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プロっぽいデザイン!?

 「プロっぽいデザイン素材があります!」という内容のメルマガが到着した。「プロなら知っておきたいWEBデザイン~」とか「プロが認めたグラフィックデザインの~」とかっていう書籍もよく書店でチラミしてしまうが、その90%がどうみてもプロのデザインには到達していない。プロと同じデザインエレメントを使って、プロと同じアドビのソフトを使って、プロと同じマシン環境で何かを作ったとしても、プロの仕事に近づけるということではない。何が違うのか?どこまでがアマでどこまでがプロなのか?よくこの質問があるのですが、実際、明確な境界線はないし、言葉や言語や理論でアマとプロの仕事を差別することはできない。逆に私だって魚をまな板の上にのせて包丁を握ってハチマキをしても絶対に活け造りはできないし、目の前の椅子に誰かに座って頂き、片手にはさみを握っても、どこからカットをすれば・・・でハサミを髪の毛に触れることさえできないだろう。つまり、これがアマとプロの違い。絶対というより相対なのである。

 私だって、包丁でマグロを自由自在に切り刻むこともできるし、ハサミでザンギリ頭を創ることもできるが、決してその成果が「プロの仕事」になるはずがない。というテイでデザインも同じかな?よくデザインの基礎知識を学校で学んできた人が作品を見てくださいとなるが、それを見て何を判断しているか?実は何も判断できないのである。まして、そんな基礎知識もない表面的にデザインスタイルだけをソフトでオペレイトしてプリントアウトしたモノがデザインだと思えてしまう「誤解力」が怖い。しかし、それでもそれらをデザインと呼ばないかというとそうでもない。それも実はデザインなのであるが、切り刻まれたマグロを「お造り」と呼ぶのか?斬新奇抜なザンギリ頭を「ヘアスタイル」と呼ぶのか?というボーダー。

 で、プロっぽいデザインをする環境はいくらでもあるので、1億人総クリエーターってことで、パソコンやソフトやクラウドでクリエティブすればいいが、お金を出して食べたいマグロの造りに仕上げるために、お金を貰ってヘアカットをするためには、そっち側にいてはダメ。こっちとそっちは意外と距離があるんですね。何が決め手か?それは簡単、こっち側の人はそっち側の人のことがよく見えるのですが、そっち側の人はこっち側の人のことが見えていないのですね。誠に感覚的なお話ですが結構このテイは芯を喰っていますね・・・。

スマホかタブレットか?

 よく人から聞かれる質問。「スマホかタブレットか?」 答はどちらもさほど必要だとは思っていないとなる。デザインの仕事をしているから、WEBサイトの仕事を、映像の仕事をしているから、iPadは必要でしょうという発想がほとんど欠落している。マシンやソフトのスペックがクリエティブの仕事にシンクロしないことをあまり一般の人は理解していない。それは当然。私もケーキ屋さんの砂糖や卵の使い方など分からないし、寿司屋さんがほたてを料理するときのポイントや包丁の種類など未知との遭遇である。

 だから、砂糖は砂糖、卵は卵、ほたてはほたて、包丁は包丁、スマホはスマホ、iPadはiPad。

 また、最新最速のパソコンにこれまた最新多機能なソフトを入れてクリエイティブもどきの成果物を作成して「これどうよ!」みたいなどや顔の人。これもメンドクサイ。その人のタイプ的には常に言葉のはしばしに「プロの仕事とは!」「デザインとは!」をはさんでくる。これがとてもメンドクサイ。法律の相談に行って、弁護士に「法律とは!」って話を聞いてもなんの意味がある?歯医者さんに行って、「歯科とは!」ってことを語られてもかなりドン引き。だから、そんな人達って自分でよく自分のことを知っているわけで、「自分がプロの仕事のテイで頑張ってやっています!」ということを伝えたいから「プロの仕事」というマジックワードを連発する。デザインのこともクリエイティブのことも充分に理解していないし、経験値も少ないので、「デザイン」とか「クリエイティブ」というフレーズを多用したいだけなんですね。逆にそれ言っちゃったらあとがないことを、これまた、自分の経験の中で学ぶ必要がある。それに比べると、高いパソコンで最新のソフトを使ってPTAの資料を作っている人はカッコイイ。

 道具は大切ですが、道具は道具。また、デザインやクリエイティブの世界には学校のテストような100点満点はないし、正解も誤答ない。0点でもいいデザインはあるし、100点でもクソのようなデザインがある。だから面白いのである。アップルが一般素人に対するFAKEでアプリデバイス路線を展開した頃からアップルを私自身は敬遠しているが、さらにどんどん失速していっているイメージ。要はアップルはデザインと心中できなかった、ただただデバイスを売りたいためだけにデザインをFAKEに活用したチキン野郎なのである。まぁ、それもアメリカンドリームで型がつくが・・・。

よくある質問とのこと。

 「自己PRは苦手な方が多いですよね。特に日本人の場合はそうかもしれません。アピールしすぎると、単なる自慢になってしまうかもしれないし、消極的すぎると、全然伝わらないかもしれない…。そうやって悩んでいると、ますますどんな風に書けば良いのか分からなくなってしまうのも無理ありません。しかし、転職活動のときには、自己PRは必要不可欠です。では、どうアピールすれば良いのでしょうか。アピールポイントを応募先企業に伝えるためには、当然何をアピールするのかをまとめなければいけません。そのためにはまず、ご自身がこれまでの仕事を通じて、どんなことを経験し、何を学び、培ってきたか。どのような姿勢で取り組み、どんな実績を築いてきたか。これまでのご自身の仕事を振り返ってみましょう。」という例題がある。

 このケースは一般的なお話としての大前提ですが、「日本人の場合」としているがほんとにその根拠は何?から紐解くとこの例題はさほど掘り下げてはいない。まず、自己PRが苦手な人という存在は一体どういう存在なのか?「自慢」と「PR」は紙一重。要はリレーションシップの問題を体系的にどう捉えているかをどう言語化するかだろう。しかし、人間は「感じる部分」と「大前提」が十人十色だから、画一的な手法には必ず綻びがある。それを紡ぐのもこれまたリレーションシップなのだが、そこを理解して理解を求めるということが結果PRになるわけで、自分の価値観に対する作用と反作用をどう解釈しどう言語化するかという戦法をいくつ持っているかに尽きる。

 で、偉そうに言うこともでないし、必然的に性質的に「偉そう」などというベクトルは必要ないので、そこも大前提で削除しておかなければ、潤滑なシームレスなコミュニケーションは実現しない。ということは、つまり、ポテンシャルの問題。ただ振り返るだけではダメなんでしょうね。

 そして、PRの向こうに存在するSOMETHIMGを何個キープしているかですから、それは、チェスのようなもの。条件は同じ、コマも同じ、ポテンシャルも同じ。さぁ!ゲームスタートという時にどう試行錯誤するかが実は楽しいのである。勝ち負けはさほど問題ない。それにチェスと同じ「引き分け」もある。

ACTについて。

 何故会社名を「ACT」にしたのか?滋賀県に来て営業活動をしている中で一番多い質問です。この名称を考えていたのがちょうど大阪の会社を休職させていただきN.Y.に滞在していた時でしたから、かれこれ18年前のお話。大阪に帰ってきて前のデザイン会社で作成したロゴタイプは今でも使っているし、あの時に考えていたことをそういうご質問の場面ではお話している。

 まずは、何よりも「行動的でありたい。」と考えたからの、actionからの「ACT」それが着想のスタートでした。そして、会長のお名前を頂き、ADVERTISING COMPANT TANIGUCHIと連動させた。しかし、着想の背景にはあと2つあり、「ACTIVITY CREATIVITY THINKING」で「動く人、創る人、考える人。」としている。これは、ストレートにこのままでクリエイターとして必要な三位一体観から紐解いた。そして、もうひとつ考えていた背景として、「ACT+G」という背景だった。正確にはACGTでDNAの4大エレメントである。上記の「ACTIVITY CREATIVITY THINKING」に「GROUND」または「GAIA(大地の女神)」というこの地球という存在を盛り込みたかった。だが、これは着地点が見えずに結果「ACT」にした。しかし、「G」については、重力やグラフィックなど関連・連動させたいキーワードがたくさんあったので、もし、次の段階でステップアップするなら、名称は「ACT+G」とするだろう。これで遺伝子の用意ができたことになる。まぁ、質問を受ける場面では、これらのお話の前半戦30%ぐらいしかしないのですが、会社名の背景のほぼ全容はそんなところ。余談ですが、実は、「GALAPAGOS」の「G」も意識はかなり強い。

どんな音楽をよく聴くんですか?

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 いろいろな方といろいろなお仕事をしてきた。この仕事を始めた時から比較的外に出してもらっていた。クリエイターです、イラストレーターです、WEBデザインをやていますというと、どうも、インナーなタイプの人間に見られがち。確かに出ない時は徹底的に出ないが、それでも、20代の頃お世話になっていた新宿の会社の頃から、なんでもやらせてもらえた。自分で作って自分で打ち合わせに行き、自分で仕事を頂いてくるということがごく普通にやらせてもらえていた。まぁ、つまり、ということはそれほど大きな大企業ではなく、大きな制作プロダクションではなかったということになるのですが・・・。それが、今思うととてもありがたい。ほんとにいろいろな経験をさせていただけたと感謝しきりである。だから、どんなお客様とでも話をできるし、一回お話した人は必ず覚えていただける。まぁ、この頭(丸坊主)になってからはその印象は確立した。それは、クリエイターのエゴを振りまいて主張してくるというテイではない。逆にいかにしてお客様のお話を聞けるかが勝負。引き出せないとあとで自分が困るからである。でも、なかなか若い頃は緊張が先に出て、打ち合わせや会議に向けて予習していたことが頭から消え、話題も全然あさっての方向になり、何かしゃべらねばしゃべらねば・・・で不快な空気を作っていた。でも、そんなことを繰り返しているうちに、別にネタを用意しなくとも、2~3時間なら平気でどこでも誰とでも会話ができる能力を養ってもらえたと思っております。

 で、デザインやアート以外のことでよく質問されるのが意外とこれ。「どんな音楽を聴くのですか?」である。これもTPOがあるから、一辺倒な直球ではダメ。ご年配の人にヒップホップのアーテストを言ってもNGだし、若い元気な方にジョン・コルトレーンのお話をしてもNG。またまた、音楽をあまり聞かない人に対してディープなロックバンドはNGだし、私は音楽通ですねん!という方にフワフワしたアーティスト名を切りだしてもNG。意外と音楽は?と聞かれて、1秒以内にこんなことを考える。というか、頭が勝手に反射する。

 そんな機会によく答えているのが「美和さんですねぇ~。」である。ドリカムですとはなんか少し恥ずかしくって言えないけど、「美和さん」って言っておけば、なんとなく、質問に対して誠意を込めた答えのように感じらるのと、実際、ドリカムを聞いているわけではなく、ドリカムの音楽というよりも、美和さんの声を聴いているという感覚が強いからである。音楽の傾向がある時、ボーカルの方の声質で好き嫌いを選択していることに気がついてから、「どんな音楽をよく聴くのですか?」という質問に対してはほとんど「美和さん」なのである。もちろん、たぶん、ドリカムの楽曲ならカラオケで相当歌えるはずだし、どんな気分の時でも美和さんの声を聞けば心がなんとも落ち着くのである。これは、今のところ、他のアーティストの追随がない。カエラさんの声も好きだし、ボノの声も、スティングの声も好き。だけど、「どうですこの歌唱力!」というテイの方はあまり聴かない。なんか、エッジが立ちすぎ。エンヤさんも多重だからいいのかもしれないし、ケイト・ブッシュも雰囲気がいいのかもしれない。つまり、声質なのである。

 最近ではまだブレイクしていないが「いいくぼさおり」さんがイチオシですね。

デッサンの基本って何ですか?

 ワタシ自身の仕事はグラフィックデザインやWEBデザインが中心なので、一般的には「デッサン」とは無縁のように思われている。実際、「デッサン」を学生時代にケント紙に鉛筆で描くあれを想像している人は、DTPやWEBデザインに「デッサン」など関係ないと捉えている方が多い。また、グラフィックデザインをしている人やWEBデザインをしている人で私のアドバンテージは「デッサン力」ですって言う人も少ないだろうし、「デッサン」が上手くってもデザイン力があるには連動しにくい。それが一般的な捉え方です。逆に鉛筆で絵を描いた経験のない方でも、素晴らしいグラデやWEBデザインをされる方も多いはずですから、まぁ、一般に関係なしが正しいかもしれない。

 たまたま、私はイラストレーションを描くのでかもしれないが、仕事先でイラストや絵のお話になった時に「やっぱ、デッサンとかもしっかりやってきたんですよね?」と聞かれた場合、純粋に「そこそこ」となる。すると、私も絵を描きたいと思っていて、やはり、基本は鉛筆デッサンですから、どうしたら上手く描けるのですか?となる。これについては10分や20分程度では充分な説明が絶対に無理なので、「やっぱ、デッサンの本とか買ってきて、地道に・・・」となる。ガチで「デッサンの基本とは?」となると、ではいくつか練習課題を・・・となるが、到底、絵を描くという練習課題ではないため、たぶん、つまらなく思われてモチベは上がらないはず。たまに、「デッサン画はこう書くんですよ」的なサイトやブログを観るが、「ひやぁ~!」という鉛筆で描いた絵が公開されている。これは鉛筆で描いた絵であって、決して、デッサンではないのですが・・・残念!となる。でも、それぐら「鉛筆デッサン」ってなんぞやの世界なんだろうと思います。

 ので、基本って何ですか?という質問に対する答は、「3つの捉え方をしてください。」となる。ひとつ目は、モチーフをしっかり見る。二つ目はしっかり見たらそれを頭の中に焼き付けて自分のデッサンの完成形をしっかり克明にイメージする。そして、三つ目はそれを手で忠実に描く。このどれが欠けてもデッサンにはならない。つまり、観察する力と構想する力と描写する力(技術)のバランスがそれの「基本」となります。どれが欠けても鉛筆で描いた絵になりますから注意してください。

 逆にこの三つの力がバランスよく会得できれば、絵を描くことの魅力が格段自分に向かってきます。あとは、ポテンシャルとモチベーションとインスピレーションでしょうね。これは応用の部分ですが。

 余談として、デザインとデッサンの関係ですが、実は大いに関係があります。が、それも、このブログに書き出すともうとんでもない文字数になるので、また、いつかの機会に・・・。ただ、デザインでもデッサンは重要だと思います。

メダカちゃんの住まい。

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 こちらがメインの水槽です。サイズはh350mm×w600mm×d350mmで、メダカちゃん達にはちょっと大き過ぎるぐらいなのですが、以前に何か飼っていたモノを使っています。で、手前が第3世代の25匹が入っている小さい水槽で、その奥の水槽が生まれた卵を一旦移動している孵化用の水槽です。濾過装置もいろいろ試したのですが、基本的なちょっと大きめのぶくぶくを1個沈めているだけです。メダカちゃんはあまり糞をしないので、餌で水が濁る程度なのですが、それでも、大量の餌を食べているわけではないので、水の交換も多くて月2、冬などは2~3ヶ月は水温の変化に敏感なので、少々汚れててもメダカちゃん達は元気でした。今孵化している奴、これから生まれる第3世代はこの水槽で一緒になるサイズまで大きくなるまで、もう一つ、そこそこ大きい水槽が必要かなと思っております。それも、すでに用意してあるので、我が家には現在メダカちゃん用に水槽が4つあります。

 朝と夕のごはんタイムには水面に集まるんですよ。可愛いい!!!

WEBデレクションとは?

 一般的にグラフィックデザイナー・WEBデザイナー・イラストレーター・アートデレクターなど、いわゆるヨコモジ商売に携わっていると、「君の仕事はいったい何をやっているのかね?」や「具体的にWEBデザインとは何をしているのですか?」や「イラストレーターって画家とは何か違うの?」というご質問に出会うことが多い。花屋なら花を売っているし、ホテルなら宿泊を売っているし、医者なら健康を売っている。それらを買う人はそれぞれに花が欲しくて、旅を通じて宿泊するための時間を買っているし、健康を害したら健康になるために診察と適正な治療や薬を頂く。これは、誰がどう考えてもそうであるから、仕事の内容を確認することはなく、商品だけを判断してビジネスが成立していると言える。しかし、比較的ではあるが、ヨコモジビジネスはまず何をしているのか?何をしてくれるのか?から理解していただく必要があるし、具体的にポスターが欲しい、WEBサイトのFLASHコンテンツが欲しい、CM用の映像が欲しいとなる前段階に、どんなポスターをいくらで創ってくれるを信頼していただく必要がある。HOW MUCH?なら、誰でもコストで比較はできるものの、デザインのタイプやクオリTィーを理解していただくためには何が一番最適なアプローチであり、戦略なのかといつも、ずっと、考えています。

 逆に自分が花屋さんで今暮らしている人達にお店に来てほしい、また、こんな時代だから、オンランショップを開店して全国に向けてお花という商品を買っていただくためにWEBサイトに企画やキャンペーンはもとよりWEBサイトの仕組みやデザインを実店舗同様にこだわった魅せ方にしたいと考えるだろう。さらに、商品を買っていただくために、品揃えや時期的な旬な商品をリサーチして仕入れ、原価と売価のバランスを吟味するだろう。こんなに実際のビジネスの現場は単純ではないが、基本ラインはこのプロセルである。と、このプロセスの中でデザイナー・デレクター・クリエイターがどう関わらせていただくのかという部分の判断を誤ると、絶対にお客様とのコミュニケーションが途絶える。こちらは一生懸命にご提案を繰り返しても提案の的がずれていると具体的な進展はない。また、こんなタイプのデザインが欲しいと言っていただいているのに、違うタイプを並べても、そこに生産的なコミュニケーションは生まれない。

 また、タイプ的にどこにでもあるような商品であれば、このケースの場合、「どこにでもある商品の本質」を見抜けていないと、いくら適正価格であったとしても、フラストレーションが残留していく。つまり、ある始点から終点までを分解していくと、どの段階でも、しっかりとコミュニケーションできているということが最低条件で、それぞれのプロセスできめの細かい対応やそのルート上の新しいプロならではの提案がのっかっていかなければ、終点にはたどり着けない。これが、どんなボリュームのお仕事であっても、見失ってはいけない指標である。が、時に自分自身のポテンシャルにない、経験値にない事が発生した場合、さらに、0スタートでモノゴトをリサーチできるチカラも必要である。さらにさらに、世の中はいつも同じ状態ではないから、その動向を自分の中にしっかりと未熟でも一片でもいいので認識できていなければいけない。この努力を怠るともう、経験値だけで、教科書通りのコミュニケーションになり、建設的なビジネスが成立しない。国家試験的な免許を取得して一生安泰っていうビジネスならある意味画一的な安心感はあるが、それはそれでオモシロクナイ。だから、この仕事をしているというヒラキナオリ感もある。つまり、何がどう変化しようが、何をどの角度から押し入られようとも、それをすべて受けられる柔軟んな時に強引な時に粘り強い心と身体と技が必要なことも現実である。自由自在に思考を変化させなばら、時流や潮流をリサーチし、自分のポテンシャルへフィードバックさせる力。えらい大義になってしまうが、これを最後の最後で「エンジョイ」っしている人たちがクリエイターだと思います。

 で、WEBデレクションとは?に対してはWEBサイトに関連するありとあらゆることに長け、自分自身でもWEBサイトはどうあるべきかを日夜考え、そして、それを苦もなくエンジョイしている人となる。

 これは、なかなかなかなか、専門の大学や学校を出た人には理解できないだろう。が、専門の学校で基礎知識やスキルを得ていない人も理解できないだろう。PCとソフトが使えて、名刺にデザイナーと印刷しただけではデザイナーになれない理由がそこにある。まして、WEBデザイナー・WEBデレクターも同意である。

デザインの制作時間について。

 非常によくある質問なのですが、「実際のところデザインを作成する時の時間って何か規準があるのですか?」「例えば、ロゴマークのデザインを作成する場合はどれぐらいの時間が標準的なのでしょう?」「WEBサイトの場合は最初の打ち合わせから完成・公開までは標準的にどれぐらい?」というお話をよくしていただくケースが多い。しかし、長年このデザイン・広告とWEBの仕事をしていますが、これぐらいのデザインならたぶんこれぐらいで仕上がるだろう・・・と最初から正確にデザインの完成形を出発地点の段階で予測できたことはほぼ0ケースです。仕事は小さい大きいなどとボリュームで測れないし、予算やイベントに対してのツールなどはそれらを逆算してスケジューリングするから、必然的に時間枠の中でクオリティーを最大限引き上げるアプローチになります。が、もし、フラットに上記の質問をされた場合はやはり、「予測不可能」という実感です。
 若い頃はあまりにも少ない経験値と引き出しの数とツール(道具)に対する不慣れ、引いては技術不足で、デザインという仕事スタイルを自分の中に取り込むことでオーバーヒートの連続でしたし、それが、歳を重ねる毎に妙な「なれあい」(自分自身に対して)モードに満足するようになりがちな時も多々ありましたが、それは、最後の最後でその「パターン化モード」を選択しない決断をするように努力してきたつもりです。しかし、どのような濃密なプロセスを経ても仕上がったデザインが100%自分もお客様も納得するということはこれまた100%あり得ない。若い頃は誰からも賞賛されるデザインを創りたいと心から願って試行錯誤して議論・協議した事もありましたが、これは、そこを目指すためのモノではなく、まずは、クライアント様が「何をどのようにどのような雰囲気で創りたい。」かだけを集中して消化するための胃液に変えようと思えた頃から、このデザインの仕事の面白さが味わえるようになったような気がします。ですから、このプロセスで「どれぐらいの時間?」が全く予測不可能ということは、至極当たり前のことなのです。最終的な仕上げとそのギア・ツールがどのようなビジネスにおける目標値を達成できるかという価値観と原材料費の兼ね合いで制作費用は算出可能ですが、こと「デザイン」となると、やはり、時間も品質もタイプも目的達成率も「予測不可能です。」が一番適正な解答になります。

Q.テンプレート・素材集は活用しますか?

A.はい、勿論、活用します。が解答です。
ですが、「鵜呑み」はしません。よくあるケースで言うなら、何か自社のイベントや商品の販売促進をかけたいというケースで、チラシを作る場合など、文字だけでは寂しいからクリップアートや写真素材集から適当にデザインイメージにマッチしたテンプレや素材を配置・流用してチラシ完成となるケース。これはこれで流れとしては淀みがないが、実は完成しているのは「チラシのようなモノ」でしかない。本末転倒とまでは言及できないが、最初からこのような流れでチラシの完成形をイメージしてそれをゴールとしてインクの無駄遣いをするならそれでそのプロジェクトは完全に完結しているが、冒頭のケースを考慮すると「自社の商品を販売するため」や「イベント魅力的に告知し集客を目的とする」という一番チラシを作る場合に必要なソフトの部分である「商品の魅力」や「イベントの魅力」がデザインで表現されていないに等しい。「企画→検討→制作→実行→反省→」ループが存在する以上、プリントアウトして配布したら終わりでないから、ひとつの流れとして捉えるなら無駄ではないが、さほど効果的でもない。実際に完成したチラシのデザインのクオリティーが低いのが主因ではなく、そのようなテンプレートの使い方や素材の適用の仕方・手法に問題がある。全てのグラフィックデザイナーが同じようなプロセスをルーティーンしているかといえばそうでもないと思うが、まずは、「チラシを作る」の背景にどのような材料があるのかを確認してそれをチラシという変数に適用し、プログラムを記述するように、イベントを決定し、コンパイル(書き出す)必要がるのに、「らしい」モノで満足する意識と作り方こそを検討する必要がある。
 で、「デザインする。」というのは、深く考えると深くなり、シャローに打ち込むと限りなくシャローになる。時に濁った水なら、シャローにも40アップはいるが、それはあくまでも出会い頭の事故的な確率となるために、必ずしもある一定の生産性とクオリティーを求めることは難しい。やはり、テンプレも素材もそれ自体の原型が不明になるぐらい、手は入れたい。あくまでも、手を入れることがデザインではなく、どこにどのような気持ちで手を入れるかと判断することがデザインであることは意識化に置きたいものです。この判断こそが言わば「デザイン」のキモなのかもしれませんから。

「一般的に」の解釈。

 どんな仕事でもよく打ち合わせやコミュニケーションしている際に出てくる便利な言葉「一般的に」について、あまり、深く分析することは、それこそ「一般的」に少ない。しかし、話題が「芸術」や「デザイン」や「WEB」や「クロスメディア」であった場合、また、スポーツや趣味や生活レベルの衣食住であっても常にいろいろな価値観が変動している時代だから、「自分の中の一般的」の軸をしっかりと持っていなければいけないと心がけています。
 例えば、年配の方が「一般的に印刷物というのは印刷枚数を増やせば単価が下がるから一枚あたりの価値が上がる。だからと言って無駄が出ないように枚数についてしっかりと吟味しなければいけない・・・。」と言われた場合、さて、まず、「印刷物」の定義の中にどの印刷形態を指しているのかが重要なポイントとなる。様々なニーズに向けて紙というメディアで情報を伝達する手法が印刷物に適用される価値観と言えるのですが、吟味する項目は枚数だけではない。枚数さえ検討すればそれを介して伝えようとする「情報」の内容やディテールがどうであれ、価値は同じとするのか、印刷枚数はひとつの規準で、内容やデザイン表現が劣る10万枚のチラシとターゲットを絞り込み、市場を吟味した企画情報を練りこみ、デザイン表現もブランド化を意識した上で、価値を高める工夫がされた1万枚のチラシと紙媒体としての価値はどちらが上だろう?まぁ、上か下かなどの規準を設定することは難しいが、同じ、100万円を適用して印刷物を作成する場合、同じコストで価値を高めるにはどのような方法があるのか?つまり、軸は複数存在するのに、過去の経験や「一般的」に守られた個人的なコンフォートゾーンで企画やデザインや印刷の仕様を吟味することはできない。この一般的が柔軟な方はやはり結果を出している視野が広く、見聞が広い方である。
 で、「今回な一般的な入札で」「この度の企画は一般的にデザインコンペで」という言葉に翻弄されている方もいる。この規準にはいくつか落とし穴があるのですが、実はそれもその方たちは予定調和だったりするから、「一般的」が実は「個人的」の意味だったりしてしまう。このような意識レベルの方には何も通じない。諦めて与えられた規準の中でモノゴトを進めるしか仕方ない。
 さらに、印刷物の管理をしている経理的な立場の方から、企画もデザインも印刷仕様も無視した「一般的な値段交渉」にはお互いの立場をわきまえた上で、ビジネスライクにコミュニケーションするのですが、同時にその方の存在意義までも意識しなければいけないケースもある。その方から例えば「一般的にデザインよりもやはりコストを重視で・・・」のような展開になった場合は、何をどこに規準を設定すればいいのか迷ってしまい、結果、適正値が見えないまま、混沌とした結果になる。そして、その軸で進められた企画やプロジェクトはやはり予定調和的な結果になり、絶対に副産物的な価値も創出しなければ、展開力・波及力・訴求力に欠ける仕事を世の中に出してしまう結果となることが多い。それはクリエイターとしてチカラもエネルギーもない私自身を叱咤する機会として捉えている。
 だから、何においてもどのタイミングでも自分の中にある「一般的な規準値」をモノヅクリとしてしっかりと持ち続けたいと思います。一番難しいですね、何においてもこの「一般的」という言葉は。

よくあるご質問#001

 よく、「毎日どんな仕事をしているんですか?」と質問されることがある。この大きな質問にいつも戸惑ってしまうのですが、なかなか短い言葉で表現できない。「企画やデザインや印刷やWEBなどです。」では到底伝わらない。これがレストランなら「フランス料理を創っています。」で伝わるのですが、「企画やデザインや印刷やWEBなど」では非常にくくりが大きすぎて「企画」ひとつにしても説明するには1時間ぐらいは必要になる。
 で、「毎日どんな仕事をしている?」に対しての答えのひとつとして「いろいろな情報を集めています。」ということが一番最初に伝えるようにしています。これまた細分化するとかなりの幅がある漠然とした答なのですが、デザインの仕事とはほんとにケースバイケースで、この法則でこのルールで進めていれば100点が確実にとれるということは皆無である。つまりなんらかのスタイル的なモノは存在してそれはデザインの歴史上セオリーのようなスタイルもあれば、その時代時代に人気のあるトレンドなスタイルもあるし、この世界で20年試行錯誤してきた自分なりのスタイルもある。これらが密接に関係し合いながら、過去・現在・未来の情報を集めている。というとかなり壮大な語感になりますが、そんなに大袈裟なことでもない。例えば、私がデザインを始めた頃ならば、ポスターを作るという作業は「どんなポスターにするのか?」「伝えたい商品の特徴は何か?」「この商品は誰に認知・理解してほしいのか?」「どのようなモチーフ(デザイン要素)を用いるのか?」「サイズは?」「印刷用紙は?」「印刷後の加工は?」「これはどのような場所に掲示されるのか?」などを考えてデザインを構想・着想する。スケッチブックにデザインのサムネイルやラフスケッチを描き完成形をイメージする。この作業は今でも代わりない。この20年間で変わったことは、ここからのプロセスである程度イメージが浮かんだらマウスとキーボードの作業になる。これがいい場合と悪い場合があるが、悪い場合が経験値としてない方はPCの中で試行錯誤が始まりエンドレスになる。作業中でも作業中のクリエイティブを見極める視点が少ないからである。とは言え、試行錯誤中に迷わないかと言えば迷いっぱなしである。この段階が言わば「デザイン」かもしれないと思います。ので、「毎日どんな仕事をしている?」に対する一番適切な解答は「よりいいデザインを創るために迷っている。」という作業をしています。
 だから、迷わないために情報を集めるのですが、そこでさらにサプライズな情報にヒットしてさらに迷うということも多々あり、本来求めていた情報は何だったかも忘れてしまうこともあります。新しい表現やデザインエレメントを発見した時は「ああ、この表現ええやん!」となり、これまでのデザイン上のセオリーや法則やルールがリセットされる。ここで一番重要なのが、その場面で自分自身が心から「リセットできるかできないか」なのです。デッサンで言うとモチーフを見て構図を決定してアウトラインを描き陰影をつけ立体感をつけていく作業中、「うん?ちょっとバランスが悪いなぁ~」「この立体感は違うなぁ~」「このフォルムはこの角度ではないなぁ~」と進行中のデッサンを観察して、「もう一度、やり直そう!」と、消しゴムで画面を真っ白に戻せるかという勇気なのです。1・2時間ド真剣に描いたデッサンをなかなか白紙に戻すのは勇気が必要ですが、これができる人とできな人の違いはやはり「見えているか見えていなか」なのです。理論ではないのです。この部分がデザインを創るという作業中に頻繁に発生するので、繊細でなければいけなですし、大胆でなければいけない。この幅があるかないかが何かを創るという作業にとても大切なような気がします。
 「毎日どんな仕事をしている?」の答えは以上のようなことを考えながら何かを創っています。で、ここの最後の最後のポイントは「楽しむ」ということです。これが難しいのですが、何かを創る時、それを楽しめていないと絶対に「いいデザイン」にはならないのです。
 次回は「好きなデザインは何ですか?」という質問もよくあるので、それについて書いてみます。

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