マンガ大好き同好会 アーカイブ

万次さん。

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 まず、鉛筆(HB)で下描きをしてGペンを入れる。

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 そして、筆ペンで黒ベタを入れて、丸ペンでタッチを出して、ホワイトでハイライトを起こす。
 たった、ここまでの単純な手順なのに、見事に完成度が低い。恐らくこれ以上やっても完成度は落ちるだけ。

 たまに、このように絵を描かておかないとキレが悪くなる。その証拠に1枚目と2枚目の段階で、いろいろな迷いが確認できる。2枚目のタッチを描く段階で、余計なラインが非常に多く、しかも、勢いがない。つまり、完成形が見えていない証拠。迷っている時はとにかく手数が増えるのです。

 しかし、このリハビリを定期的にやっておくと、その時の「見え方・見方」が記録できるので、ガス抜きとして描きました。

 さて、大人買いした全30巻もあと5巻です。今夜、イッキに。楽しみです。

後生です。

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 非常に遅まきながら、只今、「無限の住人」全30巻を大人買いして、第9巻まで読みました。想像以上の「沙村様ワールド」全開に52歳のおっさんが微熱気味です。

 当然、長年の「無限の住人」ファンの皆様にしてみれば、今更!?な話なのですが、頼みます、後生ですから、実写映画化を中止してください。

 「ルパン三世」実写映画のようなことは、もう、止めてほしいのです。

マンガで解説。

 「マンガ」の歴史は印刷技術が誕生してから、ヨーロッパの風刺画あたりが起源で、そこから各国の文化や歴史が反映され進化している。特に日本のマンガは世界各国で評価が高く、それぞれの作品が確固たるビジネスモデルとして成立している。

 物語などの作品としてのマンガと「マンガ表現」「マンガ手法」を取り入れたビジネスツールやコミュニケーションツールの普及・浸透も多種多様であり、どの場面においても「マンガ」という表現手法が何かを誰かに伝える場合に非常に有効なのです。

 さて、「マンガで解説」という書籍もよく書店で見ますし、ネットでも新聞でも、マンガで伝えたいことを物語化しわかりやすく、言語情報と非言語情報を巧みに組合わせています。イラストレーションとマンガの違いはタイムテーブルがあることやセリフがあり、それぞれに個性(キャラ)の設定ができるなどの特徴があるのですが、ここの部分、なかなか頭で理論理屈で生み出せないゾーンであり、描き手の気質や本質が露呈するので、自分に嘘がつけないデリケートなゾーンです。

強い漫画。

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 「イチローさんは凄すぎて腹が立つ」的なCMがあるが、正に。沙村さんの作品は「強すぎて腹が立つ」。ここまで物語が絵がキャラが展開が強いと受け手(読み手)はその味や質感を噛み締めるスキがない。ただ、作品の中に引きずり込まれ感覚を奪われてしまいます。分析もできなきゃ、評価さえできない絶対感覚ごと根こそぎ持っていかれる感覚です。

 「これ漫画ですよね?」と思わず言葉に出てしまうほどだ。

無限の住人。

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 いやいや、この世の中、知らないことが多すぎる。むしろ、知っていることが少な過ぎる。

 以前、あるセミナーでインストの方がこんなテストをされました。セミナー参加者には円を描いた用紙が配られ、「世の中にあるすべての情報がその円だとしたら、皆さんが得ている情報(知識)はどれぐらいだと思いますか?その割合をその円グラフに記入してください。」というテスト。

 私は迷うことなく円の中心に向かって一本のラインを引いた。これでも僭越だと思いつつ控えめに。

 しかし、セミナー参加者の中にはその円グラフの50%ぐらいまで塗りつぶしている人がいるのを発見してびっくりした。中には「円グラフ」自体を理解していないのか、円の上(内側)の部分を15%ほど水平に仕切る人もいる。恐らくこの人は「円グラフ」という知識が上部15%に入っていないのだ。

 さて、インストの方は皆様が自分の知識をどう捉えるかで、思考や行動に大きな作用・影響があります。私もこのテストをいろいろな会場で、「つかみ」として行っていますが、さすがに円を全部塗りつぶした人には出会っていませんが、そこの50%の方は「なかなか」ですねと。失笑しておられました。

 このテスト、正解はないのだから、失笑の意味はだいたい予想できるものの、世の中の情報に対する自分自身の捉え方で、その人の「世界観」が推測できるというアプローチだった。

 さて、「無限の住人」という作品を私は数日前まで知らなかった。ネットで検索していけば、かなりの相当の作品である。ひとつのブームにもなって、実写映画も決まったらしい。知らなかった。

 現代は情報社会だと言われている。知らないことはインターネットの中にすべてあると言われているが、ほんとにそうだろうか。これも推測だが、世の中の古今東西の出来事がすべてインターネットの中に情報として存在するためには、人間は「無限の力」を手に入れなければならないはず。しかし、人間が不老不死の能力を手に入れた状況で、さて、「情報」には価値があるのか?となる。「知らないことがある」という認識が「情報」を有効化するのであって、誰もが迷わず円グラフを塗りつぶすような時代が来れば、「情報」や「知識」は価値を失うのかもしれない。

 これは正に「ウルヴァリンの苦悩」である。死ぬから生に価値が生まれるのだ。

 明日、「無限の住人」の第1巻が到着する。楽しみである。

少年。

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 やはり、物語をつくる場合、「少年ありき」なのだ。

 50歳を過ぎると自分の理屈が強すぎて、それを個性だと勘違いし、振りほどくのがとても難しい。

 いろいろな理屈を削ぎ落としていくと、そこには必ず「少年」がいるのだと最近考えています。

「村上海賊の娘」

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 以前から気になっていた物語。新聞広告のイラストの構図(アングルやポーズ)が気になり切り抜いて保存していました。

 フォルムは模写して、タッチやアレンジを自分のイメージで変えている。

 最近、「白墨汁」などいう画材があることを知り、その不透明度も確認したかったので、墨汁とGぺんで描き、トリパブでとめて、白墨汁で修正してみた。けっこう、乾燥するとしっかり白が効いてる。良い感じ良い感じ。

 明日あたり、コミックス第1巻がアマゾンから届く。新品はどこも在庫がなく、中古品ではあるが、とても楽しみ。

漫画「アトム ザ・ビギニング」

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 科学を語ろうとするとき、人間を語ろうとするとき、必ず、そこに「争い」を描かなければならないのは普遍の法則なのだろうか?「進化」は必ず「争い」の後に生まれている。その争いが大きければ大きいほど進化の伸び代に比例する。進歩や成長するためには必ず何か大きな代償が必要で、代償なしには進歩や成長は得られないという普遍の法則。そこには必ずドラマが生まれる。相反し、争いも憎しみも悲哀も悲劇もない世界を描こうとすると、その世界観は必ず「徹底的な管理者社会」となってしまう。強大な力により管理・支配された世界からは悲劇が生まれない変わりに、人間的なドラマも共感できる物語も生まれない。歴史上の巨人、AとFがこの部分にメスを入れているが、結局、巨人とて人間なのである。自分自身を切り刻むことは避けたいと思っていたのだろう。むしろ、それが人間の本質でいいわけなのだから。

習作。

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 これは習作です。ツールはGペンなのですが、インクは最近初めって買ったマンガ描写用の黒インクです。耐水性でとてもなめらか。この用紙は普通の画用紙なので少しタッチが出てしまいますが、正確にGペンの抑揚を効果として出すには、やはり、専用の表面が滑らかで腰のある用紙が適正だと思います。

 この習作は2Bの鉛筆でアウトラインを描いてから、直接、Gペンで描写している手順ですから、描き込みとしては習作レベルです。さらに、完成度を上げるためには、一筋のラインでフォルムを描ききらなければ「潔さ」は出せません。こればかりはいくら高めの完成度を想定していても、手の動きにかなり依存しますので、このような習作を描き、リハビリを繰り返して手の感覚を上げていかなければなりません。

 美しいペンのタッチは手でしか生み出せない秀逸な世界です。頭で考えてペンの筆圧を抑制している段階では、絶対に生きたラインは出せません。デッサンやデフォルメの加減もまだまだぎこちないので、繰り返し描き続けて頭の中のイメージと手をしっかり連動させたいと思っています。

 こうしてある程度、作品として描き切ると、その実感が得られます。つまり、だから、習作なのです。

 自分自身の絵への期待値をなかなか紙面に再現することは難しい、ある意味、偶然の産物であったりしますので、できる限り良いコンディションづくりを整えていき、それを維持させることが大切です。

水がテーマ。

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 テレビドラマで「精霊の守り人」を知り、コミックスを購入しました。

 原作者が上橋菜穂子さんで、原画がなんと藤原カムイさん!

 藤原カムイさんの他の作品は大好きだっただけに、「ああ、こういう風につながるのか」と妙なマッチングにびっくりしました。コミックスを読んでから、上橋さんの小説を入手しようと思っています。

 コミックスの冒頭に原画を担当された藤原カムイさんのコメントがあった。この作品のコミック化の依頼があったときは、この仕事を引き受けるか受けないか悩んでおられたそうです。しかし、原作をしっかりと読み、この物語の根底にある「水」というテーマの存在を知り、自分の中のテーマと一致したそうです。そして、原画の担当を快諾されたそうです。

 「水」というテーマをカムイさんが以前からもっておられたことを知り、壮大な物語にはしっかりとした揺るがないテーマがあることを改めて実感した。多くの人の心に指示される優れた物語とは、大く深いテーマの存在が不可欠なんです。その世界観がコミックスになり、アニメになり、テレビドラマになるというこの普遍の好循環。優れた物語を創作するつくり手の条件とは、その人の中に存在しているテーマと深い関係性があるのです。それは植物の種のようなモノで、誰の心の中にもあるが、何かを生み出しつくらなければ発芽しない。種なんだから芽を出すためには、やはり「水」が必要なんです。どこか、「人」と「テーマ」は「水」と「種」のような関係なんでしょう。

 さて、自分の中にはどんなテーマが流れているのでしょう?

 どうしたらそれを掬い上げる、物語を生み出すことができるのでしょう?

 もし、何も流れていないとしたら、つくり手としては失格なんだろう。

 このテーマ探し、誰の助けも借りることはできない。

 意識して探すモノでもないのかもしれないし、

 さりとて、追えば得られるモノでもなく、待てば手の中に落ちてくるモノでもなさそうです。

 とにかく、つくらねば。ただ、つくり続けることしでしかテーマは探せないような気がします。

こんなキャラかな。

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 現在、構想している物語の主人公の二人イメージです。もう少し年齢や性格を仕草や表情で微調整して仕上げようと思っています。さて、このイメージが大陸に響くか否か?

ドロヘドロ

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 知らなかった。ただ、知らなかった。こんないい感じのマンガがあったなんて。集めよう集めよう集めよう。

ヒーローの条件

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 私が愛するヒーロー達の共通点は皆、「麦わら帽子」をかぶっている。三平、ルフィー、ゴッホ。

2大ヒーローとその仲間たち

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 ↑まず、ペンを入れる。

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 ↑セピア色のカラーインクでトーンを調整する。

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 ↑あとはカラーインクで仕上げます。
 
 日中友好のため、中国の友人にこの原画をプレゼントしたいと思います。

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 ↑これは、ふと、ただ、描きたくなった鉛筆画です。

ナルト完結。

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 「ナルト」が完結した。この15年間、これほど楽しめた漫画は他になく、子どもの頃ならまだしも、大人になってから、ここまでも心を引き寄せられ続けた作品だっただけに、この完結は非常に寂しい。また、新しい岸本先生の作品を楽しみに待ちたい。

 この15年を振り返るといろいろな展開がありましたが、その中でも私個人のベストの戦いはこの3つです。

 第3位はナルト 対 ペイン(長門)
 第2位はイタチ 対 カブト
 第1位はサクラ+チヨ婆 対 サソリ

 この他、魅力的な登場キャラが目白押しだったのですが、私個人のベスト3はこの3つです。

 また、第1巻からゆっくりと読み返したいです。このレベルの物語にはもう出会えないだろうから貴重な貴重な完全永久保存版です。最終コミックスを買うまで封印していたジャンプ本誌のバックナンバー5冊もやっと封印を解けます。

キャラが命。

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 「漫画は主人公のキャラが生命線だ。」という名言があるが、感情移入させるための手法や生命感を描写するための表現手法として、描き手の中から生まれる鼓動のようなモノが絵の力となるのだ。描き手がどれだけのディテールをインプットしているか、消化されたそのソースがどのように変換されテクを起動させたのかを絵は語る。

「黒鱒女子」再起動!

 原点に帰る。サウジアラビアのことわざで「砂漠で迷った時は自分の足跡をたどる。」ということらしい。何事にも迷いはあるのがリアル。だから楽しく苦しいのですが、経験値はそこそこあるつもりでも、やはり、迷う時は迷う。迷わない状態の方が言わば危険な状態。しかし、かなり迷っていたが、やはり、原点に帰ろう。何故フリーズしてしまったのかは明確に分かっている。その原因が今現在解決出来ているかと言えばそうではないが、もう一度、あの場所に帰り新しい道を探そうと思っています。やはり「漫画」は私の特別な存在。あの頃から少しは視野も広くなっているし、捉え方も深度があるという自信が、再起動を決意させたのだ。ボトムから波動を生み出すために足跡を辿り戻っています。

マカロニほうれん荘。

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 ひさびさに読みたくなりましたので・・・。

5月22日か・・・。

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 なんだか焦っていたのかもう009のDVDが発売されていると勘違いしていた。いつもことながらこの無駄なエネルギーの使い方。根拠のない焦りにどれだけ無駄な時間を費やしたことだろう。無駄になってはいないと思いたいがおそらく無駄は無駄だった。しっかりチェックしていればそんなに血眼になる必要はない。ということが非常に多い。反省。

 で、5月22日発売予定だから、もう少しの我慢我慢。

 映画作品については物語設定に賛否両論のようだが、これ(009)だけはどうであれ手元に置いておきたい1枚です。

チヨ婆・サクラVSサソリ

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 ナルトの本編は今コミックスで盛り上がっているが、ふと、どのバトルが一番印象的だろうと考えてみた。ナルトが子どもの頃からも含めて、マダラVS五影もあるし、ダルイと金閣・銀閣もなかなかだったし、ガアラと君麻呂も良かったが、一番好きなバトルは「チヨ婆・サクラVSサソリ」です。

 その理由はいくつかあるのですが、その他、いろいろな漫画のいろいろな対決シーンやいろいろな背景からの「戦い」という流れの中、ナルトの物語の中ならば、この戦いが一番GOODでした。サソリというキャラの悲哀さとその強さみたいな部分を感情移入した時に、最後の最後で、サクラの一刀をサソリは受けたわけです。伝説の傀儡使いでもそこをウィークポイントにするのか・・・という岸本先生の奥の深さとサクラの逞しさと戦略。それを経験と技でサポートするチヨ婆という構図がなんとも痺れたバトルでした。記憶に残るいい戦いだったと思うのです。

 今、ナルトは世界的にも一番人気のある物語。その理由はとても理解できる。「忍術」というカテゴリーをあの繊細な絵と練り込まれた物語で魅せられれば、他の追随は到底及ばないですね。最高である理由は分かるような気がします。

ワンパンマン!!!

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 なにやら、「ワンパンチマン」というのが熱いらしいぞ。娘がすでに1・2巻を買っていた。娘的にもそうそう衝動的にコミックスを購入する育て方はしていないので、絞り込んだココイチの作品だろうから、とりあえず、表紙だけを確認して本編を覗いてはいない。今夜ダイブしよう。

 で、次から次へと新しい展開というか感性というか感覚が登場するものです。この素晴らしさこそが、日本のアニメ産業を文化を根底から支えている。いい漫画、オモロイアニメを期待してエンジョイしている国民がいるから、こうしたいい作品が生まれるという仕組みなんだろう。って、おっさん的にはこのノリにシンクロできないジェネレーションのギャップにダイブできない・・・という事態も想定されるわけだから、1・2巻を手にしながら、簡単に本編にダイブできなかった。この感性を大人の感覚で「面白いやん!」とか「ほぉ~なかなかの作品やね!」とレスを返すことはできるし便宜上の反応をすることはできるが、自分自身の中の軸の部分でシンクロできなければ実は寂しい。つまり、感覚が退化して劣化しているとうことだから。

 「漫画なんて読んでいる暇があれば勉強をしなさい!」という言葉を私は口が裂けても出さない。出さないし、そう言われてきたことに対してその言葉を口に出してしまった人を実は少し軽蔑している。この軽蔑という感覚が大人の人間的に不適正でアンモラルな発言かもしれないが、「漫画なんて」と言ってしまうほどあなたの心の視野が狭いんですよとは言わないが、私の中で「漫画」という表現は、小説や学術書と同位なのである。

 で、この「ワンパンチマン」のノリを一体どのようなテイなんだろうと、少し武装する時間が欲しかった。ウォーミングアップする時間が欲しかったというのが本音。そこまでしてフライングしたり途中で息が切れ失速するようなら、私の漫画脳はもう老化し始めていいるということ。それをこの作品で確かめてみたい。というか、この作品でそれを精密に検査していただこう・・・という感じなのである。

何故ヒーローは戦うのか?

 ふと、そんなことを考えてしまった。設定上の「悪」をこらしめるために弱い者に変わって戦うのがヒーローだったが、これは古今東西永遠の設定だろう。でも、戦わなければならない設定だから戦うが、ヒーローも実は悪者を傷つけたりすることは不本意だったはず。苦しみながら苦渋の決断の末に世の中の規範に対してそれを破るからこらしめられるということ。本当に悪いことは悪いことなのか?これは簡単な決断ではない。ビルを壊す怪獣でさえ破壊する理由があったはず。人間が中心の世界が大前提だから、その生命を脅かせば、言葉が通じない相手に武力で攻撃をするのがヒーロー。

 戦国時代、江戸時代、サムライは刀を持っていた。そして、攻撃する相手に対して、その刀で切り込み命を奪っていた。それが社会の規範として成立していた時代である。お互いの領土を守るため、民を守るため、家族を守るため、敵を弓やで火で槍で殺す・・・が成立していた時代を、どうも美化している物語が好きになれない。戦国時代のヒーローをゲームプログラムに代入して仮想の中で殺した殺されたにアドレナリンを高める世代の価値感ってさて、生産的な意義があるのか?ブロックを崩せた崩せなかったレベルなら、愛嬌のある主人公がキノコを食べて大きくなったどこか下の方へ落ちていったレベルなら、深く追求する必要もないし、それが楽しいとも思えないということでスルーすればいいが、ヒーローが登場する設定でそこがどうも五臓六腑に落ちない。輪をそれでもかけるなら、「アルジェリア」のゲームを作成すればいいがそれはタブーで棚に上げるデベロッパー。

 また、恋愛ゲームだの人生ゲームだのその手法は巧みというか荒唐無稽だが、それが全て「刺激」という言葉で可決するのはいかなものか。「ゲーム文化」はデベロッパーにとって大きな市場だから、そこをそんな風に否定されれば、無味乾燥な世界になるかもしれないが。

 で、「善と悪」の歴史を上手く立ちまわってきたヒーローが不在になると、それはそれで、不思議な空洞化が起こるだろう。糸の切れたカイトのように風に吹かれるままに経済や文化や教育がどこかへ消えてしまより、このジレンマをかかえつつ、切ったの切られたのを繰り返していれば、均整が維持できるなら、仮想でも現実でも、ヒーローはずっとそのポテンシャルで戦う世界が便宜上の「平和」なのかもしれないと・・・「サイボーグ009」のDVDをチェックしながら感じた。

 海外では「疑似政府」をデベロッパー達がコード化しアプリ化してデバイスを介して市民は政治にできないことをひとつひとつ地域単位で取り組んでいる。さて、日本の地域は何をしている?台風の眼から吹きだす風に応戦一方であり、五右衛門がばらまく小判に一喜一憂しているだけのような気がするぞ。コードが何を変えられるかあまりにも未知数だが、片手落ちのヒーローを中途半端な設定でゾンビ相手みたいなヒーローで満足するのではなく、ホントのヒーローは自分自身だとチャンネルを切り替えれば、コードに対する、デバイスに対する、コンテンツに対する正しい姿勢が維持できるのではないかな。

銀魂。

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 なんでしょうこの圧倒的な存在感と圧倒的な価値の絞り込み。よくもまぁ、ここまで突っ込んだものである。というかここだけは誰もダイブしたくともできなかったのにそれを見事にいとも簡単に「銀魂」はダイブした。それは勇気なのか破天荒なのか計算なのかタイミングなのか?どの価値感でこのノリを解釈しようとしてもそれをこれは超えている。漫画・アニメという表現手法でここまでダイブするとさぞさぞ心地いいだろうなぁ~とさえ思いますね。特筆することはないがその「特筆できない醍醐味」が銀魂という魅力になっているのだろう。かなりの加減で唯一無二の世界を創ってしまったのですね、この作者は。いやいや賞賛に値します。言わば、カオスの時代に精製された錬金術のような。

るろうに剣心。

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 さらに、これも結構原作は古いらしいが人気がありリメイクを重ねているらしい。最近は実写の映画にもなっているってことは・・・恐らく、原作はいいのだろう。こちらも20巻前後が発行されているらしい。うんうん、チェックチェック。

 何歳になってもいろいろな漫画やアニメに対して純粋に心が震える人間でありたいですね。結果、電子ブック形態の漫画もしかたないが、ページをめくる紙の質感情報は漫画文化の根底をささえているディテールだから、ここのリアリティーを大切にしたいし、仮のコレクターのベクトルが漫画コミックスを収集する行為に関係性が深いとしても、いつでも、どこでも、ページをめくれば物語の世界が、絵と言葉で飛び込んでくる「漫画」とくスタイルはとてもとても理にかなっていると考えるべきだろう。デジタルデバイスが便利だ進化だ改革だというベクトルも勿論大切だが、相対的にヨチヨチ歩きの人間ならそのような歩行器も補助車も必要だろうが、そのベクトルで一旦ポテンシャルを安定させている人ならば、補助車は必要なしろうし、より早く走るためにも自転車は2輪がBEST。だから、一周回って「漫画が熱い」となるのかもしれないですね。だから、どちらがどれだけ便利かなどの「便利合戦」をしても心が震えないんだから、「誰がか持っているから・・・」という理由を鼓舞させて売る仕組み、そろそろ無理があるような気がしますね。

ジャイアントキリング。

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 いやいや、漫画は熱いなぁ~いつの時代も。これはモチーフはサッカーですが、なんとなく気になっています。22巻まで出ているらしい・・・。

三歩さんが残したモノ。

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 ある意味、「岳」という漫画は衝撃的だった。モノゴコロのトリガーが漫画だったぐらいの記憶がある私にしてみれば、漫画と共に生きてきたような気がする。テレビのアニメや実写のキャラクターなどもダイブしてきたし、映画のヒーローやヒロインに一喜一憂してきた人間です。だから、アニメオタクという言葉が登場・浸透する前にこのエリアにどっぷり浸ってきたから、GやDやEがどんだけアニメブームを牽引しているとしてもその程度でこの漫画オタクはぶれない。なんで漫画なんだろう?などと考える隙間もなく、最初に好奇心や興味のベクトルが漫画の中から始まっている感覚だから、まさにボーンTOなのである。頭で考えて、誰かと共有・シェアしたいからそのヒーロー・ヒロインに傾聴したかという感覚も記憶もなく、そんなことは全く無価値だと思っている。そこにあるのは、自分の興味とコミックス、ただそれだけでいいのが、真髄の本丸のガチだと思ってる。誰から知らない作品を進められる、これもいい。誰かに感動した物語を進める、これもいい。映画の原作だから、テレビアニメの原作だから、だから、知った。これでもいい。つまり、漫画作品との出会いはなんでもいいが、だからこそ、明確な好き嫌いがある。だから、「GやDやE」は嫌いなのである。となると、ディズニーのアニメは嫌いで、ピクサーは別格。という基準もあるが、それは、自分自身のさじ加減。人に言わせると、私の好きな漫画作品にはパターンがあるらしいが、そのパターン、パターン化する意味は何だろう?とさえ思うぐらいに、ある基準があるにはある。だから、海外の漫画作品について、アートやクリエティブとして捉えてしまっている部分が多く、これまた、自分の中の漫画という作品の属性で言えば異なっている。同様に、宮崎監督の「ナウシカ」が漫画だとは思っていないし、「アキラ」と比較した場合、「ナウシカ」はどうも漫画だとは思えない。それは、この作品の目的は漫画として完成させたニュアンスが少なく、宮崎さんはアニメ映画を作成するための壮大な壮大過ぎる「絵コンテ&脚本」のように感じるからである。これの微妙なモノサシで最近のベストワンが「岳」だった。三歩さんが「自分にとっての登山」を語り始めた頃から、「あれ?」と感じていた。そして、ローツェに単独で登ると言い始めてから、もしかして、これはエンディングに向かっているだろうなぁ~とちょっと、ワクワクドキドキしたが、寂しい感覚になった。そして、このエンディングである。

 う~ん、しばらく、この感動の重さに心が動かない。小説で映画でテレビで舞台で、この感動の重さが味わえるだろうか???と反芻してみるが、恐らく、私の場合、この種類の感動が一番比重が高い。それほど、「岳」の最終回は響いた。こんな最終回、想定内だったが、それを読み終え見終わった感覚は想像以上に重い。重すぎる。

 コミックスにして全18巻。こんな物語を世の中に残せた最高だろうな・・・と。今、描いている構想している物語に向けて、無類のテンションを上げています。

アニメ文化。

 こんな洞察があるブログで展開されていた。

 「ディズニー帝国の衰退 ウォルト・ディズニーは、アメリカの現在のアニメーションの基盤を作った人物である。(日本で言えば漫画の神様、手塚治虫というところだろうか)実際は、ウォルト・ディズニー自体は、ミッキーマウスの絵も満足に描けなかったそうで、その仕事ぶりはいわばプロデュースや総監督という役割に近かったのかもしれないが、生前・死後もディズニースタジオのアニメ作品が、長い間一貫して同じ思想のもと黙々と職人たちによる「ミュージカル寓話」が作られ続けてきたのは、彼の功績と威光に他ならない。自分は日本人として、アメリカのアニメーターには想像力が欠如しているなどと思い込んでいた(実際には違う)。「技術的には芸術性は極めて高いのに、肝心のお話が頭から終わりまで常に一本調子」ということや「キャラクターにリアリティを感じないため」ということが原因である。日本のアニメが好きな人はそう思う人も多いかもしれない。だからこそ、日本人は自国のクオリティの高いアニメーションを見て現在のアニメ文化ができるまでになった。
 なぜ、アメリカのアニメ文化が停滞してしまったか? アメリカのアニメーション全体が、長い間ウォルトディズニー調になってしまった原因としては独占的にディズニーがアニメ映画を制作してきた事がまずある。そして、アメリカのアニメーションとは、所謂カートゥーン(子供が見るためのアニメ)のことだったので表現を限定されてしまった。(「バイオレンス表現を禁ず」など、伝統の方針があったりする)そして、90年代初頭ごろにはディズニーのアニメーションは、目の肥えた人にとって「相変わらずクオリティの高いなめらかな動き」という1点のみでしか評価を保てなくなったように思う。」非常に素晴らしい分析である。これら分析の中にアニメ文化の真価が見て取れるような気がする。

 つまり、「求めている人と創っている人の距離の違い」なのだろう。一世を風靡するとネームバリューが自然発生してそれが逆に谷を作る結果になる。初めは一つの山の出来事だったのに、いつか別の高い山になる。そして、二つの山の間に深い谷ができる。創っている人と描いている人が、「アニメ作品本来のドキドキワクワク」を優先しなくなったことで、谷ができるのだろう。

 いつまでも、創る人であり描く人であるなら、頭で正解を考えながらも、ドキドキワクワクする心を失ってはいけませんよという基礎の鉄板ルールなのだろう。それが今、日本の作品群が世界に波及している理由なのだろう。うん、これほど強いコンテンツはないわけである。ワクワクドキドキは万国共通の言語なのである。言葉の壁を超えるために最も失ってはいけないモノが「ワクワク」と「ドキドキ」なのだろう。

バヤイ・・・。

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 イヤイヤ、ガチデ、バヤイバヤイ・・・。

「ナルト」の行方。

 「ナルト」最新巻を何度も読むと、ホントにこの物語の懐の深さを実感する。映画のことがあるので、メディアではかなり取り上げられ、世界のアニメファンもかなりのテンションで「ナルト」にシンクロしている。さらに、ゲームもこの市場にぶち込まれさらにさらに「ナルト旋風」が吹き荒れることだろう。しかし、ここまでの広がりと物語の深度は想定外だった。最終的にナルトVSナルトの構図が盛り上がりそこで一旦この物語はFINだろうと思っていたが、いやいや、そこに辿り着くまでのこのディーテルの絡み加減は期待値以上である。比較的時間の軸をしっかり描いてきた物語だけに、年齢不詳の時間軸のゆがみみたいなことで物語優先に話が逸脱することもなく、その時間軸を前後に行ったり来たりしながら、いいころ合いで山が来るのだろうと想定している。週刊ジャンプは買っていないので、現在、どこまで来ているのか不明ではあるが、そこはそこで現状維持でいいかなと。

 さて、イタチとカブトか・・・。それぞれにここまで人間性の部分を描かれてしまうと、繰り出される術の精度や物語の展開が非常に細かく絡み合う。と、ここまで描いてちゃんとマンガファンはついてきているのが逆に不思議。ロボットごっこや不思議系の超能力や怨霊・ゾンビ・魔界のオンパレードのような日本のマンガ業界に対して、私は、「岳」や「宇宙兄弟」あたりの本格的が好き。奇をてらった企画モノも多いがそれは全く興味がない。だから、そこ発信の映画も100%観ていない。ただ、世の中のニーズの多様性だけは知覚している必要があるので、アウトラインはリサーチするものの、深度は求めていない。古き良き名作のラインをしっかり追いかけて、さらに、現代のニュアンスとリアリティーを封印した作品が好き。コンビニに行くとコミックスのコーナーにはいろいろなジャンルの切り口・アプローチがあるが、これらはゴミにしか見えない。マンガというメディアスタイルを利用することは目的がどうであれ挑戦する意義や価値は大きいが、結果、成果物になった場合のそれが、日本のマンガ文化のオンラインから逸れていると寂しい結果になる。これは一重に作者や編集者のタイプに相関するのだろう。マンガを表現手法として捉えている人が作った作品と、マンガに対して子ども頃からガチで親しみ、自分自身の中でマンガ文化・マンガ表現を同期させシンクロさせ、その物語の夢や希望や未来像を共有してこそ、マンガという作品と自分自身が共鳴する。そこには間違いなくノンバーバルなコミュニケーションの真髄が、そう、まるで、九尾(クラマ)のように飛び出すタイミングを見計らってるのだろう。

 ナルトで「チャクラ」を知り、事ある毎にその歴史や洞察に関する書籍や情報をリサーチしている。この太い話の芯の部分である。ここがスパイラルの中心にある以上、「ナルト」の旋風は止まらないだろう。

「宇宙兄弟」、集めよう。

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 「宇宙兄弟」がこれほど骨の太い話だとは想定外。いやいや、なかなか、本格的な小説のようだし、個性的な兄弟が二つのアプローチで宇宙に向かっている。そのベクトルと彼らの周りにいる人間の設定が素晴らしい。う~ん、これはヒットするはず。間違いない作品ですね。素晴らしいです。得たいのしれない、摩訶不思議系のオカルトチックな悪に対して、繊細なヒロイン・ヒーローが立ち向かう・・・みたいなテイに憧れや羨望を子どもの頃から、抱かない私はいわゆる「アニメ系」のマンガから距離を置いている。あれはあれで成立しているが心は動かない。

 で、「宇宙兄弟」のガチな本格的な物語は逸品である。最新巻が17巻、現在、第5巻。この状態が一番楽しい状態である。

「つり球」はよさげ・・・。

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 うん、この絵、この設定、なかなかよさげです。深夜枠らしいから録画してチェック。

サイボーグ003

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 これは映画のPRも見越したCM展開だろう。こういうスタイルで003を使うのは009ファンとしてちょっと止めて欲しい気もする。恐らく「サイボーグ009」は私の中での聖域である。スタイリッシュなCGで映画になることは心から嬉しいが「原作」や「テレビアニメ」のニュアンスから現代的なスタイルで展開されるのはとても素敵だけれど・・・みたいな感想ですね。この感覚は日本のアニメ文化の真骨頂の部分ですから、こんなファンが期待している映画ですから、古き良き「サイボーグ009」のテイストをしっかり反映させていただきたいと願うばかり。

荒川第3巻・・・と。

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 この勢いでは、近いうちに最終巻に到達するだろう・・・。

荒川アンダーザブリッジ。

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 うん、うん、なかなか「電波!?」でいい感じですね。

尾獣キャラ9人衆。

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 これは言わば岸本さんの総決算ともいえるイマジネーションが込められてる。歴代の長や伝説の怪人や巨人などはいるものの、そして、中核の木の葉の面子はいるものの、やはり、岸本さんのイマジネーションはここからだったように推察する。さらに、10尾もいるわけで、マダラは最高の存在としてどう崩されるかが楽しみではあるが、もしや、すでにマダラの存在はもうこの世のそれではないような気もする。つまり、大戦などという存在は起こるべくして・・・と考えるよりも、ひとりひとりの人間の中にある小さな怪物が誰の命令を受けたからではなく、自ら戦争を欲している本能的な部分があるとさえ岸本先生は語っているような気がする。だから、ナルトの中の九尾は醜くおぞましく巨大なのである。

 言わば、人間が行ってきた戦争も同じ。「戦争反対!」「原子力反対!」と叫びながら、実は、理由はなんでもいいのかもしれない。自分の中にある怒りを確かめたいから、それは、生きているということの最大のリアリティーだと本能がオートマチックにスイッチを入れているような。尾獣を岸本先生はそういう位置づけで設定されたような気がします。だから、この作品は最高なのである。

麦わら屋。

 昨今、麦わら帽子と言えば勿論、ルフィーですし、それは辿るとシャンクスになる。では、何故?シャンクスが麦わら帽子なのかと言う部分については、まぁ、今後の楽しみののびしろとして、旬な部分で言えば麦わら帽子はルフィーの代名詞。でも、自分自身のFavoriteな世界で言うと、その前は勿論、三平三平君となる。これも切っても切れない設定ですよね。では、ルフィーと三平はどこでシンクロしているかということになるが、その前にもうひとつ、麦わら帽子で言えば、「人間の証明」が回帰される。森村誠一さんの小説である。「mama,do you remember...」のあれである。麦わら帽子が深い渓流にクルクルと落ちていくあのシーンは目に焼き付いている。麦わら帽子が何故こうも記憶に残り印象に残るのかはメディアの操作もあるだろうが、このアイテムをチョイスした作家さんの意図がそこにあるはず。で、私自身、ルフィーの場合、ゴム人間であることよりも、シャンクスから譲り受けた「麦わら帽子」の方に実は深い願いというか想いが潜んでいるように思うのです。三平もいつもかぶっていたあの丸いフォルムの麦わら帽子。これが、ストローハット的なフォルムになるとちょっとダメ。おっさんゴルファーの夏のアイテムです・・・みたいなテイは正直カッコワルイ。自然のフィールド感や純粋なニュアンスから離れていく。この時代何故「麦わら帽子」なのか???みたいな、これは何かのサインかもれいなぞ・・・と。

 で、昨今のクールビズにしても節電ムードにしても改めてこの夏、日本人はエアコン・クーラーを離れて自然の涼や和のアイテムによる暑さ対策を強いられることになるだろう。エコエコエコエコって呪文のように唱える企業のリアルが木陰の大切さや湧水の活用術やそよ風の意義を知ることになるだろう。汗を出すことが何か身体から表出する毒素のように捉え脂分があることが不潔だぞ!みたいな啓蒙はもうナンセンス。汗は外気と体温をその蒸発のシステムでコントロールして体内の塩分のコントロールをしているし、脂分は実は梅雨の季節、空気中に培養される細菌やウイルスが体内に侵入することをブロックしているし、暑い夏などは乾燥から防ぐために皮膚を保護しているのです。なのに、ふわふわしたCMの真理を真に受け汗を出さない脂分を除去する化粧品やアイテムを強要する。まぁ、売りたいためだってことは理解できるが、嘘はダメ。抗菌抗菌って実は身体の免疫力を低下させているだけ。実は「花粉症」も同じ。正常な身体にはしっかり自然に存在する花粉を一旦体内に取り入れて抗体を作る機能があるのに、それを、間違ったアプローチで低下させているから、花粉症となる。花粉症の人が多い方がマスクや薬が売れますからね。これも、実は売り手市場のメディアコントロール。

 麦わら帽子の麦わら屋ルフィーのことで、えらい話が大きくなったが、この夏に向けて、今、お気に入りの麦わら帽子を探している。どこかにココイチの麦わら帽子ないですか?

大刀(本差)と小刀(脇差)。

 言わずと知れた、マンガ「ワンピース」のゾロ氏は三刀流である。大刀を両手で操り、もう1本を口でくわえている。このスタイルを尾田さんが着想された瞬間、たぶん、アドレナリンはMAXだっただろう。悪魔の実を食べて「ゴム人間」になったルフィーとこのコンビは言わばあらゆる力のパワーバランスの究極のバランス。多くの敵に対峙する時、二人は葛藤し研磨し協調し合いながら成長し自分の道を歩む。そして、それに呼応する友情の存在。最近、テレビで「ワンピース」のパワーバランスを考察するタッチが鼻につく。そして、「ワンピース的~」という書籍も鼻に付く。絶対に買わないしこの悪臭にどのように対峙して自分自身に対しての消臭を行うかが非常に楽しい。反面~なんとかではないが。

 さて、日本の武士は常に大刀(本差)と小刀(脇差)を持っていた。大刀は戦闘用、小刀は切腹用。こんな理路整然とした心理とスタイルがあるだろうか。これをファジーにした明治維新のそれらは新しいシステムを武士のシステムに置き換えるためにそのシンボルであり完成された刀というツールを奪うことで実現させたという仮説。

 鎧の時代、鉄砲の時代に、大刀で何ができるとその立ち位置の人はたぶん然るべき場所でそう諭したのだろう。しかし、時代は巡る。原子のエネルギーは自然の力でもろくも粉砕された。エネルギーという怪物を人間は手なずけることが出来なかったことが証明された。多くの犠牲を伴ったがひとつの結論が出された。この結論を突き付けららた刀を奪った末裔が今間違いなく躊躇している。3.11からのあの躊躇の様はもう悲劇と喜劇の繰り返し。早く、彼らを楽にしてあげるためにも、時代は次に進まなければならないと、もしかすると「ワンピース」は語り始めているのかもしれないぞ。

 いつも心に大刀(本差)と小刀(脇差)を持っていたいものですよね。

 映画「レオン」の中で言っている。最も技術のある達人は一番近くで機能するツールをチョイスする。技術や経験が未熟な人こそ遠隔用のツールを使うと。音が出ないツールでそっと忍びより仕事をすることがベスト。ランボーもそうだったしベトナムの狙撃兵はライフル一発でヘリを落としたそうです。アフガンでは優秀なスナイパー達はブレッドを磨き密林に潜みそっとトリガーに指をのせていたらしい。トリガーを引く時、ナイフをそっと動脈に対してタテに入れる時、絶対に迷わないことが大切だと、原作には書いてあった。技術やツールを使える人がフラットな精神力で時代の膿を時代の幻想を新しく切り出すことは、一見、破壊かもしれないが、実は創造の側面もあるのかもしれない。

 映画「ウォンテッド」のラストシーンが蘇る。エキスパートとは、放たれた弾丸の責任もしっかりと自分の肉体と精神で受け止めますよ・・・ということ。さて、ツールを持たないシステムというモンスターを操ってきた、しかし、制御できなかった。テーブルに雁首を揃えて頭を垂れるだけで、責任はクリアできないほど大きいことをどこまでその魂と身体で示してくださるのだろう。

 赤犬、青雉、黄猿を従える、桃太郎は誰だ???

ワンピースについて。

 いよいよワンピースの新しいステージが本格的に始まった。海底への冒険の旅がああも自由自在にスピードを加速させるとは、そして、一旦、マリンフォードでの頂上決戦とエースと白ひげへの追悼を完結させながら~の、新世界への伏線を並べながら、海底へ向かう冒険へ切り替えるパワー。まさに、ルフィーの冒険はノンストップである。奇しくも深海への好奇心は今回の放射線の海洋への流出やゴアの仮説や諸小説でのフィクションの世界ではそうとう旬なテーマである。尾田先生がどの段階で深海をテーマにしようと構想しておられたかとなるとたぶんアーロンの頃からかもしれないし、トムさんの頃からか、もしくはインペルダウンの頃にこの設定が頭にあったのかもしれない。ってぐらい、このわくわくをひも解くキーワードの散りばめ方が秀逸なのである。知らず知らずにルフィーの冒険に気持ちを奪われていると、ふと振り返った時にとてつもないトラップが仕掛けられていたことに気づきしばし愕然とする。これが構想力だと言わんばかりに太い構想のルートに並べられた尾田さんの世界はもう誰に止めることができないようである。今回のあの大震災と津波の被害でさえ尾田さんのイマジネーションは飲み込もうとしているから凄い。政治・メディア・思想・専門家の今回の震災を受けて「ああするべきだった・・・」「責任の所在はああだのこうだの・・・」「今回の事故はそもそもモゴモゴ・・・」。そこばかりを豚のように掘り起こしてもトリフは出てこないんじゃないのかな。

 で、マリンフォードの頂上決戦を受けて、ルフィー達は成長した。敗北を知り自分たちの弱さを知り、世界がとてつもなく大きく広いことを知った。そして、2 years later...新しい物語が始まった。世界のパワーバランスは変わったように思えるが君臨するそれが別のチカラになり、海軍も新しい組織となり海賊や革命軍に対して備えている構図である。さてさて、深海には何が存在するのか?そこにも強大な力とそれに対抗する勢力が存在し、過去と現代と未来を混沌としながら、様々な尾田さんが生み出すキャラで楽しい活劇が展開されることだろう。

 ルフィーはレイリーを、ゾロはミホークを師匠とし強くなっている。漫画の世界観だから簡単に強くなれるが、それでも、ワンピースはそのディテールをしっかりと描いている。「何故強くならなければいけないのか?」「チカラを手に入れるということはどういう意味があるのか?」「どんなチカラを自分自身は求め誰を師匠とするかについて最終判断をするのか?」これらが安易な絶対悪に対してのそれならばワンピースほどのぶ厚い物語にはならない。ひとりひとりの心の葛藤やジレンマをしっかりと描くからこそ、これらの「強くなりたい」疑問が読者に共感を与える。だからワンピースが面白いのである。だから、GaやDoやEvやBrは完全スルーしてもいい漫画・物語となるのである(主観として)。

 さてさて、62巻を手にしている方、まだ手にしておられない方。今後、「深海」というキーワードはエネルギーの分野でも環境汚染の分野でもそれぞれの国の産業や流通の分野でもそして観光産業の分野でもおそらく取り上げられるメインテーマでしょう。すでに、グランブルーのあたりから海洋に対するロマンは切り込まれていたのかもしれないですが、世界が一つになるために、ボーダーレスに思考するために、海洋について興味を持つことは地球を知り国を知り自分を知るぐらいの共通言語として必要不可欠なテーマになるでしょう。宇宙への興味の前に自分達の今立っているこの大地と海洋について興味を持つべきなのだろう。

 最初に海洋に漏れた放射線はたぶんもう深海の海流に乗り、ロスあたりに到着しているだろう。深海で誰かが浄化していない限り。

ワンピース最新刊。

 ワンピース最新刊を読んだ。内容についてのコメントはやめて、改めて思うこと。何故、尾田さんの絵はこれほどにイキイキしているのだろうか?他に類を見ないこの活力というかエネルギー感は何が要因だろうか?氾濫するデジタルデバイスがいかに最新の便利や楽しいを詰め込もうがこのエネルギー感には程遠い。つまりこれが共同作業ゆえに散ってしまうエネルギー感なのだろう。尾田さんの心と技と腕がそうであることを証明するように尾田さんの絵には活力と心と愛情が込められていることに他ならないだろう。まぁ、チームで展開を構想することはどこかであるのだろうけれど・・・。う~ん、なんなんだろうこの進化していく物語。画面の中、どの一片を見てもこの物語に対する愛情にあふれている。完全に日本のマンガの歴史を塗り替えている進行系のこの物語に改めて舌を巻く。楽し過ぎる・・・、オモシロ過ぎる・・・、爽快過ぎる。もしかして、僕たち私たちはとてつもない物語とリアルタイムに過ごしているのかもしれないとさえ思う。100年後200年後、日本が地球がどうなっているか予測できないとしても、これを歴史と法典として捉える人はたぶんちょっと悔しい気持ちになるだろう。

ワンピースの新世界とは?

 週刊ジャンプは買っていなので、ワンピースのストーリーはコミックスが最新なのであるが、さて、今後ルフィー達の仲間はどうなる?シャンクスはどうする?黒ひげはどう動く?天竜人は?新世界の兵どもは?そして、ドラゴンは?みたいなことでさらにさらにヒートアップしていくことでしょう。ますますその期待値は上がり、アトムどころの騒ぎではなくなるだろう(もうすでに・・・)。で、ルフィーをはじめとするその仲間達が海軍vs白ひげではまったくほとんど描かれていなかったのですが、それはどうつじつまが合ってくるんだろう?すでにジャンプを読んでいる人ならそのあたりの方向性は理解しておられるだろが、コミックスのサイクルで楽しんでいるモノ的には、とてもわくわくしています。

 で、ここまでの漫画になれば、それそうとうの専門のブログネットワークが存在して、ひとたび「ワンピース 新世界」あたりのキーワードで検索すればその全容やディープな皆さんの想像力でいろいろな仮説が飛び交っているでしょう。しかし、そこはあえて堪えて最新刊を待つという感じ。このサイクルが自分自身にはちょうどいい。フィギアもいろいろ高価なモノがネット上に存在しているようですが、それにもあえて手を出さずに、あくまでも自分自身は「ワンピース」という物語のファンであり、その気持とワンピースを繋ぐメディアはコミックスがベストだと思うのでそのサイクルを徹底しています。

 つまり、本当に自分のスピード感を知っている人は決してネット上の豊富な情報や便利なツールをあえてスルーするみたいなことなのかもしれない。そこにスタイルがあれば、ネット情報はおかずでいいみたいな。

ワンピースの波。

 昨年ぐらいからテレビで何かと「ワンピースクイズ王決定戦」みたいなテイの企画プログラムが走っていることが鼻につく。それぞれのタレントが私はワンピースのことなら何でも知っています的なコメントを重ねる感じ。このシーンでは泣いたとかこのシーンを語らずにワンピースは語れないとか、それぞれのキャラクターを語る。尾田先生もこのことを喜んではおられるだろうが、さて、ひとりのファンとしてこのにわかブームな付け刃的な場渡りモードがとても鼻につく。というのも、家電とワンピースを同じにしてほしくないからであり、ラーメンと同じに扱って欲しくないからと考えるからである。日本を漫画王国とひとくくりにしてその一角にフォーカスしてテレビの視聴率につなげようとする魂胆が好きになれない。ならば、ルフィーがゾロを助けるあたりから取り上げてほしいし、映画と連載を同軸で分析らしきすることもできればやめてほしい。たぶん、ワンピースのマスター達はこんなテレビプログラムを見て失笑しているだろう。ガンダムやエバンやドラゴンボールやスターウォーズみたいなテイでああだのこうだのと全く片腹が痛い。テレビの人たちはど~んと白ひげやエースの大きなセットの中でタレントがワンピースを語ればそれで数字がとれると思っているだろうが、あまりにも安易なこの雰囲気に失笑であり、テレビ欄でその企画を発見しても絶対に見ないし、仮に緩いタレントがワンピースを語り始めた段階でチャンネルは変えている。つまり、ブームになったこととメディアの連携には何も相関関係がない。相乗効果はどこかで連動しているだろうけれど、それは、たまたまの部分で、本丸は尾田先生をはじめとする編集企画実行委員会のサポートメンバーの中で完結していればいい。どんなカタチでユーザーにそれが届こうかあとは野となれ山となれでありそれが大きな山になったからと言って、皆が皆その頂で思いを共有する必要はない。それは他の一大ブームを築いた物語なら、関係も興味もないのでそれでいいが、絶対にワンピースだけはそれをやってはいけないと思うし、それで視聴率を得ようとしているデレクターがいるとしたら、お茶を濁して速やかに撤去して、また、いつもように家電やラーメンやスイーツや衝撃映像で日銭を稼いでくださいな。ロビンのあの叫びを簡単にクイズにはするな!この類の意見はたぶん国内に5,000万件ほど蠢いているはずですよ、たぶん。

 そして、「ワンピース」があれだこれだと決して語らないこと。それは、ファンの心と尾田先生を紡ぐ太いラインですよ。にわかかディープか知らないが適当な根拠と思いつきでそれを言葉にすることだけは止めていただきたい。それで、何を示したいのか知りませんが、それは、ワンピースファンの目には小さい小さい誇示・主張・エゴ過ぎて滑稽です。物語はまだまだ続きます、続いて欲しいと願うファンとそこそのテレビの枠で結論めいたことを適当に語るテイでこの物語を締めくくるようなことは、自分の小さい器を露呈することに他なりませんよ。見苦しい以下の行為ですから。

ミナトとクシナ。

 いやいや、ここまで質量が厚いとは。いやいやここまで覚醒するとは。もう、何回読んでも、読めば読むほどの味わいが出てくる出てくる。ワンピースは別格として、ここまでいろいろな気持ちが込められているともうこれはマンガというジャンルを超えてひとつの法典のようです。これだけでこの内容が質量を帯びているわけではなにしても、ここまでの物語の展開力があるからこそと、ここでこの部分に触れるのかという部分。まさに圧巻です。

 確かにこれまで4代目はチラチラ出てきた、しかし、お母さんのことはノータッチだった。それはこの巻のための伏線!?そうとしか思えない。「弓と矢の法則」しかり、引けば引くほど矢は遠くに飛ぶのですね。しかし、ここまで引くか・・・、ここまでの初速とディスタンスか・・・と。もっともっと、岸本さんはクシナを描きたかったのかもしれないし、もしかすると、母と子という部分がこの物語の本丸なのかもしれない。それをここまで引っ張ってきて、一気に開放!その創作者としての計算というかプランというか耐久力や持久力が凄いのである。

 しかし、クシナママの力はたぶん計り知れないだろうに・・・。そして、ミナトのセンスや大きな心。いやいや、父と母はこうあれみたいな熱意がこの巻にはちりばめられてる。これはもう絶対にマンガではない。くだらないチープで安易でナンセンスな啓蒙書や監修・編集の緩いテキストやポテンシャルの低い方の工夫のない暇つぶしよりもこれはぜひ教育の場に応用・活用するべきである。別にマンガで日本の歴史のうんたらかんたらをひも解かなくてもいいじゃん。実際残っている史実や肖像画などを検証するだけで不明確なことまで捏造して盛り上がらずとも「今」と「これから」をどう生きるかとか、そのために誰の言葉を誰の声を聞けばいいかを考えるべき。もしかするとそれはアレックス(インコ)の声かもしれないし・・・、クジラの声かもしれない。

サスケの真意。

 しかし、サスケは本当に木の葉くずしを考えているのだろうか?マダラは本当は何を考えているのだろうか?決して言葉どおりの展開ではないように思っています。週刊ジャンプは買わないので、あくまでもあくまでもコミックス待ちの私はそんなことばかり考えています。このまま、連合軍とマダラの大戦が勃発するのでしょうけれど、それにしても、展開がビーとナルトを巡る部分が軸となる。二匹の人柱力を仮にマダラが獲得したとしてあの怪物はどう動くのか?それこそ月の目計画は本当にどう展開していくのだろう?そう、満月を見ながら頭に浮かんでしまった。そもそも、岸本さんの考えでは、忍の国の歴史というかナルトやサスケが生まれる前の当たりをあまり描いておられない。少しづつ・・・がとてもいい感じではありますが、マダラの時代のこともどこかでガッツリ描いてくださるのでしょうか?

 しかし、カブトが穢土転生で寄せた最後の人物は誰だ?誰だ?誰だ?あの5名を寄せたってことは、かなりビックネームが予想されるのですが、まさか?なのか、いやいや隠し球なのか?楽しみですね。でも、ナルトとサスケの戦いは最後の最後だろうけれど、そこまでに、いくつか仕込まれている印がある。これらの印をどのように有効に適用させるのだろう?結果、二人はただのハッピーエンドでは終わらないような気もするが、そこは、しっかりと納得できるオチに向かうだろう。長門だっていろいろあったが、とても納得できる流れでオチも納得だった。ほんとに岸本さんの展開はヒット&ウエイで素敵である。

 でも、それが終わると次の展開はあるのだろうか?ワンピースなら「新世界」があるように、ナルトにも次の構想があるのだろうか?終わって欲しくないという気持ちとあまりずるずると余韻で引っ張ってほしくないというファン心理がある。さて、次号、マダラは動くのだろうか???

ステキなおじいちゃん二人。

 ある番組で二人のおじいちゃんが登場した。いずれも、軽く60越えのおじいちゃん二人。そのコーナーの主旨はかわいいお孫さんのために二人のおじいちゃんがクイズに答えて早く3問間違った方が負け。で、買ったおじいちゃんのお孫さんにはお孫さんが欲しいモノが賞品としてプレゼント。一人は自転車、もう一人は温泉旅行。いずれも10万円までの賞品です。

 で、そのクイズ。企業のCMやイベントなどのキャラクターやテレビアニメや漫画のキャラクターの名前を当てるというテイ。ふたりのお孫さんが見守るなか二人のおじいちゃんが解答席へ。手間に光っている3つのランプ。ちょっと緊張気味のおじいちゃん。クイズは交互にキャラクターが登場して30秒以内に答えられなければ失敗。次から次へと出てくる数多なキャラ。たぶん、お二人それぞれに15問づつ答えられていた。企業のキャラや全国各地のキャラなどについては仕事上よく知っている方だし、テレビアニメについても、マンガの登場人物についても、少女系以外はだいたい私は答えられたが、このおじいちゃん。ひとりは全問正解で賞品をゲット。もう一人の負けたおじいちゃんも、ありえないぐらいの少女アニメキャラの主人公以外のキャラクターをフルネームでバシバシ答えていかれていた。これが、可愛い孫のためとは言えかなりこのクイズに向けて予習をしてこられたご様子。可愛い孫が後ろで見守っているのだからおじいちゃん的にはもうテンションはMAXだっただろう。「はたけカカシ」を知っているおじいちゃんってとても素敵すぎです。

 負けたおじいちゃんは悔しい表情もなく、「知らんものは知らん!」とニコニコ。そんな善戦したおじいちゃんを身守っていたお孫さんは「おじいちゃんカッコイイ!」。素敵ですねおじいちゃん。勝ったおじいちゃんは無事、お孫さんの希望していた待望の自転車をゲットしてても優しげに微笑んでおられる。勝利おめでとうございます!のMCの激励に対してもニコニコだけ。かなり勉強されたのですよね?というMCの投げにも「はぁ、まあ・・・。」とニコニコ。いやいや、相当勉強して来てはるでしょう?おじいちゃん。ほんとに素敵なおじいちゃんふたりでした。

 で、他のチャンネルを観ると、普通の芸能人がいつものグルメ番組で何か食べながらいつものコメントをしていた。それだけスポンサーのお店を持ち上げなきゃならんのかいな・・・。ちょっと、テンションが下がってしまった。

 まぁ、負けたおじいちゃんにも「温泉旅行」をプレンゼントしてあげてくださいよテレビ局さん、そこは。

迂闊だった。「岳(gaku)」は現在第12巻。

 昨日、書店に行くと、なんとコミックス「岳(gaku)」の最新刊が第12巻だったことを初めて知る。その上、第10巻を買っていなったかったことにも気がつく始末。これは迂闊2本である。何故、こうもう長期間スルーしてしまったのか・・・、けっこう密度の高いチェックを書店でいつもしているのに・・・。迂闊だった。で、早速、3冊(10~12巻)を購入しました。

 ほんとに、これは第1巻からですが、登山ブームの火付け役と称されようが、映画が来年公開されようが、このコミックの編集者チームは素晴らしい。三歩さんのキャラや話のテイスト、登場人物の関係や物語物語毎のフィーリングを全く変えておらない。次から次へと展開される山が好きな人達のドラマ。こんなマンガがほんとうに今の時代、人気を博しているということ。マンガファンとして同じテイストを楽しんでいるという共有感が素晴らしい。

 で、もし、そんな人達と北アルプスで出会ったらもう最高だろうなぁ~。しかし、迂闊だった。

「岳(ガク)」第11巻出ました。

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 映画も無事クランクアップしたようですね。最新刊買いに行こう。

大将3人はどこへ?

 さてさて、ワンピースもひとつの山場。3名の大将はさすがに大将。しかし、まだ、3名の真意が見えてこない。今は圧倒的な力だけの存在感が描写されていますが、まだまだ、ドローはあるはず。そこがもろいとただの力だけの存在になってしまうでしょう。ただ、それはワンピースの場合ありえませんから、それが大きな期待感に繋がるという仕組み。シャンクスもドラゴンもレイリーも、それに、エネルもどこかでこの大戦を吟味しているはず。それに、新世界にいる多くの兵(つわもの)も。それにそれに、ティーチもまだ潜んでいるし、もしかすると、インペルダウンの最下層にとんでもない奴が幽閉されているかもしれない・・・。う~ん、ワンピースはすさまじい。そのうち、アインシュタインやヒットラーやナポレオンやオバマさえ登場するかもしれないなぁ~、いやいや、楽しみ楽しみ。

白ひげどうなる!?

 もう展開の軸が多すぎてどう期待すればいいのか、どう予想すればいいのか分らない。まして、今、白ひげの身体のど真ん中に大きな刃が貫通している、1番隊長マルコもルフィーもエースもジンベエもさあどうする?状態。読めない・・・。たぶんもうすぐ出るだろう最新刊もさらに記録を樹立するのではないですか。これほどのことになるなら、次の選挙にルフィーが出れば・・・。ワンピースの中ではマゼランでさえも愛嬌があり自分の立場をしっかりと弁え自分の信じたアクションと発言をしている。さらに黒ひげさえ、今、インペルダウンで何をしているか不明ですが、存在感があり力もある。そして言葉の質量も重く濃い。

 ねぇ!マンガでさえ、というよりマンガだからなのですが、人の心が動いたから指示があり共感を得てるんでしょ?公私が混同している?支離が滅裂か?マンガに依存しすぎて正気を失っている?そうかな?あなたた達の方が「公私混同」「支離滅裂」「本末転倒」「現実逃避」らの言葉を背負ってますよ。例えそれが「政治」というゴールのない長距離走なのかもしれませんが、ゼッケンを背負ってコースを走っているなら芸能人やスポーツ選手におんぶにだっこでいいのか?私利私欲ではないにしても軸のぶれたフォームでゴールを目指せるのですか?はじめから走る気などなかったのでは?スタートは誰にでも公平ですが、ポテンシャルは十人十色。それぞれのゴールを目指せばいいのかな・・・とはならいでしょう。大変、話が逸れました。

 で、白ひげはこのまま・・・なのか?ところでどっかに「ワンピース0巻」余ってません?

三歩さんが小栗旬さんか・・・。

 映画「岳(ガク)」の主演とヒロインの発表があったらしい。三歩さんが小栗旬さんか・・・、と思った。そして、久美ちゃんは長澤まさみさん。これはしっくりきました。ただ、マンガで三歩さんという主人公はそうとう大きい男である。身体のサイズもしかり、心もそれこそ山ほど大きい存在として、山に訪れる人たちとの触れ合いが生死のボーダーライン上で時に過酷に時にヒューマンに展開する素晴らしい物語の連続。その中心に映画となった場合に誰がいてほしいとイメージした場合、もっと、マッチョな自然体系の俳優さんかと思っていたのが、小栗旬さんだと知り、ちょっと、いろいろなサイズ的にコンパクトな俳優さんをチョイスしたのかと最初は感じた。しかし、この画を見てみるとなんとなく、小栗旬さんはしっかりと三歩さんを演じられるのだろうという安心感を少し感じた。一映画ファンだから好きなことは言えるが、やはり原作のスピリッツをスクリーンで観たいから、画的なことやトータルで役者のとしてのポテンシャルなどを判断して監督さんは小栗旬さんに確定されたのだろう。ただ、雪山の厳しいシーンもあるそうですが、その時にどこまであの原作「岳(ガク)」のリアリティーを映像にされるのだろう?期待がかなり大きくなる。同じ系統で言えば、ホワイトアウトやミッドナイトイーグル、そして、容疑者Xの雪山シーンなども結構リアルだったが、「岳」はまた違ったテイストがある。マンガの中であれほど作者がリスペクトした死体の描写は他のマンガではあまり見たことがない。死体を描くということは、とても勇気がいる。もうその身体に生命が宿っていないことを知った上でそれを絵のモチーフにするということは、画家は死を一旦心の中に受け入れなければいけない。でなければ、死体を描くことはできないと思う。

 長澤まさみさんで言えば、やはり、「世界の~」が第一印象なので、その間、現代劇や時代劇やテレビドラマなどで観ているが役としてはまっている感じがない。つまり、第一印象が亜紀だったからである。さて、映画「岳(ガク)」の久美役もこの物語にはなくてはならい存在。それを、長澤さんのフィルターがどう捉え、スクリーンに展開されるのか、とても楽しみです。自然の中でわき目も触れず生死の境界線で頑張る女性というとても大変な役です。そう考えると、他に適役は存在しないのかもしれない。花もあるしガッツもあるしという基準で。

 で、このマンガをきっかけに山を歩いてみたい。3000m級の頂きの上に自分の足で立ってみたいという気持ちがモクモク湧きあがっている事実。最も美しいモノの一番近くには厳しい生命の危険が背中合わせであると知ることを、さて、その場に身を置いたら、やはり、怖気づくのだろうか。それもぜひ体験して確認してみたい気がしています。

 二人の素晴らしい映像を今から期待してやまない。

「白髭海賊団」と「五影」、強ぇ。

 マンガ「ワンピース」と「ナルト」をまったりと読み終えて。う~ん、共に1億冊をはじきだすコミックスだけあって、練り込まれてるスパイスが巧みであり、熱量に換算すれば、他の作品の追随を許さないのではと、勝手なファンの独り言です。しかし、ここまで物語を登場キャラを自由自在に操ってる感覚って気持ちいいだろうなぁ~とそのことばかりが気になって仕方ありません。

 あまり、内容についての詳細は野暮として、まず、「マルコ」という登場キャラ。海軍、革命軍、そして、ルフィー海賊団とこれまでこれでもかってぐらいに新しいキャラが出て出て出まくってきたのに、白ひげ海賊団の一番隊長マルコがあの能力って・・・。もう、150ヘェ~である。そこを温存するか・・・みたいな。週刊では買っていないので、まだまだ、次から次へ状態だと思いますが、やられました。それにインペルダウンで黒ひげは何をしているの?一切最新刊ではノータッチ。アラララ・・・という感じ。

 そして、雷影とビー、そうかそうか、鬼鮫はどんだけ待たせるのかと思いきや、満を持してここでか・・・みたいな。しかも、ああいう展開のああなる結末。これはマンガ芸術だからこその臨場感。何やら電子ブックとかクラウドとか騒がしいですが、そんなモノは売り手のエゴ。紙の文化が衰退するということばかりを一方的に語り啓蒙したいでしょうが、ここまで、浸透しているリアリティーがある文化がペラペラなデジタルコンテンツにごっそりエクスチェンジはないない。PCでマンガを観賞して読んでオモロイ?デジタルデバイスで小説読んでオモロイ?便利は両刃。リアリティーが3Dで100%表現できると思ったらオオマチガイ!

 このまま果てしなく続いてほしい物語2本ですね。
 

ワンピースが古い!?

 映画「ストロングワールド」がテレビで紹介されていました。ここまでコミックスがヒットすればいろいろなその手の評論家が啓蟄のように地中からごそごそと現われていろいろな鳴き声を出す。大人から子どもまでドキドキワクワクのワンピースをただの「感動物語」で締めくくろうとしているこのテレビ番組の編集意図も納得はいかないし、仮に便宜上、尾田先生が「七人の侍」的に~というコメントを言われたからと言って何も「七人の侍」と「ワンピース」を関連付けてモゴモゴと鳴き始めるのだろうか。それは「ワンピース」の極々側面でしかないのに。テレビ的なコメントだろうけれど、ジブリの方(宮崎監督ではなく)が最後にコメントをしていた。「初めて読んだのですが、びっくりしましたねぇ~。この物語が驚くほど古いスタイルで~」とのこと。宮崎監督が言うならいいが、スタジオジブリのおごりだろうか、「古い」としか認識できない寂しい感覚に朝からちょっと背筋がぞぉ~でした。

 「古い」「新しい」を語るにはそれ相当の軸が必要ですよ。あなたは「古い」ものの何を知っているのか?あなたは「新しい」ものの何を知っているのか?たぶん、物語の登場人物の相関図だけを見てこのスタイルは「古い」と言ったのだろうか?「義理」「人情」「涙」がなぜ古いのか???ならばそれと比較してジブリは「新しい」のか?ちょっとジブリが嫌いになりました。(宮崎監督は勿論別格です。)これは間違いなくジブリのおごりのようにテレビには映っていましたね。スタジオジブリとは言え、ワンピースを敵視しないほうがいいのではないでしょうかとさえ、ヒートアップしてしまうような一言でした。

 ただ、宣伝映像でルフィーがバズーカ砲を撃っていたがあれはテイスト的にはNGだろう・・・。ちょっと残念・・・・・・。ただのTIPSならいいのですが・・・。

ワンピースムービー「ストロングワールド」

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 ワンピースも早56巻となり、映画作品も今回で第10作目。このサイトで制作総指揮の原作者尾田さんが語るように1~9はそれほど記憶にない。ただいつものメンバーが登場し、ゆるい設定でドキドキワクワクらしき展開があるというレベル。どうせ映画を作るならしっかりと尾田さんのスピリッツやディテールを汲み取り取り組むべきだったように思います。ワンピースらしき物語を設定しても絶対にアラバスタのテイストや空島のテイストにはならないことをもっと心の真ん中で知るべきだったような。ファンなら期待するでしょう。ワンピースの映画なんだから。なのに、これまでの作品はルフィーと仲間が登場しているだけの尺の短い適当な物語の枠から何も越えていない。が、今回のストロングワールドの総指揮に尾田さんが加わったこと、原作からキャラ作成まで深く関わられたことを知り、とても楽しみにしています。

 物語のディテールや展開もさることながら、作画のテイストがこれまでの作品は原作からかなりぶれている。テレビの作画では比較的原作に沿っていることからとても素敵に表現されて声優の皆様も流石の流石。だけどもだけど、映画となると中途半端なタレントや女優が出てきてお茶を濁す始末。これではコミック・テレビと来ている素晴らしいワンピースの流れを活かせていないのではといつも映画を期待し観るたびにガックリでした。もう、映画が始まって1~2分でガッカリ。あとは忍耐力の勝負でした。

 映画なんだから多くのセンスやスピリッツが結集され予算も破格なはず。なのに、尾田さんの第1巻の展開の足元にも及ばない。アラバスタには少し期待したが、あれならテレビの方がいい。他は推して知るべし。もっと、ワンピースの表面的な魅力ではなくもっともっと尾田さんが構想している中心軸の部分を共有しなければ映画として120分にワンピースワールドを展開はできない。

 で、今回の「ストロングワールド」は改めてテンションを上げていきたいと思っております。過度の期待をすることなく、改めて尾田さんの世界を映画で鑑賞できるということが楽しみです。

 「やめときな、正義だ悪だとか口にするのは!!…この世のどこを探しても答はェえだろう!くだらねェ!」って、やはり、海軍よりも白ひげよりも、M.D.ティーチは深く大きい。このタイプは過去のどのマンガにもアニメにも登場していない。それに気がつくことが一番大切だと思います。私はかの手塚先生でさえ描けなった人間の心の一番奥を描くことに尾田さんは今挑戦していると思います。ストロングワールド楽しみです。勿論、コミックスの本編も楽しみです。

 尾田さん言葉少なに語る、「描きたいシーンをより良い絵として見せたいから、物語や演出を考える。」と。感動を描く作家と言われているけど、それはスパイスでしかない。」と。まさに・・・物事の真髄がこの言葉に全て含まれていると思う。こうしたいああしたいと物事の振幅ばかりに目を向けすぎて貧弱な軸では本末転倒である。強靭で柔軟で高く大きい軸だからこそ物語が変幻自在に組み立てられひとつひとつの物語が昇華するのでしょう。だからゴム人間なのでしょうね。もうこの設定は何回舌を巻けばいいのか分からないぐらいに真髄に近いキセキなのである。

◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://www.onepiece-movie.com/home.html

第56巻が出ました出ました。

 待ちに待った「ワンピース」最新刊第56巻が出てました。このシーズンもこれでもかってぐらいにピークに向かっていく感覚です。しかし、ただ単に最後にバトルバトルでこの章が終わるとは到底思えない。ジャンプをもう買っていないのでこのコミックスがワンピースのリアルタイム。また、これも楽しい。

 で、エースはどうなる?白ひげはどう出る?大賞は?新世界の仲間は?シャンクスは?黒ひげは?ルフィーの仲間たちは?そして、ルフィーは?もう、?が多すぎてワクワクドキドキがうにのように栗のイガのようにやまあらしの棘のようにはりせんぼんの棘のよになっています。

 で、で、もっとも気になる存在としてひとつ。エネルはどう出る???

長門の結論。

 そうかそうかそういう結論なのか。なるほど、ここまで大きな戦いを展開してどこまでドロドロになるパワー戦かと思いきややはりきれいに落とされるという印象です。そもそもペインの強引さは盲目的なところがあったもののただただ戦いの中で何かを感じるというタイプではなく、明確に争いの意義を確認しながら歩を進めるような印象がありました。他の暁のメンバーにしてみれば、強いだけであり、ペインほどの深さがなかった。今回のバトルでやはり次から次へ状態ってことでドキドキしたのは、意外と「サソリVSサクラ&ちよ婆様」だったような印象があり、確かにナルトの覚醒加減は物語の本丸だけに激しさはひとしおでした。しかし、お互いのポテンシャルと技のセンスと手持ちのコマの引出しからの出し方で言えば、「サソリVSサクラ&ちよ婆様」が一番、ドキドキしてしまいました。

 で、次はいよいよマダラと木の葉のドロドロな様相を感じるつなぎもありで、さてさて、ナルトはどこまで大きくなるのかということと、サスケとの和解はあるのかなどまたまた次の号を楽しみに待ちたいと思っております。しかし、このテンションはジャンプのユーザーの皆様はしっくり来ているのかでしょうか?もっと、バトルありきの物語がイタチあたりから盛り上がりましたが、長門(ペイン)VSナルトはとても納得の展開だと思っているのですが・・・。ちょっと、背景の説明が多かったような、ジャンプのユーザーってもっとガンガンのバトルを最後まで期待しているような・・・。

ワンピース第55巻!!!

 出ました出ました。ついに出ました。ワンピース第55巻。書店にチェックに行き、さっさとレジへ。すでにレジには一番前に高校生の男子、その次に中学生の女子、そして、私。3名とも手には「ワンピース第55巻」を握りしめていました。う~ん、素敵です。さぁ、読もう。

PLUTO最終巻。

 最終巻を読みました。なるほどという結末。「憎しみからは何も生まれない。」このメッセージがどれだけリアリティーがあるのかを浦沢さんはここまで「PLUTO」という作品で高められた。高さが難解にならないマンガという手法で小説のように論文のように学術書のように。それは、つまり、手塚治虫氏からの譲り受けられた大切なスピリッツなのだと思います。人間は素晴らしいのか愚かなのか?戦いの向こうにお花畑は咲き乱れるのか?非常に非常に感じがいのある作品でした。

 この作品のことを教えてくれたI氏にまずは感謝。

監獄署長マゼラン、オモロイ。

 昨日待望のワンピースの最新刊を購入。じっくりと楽しみました。お話の盛り上がりはいつものことながら逸品。しかし、よくもここまで次から次へとキャラクターであり、場面設定が出てくるものです。それが、すべてどこか深いところでガッチリ繋がっている感覚が何よりワンピースの魅力。そこが不動だから、どんなキャラやどんな設定にでもその上で遊べる。しかも、その遊び方もドキドキワクワクレベルで言えば、歴代のマンガを完全に超越していることは不動の事実だろう。何故、ここまで物語がいいのか?ここまで話が進んでいるにもかかわらず「ワンピース」という存在が未だに未知数である不思議。分析しようとすると楽しめなくなるので、ただただ楽しんでいます。素晴らしい最新刊でした。
 で、今回もいろいろなキャラが登場したのですが、やはり、今回は「監獄署長マゼラン」でしょう。最高でした。さらに「副監獄署長」も2番手でしたね。ボアハンコックの勘違い加減もいいし、サンジの飛ばされた島も最高!ほんとに驚きの物語力です。

仙術。

 自然のエネルギーを身体の中、魂の中に取り込んで、己の気力や体力や技と融合させてさらなる力を手にする術とは今回の最新刊(NARUTO)で書かれているのです。どうしても、他の数多の漫画・コミックには同じようなことをソースに展開されていても、気持ちが入れないのに、「ナルト」と「ワンピース」だけはもう子どもの頃のように心が盛り上がるし、ちょっと信じられないぐらいのテンションで物語に入っていってしまいます。いい歳のおっさんがちょっとこれは実は「痛い」のかな・・・と抑えようとするのですが、難しい。とかくファンというものは視野がそのことに対して狭くなっているから、他の価値観や世界観が受け入れられず、自分がこう考えた感じた世界だけで道理を進めようとしてしまう。それが、自分の場合はどうやら「ナルト」と「ワンピース」のようなのです。過去に気持ちを入れて呼んだ物語とはあきらかに何かが違うと思ってしまう感じてしまいます。やはりそこに流れいる「友情」や「愛情」や「想う気持ち」の表現と漫画の中の非現実性が時に外部からの刺激へのフィルターになり、時に促進剤となり、読みたいと感じているベクトルに合わせていってくれるような物語なのかなと感じています。
 で、自然のエネルギーを身体に取り入れるという、ふと冷静に考えればナンセンスなことも、過去に続いてきた物語の背景があるから気持ちが入らざるを得ない、というか、素直に喜んで受け入れている。これが、自分自身の価値観とちょっとでもズレがあれば結果否定してしまうから、俯瞰で見ればかなり自分の中の構造とこの物語の世界観がマッチしていると感じています。
 もしかすると、この物語自体が「仙術」なのかなとも感じてしまいます。

ワンピース第51巻!!!

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 出ました出ました51巻。ジャンプは買っていないのでこの3ヶ月のサイクルが長い長い。しかし、驚きはそのキャラのイマジネーション。尾田氏の才能はそこにある。それがどれも魅力だらけ。そこにはウジウジネトネトした日本人のキャラが微塵もない。唯一、ゾロが和風ではあるが、グレイなイメージはなく、尾田さんが考える「武士」のイメージがしっかりとルフィー海賊団のナンバー2として鼓動している。もう、この「キャラ力」がこの物語の一番のベースにあることは疑いようのない事実だろう。映画やテレビになるマンガの原作ははじめから最終目的はそれなんでしょう?みたいなフィールドの狭い物語が多い中、決して、そこに流れないマンガ文化の本流を太く激しく流れている。デュバルは最高でした。

PLUTO第6巻

 そうかそうか、そういう展開なのか。浦沢さんの解釈は大きい。大きすぎる解釈と絵の力がこれほどひとつの作品の中にこのような手法で1mmの隙もなく展開されると、読む側はただ共鳴したいという願いだけで胸が熱くなる。昨今、共鳴できる事象がことのほか少ない。思考において否定を先行させても生産的なパターンではないので、まず、飲み込むことに挑戦している。しかし、明らかに飲み込めない情報が氾濫しているように思います。でも、時代と共にありたいと願うので飲み込む訓練をしなければと思います。視点を変えると違ったシルエットが見えることもよくあるので、オブジェクトが見えにくければ自分の立ち位置を変えてみる勇気も失いたくない。そこに立って通り過ぎる万象を傍観するよりも、その中に紛れて会話し肩と肩をぶつけながら自分の方向を見つけたいですね。そんな気持ちになるPLUTOの第6巻でした。さて、次はそろそろ、ナルトの最新刊です。楽しみ楽しみ。

ROOKIES (ルーキーズ)か・・・。

 子どもの頃はボールとバットがあれば友達であつまって暗くなるまで野球をしていた。たぶん、野球がモチーフのテレビ番組やマンガはほとんど観ているだろうし読んでいるだろう。Jリーグやワールドカップで世の中が盛り上がっていても、サッカーの試合に心は入っていかない。では、ゴルフはどうだろう。27歳でお仕事関係でクラブを買ってのめり込んだが、さりとて、野球と比べるとやはり気持ちの温度は低い。自分にって「野球」とは、スポーツ競技以上の何かなのである。陸上も太ももの筋肉がパンクするまでは、どれだけ練習しても楽しかった。競技性の高い、いわゆるテクニックや技術を求められる競技は開花した記憶がない。つまり何事についてもセンスがないのである。そもそもセンスのある奴と勝負してセンスのない奴が勝つためにはもう「努力」しかない。そう思っていたから、興味を持ち心が向いた競技は「野球」と「短距離走」だけでした。武道にも興味があったのですが、多分、武道の精神という枠の中にいる自分が嫌になるだろうと選択肢にさえ入らなかった。つまり、自分のベクトルが向いた視野にはいってきた「野球」という存在。これは、とてもブログで語ることはできませんが、そんな特別の感情を抱いている野球だから、ROOKIES (ルーキーズ)のように暴力と関連づけられることに最悪の嫌悪感を感じていた。「なぜ、この連中は野球をしているんだ!」と。「絶対に観るものか!」と力んでみたが、フィールドでボールを追う。気合を入れてバッターボックスに入る。泥だらけになってのヘッド。もう、ダメでした。たぶん、このメンバーが「辛抱」と「努力」を重ね「感動」を手に入れるのでしょうけれど、それは、それオキマリオヤクソクということで、モチーフが「野球」である以上、テンションは上がる上がる。
 コミックスの第1巻にまで手を伸ばそうとしている始末・・・。

「おせん」最終回。

 いったいどれぐらいの視聴率があったのだろう?原作は非常に素敵なマンガで主演が蒼井優ちゃん。それだけで制作現場の人達はこのドラマの企画をスタートしたはずはない。他のマンガtoテレビドラマの構図からこの作品だけは外れているように思いたい。「目利き」という言葉がマンガおせんの第1巻には登場する。いいものはじっくり見ることからはじまり、生半可な人間はまず自分の判断に理由を求める。それは、地位であったり公的な認知度であったり背景であったり。とにかく理由を探す探す探す。そして、次にその価値をお金で判断していると。それはモノの価値を推し量っているということにはならないと、このマンガの中の登場人物達は言葉を並べる。その中心にいる存在が「おせんちゃん」である。モノの価値とはまず見ることである。どの目で見るかそれぞれ個人差があるのでしょうが、時に心の目であったり、天の目であったり、魂の目であったりするのでしょうね。そういう意味で全15巻ある第2巻目を買うのが楽しみなんです。そんなドラマも今日で最終回。「のだめ~」以来テレビ番組をビデオで録画しているのも、何回も観る価値がありそうな作品ではないだろうかと感じたから。主題歌がいい。登場人物と配役がいい。映像の絵がいい。物語がいいと最終回は早い。
 ブルーレイディスクモードが18時間も録画できるレコーダーを北京オリンピックに向けて買うつもりなどさらさらないが、テレビドラマ「おせん」は心を動かされた作品でした。第2巻が楽しみである。まだまだ、「岳」も「プルートゥ」も「のだめ~」も最新刊は出そうにないので、「おせん」の第2巻を楽しみにしたいと思っております。
 余談ですが、勢いで買ってしまった「ネガティブチェーンソーハッピーエッジ」だけは買わない方がいいですね。期待しても何も無かったコミックスは数多ですが、その中でも歴代ワースト10に入る作品でした。残念。

まだかな最新刊。

まだかな「NARUTO」の最新刊。

三歩さんの気持ち。

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 もう、「岳」への熱意が止まりません。書店に仕事の資料やソフトウエアのテキスト本や雑誌などをチェックしに行く時でも、必ず、マンガのコミックスコーナーは一回りチェックしているのです。マンガをチェックする場合、装丁や絵だけでなかなか物語まで判断できないですし、新しいコミックスを購入し読み始める前は、誰かのオススメに手を出したり、ネットで確認したりしています。しかし、なかなか、アタリは少ないです。第1巻だけを買って第2巻に手が伸びなったパターンは数えきれません。ということで、衝動買いの第1巻が結構部屋には転がっています。まず、表紙の絵を見て好き嫌いを判断してしまう傾向にあるので、氾濫している「いわゆるアニメ系」や「どんだけぇ~メルヘン系」には絶対に反応しませんし、歴史モノが好きではないので、そのフィーリングのタイプも手を伸ばしません。となると、非常にジャンルは限られてくるのですが、この視点は何もコミックスだけに限定して視点ではなく、書籍にも雑誌にも写真集にも専門書にもこの方程式があてはまります。時には冒険もするのですが、遭難することが多く、かなり吟味します。
 例えば書籍を購入する選び方は「何が読みたい、見たい。」で選ぶとワンパターンになるので、80%は興味のあるモノ、20%は知らないジャンルのモノぐらいの比率ではあるのですが、この20%から自分の考え方の視野が広がる場合が結構あるので、頭の中をワンパターンにしないためにも、この20%という割合が結構ポイントのようです。と考えると、この20%のチャレンジは仕事や人生にも当てはまるように思います。また、この部分は別のテーマでいつか書いてみます。
 で、マンガ「岳」の第1~3巻を読み終えて思うことは「山で死ぬことは美しい。」と感じてしまいました。この「美しい」という表現にはいろいろな意味があり、風景が美しいの「美しい」ではなく、絵画が美しいの「美しい」でもなく、なんとも、人間は自然の一部であると思える「美しい」です。しかし、生きている時はいろいろな万象に濁されて見えていないものが、山では大自然の中では、人間の生物としての本質と向き合う必要性があり、その視点の鮮度がクリアであることを「美しい」と思いました。第3巻の中で、主人公の三歩さんが、「恐怖と向き合わない方が怖い。」という意味の言葉を言います。う~ん、重い言葉です。さて、次は第4巻です。楽しみ。

誠に勝手な歴代BEST5

 さて、誠に勝手ながら、私の個人的な歴代ベスト5のマンガ作品を紹介させていただきます。というブログにしようと思って構想しはじめて3日目なのですが、なかなか、5本に絞り込めない。しかも、どのような基準での5本にするのか・・・とも考えて考えて、絵の好き嫌い、物語のジャンルの好き嫌い、原作者・作者の好き嫌い、新しい古いディープでレア基準の好き嫌いなどなど、いろいろモノサシがあると思うのですが、まず、主人公に対する個人的な思い入れというか、主人公に対する愛情の度合いでのベスト5を書き出してみました。

第1位「三平三平」
第2位「宇野球一」
第3位「モンキー.D.ルフィー」
第4位「猪熊柔」
第5位「金田正太郎」である。

 「三平三平」とは言わずと知れた「釣りキチ三平」であり、その物語の中で描かれていた自然の美しさ、魚との出会い、暖かい太公望のスピリッツ、ライバル、師匠、道具などなど、自分自身の人格を現在形成するパーツが1000個あるとすれば、200個ぐらいはこのマンガから頂いたパーツだと思えるほど。何事にも向かう気持ちになる時、三平のあの飄々とした表情が脳裏に浮かぶ。
 「宇野球一」とは勿論「アストロ球団」を引っ張っていく主人公です。あの、あの、新しいボールを投げるために、ドリルを掴むシーンは今思い出しても身震いが止まらない。
 「ルフィー」とは当然のことながら「ワンピース」の主人公である。感動のシーンは数多くあれど、忘れられないシーンはやはりなんと言ってもロビンを仲間に入れた時の表情である。何気ないシーンですが、忘れられない大切なシーンのひとつです。
 「猪熊柔」はあの「YAWARA」の主人公です。説明をするために、いろいろなシーンを思い出すだけで身体が震えてきますが、やはり、松田耕作さんを投げ飛ばすシーンが一番好きです。しかし、語り始めるとキリがなくなります。
 「金田正太郎」とは「AKIRA」の主人公です。「健康優良不良少年」ですね。鉄雄が月を壊し始めたシーンは忘れられないですね。

 と、非常に短くまとめたのですが、皆さんの「主人公歴代ベスト5」は誰ですか?

1ポンドの福音について。

 ではでは、非常に限られた皆様との今後の日本の漫画文化の発展を影ながら応援するというコンセプトで「マンガ大好き同好会」を2008年2月7日発足いたします。この同窓会にへの参加規則は存在しませんし、登録費用などは発生しません。逆に特典もそれほどないですが、もしかすると中古のマンガのgive&takeがコミュニケーションの中で発生するかもしれません。それは希望的観測ですが。ということで、なんでもなんでもマンガに関係することをこのブログで書いていきますので、「逆リンク」でも「お勧めリンク」でもご紹介・ご案内くださいませ。やっぱ、マンガ文化は永遠に不滅ですね。
 ということで、テレビドラマが面白いので「1ポンドの福音」の第1巻を買ってしまったのですが、ちょっと、緩かったです。評価は45点/100点でした。そうそう高橋留美子さんも伝説はいくつも作れないということでしょうね?!