの「笑顔」が全てを語っている。観終わった鑑賞気分採点は100点満点で98点です。マイナス2点はもう少しV.キルマーは痩せていてほしかった。この役でこのポジションなら。存在感との関係なら別の俳優が良かったような気がします。でも、「購入」には至りませんでした。
 デジャブ(既視感。実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる事 )か・・・、しかし、人間の脳も遊び心がありますよね。振り回されないように振り回されないように。

ジョーズはジョウズ!?

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 夏休最後の週末はPTAの行事でつぶれるために、先週は家族旅行でした。車で2時間の蒲郡でした。そこの水族館で鮫をパチリ。私は海辺で育っていながら泳ぐのが苦手です。今考えても明確な理由が思い浮かばないのですが、海に対する恐怖心が少なからず子どもの時にあったのは事実。それはなぜか?その理由の中心には映画「ジョーズ」が在ります。最後に鮫狩りの船長が巨大なジョーズの口の中に飲み込まれるシーンは未だに鮮明に覚えています。好きな映画はたくさん観ていますから、その中の大好きなシーンはいい意味で頭に焼き付けています。しかし、ジョーズのシーンは楽しいと言うよりも恐怖が先行し過ぎて、今となっては印象的な映画ではあるんですが、もし観ていなければ、もっと海は楽しい場所だったかもしれません。海への恐怖について描かれた映画はたくさんありますが、対比する存在で「グラン・ブルー」という映画があります。あれは海の底へ潜った経験のない私にしてみれば別世界。だけど恐怖と言うより幻想的なその映像と海の魅力にとりつかれた男とのロマンがシンプルにストレートに描かれていて見入りました。あの映画が好きな方でダイビングが好きな方が多いのはうなずけます。だから、映画ってそれほど影響力があるモノだから、子どもたちといっしょに観る場合も逆に気をつけている。怖い=面白いは大人の感覚だから。しかし、CGをほとんど使用せずに映像の魅せ方だけであれだけの恐怖を描くってほんとにジョウズな映画です。何か映画作品を作るような機会に恵まれたとしたら私はやはり「グラン・ブルー」よりも「ジョーズ」路線をチョイスするのでしょうね。映画芸術の影響力ってそれほど大きいのですよね。

Black&White

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 素人映画評論家のベクトルはとても複雑である。プロなら定石やセオリーや傾向があるから期待もするすし裏切りも全てありきで計算の上、楽しく読むことができる文章に仕上がっている。しかし、素人の映画評論(というより批評)は非常に自由自在である。世の中の評判を意識しながらも勝手な思い込みと自由自在な表現でいつもお気に入りの映画にダイブしている傾向にある。特にブログでそれを読んだ、読まされた日には新鮮な驚きなどほとんど皆無で、勝手な妄想レベルの映画に対する主観の渦になりがちである。ここまで前置きをさせていただいたので、自由な映画感想文に少しお付き合いください。
 その映画は「鉄コン筋クリート」デス。原作者はあの松本大洋氏であり、松本氏の出世作とも言えるこの原作がこんなカタチで映画になった日には、ファンと言わずとも魂が揺さぶられたはずである。映画を構築する全てのパーツが100点なのですが、特に全体に漂うトーンがいい。絵のチカラと言ってしまえばそれまでなのですが、絵も音楽も声優も場面の全てのトーンがいい。いいモノを語るのは非常に難しい。言葉が見つからないほどいいからである。その中でも一番いいトーンはその全てがシンプルであるという事かなと思っています。難解を売りにしていかようにでも解釈ください的な円盤投げメッセージは時にフィールドを捉えたら大記録になるのですが、投者が未完成だと観客席に円盤が飛び込む。投者の周りには保護ネットがあったのに・・・、それをすり抜けて観客席に円盤が飛び込む。この円盤投げ型のメッセージの投法はそんな意味でドキドキワクワクはあるのですが、なかなかこれが、想定以上のフィールドに落ちることは少ない。やはり、メッセージの投げ方はシンプルな方がいい。そして投げる物体もスマートな方がいい。では、「鉄コン~」の場合は何をどんな投げ方で投げているのか・・・?ここら辺から素人映画評論家の自由気ままさが全開になります。「鉄コン~」の場合、メッセージがこまのようにその場で回っていた感覚でしたね。じっくりとひもを軸に巻きつけてひとひねりひとひねり巻き上げたひもとコマを握り締めて、イッキにそれを凄まじい勢いで投げた感覚。その回転エネルギーを受けたコマが地面の上で土煙を上げて回転しているイメージでした。で、映画が終わるとコマは勢いを失いコロリと土の上にころがる。でも、その回転を1回でも見た以上、手に残ったひもを握り締めて、そのコマを拾うのです。そして、ひと巻きひと巻き、また、コマにひもを力強く巻き上げる。そして、投げる。巻く、投げる。巻く。そんなトーンでした。決して宇宙の果てまでコマは飛んでは行きません。決して無限のエネルギーで永久にコマは回転しているわけではありません。増してや回転しながらそのコマは七色の光を発光させるわけでもありません。投げた勢いの分だけ回転して止まる。それが、なんとも素敵なんです。