Webサイト概論 アーカイブ

結局、役に立つコンテンツ。

 いまやネット上には130兆ものページがあるらしい。利用者に見つけてもらうために検索結果で上位にヒットさせる必要があり、そのためのテクニックがSEO対策である。本来は利用者が目的の情報を見つけやすくするための技術なのだがそれを逆手にとった輩がいるのです。

 とにかく、エンジンの上位にヒットした情報が有益だという仕組みになってしまったのだ。エンジンが情報を精査するアルゴリズムに悪意はなく、本末転倒な状況ではあるが、世の中、特にネットの内側がそういう仕組みになっている以上、外側では何も打つ手がない。つまり、ネットの情報は結果、「そういうモノ」なのだ。今更、キーワードを乱用した情報や無断複製があるページの順位を下げたところで、悪意の根源は消えない。

 このような事件が生まれる度に専門家や関係者は「結局、役に立つコンテンツをつくることが重要なんです」的な弁でお茶を濁すが、まず、「乱用」と「無断複製」が生まれる根を絶たねば、悪意はネット上から消えなし、情報が「役に立つ」ベクトルで浄化されることもない。情報とは結果「そういうモノ」だと学習し、情報の裏にある真実や気骨の部分を見極める必要があるのだ。「役に立つ」という捉え方も、千差万別百花繚乱だから、どこまでもケースバイケースな状況にどのようにワンバイワンで対峙すればいいのか?「結局」ってどの座標を言っているのだろう?となる。ここもグリット次第。

 恐らく何をどう考えても悪意が人間の心から消えない以上、AIの中にも悪意が蔓延るだろうし、役に立ちたいと純粋に取り組んでいる人でさえ、世の中の情報から「悪意」が消えなければ、情報発信ツールとしてのネットに失望するだろう。想像の産物、かのゾンビでさえ死んでるはずなのに悪意が感じられる。人間とは結局、そういうモノなのだろう。

 大きな力と悪意は紙一重なのです。

 と言いつつも私の中にも「悪意」があるわけですから、できるだけ「善意」に頑張っていただき、「悪意」が致命的な失敗をしないように仲良く見守っていくしかないのである。

 正に「フォース共にあれ」なのである。
 

ネットビジネスの裏側。

ネットに溢れる「オイシイ」話はもうウンザリですよね?
本当の情報だけが欲しいのに・・・
本当に稼げる情報が知りたいのに・・・

という内容のメルマガが届いた。
 
 特筆するわけでもなく、この類は現代、塵のように空気中に漂っている。気になったのは、「ネットビジネスの成功の裏側に~」というフレーズ。「本当の情報」「本当に稼げる情報」というこの文体の組み合わせ方が、安易で軽率で短絡的なのは一旦棚に上げ、そもそも「情報」という言葉に対して私達はどれだけの多様な解釈をし、展開を想像しているのか?言い換えれば、どれだけ多様な解釈ができて、どれだけの有益な鉱脈としての展開プランを想像することができるのか?ということに意識が向きました。この程度のメールにいちいち食いつく価値はないにしても、それでも、一抹の期待、一粒の金脈があるかもしれないと期待することで、これらの塵が山になる可能性もあるのかなと。

 企画会議などでよくある陳腐なテーマを「スギノさん、クリエイターらしく膨らませてくださいよ!」という脈略のない期待・要望を受けるケースがよくあるが、枯れ木に花を咲かせるマジックがあれば、いくらでもさくらの花を咲かせ、そのさくらの木で薄をつくるのですが、テーマがどれだけ致命的に微弱であっても、確かにクリエイターなんだから、その一粒の粒子を二粒に、想像の世界で広げることぐらいしなければ、確かにクリエイターの価値はないのかなと感じる場面でもある。普通の人が一般的なアイディア力で構築したプランとは違う側面、違うゴール、違う成果を想像できるから、設計できるから、私達のようなビジネスが成立するわけで、過剰な飛躍であれ、荒唐無稽なルートであれ、誰もがドギモを抜くような成果を設計できる、そんなプランを「ちょっと会社に帰って調べてきます」ではなく、その場でその瞬間に放てるように日々のトレーニング、コンディションづくりを怠ってはいけないということ。

 もし、メルマガではなく、目の前に「ネットに溢れるオイシイ話はウンザリですよね」などいう奴がいれば、一番折れやすい尾骨の先を右からフックで折ればいいだけだが、このようにメルマガで一定の距離を置かれるとジャブさえ打てない。それをこのプランナーは利用してこちらが踏み込むのを待っているのでしょうね。戦略としてはとてもイマドキな有効打だと思います。

 つまり、この戦略がネットビジネスの裏側にあることを、プランナーはその裏テクに精通しているということをしっかり意識できていれば、どれだけ煽られてもこのリングに上がる必要も価値もないということが結論となる。ネットビジネスの裏側などこっそり教えていただく必要はないので、表側を正々堂々と言葉にできるようなテクニックを習得したいものです。そんな誠意あるコンディションづくりに取り組みたいと思います。とにかく、「裏」だとか「表」だとか言い出した瞬間に心のスイッチをオフにできるテクニック。だから、最近、テレビを見ていてAKBやエグザエルが出ると、オートマチックにこのスイッチがオフになる。政治論や教育論の戯言に対しても瞬間的にオフになります。これも日々のコンディションづくりの賜物である。このスイッチは重要な別の局面でオンにしなければならないのですから。

友達承認。

 最近、SNS上のトラブルで多いのが「友達承認」による相互の誤解が招くビジネス上のトラブルらしい。相互に友達承認している関係だから、軽率に「良かれ」と思って判断して進めたことが相手側の不本意を招き、友達関係が破綻しビジネス上の関係も破綻するパターン。SNS上の承認破棄程度なら軽症だが、ビジネス上の契約問題まで発展すると、ただの不本意では済まない。いったいどこで関係が成立しなくなったのだろうか?とトラブルになり相談をする人が一様に然るべき相談窓口で口にするらしい。いったいどこで?って、逆にどこでそんな情報交換できる関係だと判断したのだろう?のほうが相談を受ける側の言い分だろうと思うのだが、さて、この顛末はどこで定着するのだろう?チャッピーなら知っている???

 私自身、SNSを通じて知り合った方に対して、対面でお話した人意外は「友達承認」をしない。SNSの黎明期には海外の人とインターネットを通じて知り合い、お互いの情報交換をするために、SNSの構造・仕組み上の「MATE」には承認して高揚していたが、真の友達だとは捉えていなかった。当然、相手も同じだろうと捉えていたが、その関係性が少しづつ情報交換を継続して続けていく内に、やぶの中の蛇になるのだろう。そもそも冷静に考えてみれば分かることが、ネットの世界は全てが仮想空間だから、リアリティーに欠け、実証不可能な世界なことを忘れ、気がついたら勇んでいるのである。電子署名などとデジタルで一見有効そうな仕組みを展開し、16桁のIDで認証し合う仲になったところで、さて、それが「友達」かと聞かれればNOである。これは誰も冷静になれば同感だろう。しかし、ネットの空間はこの冷静さをも巧みにすり抜ける機能が非常に高く、気持ちが緩んだというわけではないのですが、無防備になりやすく警戒すればするほど、ガードが下がる構造になっている。まして、スマホ片手に「いいね!待ちアレルギー」が慢性化していると、ノーガードに近い状態になる。猫のパンチでもノックダウンするぐらい無防備になっているから「友達同士!?」のトラブルが多いのだろう。

 そもそも、何がどうあれ、簡単に関係が破綻するような友達は誰もつくらないだろうし、そんな関係で友達と軽率に定義する人はいない。私の場合、友達ってのは、肉親より深い関係で、後ろからわき腹をナイフで刺され、振り向くと友達だった。しかし、意識が薄れていく途中でも、「ああ、こいつは何か理由があって私を刺したのだろう・・・」と思って息絶える関係が友達だと捉えている。だから、逆に私が友達だと思い込んでいる人は要注意。

 つまり、「友達」にもそれぞれいろいろな条件があるでしょうが、まずもって、友達って「承認」する存在ではないし、お互い承認し合う「友達」ってのもギコチナイ。まだまだ、インターネットは進化・覚醒し続けているようで、この程度のボーダー(境界腺)もクリアはできていないということ。まったく、ノー・ボーダー・オンザ・ホライズンってことなのですね。

第5位。

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 「デザイン アクト」で検索すると、1ページ目の第5位にランクされました。21年前、この社名を考えた時、当然、「アクト」なんて名前は日本全国、無数にあるだろうと想定していましたし、デザイン関連でなくとも「アクト」って普通な印象でしたが、狙い的にはこの「普通」が一番強いと捉えていましたから、難解な意味不明のヨコ文字を並べたり、哲学的で感覚的な理屈先行のネーミングよりも、普通で氾濫しているけど、重要なことは個々の会社(個人)のポテンシャル次第なんだから、そういう時代が来るだろう、来てほしいと願って「普通なネーミング」をチョイスしました。それから21年、まだ、正解だったか否かは実感としてありませんが、「デザイン アクト」で検索結果が第5位ならばまずまずかなと捉えています。

 N,Y,に滞在していた頃(21年前)、通っていた大学のルームメイトがつけてくれた私の愛称「KHUZ(カズ)」もこうしてドメインで有効に作用しているわけですから、どんな些細なことでも、自分で決断して動いた軌跡は確実に残るということです。

ソーシャルネットワークのマナー。

 例の奇稿事件で企業や店舗はそれぞれにSNSに対するマナーづくりに動き始めたとニュースで言っていた。食品管理をしている冷蔵庫に寝転んだり、衛生上の問題になるような場所に不衛生な行為をしている写真などなど。モラルのお話だが、インタビューを受けている人達は嫌悪むき出しにそんな若者の行為を一括しているという構図。しかし、SNSを日本人特有のマナーづくりで制御はできない。法律を設定して罰則を適用してもこのモラルの欠如は割合の問題だからマナーブックを制作しただけで解消される問題ではない。企業に勤務する人達が職場条件や労働条件の不満やストレスをこのような行為で示す先をSNSの中に見つけてしまったのだから、端末を取り上げることしかできない。しかし、世の中はどんなに強力で管理側に有効なフィルタリングを施してもその網目は荒い。便宜上ということで体裁を整えるしか方法はない。最終的には個人のポテンシャルの問題だからだ。

 さて、そのSNSですが、便利だ魅力的だ最新だと言っているうちはいいが、本当のコミュニケーションはそこで起動はするだろうが、フォローアップもメンテナンスもできない。まして、炎上しトラブルがリアルになってきたらそれを喰いとめる技術は存在しない。だから「便利」なのだということを、スマホを売る人、アプリを開発する人、このデバイスで販促を展開する人達が、心得ておく必要があるのだろう。私自身は確かにSNSはいくつか起動したものの、活用術が見い出せずに保留している。日々、活発に更新している人の記事を読んで、「なるほどなるほど、この人も大変だなぁ~」と思う程度。唯一、このブログだけが続けられているのだが、最初の起動時はブログも「個人からの発信だ!」とモチベーションが高く、アクセス解析結果に一喜一憂していたが、先程の洞察の通り、フォローアップもメンテナンスもできないことに気づいてから、自分で読むためのメモとして活用している。気楽にいつでも管理画面に入り、思ったことや感じたことを綴るだけ。誰が見ているからと意識することはなくなった。つまり、純粋にWEB-LOGとして活用するだけになった。コメントも受け付けていないし、ただ、未来の自分に今の気持ちを文章化して送っているようなツールになった。でも、これが実は一番、ブログの効用だということに気がついた。それは、頭で思っていることを文章化するということは、一見整理しているようで、実は、クリエイトしているのである。この整理する力を文章力だと捉えて「ブログが書けない」と言っている人は「書けない」のではなく、「書く気持ちがない」のである。逆に起こったことだけを記述しているタイプは書く気持ちはあるのだが、クリエイトができていないのだ。ラーメンの写真を掲載して「美味しい!」はカラスの「カァ~!」と同じである。すると、そのラーメンの写真をSNSの中で発見した人が「カァ~!」と鳴く。そして、それが連鎖してSNSの中はカラスだらけ。カラスの「カァ~!」の方が意味があるんじゃないかと思えるほどSNSにはカラスの鳴き声で飽和している。と書いたが、決してカラスを馬鹿にしている訳ではないし、「カァ~!」に価値がないとは言ってはいない。カラスの「カァ~!」にはしっかりルールとマナーがあるが、人間の「カァ~!」はアーカイブには適していないということ。

 SNSのマナーがある人はどんな状況・条件でもマナーとモラルがある人で、日常生活でも欠けている人、微弱な人は、SNSでも見事に同期している。ただ、アーカイブされるから露呈したということ。この仕組みは誰も多かれ少なかれ気づいているはずなのに、表出しなければ反応できないということで、ここが一番のキモなのだ。ブログやSNSの画面に一文字でも入力することが表出の第一歩であり、そこにどのような意図や狙いがあったのかを自分のモラルに照合して書いているかということから、書かれた情報の本質を多面的にどのように波及させたいのかの狙いの有無にマナーの核の部分が潜んでいる。

 PC世代が、スマホやタブレットを手に入れ、数多の価値をひとつの画面と指一本で教授できる世界が人間の内部にどのようにアクセスして何を得させる仕組みなのか?を考える時期・段階に来ているのだろう。ということを考えると、「書籍」「雑誌」「コミックス」という情報伝達方法が持っている機能は非常に人間的だと言える。情報や文章化された価値が紙の中に編集されクリエイトされた本という存在は、デジタルコンテンツと比較すると優劣があるだろうが、その「劣」の部分が実は「優」だったと学習する未来が近いうちに来るような気がする。この振幅は明らかなに進化・進歩だと捉えたいから、SNSやインタネットコンテンツに期待もするが、過剰な期待はしていない。

 意識してつく「うそ」はクリエイティブで無意識の「うそ」は罪だという言葉をある専門家が言っていた。「うそも方便」「うそこそがクリエティブ」「騙すより騙される方がいい」などと便宜上の切り口は色々存在するが、言ってしまえば、全てが「うそ」なので。嘘をもっと正確に認識するスキルが必要。見破るとか人格に結び付けて評価・判断・洞察するのではなく、酸素のように「嘘」と仲良くすること。モナリザだって実在したかどうか・・・なわけだし、あの人類の歴史上、価値がある「嘘」のひとつだと言える。だから、「この世は嘘だらけだ!」と悲観し世界の中心で叫んでいるぐらいなら、自分の中にある「真実」を共有できる誰かと共に「真実」を高めあいたいと考えてしまいますね。

たったひとつの真実。

 検索エンジンに対してSEO対策と逆SEO対策というのがある、これはそもそも上位にヒットさせることでヒット数をあげより多くのユーザーにWEBサイトに訪問していただく手法で、それに対して、昨今の風評被害に対してダミーページを作成して上位にヒットさせないテクニックのことを逆SEO対策と言う。この流れに対してグーグルのエンジンは価値のないと判断させるダミーページをヒットさせないアルゴリズムを開発してブラッシュアップしているということなのです。う~ん、天下の検索エンジンがこの状態に追い込まれるってことはよほどのいたちごっこだ。ここにどんな真実が潜んでいるのだろう。

 また、SNSについても盛り上がっていることには間違いないが、個人情報の規定や文章のルールなどがより厳しくなり制限されるフレーズや言葉のチョイスが限定される方向だ。本来の自由な書き込みが人気のSNSやパーソナルブログの利点が裏目になる構造。ということは、ルールや法則を無視しては何も書けないということになり、自由な表現は失われていく。自由に書けないなのならこの中に充満しているテキストや画像はどのような価値として捉えればいいのか。SNSやブログの中にある価値を探すのは至難の技。ここも逆にこの中には実は価値などなく、すべて本体に対する真実に対するダミーだと捉えてSNSやブログやWEBサイトに対してその中にあるたったひとつの真実を見極める目力がユーザーに求められているということになるのではないか。

 さらに、例えば、ネットを検索してより安価な商品を探そうとする。英語版は販売のシステムが充分に理解できないから日本語圏内の検索に落ち着くが、それでも、ひとつのキーワードを叩けば、有名無名のオンランショップがヒットして一般的な小売価格帯を上限に探せば探すほど商品の価格は下がっていく。価格だけを検証したいのなら、中古価格帯から趣味で奉仕している価格帯まで検索を始めると、上限であるメーカー小売希望価格がいつのまにか限りなく「0円」に近い数字に下がっていく。検索すればするほど目的の「安価な価格」には辿りつくのだが、さて、本来、その商品にある価格帯の貨幣価値を感じて買おうと決めていたモチベーションが検索すればするほど0円になってくと、その商品に対する興味も激減してく感覚はなんだろう?検索している途中に商品に対する価値判断が変化していくような感覚。検索すればするほど興味が減っていく。合わせて、安価な表示をさせているサイトに対する信頼感も有名サイトから無名サイトに切り替わるとこの「信頼度」も崩れていく。つまり、ネット検索をすればするほど、そもそも持っていた商品に対する「価値」も「期待値」も「販売主への信頼度」も下がる結果になる。この逆はない。ならば、自分の感じている貨幣価値で商品を購入する方が正当だと言えないだろうか。より安いを探究する意欲が商品の価値を結果下げているとしたらこのネットの仕組みはいかなものか。

 この仕組み自体はそもそも価値をフラット化するために均整化するためにというデベロッパー達の意思があったと信じて疑わなかったが、実はたったひとつの真実は「価値の崩壊」だったとしたら非常に恐ろしいことである。確かに、国内外の全ての人間関係がこのネットの仕組みで友好になったという割合は50%には達していないだろう。友好が生まれれば反感が同時に生まれる心の構造をネットテクノロジーはケアしてくれないということ。この部分、これからビジネスに学業にライフスタイルにネットを活用する世代にどのように伝授していくべきかと考えています。これも前の世代を生きてきた人間の責任なのかなと・・・。

グーグルの試行錯誤。

 グーグルがプログラムの毎日改善をしていて、それは「ペンギンアップデート」と呼ばれているらしい。検索に関連する200以上の改訂項目が含まれる。ブログとの無関係化や逆SEO対策に対する根本的な対策だ。ネットの中の法律と規範を担うという大仕事になるのでしょう。また、サイトの適正な作り方についてもいくつか示唆をしてネット市場のクリア化を目指すということになるのでしょう。

 何故、こうも言葉には裏が存在するのだろう。誠意を尽くしている言葉に深層心理が隠れている。気がつていいるいないに関係なくクローラーは画一的な結果を排出してネット市場に優劣を排出する仕組みが混沌から抜け出すことはないだろう。規範を担うことになれば優位性を持つのは善意よりも悪意の方が勝ってしまうように感じてしまう。結局、人間が創り出し人間が使う万象のシステムには2面性があり、2面性があるから万象の均整が維持できているとも考えられる。

 グーグルがやろうとしてきたこと、やろうとしていることはその仕組みが複雑になればなるほど、2面性を明確にしてしまうような気がします。しかし、このままでも検索機能の不信が消えないなら、ペンギンアップデートは企業としてマストな取り組みとなる。

 私達はグーグルの真意をメディアの中の言語情報でしか知る術がないのだから、ただただ期待することしかできない。過剰な期待は真理を隠蔽させる作用もある。早く自分のフラットでニュートラルなグランドラインを見つけなければ。

O2O

 Online to Offlineの時代がやって来たらしい。てっきりOne to Oneのことかと思いきや、時代の変化は相変わらず目まぐるしい。しかし、こうして何かが提唱され一般メディアに反映される頃、すでに、次の展開が最先端の現場では新しい源泉として湧き上がり、その基本的構造は産声を上げているのだろう。結局、食物連鎖や輪廻転生のように巡回・回遊しているのだろうけれど、その回遊速度が速すぎて基礎体力がないと振り落とされてしまう。つまり、この危機感をどう消化して栄養に変換させるのかという胃液の力が試されているのです。気圧や気温や酸素量をしっかり体感できないと思考も行動も止まってしまうのです。こうして新しいフレーズを新聞や書籍で発見する度に冷たい汗が出る。その昔、原始の人達が夜な夜な洞窟で身を寄せ合いながら聞いた猛獣の声に似ている。

なんでこうなるのか?

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 なんでこういうことになってしまうのだろうか?ほんと実感として悪すぎるぞIE!老兵は最前線では戦えないという白旗宣言なのだろうか。ネスケと同じ道を辿るのでしょうね・・・、残念。

印象的なトップページ。

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 特筆したデザインではなのですが、どこか印象的なトップページです。なんとなく、ナチュラルに天然にスマートに雰囲気を醸し出すって実は一番難しい。文章も同じで、角を立てるのも論理で押し切ろうとすることも量的な戦略もこの「ロギア系」には勝てない不思議。

仮説。

 ビックデータの中にないデータはないと言い切れるのか切れないのか?という疑問がふと頭に浮かんだ。ここまで!というモラルのリミッターが人間には自然に作用しているから、なんでもかんでも情報がネットの中にクラウドの中にあると思ったら大間違いじゃない!というB.Q.映画の世界ならCIAが国民の個人情報を日々チェックして衛星を使って地球上の全てを監視していると啓蒙されれば、「ああ、そういうこともあるんだ・・・」的なテンションでいい人はいい。しかし、実際の話、リアルな話、サイバーテロの技術力はどこまで高いのか?それがどのように機能してどの程度、人類の日常生活に利益をもたらし被害をもたらしているのか?という一見SFチックな疑問がある。このブログの記事でさえ、強力なエンジンがサーバをチェックしているわけだから、ブラックリストに載るか載らないか誰も判断つかないだろう。仮に在る日突然ブログが書けなくなりネットにアクセスできなくなったらどうする?仮説が仮説を生みどこまでも規制を強いられればネットの中で孤立を余儀なくされるだろう。まぁ、この程度の記事なら何も危険因子は含まないからと判断されて・・・と思いきや、いつか警告が来るまでもなく、サーバからブログが消えているということも可能性として0%ではない。

 全人類は16ケタの数字で管理できる・・・という小説があったが、この結末も結果、入口でシャットダウンみたいなオチだった。そこまでしか踏み込まないのか・・・と思ったが、恐らく、ここから先はいわゆる一線なのかなと想像しながらその小説を終えた。ということを事例にしても、さてほんとのギリギリはどこにあるのか?できることならその線のところまで行きたいものですね。まぁ、平和にこの日本で生活している以上、その線など一生お目にかかることはないだろうが、そのデッドゾーンを想像してフィクションを創造することはできる。あくまでも創造。だが、この「創造」という行為ほどやっかいで楽しい行為はない。それが幻想であれ妄想であれ、創造は人間に与えられた唯一の「自由」だと思うと、これを奪われた世界は想像できない。奪われる奪われない如何に関係なく、命が奪われたらそこでFINなのだから、そこまでどこまでリミッターに迫れるか・・・を楽しくイメージしてきたいですね。それが出来るってことがいわばひとつの平和の指針かもしれないですし・・・。

ACT

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 趣味!?でいろいろな場所に落ちていた「クギ」や「ネジ」を集めている。理由は明確ではない。いつもの「なんとなく」が作用している。何らかの理由で利用価値を失ったこの何かと何かを繋ぎ合わせるパーツが捻じれて錆つき地面に落ちているのを拾い上げるというサイン。それが、さらに「なんとなく」リアルを感じている。この場合も「何のリアル?」と聞かれても明確な解答はない。

 そして、それで「A」「C」「T」と並べると、「ACT」になる。これがデザイン思考のリアル。と、そんな大袈裟な!ぐらいの流れでしたが、これがいわゆるクリエティブのコアの部分のように思います。身近な空間の中にも移動先の場所にもいろいろな物があふれてて、それられはすでに繋ぎ合わさってたり、まだ、接続されていないパーツであったり、何かの理由で朽ちかけていたり。すべてが時間軸の中で微妙に交錯しているのが世界なのであると。えらい大袈裟な世界観のふろしきを広げてしまったが、これぐらいの広さの風呂敷でないと、すぐにいっぱいになるのが欲望と気まぐれ。

 時には全て包むことも大切であり、要らないモノは捨てる必要もある。そんな取捨選択を繰り返して今現在自分自身のふろしきの中には何があるか?ここから次の思考パターンを構築しなければ、光彩に映り網膜に入って来る光の信号・情報だけで自分自身の仮想空間にオブジェクトを構築させることはちょっと危険信号。外因的な要素と内因的な要素の相関性から全ては成立しているとして、どちかに比率が偏ってもどこかで必ず偏重を来すはず。

 もし、この錆びた釘とねじが「えんどう豆」と「ししとう」ならば、また、別の感情が生まれたことだろうから・・・。うんうん、これもなかなかの原稿になりそうなので、このあたりの寸止めで終わります。

ツイッターの仕組み。

 なるほどね。フォローが2000を超えたら、フォロワーの1.1倍以内がフォロー数なのか。いろいろ考えてありますね。素晴らしいですツイッター。フラクタルな仕組みのシステムです。SNSでは一番好きな仕組みですね。シンプル is BEST。ややこいのはキライ。

中毒にご注意か・・・。

「facebookは最初の踏ん張りがとても大切です。

その踏ん張りどころで力を抜くと、継続できないです。

ただ、ある一定のfacebook友達が増えると、

「いいね!」や「メッセージ」を貰うのがうれしくなり、
簡単に継続できると思います。

しかしご注意いただきたいのは、「facebook中毒」です。

facebook中毒とは、以下のような傾向のようです。
(「gooリサーチ」調べ)

1位:投稿してすぐに「いいね!」が付くかどうかを気にしている
2位:出先でもすぐに携帯から確認してしまう
3位:投稿した後周りからのリアクションがないと悲しくなる
4位:遊びに出かけた際に「いいね!」が付きそうな写真を撮ろうと頑張る
5位:気になる人のページを常にチェックしている

ドキッとした方いませんか?」


 というメルマガ到着した。結局、これだけ注目されている旬なツールだから貴方の活用術次第でプライベイトでもビジネスの現場でも活用しなければ・・・という啓蒙の書である。さて、この短い文脈の中にいくつ真価が潜んでいるだろう。この文脈を書き出した人のポテンシャルはどこが軸だ?それで、このボキャブラリーはパラレルにはどう解釈するべきか?で、真理・真価は?文節を分解するとういことは、壁に貼ったピンを糸で繋ぐような作業だとある作家が言っていたし、言語の仕組みは文化そのものだから、設計図として俯瞰するとあらゆる相関関係が見えて来るらしい。時に立体的に時にレイヤーを設定して文章を分解して設計図にレシピ状態にリバースすると真価が見えてくるらしい。

 で、どこにフォーカスするかとなると、恐らく「ある一定のfacebook友達」の部分だろう。これが、このライターの言いたいことである。例えば「中毒」の定義・語感をどう想定するかなんて不可能だし、まして「ドキッと」などどうにでもなる。だから、「ある一定のfacebook友達」からこの文脈を分解すると、これ以外の物語が見えてくるとか見えてこないとか。

 さてさて、「ある一定のfacebook友達」は何だ?文字通りのこと以上・以下でもないだろうが、そもそも、「いいね!」とは「like」だそうがだが、「好き」と翻訳すると「いいね!」ではなくなる。そもそもこの小さな誤差が「ある一定のfacebook友達」にまでになると、想像以上の格差になっているはず。このことを、世俗的に科学的にデジタルコンテンツ的に洞察・分析すると、さて、これがどうビジネスツールになるのか・・・となってしまわないか?しかし、そんなことは時代の旬、四の五の言わず活用しながら考えればいいと1500万人が活用しているらしい。

 ここの部分を指して「中毒にご注意ください。」が適正のような気がします。毒か薬か?タッチパネルで何をどう匙加減すれば適正な処方箋が見つかるのだろう?実に実に不思議なコミュニケーションルートです。100年後、このビックデータを小学生達は閲覧して文明開化のビープ音を聞くことだろう。

ツイッターウェジット

Sure!

 「「利益を出し続けるのが、最初のゴールです。」と。趣味のホームページなら見栄えのいいものができれば完成です。しかし、利益を出すホームページを作る場合はそうはいきません。ホームページにやってもうら目的があるはずです。その目的とは業種によってさまざまでしょうが、突き詰めると「できるだけ多くの人にある情報を伝えて、閲覧者にこちらの意図する行動を起こしてもらうこと。」に行き着きます。その目標達成が最重要事項のはずです。

 例えば、雑貨屋:魅力的な雑貨の情報を伝えて→購入してもらう。コンサルタント:専門分野を伝えて→電話をかけてきてもらう。情報商材販売:それによって得られる未来を伝えて→ダウンロードしてもらう。レストラン:自慢のメニューや場所を伝えて→来店してもらう。

 ホームページで情報を提供することによって、訪問者の心を動かし、こちらが意図した行動に結びつけること。これが商用のホームページの目的です。この行動を起こしてもらうまでの効果的な手法は、すでにマーケッターの間で研究され、すでに体系化されています。そして商用ホームページ作成のプロは、必ずこの法則を頭に入れてホームページを作っています。ところが、初めてホームページを作る方の多くに「見栄えのいいホームページがあれば、お客様が行動を起こしてくれる。」という、大変甘い考えがあるようです。そして、作成自体に熱心になり過ぎて、いつの間にか目的とゴールが、かっこいいホームページを作ることになっているのです。

 ホームページを完成することはゴールではありません。むしろスタートであり、種を手にした段階に過ぎません。ここからどう育てるか。腐らせるも次々と花を咲かせるも管理者次第です。ホームページは生き物です。手間暇をかけ、情熱を注ぎ込むほどに結果が出てきます。」

 ある書籍からの抜粋ですが、なかなか、これほどスラスラとモノゴトは進まないが、ポイントは「手間暇をかけて育成するモノ」だということ。「種」という表現は非常に多面的な捉え方ができるし、ホームページを創ることを仕事としてさせていただいている以上、お客様オリジナルの「種」を創っているという意識と、完成後も一緒に育てることを意識下に置かなければいけない。しかし、こちらがなんとか「種」を用意して創造しようとしても、その「種」がなんらかの理由で「欲しい種」でない場合もある。だから、デザインという仕事の大切なポイントである、「どんな種が欲しいのか?」「どんな育て方をしようと構想しているのか?」「どんな花を咲かせたいのか?」をしっかり聞かせていただく必要がある。実はこの作業が一番時間が必要でエネルギーが必要な部分です。ここで「種」を間違えると「芽」がでない。

 で、この書籍の著者が言う通り、相手は「生き物」だということを肝に銘じて対峙することで、柔軟に甲殻にマクロにミクロに取り組むぞ的なモチベーションが明確になります。自由自在に価値が変容するだけに、創り方を任された責任をしっかり受け止めなければ・・・なのです。

 この部分、楽しくもあり、難しくもあり難しくもあり難しくもあり。

ビックデータの活用術!?

 「欧州最大規模のゲーム企業の1社である英国King.comは、「Cloudera's Distribution including Apache Hadoop(CDH)」を導入した。オンラインでゲームをするユーザーに対する理解を深めて、売り上げを伸ばすことを目的としている。

 4,000万人以上の登録プレーヤーを擁するKing.comは、オンラインとモバイル・デバイス経由でゲームを提供しており、トラフィックの半分以上をFacebook経由で獲得している。

 同社のデータ・ウェアハウジング担当ディレクターであるマッツ-マッツ・エリクソン(Mats-Mats Eriksson)氏はComputerworld英国版に対して、オンラインでの成功にはアナリティクスが極めて重要だと述べた。

 エリクソン氏は、「アナリティクスはKing.comが今日の規模に成長できた要因の1つである。われわれが事業を展開する空間、つまりオンラインゲームの世界では、プレーヤーについてできる限り多くのことを知り、すべてを最適化することが極めて重要だ」と述べる。

 「ユーザーの行動を見るだけでも、非常に多くの情報を得ることができる。その後、そうした情報を利用して、より良いゲームやさらに収益化に優れた機能を開発することが可能だ。われわれは最終的にはこれを利益につなげたいと考えている」...」というオンラインの記事から、ビックデータに関するひとつの極一部の側面が見えてくる。

 膨大な国家・企業・個人の情報がデジタルデータの状態で加速度的に蓄積している状態からのそのデータの活用術は?ということだが、そもそも、蓄積したことそれだけで、満足している場合もあるだろうし、活用術って実際???みたいな。

 あと100年ほどすれば、サーバの下層に埋もれた化石のような情報がダイヤモンドのような価値を放つとか放たないとか・・・。電気がなくなり・・・みたいなSFチックな未来とこのまま可もなく不可もなくで進化すれば、いつか、ビックデータは酸素に近い存在になるんじゃないかな。しかし、ゲームのパワーユーザーとビックデータの関係を繋ぐデバイスは形態的には次はどんな形状になるのでしょう?フォルム的にはまだまだぎこちないはず。人間工学的なアプローチがバーチャルな世界とどのように融合し、融合した上で、本能はそれらをどう捉えるのか?知覚とバーチャルの定義が変わるかも・・・。

マスタースイッチ。

 「インターネットを支配しようとしいるのは誰か?ネットの自由を守ろうという議論が米国で話題となった。いわゆる「ネットワークの中立性」の問題だ。本書はそのきっかけをつくった米コロンビア大教授が書いた米情報通信企業の栄枯盛衰物語である。米国は情報通信分野における「正しい独裁者(マスタースイッチ)」の姿を模索してきた。電信時代のウエスタンユニオン、電話時代のAT&A、映画時代のハリウッド、パソコン時代のマイクロソフト、ネット時代のアップルやグーグルなどだ。情報通信産業が他産業と異なるのは「ネットワーク外部性」が働く点だ。すなわち利用者が多いほど価値が高まり、独占状態を生みやすい。そうした独占企業が自分の地位を守ろうと新技術や新興勢力を退ける傾向があるという。これに対し著者が提案するのが「分離の法則」と呼ぶある種の規制だ。本来であればイノベーションが独占状態を崩すはずだが、現実はなかなかそうはならない。だとすれば、新陳代謝を促すためのルールづくりが必要だと説く。台湾生まれの日本人を父に持つ著者は日本にも関心が強く、イノベーションが起きにくいのは独占を容認する風土があるからだと指摘する。日本復活のヒントを探るには、米国企業の栄枯盛衰を学ぶことも重要というわけである。飛鳥新社より2,500円」という書籍があるらしい。なかなか逞しい著者である。そこは確かにデリケートでありストロングな部分ですから、ここでも放つ人と受ける人の構図上、「風土」や「慣習」が深く関係しているし、「学ぶ」ことが「受け身」なのか「能動」なのかという国民性でインターネットの自由性はどちらにでも転ぶはず。

 また、栄枯盛衰の物語タッチで言うならば、混沌とし過ぎて現在はフレームが崩れはじめているような印象があり、その歪みや捻じれや解れている部分に上手くインターネットのピースがはまったと捉えがちだが、実は、そのスイッチは誰かが持っているということ。そのスイッチをたぶん恐らく日本人やアジアの人が持つことはないような気がする。これも、「風土と慣習の歴史」で答は導けるだろう。

 とにかく、人間はモノリスが好きだ。やもするとキリストよりも信じている人が多いはず。それを現在のマスタースイッチの保有者は熟知してモノリスのコピーを分け与え給わっているのだろう。石の矢で立ち向かうのか業火で立ち向かうのか勇気と知恵で立ち向かうのか時代時代の栄枯盛衰物語の主人公は勝負の時を待っている・・・みたいなことなのかな。恐らくラーソンはリスベットでそれを描きたかったのかもしれない。

伸び盛りのWEB系・・・か。

 「伸び盛りのWeb系/クリエイティブ系企業でスキルを磨こう!」というメルマガが到着した。とても本文を読む気持ちにはなれないが、世の中的にWEB系やクリエティブ系はいわゆる「伸び盛り系」と言っちゃってもいい面もある・・・ということは理解できた。さて、この「WEB系」と「クリエティブ系」についてですが、他に数多ある「~系」と比較してこの分野はどういう意味において「伸び盛り~」なのだろう?このテイでスキルを磨くということは実際現場の仕事をしながら感性や知識や技術を磨くことで、いい仕事人になれますよ的なことだろう。確かにこの世界だけは免許や認定証がない。なんとか試験もなければ、なんとか検定なんてテイで一生懸命取得しました。頑張って挑戦してその知識を得ましたという国なりとある機関の免許皆伝を頂いても、さて、現場で仕事はどれだけあるのか???となる。医療事務なんて一番人気らしいが、そもそもポテンシャルも資質もない人間がこのアプローチをして、少しでも時給を、パートや派遣から正社員へというルートを構築したいと考えてのお話。そもそも派遣会社に何がある?という仮説から経済活動のそれが伸び盛りにシンクロできるのか?となると、はなはだ疑問である。という意味に置いて確かにこの「WEB系」と「クリエティブ系」はなんの保証もない。安定感など無縁の世界。現場でしかスキルやセンスを磨くことはできないから、仕事をしながらポテンシャルを高めましょう!というメッセージなのだろう。

 で、この「WEB系」と「クリエティブ系」のスキルってどんな仕事をするか、どの部分にどのように関わるかでそのスキルやノウハウは大きく異なる。広くやればいいってものでもないし、一点に集中すればいいというテイでもない。時にマクロに時にミクロに捉えなければ絶対に世の中のの「伸び盛り」の恩恵はない。覚悟があるならダイブすればいいが、想定外の障壁ありきと捉え、傷だらけになっても前に出る覚悟があれば、恐らく「伸び盛り」にシンクロできるだろう。

ユーザビリティの極意とは。

 「WEBにまつわる技術の進化はとどまることを知りません。また、技術の進化に伴い、WEB環境はますます多様化し、それに比例してユーザーの在り方も複雑化しています。子どもからお年寄りまで様々なユーザーが想定され、さらに、携帯電話、ネットブック、ゲーム機やiPhoneなど、様々な機器が想定される中、少しでも多くの人にとって使いやすく、情報がしっかりと伝わるサイトであるために、WEBデザイナーは常に親切なナビゲーターとしてインターネット越しの見えないユーザーをもてなすことを考えなくてはいけません。サイトの種類によってその目的や効果は異なりますが、ユーザーに快適にサイトを閲覧してもらうという点においては、すべてのサイトが果たすべき責任は共通しています。大切なのは、作り手とユーザーの間にある距離を縮めることです。WEBデザイナーがユーザーの顔を見ることができないと同様に、ユーザーも作り手の顔を見ることができません。そのような状況の中でよりよいコミニュニケーションを築き上げ、サイトが双方にとって有益なツールとして働くために、WEBデザイナー一人ひとりがユーザーの立場になってユーザビリティの向上に努めることが求められているのです。本書では実践的なノウハウから概念的な話まで、様々な角度から総合的にWEBユーザビリティーを考察しました。また、サイトの種類によって異なるユーザー層を分析し、それぞれの特性にあったユーザビリティを紹介しています。本書の内容は技術進化の過程における一過性のものと、人間の行動パターンや心理を反映した普遍的なものとに大別されるでしょう。常に変化し続けるITの世界においては、そのどちらも疎かにはできません。本書を手にしてくださった、WEBサイトの作り手として皆さんにとって、時に実用書として、また時にある種の思想書として、本書が有効に機能してくれることを願うばかりです。2009年11月 著者代表 阿部研二」とこの書籍のはじめには締めくくられている。

 う~ん、素晴らしい。「そんなことは分かっている」「そのレベルのことは十分知識として知っていますよ」という気持ちはこのような洞察に対して常々あるが、改めてそれらをつなぎ合わせるためには基本的な構造をコンパクトにまとめた書籍が最も有効に機能する。まして、ユーザビリティのように日々進化変化する技術やセンスに対して氾濫する情報から最適な構造を洞察するには安定した基軸が必要である。そういう意味で「書籍」という存在は何にも代用不可能な存在価値がある。「そんなのネットをリサーチすればいくらでも書いてあるよ」という心理はどこかで沸々とあるものの、論理や概念を整理するためには一旦書籍というテイで時間を止める必要がある。サーバから送られる情報は常に新しいが動きが読めないばかりではなく、動きに翻弄される場合がある。この「新しい」という基準も実際リアルに考察する時、いかなものかと疑問が浮かぶ。この著者が「ユーザーと作り手の距離」のことをこの文脈の中で語っておられたが、まさにこの部分が実はキモ。情報網で世界は小さくなったと言われるが小さくなったと思いたいだけで、小さくなったという仮説が実は都合のいいユーザーだけの価値観のように思える。実際の距離とネットの中の距離感を実のところでしっかりと見極めないと価値観も情報の本質も混乱することになる。それを繋ぐ媒体としてのWEBサイトだから、作り手がそれらのことを概念や理論だけで展開してもそれは決して距離を縮めることにはならず、仮想の概念の中だけで完結しているような微弱な戦略になってしまうのだろう。

 実際、この距離感の部分、近くなったことで遠くなったモノもあるだろうし、どれだけネット社会が進化しても距離感が全く変化しないモノもあるだろう。時間の概念やそれぞの地域がもつポテンシャルをただ回線とデバイスで繋げているだけで「近くなった」と誤解・誤認したいだけの先入観がいったいビジネスや文化や慣習にどれだけの影響を与えているか???そのあたりを吟味し出すと実は、「言語的なアプローチと非言語的なアプローチの分化」に辿り着くように考えてる。

 で、時には隔離する挑戦も必要。お互いが引き合う関係になれば適正な作用と反作用が起こるはず。そこを微妙に視覚的に言語的にマルチメディア的に消化してオブジェクトとしてコンテンツとしてメッセージを具現化するに最近のデバイスは有効だと考えると、人間の脳はもしかすると退化することを選択しているのかもしれない。まぁ、これも変容という立場でじっくりと見守っていかなければならないのだろう。

 たかがユーザビリティ、されどユーザビリティなのである。

専門家のためのWEBセミナーか・・・。

 「説明会では、最新のWebマーケティングの動向や、ユーザーの専門家に対するイメージ調査の結果等について解説をさせていただきます。集客やSEO、自社ブランディングなど、Webの活用について悩まれている方に参考にしていただける内容かと存じますので、ぜひ、お気軽にご参加ください。」というメルマガを頂いた。いいないいな都会ではこんなセミナーがそこかしこで開催されているのだろう。長浜だとどうあがいても「パソコン教室」に「インターネット始めませんか?」レベルのセミナーしかやっていない。これもニーズと密度の違いだからいたしかたなし。これが都市圏と地方の現実なんだろう。辛い。

 特に「専門家のための・・・」ということは、かなりの専門家が講師であるはず。セミナーに一回参加してあとは個別にご指導など願えたらもう最高だろう。いろいろなネットサービスやその手のテキスト本や専門誌は出ているが、どれも、ガチでとなると物足りない。やはり、専門家とダイレクトに同じ時間を共有したいと願う人は多いはずだから、これ、結局、そういうニーズの人口密度に比例してセミナーが開催されるっていう構図だろう。ニーズが少ない場所での主催者側の費用対効果を考えれば当然。パソコン起動してブラウザの説明をするだけで1日が終わってしまうセミナーと具体的なガチの運営術や戦略を専門家から聞けるセミナーとでは雲泥の差。

 ニーズは掘り起こせばあるだろうが、確固たる数値か事例に現れないとそういう起案に至らないのだろう。昨今のWEB戦略を考察するとその仕組みや構造は非常に深く広く高くなっている。どのレンジをどのように切り取り一定の時間で消化するかという部分でも、そのレンジを限定できるとセミナーの発信側も絞り込めるということだろう。一般的な事をお話するだけなら、セミナーを開催する必要はないが、専門的過ぎると参加者が限定されるのだろう。

 仮に長浜でそんなセミナーを開催するとしたら、どのレンジだろう???

レスポンスの鮮度。

 ネット内のコミュニケーション、デジタルツールを活用したコミュニケーションの利点は「早さ」と「保管性」である。保管性とは時系列にもカテゴリー別にでも瞬時に膨大なデータを精査確認でき視覚化することができる。全てデータがテキスト言語で制御されているからだろうし、言語と非言語のコミュニケーションに置いて言語化された情報の認知性こそが本丸。ニーズに伴って保管性は2乗にも3乗にもまして比例し進化・拡張しているのだから。たかが16ケタのIDで管理できる個体数レベルからアウトプットされるテキストデータなどどうにでもなる。クラウドは実際雲ではないが、それこそ、宇宙空間に巨大なサーバが浮遊しそこを介してコミュニケーションするようになれば、時代性さえ仮想の中で成立するのではないか。そこに記録されたデータのみがリアリティーの代償となり、それありきになると、時間の経過を何で知ればいいのかとなる。

 では、「早さ」というう点ではどうだろう?つまり、質問に対する答を返す早さである。上記のように、サーバに一旦記録が保持された時、その時間が一見刻印されているように思えるし、サーバだからタイマーが付いているがこれは言わば絶対時間ではない。相対の時間経過であり、人間が本来の自転や公転の影響やDNAで維持管理してきた体内の時間とは少し異なる。衛星からの信号で絶対に狂わないデジタル時計とかあるが、あれは、狂わないではなく、狂えないのである。しかし、人間の感覚の中にある時間の経過に対する意識・感覚とは数値ではない。ハエにはハエの時間があるように、ゾウにはゾウの時間があるように人間には人間本来の時間の感覚がある。だから、質問に対しての答を出す時間がとても重要なのである。だから、疑似的にそれを体感できるツイッターに人の感覚が反応していると思う。言語なのに非言語タイプのような。

 「レスポンスの鮮度」という意味でこの答を出すタイミングが非常に難しい。やみくもに早ければいいとうものではないし、時間の経過が論理を純化する場合もあることを、コミュニケーション能力の一部と捉えて相違ないはずである。鮮度鮮度と言っても獲れたてが美味い食材と、芳醇な一定期間温存したほうが美味しい食材もある。これらは、決して、CPUでは演算できない人間独自の能力なんです。人間だってケイ素ですから、炭素に還る前に雲に証を刻印しておくことも悪くない。と考えたら、ブログも楽しくなりますね。

55%か・・・。

 ある組織が世界の上位100万件のWEBサイトをリサーチしたところ、jQueryが実装されているWEBサイトが55%あったそうです。そうかそうか、そういう流れなのだという感じ。2005年からの本格的にAJAXが動きだしてから、jQueryは並走しているとう構図。java.s.はちょこちょこ必要に応じてWEBサイトを創り始めてから実装してきたし、FLASHのA.S.に取り組むようになって、JAVA.S.も平行してリサーチして実装してきたから別段このライブラリーが目新しい感覚はない。しかし、55%という数字はちょっとびっくりでしたね。そこまで実装されているということは、ビジネスシーンに置いても必須のアイテムだということになり、安心できるライブラリー言語だということですね。そのバリは相当な数があり、改造も全てテキストベースだけにちょっととっかかりはハードルが高いのでビギナーはちょっと苦戦するだろうが、一回実装して改造すればその全体像は掌握できるシンプルな言語だけにこれからガチでWEBサイトに取り組む人は必須でしょうね。

 まぁ、昨今のWEBサイトは機能やスペックだけではないので、これが手に馴染んでもWEBサイトとして成立させるには他のノウハウが必要不可欠。それほどWEBサイトを構築するということの全体像は複雑です。でも、これを手の内に得ているのと得ていなのでは、結果としてのびしろに深く影響を及ぼすでしょうね。

 改めて言語の改造は面白いので楽しみながら実装していきたいと思っております。まずは、サンプルとしてアクトのWEBサイトのリニューアルをFLASH抜きで取り組んでみようと思っております。とは言え、FLASHを実装しないということではなく、ひとつ深い改装にFLASHはFLASHでゴリゴリを実装する予定です。常に新しいテクを求める貪欲な世界だけに、イラレとP.S.でDTPができるグラデの世界とはまた違った緊張感があるWEBサイトからのマルチメディア・クロスメディア系はいと楽し。

Adobe Edge Previewか・・・。

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 そうかそうか、こういうことか。これがアドビの最新のソリューションなんだ。結局、端末がどう変化・進化しようが、私達はプロフェッショナルなクリエイターを裏切りませんよ・・・ということ。FLASHユーザーもイラレユーザーもちゃんと便利なツールにブラッシュアップしてお待ちしていますよ、ということなんでしょうね。対応が早い早い。たぶんおそらくCS6あたりでここら辺がガッツリ充実させてくる流れなんでしょうね。現在、私はCS4なので、5.5?と思いましたが、やはり、まだ触手を伸ばすのは早い。じっくりこれらの展開と仕組みを理解してからアップグレードを考えたいと思います。

 しかし、最新のソフトウエアが市場のニーズにマッチしていることは間違いなしとして、ほんとに、デザインやWEB開発の現場の皆さまはガッツリこれらに追随しておられるのでしょうか?実際仕事に使う道具だから最新で最速で多機能が合言葉でしょうが、コストや習得する時間も想定しなければ仕事に使える一定標準レベルにならないのが常。便利で多機能は分かったが今使っているプラットフォームじゃ貧弱ですよ・・・ともいう声が必然的に聞こえてくる。となると、やはり、全部が全部数珠つなぎのいもづる式なわけですから、どこかで「ここまで!」とジャッジする必要がある。無尽蔵にソフトの最新版を集めているコレクターな別ですが、道具として最適なラインを見極めるのも本丸。

 で、Adobe Edge Previewか・・・、という感じですね。ゴリゴリjava.s.で創る人にしてみれば、このツールは感覚的で便利となるのか、やはり、ファーストアプローチだから未完成が否めないのか?ちょっと、この動きについては動向をチェックしたいところですね。

なかなかやりよる・・・。

 ほぉ~これがFLASH抜きのHTML5.0とJAVA.S.の実力か。なるほどなるほど、やりよるやりよる。これがある強い側面で今後のテッパンになろうとしている。勿論、映像コンテンツも充分に実装可能だから、狙いが明確な戦略を持っている策士はこれを実装するだろう。いやいや、それでも、軽いサイトがいいよっていうタイプは多分、CSSかCMSに移行するし、ソフト面で活用術を模索し続けるだろう。一方、FLASHは独自のルートを開拓するだろう。つまり、技術は技術、デバイスはデバイス。戦略次第ということ。ここにはつまりコストも関連するし、企画・運営するマンパワーの部分でポテンシャルがこのツールを有効にも無効にもするって感じ。ただ、この方向性は今後、必ずテッパン中のテッパンになるだろうから、進行系であることを「ありき」として、取り組む必要性が非常に高い。って、もう、サンプルはいくつか作成しているので、ガッツリ構築できたら、どこかの量販店のiPad2で確認してみよう。

 で、iPad2はさてさて、買いなのか?まだ、自分の中では「買い」ではない。リサーチはしているし、どんな活用術があるかも頭では理解しているが、「よし、買うか。」となる何かが足りない。それは、スマートフォンも同じ。誰しも飛びついているが、つまり、何事にも「飛びつきたい人」だけが飛びついているだけで、天の邪鬼な私は、そのジャンプ力、他の目的に使ったら?みたいな側面でスマホを捉えている。まず、携帯するツールに電話以外のsomethingがあまり必要だとは感じていない。携帯性を重視するほどの活動をしていないという実証に他ならないが、それでも、触手は伸びない。

 もっともっと、私自身としてはクリエティブやアート分野で有効なツールやギアや機器が欲しい。そっちにダイブしたいタイプなのかもしれない。「完成された便利」は便利だと感じない・・・みたいな。燃費のいいクールな車は欲しいが絶対カーナビは要らないよ・・・みたいな。

それがこちらのWEBサイトです。http://www.contents.ne.jp/

第11位か・・・。

 ちょっと気になるメルマガより抜粋。「今回は、30代以降のキャリアアップを考えている方が注目している人気の資格をランキング形式で発表!このメールを読めば、今取得すべき資格がすぐにわかります。30代を越えるとキャリアの方向性が定まり、社内での昇進や独立を見据えて、資格取得を目指されるケースが増える傾向があります。是非、今後のキャリアや生活を見据えた資格取得を検討してみて下さい!」という人材派遣系からのメルマガです。確かに30代というのはひとつの節目であることは確か。大学や専門学校を卒業して企業組織に入り経験を積むと平社員からそこその責任を得て末端の動きから少しづつ仕事を回すためのポジションになる年齢である。その時に自分が持っている技術や経験値をベースに新しい展開を見据えると同軸ながら資格的な分野へのチャレンジの芽が見えてくる。逆にその年齢でその芽が見えてこないとのびしろは平行線・・・みたいな傾向になる。

 で、自分のビジョンと会社の方向性みたいな比較検討がこの年齢の頃から具体的に思考を牽引するようになる。それは必然と言える部分と偶然と言える部分があるので、方向性が見えていても実際のモチベーションがマッチしなければ、もしくは、組織がその器でない場合は、別の視野を得る必要がある。つまり、会社は社員を観察しているし、社員は会社を観察している。最初の衝動がちょうどこの年齢に押し寄せる。

 そこで人気の資格ランキングの第11位が「WEBデレクター」となっていた。その詳細は、「Webディレクターとは、サイト制作全般を取り仕切る責任者。企画立案から品質・進行管理までプロジェクト全体を取り仕切ります。近年のWeb業界の拡大により、ますます注目を浴びる存在です。Webディレクター講座では、初歩から専門スキルの習得まで、わかりやすく学ぶことができます。まずは無料の資料請求から始めよう!」というリード文脈から紹介されている。まさかこの講座を受けるつもりはないが、でも、一般的にこれからWEBデレクターになりたいと感じている人がどういうことから習得していかれるのだろうか?という部分は非常に気になる。例えば、この第11位より上の資格と言えば、「中小企業診断士」「ファイナンシャルプランナー」「社会保険労務士」「ビジネススキルアップ講座」「宅建(宅地建物取引主任者)」となっているので、まったく興味がない。しかし、社会の企業の人材に対するニーズのディテールは分かるような気がする。

 で、WEBデレクターは第11位なのか・・・と。ちなみに第14位は「グラフィックデザイナー」となっている。仕事に対して自分自身がどのポジションに立つかということに対して、社会一般的にどのような技術や経験値があれば自分自身のアイデンティティーをよりビジョンに近い位置に確保できるかがこの目的だろうから、まずは、自分自身のモチベーションを確認する必要があるように感じる。私は20代に2回転職して30代(30歳)で独立したので、このニュアンスの部分が実は分からない。こうして、毎日到着するメールマガジンやお客様の声を総合しながら、現代の社会の構造をリサーチしている程度。どこにニーズがあるのか?どこに戦略を捻じ込むのか?氾濫する飽和する情報の中で意外とサインは小さい。一瞬も気を緩めることなく、わずかなサインを大きな成果に覚醒したものである。

グーグルのモチベーション。

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 いつものことながら、素晴らしいタッチで素晴らしいアングルで素晴らしいモチベーションを捻じ込んでくるぞ。グーグルがITのひとつの金字塔として君臨している理由は人。人がオモロイから技術や環境がそれを覚醒させているに他ならないはず。つまり、インフラがどれほど活性されても好条件の立地がいくら奢ろうとも、COOLな人が不在の磁場には伝導が起こらない。与えられた条件だけで答を出すのに慣れている人にはなりたくないですね。いつもいつもグーグルの楽しいヘッダーを見るたびに、その画像に上からこう言われているようである。「で、お前は創ることを楽しんでいるのか?」と。

 そんな、素敵なヘッダー画像です。

WEBサバイバル概論。

 世の中のWEBサイトが、WEBサイトのサービスが、コンテンツが、生き残るためには非凡である必要がある。そして、極端で最新である必要がある。まぁ、いろいろそれ関係の書籍を読んでいるとそれ的なことで集約できるように思うのです。大資本の大型店舗店内とミニマムでDEEPでコアなお店の展開の2極化が鮮明になればなるほど、その相関距離が長くなり、その中間値であるミディアム層に新しいニーズが眠っている、そこを鉱脈としてビジネスを展開しては・・・という人もいる。いったいどこ掘れワンなのか?昔の金鉱脈はリサーチ機器や衛星からの地球面のスキャンなどできなかったらしいから、まさに、直感だけがたよりだったそうである。トリフと豚の関係ですね。でも、金や有益な鉱脈が発見出来た時の騒ぎったらなかっただろう。油田も同じ。つまり、掘らないと出ないという鉄則は今も昔も同じで、それはデータとか物理定数では推し量れない未知の未開の領域なのですね。だって、データで確実にそこが金脈だとしてみんながみんな掘り始めたら、せっかくの金脈をシェアすることになりますからね。より研ぎ澄ました直感とよく掘れるスコップと掘りあてるまで諦めない精神力と体力・・・と。これがまさにWEBサバイバル概論なのかなと。

覗くのは簡単。

 あるメルマガからの抜粋です。「さて、本日は最近非常に注目されております[facebook]や[Twitter]について日本国内の最新情報をお届けいたします。インターネットの集客媒体として[facebook][Twitter]は大きな注目を集めています。それを象徴するかのように、本屋に行けば[facebook]や[Twitter]と冠した本や雑誌は何冊も見つかります。しかし、そんな市販の本は役に立ちません。なぜなら、「集客のプロ」が書いたわけではないからです。本を開いたとしてもツールの使い方の説明がほとんどだったり、友達と仲良くなる使い方ばかり書いてあるのが大半だなのです。あなたのような「ビジネスに活かしたい」「集客を成功させたい」と思う方なら、「ソーシャルメディアをビジネスに活かす方法」を学ぶほうがずっと意味があるはずです。そこで、数々のプロモーションを成功させ、何千人何万人という人数を集めてきた集客のプロが「facebookやTwitterなどのソーシャルメディアで集客する方法」を無料で公開しました。」となっている。さて、この文章の下部に貼り付けてあったURLはクリックするに値する価値があるのか?ないのか?まだ、実はクリックしていない。この文脈から想像できるだけそのメルマガの主の言うところの「意味」を自分の中で反芻・覚醒してから覗こうと思っています。ここまで言うなら相当だろうな~という部分と、ここまで立派なルアーを投げてくるならさぞ充実した気持ちにしてくれるんだろうなぁ~と期待しています。が、大抵、そんなひねりを捻じ込んでくるわけではなく、無料は無料のテイだろうとも思っています。結局、無料でのぞかせて~みたいな誘導でしょうから、絶対に鵜呑みは禁物にしても、どこで調べたか私のところにメルマガを送ってきたのだから、私なりに分析して楽しく何かのサインに変換できればと考えております。うん、2~3日寝かせてみよう・・・。

 で、たぶん、2~3日後にはどうでもよくなってこのこと自体を忘れているだろう・・・。いい意味で。

言葉は道具!?

 話は意外な入口から入りますが、昨日、コミックス「ナルト」の最新刊を発見。そして、購入。想定以上に早い展開にちょっとびっくりしました。内容をここで記述することはできないのですが、知っている人は「なるほどあのことね・・・」とか「ほぉ~、そういう見方しますか・・・」的なことでたぶん「うんうん」だろう。実は、カミさん的にはナルトはジライヤが死んだところあたり、もしくは、サスケが我が道を歩き始めたあたりでNGになってしまったらしい。確かに、大きな物語の分岐点だったとは思うが、そこでこの物語がめんどくさくなるって、ちょっと、物語の枝葉が分かれ過ぎたのかもしれない。しかし、それは、岸本先生が向かう「結」の部分へのアプローチ。キャラクターが想定意外の展開をして、話が複雑になったからと言って失速していては、作者の創造力に負けたということ。やはり、世の中、複雑で難度が上がるとストレスになるほど、フラット化しているのだろうか、などと考えてしまう。

 一方、私のテンションは逆に上がっている。確実にこの最新号でも上がった。というか、この「ナルト」の忍びの世界のひとつのルールを感じることができたことはこの最新刊が初めてだった。なるほどなるほど、これが岸本先生が言いたかったことなのかとガッツリ昨晩は3回読みこんでしまった始末。

 そのひとつは人間が口にする声にする言葉についての洞察。「沈黙は金、雄弁は銀」というフレーズが岸本アレンジをして巧みに描かれている。結論はまだ確定していないが問題提起としてはなんと秀逸な引用だろう。そして、「侍の刀」に対する洞察。そうかそうか、そういう捉え方か。と、この部分が一番テンションが上がってしまった。しかし、待てよ、これって「少年ジャンプ」っすよね。小学生あたりから読んでますよね?ナルトは今も連載されてますよね?ってことは、この内容で小学生達は「あり」なんだと改めておっさん目線でひとり盛り上がっていることにドキリ。この下りは小・中学生は無理だろうなぁ~。いやいや、最近はこれでいいのだろうか???と。

 で、言葉も刀も道具。道具は目的のためにある。そして、使う人と連動してそのポテンシャルを発揮する。言わば道具は使う人でのびしろが決まってくる。だから、人は自分を死ぬまで研磨するのだ。妥協した人は道具を手放し、同時に言葉も失うと・・・。なるほどね、ひとつの大きな真理かもしれないぞ。

そもそもブログって何だっけ!?

 やっていることは、キーボードで文字を入力してサーバにアップした文字がブログのプログラムの中で処理されて規定のフォーマットデザインでブラウザで表示されるという仕組み。この単純な仕組みが何故こうもいろいろなのびしろやリアルを生みだすのか?それは言わば、「機能」としてのハード部分と、「技能」としてのソフト部分に分けられるような気がします。諸説ありますが、結局何事も人間が何かを思い立ち行動を起こす時、「機能」と「技能」で包括出来ると思います。

 では、ブログを打つ時のキーボードの機能と打つ技能についてはどんなリアリティーがあるのだろうか?普通のキーボードからタッチパネルキーボード、携帯のボタンなどなど。文字を入力するには音声入力なども入れるとほんとに多様な機能の機器が存在します。で、技能の部分で言えば、人差し指一本でポチポチ入力からブラインドのカシャカシャ入力まで人それぞれ。しかし、キーボードに対峙するとき、さてさて、「ブログを書く」ということが目的の場合、別段、そんなにハードルは高くない。何もネイチャーに掲載する記事を書いているわけでも、雑誌の編集者に追われているわけでもないのだから、気楽に書けばいい。

 で、ブログって何だろう?WEB-LOGなのは分かっているとして、ただのWEB上の記録と言えば記録だが、この記録にも「ビジネス仕様」と「プライベイト仕様」があるし、ビジネスモードでも、それぞれの仕事のジャンルによってその文脈は異なる。しかし、おバカタレントのおバカブログを読んでも、ブログを表示させているだけでゴールの人はいいが、有益な時間を過ごしたい、自分のチョイスでブログの運営者をセレクトしたい、魅力的なブログならチェックの頻度を上げて、できればインタラクティブに情報交換をしてみたいと考える。コミュニケーションが潤滑になったらお互いに気心も知れ、ご対面。まぁ、これがいわゆるブログのテイだろう。で、ならば、これをビジネスに利用・活用するとなると、さて、どういうテイで取り組まなければいけないか・・・が現代非常に混沌としているのでしょう。だから、そこ、利用・活用するのは誰で誰に向けてなどの5W1Hが当然明確にする必要もあり、明確になっても、気持ちが緩むと文脈も緩む。心が乱れると戦略も乱れる。しかし、そもそも、たかが、WEBの記録だと捉えれば、適度にゆるんで楽しい感じがいいと思う。「書かなきゃ書かなきゃ」ではそんな感じのブログになる。これが、ただのキーボードからサーバに入力しているだけのテキストなのに不思議。

 書き手のポテンシャルだから・・・とは簡単に分析できない何かがBLOGにはある。その答はたぶんブログを書く人の数だけあるだろうから、それが、一番大きな楽しい理由なのだろう。つまり、ブログは「楽しいモノ」なのである。

なんでそうなるの?

 本日到着したあるメルマガより抜粋。「米国GoogleのAndroid搭載スマートフォンと米国AppleのiPhoneの競争が加熱している。Googleは間もなく、今までAppleが幅を利かせていた音楽配信サービス「iTunes Music Store」に対抗すべく、独自の音楽配信サービスを開始する予定だ。今後もこうした真っ向勝負は頻発するだろう。本稿ではAndroid搭載スマートフォンとiPhoneで提供されるそれぞれの機能を比較する。また、現在多くのベンダーから販売されているAndroid搭載デバイスを企業が導入する際に、注意すべき5つのポイントも紹介する。これから購入を考えている人も、今利用しているデバイスからの乗り換えを考えている人も、さらに企業の導入担当になった人も、ぜひ参考にしてほしい。」う~ん、なんでそうなのる?激化って勝手に激化しているだけでしょう。で、ユーザーはどう捉えればいいのでしょうか?激化するのはいいですが、どちらがどのていどのびしろがあって便利で価格的に優良か?という判断基準なのですね。でも、激化すればするほどどうなっていくのでしょう?

 まぁ、私自身の都合では「auユーザー」なので、必然的に「Android」かなと思っている程度で、しかし、「iPhone」も興味がないわけではないし・・・。こればかりはいろいろなポイントがあるようですが、じっくりと比較して選んだほうがいいのだろうか?でも、企業のツールとしてコストとの効果がどの程度?となるのでしょうねって感じ。

おもしろいフォント。

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 オンラインにはフリー(無料)なコンテンツやアプリがいろいろ存在する。無料なのに~ってぐらい便利で魅力的なモノが多い。仕組み的には有料コンテンツへの導入的な存在なのは仕方ないとしても、無料でここまで開放するのか・・・というほどいいモノが多い。そこで無料の価値と有料の価値の境目はどこだろうと考えてみる。例えば著作権フリーの写真やイラストを提供するサイトがあったとして、ここには、サンプルというカテゴリーが用意されてて、気軽にダウンロードして使える状態になっている。いい絵柄があったとしてもデータのサイズなどの仕様的に不可な場合を回避したいからサンプルが存在するのですが、それでOKなら、もう一歩踏み込んで有料へということなります。では、ソフトウエアなどの場合、あれとこれを自分のプラットフォームで作りたいがソフトウエアが必要。しかし、有名ブランドになり多機能ならばそれ相当の価格帯になる。そこで、使用期間が限定され、仕様も限定されたソフトウエアが無料でダウンロードできて、試しにプラットフォームにインストールしてその機能や使い勝手を確かめることができて、「う~ん、やっぱ、難しそうだなぁ~。」なら買わない。「ああ、この程度でこの機能があるのなら、あのソフトと比較して値打ちだなぁ~。」となれば買う。このジャッジである。

 つまり、無料と有料の価値判断は常に自分のモノサシが最優先していて、この判断は人間の数だけ存在するということ。例えば、部屋に何か飾りたいというニーズとそのニーズにマッチした絵を確認する場合は常に自分のモノサシで、貨幣価値に置き換えると・・・ということになります。時には¥0でもいらんなぁ~というのもありますから、自分の貨幣価値、消費者の貨幣価値というのはしっかりと認識する必要がある。つまり、無料も有料も常にニーズに対してどこまでの価値があるのか、費用対効果がどこまであるのかを自分の中に確立していることで、それを買う場合だけではなく、売る場合もその基準が有効に作用するということ。ニーズが見えていない人はモノゴトノの価値を一方的に主観で見ている人。それで成立することも多いのですが、それだけでは、生産者・開発者・創造者・クリエイターにはなれない。いつまでも一パワーユーザー止まり。でも、それが一般的ですし、踏み込むためにはリスクもあるがのびしろもあるというわけ。すべてはひとつなのである。

 デジタルコンテンツにアナログテイストを連動させる方法は誠に持ってベタではありますが、ガチな部分も大いに・・・というサンプル(一例)でした。

やっぱ、さすがセキスイハイムさん。

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 まぁ、WEBサイトデザインもいろいろなニーズの元、様々な取り組みがされていますが、それぞれに言い分があり、それぞれに価値観が違うってことで、変なカドをたてない方がいいし、変に小さくセオリーの中でまとめることも避けたい。結局、テッパンは踏まえた上で、どこまで自由に会社らしさを出しているかを担当者とクリエイターは試行錯誤してるんですね。そのアイディアや技術やセンスが高い低いは別として、共感できる表現さえぎゅっと詰まっていれば、ちゃんとWEBサイトは機能するんですよね。こうでなくっちゃダメだとか、論理や理論やデータで走ると、やっぱ、そのような仕上がりになるんでしょうね。ビジネスのこと、企画・デザインのこと、技術やセンスのこと、運営組織のこと、いろいろ考えていくとフォルムはシンプルになるんですね。うん、こちらはそのお手本のようなWEBサイトですね。素晴らしい以上になんか安心するWEBサイトですね。

詳しくはこちら公式WEBサイトです。http://toyouhome.com/

FACEBOOKのHAPPY.

 昨日のテレビでFACEBOOKに纏わるホットな話題が紹介されていた。身体が不自由な人が自宅のキッチンで出火を発見。しかし、家には誰もいない。どうすることもできない。しかし、その人はパソコンのFACEBOOKの友人とオンラインゲームをしていた最中だったのです。そこで、今、自分の部屋で出火したことをその友人が確認して消防車を呼んでくれたというお話。二つ目は生き分かれていた親子が20数年の時を経て、FACEBOOKの中で再会したというお話。三つ目は殺人の容疑をかけられた男性がそのアリバイを立証するためにその時間帯にFACEBOOKに書き込みをしていたログが残っていて実証されたというお話。インターネットが世界に浸透して、独裁政権が崩れたりしていることがよりFACEBOOKを際立たせているし、ツイッターにしてもしかり。

 予備校生が京大に入りたいばかりにあのような事件を起こしていしまうことも、アプローチは間違っていたが全員がこの技術を活用してHAPPYになりたいと願った結果である。それに技術や仕組みが反応でき機能できていたということになる。FACEBOOKの創始者が天文学的な資産を得てもそれはそれに見合うクリエイトをしたからなのである。活用する人のポテンシャルが異なればベクトルも異なるが、結果、今よりももっと人はHAPPYになりたいから考えて動いて創るを繰り返すわけである。

 うん、FACEBOOKのなかなかホットな話題はいい感じでした。やっぱ主人公は人なんですね。芯を喰ったクリエイティビティーだったということ。

FLASH職人か・・・。

 ある方のブログで「この歳なって今更FLASH職人になろうとは思っていないが、FLASHはどうしても気になるツールでありニーズがあるわけで、なんとか、この歳で~」って「この歳」というキーワードがどうも気になった。いったいどの歳なんだろう?しかしながら、「FLASH職人」という語彙のニュアンスがなんかいい。結果アドビのソフトが職人視されているということであり、職人だから相当の技術が必要であるということに認識として他ならないわけである。そうかそうか、FLASHとは今そういう一面もあるのだと改めて妙なリアリティーを感じた。アップルに見切られたFLASH、結果、アンドロイドでスカスカ動いている現実、アプリ思考とどこまでガチにバトれるのか?さぁ、ヘボはwhich?

 まぁ、何事にも優劣白黒正誤を適用しても詰まらないので面で捉えて、私も虎視眈々とFLASH職人道を歩んで行きたいと思います。3DCG職人というテイもマルチメディア映像編集職人もできれば極めたいので、貪欲に貪欲に。

SNSはどこへ行く?

 いわゆるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のことですが、今後ののびしろはどこか?すでに、WEBサイトはSEOの呪縛から解放されて新しいステージに到達した。つまりユーザーでありニーズがそこへ押し上げた構図だろう。それに追随するように様々なデバイスが進化をする。が、これもにわとりと卵かもしれない。しかし、間違いなくニーズの多様化はよりベーシックにアナログに回帰しようとしている。つまり、大きなインターネットという波は押し寄せたが引くことも早かったということ。そして、砂浜には従来の恩恵が残っている構図だろう。つまり、海とは同じであり地形が変化するのはある一時のリズムのひとつであり、それに呼応する人の心はいつの時代も飽きやすく常に新しい何かを求めているということ。しかし、創造の神はそうたやすく新しい何かを与えることはない。だから、波のように一定のリズムで押し寄せ引いていくのだろう。船を人のニーズに例えるなら風を受ける帆がどちらを向いているかを知る人と知らぬ人の違いが航海の雌雄をを決する。そして、羅針盤を持っている人が新世界に辿り着くという仕組み。

 えらい抽象的な概念的な表現に逸れたが、SNSは完全に海の上を風や波と一緒に漂っている。さて、船はあるのか?風を受ける帆を持っているのか?羅針盤はあるのか?航海を共に乗り切るための友は傍らにいるのか?と問われてるような。

 もう、SNSの仕組みだけで一定のニーズやプロジェクトを掘り起こすことはできない。できないというよりも、もうこの仕組みに反応する活用する人はしているということ。その味を捉えた人は新しい仕組みにまた別の味覚を求め彷徨うだろうが、SNSだからみんながMIXIのような恩恵を受けるには決してならなないだろう。もう、MIXIのタイミングを適用する術はどこにもないと知るべきである。今、本当にSNSを展開するならば、それは、大海原でイルカの力を借りてクジラの力を借りて、もしくは、プランクトンの力を借りれる優しい温かい気持ちが必要なのだろう。冷たい海の水の元素のピースを何億枚も並べたところで一枚の絵さえ描くことはできないだろう。全てはひとつであることを知れば、今進む航路は見えてくるように思います。羅針盤の指す方向に絶対に目的の地があると信じる力が進むチカラにならなければ、想定以上に海のうねりはキツイはず。嵐の雲を見極めなければ、浅瀬や岸壁や氷山を察知できなければ、簡単に座礁・転覆するのだろう。海は海のまま、人は人らしく・・・なのだろう。

映像の活用術。

 そうかそうか、WEBサイトのコンテンツを考える時、やはり、効果的なのは映像であるとのこと。いまさらの部分ではありますが、改めてその効果というか何故?の部分をある書籍で読むと「そうやねぇ~」という実感があります。どんどんいろいろな機能が便利に安価になりますが、結局、情報のディテールを文章や写真やイラストで見て知るということが極一般的。いくらデザインで魅力的にキレイに見せてもWEBサイトということで言えば、やはり、映像と連動している方がいい。その場合注意しなければいけないことは映像コンテンツデータの重さだろう。回線スピードは今後今まで以上に遅くなるということはないだろうが、だからとって不適正な映像コンテンツをサーバにアップしてしまうとやはりサーバに負荷がかかり、ユーザーの閲覧環境とマッチしないってことになる。そもそも、情報のディテールをより詳しく丁寧にと思ってやっていることが裏目になる。これではダメ

 確かに、ゴルフの雑誌のいろいろな企画や好きなプロのこんな練習方法やこのクラブはこうして打て!みたいな企画があると、ついつい、引き寄せられて買ってしまうが、文字や図解や写真で何回見ても理解力は映像を一発見るのに負ける。つまり、「百の雑誌は1つのWEBにしかず」とまで言わないなまでも、それぐらいの映像コンテンツの効果があるということ。だからと言って、テレビの電波はコスト(人件費?)がかかるので、コンテンツ制作の現場は火の海らしい。ならば、WEB内で適正な映像コンテンツがすでに豊富にあるわけだから、いろいろな映像サービスがあるのだから、これを利用しない手はないということ。で、やはり、最後は「映像コンテンツ」に対する企画力や想像力や編集力が本丸になってくるということ。環境があるから創れると思っているが、創れるはあくまでも技術的なお話。いくら理論で分かっていても実際に創るための企画構想をして実際作り、自分なりのスタイルを持っている人にはかなわんなぁ~ということになる。グラフィック(平面)デザイン・WEBデザインと同じぐらいに映像コンテンツの企画・構想・編集作業は難しい。が、ればれるほど面白く楽しいことも事実。

ガチな戦略コンテンツ。

 現代の販売促進戦略とは「ガチなコンテンツ戦略」が必要だと言うこと。いろいろな書籍に書かれていること、専門分野のエキスパートな方に聞いて情報交換していること、そして、自分なりの尺度でリサーチした情報やフレーズを総合するとやはりガチなコンテンツが戦略のキモらしい。本当にそう感じます。情報交換の手法はほんとうにいろいろ充実していますし、最新の仕組みもどんどん浸透・訴求されている。デバイス機器もどんどん進化している一方でやはり手落ちの部分がこのコンテンツの部分だと言える。しかし、これはパソコンやソフトウエアのように買ってきて即戦力ってことにならない。じっくりと種を探し土に植え水をやり芽が出るというようになんか植物のようなもの。しっかり育成しなければ絶対に育たない存在である。アナログに人間臭く地道にマイペースに安易な手法や方法に一喜一憂せずにたくましい根と茎にする努力があってこそ花が咲き実がなるという仕組みのようです。

 さて、まずは、種はどこだ?ということになりますが、それは、自分自身の中にあるはずであり、どんな規模の会社にも種はあると専門家の方は言っている。しかし、種の状態から花や実をつけさせるためには相当の育成期間が必要であり、まるで農業のようなキメ細やかさが必要なようです。

 ということが今の旬のようですから、メディアミックスも含めてガチで取り組みをしていこうと思っております。オンラインには便利なツールや豊富な情報があるがこれはあくまでも種を育成するために必要な養分程度に捉えてちょうどいいのでのしょうね。

すべてはコンテンツ思考。

 もう、大手が運営するWEBサイトでさえ検索エンジンからの質量のある集客が得られない時代になり、キーワードが以前の単価の価値を完全に失った。もう、有料広告ではアクセスは得られるが数字になるニーズを拾えない時代になっていると言える。10年前、5年前、3年前の状況は一変していると認識した上で次の戦略が必要になっているとどこまでガチで捉えることができるかでWEBサイトはその価値を覚醒もし終息もされてしまう。今更というほど断言は決してできないが、今の段階でSEO対策がどうのこうのと言っている認識ではどうにもならないと知るべきである。もうこの事実というかリアリティーは5年前にあった。しかし、よりどころがないままエンジン対策をひとつの基準として捉え、日々変化するアクセス数に一喜一憂することだけがWEBサイトの戦略とできた時代は終わりつつある。それもそうであり、はなからそこに軸を置くつもりもないことは分かっていたが、まぁ、世の中的にそれもひとつ重要なTIPSと捉えられなくはない風潮もあった。だが、それは必然に短命に終わったというだけであり、終わりかけている。つまり、全ては潮流の一場面だったということ。もう、完全にコンテンツ思考の戦略なくWEBサイトの戦略、引いては自社の販売促進プランは成立しなくなった。そこで全てをリセットして会議をしても戦略を練ったところで本質的な中核的なポテンシャルは獲得できない。錬金術も黄金の方程式も存在しないからである。では、どうする?答はひとつだけ。「動いて、考えて、創る。」しかないようです。それが、自社の販売促進であり、WEBサイトの戦略としてのコンテンツ戦略のスタートラインなのである。

 言わば、テクニック思考・マニュアル思考ではもうのびしろが期待できないということ。競争能力の中核をコンテンツとしてカタチにしなければ、立ち位置が崩れていくという構図なんだろう。この危機感、どこまでリアルとして取り込めるのか?

 戦略なき運用コストはこのあたりだとある方の書籍に列挙されていました。うん、全くその通りである。1.検索エンジン対策のためのコスト 2.クリック課金型広告のコスト 3.ネット広告、リンク広告のコスト 4.WEBサイトを運用するために必要なコスト 5.運用に対するコンサルティング費用 これらが今後の無駄の象徴となる時代なのである。つまり、この仕組みは市場のニーズから逸れていくというお話。では、何が覚醒させる手法であり戦略なのか、贅肉の中に有効な筋肉が見えてきた。

 すでに、環境は凄まじいスピードで浸透・拡大・覚醒している。デバイスもしかり、端末と言われる機器はもう飽和している。そして、それと並行してソフトやアプリやプログラムなどのシステムも倦怠期を迎えている。差別化が厳しいということはつまり、ニーズの上限に到達していることのひとつの証。何を持って公平とするかスタンダードとするかを見極めなければ、今日の公平感は明日の公平感ではなくなるというこ。では、新鮮で斬新で有益なコンテンツはどうすれば創出できるのか?これが、言わば、デザインと深い関係にあるように思えます。つまり、今からが本当のガチの勝負。しかし、この勝負、勝ちとか負けとか白黒はない。ゆえに、会得することも至難。もうどんなテキストも無効であると同時に今までどこまで突っ込んで考えて行動してきたかがストレートに問われるのだろう。恐ろしい話である。そして、その間にこそ本当のニーズがあり価値がある。そして、そこからしかビジネスの仕組みは生まれない・・・みたいなことだろう。

 さて、コンテンツという概念をどう定義・洞察・分析しますか?

グーグルvsヤフー

 グーグルが社員増員、ヤフーが人員削減ということ。これはつまりそういうことだろう。一昔なら、日本国内のエンジンのシェアは圧倒的にヤフーが多かったが、それも時間の問題だろう。70%以上近いシェアを獲得していたのになぜこんな逆転が起こってしまうのか。つまり、企業努力的な部分がこの構図の背景にあるようですね。世界水準の超一流企業でもこのようなことが起こりうるのだから、ひいて他の様々なビジネスモデルの企業についても同じだろう。さて、その場合の企業努力って具体的にはどのようなことなのだろう。これは多岐に渡るであろうし、こうだ!っていうテッパンの方程式はないだろう。それに企業ってトップから組織された人だから、端的にモノゴトを考察することはできないが、つまり、人が強いということだろう。この時代の「強い人」とは?この場合の「強い」の内訳となると何が想定できるのだろう?日進月歩じゃないけれど、進化・成長が時間軸上で日々コクコクと動いているわけで、それにシンクロできない人とできている人(もしくは動かしている人)の差が、引いては企業の力関係を左右するのだろう。う~ん、非常にシリアスなお話ですね。

 真髄は見えないが、ただ単に目に見えている部分としてWEBサイトを見ればわかっちゃうし、仮にそれがにわとりで本体の部分が卵としても・・・。

「シェア(共有)」がキーワード。

 SNSに始まるソーシャルネットワークの真髄は、所有することからの離脱だろう。情報を共有することでモノの価値を変動させている。本来のニーズの対象が「所有ありき」だった場合、あらゆるモノの貨幣価値は限定される。生産者と流通の仕組みそのものが価値を設定していた。しかし、インターネットの普及はメディアや流通システムにパラダイムシフトを派生させボーダーレスな世界観を構築したばかりか、モノの価値さえも(もしかするとここが本丸かもしれない。)変革させた。

 アメリカ人の約半数の世帯が「電動ドリル」を持っているが、ほとんどの人がそれを一生で6分~13分しか使っていない・・・みたいな。他社とのシェアを考えればたかが6分にどれぐらの代価を支払っているかで費用対が見えてくるし、再設定も容易である。これが「電動ドリル」だからいいようなものの、ワークシェアしかり人の代用がいろいろな現場で派生したらさてどうなる。いや、どうなる人とどうもならない人との共有はどうなる?せめて、なんとか歯を食いしばりそんなことどうもならない人にならねば・・・。

 そして、この「シェア」から生まれる新しいビジネスモデルとは?が次にやってくる波だろう。国家間の争いや宗教戦争にさえこの感覚が導入・適用・反映されれば、空港のターミナルで自分に巻きつけた爆弾のスイッチを押さなければいけないような人は生まれないはずである。人間の「所有欲」が巻き起こす数々の悲劇、これらも、エゴを捨てれば共有の道が開けているはず。そこにこそ本丸はあるような気がしますね。

アドビTVか・・・。

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 ほぉ~、アドビTVか、これが。これじゃTVの人々は大変なはずでわ。大変大変。まぁ、出版社と同じでメディア革命だから仕方ないけど、スカっとだるま落としな感じですね。さてさて、最後に一番上に乗っているだるまさんはどんな顔をしているのでしょう?ジョブスからの新CEOか?Mark Zuckerbergか?ゲイツか?それとも油田王の資本家かウォール街の資産家?もしくはもうこの世にいない人達か?って感じですね。クラウド(天国)の中から電子で何かメッセージを送信しているかもしれませんし・・・。サイエンス・フィクションがノンフィクションにある日一瞬で置き換わるようなパラダイムシフト。絶対に起こるでしょうね・・・。

詳しくはこちらです。http://tv.adobe.com/jp/

フェイスブックの浸透率。

 とうとうフェイスブックが日本を席巻するのか・・・?海外のメル友の皆さまからずっとずっと前から進められていた「フェイスブック」。今回のD.フィンチャーの映画が日本国内での普及の起爆剤になっているよです。基本はSNSだが、そのシェアというか全世界の浸透率がようやくあとづけで国内に流入してきた構図でしょう。まぁ、そもそも、SNSは海外から流入してきたメソッドですから、どう取り組むか波及するか活用するかは結果、使う方のポテンシャル次第であろうが、ブログやツィッターがビジネスの分野で安定してきた上に津波のように押し寄せてきた感じなのでしょう。そのユーザーの保有量では絶大のフェイスブック。ここで日本のポテンシャルが試される・・・みたいな部分もあるでしょうね。さてさて、So many countries, so many customsってことで楽しみ楽しみ。ボーダーレスなデジタル空間にどのようにダイブするのか航海するのか、そして、どこへたどり着くのか・・・。

詳しくはこちらです。http://diamond.jp/articles/-/10862

「WebMatrix」提供開始!

 「米Microsoftは1月13日(現地時間)、Web開発ツール「WebMatrix」の提供を開始した。Webサイトの構築、管理、公開まで、あらゆる開発作業に必要な機能を兼ね備えたシンプルな無償ツールだ。Webサイトを気軽にすばやく開発できる効率的な環境であり、また入門者に適したツールでもある。WebMatrixは、プログラミングフレームワーク、Webサーバー、データベースが1つの統合型エクスペリエンスにまとめられているのが大きな特長。Web開発の基本的な作業をこなすために複数のツールを使い分ける必要はなく、デスクトップ上で開発環境から実稼働環境へシームレスに移行できる。」とある。これは素敵だ。つまり、一般にWEBサイト構築のツールが無償で公開されるということ。必ずしもWEBサイト構築のソースやギアは有償である必要はなくなるということだろう。これが浸透するベースには「WEBサイトを構築する」ということがある特定の環境ではなく一般のユーザーにも無料で活用できるということだろうが、これでよりGOODなWEBサイトとPOORなWEBサイトが明確に差別化されるということが起こるだろう。ツールが広く無償になることで一見それは何事も可能になるように思えるが、それはある一定のレベルが限界点である。これまでにも同様の取り組みが展開されてきたがそのツールを使いこなし有益なWEBサイトに活用・適用できてきたかというとそうそう安易ではない。建築設計の世界もDTPの世界もビジネスツールの世界も同様である。

 つまり、無償のツールを「使う人」がポイントであり、「使う=創れる」ではないことを頭で理解していても手に馴染んでいるか否かが分岐点である。しかしながら、これは早速使ってみようと思っておりますね。プロにとってはこの取り組みは両刃のように思えるが、実はとても嬉しい出来事なのである。

勝者なき消耗戦か・・・。

 「マスメディアの王者の座に長きにわたって君臨し続けてきた新聞社とテレビ局。しかし、インターネットの普及や新しいメディアの台頭に加え、収益の柱だった販売や広告収入も頭打ちになり、繁栄を支えてきたビジネスモデルが限界を迎えている。ようやく自分たちが構造不況業種になり下がった現状に気づき始め、新たな経営モデルを模索しているが、時代の変化は想像以上に速く、残された時間は少ない。はたして王者たちは、生き残ることができるのか。今、その戦いのゴングが鳴り響いている。」というメルマガが到着した。なるほどなるほど。へぇ~王者だったんだ・・・みたいな。インターネットの普及がここまでとは想定外だったのか、なんとかなるだろう程度の危機感だったのか・・・と決め打ちするのも見誤っているように感じる。そもそも「マスメディアVSインターネット」という構図は成立しない。時代の変化と言ってしまうのは非常に簡単で安易ではあるが、そもそもそのスピードは何がモノサシなのか?単純に短絡的に「早く」なったとして、何が?「進化」と言うがどの程度?「進化のスピードが早くなる。」とはいったい何を意味しているのか?地球の自転速度が速くなればそりゃ早くなるだろうし、磁場が狂えば生態的に影響がでるだろう。公転と自転のスピード上で整ってきた環境下で何がどう早くなり進化が具体的にどうなのかなど誰かのさじ加減ひとつ。創出もたまたま、淘汰もたまたま。

 「勝者なき消耗戦」って、何が勝ちか仮説上の便宜上のご都合上の力点でしょうに。

いい感じ。

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 いつものことながら、素敵なヘッダーでございます。

インターネット活用術とは。

 本日、インターネット活用術ということで少しお時間をいただきお話をする場を与えていただけた。これは、気合が入ります。頂いた時間が30分ということなのですが、それでも、この時間の中に何か私の経験から申し上げることは何だろうと頭をこの2ヶ月ほど絞りまくってきました。その詳細についてはまたこのブログにライトダウンしていきたいと考えております。今は頭の中を整理するのに集中したいと考えております。

やっぱ、iPhone強し!なのか・・・。

 いよいよ、年末に向けて、いろいろなリーダー端末が出てきました。一旦、iPadが先行しているように見えますが、後続達は強そうである。話題性なら断然アップルでしょうが、実態はいかなものだろう?実際、それほど、iPadを街角で見ることはないし、携帯性を歌うなら、やっぱ、iPhoneなのだろうか・・・。確かに、家でiPadはさほど・・・であるし、ビジネスシーンにということですが、ノートブックで十分です。さらに、iPadでは勿論、電話ができないし、カメラもない。アップルのコンセプトに踊らされている感がありきならそれはそれでその基準の「便利」だから別にいいわけですし。この筐体を持ってます~ってことが、右も左も分らない人の前だけでは、最先端感を誇示できるなら、それなりに値打ちな安い買い物である。そもそも、クラウドクラウドとは言うが何がクラウドなのか?ただただ概念的なことばかりが先行して具体的な利点や活用術はどこかの大手がその包囲網の中で一喜一憂しているだけでしょう。もう、ビレッジかっ!って感じ。外は実はもっと厳しい大自然社会があって、iPadはデジタルサファリパークのちょっと首の長いキリンのような存在!?目立つが目立つだけ・・・!?みたいな。

 でも、iPhoneは大自然(リアル社会)にしっかり根を下しているような逞しい印象を、今日現在では持っています。が、さて、これも包囲網の中の一トラップなのか?う~ん、サファリパークだと思っていたのが、実はアフガニスタンでトラップを踏んで「ハート・ロッカー」みたいなことにはなりたくないし・・・。それに「これを使わないと~」とか、「便利です便利です」と言われて改めて重箱に入った「便利」を手にしても・・・みたいなことも感じるし、携帯電話なら普通のでいいじゃん?とも思うし、誰かが便利だと言うなら一回試してみたい気もしなくはないし。もし、「便利」がセオリーや先入観だったらちょっと寂しいし・・・。

HTML5という言語。

 もっと、ハードルの高い言語かなと思っていた。今、一番注目のホットな言語らしいですから、これからWEBビジネスを展開するにおいて、最重要視されている言語であることには間違いだろう。しかし、その歴史は古い。ではなぜ、今、「HTML5」なのか?なのであるが、専門書を読んでいると、それもなんとなく理解できました。すでに、それ関連の最新の書籍を数冊手元に置いて読み始めているのですが、脈略の軸が非常に理解・納得できることと、アップルがFLASHを微弱性と言った意味がよく理解できた。で、言語的な構造についてですが、これも、そうハードルは高くないし、論理的な構造においてもそう難解なわけでもなさげである。たぶん、CGIやAS3.0を改造してきたことや、プログラムの文法や記述式についても、何故、この記述とアイテムが必要で、これを応用するとどういう表現に繋がるのかということが体系的に理解できていることで、さらに「HTML5」の意義が見えてくるというこのなのだろう。具体的にはiPadやiPhoneに実装するための仕組みづくりに必要な言語のようですが、また、代表的なブラウザ6種とモバイル3キャリアのブラウザの微妙な違いに対応するためにこの言語の安定性が今改めて・・・ということ。

 何より、嬉しいのは、この取り組みの書籍の著者の中にいつも仕事でお世話になっている方がおられるということ。これは心強い。勝手に一方的にそう思っているだけかもしれないですが、いつも、メール交換をしている方が著者であるから、言葉の質量が重い。で、ほんとに頭に入る感じです。じっくりとですが、サンプルをD.L.していろいろなAPIを試してみたいと思っております。しかし、「アナログ時計」がFlashを使わずにHTMLベースで作成できるとは・・・、う~ん、楽しみである。ということは、動作確認のためにやっぱiPadは買いなのか?いやいや、キンドル、リーダー、アンドロイド、ガラパゴスいろいろあるからなぁ~、全部買うことはできないし、できれば、Flashが走るアンドロイドと、検証用にiPadが必要になるのかなぁ~と思っております。しかも、オーディオやムービーにも強いと・・・。

 意外と言語の体系を復習してトレースしているような印象の「HTML5」でした。これは楽しい感じになりそうですね。まぁ引き続きFlashは手法として楽しいので取り組みますが、ちょっと、大きな流れに沿う意味でこの方向(HTML5)も楽しもうと思っております。となると、今、やっとリニューアルに着手できたACTのWEBサイトにも試しでHTML5やCSS3を使ってみようと思います。もちろん、AS3.0はいくつかサンプルを用意していますし、いろいろ今後の展開を踏まえて取り組まねば・・・だ。

4.9%と52.5%。

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 いつも買っている雑誌「Web Designing」の10月号。今回は恒例の「Webデザイナー白書2010」ということで書店で発見して即購入。この特集も今回で10回目ということで、非常に現代のWebデザインを取り巻くいろいろなアンケート結果がとても興味深い。この10年の経過を総括してもこれだけで10本ぐらのブログ記事は書けますね。

 で、いろいろ興味深かったアンケート結果を少しばかり紹介します。興味のある方はお買い求めください。まず、気になったのがQ1の「あなたの年齢は?」という質問。まず、性別の部分でいうと、アンケートに答えたかたの物理定数なのでこれが絶対定数とは限定しにくいがひとつの目安にはなるかと思います。男性が78.8%、女性が21.2%という分布になるそうです。これは意外、男性よりもWeb関連のデザイナー・クリエイターは女性の方が多いだろうと思っていたのですが、うん?去年もチェックしているはずなのに、デザインというよりも、Webの場合、コーディングやプログラムや言語的な部分が作業の大半を占めているからか、女性のクエイターの方の割合は少なかった。で、46歳という年齢が現代のWebデザインの現場でどれぐらのシェアなのか?が、なんと4.9%でした。つまり、26~45歳が約60%を占めているということ。うぉ~、もう完全なるこの現場ではおっさんなのである。

 その次の52.5%という数字は「Webはどこで学んだ?」という質問の回答。いろいろな専門学校や大学や制作会社で働きながらという方が約45%に対して、この52.5%が「独学」なのである。ご多分にもれず、私も完全なる「独学」であるから、ああ、皆さん若いのに苦労しておられるんだなぁ~とこの数字を見て感じるわけです。でも、「独学」っていろいろなベクトルがあるので、ピンキリでしょうが、この世界、まぁ、なんでもそうかもしれませんが、「習うより慣れろ!」なのかなと。

 その他、いろいろ興味深い結果があったのですが、中でもとても親近感を覚えてしまった結果は、「1ヶ月あたりの休暇日数は?」という質問。4~7日というのが圧倒的に多く26.7%だったのですが、「0日」という回答が1.4%おられました。う~ん、この1.4%の方、なんて素敵なデザイン馬鹿なのだろう。そんな強制でもないのに休もうと思えば休めるのに、はっきりくっきりと「0日」と胸を張ってアンケートに答えた皆様、うん、素敵です。私も間違いなくこの中のひとりなのですし・・・、さらに言えば、「この1年あたりの休暇日数は?」という質問があった場合でも、間違いなく「2~3日」なので、もう、完全にジャンキーである。

 最後に例の「アドビとアップルの問題」について。共感できるアンケートがたくさんありました。中でも「製作者の数だけ方法が違ってくるのだから、必要なら勉強すれば良い、それだけのことなのでは?」とか、「つべこべ言わずに対応あるのみ。状況把握に勤めます。」などなど。素敵な回答が多かった。まぁ、アップルの考え方に対して反対意見は46.1%あったので、この風もかなりアゲンストではあるが、ならば、番手を上げて低く球を出せばいいじゃん!みたいな。

 おまけにあとひとつ。「この仕事を選んだ理由を教えてください。」では、「紙は死んだ!これからはWebだと思ったため。」という36歳男性の方がおられたようです。まさに、紙(神)は死んだのかもしれません・・・。

何故?FLASHなのか。

 まぁ、iPadはああゆう感じではありますが、実際、今、WEBサイトを新規で構築する、商品に合わせてブランディングサイトを起動する、もしくは、現状のサイトのエッセンスにスパイスにFLASHを適用する。いろいろなアプローチがある中で、実際のニーズとしてはどうなの?というお話なのですが、実際、WEBサイト=スタイルシートでフォーマット化するデザインが主流のように感じていますし、それが、ブラウザの新旧入り乱れでどの記述方法が有効なのか、デザイン的にCMS的に、そして、コスト的にという軸がポイントのようです。では、WEBサイトがメディアを代行するという視点で捉えた場合に閲覧性やデザインのスマートなテイを取り込むのなら間違いなくスタイルシートでサイトを構築させる手法に一理があります。運営も楽だし、更新も楽ということがこのスタイルの特徴です。が、さて、新しいサイトのデザインやプランニングをする時に必ず、いろいろな検索手法で現在のサイトをリサーチするのですが、そのバリエーションはほんとに百花繚乱である。いろいろな会社の商品やサービスを適格に表現し機能性の部分や閲覧する環境にマッチした表現と構造となるとそれぞれのWEBデレクターとWEBデザイナーのこだわりやポテンシャルがそれぞれ優れたWEBサイトには適用され素晴らしいサイトに多くぶち当たります。が、それと比例して、チュートリアル通りに方程式どおりに構築された、クリエイターの創造の部分が完全に欠落している、もしくは、10年ほど時間が止まっているデザインや、これは学生の作品なのか(いやいやイマドキ学生さんの方がプロのテクを持っているぞ!)というレベルのサイトにも出くわす。これはこれで公開して成立しているのだから、ここが天井だったということだろうと推察している。

 で、スタイルシートのデザインはグラフィックデザインでいうところのレイアウト感覚がパターン化されて、こだわりや独自性などのデザイン表現はそれぞれのパーツやエレメントが担うことになり、それが、コンセプトやサイトプランとどうマッチさせるかで競われていて差別化に取り組んでいる。サイトが完成したからそれで完了ではなく、サイトは道具ですから、いわば、仮想のお店や社屋のような存在。社屋がどれだけキレイで最新の設備があってもそれを使いこなして活用できる人材がいて機能する。そして、それが日々の業務とガチでシンクロしなければ、それは絵に描いたデザート。だからこそ、WEBデザインは機能面や運営術とのシンクロを目的とされながらも、視覚や聴覚に訴える手段としてお客様に対するサービスアイテムのひとつと捉えることができる。サービスというベクトルで捉えるなら、美しくないよりも美しい方がベターだし、古い印象よりも新しい印象の方がベター。何事もベストを求めると取りこぼすこともあるので、それだけに特化するエッジの立て方はイエローカード。しかし、サッカーの試合でもイエローカードを怖がって目の前のボールをスルーするよりも、「あたり」を強くする攻撃的な表現も必要不可欠であることもリアル。

 だから、スタイル・仕組みの頑強さ・洗練さとWEBサイトにおける「あたり」、つまり、攻撃性の部分でFLASHは相当の荷を背負っていると思います。静止画=スタイルシート、動的表現=FLASHではないが、この均衡はクリエイターとしてバランスよく保持しておきたい。セオリーどおりに、ある、視点だけに体重を置き、どこかと同じ体裁で安心安心というタイプならそれはそれが正解であるし、どこか、常に現在進行形で常に脱皮する創造的アプローチが必要なら、それが、運営している方のポテンシャルに存在するなら、表現も同調・同期する必要があると思います。

 まぁ、技術的な側面で「FLASHは難しいから使わない方向で・・・」とスルーしているクリエイターならをれはそれでその方のそれが天井だから正解をそこに置けばいい。ただ、正解も誤答もなく、常に新しい自分だけの答を求めるなら、創り手も新しいことにチャレンジし続けなければいけないという使命感はあります。でも、それよりも、道具なんだから「使って楽しい」が基本。難易度の高い道具ほど手に馴染むと心地良い。標高が高いほど見える景色が美しいのは、それ自体が勿論美しいということと、そこに立つまでに費やした時間の質量や想いの綾がそこで昇華されるからだろう、などと思って毎日の仕事に取り組んでおります。

ツイッターという仕組み。

 まだ、その魅力の全貌は体感できていませんが、少しづつ、まぁ、習うより慣れるより楽しもうと思ってちょこちょこかじりかけています。このテイの取り組みで重要なポイントはガツガツしないことのように思います。ガツガツしても仕方ないっていうモチベから入って、小さいレスをひとつひとつ丁寧に拾っていきその次のレスを楽しみを繋げていくあたりが入口部分として少しずつ楽しくなってきている状態です。また、SNSとは違うテンションがあり、企業さんや出版社や会社レベルでつぶやいている感じと、エキパでプロフェな方が140文字でガチでつぶやいておられるのを拝見していると、日本語の表現力とツイッターの仕組みが浸透する理由がどこか理解できるように感じています。と、まぁ、現在、体感中なので、まだ、ほんとうにこの全容は分かりません。仮に1,000人をフォローして1,000人にフォローされているという構図が実際どうなの?具体的にリスクは少なそうですが、メリットや価値はどこ?それが見えたらもっと楽しくなるんでしょうね。こればかりは本や雑誌で「これこれこうです!」と言われても半信半疑から脱皮できないので、自分で楽しんで感じて答えを出すしかなさそうですね。ブログもミクシィも信頼できる方から進められて、間違いなく楽しい感じですので、じっくりとつぶやき続けてみようと思っております。

 さぁ、あとは、「動画・映像コンテンツ」をどこに展開しょうかなぁ・・・。

Flashはどこへ行く?

 まだまだ、アップルはリミッターを外さない構え。堀がそろそろ埋まりかけているよにも思えるし、牙城は今だ顕在のようにも見える。でも、ガチでどうなんだろう?いくらどれだけアップルが城壁を高く、歩兵を装備しようが、民の声は強いはず。まだ、それに対するニーズにことの軸が集約・フォーカスされているからいいが、もっと、大きなニーズがゴロリと動き出したら、どこかでアップルの恩恵を受けてきた人達なんだから養護の向こう側にある厳しい制裁が想定されるように思うのですが、これは、私が田舎に暮らしているからか?都市圏じゃそれがスタンダードなニーズでさらさらっとサファリってるのか?いやいやそうも思えない。そんなにマスメディアに上手くコントロールされるようなニーズではない。ガチでFlashに取り組んできた人間達は人気や体裁でこの技術を使ってきた訳じゃないですから。ガチで本当にグッドなコンテンツを開発して企業の独自性や物語をタイムラインにスクリプトに記述してきた方達なのですから、それを、無碍にしたアップルの罪は大きい。これも試行錯誤いっぱいいっぱいの末の結論なら納得もいくし長い目で見ることもできなくないが、どうやら、本丸ではそうではなさげである。

 誰もアップルの牙城に攻め込もうとはしないかもしれないが、だからと言って新しいニーズを設定し過ぎて古き良き逞しき百花繚乱な技術・表現を排他していると、相対ではなく、誰か個が上から何かを落としますよ。それが鳥のクソレベルなら痛くも痒くもないだろうが、武装した戦闘機ならどうする?たぶん、技術的にそれはそのデバイスの中で動くはずだろうし、この猶予は予定調和かもしれない。弓の糸は引けば引くほど矢を遠くに飛ばすっていうテイでリアクション狙いなら早くリリースしてください。その矢が引きすぎて折れる前に。

 もしくは、Flashに変わる新兵器で今後30年を戦うっていうなら早くそれを対抗馬にください。もしかしてストア的なことやアプリ的なことがそれに代わるでも思っていたらそれこそ裸の殿様状態。「かんたんにFlashができちゃう!」「Flashサイトをテンプレートから作ろう!」「携帯Flashならこのソフト!」っていろいろ次から次へと出てくるがそれほどFlashは鉄板だということ。ハードルが高すぎるのかもしれないが、安易に簡易にお手軽にデベロッパー達と同じ土俵に上がろうとすることがはなはだナンセンス。そんな皆様のつぶやきを彼が聞いていなわけがない。そろそろ軟化してください。一Flasherの独り言でした。

 私は、アドビのFlashが好きなので、世の中の動向がどうなろうが、この刀を手放すつもりは最後までない。

MovableType5の展開。

 「2009年11月、約2年ぶりのメジャーバージョンアップした「MovableType5」は、シックス・アパート株式会社がイニシアティブを持ち、ユーザーの声を反映して開発された。元々、MTはブログを管理するソフトウエアでしたが、ブロガーだけでなく、次第にWeb制作の現場でCMSとして使われる機会が増えてきたことにより、MT5はCMSの機能を強化し、「何でもできる」から「誰でもできる」CMSをキーダードとして誕生しました。その機能には隋所にユーザーの声が反映されています。」ということが2010年3月に執筆された書籍に書いてある。私はMT4.2を比較的長く使っているが、それでも、このMT5の解説書には私自身が4~5冊の書籍から得たMT4.2の知識以外にも、応用編があるらしい。そして、根本的なMT5へのバージョンアップを受けたとされている「ユーザーの声」の方向性が改めてこの書籍で明らかになった気持ちです。「そうかそうかニーズはこなっていたから、この機能が負荷されたのか。」「なるほどなるほど、世の中のCMSを構築するクリエイターの皆様はこう考えているのか。」あたりの導入部分がちょっと理解できた気がします。これは、まぁ、当然の流れだと認識できる部分と、それを具体的に機能に反映・適用した場合、それはどの機能でどう活用するのか???という部分がこの書籍には書かれているようです。まぁ、MT5へのアプローチはこれが1冊目。たぶん、この一冊では終わらないので、これを機にMT5に精通していきたいと考えております。

 管理画面の機能性やモジュールやテンプレがいろいろ分解されて便利になっているようですし、プラグインも国内のCMSソースでは一番リアルに充実しているらしいから、やはり、現時点でCMSはMT5という結論でよさげですね。

 しかし、日夜このことばかりを頭に置き、試行錯誤に取り組んでおられるデベロッパーさんがおられることを改めて感謝したい。ニーズがあるから精進されるのか、たまたま皆様のベクトルの先にニーズが芽生えるのか。いずれにしても、素敵なWORKSでありリスペクト。

USTの展開例。

 確かに素晴らしい技術ですが、ユーストリームってもうひとつ具体的な展開例が見えているようで見えない。確かにあれをこうしてこうすれば・・・で構造は理解しているつもりでも、それだけの技術がどう何に展開できるのか?まぁ、なんでも同じですが、武士は刀を持って、農業の方はクワを持って、漁業の型は網を持って仕事!?をしておられたわけです。これはどうも本質の部分ですから、時代が大きく変わりました。紙の書籍がある時から電子ブックに変わりました。さぁ、端末で電子ブックを読みましょう!安いですし、動画や音声も聞けるのですから・・・は、一見、便利なように魅力的に映るが、じゃあ、それで何を見ているってことになると、どうでもいい安直なアプリに興じる、雑誌を動画付きで見て情報のディテールが高くなったように感じる。これはこれでいいのですが、なんかちょっと技術や啓蒙的な部分が先行し過ぎて楽しいのか楽しくないのかちょっと疑問。

 そりゃ、ある日突然、農家の方が刀を持たされて、今日から武士です。戦争に行ってください・・・では、大きく様は変わったが、歴史が繰り返されているだけのような。もっと、無国籍に異なる異文化と交流したいし、異文化の慣習の中で自分のポテンシャルを試してみたいというベクトルの方に気持ちが動いてしまいます。結局、道具が進化しても立っている場所を変えなければ人間の中身は同じような気がするのですが・・・。

ぞろぞろと出てきますね・・・。

 いやいや、たぶん、かな・・・と想定していましたが、iPadでflashを観る方法いろいろ出てきましたね。すべてはチェックできていないですが、まずは、iPod-touchで試してみよ・・・。これがなんともドキドキしますね。そんな簡単にアップルの独占はできないはずですし、flashパワーユーザーを無碍に扱うとトンデモねぇ目に会いますよ・・・と言わんばかりのチカラワザの合わせ技ですね。じっくりと取り組もう・・・。やはり、flashクリエイターの底ジカラを感じてしまいますね。さぁ、どうする?アップルさん!

美人時計に座布団2枚!

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 「美人時計」って何?と思わせる視点、で、アクセスしたら、ほぉ~と思わせるアイディア、で、詳しく見ればなかなかナビな感じ。う~ん、これは座布団2枚ですね。たぶん、iPad対策もあるだろうから、仕組みはj.s.かな?まぁ、flashで作るなら簡単だろうが、flashはアップルさんに嫌われているのでおそらくj.s.だろう・・・。それに確かに24時間毎分1440人の美人を集めたそのエネルギーに脱帽であり、夜になると、やはり、ムードのある美人で、朝なら健康的な美人だったりするわけでしょうね。うまい!

 やっぱ、これからWEBコンテンツはこうでなきゃ!みたいな見本ですね。さすがYahoo!さん。これのテイストとフィーリングは何かflashで作ってみよう!1440カットはちょっとさすがになので10分毎で144カット。でも、やはり「美人」には勝てないかな・・・。イケメン144人揃わないしなぁ~。絶景144カットも難しいしし・・・。う~ん、よくも集めたものです。まさにチカラワザ!ですね。

 詳しくはこちらをご確認ください。

考えず感じること。

 まぁ、何もWEBサイトに関連したことではないが、注目のデバイスiPadについても考える前に使って感じてくださいよ!と言っているわけで、ITの普及と共に情報が氾濫しているこの状況を必然とすれば、全てのとりあえずの答とはそこの部分でしょう。考えずに感じることで競争しようよということでしょう。~の考え休むに似たり的なことで、もっと五感で感じて作用と反作用のレスを上げようと思います。いくらネット上で繋がっていても正確には脳は繋がっていると感じていないこと。どうなることが繋がるのかについて改めてひも解く必要もなく、繋がるとは握手であり対面対話であり、JOIN US!なのである。ここにWEBサイトでの表現や商品の発信を組み合わせればそれがイマドキの活性率の高い情報交換であり、引いての部分でのビジネスモデルのテッパンだと言ってもいいのではないでしょうか。

 では、創り手、発信サイドが市場やターゲットに対してどこまで五感に訴えられるのかという勝負。まぁ、10の内、1か2程度がITの担う部分であり、残りの部分を何で補足するのかをイメージできていればその取り組みは動いている仕組みになりうるような。動いて、創って、考えてというフレーズは社名のACTを構想していた16年前のことですが、今さまらながら、現代の万象にあてはめて考えることでのシンクロ感はしっくりきています。つまり、この定理は古くならなかったということで、今後もこの方針で間違いないのかなと思っております。

 情報や知識の上に人間としての洞察や観察をのっけていけば、自然とその次のSOMETHINGが見えてくるように思います。筋道たてて考えるのもちょっとオフモードにして、今、自分が立っている場所を360度見回してみる、地面を確かめる、空の青さを確かめるあたりが、リアルな部分でしょう。

 ゴルフ場なら、ティーショットが右にぶれて林の中の白杭の内側にボールがあった時の安堵感、白杭の向こうにボールが飛び出ていた時の残念な気持ち。では、ゴルフのプレイ上、白杭はつまりOB杭なんだけど、ビジネスやライフワークで言えばどこにその杭があるかで自分の18ホールが見えてくる。朝、ティーグラウンドに立つような気持ちで、仕事やライフワークに向かえたらいいなぁ~と思います。で、その一日ドライバーがあたっているなら最後までドライバーを握ればいいし、こすってたら、スプーンやユーティリティーに変えればいい。それでもダメなら3鉄でいいじゃないか・・・という感じ方。

グーグルの七夕ヘッダーロゴ。

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 いつものことながら、いい感じですね。なんと言いますか、いい感じです。

何事も熱意。

 あるWEBデレクターさんからの生声ですが、やはり、認知させるための広告費やネームバリューも大切ですが、例えそれで認知され訪問者が増えても、それはそちらの商品が売れるということにはならない。まぁ、当然のことではあるのですが、エンジン対策をした、大手のモールサイトに出店した、ネットワークを広げている・・・だけではオンラインショップの根本的な活性化は見込みにくいとのこと。ほんとにそのとおりだと感じています。「エンジン対策ありき」ではないがエンジン対策も重要。モールサイトを介してネットワークを広げての認知度の向上の重要。他社との商品の中核競争能力の向上も重要。電話やメールなどでのきめ細やかな対応も重要。商品に関連する定期的なキャンペーン企画やメルマガなどの販売促進も重要。すべてが重要なのである。どれを欠いても活性化は沈滞する。が、時間は有限であり何をどれぐらいの比重で行うかも費用対効果のバランスが崩れると本末転倒となる。ほんとにバランスが難しい。が、基本的なモノサシはやはりそれに携わり工夫や思考錯誤をする「熱意」に包括されるような気がします。熱は張り巡らされたWEBの糸を通じて常に行き買っている。そこにガチンコで参画し自社をアピールし商品の認知度を上げて購買に繋げる。これが基本フレームのはず。受信スタイルは新しいデバイスはどんどん市場に投入されユーザーは新しい刺激や新しい情報を物色し続けている。その場所で適正な化学反応を起こさせるために絶対的な熱量があるなしで雌雄が決するような構図は今も昔もこれからも同じなのでしょう。

 対面販売のスキルやコミュニケーション能力がWEBに適用されるのは当然の流れであり、その逆もしかり。WEBだから対面販売だからの格差はしだいになくなってくるのかもしれない。が、双方のアドバンテージは確実に異なるわけでそれらをどう自社の営業展開に効果的に取り込むか・・・その取り込み方や捉え方が勝負の分岐点なのでしょう。

 熱意のパーツをひとつひとつ分解するとその全体像が見てくるのではと考えています。

もうすぐお母さんなのに・・・。

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 ドコモのバナボ。もうすぐママなのに、こんなにキュート過ぎるのは何故だろう?たぶん、人間の中身が外に流れだしているからなのだろう。本気のキュートとは装飾された美ではないからだろう。芯を喰ったらバットでもクラブでもWEBサイトでもよくボールが飛ぶってこと。たぶん、人間も同じ。

なんとなく、やっと、A.S.3.0

 ようやくA.S.3.0の応用段階が見えてきました。2.0に親しみ過ぎたせいか、3.0に頭を切り替えるのが意外とやっかいでした。つまり、一回慣れてしまったスタイルから新しいスタイルに切り替えるってほんとにエネルギーが必要です。まず、とにかく知りたい活用したいと思った書籍を読み、出てくる言葉や著者が言っていることの実態を10%も理解できていなくても読む。とにかく読む。到底初めて知る技術やソフツウエアのことだから理解できないのは当然。そして、また、別の書籍を読む。するとそこに前読んだ書籍の中と同じ言葉が出てくる。理解している知識としてある言葉や活用術があったなら、その理解できない言葉と強引に頭の中で連結させて鵜呑みでいいのでシュミレーション。そのまま2冊目も読み終える。この段階でたぶん、記憶している新しい技術の知識がどれだけってことになると10%前後。まぁ、2冊テキスト本を読んでもこの程度。でも、知識はそれだけですが、これまで同じようなソフトウエアや作成術の知識や経験があるから、それの応用と捉えて、これはここの機能の別アプローチなのか、ああ、これは新しい技術だけれど、こんな汎用性があるのだから、やらなければいけない、やってみよう、などと一歩づつ着実にアプローチする。到底、学生の頃のような吸収力はないので、何かがある日格段に頭に吸い込まれるというこはこの年齢になると絶対に起こらないので、自分の会得のスピードは心得ているつもりでいることが結果会得のスピードを上げる。

 すると、次の段階で、たった10%の知識ではあるが、ソフトウエアを起動する。新しいバージョンだから知らない機能があり目新しいインターフェイスに戸惑う。しかし、知識は10%程度でも、下位のバージョンは使っているので、それのバージョンアップなら50%程度ならどこにどの機能があるか?そして、新しい書籍で知った10%の知識はこういうことなのかと使いながら読み終えた書籍の中に登場していた内容と実際のソフトウエアを連動し始める。すると、頭に入っていなかったはずのことが、突然、ソフトを使いながら蘇ってくる瞬間がある。それは、パーツではなく、思考の枝の部分で、その枝が理解・会得したことでその先の枝や葉や花が見えてくる瞬間。つまり、知っていることは、実際に使い何かを作る行動のしおりにしか過ぎないということ。しかし、そこからが書籍の価値が発揮されるプロセスとなる。

 何か作りたいオブジェクトやプログラムやコンテンツをスケッチブックに描き、ソフトウエアを起動する段階で、当然、十分ではない知識で作業が滞る。そこで、傍らに書籍を置きながら2回目のアプローチ。ここから自分の中のソフトウエアの活用術のクオリティーが上がり始める。そして、ひとつのコンテンツが完成した段階でもう一度、書籍のその技術の部分を読む。すると、そのページに書かれていた技術や著者が何故この段階でこの説明をしたのかという部分まで理解することができる。これでひとつの技術が会得できたことになる。しかし、人は忘れるので、たまには復習も大切です。

 で、A.S.3.0もこの流れで取り組み始めて早2年。なんとなく、やっと、その文法の意味や背景が理解できてきました。あとは書籍のTipsを流用・活用・応用しながら自分のモノにしていきたいと思っています。この段階で一旦、お世話になった書籍を見てみると、1/3ページは小さく折られてて、半分ぐらいのページにはメモやアンダーラインが入っている。この状態で書籍自体も自分の大切なバイブルになる。気ままに読む小説ならiPadで代用できるかもしれないが、ここまで使う人のカスタマイズを受け入れられるのだろうか?動画や音楽も魅力的ですが、折り線もメモも他の資料を添付もできない電子ブックが仕事の道具になるのだろうか?いやいや、それも慣れの部分で、それがそうなれば自分のスタイルも変わっていくのだろうか・・・?仕事の書籍は紙であって欲しい。現時点では紙でなければいけない理由があり過ぎる。

ECサイト、ここで今一度・・・。

 氾濫するECサイト。ここで改めてその価値を考えませんか?というアプローチのメルマガが届いていた。その骨子は「◎そもそも市場の把握はできているか?◎顧客が誰なのかをイメージできているか?◎WEBに反映すべき自社の強み、WEBでカバーすべき競合の脅威は何か?」というものです。一般的に競合他社との差別化、独自性のあるコンテンツ(商品)、販売促進・新規顧客獲得のための企画立案などなど、ひととおりのお決まりごとならたぶんこれに関わっている人ならばすぐに列挙できるはず。しかし、それもこうも氾濫するとその密度がもう何を指して「把握」なのか?どう「イメージ」すればいいのか?そもそも「自社の強み」って何?ということになっているということがこのコンサル会社からのメルマガである程度洞察できるように思います。まだこの段階でも問題点の全体像は結構雲をつかむようなお話でフワフワしている。そでも、日々の売上を確保するために何か動かなければ、考えなければ、創りださなければいけないわけです。そこで、こらには常にコストや時間やエネルギーなどその対象に合わせてリスクが存在します。それを最小限に抑えて、できることなら最大限の結果へ導きたいと考えるのは人間の合理性というサガ。かなり非現実的な費用対効果を描き、目標設定値を見誤る。その結果、打ちのめされてモチベーションが下がりあらゆるアクションが沈滞する、停滞する、諦めるという負のスパイラルが起きていることも事実。では、どうすればいいのか?

 たぶん、錬金術はないだろうし明解な方程式もないだろう。トライ&エラーで経験値を貯え傾向と対策を見極め、いわゆるアイドマ(AIDMA)を実行するしかない。つまり、行動から答えを導くしかなさそうですね。

 で、「ここで今一度」が正解ということでしょう。「今一度」をしっかり繰り返し企画案の活性化とコンテンツのブラッシュアップをメジャーでもマイナーでもチェンジしていく必要がある。リスクを回避したいからと既存のロジックや法則に依存することは頭の中でビジョン化するにはた易く、誰でもできちゃうこと。誰でもできないこととはやはり失敗を成功に転化するためにリスクありきで取り組むことなのでしょう。

 今一度、そのことをベタではあるがしっかり取り組みたい。

新聞を読みながら・・・。

 米国の多くの新聞社では一律的なコストの削減を進めた結果、取材・編集力が弱体化したらしい。結果、読者を落胆させ、部数が減る悪循環に陥ったのだそうです。その結果、世界中の新聞社が過ちに気づきiPadによる有料化の実験に乗り出した、つつあるらしい。携帯端末に世界の新聞社が社運をかけているとうい側面も現実。そして、当然、ネット内の広告設定値が8~10%上がっているという報告もあるらしい。情報の発信方法であれ受信方法がこうもパラダイムシフトすると逆行不可のジェットコースターに乗っている加速感さえ覚える。一気に上昇し一気に加速する。このループを繰り返させられているうちにスピード感覚が麻痺してくるのでは・・・?以前ならこの程度のスピードを体感したら言葉も失い心臓もドキドキだったのに、それが、慣れてしまう人間。さらに、加速感を求める悪い癖。何がどうなって、どう転んでも、ジェットコースターは止まらない。ベンチに座ってそんな興奮しているもう一人の自分を、それこそ缶コーヒーを飲みながら煙草でも燻らせて見ているもう一人。そんな加速感の時代です。スリルだけのことなら、絶対にジェットコースターには乗らないが、ビジネスモデルとしての取り組みが軸にあるなら勇気を出さなければ・・・。

 朝起きて、iPadを起動すると画面の中から新聞記者が「おはようございます。本日のヘッドラインは・・・」ってことになるのだろうか?そして、夜、床につき書籍をめくる変わりにiPadを起動すると、3DCGの羊が「1、2、3、4、5、6、7・・・、」って数を数えてくれる!?う~ん、新聞社も大変です。

無料コンテンツ。

 「無料ゲームの仕組み」「無料ソフトのダウンロードサービス」「無料公開のWEB文芸誌」と「無料」が時代のキーワード。何かを得るために代価を払わず無料で入手させて限定解除するために課金を始まる仕組み。一回体感した便利の入口を無料で広く提供し、その中から有料ユーザーを発掘する仕組み。つまり、最初は¥0の価値のモノがユーザーの意識次第で有価化する。この化学反応をおこさせるのがコンテンツに内蔵させる「仕掛け」。しかし、何ごとも基本は物々交換時代からの等価交換がディールの基本だから、最初に無料で何かを得た時にその価値を誤解させてから、半歩だけ踏み出させて、それを1歩に変える方が0から1よりも簡単だということだろう。

 お店で¥1,000の商品がWEBサイトで¥900になり、他のWEBでは¥880になり、しばらくすると、その価格は一定の法則で下降する。そして、同じ商品が突然「無料」になり、無料の機能だけだと物足りなくなり¥100からだんだん¥1,000に上がっていく。この間、この商品の価値はいったい本当は幾ら?という疑問を抱きながら、情報化社会では、物理定数に価値が置き換わる。同じ商品であるならば、¥0より安い価格はないからである。これも販売促進計画の企画書の中のお話。しかし、かなりリアリティーはある。

 しかし、いい商品を開発してそれを購入された方に喜んでもらおうとする開発者・販売者の心意気としては、¥1,200の商品を¥1,000で売っているという自負があるはず。これも物理定数だと言ってしまえばそれまでですが、ここは、心意気という軸でモノサシで推量した部分。が、世の中の動きは前者に軍配がある。本来等価交換であるはずのディールがマスコントールやメディアマジックに捻じ曲げれらた結果の澱である。ここにはたして「真価」は存在するのか?真価を見極める人がいったい市場に何%いるのだろうか?ということに次のステップがあるように思います。あくまでも概論レベルですが。

ガーボル・デーネシュへのリスペクト。

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 そうかそうか、グーグルはガーボル・デーネシュをリスペクトしているのか。今回も素敵なヘッダーアレンジですね。素晴らしい。

なるほどなるほどhtml5ベースか。

 「HTML5の完成には、あと10年はかかるでしょう。アドビはHTML5のWGのメンバーとして必要な作業をしていきますが、一方ではFlashプラットフォームのイノベーションを続けていきます。~HTML5をサポートしているという発言もあり(「完成に10年かかる」という言い方には多少の悪意を感じますが)、対立しているつもりはなさそうです。というのも、Flashプレイヤーは無料で配布しているものであり、アドビの主な収益の源泉は開発ツールからです。たとえWeb標準としてHTML5がFlashを置き換えてアプリケーションプラットフォームとなったとしても、HTMLのオーサリングツールであるDreamweaverが彼らのラインナップにあるように、標準をサポートする開発ツールを出すことによってアドビのビジネスモデルを維持することはできます(もちろんFlash/AIRというアドビ自身の技術がデファクトになることこそアドビにとって最も望ましいストーリーではありますが)。」とある。なるほどなほど、そういうことなのか。

 どこを指してエンドユーザーとするかはボーダーレスになったとは言え、超えられないボーダーラインは確かに存在する。が、デベロッパーの裾野が確実に広がり、ツールキットが下層まで降りてきていることは事実である。そのボーダーを超えられるか超えられないかは少なからずコストも影響するだろけれど、やはり、開発者のクリエイターのポテンシャルに依存するのだろう。国家的パイの物理的な研究には歴史があり背景が確立されてそこに存在する門は確かに狭い。しかし、まだまだ、IT分野は未開拓エリアが残っている(というか未開拓であるか否かさえ開発者・挑戦者のポテンシャル次第)わけですから、FACEBOOKが3600億円になるような先鞭一隅のチャンスはまだ残っているわけです。

 市場がhtml5になる10年先!?(たぶん)がひとつ雌雄を決するゴール地点になりそうですね。

 でも、自分自身、その頃には100%アナログ人間に戻っているかもしれないし・・・。

A.S.2.0から3.0へ。

 アップルさんの考え方はかなり特殊になっている傾向がありますが、市場を確保したい気持ちがここまで固執するとそれはそれでひとつのブランド戦略のルート感があります。が、普通にWEBサイトを閲覧しているにはこれらのことは「なんのことやら・・・」でいいが、WEBサイトで何かを発信していこうという立場に立つとそれはまた違った見え方をしてきますね。iPod+サファリに何故flashが走らないのか?この部分の確執がこれほど頑強で根が深いとは、まったく驚愕です。しかし、双方にそれ相当の理由があるからこの現状があるのでしょうが、その動向をドキドキして見守っている全世界のWEBクリエイターの皆様の生の声を聞きたいところ。どんな見解があるのだろうか非常に興味があります。

 で、具体的な取組りとなると、2.0を3.0にリメイクする必要があるのですが、それも、ざざっとリサーチしたレベルではまだまだ、日本語で取り組んでいる人は少なそう。ゴリゴリとスクリプトを書ける人はそういないだろうし、また、デザインや販売促進という視点でプログラムな方とコラボってみると、双方の思惑が微妙にずれている。この誤差はいつの時代のどの場面でも存在する誤差だろうけれど、今、世界で起こっているAPPLEとADOBEのつばぜり合い!?はどこで和解するのだろう?いやいや、どちらかがコテンパンになるまでやめないのだろうか?いやいやいやいや、ソフトがハードを飲み込んでしまうのだろうか・・・。双方妥協はしないだろうけれど、もっと、ちょうどいいボチボチラインでちょっとづつ答を出していってほしいなぁ~と思います。

 まぁ、他力本願なことですが、テクとテイのバランスをとりながら「この感じええやん!」というコンテンツやフレームをひとつづつ創っていくしかなさそですね。

つぶやくのは苦手かも・・・。

 まだまだ、入口の前ですが、ツイッターでひとことふたことつぶやてみたが、どうも、リアリティーが感じられない。それは、仕組みの中へゴロンとダイブしてないからに他ならないが、そこまでがかなり自分自身遠いと感じてしまっている。もしかして、想定以上に距離があるような感覚。

 確かにblogもmixiもそうだったかもしれないので、今の段階で安直な答を出すことはしたくないですが、入口はかなり自分自身の感覚で言えば小さいツイッター。ということで改めての部分で自分自身と「つぶやく」ということの距離間が意外と遠いことに気が付く。誰かに聞いてほしいひとりごとをインターネットに書き込み、それを誰かが追尾してつぶやきが言葉になり潮流になっているのでしょうが、でもでも、やっぱ、たった140文字で何が組み立てられるのだろう?当然、組み立てないからツイッターなのでしょうけれど、では、140文字に対して140文字を返すことが、140文字をフォローし続けることの実態が何なのか?を知りたい感じたい。

 が、そういうアプローチの人間はたぶんツイッターは向いていないのかもしれない。入口付近でのこの躊躇は意外と根が深いかもしれない。

adobe vs apple vs microsoft.

 どうしても今後の動向が気になるこのトライアングル。渦中の「iPad」を含めた電子ブックまわりの渦が今後どう波及し浸透していくのだろう。一時のペーパーレス時代の幕開けはそれほど波及も浸透もなかったという声も聞く。逆に不必要なプリントアウトが増えて別の紙のニーズが発生しているとかしていないとか。たぶん、世界のクリエイター達が仕事のプラットフォームであるMACからWINに移行を始めたあたりからアドビの考え方が中立、ちょっとWIN体重になったのだろう。そこからappleが電話や携帯プレイヤーで巻き返しを目論み最終兵器がiPadということになるだろう(今のところ)。で、ブラウザのお話ではどうやらIE全盛の陰りが見えている。いろいろな面でのほころびが見えはじめている。次はどうやらFIREFOXらしいが、それもさてその背景をしっかりリサーチする必要があります。

 そこでやはりHTML5.0とSWFの関係がこのトライアング内でどう緩衝し合うのかということ。たぶんその頃のタイミングが私自身もMACの幻想から覚めた頃だったのでとても複雑な気持ち。アドビのツールは優れてはいるが、世界標準に準拠できなければSWFも効果が下降する。が、このクオリティーをアップルがどのテクでアプリ化したところで、やはり、FLASHの牙城は揺るがない。もう、iPadのアプリがどうのというレベルのシェアではないはず。どこに軍配が・・・ではなく、この三位がほどよく共鳴してほしいと心から願うばかりである。

ツイッターの実感はまだ・・・。

 昨日、ツイッターに登録した。まだ何も分らない。何をどうすれば面白いのか?どの部分が昨今のツイッターブームのリアリティーなのか?これをどう活用すれば楽しい感じになるのだろうか?興味が先行して何事もこのテイに首を突っ込むのですが、まぁ、世間一般的に無害のようですから、まぁ、少しづつ覗いていれば楽しいこともあるだろう・・・ぐらいのフィーリング。

 しかし、いろいろなサイトを拝見したらその中に常に画面のどこかに「ツイッターボタン」がある。ということは、公式ブログやmixiのようにインターネットで何かを発信・受信している人にとってのツイッターはなくてはならないギア(ネットワークフレーム)のようです。その歴史をリサーチすればまだまだ初期段階ですから、取組みとすれば、遅くはないだろうが早くもなさそうである。

 さてさて、「ツイッターおもろいなぁ~!」と実感できるのはいつ頃だろう???

 ちなみに登録名称は「actkhuz」です。ツイッターパワーマスターの方がおられましたら、検索してみてください。そして、「ツイッターノウハウのつぶやき」をお願いします。ただ今の段階で140文字に限定されるのはなんか物足りない実感があります。

ツイッター文化。

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 やはり、どうしても、「ツイッター」が気になる。世の中のスタンダードを全部受けれていたら胃がいくつあってもキリがないのだけれど、書店でこうも「ツイッター」の啓蒙とうか洗礼を受けてしまうとどうしても触手が伸びる。また、別にこれをどうしたところで何か支障があるわけでもないだろうに・・・と少しすつメガネが外れていく。これも広告効果という奴だろう。で、手にしたこの自称スタートアップガイド。読めば、だいたいのガイドラインは思っていたようなもの。で、活用術の部分を細かく確認してもそうそう革新的なことは書かれていない。つまり、世の中のニーズとはいたってシンプルであると気づく。「140文字のつぶやき」。たかがつぶやき、されど・・・なのである。

 「ツイッターとはそもそも有名人・著名人の道具である。」とまずこのマガジンは言っている。その上で一般の人にもこの道具は有効ですという啓蒙が始まるわけですが、つぶやき→フォロー→つぶやくというループが昨今のデジタルデバイスの浸透率とこれほどマッチした仕組みはなく、どちらがにわとりでどちらがたまごだっていうことなどさて置き、まずは始めてみましょう!というのがこのマガジンの真意だろう。それはそれでとても理解できる。今さら、ツイッターの仕組みや効果や歴史を知ったところであまり意味はないしそんな複雑な便利さを一般の人が求めているわけもなく、1Q~のようなシンプルで理解しやすいテイのつまり、数値で言えば85~90ぐらいの人がターゲットだろう。つまり、いくら便利で売れているデバイスでも110以上のつぶやきは重いということ。

 で、つまり、ここが一番の本丸ではあるが、ツイッターにみる現代のコミュニケーションを考察する時、ポイントはどう便利かではなく、どうニーズに反応できるかでもなく、何事も受け入れやすさが重要なのである。難解で会得に時間が必要なことにはあまり反応しないニーズが世の中を動かし、それが新しいニーズ層になっている。この鉱脈を発見した人やこの鉱脈を仮想空間に創出した人は素晴らしい。それになりの恩恵を受けているだろう。が、やはり、ノビシロの少ないデバイスはバージョンアップのサイクルも激しく、獲得したニーズを右往左往させることになる場合が多いだろう。が、それもすでに予定調和であるからこのテイがまかり通るという仕組みだろう。

 そこまで考えさせるツイッター。さてさて、どのタイミングでダイブしようか・・・。

デコレーションメールが叶える・・・?。

 あなたの「文字だけメール」、7%のキモチしか伝わっていないとしたら・・・って、「デコメが叶えるハッピーコミュニケーション!美メールレシピ」という書籍のキャッチコピーですが、まぁまぁ、強引な物理定数とふわふわした文脈だこと。この仮説の背景や実体がもし7%しかなかったら・・・という切り口体重にどうしてもなってしまいますね。これもライターの意識と著者の意識の思い切りというか、なんでもかんでも言葉を並べておきましょう!的な判断がなんとも緩く、それならこの広告の紙面をもっと、得意のデコレーションで装飾アレンジすればいい。広告にはデコレーションを抜きにして、あなたの文字だけメールが7%しか伝わらないという根拠は?あなたの文字だけ広告なら7%以上伝わるのか?もう、支離滅裂であるが、たぶん、このテイの書籍は売れているだろう。この場合の売れているという指針はどこに設定すればいいのかも不明ですが、昨今のニーズと市場を観察していると、このテイに反応する人は比較的多いだろう。この場合デコレーションが目的になり、伝えることが手法になっていることは確かであり、ハッピーになるためにはこの組み合わせが、現代のテッパンですと言っているようにも聞こえますね。

 わたしは絵のコミュニケーションと文字のコミュニケーションを生業にしている立場上、それを混在させるグラフィックデザインという手法で伝えたいこと明確に絞り込むという思考で仕事に取り組んできた。それが、このテイのニーズも視野に入れるとなると、本末が転倒しますが、それでも、一回は飲み込んでみようと思っております。

 で、胃や腸がそれをどう消化してエネルギーに換えるかがとても興味あります。が、絵文字がそれほどコミュニケーションを潤滑にするのなら、もう、文字という伝達方法に限界が来ていると考察することができるし、いやいや、文字の組み合わせでは複雑過ぎて伝達できないから、絵でそれを補うという構図なのだろう。う~ん、これは非常に奥の深い問題ですね。

華名さん公式WEBサイト。

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 いやいや、世の中には逞しくも魅力的な女性がいるものです。大阪芸大(短大)出身ってことでなんとなく親しみを覚え、動画を拝見したらバシバシの関西弁。これもいい感じ。たぶん、このような方の周りには元気な魅力的な人たちがいっぱい集まってくるのだろうと思います。やはり、古今東西、ビジネスの仕組みや金看板が人を引き付けるのではなく、人はやはり温度の高い人、魅力的な人、ポテンシャルの高い人に引力を本能で感じるのだと思います。理由とか根拠とか背景とかはあとから勝手にどうにでもなるってお話。

 さらに、華名さんはデザインオフィスも展開しておられるというマルチぶり。そして、来る29日にプロレスのイベントも企画・運営される・・・。う~ん、このエネルギーの素晴らしさと行動力の迅速さ。動く人の方程式を持っておられるのですね。

 詳しくはこちらをどうぞ。「華名さん公式WEBサイト」

いいですねぇ~。

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 本日のグーグルのヘッダー。いい感じいい感じ。

ズバリ、SNSとは?

 ある書籍からの抜粋です。「SNSは人間関係を表現するソフトウエアだと言われている。具体的に「日記」「あしあと」「コミュニティー」は非常に面白い機能ではあるが、SNSの本質を考えたときに、究極的にはこれらの機能が含まれなくてもいい。このように書くと「面白い機能が何もないじゃん」と誤解を受けるかもしれませんが、多くの機能を中途半端に追加するよりも「人間関係の表現」に特化する必要があるということを伝えたい。その「人間関係の表現」ができてこそ「日記」「あしあと」「コミュニティー」などの各機能がより良く機能すると考えています。だからこそ、常にSNSは何のためのソフトウエアなのかということを意識しながら開発していきたいと考えています。~中略~例えば、MediaWikiは「知識の集積」、WordPressは「日記」、Flickerは「写真」、YouTubeは「動画」をそれぞれ照らしているように、このSNSソフトウエアは「人間関係」を照らしているのです。」と。

 そして、面白いフレーズがあります。よく企業や地域でSNSを導入して会社の人間関係や地域のネットワークを活性化しようと取り組まれている。しかし、それは全く本末転倒ですと。まったく真逆なんですとある。企業も地域も活性化されている状態があるからこそSNSの導入の意義・価値があると。SNSを導入したから活性化されるなんて都合のいい仕組みはどこにもないのである。e-ラーニングのプログラムに依存している昨今の大学の教育現場の本末転倒さ加減がなんとも悲しくなる。もともと活性化され教育の仕組みや大学のポテンシャルがあるケースでこれらの仕組みが導入されてこそ・・・の部分なのである。だから、SNSは錬金術ではない。

 で、これ関連でこんな言葉が添えてありました。「完成(デザイン上の)」とは、付け加えるモノがなくなた時ではなく、むしろ何も取り去るモノがなくなった時である。」と。う~ん、重いフレーズである。これらはこの論文のワンフレーズらしいですね。詳しくはこちらをご覧ください。論文「伽藍とバザール」

 そろそろ、ITについての万象が確実に次の変態のタイミングをむかえている。

進化する立体(3D)映像。

 どうやら2010年は3D映像元年になりそうな予感がします。様々なジャンルで3Dがキーワードになっているように感じます。テレビ、携帯端末、インターネットなどなど。勿論、グラフィックの世界でも3Dは必須アイテムになりつつあり、その仕組みや技術についても次から次へと新しいアプローチが展開されいき市場の反応を伺っているような構図。そこで市場は本当に3Dを望んでいるのかという疑問が湧き上がりますが、これは大きな潮流としてもうどうにもできな流れ。映像を立体的に見せるという技術の進化がさらに加速している感じ。それがエンタメのジャンルを飛び越えて家電や医療や会議システムなどのビジネスシーンを席巻するだろう・・・と。

 で、そのコンンテンツを受ける側としてはそのムーブメントをどのように受け止めればいいのか。「おおっ~!」「スゲッ!」と驚いているだけでいいのか。まぁ、3Dの映画館などは一番分かりやすいテイですが、その技術だけを捉えてもそれほど感動率は低く、やはり、そもそものコンテンツのアイディアや企画内容がしょぼいと「飛び出してるけど何か?」みたいなことになるようにも思える。

 医療の現場でどう3Dがマッチングするのかは医療のことがよく分からないのでチンプンカンプンですが、病床の早期発見と治療方法の検討に活用されたりということなのでしょう。

 街中に3Dの看板が現れ、昔観たSFの映画ような世界がもうすぐ訪れるのでしょう。それがまっとうに描いた未来像なら人間は正しい道を歩んでいるということになるが、それで根本のリアリティーの質が上がるわけでもないだろうし、冷静に天邪鬼に捉えると、まだ、観てはいませんが、たぶん、映画「アバター」を観たような感覚になるのだろうと想像しています。観たこともない映像がいつしか慣れて3Dが当たり前になった時、ヒトの欲は何を求めるのだろう・・・。ただ、その時代の表現技術を楽しめていればただそれだけでいいのだろうか。

SNSの在り方。

 SNSについてmixiをはじめとする成功例がイメージ先行しているような気がする。本来mixiの関係者はここまでのヒートアップを想定していただろうか?というぐらいの浸透率をはじき出している。最近ではテレビCMも作っているから、もう、WEB発信のツールがメディアを塗る変えている構図が一番分かりやすい印象的な出来事でした。私もこのブログをスタートする前にあるクリエイター仲間から、グイグイと進められてmixiに招待してもらった。それきっかけで確かにWEB上のネットワークへのアプローチが数段高く深くなったと振り返ることが多い。あの時、彼に進められなかったらたぶん今でもSNSって???状態であったことは否めない。つまり、これを必然とすると、そういうことなのである。

 ここにSNSの定義がある。「SNSの定義は人それぞれ。どのSNSでも、フレンドリストやマイページ、プロフィールがあるということは共通していますが、招待制であるということ、足跡機能がついていること、日記が書けることなどの要素がSNSには必要だという人がいます。SNSと言えば大手のエンターテイメント型のコミュニケーションサイトを指すことが多いようです。しかし、SNS先進国の欧米では、学生専用のSNS、ビジネスや転職を目的としたSNSも登場しており、日本よりも広い概念としてSNSは認知されているようです。物事の定義はシンプルな方が良いと思われ、SNSをこのように定義してみました。「社会的なつながりを目的とするWEBサービス」と。それをWEBを活用して表現することがSNSの本質であると・・・。」となっております。うん、確かに構造を分解するとこの定義はとても納得。しかし、そこからスタートしたSNSがかなり先入観や思い込みで先行している部分も存在しています。

 PCのアプリやWEB上のツールは発展途上では「機能重視」だったのが、それが安定期になると、人間関係の構図やそれに関わる人のポテンシャルがその繋がりの広さや高さや深さに深く関連し始める。そこで、フレームはできたがコンテンツが不在の空洞化現状が起こり、いつしか、ハード先行の情報化社会になっている感じが否めない。やはり、何事も本末転倒は避けなければいけないということ。

 で、人はどうなった?それを活用して、進化進化と騒いでいるが本当に歩を進めているのか?勿論、自分自身にもその投げかけは常に意識しているが、明確な石を投げて湖面に広がる波のようなリアリティーはない。人の五感は質量のないディテールが感じられない存在には最後の最後で反応していないような・・・。これは、WEBを仕事にする、デザインをクリエティブを仕事にする人間にしてみればとても深刻なテーマである。表現と本質のバランス。全てはここに起源が存在するように思います。イグアナが食物を求めて海に潜ったように・・・。

新生活に欠かせない16のアプリ!?

 ソフトバンクも強引である。いくら素晴らしいアプリであろうが、このキャッチコピー案にOKを出したとは・・・。「新生活に欠かせない、16の必須アプリケーション。」って、アプリケーションがまずなぜ必須なのかを棚に上げ、欠かせないって・・・。

 また、別のメルマガにはこうある。「今日の企業にとってWebアプリケーションの性能を最適化し利用者の満足度を高いレベルで維持することはきわめて重大なテーマです。特にオンラインビジネスの世界では、Webアプリケーションの性能に対する顧客満足度が、ビジネスの成否に直結すると言っても過言ではありません。」何が過言なのか、何を指して過言と言い切ってしまうのか?まず、そこの大きな疑問から思考が先に踏み込めない。

 なんでもかんでもWebアプリケーションが全て?もう、こんな疑問さえどうでもいい感じなのに、実は。それを新聞の全15段でカラーでやってしまうと、それは既成事実から紐解くしかアプローチが見えない。これからの新生活は当然こうあるべきですよ!だから、この16のアプリが必要不可欠って言っているわけだから、よくよく考えれば恐ろしい論法である。

 それなら、まだ、「サバ」や「眉毛」の方がヒューマンタッチでユーモアがあり、頭にしっかり残るって話。ソフトバンクは何を焦っているのだろう・・・?

やっぱり、P.V.3Dにしよう!

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 どうもアクトのWEBサイトのリニューアルデザイン案とメインテクノロジーとアイディアが決まらぬ。これが決まらぬから次の情報紙S.O.S.第27号の企画・編集モードにならない、だから、その次にやりたいプランが少しも進まないという、この、アクトのWEBサイトのコンセプトと表現がなにやらずっとボトルネックになり中から何も出てこない。ボトルネックというよりもラムネの瓶のビー玉状態。今回のこの決め手は言わば、ビー玉をグイッと押し込むとラムネが中からプシュー!!!と出てくる前の感じ。入手してサンプルソースコードはすでに何度となく昨年の暮れあたりからチマチマとやっているのですが、それが、チュートリアル中心で応用編がない書籍だったのですが、この2月に発見したこの書籍はわずかばかり応用編がある上、チュートリアルサンプルもなかなか具体的で活用できそうなサンプルが多い。前の書籍では「どうしたら改造できる???」が常にあったのですが、今回発見した書籍ではそれらがより、FLASH-DEVEよりに応用のテイで記事がチョイスされ、著者の活用術のベクトルも非常にストライクゾーンが広い。まぁ、それらの理由でこの書籍は買ったのですが、にしても、魅力的な応用編がけっこうありましたね。その中のサンプルはこちらです。

 これらをチマチマと改造しながら、新しいコンテンツ開発に取り組んでいます。

詳しくはこちらをご覧ください。Papervision3D-sample

1億人の発信者たち。

 誰もが発信ツールを得て、デジタルの海に向かって、書き込む、つぶやく、叫ぶ時代。ある識者が言っています。「今言葉を発している人には受け手が見えていない。日本語は子どもでも使えるという誤解があると。」この場合、子どもという例えが何を指しているのかは置いておいて、受け手を無視した言葉が実は情報の実体で、主体も客体もなく、ただ、二酸化炭素のように言葉がサーバにた蓄積されていく。そんな無駄な情報の地層の上に、はたしてどんな文化や歴史が構築されるのだろう。時代の流れと共に圧力で石になりそれを道具にまたマンモスを追いかけるのか?

 つまり、バランスが必要だということだろうし、下手な鉄砲を打ち過ぎてもう弾丸がなくなっているのが普通なのに、この時代はピストルも弾丸も仮想だからなくならない。その煙が雲になりクラウドって話。世の中はその煙でもうもう。風が吹けば普通は視界が澄むはずが、あまりにも煙の密度が高く次から次へと大砲を打つものだから、風が逆に煙を運ぶ構図。これでは、目標を見失うだろう・・・みたいな。

 で、「伝えよう」「伝えたい」という言葉だけが循環する場所まで行けばたぶんこの煙は回避できるはず。そこは、海底なのか高い山の頂きなのか?平野部からそこに行くにはやはり時間とギアと手法がいるということだろう。1億人の声や言葉が一端化石になるまで、蓄積したらそれを掘り起こして博物館に並べるというビジネスも出てくるだろう、いずれ・・・。

グーグルのヘッダーいいっすね。

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 本日のグーグルのヘッダー画像ですが、いいっすね。ほんとにグーグルは楽しい。情報の提供の手法や仕組みだけがグーグルの意図ではなく、そこに、しっかりとデジタルなりの価値というか意義を組み合わせている。それは表面的にはデザインという形で目にすることができるのですが、その裏にある「楽しさ」とか「ワクワクドキドキ感」はさすが。やはりこれは創り手のポテンシャルでしょうね。いい人が創ればクリエイトは自然にいい感じになり、緩い人が創ればどんだけいい環境下でも作品は緩くなる。ここに一番危機感を持って行く必要がある。という意味でグーグルが健在な理由はそれを支えている人が常に動いているからだろう。だから、楽しくなる。当然の仕組みでしょうね。

何故?つぶやくのか?

 ツイッターというつぶやき。より情報の発信携帯をスリムにシンプルにすることで、その反応やリアルタイムの時間軸を切り取るデジタルコミュニケーションといったところでしょう。それほどつぶやきが必要なのだろうか?時間経過を意識化させることで、情報の新鮮度合いに優劣をつけられる仕組みなんでしょうけれど、それは確かにある種の価値を感じる。しかし、その時間の経過をログる、作用と反作用を価値や意義に変換するということが、さて、どこまで五感を刺激するのだろうか?まぁ、総じてそういう時代だと言うことは非常に安易である。どこかの段階で活用してみようとは思いますが、マスメディアからの情報の均一性の上澄み液ができたら欲しいところです。沈殿する前に拡散させてこの中にある純度の高いsomethingだけをすくいとりたいと思います。誰しもがそう考えるでしょうから、あとは、でたとこ勝負でしょうね。まずはDIVE。

ColdFusion8というギア。

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 リサーチし始めるとキリがない。どこかで手を打つべきラインを見極める。これもビジネスとして必要な判断力。次から次へと新しい技術や機器が投入される市場において、どのタイミングで何をチョイスしてそれをどう会得してどう活用すのかという一連のプロセス。自分自身のギアにするために最初のアプローチはやはりそのビジョンに対する全体像を手の中に一度入れること。で、大き過ぎるのか、重すぎるのか、早すぎるのかを実感しなければ、自分のギアにはならない。下手な鉄砲も数撃ちゃ時代でもないのですが、できるだけ吟味して一発一発撃っているつもり。でも、当たらないとさみしいのですが、それもリスク。ただ、「分からないことが分かった。」という収穫が、時間を経て純化されると、ある瞬間から「分かる。」に変態する場合がある。しかし、それは絶対に一度でも手に触っておく必要があり、画面で見て頭に入っているようでも、それは、実は頭に入っているだけで、何の芽も出ない。

 この時代の大きな錯覚マジックはそこにある。一瞬で欲しい情報らしきものを画面で見て読んで「分かった。」と感じてもその質量のない(限りなく軽い)「分かった。」では応用どころか、利用・活用さえできない。一定期間それに触れて自分の中に入れておくことで、自分の頭の中の「実用」の引き出しに入る。「見えている。」と「見ている。」の違い。「実用」の引き出しに入れるためには、それが、何であれ、一歩程度踏み込むというか、引き寄せる必要があり、その為にも、書籍というテイで情報というディテールに触れておく必要があると思います。

 WEBやデジタルコンテンツが結局、仮想仮想と頑張っているが、人間の五感に響かないのはそのあたりの壁を越えられないからだろう。ということで、このギアは私自身の「実用」の引き出しの中で新しい展開に繋げてくれるのだろうか・・・、って他力本願ではなく、今夜からガッツリ取り入れ作業開始なのですが。旧バージョンは使っているので、8ってことがキモなのです。どうブラッシュアップされているのやら。

6666ビジター、62008ビュー。

 2010年1月の「スギノのノギス」ブログは過去最高のアクセス結果でした。ガチで嬉しい。今年の5月で3年が経過するのですが、初めは緩い気持ちでスタートした「スギノのノギス」ブログでしたが、やはり、はまってしまいまして、気がつけばコンスタントに毎月30投稿以上のペースで現在たぶん1200投稿以上していると思われます。「何を書こうかなぁ~」「どんなブログにしようかなぁ~」「コメントってなかなか頂けないなぁ~」と緩~く続けてきたのですが、それでもいろいろな方から応援のメッセージをいただけるものですから、ここまでブログの樹に登ることができました。おだてられると何でも嬉しいってこと。続けることが大切ですと、いろいろなブログを運営している有名どころの書籍を読むにつけ、「結果が出るのは時間がかかりますが、続けることが大切。」という言葉を信じてここまで来ている感じです。

 で、1月に訪れていただけた6666人のビジター様には感謝感激です。これは何よりもモチベーションになりますし、「ああしたいこうしたい。」もたくさんあるので今後もこの調子で軸のぶれない、でも、道草もいっぱい・・・というテイストでアート・デザイン・クリエティブについてのオモロイ・タノシイを書き綴っていきたいと考えております。何よりも楽しいというわけではありませんが、ブログが手に馴染んでくると、頭の中が整理されたり、それまで見過ごしていたサインも丁寧に拾うクセがつきます。これは、自然とそうなった結果でそれほど無理をしているわけでもないのですが、自然と時間を見つけてキーボードに向かっている感じが心地いいです。

 しかし、6666の訪問者のこの数字は何かを意味しているのだろうか・・・?。

FLEX3という仕組み。

 なぜFLEXなのかという部分を考える。それは、WEB本体の進化の過程とそれが市場にどのような機能を配信するかという軸が一番重要なポイントである。従来の静的なページやダイナミックWEB的な機能は時代の流れと共に確実に進化してきている。このテクノロジーでも勿論従来の機能的な部分は十分にクリアしているのですが、それで市場が満足しないというわけでもないのでしょうけれど、技術の進化という視点でその背景には市場のニーズの多様化というか確実に高いレベルを求められている層が存在する。それを技術的にどう対応していくかという部分が大切であり、高すぎる技術を棚に上げてしまった瞬間、技術者としてというかクリエーターとしてTHE END.のような危機感があります。

 もうかなりスタンダードですが、FLASHという技術は目に見えての部分で動的に印象的にという動きの部分だけでブラッシュアップしてきていない。FLASH=写真が上下にF.I.とF.O.を繰り返して「おおっ~!」という時代ではない。逆にそんなFLASHの使い方をしているWEBサイトを一瞬でも見てしまうと、何かいけないものを見てしまったような気持ちになり、ドキリとする。このドキリは何のドキリかと言えば「ええ~っ!これでええの?」とか「これはFLASH3で作ったの?別にJAVA.S.でもできるやん?」とか「いやいや、もしかして、オンマウスで次の瞬間3Dになる???ならんのかい!」みたいな感覚になる。必ずしも作り手の方の技術的な部分を見下しているわけでは決してありません。ただ、他には凄まじいWEBサイトの進化形があり、それらのWEBサイトは機能やデザインやステイタス・ブランド化を目指しているのに1998年頃なら、これでいいのですが、この動きやこのデザインでは・・・、みたいなWEBサイトはガチでキツイ。逆にお金をもらってWEBサイトを企画し構築し運営している立場の人間がこれでMAXということになっている現状が怖い。自分自身、この危機感をしっかりと持ち、デザインや機能面もさることながら、作る技術についてもやはり、「いい感じ」のWEBを創らねばと考えています。

 そして、FLEXである。FLASHのことは比喩であり、WEBを考える時になぜFLEXなのかという例えなのですが、DTPについても、イラレの3.0でもデザインはできるが、WORDでチラシを創ることが、さて、どうなのか?というベクトルのお話になります。チラシ状態になっているからチラシではない。二つ折りになっているA3の紙がそれだけでパンフレットではない。ここが仕組みと深く関係があるように思います。

 広げればキリがない話になってしまいましたが、なんでもそうですが、「安泰」の2文字が怖い。

ビジネスメールのルール。

 確かに最初は仕事にメールを活用するのはなんとなく無味乾燥になりがちで、PC独特の冷たさがどうにもこうにも思考錯誤してもニュアンスやフィーリングを伝えにくいように思えて必要最小限程度のほぼ連絡事項的な文脈で完結していた。しかし、ここまでメールが浸透するとそのスタンスではいけない。自分なりの活用術や世間一般の常識を踏んでいる必要がある。やはりここまで活用されているということはいろいろなメリットがあるということだし、無味乾燥になりがちな部分をなんらかのセオリーやポテンシャルで回避しながら有効な伝達手段として活用することがスタンダードになっているのだから。

 で、顔が見えないだけに気持ちが伝えづらく、誤解を招くような原因になりがち。でも、ちょっとした工夫で表現力はアップするのだろうし、メールならではの自分自身の表現をしっかりと心を込めて取り組めばこれらのハードルはクリアできると考えています。また、最近は携帯電話でのメール機能もPCと同じぐらいに浸透してPCとモバイルを連携させることでかなり有効なビジネスツールとして機能する。しているように感じています。

 そんなことを考えていたらやはりその傾向と対策に関する記事や情報にどうしても目がいく。その情報にはこのようにビジネスメールの活用する際のポイントが紹介されていました。「気持ちを伝ええるメール術」として、まぁ、活用しておられる人にしてみればベタなことかもしれませんが、やはり、基本的なことは何回確認してもいいと思いますし、たぶん、こんなことを書いてあるのだろうなぁ~とタカは括って読み始めましたがなかなか整理されていて「なるほど度」は意外と高かった。

 まず、気持ちを伝えるということで「お互いの関係をよくするには~」というポイント。「定型文では読み手の心に響かない。画面上で読む文章は無味乾燥に読まれがち。そこで一言、励ましやほめ言葉、比喩表現を入れる。ややオーバーナ表現、陳腐な言葉も、一カ所だけなら違和感も少ない。」と「追伸を活用する。自分の近況や相手の体調を気遣い、雑談などを入れる。追伸に個人的感情を交えることで全体にメリハリもできる。ただし、長すぎると読む負担になるので完結に。」とある。うんうん、確かにの部分でこのテイはすでにビジネスにメールを活用している方なら標準の心配りでしょう。ただ、自分自身の反省点とすると、伝えるべき連絡事項の前後の追伸文がテンションが無駄に上がってしまって、長文になってしまい送信してから、ああ~また余計なことばかり書いてしまったという反省ばかり。

 次に「交渉をうまく進めるためには~」というテイストなら、「何かを依頼するときは頼む理由を完結に付記する。表情や声で感情を伝えられない分、こちらの本気度を文章で必ず表現する。」や「断るときは代案を。普通に断ったつもりでも、メールの文面だと拒絶に受け取られることもある。表現を和らげると同時にできれば代案も添える。」。そして、「送信前に印刷して読み直す。相手が目の前にいないとこちらの感情ばかり高ぶってしまいがち。特に苦情や不満を伝えるときなどは、印刷して読み直すワンステップを踏み、感情的な表現を避ける。」などが効果的。この部分も確かに。海外の方と情報交換する時も英語力が乏しい私は定型の中の定型のような文面を書いてしまうのですが、それがどうやら、先方には堅苦しさを通り越して不思議な文章になるらしい。もっと、ニュアンスやフィーリングで英語文が書ければいいのですが、でも、勇気を持って英語でメールを繰り返していると自分の未熟な部分もよく見えるし、そんな暖かい送信相手に恵まれると、次からは英語でニュアンスやフィーリングをたどたどしくも考えるようになる。これが進歩になればいいかなと思います。最初に恥ずかしい感じでも前向きにさえいればあとは時間が解決。みたいな部分もあります。

 その他として、気持ちよく読んでもらうために「件名は完結に」とか「時に前置きは不要」などとストレートやフックも大切ですがジャブも必要だということ。パンチを受けて対戦相手を知るみたいなニュアンスでしょうか。

 といずれも少しづつは気にしている内容でしたが、こうして改めて文章にまとめるとより明確に意識できるという今日この頃ですね。余談ですが、ある書籍で「書籍の構成のポイントは~」という下りで、ひとつひとつのチャプターの書き方のポイントが書かれていました。それは、「ポイント→理由→エピソード→ポイント」の構成が伝わる方法ですよという内容でした。これも確かに!!!メールひとつ。書籍の文脈ひとつ。ぼぉ~と読んでいたら気付かないことも少しでも背景が見えたり、注意点が整理できると、よりアレンジ力やインプレッションも上がるように思いますね。

情報から記録へ、創造から発信へ。

 結局、あらゆるふるまいにあてはまるパターンなのではないかと思うのです。それは、「情報」→「記録」→「創造」→「発信」→という方程式です。すでにサーバに存在する膨大な情報や日頃目にする手にする耳にする情報は決してそのままでは「創造」というプロセスに移行しにくい。必ず、「記録」というプロセスを経て「創造」に繋がる。それが「発信」されてこそ生産的な効果的なスパイラルが完成する。

 例えば、昔、イラストレーションの仕事をしていた際に、有名なイラストレーターのタッチを取り入れて新たに手描きでイラストレーションを仕上げたいとアプローチしていた時。その場合、書籍や実際の作品を目で見て、もしくは書籍のノウハウの部分の文字を読んで理解しようと努力する。なるほどなるほどこの絵のポイントはここでこのような画材でこのように描けばたぶんこの仕上げ状態なるとまず頭で理解する。そしてイラストボードに向かう。が、頭で描いた仕上がりには程遠い。何故か考える。技術が足りないのか?頭で理解したことと実際とはポイントがずれているのか?そもそも見ていたイラストをこのモチーフに改造することが不可能なのか?長~い(長いだけの)経験値のモノサシで目の前の作成途中のイラストを推量する。結果、技術も足りない、ポイントもずれている、改造も不可となり、途方に暮れる。でも、仕事としてイラストは仕上げなければいけいない。この状態がとても苦しくてとても楽しい。ただ苦しいならたぶん今でもこの仕事はしていない。と、「楽しい」があったから今でも相変わらず同じことを繰り返してちょっとは昔より進歩したかな・・・などと余裕をブチカマシたりもできるのである。ここでのポイントは「楽しい」ということと、この「自分だけのモノサシ」の存在である。これが、たぶん「情報」を「自分の記録」に変換するために機能しているように思える。あとは「創造力」。クリエティブとは0から1を創りだすことではない。ただの自分のスパイラルのひとつのプロセスなのである。だから、ソフトウエアはツールとしてのみ活用すべきで「創造」の部分で依存すると「自分のモノサシ」の危険信号が点滅してしまう。そして、モチベーションとはこれらのスパイラルを維持・向上するためのエネルギーだと思います。もう少しこの洞察を膨らませたい気持ちもありますが、それはまた次の機会に・・・。

メルマガパワー。

 いろいろなサイトに登録している関係でいろいろなメルマガが到着します。ほんとにいろいろです。それこそ90%以上は瞬殺しているのですが、しかし、もしかしたらその中にもいい情報があるのではないかと結構貪欲に一読しているのですが、またか!というメルマガの中にもなかなかメッセージ力のある文章があったりすると、この角度でこうアプローチしてくるのか・・・とその巧みな文字表現に感心することもしばしばです。

 「≪急募≫当社の成長スピードを加速させるために、ぜひあなたの力を貸して下さい!」「ますます需要の高まるエネルギー改善サービスを担いませんか。」「0→1を生み出しているのは、営業です。」「楽しむことなら、誰もができるはず。オモシロコンテンツのデザインを福岡ではじめませんか?」「お客様に本気で向き合う仕事がここにあります。」とかなかなかのコピーライトです。実態を確認するまでには至らないものの、メルマガというツールを最大限に活用するためには、数と巧みなライティングですから、たぶんこの文面はメルマガライターさんが考えているということは想定して、いろいろな切り口があるものだなぁ~といつも感心しています。

 逆にアクトで何か情報を発信する場合も、体裁をきれいに整えたいというモードになり、そこそこの言葉しかチョイスできないだろう。もっと訴求力や効果を上げるためにどのような文章表現を試みるかという部分ではとても勉強になるメルマガ攻撃です。

 でもやはり一番心に響くのは素直に「◆27日まで限定◆先着50名様に特別クーポン発行、早い者勝ち!◆先着外の方にもEメール特別割引有!」ですが・・・。

XOOPS CUBEか・・・。

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 5年前の印象はモジュールが多いが重い、必要でない機能があるためにデザインの融通が利かない。みたいな印象があり、手軽なM.T.やWORDPRESSに走ったのですが、それはそれで正解だったのですが、やはり、WEBビジネスの進化と多様性の拡散の度合は広い。それに追随する、それを牽引するためにあらゆる方面でいろいろなプロジェクトが進行しているのですね。たまにそのベクトルになった時しか目的意識を持ってリサーチしないので、スルー気味だったモノがこうもブラッシュアップされているともう「驚き」としか表現できませんね。しっかりと開発プロジェクトの皆様はテクノロジーの先端あたりで試行錯誤しておられるのですね。まず、そのことがこの書籍を読んで最初に感じたことでした。

 技術的なことは読めば理解できることですし、汎用性の部分は自分自身のポテンシャルに依存しているわけですから、文脈どおりでいいとしても、開発された皆様のモチベーションは確かなカタチでこうしてパッケージ化されて世の中に出てしっかりとニーズを捕まえているあたりがさすが・・・でございます。

 こんなプロジェクトっていったい具体的にどんな作業から始めるのか想像もつきませんが、イメージしたことや問題の検証を繰り返し、最先端の技術者の方がトライ&エラーで日々試行錯誤されているかと思いうと、オープンソース文化が意外にWEBビジネスの根底の部分を支え、その恩恵を受けている方はどういう心意気でこれらを活用させていただいたらいいのか、という部分が明確に見えるような気がしますね。本当に素晴らしい取り組みです。しかしながら、一番肝心な「活用術」のノウハウの部分、具体的に何をどうすれば「活用」になるのかということがこれからのあらゆるビジネスモデルの波及力や訴求力を左右するのでしょう。つまり、作り手のポテンシャルが時に「月」になり、時に「スッポン」化するのでしょう。

 そういう意味でオープンソース文化にかかわる時に心しなければいけないもっとも重要なポイントは開発者の心意気を継承し、プロジェクトやコンテンツやノウハウに消化させなければいけない。胃液の弱い方は口にすべからず・・・なのでしょう。そうかそうかクリエティブ=胃液から鍛えなければいけないということ。

アバターというリアリティー。

 「サンスクリット語のアヴァターラ(avataara अवतार)は、インド神話や仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」の意味。アバター/アヴァターはその(もしくはヒンディー語形アヴタールを英語表記したavatarの)西洋風の読み方で、概念が似ていることからネットワーク用語として転用されたもの。」とウィキペディアには記載されているのですが、いわゆる「ゆるキャラ」などもシンボルでありこの存在の向こうに神仏的な解釈をしそこに何かを転生させることで自らの~みたいなことが今の旬になっている。それがデジタルで浸透率を上げた結果、時勢のフレーズにまで市民権を得ているのでしょう。浮遊しているいろいろな要素が一定期間を経ていったんビーカーの底に沈澱するとき、上澄みに何が残って、沈殿物には何が含有されているのでしょう。何故、アバターというアプローチでなければならなかったのか・・・、その答もそのうち表出するでしょう。しかし、楽しい文化です。しかし、いろいろなことが起こり過ぎる時代です。これは古今東西同じなのでしょうか。

教育現場の試行錯誤。

従来、教育機関における教育とは、学校というシステムの中で一方向に歴史的、社会的に権威づけされた知識を伝授(教授)することだとされてきました。とくに第二次大戦後に急速な経済成長を遂げた日本社会では、規格化された仕事をきちんとこなす人材を育成し、社会に輩出するという機能が、教育機関に求められてきました。こうした人材はルールを厳守し、ミスのない仕事を着実にこなすことが期待されます。

しかしながら、社会環境の変化によって、求められる人材像に変化が生じています。いまや、工業製品の生産などの仕事だけではなく、ソフトウエア開発などの仕事も、海外の低コストで展開されています。もはや画一的な製品やサービスを提供するだけでは、そうした低コストで高品質のサービスを提供しようと努力している国には太刀打ちできない現実があります。

そこで、こうしたグローバル化した社会環境の中で、分散した素養やポテンシャルを主体的に取りまとめたり、海外の開発国では実現できないようなユニークな製品やサービスを企画できる、クリエティブな人材の育成が重要視されています。

そこでは「競争」よりも「協働(コラボレーション)」が重要です。インターネットの進展により技術の進展や知識の陳腐化が起こりやすくなり、状況の変化に合わせて日々「自ら学ぶ能力」が必要になってきています。

つねに知識体系を再構築しながら最善の意思決定をその都度していかなければ、企業のみならず非営利機関においても経営が成立しなくなってきています。こうした社会を取り巻く変化や、求められる能力の変化に対応するために、世界中の教育機関ではさまざまな取り組みが行われています。従来の「知的伝授型の教育・学習モデル」の見直しが始まっています。そうした背景の中、古くから存在する「構成主義」「構築主義」などの教育理論的背景が現在のe-ラーニングのバックボーンに存在します。

教育現場の試行錯誤も混沌としている。しかし、どんな人材を社会が求めているから・・・ではなく、昔も今もこれからも軸は同じはずだから、これまでのセオリーをどうのとか、ステレオタイプがこうだからこうするべきだなんて議論は控えめにして、本丸でお話できる相互の研鑽で自らを高める現場が教育の現場であってほしいと思います。迷っているなら一度ベルトコンベアーから降りて今自分が立っている場所のまわりをゆっくりと観察するべきでしょうね。

で、このルートに疑問を感じたなら、自分自身がそう感じたならそれは必然として、自分の足で行きたい方向に進むしか本当の前進はないはず。と、まぁ、こんなブログには大きすぎるテーマなので、言及はくれぐれも避けたいと思います。

コンセプト時代なのか・・・。

 2005年に発行された「A Whole New Mind」(邦訳:ハイ・コンセプト 新しいコトを作りだす人の時代、大前研一訳、2006)の著者であるダニエル・ピンク氏は「情報化社会は成長の最終局面を迎え、これからはコンセプトの時代だ」としているそうです。とある書籍からの抜粋です。そこには、切り口としてのキーワードが「豊かさ 物質的に充足し、高品質なだけでは売れない。ユニーク性やデザイ性が必要。」「アジアへの生産拠点の移転による低コスト生産の実現 安さで勝負するのは厳しい。」「オートメーション化の進展 定型的な仕事の自動化はホワイトカラー職にも及んできた。たとえば、弁護士や税理士の仕事のうち定型的な部分を自動化するソフトウエアなどが登場し、以前のような収入や顧客を確保するには工夫が必要である。」というようなキーワードで展開されている。つまり、社会環境の変化によって、求められる人材像に変化が生じているとされていた。

 これらの変化を「コンセプト時代」で一気に包括できそうには思えないのですが、それはこの書籍の中にその著者がピックアップする枝葉があるとして、「コンセプト」とは便利な言葉というニュアンスがあり、「コンセプト」って言っておけば微弱な考えでもそれなりに体裁が整うような感覚もあり、ガチで「コンセプト」となると、そこへ行くまでの伏線をどれだけ積み上げられるかが勝負。確かに上記の考察は実際現実いたるところで起きそうな事象ではあるが、だからと言ってさほど警戒する必要もないように感じている。「ユニークでデザインセンスがある」とういことは意外とオートマチックなようにも思えるからである。

 軸足の問題であり、個人個人のさじ加減のような気もしますが、ただ、そうなってくると、「確実に100人が100人とも判断する微弱なユニークさとデザイン力ではNG」ということは明らかなようである。が、そこにユニークさやデザイン性を感じる人もいるのかも・・・と想定すると、いかにユニークでデザイン性の高い何かを創出するのか難しいか・・・となる。つまり、それほどコンセプトの設定がやっかいになるのですよね。

コースマネージメントという概念。

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 たぶんこのタイトルでの日本語の書籍はこれを入れても他に1~2種類でしょう。最寄の書店には当然仕入れてなかったのでオンラインで購入。確かにWEBサイトの書籍なのにFLASHの書籍のようなデザイン的な要素はなく専門的な資料を書籍化したような編集。が、内容は濃い。

 WEBサイトでCMSと来たら「コンテンツ~」だと思っていたのが、このオープンソースは「コース・マネージメント・システム」でCMSとなる。では、そのコースとは何かということが書かれているんでしょう。本日到着したのでこれから「Moodle」への本格的なダイブとなります。

 で、この書籍の冒頭にこのような一文があるので紹介します。「「インターネットの普及とビジネスのイノベーションとの対比」 1992年、インターネットの商用利用が始まる。すべての事業はオンラインサービスに置き換わると宣伝された。従来の企業もインターネットによる業務効率化を図った。ITバブル崩壊を経て、新興企業の躍進・淘汰と既存企業の淘汰・強化が起こった。製品開発やマーケッティングなど、ビジネスのやり方の再構築が行われた。一般に「クリック・アンド・ダイヤル」、すなわちインターネットとオンラインのサービスをうまく組み合わせて事業を設計することが一般的になった。また、グーグルのような新たなビジネススキームを創出するイノベーティブな企業が現れる。」とある。なかなか、短い文脈でことの起こりと現状を包括している。つまり、インターネットビジネスが教育と連携し始めたことへの構造の相関をベースに捉えた場合、そもそも、HTMLが専門的な通信技術であったことが、ここまで消化されたということのフェーズを非常にある側面からまとられた見解である。

 予感ではあるが、「教育」と「インターネット」の相関にビジネスの源流を見据えながらも、現代の多様な混沌として不可解なニーズをインストラクションできるか否かとという最新のアプローチがこの書籍の中にあるように感じています。

 やはり・・・という感覚なのですが、C(コンテンツ)MSの改造にここ数年取り組んできたことがこの「Moodle」の企画・運営・改造・活用に活きてくるのだろうと直感しています。これはかなり刺激的だと思いますね。

ネットビジネスが終わり!?

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 非常に思い切ったタイトルです。印象的ではありますが、さてさて、どのような内容でしょう?よく「始まり」と「終わり」について考えるのですが、比較的日本人は「スタート」と「ゴール」を意識して競争意識を煽り煽られるのがマゾヒスト的にというか慣習的に身にしみ込んでいるようだから、たぶん、この手のタイトルに心が動く。そして、著者も編集者も出版社さえもそのルーティーンに期待しているから、このような書籍が成立するのでしょう。まぁ、こんな中途半端な分析と背景仮定はさて置き、実際、このタイプの書籍は「買い」なのでしょうか?たぶん、買わないし読みたいとは思っていないのですが、もし、もし、本当に終わりなら終わりに向けて何をどうしろと締めくくるのかは興味があるし、そもそも、この著者の「ネットビジネス」の定義を知りたい気もします。

 例えば、ある古い旅館がWEBサイトで集客を図ろうとWEBサイトの企画・構想を練る。そして、費用対効果を算出し、他の事例をリサーチしてプランを練り上げる。そして、専門業者にWEBサイトについての制作作業をお願いするために施設のポテンシャルを分析し業者へ依頼をする。が、そんなビジネスモデルに対してもこれだという結論がリサーチできるわけでもなく、数多の成功事例の中から自社に適用できるような企画は見つからない。この段階で一般的なセオリーや方程式が当てはまるほど世の中は単純ではないからである。ベクトルが逸れれば逸れるほど、企画のフレームは捻じれる。しかし、セオリーや方程式しか見えていないコミュニケーターは自己完結型のプランをプッシュする。これでは選択のための吟味さえできない。選択するためにはプランを消化する必要があるからである。鵜呑みにするならロジックにドライにただ加点式でセレクトすればいい。だが、WEBサイトとはプラモデルではない。設計図どおりに完成するものではない。この部分を企画書に適用しコミュンケートするのが難しい。

 で、上記の考察の通り、「始まり」と思っていることが、「終わり」だったりすることがあり、まだまだイケていると感じていていもすでにそれは「終わっている」ことがあるからである。だから、「終わり」だと言及するなら終わりということでいいが、ものごとはいつも進行形であることがベースにある意識だけは失ってはいけないと思います。つまり、旅館さんのWEBサイトのことで言えば、一番重要なことは、ロジックではなく、「地の利」や「ふるまい」や「人的ポテンシャル」がいかにWEBサイトに適用できるルーティーンを作れるか作れないかなのである。これは、たぶん、WEB3.0の概念が言いたいことなのだろうと思います。つまり、「ONE to ONE」なのでしょう。っても最初から何事もそうですが・・・。

Web制作会社支援プログラム

 「マイクロソフトはWebビジネスの活性化を目的として、Web制作会社を支援する画期的なプログラム「Websitespark」を開始した。Websitesparkはマイクロソフトが行うWeb市場のさらなる活性化を目的とした、Web制作業務を行う企業のための支援プログラム。「新たなビジネス機会の創出支援」、「ソフトウェアとソリューションの提供」、「サポートとトレーニング」という3つの要素を通してWebビジネスの活性化を支援する。」というメルマガが到着したのですが、さてさて、3つの方針のそれぞれのディテールがキモですよね。それに、ひとことで「新たなビジネス~」っても全ての企業が取り組めるはずもなく、いわゆる「ソリューション、ソリューション・・・」とよく連呼されてもそれぞれの企業でそれぞれのビジョンがあり目標設定値も仕事としての意義や価値観も違うのにどこまでそれらを「ソリューション」で束ねられるのか?さらに「サーポートとトレーニング」についても、そしてそして「活性化を支援」とあるが、技術的に?資金的に?精神的に?どうもキレイキレイな文脈ですが、荒い荒い。

 現場が欲しいのは「リアリティー」と「ディテール」ですから、大企業がメルマガ一本でマスに対して何か努力をされるのはいいですが、それほど現場には届いていませんよ的な否定的な印象を持ってしまったメルマガでした。支援支援って支えて応援するだけでは基本ダメでしょう・・・って感じ。

WEBエンジニアはいらない!?

 「企業や個人事業主、店舗経営者がWEBサイトを構築するうえで、豊富な専門知識を持ったWEBエンジニアは頼りになる存在だ。しかしその半面、WEBサイトの制作を外部に依頼することは、コンテンツの追加に時間を要したり、意思疎通がうまくいかず狙いとは別の仕上がりになるという不安はつきまとう。「自分たちの手で、もっと簡単にWEBサイトを運営したい」と、もどかしく思っている人もいるはずだ。9月25日に発売した「BiND for WebLiFE* 3」は、そんな人々に答えを打ち出すツールかもしれない。」とあるWEBなどのデザイナー向けの専門サイトに書かれていた。確かに私自身WEBエンジニアではないので、WEBサイトを構築する際にWEBエンジニアさんと組むことが多々あるが、その知識たるや到底、私などの知る由もないことばかり、そして、システムを構築する際のノウハウたるや・・・であり、圧倒的な知識と経験値と技術力を感じています。そこには、ただだの知識や技術だけではなく、ユーザーの多種多様なニーズを汲み取り総合的に使いやすくコストパフォーマンスに優れたシステムづくりを展開しておられる印象がある。確かにこのようなアプリが充実してくるのは、知識のない方でも経験値の少ない方でも~ってことでしょうけれど、それこそ、「そうは問屋が卸さない」的な部分も多いにあるのではないでしょうか。パソコンとソフトがあり、そのソフトの知識があれば、なんでもかんでも内省化できるとは言えないと思います。デジタル化と共に業界的に縮小を余儀なくされた業務や仕事の分野も確かにありますが、「WEBエンジニアさん」「システムエンジニアさん」をいらない!と言ってしまうのはまだまだ先のような。たぶんその「先」には、今、企業で内省化して業務を活発にしたりコストを削減しようとしている程度レベルの人の方がいらないぐらいの時代になるのではないだろうか。

 で、その時に社会や時代に「いらない!」と言われないような人間にならなければ、結果、いろいろな意味で「余り」になってしまう危機感を持って頑張ろうと思う。ただ、このアプリには興味があるので、いずれ・・・。(なんじゃそりゃ!)

ケータイサイトのデザイン。

 やはりケータイサイトもPCと同様にリサーチすればするほど奥が深いというか裾野が広い。どこまでもどこまでも広がっているような感覚であり、同様に広い部分と高い部分があり、高い部分は多くは存在しないのですが頂が見えないほど高い世界のような気がします。感覚的に高いというか深いという感覚もあり、ではでは、クリエイターとして「登る」のか「掘る」のか、はたまた、草原を探すのか・・・?

 この感覚はビジネスに限らずあらゆる分野で起こっている現象であり、土着の地の利がビジネスを左右していた頃はなんとか組合やなんとか団体やなんとか協会に所属してこそみたいな意義がありましたが、それが、底が抜け、空が実は平面ではなく、無限の彼方だったことに気がついた太古の科学者たちのような感覚で、青い天井をグラグラの大地の上で見上げてるような構図イメージの専門家は多いのではないでしょうか。政治に限定したり宗教に限定したりすることではなく、確実に情報の網に包まれ地球は小さくなっているし宇宙に手が届く時代になったような感覚は昔のSFチックな部分からかなりリアリティーがあるように思う。

 で、携帯サイトのデザインがどこに向かうのかは不明であり、実際、インターネット文化・技術の一番先頭を走っている方たちは何を考えておられるのでしょう?どんなに技術や知識を持った方でも一番最初に動くための「incentive」は「気持ち」や「心」でしょうし・・・。確か何かの書籍でゲイツが「incentiveが大切」「incentiveがあらゆることを左右する」と言っていたのはその背景があるからでしょうね。

Webデザイナー白書2009

 意外と年一回のこの企画が楽しみで、今年で9年目とのことですが、専門誌「Web Designing」の企画「Webデザイナー白書2009」からコネタをひとつふたつみっつ。

 まず、昨今のWebデザイナーさんの年収となると400~499が一番多くて全体の26.3%でした。その下も上も100未満から2000以上まで多く散らばっているのですが、圧倒的にこの辺が年収の目安ということになっているようです。月収にして40というところなのでしょう。で、どこまでをWebデザイナーというかが問題ですがWebデザイン、コーディング、プログラム、マルチメディア、コピーライト、ビジュアル制作など多くのプロが関わる仕事だけにただ「Webデザイナーの年収」っても、Webプロダクションの社長と新卒のWebデザイナーさんを同じ畑で比較しても意味がない。そもそも、年収で比較することにあまり意味も意義もないのですが、まぁ、便宜上ということでしょう。

 二つ目、以外とMAC-OS Xがシェアを伸ばしているという事実。2007から2009の3年間を比較しても数%ですが伸ばしているという事実。これは少し驚きです。私の感覚では毎年グイグイとXPに侵食されているイメージでしたので。以外と頑張っているのですね。しかし、今さらXPからMACに変える意味はないと感じているので、このまましばらくはXPでどこかでSEVENが嫌になったら、MACに戻るかもしれませんが、今のところXPで問題ないように思います。この比較、2007からってのがミソかもしれませんね。この企画が9年目なら初年度からこの比較をすればいいのに。この業界、MACはSMAPなのか?!

 三つ目、アンケートのタイトルが「習得したいものベスト3」ということで、これも2007年から3年連続で第1位が「Flashによるリッチコンテンツの作成」である。やはり、ここは不動でしょう。もっと細かく言えば今、漠然と「リッチコンテンツの作成」となっているが、この中は予想以上に多岐であり多様です。この分野で何をもってリッチとするかなど千差万別に近い振幅がありますから、第1位は不動としても、習得したいと考えているというこうとは習得の前段階なわけですから、ここにWEBに関わる人たちの興味やベクトルが向かっているとうことは、ニーズが反映されているという同位に考えられる。「リッチコンテンツ」とは「センス・アイディア・企画」と「デザイン力」と「データの構造(プログラム各種)」が三つ巴である必要があると思います。つまり、学校では学べないのですねこの「リッチ」という本当の意味が。ロッチじゃないですよ、「ちょっと待ってくださいよぉ~!」じゃないですよ。

ネット通販の不満と満足。

 ある新聞のアンケートで面白い結果が出ていた。「あなたはネット通販で購入した商品で不満だった商品は?満足した商品は?」というアンケート。

 つまり、ブランドやWEBサイトの写真や情報で購入を決定したが実際の商品が手元に届きどう思ったかという基準である。私自身はネットで買うモノといえば、本とDVDと趣味の小物程度である。あまり大きな買い物はしないし、衣食住に関連するモノも購入した経験はありません。そもそも、衣食住に関してトルクが非常に低いのでネットショップorリアルショップでも大きな差はないのですが・・・。

 で、まず、不満だった商品は第1位「靴」、第2位「アクセサリー」、第3位「服」、第4位「バッグ」、第5位「インテリア・家具」となっていた。そして、満足度の高かった商品は第1位「書籍・CD・DVD」、第2位「水・ソフトドリンク」、第3位「化粧品」、第4位「酒類」、第5位「文具・雑貨」となっていた。まぁまぁ、「水」なんてネットで買う必要がそもそもないし、「化粧品」「酒類」はそもそも対象外である。となると、やはり、通常自分自身がネットショップで購入しているパターンと似ていることに気がついた。WEBサイトやネットショップづくりを仕事にしている人間が言うのも微妙ですが、特に「靴」や「アクセサリー」や「服」などは実際に自分の目や手で確認しなければ、そりゃ満足・不満の話以前だと思います。

 つまりのつまり、WEBサイトの臨界点がここにあるように思うのです。実際、明確に「満足と不満」というスケールで計測した結果、ある商品はディテールを掌握しにくいという結果。しかし、これをなんらかの方法で伝えられれば「不満リスト」の商品が「満足リスト」に組み込まれていくのでしょう。この部分がオンラインショップは勿論のこと、他の分野のビジネスシーンにおいてもWEBサイトの課題のように思います。「情報のディテール」がこの無機質な画面の中からどのように伝えられるのかという大きな課題ですね。

Flash 3Dアニメーション

 ソフトウエアの表現力は上位バージョンになるにつれて確実に上がる。仕事で使用するソフトウエアもいろいろあるのですが、かなり下位のバージョンでも活用術次第で表現力は維持できるし、同じ表現を求めるのにも時間や仕上がりの品質にこだわりながら、書き出しの仕様(印刷やコンパイル)も視野に入れると、作業効率も考え、そこそこのマシンスペックのプラットフォームで下位のバージョンで組み上げて、細かい仕上げやパブリッシュの部分を上位のソフトウエアで連携させることで早くクオリティーの高いクリエイティブが作れるような気がします。そもそも、クリエティブの高さ加減は作り手のポテンシャルに95%ほど依存しているわけですから、どれだけ、高位なプラットフォームと最新のソフトウエアがあったとしても、ポテンシャルが低ければ必然的に着地点は低くなる。この部分が意外とスルーされていることが多く、クリエティブの品質をプラットフォームやソフトウエアのテンプレートに依存している方(まず、プロのクリエイターにはいない。)は書き出させる作品の品質を箱(ハード)の中に探すのですが、そもそもが空なのに箱の中にサプライズがあるはずもない。入れるモノが宝石の原石かそこら辺の石ころかで加工後の品質や価値観が大きくことなる。ただの石を宝石に変えるのもノウハウ、ダイヤの原石をただの石ころ以下に変えてしまうのもノウハウなのある。この緊張感が言わばこの仕事の醍醐味であり、この緊張感から逃れたいと考える人は、デザイン・クリエティブという仕事をこの箱の中ではできない人だろう。だから、「デザインで活用するWEBサイトづくりで活用するのソフトウエアを教えてください。」とよく言われるのですが、その5%をどうするかがデザインの醍醐味ではなく、そこに入れる原石を何にするかの95%の部分が一番本丸なので、そうそう95%を全てその方のために網羅することも時間的にもモチベーション的にも不可能なので、5%の中の1~2%が臨界点である。

 で、「Flash 3Dアニメーション」の向こうに何かありそうだと最近は考えています。それは、箱の中に入れたいと考えているモノ込で。すでに疑似的な2.5次元は理解しているし、仕事で活用している。また、3DCGにつていももう10年近く取り組んでいるので大丈夫なはず(この世界は、DTP・WEB・DTV ect...と安泰感には決して辿りつけない・・・。)ですが、さて、プログラムでコンパイルされた3Dとはどんなものなのかを早くこの手で実感したいと思っています。それと平行にFLEXがあるわけですから、Flash 3Dアニメーションの場合も同意のコンパイルで創るわけですから、向かう表現の出口は大きく違えどもプラットフォーム環境としてはけっこう手の内側でゴリゴリできそうな印象を抱いています。

 さて、仕事がひと段落(することはないのですが・・・)したら3Dでシンプルなインターフェイスを創ってみようかなと思っております。ほんとにA.S.3.0の可能性って凄いと思います。

◎詳しくはこちらで確認してみてください。

期待はしているけど。

 そもそもWEBとは何だろう?と考えていた頃があった。今でも勿論今なりの技術や環境の進化に伴ういろいろな変化をリサーチしながら仕事に活用してはいるのですが。広告として従来の4大メディアが隆盛の段階ではインターネットが広告媒体になるなど想定もしていなかった20年ほど前、それはただのオンラインを活用した情報の伝達手段だった。それが、ここまで浸透し新しいメディアとして確実に進化を遂げ今後もこの流れは進化し続けるでしょう。しかし、いつか、テレビやラジオのように成熟期を迎えてメディアとしてツールとしての存在が落ち着き、またまた、次のテクノロジーが出てくるのでしょう。そんなところまで想像もつきませんが、現在、こうして仕事やライフスタイルに必要不可欠になったインターネットについて、さて、改めてWEBとは何だろうと考えています。ソフトの面で言葉巧みなコンサルタントの皆様はメリットを整理して背景や展望を語り合う。それがひとつの側面だったとしても、企業であれ個人であれ、その言葉を信頼した共感した段階から始めてビジネスがスタートする。これが言わば、ソフトとしての極端な価値観の創出でしょう。

 一方、道具・ハードとして4大メディアに迫る勢いを支える、デバイスの充実度との相関関係についてですが、携帯端末やデスクトップ端末などが安価になればなるほど、そのスピード感は加速して今日に至り、さらに、その勢いは世界を凌駕するでしょうし、その時に本体としての人間がどう活用するのかが一番の課題なのではないでしょうか。言わば、人間もハードに属するわけで、まだまだ、未知なる存在であるにも関わらず、それに対して絶大な信頼を抱いている側面から言えば、これからのビジネスに絶対不可欠な存在となるのでしょう。確かに便利以上の存在感が時にそれへの依存度に危機感を感じることも否めませんし。

 で、共感と依存の構図にしても、どうあるべきかとどうあって欲しいかの間に何本のラインがあるのかをしっかりと意識下に置きたいと思います。いつのまにかそちら側からチョイスされないように。あくまでもどんな状況でもチョイスする立場でいたいものです。誰だってそうですよね。

オンラインとオフライン。

 オンラインとはインターネット内の言わば「クラウド」的な概念でありそのままそれは雲のようにどこかに所在があるがあたかも偏在する知能のように時間のように存在している何かと何かの間を行き交う価値観。このことは仮想現実とも言える確かにあるのだけれど質感のないデジタルデバイスへのインアウトで得られる1と0である。ここにディテールがないのが何故だろうとずっと考えているが、これは逆に理由が要らないから必然なのかもしれない。一方、オフラインとはオンラインネットワークでは行き交うことが難しい、実際の目や耳や鼻で得れらるインアウトである。この質感には何が存在するのだろうかと考えるとそれは言葉にすればリアリティーと表現できるのではないでしょうか。正確にはオンとオフではないのかもしれないが、便宜上、オンラインとオフラインを人間の知覚は驚くほど区別していると思う。これが昨今のデジタルコミュニケーションの弊害としていろいろ物議を醸し出しながらも進化進歩とその隆盛は疑う余地がないほど波及浸透昇華している。これに五感がどう反応しているかについて、やはり、デザインやWEB、広告・販売促進の仕事をしている以上、また、アートの世界に魅せられている以上、突き詰めて自分なりの答を探究し続けたいと考えています。たぶん、ゴールはないだろうけれど、探究することがこの世界に関わっている最低限のリスクであり最大限のメリットではないだろうか。まだ、このことをこと細かく分析できないが、ただ、紙面の色や文字や写真を組み合わせることがデザインではないと思うし、ソフトウエアが書き出す画像やHTMLがWEBの本質ではないと思っています。このかなり抽象度の高い考えがただの「迷い」なのか、それとも「至高」なのか・・・。できれば、後者であってほしいと願っている。

 というのも、「ミラーニューロンの発見」という書籍を読んでから、ひとつひとつの自分の思考を反芻したいと考えるようになりました。それだけを考え続けても別段生産的だとも言えないリアリティーも予見できるのですが、そんな思考パターンがあり、世界のどこかでそんな思考で万象を捉えて研究対象としている人を知った以上、せめてその意味や意義を自分自身の仕事に適用してみたい、適用できないかと考えています。

 で、こんな言葉が常に頭を巡り改めてこの書籍をチョイスして良かったと思うのです。いろいろ質感のある言葉がちりばめられていたのですが、中でもこの言葉には痺れました。それは、「人の言語とはその真意を隠すための最適な手段である。」と。

W.P.ヘッダーにSWFの埋め込み。

 今年の2月頃にグーグルで「W.P.ヘッダーにSWFの埋め込み」というキーワードでいろいろなブログやWEBサイトを検索し、3~4件ほどのブログがヒットした。それを読んで、方法はいくつかあるのだと思ってその時はテスト設置までいかずに保留しておいた。ようやく、SWFが確定してまずテスト設置にトライした。が、どうも上手くいかない。というか中途半端に部分的に表示はするが、目的の仕組みが機能しない。たぶん、W.P.のバージョンも使っているFLASHのバージョンもA.S.もいろいろ関係しているのだろうとほんとにいろいろなF.P.用にSWFを書きだしてテストを繰り返した。しかし、機能しない。ノーマルにSWFだけなら問題なく表示され機能するのが、外部にJPGデータを持ち2時間毎に1日12枚の写真画像をSWFにロードさせることが目的だったため、やはり、JPGをロードできるようになったのはF.P.の確か8.0ぐらいからだったように記憶していたので、PHPに記述するF.P.のバージョンに問題があるかだろうか・・・などなど。しかし、外部の写真がロードしない・・・。

 再度、ヒットしたブロガーの皆様の画面を確認する。何回も何回も全ページプリントアウトして読み返しテスト設置して読み返してテスト設置を繰り返す。ポイントは3つ。W.P.のヘッダーにSWFをロードさせるためにはある「JS」が必要であるということ。そして、記述先のスクリプトにはSWFの所在を絶対URLで記述するということ。そして、FLASHのA.S.側でロードするJPGをW.P.の表示データ(index)からのルートで絶対で記述するということで、無事、2時間毎に12点のjpgがロードするようになった。この間、ありとあらゆる可能性を書き出して順番に消していった。あまり得意ではないphpの改造だったのですが、結果、flashの知識に救われた。

 ブラウザで無事swfがリードして写真が切り替わった時はひさびさにひとりでガッツポーズである。詳しい方ならこの程度の作業は朝飯前なんでしょうが、私にしてみれば、この作業はかなりの達成感でした。だって、この目的で検索して最適なアドバイスが記述してあったブログは3件でしたから、これができる方もそう多くはないでしょう。それに、この件を書店で探しましたが、このレベルのノウハウは専門書でもフォローしていませんでた。書店も何件もはしごしたのに・・・。

 結果、知識として知っているだけではモノホンではないということ、目的を達成してから、本当の実感が湧いてくるという「普遍の公式」にひさびさに感動していたこの3連休でした。改めて、flashの書籍もいくつか読み返したのですが、かなりflashの書籍は読みこんでいるのでどれも覚えている技術やノウハウで可能性をひとつひとつ消していくのにflashの作業は時間はかかりませんでした。やはり、日頃の小さな蓄積が今回も助けてくれました。デザインもWEBも「資料力」と「ねばり」が大切ですね。

WEBだから・・・。

 海外の方に言わせれば日本の「流行り廃り」のサイクルは世界一らしい。これが誇れることなのかそうでないことなのかはさて置き、厳しい景気のこの時代、「お値打ち」という語感から得られる情報の本質は「安いけれど品質はそこそこ」のような捉え方でいます。また、「薄利多売」なんて四文字熟語もよくPののぼりや中古Sの店頭で見かけることが多いのですが、これは、どういう語感かと言うと「ウチは儲けをぎりぎりまで切り詰めてより多くのお客様に喜んでいただくための企業努力を惜しんではいません。だから、一度、ウチの商品をご覧いただき~ベラベラベラ」となる。が、利益は求めつつも、たくさん売りたいなら、別に薄い利益を強調しなくともいいのに、不思議なこの国ではこれが簡単に通用してしまう言語伝達効果が機能してしまう。これが悲しのか悲しくないのかもさて置き、「WEB限定特価商品」と聞いて高いと感じる人はいないぐらい、「WEBで買う=店で買うより安い」という価値観になっているのは何故だろう?流通コストや取引コストが少ないから安くできる!?と通念で考えればそうかもしれないが、店よりも確かにいろいろなコストが付加されないことは理解できますが、逆に別のコストや条件が必要になってくるわけで、WEBは玉手箱でない以上、WEBだから安いと定着させてしまった発端がとても気になります。逆にWEBだから高いがそこらへんのお店で売っていないですよぉ~というアプローチをすれば、逆転の発想になるような気がするのですが。それは、みんなで注文するから怖くない国の人々の社会心理がグイグイ機能しているように思います。

 モバイルならまだしも、PCで何かを購入するのは、PCで何かを販売するというのは、そろそろ定着してきたのだから、安いものは安い、高いものは高いでいいのではないでしょうか。

 で、何かを買う時も売る時もそうですが、時代はより整理されてきています。いろいろな意味で。だから、もっと、落ち着いてゆったりと吟味して検証してから、トゥース!でいいのではないでしょうか、春日さんのように。あの人は名実ともにモノホンの倹約家であってほしい。そこに「テレビ用」だけはあってほしくないと願うオードリーファンの独り言でした。

FLASHの価値。

 やはり、「FLASHの価値は?」と聞かれたらその機能性だろう。Ver.3.0からお世話になっているのですが、この頃は「ただ画像を文字を動かしたかった。」に尽きるのですが、そこから、FLASHは大きく進化した。その進化はアドビの他のソフトウエアと比較して圧倒的な機能性の充実とインフラとの連携、そして、アドビの他のソフトウエアとの連携の充実を図り進化したと言っても過言ではない。いや、それ以上だとも言える。

 まだ、FLASH=アニメーションソフトだと思っている人も非常に多いが確実にその域は7年以上前の話になるでしょう。その進化のスピードはやはりプラグインの浸透率と大きく関係があると言われて、さらに、回線が太くなったことが結果FLASHの進化になったと言われているが、これは、もう、「にわとりと卵」である。どちらがどちらとも言えない合わせ技でここまで進化したのだろうと思います。その全容はとてもこのブログで記事として表現できるボリュームではないので、割愛いたしますが、その一部分はぜひアクトのWEBサイトのリニューアル後のコンテンツでいろいろ観ていただこうと考えております。かなり、「グイッと」来るものになっていると思っております。

 で、たぶん、そのコンテンツの仕組みに対してご感想やご意見を頂ける方は少ないと思います。でも、FLASHコンテンツなんてそれでいいと思っているので、プログラムの仕組みのことについてご質問があれば、余すことなくダイレクトにご説明するつもりですが、それよりも、感覚的に印象についてストレートにご意見をいただける方が嬉しいと思っております。

 で、で、それらを創るために、いろいろ、ソフトウエアを駆使していますが、結局、道具なので、「デザイン性」についても、「機能性」についても、「アート性」についても、すべて創り手の中からははみ出さないわけで、それをWEBサイトとして観ていただくということは、頭の中を覗いてもらうということになるので、とてもとても、いつものことながら、緊張感が高まります。あと少しです。オモロイネタもそこそこ仕入れておりますので・・・。

口コミの効果と逆効果。

 ある機関が「口コミ」についての調査をしたところ、オンライン上の「情報」を信じて特をしたか損をしたかのアンケートの結果、ほっとんど70%は「信じる・参考にする」という意見だったそうです。しかし、何ごとも諸刃の部分で、信じたばかりに大きな損害を被ったという意見もかなりあったそうです。結局、どんな情報であれ人から人へいろいろなツールを使って、メディアを介して発信側と受信側の摩擦をどうなくして同じ価値観であることや様々なケースの中でこのシチュエイションならこの価値だという判断力を持っている方ならば、情報の白黒を判断でき、その方から同じベクトルの方に同じ情報が伝わる時に摩擦や誤差が少ないから情報の伝達スピードが加速するのでしょう。が、どこかで何かの理由でそれが鈍る原因にぶつかるとそこで想定外の摩擦が生じその情報は沈滞し鮮度が落ちていく。まぁ、これほど単純な方式でないにしてもこのようなことが日々発生しているのでしょう。
 で、これは結局、人間の固体で言えば脳の中でその縮図が起きていることであり、社会と脳の内部の構造は同じであるはず。しかし、たまにその精密機器の中にバグが進入する。しかしのしかし、バグ=害とは限らない。歴史的な発明のコアにはフラクタルなエレメントが突発的に出現し既製観念や固定観念をリセットさせ、新発明や新技術を創出してきた。つまり(そんなに簡単に総括はできませんが、)、何かが生まれる時にそれが「バグ」であり、「節」であり、「乱数」であり、ステレオタイプの左脳型の人にはちょっと理解不可能なチカラが動くのである。この前、書店に行き、書籍のタイトルに「脳」という文字が入ったタイトルの書籍が何冊あるかチェックしたところ、なんと、ビジネスコーナーだけで203冊ありました。これは多いのか少ないのか。次に「品格」「技術」「コツ」というキーワードの乱れ撃ち。やはり、人間が一番興味があるのは人間なんですね。

グーグル「ストリートビュー」が・・・。

 進化した「ストリートビュー」が東京で物議をかもし出しているらいし。いわゆる「プライバシー」と「肖像権」の問題。が、「東京都の情報公開・個人情報保護審議会では、この問題に関し、2009年2月3日に開かれた第39回会合においてグーグルの担当者と意見交換を実施した。その後審議会事務局とグーグルは、4カ月にわたり協議を行った。これを受けグーグルでは2009年5月13日、撮り直しやナンバープレートや表札のぼかし処理、問い合わせ専用ダイヤルなどの設置を行うとした、プライバシー問題に配慮した改善案を発表した。」ということでとりあえずの結論が出たようだが、然るべき立場の見解はさらにの部分で「これに関し審議会では、改善案について「一定の評価はできる」と評価している。その上で、25日に審議会の堀部政男会長名でコメントを発表し、以下の点において残された課題があると指摘している。」それが、プライバシーや肖像権などの問題について徹底するようにとのこと。やはり、なにかにつけclosedな慣習にopenなサービスは根付かないのだろうか・・・。
 ある、情報技術学者の書籍を読んだところ、日本人はまだまだ、インターネット技術に対して信頼をしていないらしいし、何がツールを使って公的な立場以外に、つまり、プライベイトに誰かとコミュニケーションすることに幼い国民性らしい。これも片寄った意見かもしれないが、その側面も否めない。「幼い」という言葉が適切かどうかは別として、コミュニケーションは必要だと思っていてもそのさじ加減が常に気になるのでしょう。「僕は私は神経質です!が売り」のタイプが多いのも、「男の石鹸」が妙なブームになるのもその心理がどこかで機能しているのだろう。「男が体臭なんて気にしてどうなる!」と乱暴なことは思わないが、脱毛したり植毛したり、抗菌グッズに身を固め石に未来を託し不正をエンターテイメント化している「物静かな乱暴者」ならALL RIGHTなのか?
 で、グーグルも東京をウロウロせずに田舎に来てください。多分、皆さん、大歓迎ですから。そんなに大切な「プライバシー」と「肖像権」なら例の王国に行けばいい。裸で賞賛を得れますよ。

これこれ!

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 今後、インフラ回線のスピードは格段に上がるらしい。それは実測上とてつもないスピードらしい。だから、情報のディテールは今後、どんどん、その密度と質量が加速していくだろう。だから、そこで走るためにはスピードを上げる必要がある。それは、どういうことなのか。「確率ではなく確立である。」ということに他ならず、広げる面積や絶対数ということではなく、深さがやドローが必要なのだろう。1は2になるが、0から1は生まれないという真理だろう。「明日のための種は今日蒔くのよ~」って美和さんが歌っているし、「時間は無意味で、直線上に進むわけじゃない~彼女は言った。」とU2のBono氏が歌っています。それは交差という輪廻の一旦でしかない。遊ぶならセオリーはできるかぎり棚に上げて。

◎こちらでどうぞ確認してください。

「FITC」とは。

 「FITC」とは、2002年にカナダで始まり、今や世界最大級のFlashイベントへと発展し、これまでに8カ国30都市で開催されています。Flash、Flex、AIR、デザイン、インスピレーションといったテーマを扱い、世界の著名クリエイターがプレゼンテーターとして参加し、世界中から参加者が集まるFlashコミュニティ注目のイベント~だそうです。なんとも刺激的なイベントのようです。ここら辺(長浜)では「???」なflexのお話も最近東京から大阪に帰ってこられたある企業のサポート&エイギョウのプロフェッショナルの方も、「東京ではやはり「flexが熱いですね。」とのこと。ああ、やっぱそうなんだと少し感激していました。やはり、今後のWEBはひとつの成熟されたメディアとしてその地位や価値を確立させようとする人のエネルギーがさらに加速していくように感じています。いつまでも「情報を得るためだけのツール」ではないはずだと思うのです。より一層「FLASHとFLEX」そしてA.S.3.0が加速していくでしょうね。頑張ろう。この段階でかなりのハードルの高さがあるので、追いかけられない方もいるでしょう。それに、この畑はその技術を知っているからどうだってニュアンスではなく、バックボーンに何かを突き詰めようとする熱意がなければ失速は早い。ただ、プログラムに詳しい、デザインに詳しい、ソフトウエアに詳しい、お金を持っているだけでは、この畑に入らないほうがいいというレベルまで来ていると思います。何事も「熱意とタイミング」だと思います。99%の努力と1%のなんとかと言いますが、私は全て99%の熱意と1%のタイミングだと思います。99%はなんとかなるのですが、最後の1%がいつも高い・・・。

Flashの活用術。

 WEBサイトコンテンツを作るためにいろいろなソフトウエアを日々リサーチしているのですが、今更ながらFlashというソフトウエアの価値は高いと感じています。これほどインターネットインフラの進化とシンクロしているソフトウエアは存在しないと思います。勿論、ベクトルデータや画像編集系のソフトウエアに特化した各種ソフトや映像動画3DCGに特化したソフトウエアはたくさん存在し、ビジネスソフトもそれこそたくさん存在する。その価格や機能の幅と言えばさすがの検索エンジンでリサーチしても一人の人間が理解して掌握するには限界をはるかに超えている絶対数が存在している。そんなソフトウエア時代においてその確固たる地位を示している「Flash」というソフトウエアは何者なのだろ?
 で、実際のWEBサイトを構築する際にこのFlashの技術や機能がどう使われるのか?全てをここで紹介するわけにはいきませんし、その全貌をあますことなく紹介できるほどFlashに精通しているわけでもないので、私なりの視点でその特化した「活用術」に対する考え方を紹介します。とはいえ、ひとつの活用術に至るまでには様々なケースバイケースがありますし、ある分野では価値があってもある分野では二束三文ということもあり、一概にその価値を価値としてピックアップはできないのですが・・・。
 テキストベースの伝達方法なら「スタイルシート」でWEBデザインレイアウトを統一してとか、CMSで更新をラクチンになどという方法もあり、最近は、ブラウザの中にログインしてASPでWEBサイトをお手軽に企画・運営しましょう的なアプローチもあるので、そのタイプのアプローチをするなら費用対効果を判断してどれかに取り組めばいい。が、そもそもの「伝えたい何か」を一から構想し起案し構築するという際に写真やイラストや動画やサウンドを完璧に制御できるツールはたぶんFlashしかないでしょう。ただの流しっぱなの動画ならそれほどハードルは高くなりませんが、そだけで、「伝えたい事」の100%が表現できるほど受け手サイドのハードルは低くない。だから、Flashなのである。
 で#02、昔、Flashの走りの頃はindex.htmにポツンとswfを置いてenter_btnという仕組みが見かけられたが今では見かけない。これはこれで5~8年前なら印象的だったかもしれないが、今ではよほどの仕組みを仕掛けない限り「ただ古い」と感じてしまうことが標準的だと思います。この「ただ古い」の詳細こそが一番のキモであり、「古いなぁ~」という印象の連鎖が恐ろしいのである。論理的には本体のコンテンツまでにワンクッションあることがストレスだと捉えることが一般の認識ですが、それ以上に最初のWEBサイトのとても大切な印象が「古い」でいいのかという価値判断である。通常ロード時間は5秒、コンテンツは15秒と言われている時代に、このタイムライン上によほどの表現と仕組みを盛り込むのは至難の技だからである。だから結果的にトップ(index)にswfだけというスタイルが過去の表現になってしまったのでしょう。今だに、トップがフルFlashの上下に文字をおしゃれに入れています的ないわゆるFlashサイトを見るがそれも同位である。シンプルなデザインが古いというのではなく、「工夫がない」ことが古いのである。そもそも温故知新という言葉を心から愛しているWEBマスターであるならそれはそれで何かを学びたいと思うが、このケースの場合、ただただ、リニューアル的な活性化がされていないという印象以上に何も感じない。言わばこのモヤモヤを解決する最適なソフトウエアがFlash何だと思います。確かに使いこなすにはかなり時間とエネルギーが必要ですが・・・。

何故、RIAなのか。

 インターネットバブルははじけたらしいが、そもそも、そんなモノはそれで自分の場所を確保したい人だけのエリアの価値観であり、それだけで何かを得ようとしている仕組みの人達ためだけのムーブメントであるから本質が見えている人にしてみれば、インターネットの本質を上手くシンクロしている人達には無関係なお話。そもそも、バブル自体もどこかで自分自身が恩恵を受けてきてはいたはずだが、いわゆるバブルを肌に感じて実感した記憶はない。それはそのようなモノだということなら、逆にどのようなものなのかを今更でいいので知りたい。
 で、WEBサイトの価値がこれほどになり、PCからモバイルから一般メディアに浸透するとなるともうこれは道具や手段という分類を超えてひとつの大きな偏在する文化だと言えるのではないでしょうか。文化なら文化としてどう継承されていくのかじっくりと見守りたい。が、テレビや新聞にビジネスチャンスを見つけた古人がそれに群がったように、インターネットにも多くの人が群がっている。そこには確かに新しい価値観や伝達手法があり、注目度が高いフィールドだから、人的エネルギーやコストや資本が注ぎ込まれるプロセスは理解できるが、それは伝導というよりも、対流のような気がします。そもそも、熱量の高い物質から低い分子運動が低い物質に熱量が伝わる法則のように、いつか二つの物質の熱量が均一になるように、どこかで熱を発生する仕組みを持たないと氷がとけ、山が崩れいつか地球の高低がなくなるように絶対の熱量が平均化・均一化された世界になり、それを共生・共存・理想と呼ぶかは自由ですが、いつかそうなるでしょう。地球内部コアとお話ができるならあとどれぐら?と聞きたい。そのバランスを崩せる存在とは常にエネルギーを内部から発生できる存在であり、仮想のブラックホールがあるならバランスは崩れないだろうが、それはあくまでも仮想レベルで何か違う理由で物質は熱量を消耗・消費しているのでしょう。何故かインターネットバブルのお話から太陽系のお話になってしまいましたが、短いサイクルで虫の目で見ているモノと高い位置から鳥の視点で見えているモノを常に比較したいというテンションのお話。
 で#02、WEB3.0の概念を知れば知るほどにRIAの意義が見えてくる。つまり、それはそれほど「RICH」でもないということ。技術的なお話はいつかこのブログにて。

28.35~109.2が相場。

 WEBの専門誌(4月号)にある会社の広告が載っていた。「ブラウザでCMSを導入して自社のWEBをラクラク運用!」みたいなキャッチコピーのサービスである。東京の会社が専門誌に掲載してる情報だから、これを一つの規準値として捉えることができるのではないかと思う。このサービスの詳細はWEBサイトの中だけだから100%は理解できていませんが、サンプルを見る限り、「28.35~109.2万円の3つのプラン」は非常に値打ちなサービスのように思います。例えば、私自身がWEBの知識もなく、誰に自社のWEBサイトの企画や構築をお願いするべきかと悩んだ場合にこの広告を見たら興味を持つだろうと感じた。導入の部分での初期費用と考えると適正値のように思います。ただ、WEBを新規で運営するにも、更新作業などの運営面でも「CMS」と聞くと「簡単」「便利」「多機能」と思い込んでしまいますが、最後の最後でWEBの効果は運営面で左右するとは言え、フレームを作成しある程度のコンテンツを揃えるまでに必要なコストの標準値となると上記の数字が標準になるのでしょう。まぁ、この数値もピンキリであってないようなモノなのかもしれませんが、それでどう自社のビジネスを展開して広告も兼ねるためのツールを作成するとすれば、的を得た適正な数値になるのだと思います。
 で、高いか安いかはWEBの世界へ踏み込むか踏み込まないか次第。

クラウドコンピューティングという概念。

 いつの頃かアナログなツールやギアがデジタルになり、仮想現実という言葉と共にデジタルによる創造物が感覚を刺激しコミュニケーションを凌駕する時代になった。インターネットの浸透が情報の本質を変えようとしている。本来の五感が持つコミュニケーションと端末を介して交換される熱エネルギーの間の摩擦はどちらかが優位性を持ちながら微妙なバランスを保持している。そんな時代のように感じています。本来、全てがアナログだった時代において知識や情報やノウハウはすべて人間の頭脳や身体の感覚の中にあった。が、それを代用するかのごとく、サーバがそれに置き換わろうとしている。メディアはどこへ向かうのか、それを人間はコントロールできるのか?SF映画の混沌はもう現実に偏在している。その概念こそがたぶん「クラウドコンピューティング」なんだろう。雲に例えるか・・・グーグルの創始者も素晴らしいイマジネーションである。
 で、この概念をどう受け入れ、どう恩恵に授かるのかが一番問題であり、空を見え上げていつも形を変えている雲のようにそれは私たちの五感を心地よく刺激してくれ、時に優しい気持ちにしてくれるのか?暑い日には影となり、乾いた日には恵みの雨を降らせてくれるのか?たぶん、そこまでそれ以上のことをこの概念を構想した方は考えているはず。仮想現実と雲。ますますマトリックスの中のカオスに振り回されるような気がします。まぁ、「振り回される」と「依存する」は同義語かもしれませんから、五感に聞くしか方法はないように思います。が、その五感さえもサーバの雲の下、鈍くなっているようにも思います。あのブクブクに太ったウォーリーの宇宙船の人間はあながち・・・。私はできるなら何かに汚染された地球でゴミを集めて暮らしたいと思います。

Flexによるアプリの開発#001。

 さまざまな特長がある、Flexアプリなのですが、基本はFlashPlayerとの連携になるために、双方の知識が必要です。その効果は現在WEB上に展開されつつある様々な機能を包括できる上に、従来のFLASHの持つ表現力の部分と充分に連携できるメリットがクリエイターとしてはとても魅力だと感じています。しかし、この技術を専門家と連携するということは以前にも取り組んできているわけですが、それでは、全体の開発コストの部分とどうしても企画やデザイン的な表現の部分を専門家と組まなければいけないという条件下での開発作業となります。これは専門的なお話になるのですが、非常に時間と相互のコミュニケーションにエネルギーが必要な現実問題が存在します。これが以前なら「仕方ない」という部分でクリエイターがプログラムの知識や技術的な部分を掌握することよりも、専門家と組む方がスムースに開発できていた、というより、それしか選択の余地が無かったということが理由に挙げられます。しかし、それをアドビはクリエイターサイドでも取り組める環境を提供しているように思います。従来のデザインやコンテンツの表現力だけをクリエイターが創出し、機能面は専門のプログラマーにという流れから、クリエイターが仕事をハンドリングしているデレクターがそれを直接ソフトウエアを活用して構築できる段階になってきたのだと認識しています。これは、デザインの表現だけを試行錯誤していたデザイナーやクリエイターには非常にハードルが高い作業・取組みになるのですが、知識と知性の関係で、一旦その取組みを推し進めることができたなら、コストパフォーマンスにおいても、制作期間の短縮においても、何より表現の自由性においても、クライアント様が求めているコンテンツを作成することができると考えております。何よりもこれからの時代は「知識と情報」よりも「知性とセンス」の時代だと思うのです。
 で、聞きなれない専門用語にアレルギーのある方はまずこのハードルは越えられないでしょうし、目先の困難よりも、その先にある絶大なるビジネスプランを見据えているなら、このハードルは石にかじりついてでも越えなければいけないハードルだと思います。アドビが提唱するこれらのツール群は概念を理解できてもワークフローに落とし込まれる際に様々な障壁をトラップを置いています。つまり、最後の最後でより次元の高いクリエイティブワークに取り組むためにはひとつづづこのトラップを手探りで回避してくださいとアドビに言われているような気がします。それが地雷なのかダイヤの原石なのか、自分の手で土をはらい探るエネルギーが問われてるように感じています。

Progressionか。

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 出てきますね、次から次から。でも、これは必然でしょうね。只今、リサーチ中です。

◎詳しくはhttp://progression.jp/ja/

メディアの進化#01

 「テレビ・ラジオとWEBの断層」このテーマはある書籍からの抜粋なのですが、なかなか素晴らしい考察を展開しておられる。1から10までリスペクトできるこの文体と背景に300ページあまりの書籍の3ページに1ページは折りが入っているという状態。何が1から10までというニュアンスになるかと言うと、「なんとなく最近のテレビ番組のつまらない感じは何故だろう?」「ニュースもこの話題はこの尺が必要かな・・・?」という、テレビが大好きの私にしてみれば、テレビから得られる情報の組み立て方にツッコミを入れたくなるような場面がとても多い。番組の構成もテーマも緩ければ、登場人物もワンパターン。しかも放送作家さんたちはかなり苦労しているだろうなぁ~と思ってしまう変化や効果がいたるところにちりばめられている。それだけ時代の流れをリードしてきたテレビが何かに追われるようにかなりいっぱいいっぱい感が否めない。これは何だろう?そこまでCMのスポンサーや広告主をたてながら視聴率だけを稼ぐために非常に厳しい労働条件でクリエイトして骨身を削っているはずなのに、どのCMも詳しくはWEBへ!って、テレビが完全に飛脚になっている。メディアだからそれが最終形なのかもしれなし、WEBの出現でそれがより明確になったと言えばそれまでなのですが、それにしてもテレビ関係の人たちの未来はかなりトンボの尻に近い。これを指してもはたしてロングテールと言うのだろうか・・・。
 で、断層である。どれぐらい断層があるのかな???と何の手がかりもなく、疑問が疑問を生みはじめて久しい時に、あれ?この書籍は面白いと買ったところ、出てくる出てくるその答えに対する視点の数々。それをこのブログで網羅することは、著者に対して1から10までリスペクトしている私にはできない。洋泉社から出ている「メディア進化社会:小泉信良著」¥952(税別)なので最寄の書店で買ってください。つまり、このテーマで共感できることは、「明らかに断層はあり、それは、共有・共生という方向ではなく、大きな変革をinとoutに齎すだろう。」という実感である。かなりリアルな実感である。そのうち一般家庭にも分かる表現で絶対に出てくるでしょうね、テレビのリアル視聴率を解析するソフトウエアが。そして、それを実際にテレビで観ながら、テレビ番組を観る時が近い将来に現実になるでしょう。だから、デジタル放送なんでしょうね。デジタルテレビの中にあるHDDがさてさて、どこまで、機能を発揮するのか?なぜデジタルにしたかったのか?誰がデジタルにしたいと思ったからなのか?デジタル放送の数多の特典の裏にある仕掛けはさてさてFAKEなのか?TAKEなのか???

夏目漱石とウェーバー。

 混迷の時代背景をどう読むのか今全世界が同じベクトルでこの問題解決に取り組んでいる。日本の政治への不信感や経済状況がちょうど明治維新の頃と似ているという理論を元にこの問題解決を定義している書籍を昨日買った。その書籍の名称は「悩む力」である。その中にメタファとして夏目漱石とウィーバーという人物が登場する。彼らの洞察が今の時代への問題解決の糸口にならないだろうかという著者の洞察である。夏目漱石は文学的にウェーバーは社会学的にとアプローチが展開されている。非常に面白い。まだ、10ページほどなのですが、まず、その書籍の中ある見慣れない語彙にワクワクする。最近はちまたでは漢字検定ブームらしいですが、これにはあまり興味がない。しかし、語彙を再発見することは引いては温故知新ではないが古き先人の知恵を借りこの混迷の時代を乗り切るひとつの大きなアプローチなのかもしれない。また、この書籍のポイントは自分自身の目線で切り取りこのブログで紹介させていただくつもりですが、まず、冒頭にこんなニュアンスのことをこの書籍の著者は記述している。
 現代社会のストレスの構造とは、「固定観念と変動する価値観との摩擦」と書いている。確かにそう言われるとそう見えなくもない。ある一方ではこの摩擦を「第3次世界大戦」まで展開している方もいるようですが、これもある意味人間の業である。しかし、そこは歴史から学んでほしいと懇願するばかりですが、世界がそうなったとして何が変わるのかをちょうど100年前に漱石とウェーバーは考察している。これが驚愕である。ひさびさに語彙をかみ締めながらドキドキしながらこの書籍を読んでいます。

どうあるべき?

 年末からずっと自社のWEBサイトのリニューアルデザイン案を考えている。テレビや映画や雑誌や書籍やと何かサインがないかと、ことある事にそういう目線でモノゴトを見てしまう。まぁ、これはこの仕事を始めてからもそうですし、芸大の頃も、その前の段階でも、何かを見るということが、自分が何かを創りたいと考えるときのためにヒントにならないだろうか・・・と常に「何か面白いことは」「何かインパクトのあることは」「何かググッとくる表現は」という目線で見てしまう癖がついている。そういう意味では今の仕事は天職かもしれないのですが、こうも景気が悪いと同じように気持ちがダウンしていまいます。このダウンしている状態でも、この気持ちを何かバネにして笑い飛ばせるようなデザインにつなげることができないだろうか・・・と考えてしまいますし、世の中がどう悪いのか分析すれば、この時代だからそこのデザインとうか販売促進戦略が構築できるのではないだろうかと考えてしまいます。逆に売上げがいい(そんなことはこの仕事をして22年一回もないのですが・・・。)場合はどんなことを考えてしまうのだろうかと、もう妄想レベルのイマジネーションのスイッチがオンになると、根っからの貧乏症の私は、贅沢なんてだめだだめだと悲観して逆に危機感をあおられてダメ人間になってしまいそう・・・だから、今の状態が一番いい状態なんだと戒める感じ。たぶんどこを切っても日本人なのだろうと思ってしまいます。日本人の働き過ぎは景気のいいころは美談として捉えることができましたが、その日本人から仕事を取り上げてしまったら何が残るだろうか?あんなシンボリックな総理大臣しか残らないのでしょうね。
 で、WEBサイトのリニューアルのお話。いつも仕事でWEBデザインを考える時は専門誌や実際にPCでいろいろなサイトを見ながら、構想しているのですが、たまたま、ヒットした「全国のWEBサイト制作会社の検索サイト」みたいなポータルがあり、それをリサーチがてらチェックすると、まぁ~北海道から沖縄まであるわあるわでそんなに凄い数の会社があんのかい!!!とビックリしてしまいました。そのポータルには約1,000件以上の登録があり、北海道から沖縄までWEBサイトに関連するいろいろな技術やプログラムやタイプ別にデザイン会社が登録されていた。その一覧画面にはそれぞれの会社のトップがサムネイルで小さく掲載してあり、そちらをクリックするとそのサイトに飛ぶ仕組みになっていました。けっこう、300件近く、サムネイルレベルでいいかなぁ~と印象が良かったサイトを表示させて少しウロウロしてみたのですが、大きく3つのタイプに分かれているような感覚でした。詳しくはまたいずれということで、その印象で総括すると、ほんとが同じようなことを違うそれぞれの言葉のままにデザインで表現している。印象のお話やエンジン対策などの仕組みのお話、そして、プログラムを連動させた仕組みや映像などのリッチコンテンツを全面に出して。しかし、北海道から沖縄まで見ていて感じたことは、国内のWEBサイトデザインの主流ってあるんだなぁ~と思った。どれもこれも同じ見えたのは、セオリーどおりにステレオタイプに創っておられるところが90%だった。あれ、個性的だなぁと印象があっても、仕組みが緩く、がっちり創っているなぁ~と思っても、中身が空洞。とトータルバランス的に「ええやん!」というのはこのポータルの中にはなかった。他社のことを心配する前に自分のところをなんとかしなければいけないのですが、WEBサイトデザインのセオリーが固まり過ぎてすべてセオリー通りで無個性な印象が結果強かったのです。もっと北海道らしい、もっと沖縄チックな、もっとアートなもっとポジティブなと。デザインって差別化するための表現手法なのに、ステレオタイプの方がユーザーさんは安心なのかなぁ~といろいろな意味で勉強になった。しかし、この考え方でアクトのWEBサイトをリニューアルするつもりはさらさらない。しっかり創ってなんとか年鑑に載せたいとも考えたことがないし、はなから無理だと思っているからダメなのかもしれませんが、ダメでいいと思っている。つまり、デザインを考える人は教科書だよりでいいのかってことであって、そりゃ、「よりどころ」や「保険」は欲しいですが、もっと破天荒なところがあってもいいかなと考えています。なんでも追いかけると逃げていくような気がするのです。これも負のベクトルかもしれませんが、どこかの部分で「挑戦」はしたいと思っています。そして、「どうあるべき?」の微調整をしていきたいと・・・モヤモヤしております。さてさて、どんなモノになるのだろう。3月中には完成したいと思っております。

ネットショップ開店・運営バイブル

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 さすが、2009年1月15日初版だけに素晴らしい内容です。数年前に購入したこの手の書籍とは比べ物にならないぐらいのノウハウがググッと詰め込まれていますね。かなり多岐に渡る留意点や組織づくりや運営のノウハウ、どれをとっても納得納得のバイブルです。確かに。よくよく考えると頭で理解しているつもりがいろいろな言い訳を並べてできていない方や、ただただオンラインショップという仕組みだけを作れば、どこかのオンラインモールに出店すれば、次の日からガシガシ注文が殺到するだろうというテンションの方には残念な内容かもしれません。
 また、これはオンラインショップのバイルルなのですが、その心意気というか取組み姿勢については、何もオンラインショップの企画・運営に関係なく、全ての現代のビジネスモデルに適用されるような重要なポイントが記述されて整理されていました。なかなか素晴らしい書籍でした。

WEB DIRECTION 48Rules for Success

 何をもって成功とするのか難しい時代ですが、失敗より成功はいいから思わず梅田で買ってしまいまいした。必ずこの手の書籍でタイトル買いをして「ええっ~これ古いやん!」となる場合が多いので、初版の期日を確認。2007年8月???やばいかなぁ~と思ったのですが、どうしてもタイトルが気になったので、目次を拝見。そしたら、1年以上前のことではあるのですが、非常に48のルールのチョイスがいいし、ルール1を拝見したら、「ディレクションとは何をすることなのか?」の部分で、「制作前も制作中も、完成して公開したあとも、そのwebサイトがクライアントのビジネスにとって有効なものになっているかどうか、期待された役割を果たすものになっているかどうかを常に確認し、そのために必要な行動を取り続けることが、ディレクターのもっとも重要な役割です。~本文より抜粋~」との文面を拝見して、そのままレジへ。2日前に購入してほぼ読めたのですが、改めて重要な部分にラインを引いている段階です。まぁ、成功か失敗かという部分よりも、頭の中が整理できるという意味においてこの書籍の¥2,400は値打ちかなと思っております。詳しくはどこかで探して買って読んでください。他の47個のルールもとても良かったですよ。

Rich Internet Applications.

 「目的」「表現」「手法」「成果」を「情報」に置き換える時、デザインの作業が発生する。それは、目に見えないモノであったり、様々な価値として存在する商品や企業のイメージを目に見えるモノとして創出するためである。これを総じてクリエティブと読んでいるわけですが、目にするという意味で書籍や雑誌やパンフレットやポスターなどの紙へのデザイン、グラフィックデザインと。自動車や家なども含めたプロダクツデザインが一般的に「デザイン」の全貌であったと思う(服飾や家電などもプロダクツの中に含まれます。)。そこで、インターネットである。WEBサイトへの情報の流出が認知度を上げる過程では、さほど、この手法に対する「デザイン」の訴求というはボトムアップはされていなかった。しかし、ここ数年の展開はその価値と同じぐらいに目に見えて、それ以上にこれまでのデザインの対象物であった変数とぶつかり合いながら、時に、融合しながら、従来のマスメディアと呼ばれる電波メディアと混在している。そこにさらに「デザイン」である。既存のソフトウエアのような機能と効果を兼ね備えたWEB上のコンテンツ。さて、そのデザインとなるとどうなのだろう?というよりもどう考える?どう構想する?どう企画する?と、まさに「どうどう」が巡る巡る巡る。もう、にわとりでも卵でもどちらが先でもいいので早く食べましょう!みたいな時代に、待て待て、卵を産むまで待つのか、卵が孵るまで待つのか。早く食べたいが時に待つことも「デザイン」なのかもしれないし、いかに誰よりも早く食べ始めることが「デザイン」なのかもしれない。う~ん、このお話は気楽に始めてしまいましたが、かなり長くなりそう・・・。またいつか。

flashCS4でオリジナルアプリケーション。

 ボチボチとですが、FLASHのCS4にてWEBアプリケーションが作れないかと構想と設計図を描きはじめています。というのも、ようやくACTIONSCRIPT1.0~2.0と3.0の違いが理解できてきたからです。これまでもACTIONSCRIPTとCGIやPHPを組み合わせたり、サーバプログラムと連携させるというようなサンプルをいろいろ研究してきて、何かググッとくるリッチコンテンツができないかと考えていました。が、やはり、今からCGIやPHPやサーバプログラムを覚え使いこなすのはかなりハードルが高いと感じていたのですが、このACTIONSCRIPT3.0なら、簡単な仕組みからなら、オリジナルを作れそうな気がしてきています。どうも、プログラム系のASPを見ていてパッとしないのは何故だろう?と感じていろいろリサーチしているとやはり、現場の方に言わせると、機能やユーザビリティーを優先するばかりにデザイン的な部分まで十分に吟味できなかったり、プログラムの分野の方にデザイン的に魅せるという視点というかこだわりがなかったことが起因しているようでした。また、デザインの現場の方は面白い魅せ方やデザイン的なこだわりがあったとしても「楽しく」「スッキリと」「センスよく」は心得ているが、さて、それとプログラムをどう組み合わせるかという部分で融合が難しかったという背景があるようです。この部分をすべて包括したような「ググっとくるWEBアプリケーション」が作れるとしたら、それは、もう、FLASH-CS4であれ、マスターコレクションCS4しかないということ。そもそも、そんな市場になってきたから、アドビもこのシリーズを出したという背景もあるらしい。全てのメディアに精通できる最高のショートカットがやはりこのアドビマスコレCS4なんですね。まだまだ、これについてのテキスト本も書店には並んでいないが、いずれ、どこかから出版されるでしょう。しかし、専門雑誌となると、DTPだけ、WEBだけ、映像だけ、CGだけという雑誌ばかりですから、マスターコレクションを大きく捉えるようなテキスト本は実際難しいとも感じています。ならば、当分はゴリゴリと試行錯誤しなければいけない。そして、同じベクトルで取り組んでいるネットワークで活用術を会得する必要がある。
 で、FLASHとACTIONSCRIPT3.0の活用術にトライしておられる方、オフレコでご連絡ください。現在、自分自身がCS4でできることを盛り込んだWEBサイトを自社(アクト)のWEBサイトで挑戦しようと構想しています。たぶん、映像やアプリケーションサンプルを盛り込みながらも楽しく何かを伝えることができるようなWEBサイトに仕上げたいと、時に綿密に、時に遊び心を失わずに設計図を描いております。また、そんな面白いWEBサイトをご存知でしたら、これまたオフレコで教えてください。英語版も作らねば・・・。とにかく「ググっとくる便利で機能的なリッチコンテンツ」を創りたい。

新製品「Adobe CS4 Web Premium」は・・・。

 「2008年12月に発売開始された新製品 Adobe Creative Suite 4 Web Premiumは、Web制作者および、Web業界参入を検討しているデザイナー、デベロッパー、企業の皆様にとって作業効率・生産性向上を実感いただける機能が揃ってます。当セミナーでは、その新機能をデモを交えて紹介いたします。また、来場者には当セミナー講師が利用するデモ素材とAdobe Creative Suite 4 Web Premium(体験版)も提供予定ですので「見て・体感して・実践できる」充実したセミナー内容となっております。 あなたのこれからを変える一日です。是非、ご参加いただき「最高傑作へのショートカット」を手に入れてください。」と本日、アドビからメルマガが到着。とても東京のセミナーにエントリーはできないので、これはスルーなんですが、このタッチの新春セミナーを聞くたびにweb業界はガッツリとCS4モードになりつつあるのかなと思ってしまいますね。確かに、まだ、使ってはいない段階でCS4はかなり整理されたし、かなり新機能が追加されている。これは、市場のニーズをアドビが受けて開発しているわけですから、理に適った新製品だと考えて間違いない。まだ、これを使っている人を見たことがないので、どれだけの操作性があり新機能がどれだけ仕事として強力なツールになっているのか実感はできませんが、ひとつひとつCS4のソフトを活用していきたいと思います。しかし、旧バージョンのソフトウエアが無効になるかというとそうでもないと思われ、「新しいソフトで新しいことはできるがさてさて仕事にどこまで活用できる?」という疑問と「市場が求めたバージョンアップなのだから、取り組んでいくことで新しい展開が必ずあるはず!」という期待をしっかりと自分の中で調整しながら、新しいソフトウエアを手に馴染ませる必要がある。確かにそこへのショートカットは上記のようなセミナーに参加するのが一番近道である。が、それだけに東京や福岡へは行けない。この部分がリアルなところ。長浜や滋賀県でCS4のマスターコレクションの活用術セミナーを期待しても、多分無理だろうから、せめてこの大阪あたりでCS4のセミナーにエントリーできれば・・・と考えております。
 で、CS4を活用したWEBサイトの今を実例で早く見てみたい。何がどうなのか・・・?を。表現力が上がったとしても本質が伴っていなければと考えがちですが、クリエイターのイマジネーションを自由自在にカタチに表現できるギアになっていると信じたいから、やはりの部分で「クリエイターのイマジネーション」だけはしっかり持って取り組む必要がありそうですね。手法や表現に依存して本質のない薄いクリエイトにならないように注意・吟味したいものです。何ができるかではなく、何がしたいのかが肝心要。

ActionScript3.0への展開。

 広告・PRなどの販売促進ツールとしてのWEBサイトの価値と合わせて、様々な展開についてそろそろ成熟期を迎えようとしているのではないだろうか。例えば、FLASHの進化とWEBコンテンツの動向だけを捉えて考察・分析してもその趣きが否めないように思います。ブログやSNSなどのコミュニケーションツールとしてのWEBサイト、企業紹介としてのコーポレイトサイト、また、学術的なアーカイブ機能としてのWEBサイト、そして、エンターテイメント性に特化したゲームやオンラインサービスを展開するWEBサイト。それぞれが、目的を共有しなががら、他のメディアと複雑に交差しながら、大きな潮流がうねってきた。が、それも「世界恐慌」という壁にぶち当たっている。本体・本質が振動している状態で、遠い未来を描くことよりも、目先の障壁をどうクリアすることにフォーカスしているのがまさに2009年の今のように思います。あらゆる業種において世界恐慌の波は押し寄せて、その基礎の部分、地面の部分を振動させている。雨が降り地が固まる前に大地が大きな痛手を受けてしまえば、もう、エンタメだのオンラインサービスだのとは言っていられない。消費が沈滞する経済状態でいったいどんな情報が有益なのだろうと考えてしまう。嗜好品よりもより生活レベルに密着した物品や価値の吟味がなされ、巨大な企業のこれまでの展開は大きなシフトチェンジを余儀なくされるでしょう。その余波を受けて中小企業や小さなビジネスモデルが影響を少なからず受けてしまう構造は否めないとしても、そんな時代にも独自のスタイルと経験値を生かしながら逞しく自社の自己のスタイルを展開している企業様、商品、個人様が必ず存在する。つまり、マスメディアがその価値を失い崩れ始めている今、何が生き残るために必要なセンスなのだろう?「サバイバビリティー」という言葉をニュースや新聞で目にするが、まさにである。しかし、商売とはいつの時代も「サバイバビリティー」だと思って取り組んでこられた方にしてみると、これは、本末転倒であるとも言えなくない。今更・・・みたいな感覚を持っておられる方こそが、時代を牽引されるのでしょうね。そうなりたい。
 そのために、新しい取組みをと頑張っている。「ActionScript3.0への展開」がそんな強い存在へ繋がることを期待しています。

仮想空間ビジネスの破綻。

 実際、「センカンドライフ」というシステムはどこまで未来像が描けるのかと思っていた。この中でこのスタイルでビジネスがスムーズに展開できるならかなり大きな未来像を描くことができるだろうと。しかし、どうやらそれは夢に終わったような雰囲気である。仮想空間で仮想の通貨を使用して暮らしビジネスを展開しエンジョイするということだったようですが、絵に描いた餅だったようです。次次にセカンドライフ関連のベンチャー企業が撤退しているらしい。熱狂的なモノはやはり人の常として冷めるのも迅速である。仮想なのに空洞化という不思議な現状である。何が原因だかはまだまだこの事例を分析する記事を読まないとまったく知らない興味のないお話なので自分自身にしてみれば「流れ星」のような存在の「セカンドライフ」なのです。3回も願い事を唱える時間がなかった・・・。
 で、この事例は何もセカンドライフという仮想空間サービスだけのお話ではないと思う。WEBサイトビジネスもいつかこのような状態にならないとも限らない。仮想と言えば仮想であるし、リアルだと言えばリアルではありますが。だって、リアル社会でさえいろいろなモノが破綻しているわけですから、そりゃ、マトリックスの中も破綻します。しかし、だからと言って「仮想現実=バブル」だと決定付けてしまうのもどうかと思います。そもそも「仮想」とは何か?「創造物」なら意図や意味や意義があるはず。通貨でさえ、言わば創造物なわけですから、その文化や歴史が時代と共に変遷を繰り返してきたとはいえ、人の現実社会にしっかりと流通しているモノ。ならば、「デジタル仮想社会」と「アナログ仮想社会」で区分はできないものだろうか、「具体的な仮想空間」と「抽象・イメージ的な仮想空間」で区分はできないだろうか?という試みを情報紙S.O.S.の第26号では取り上げていきたいと思っております。
 そもそも「仮想」とは何なのでしょう?情報紙S.O.S.マスターメンバーの皆様よろしくお願いいたします。別に救世主が誰かとかザイオンがあるのかないのかということではなく、きな臭いお話をクリエイティブに料理してもらってもいいですし、独自のイデオロギーをクリエイトしてもらってもOKです。なんでもかんでも仮想仮想と言っている方の背景を洞察してもらってもいいです。こんな第26号にしたいと考えております。どうですか?オズさん???

多種多様ありき。

 WEBサイトに関連する時代のスタイルについて考える時、何が本流なのだろうか?様々な概念が様々な形式で発信されそこにビジネスモデルが多く存在する。凄まじいスピードで新しいスタイルや技術が現れ、そして、同じサイクルで消えて淘汰されていく仕組み。その中で本流として残るスタイルを見極めなければ・・・と考えるが、と全力で取り組むのが「普通である」「標準である」「スタンダードである」と考えているが、はたしてそれはそれでいいのだろうか?と考える。とてつもない世界規模での破綻やビジネスモデルの崩壊をニュースで聞くたびに、このシステムはいた仕方なく崩壊したのか?いやいや、崩壊するべくしての現実なのか?と考えてしまう。こうなると、インターネット、デジタルコミュニケーション、オンラインサービスという項目のお話ではなくなるだろう。もっと、深く長いお話になりそうな気がします。古い価値観を見直す。新しい価値観を受け入れるということは、いったいその実態はどうであるべきなのか?もう、???の連続である。何をやっておけば、これを熟練していれば、あれを知識として保持していれば、という安泰とは対極にある何か大きなというか密度の濃い「英知」を持たなければいけないのかもしれない。しかし、0から何か新しいノウハウを創出するということはナンセンス。継続の上にある時代の万象をいかに自分へのサインとして捉えることができるかと端的にはこのような言葉に集約されるように思います。しかしながら、とてもその全容をフレーミングするだけの骨組みではないですが。
 で、どうしていくのか?「多種多様ありき」で器と視点を持てということなのかもしれない。なによりも言葉では簡単、行うは・・・である。

会議の目的。

 「会議とは手段なのか目的なのか?」会議のテーマや議論の方向性に対してフレーミングが最後まで機能し続けて、その場に居合わせることが重要で手段としてテーマを認識するために時間を費やす場合と、一旦テーマを机の真ん中に置き、それに対して参加しているいろいろな人のポテンシャルでそのテーマを分析・検証するという時間の活用方法をそれと呼ぶのか。それらは時に複合的に絡み合い、会議に参加する人の人間関係や知識や学歴やキャリアなどのが微妙に作用し合いながら時が過ぎる。「激しき議論」とは議題に対する本質的な分析・検証・意見・提案・アドバイスが活発に入り乱れることだと思いますが、「激しい」だけに感じるのは、会議に参加する方に共通言語がない場合、これは、本来の会議というスタイルの一番理想的なレベルを10とすると、1~2レベルであるように思います。ただこれも会議をレベルなんてモノサシで計測できなのですから、なぜこの会議が開催されているのかという理由と会議の後に次回の会議までにどうするべきか何をするべきかが参加した全員に胸中に認識されていればそれはそれで会議として成功だと思う。素晴らしい結論に導くことが出来なかったとしても、それは、会議として機能していると思います。会議の最中に革新的な結論が出され、それを参加した全員が賞賛の拍手で幕を閉じるというようなK会議やTサミットみたいな、ある意味、イベント化した会議は誰かがどこかで予算調整だけしていればいい。
 ひとりひとりの問題を全体の問題として考え、全体の問題をひとりひとりが同じベクトルとテンションで考えることができ、受けの姿勢から投げの姿勢に気持ちが変わる時、次への課題やテーマが見えてくる。答に強引に導こうとする会議は会議ではなく、ただの発表会である。幼稚園の発表会である。一生懸命練習した演技を与えられた時間、ステージに上がって元気に発表する。参加者は演技が終わったら拍手で終わり。こんな会議は会議ではない。時に人がある限られた場所に集まるということは、それだけで機会価値を提供していることになる。しかし、会議だと思ったモノがただの発表会だったりすると、価値があまり感じられない。だから、いつでもどこでもオンラインで意見を見て読んで、気軽に意見を発信できるオンラインでの会議ができなかと思っている。テーマを進行形で流動的に捉え、多面的に意見や感想や提案を集めるだけでは会議とは言えない。が、機会価値が発生しなければ、それだけ、意見や感想や提案のリミッターも緩くなる。なりすぎて2チャンネルになるとただの「エゴ」の網羅になるから注意したい。文化的な社会規範的や相対や絶対をどこかでリスペクトしている姿勢を失わず、それがこの中で展開されれば幸いです。一番怖いのはやはり何ごとも「無関心」ですね。

http://www.mirai-nagahama.com/blog04

同じか・・・。

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 そうかそうか、W.P.2.6もMTOSも機能面や運営面での技術的な利点は同じなのか。あとは、慣れの部分でどこまで活用できるか、創り手や運営の立場の方の手に馴染んでいるかが選択における判断材料なのでしょうね。いずれもデザインやプラグインや拡張機能の面のカスタマイズはそれぞれにプログラムの仕組みが異なるので一長一短ですが、それぞれの特徴をどういうWEBサイトにしたいかという目的にマッチしているかが本丸のように感じています。でも、それぞれに設置する環境は微妙にことなり、バージョンアップの度合いもそれぞれなので、双方に特徴はありますが、それは、今後、いろいろなユーザーがどのように運用・活用してその特徴を生かすかが勝負なのでしょう。
 で、この「逆引きデザイン辞典」はこれまで出ていたW.P.関連の書籍とはまたアプローチが異なり、とてもかなり詳細まで記載されていました。問題点や運営面での疑問点に対する解決方法を紹介しながら、W.P.の機能を事細かに説明しているのでとても理解しやいすい書籍になっています。まだまだCMSの世界はいろいろなソースや環境が整っていくでしょうから、この書籍も通過点だと思います。が、スタイルが確立して一般に浸透した段階ではビジネスモデルとして成熟期になってしまうので、それまでにこのギアをいかに手に馴染ませるのかが勝負。FLASHもA.E.もPremiereもSHADEもしかり、アプリを使いこなすということは、機能を知識として理解していることとは大きく異なる。つまり、「?とハサミは使いよう」なのでしょうね。

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Flashの活用方法。

 そこそこFlashの活用方法は知っているつもりですし、3.0のバージョンから使っているので、その機能については30%ぐらいは理解しているつもり。ただ、活用方法となると、どれだけ書籍を読んでもいい感じの発想になかなか繋がらない。それは、Flashの3.0を最初に動かした時のような気分なのである。単純にステージに描いた正方形が右から左に動くだけで感動だった。それが消えたり現れたりすることだけで何かとてつもないソフトウエアを使っているような気分になれた。オブジェクトを動かすという意識がそれまで使用していたソフトウエアではなかったので、1秒間に15フレームと言われても、その1秒という感覚が全然なかったので、どれぐらいの長さにすればどれぐらいの動きなるのかということだけで、いろいろ試行錯誤だった。それが、かれこれ2000年の10月である。そこからバージョンも8になり、実装される機能もえらいことになった。さらに上位のバージョンもあるがそれは手が出せないでいる。その間、世の中ではFlashを活用したWEBサイトが氾濫し、テクニカルにインタラクティブにアカデミックにエンタメにシックに楽しませてくれる。しかし、いざ、それを仕事で使うとなると、その効果や表現力の乏しさに我ながらあきれることが多い。素晴らしいWEBサイトを見すぎているから、そのレベルに技術的にクリアできても本質的にその着想レベルが出せないことがなんとももどかしい。Flash=複雑難解感覚的なWEBサイトでは決してないのですが、着想がとんでもないところから始まっているWEBサイトには舌を巻いてしまいます。どうしたらこの着想ができるのか?スクリプトやサーバプログラムで何かをするということはそれを記述すればプレイヤーは正直にそれを実行するだけだから、それほど難易度は高くない。しかし、着想や表現手法がキレているWEBサイトには舌を巻く。
 で、スタイルシートやCMSサイトも素敵だと思うが個人的にはやはり、FULLFLASHか部分FLASHに気持ちが向いてしまいます。それは、軽いからいい、重いから悪いという基準でも、エンジン対策がどうだからどうだみたいなアプローチではなく、それを訪問者の方は貴重な時間をさいて訪問してくださったのに、エンジン対策だからとか軽くスマートにだとかという発信側の勝手な意向で、楽しくないのはどうかと思ってしまうのである。ただ、動かしているから楽しんでくださいではなく、動きや見せ方や画面の転換に訪問していただけた「価値」を表現してFLASHはなんぼ。「FLASHは重くて動いているだけでストレスになるから使うべきではないですねぇ~」と言ってしまうWEBクリエイターは間違いなく、FLASHは使えない。情報は伝えるものだから、余計なことはせずにスタイルシートで見せることがWEBサイトの価値ですという考え方も正論だと思うが、そこはそこ、十人十色である。なんでも、自分が基準になってしまうので、どれだけ天邪鬼かがクリエイターの基準値の高低を決めると思っているので、世の中がスタイルシートならFULLFLASHで何かできなか・・・、逆にFLASHが熱いよといわれると、CMSでキレイなWEBサイトを創りたいと思ってしまう。
 で、で、FLASH最新バージョンを使ってゴリゴリクリエイトしたWEBサイトはあまり見ないなぁ~。きっと、皆さん、その波が来るまで爪を磨いでおられるのでしょうね。

現実という定義の揺らぎ。

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 「グーグル、ユーチューブ、SNSの先に何があるのか?」と表紙でこの書籍は読者に何かを問い正している。ティム・オライリーと読み解く「仮想世界」ということであるが、そもそも、仮想と現実の境界線の設定なんて強引な話で、もともと、仮想なんて表現は言葉を変えて存在していたし、現実についても多くの哲学や科学などの学問で定義されているわけだから、このキャッチコピーも強引と言えば強引なのである。しかし、「神々のWeb3.0」なんてタイトルで本が出てたら買ってしまう、読みたくなるのは自然な流れ(この部分も強引と言えば強引ではありますが)。「Web2.0」を提唱したのだから、3.0もあるでしょうね。でも、なんでもかんでもそう簡単にバージョンアップするのかな?しかし、ゴールがないと誰も走らないからそれをここですって設定されることは何事も大切なのでしょう。そういう意味でたぶん私たちは「Web3.0」というゴールをこれから目指すことになり、それを諦めた人はゴールインの達成感に浸れないのでしょう。映画や小説で「現実」が定義され様々な仮説が様々な表現で創造される。それをどう感じてどう取り入れてどう排泄するかというふるまいに興じているうちはいいが、その弊害も多い。「現実と仮想の区別はどこだ!?」と哲学者ぶるのも「所詮、現実も仮想も神も人間の想像物だから私の生活には関係ないですね」と今を生きるのかは自由ですが、「先に何があるのか?」と言われても、今、この瞬間に何があるのか、5年10年前に何があったのかも定かではないのに、そんな脈略は成立しないように思うのですが。
 で、この書籍を読み終わった時、この考え方はどう変わっているのか?その「何か」が理解できているのか?それが一番楽しみである。

鳥と虫と魚。

 虫の目と鳥の目と魚の目というモノゴトの見方についてある原稿づくりのためにリサーチした。モノゴトを俯瞰で見るということはそれなりに取り組んできたつもりで、本来のそれとはレベル的には劣るかもしれないが自分なりに俯瞰でモノゴトを見るとい訓練と見えたモノに対する洞察は展開してきたと思っている。しかし、俯瞰で見ているだけはどうもモノゴトの本質の一側面でしかなく、もっと多面的にモノゴトを見なければいけないのではないだろうかという気持ちもどこかにありました。特に情報時代でPCの中にある情報をどう捉えることが自分自身にとって一番いいカタチなのか。そして、その情報をどのように処理して新しい展開に再構築するためには俯瞰的な見方だけではものたりないような気がしていました。で、俯瞰の他に対義語として「虫の目で見る(鳥瞰に対して虫瞰だったような・・・)」だけは知っていた。そこで、それについて適当なキーワードでグーグルを叩く。すると下記ようような情報がヒットした。
 「「虫の目」は近いところで、複眼をつかって様々な角度から注意深く見る目のこと。「鳥の目」は虫では見えない広い範囲を、高いところから俯瞰(ふかん)する目のこと。そして「魚の目」とは水の流れや潮の満ち干を、つまり世の中の流れを敏感に感じる目のことです。」という文章である。ここまで明確に整理は出来ていなかったが、同じようなことを考えているんだと思った。そうか、虫の目とはただ近くで見るという意味ではなく、複眼で多面的に分析するという見方だったのか。そして、「魚の目」というのを知る。世の中の流れと川の流れに比喩していた。なるほどなるほど、鳥や虫や魚たちの環境や特性はそれぞれ自らの生命を維持するために与えられた能力であり、それを人がどう考えるかは自由だけれど、自然の中の様々な基準でモノゴトを捉えるという入口にはとても理解しやすい表現である。
 で、ここまでのふるまいは偶然なのか必然なのかという見方をしてみると、偶然にも「鳥瞰」というサインから「魚の目」というキーワードがヒットし、これまでなんとも心の中の「モノゴトの見方」が整理できていなかったコトが少し整理できたような気持ちになれる。こんなことは疑問が浮かび、PCで検索して、目当ての情報がヒットしたら誰でも起こりうる偶然ですが、これを必然と捉えると、情報の本質が変化するように思うのです。偶然と必然で考えると、その場しのぎみたいになりますが、主観と客観という考え方で情報が捉えられていれば、目の前に現れた情報を平面的に処理する以外に多面的に立体的に自分の情報として心の健康の栄養にできればいいなぁ~と思うのです。便利ですが便利の次にあるモノゴトやサインを「鳥と虫と魚の目」で見ていきたい。

神々の「Web3.0」か。

 「人間関係の解析」と「あなただけのカスタマイズ世界」が今後インターネットが向かう方向性らしい。光文社から出ている書籍の広告でそう知る。なになに、何が1.0で何が2.0で、で、3.0ってそんなに世の中も人間も変化しているわけじゃないでしょう。この書籍にはWeb3.0概念の開発者のコンセプトが明らかになっているそうですが、さて、それはどんなものか・・・。もう、かなり、この広告のコピーに心を奪われています。

「知っている」の実態。

 誰でもインターネットを活用して情報をどこでもいつでも収集できる環境が凄まじいスピードで世の中に浸透し、「飽和している氾濫している」「次世代コミュニケーション」「ユビキタス社会到来」などと言われ続けて久しいのですが、確かに情報は氾濫しているし、情報の受発信も容易になったことには異論はありませんが、さて、適度にほどほどに最適にという「加減」のモノサシが少し狂っているようにも見えなくないですね。狂っているというとかなり乱暴な表現ですが、あふれる情報を制御できないのに集めてるだけで「知っている」は体感できても、さて、その本体(脳は人間は)はそれについてどう的確に反応しうようとしているかを俯瞰視できているのでしょうか。テーブルに全世界の料理を並べられて「おおっ!素晴らしい料理の数々だ、ルネッサ~ンス!」と咆哮するか、それとも、「ほんとに食べたい料理を手短にテーブルに並べてゆっくり味わいながら堪能するのかは、自由だぁ~~~!」と等身大の満足にこだわるのか。所詮、ひとりの人間が1日で10,000相手にメール交換はできないわけですから、等身大の活性化された情報を会得・体得する、身にしっかりつけるスキルだけあれば、時にフランス料理に、時にイタリアに、時に豪華な中華で舌を楽しませるのもいいかもしれませんが、頭がメタボになる前に、頭の代謝率を毎日計測するDSが開発・発売されないかな・・・。心技体と申しますが、実はデジタル文化は有機体の中で昇華されていることだけは決して忘れてはいけませんね。
 「知っている」の詳細をもう少し細かく認知していきたいものです。

差別化のコツ。

 WEBサイトのトップページデザインを構想する時のコツというか気をつけていることはWEB関連の雑誌や専門書を見ないことです。そして、期待して無作為にグーグルなどでどこかにいいデザインのWEBサイトはないものだろうか・・・、面白い仕組みの素敵なナビゲーションを構築しているWEBサイトがヒットしないだろうかと手を変え品を変えてキーワードやリンクスなどで検索をするのですが、あまりも膨大なその数に圧倒される上、どれもこれも、同じトップページに見えてしまう結果になりがち。粘って粘って、もしかしたら、このクリックでピカイチなWEBサイトがヒットするかもしれないと期待しても、「あ~あ、こうなるか・・・」みたいな。キーワードがそこそこ的を得て、その紹介文もいいことを短い文章で書いてある。だから、ここはもしかしてとクリック。しかし、逆に腰が抜けてしまうようなWEBサイトがヒットする。「これはどのように思考してどのような技術を活用してどのような考えをすればこれになるのか???」と、暑さにバテているせいだろうか、声に出てしまう。「寒い」と。それほど、いろいろな価値観が飽和しているのでしょう。
 テンプレートありきのデザインを決して否定しませんし、プログラムがスタイルシートを適用させて創るデザインにはWEBサイトらしい空気感が感じられるので、それはそれでありだと思いますが、それ単体ならいいですが、本来、デザインを考えるというスタートラインではまず「差別化」することが最も重要だと信じているので、ここと同じ仕組みでちょっとアレンジを変えて・・・みたいなノリだけには出来る限り距離を置きたいと思っています。とはいえ、独自性をカタチにすることの難しさは時間的にも精神的にもかなりの負荷であることは否めません。しかし、いくつかコツさえ踏んでいれば、考え方の中である種、鈍感になれれば、簡単な場合もあります。でも、ああだのこうだのと考えることそのものを考える癖が染み付いている人には、理論とか方程式とか公式を捨てることは難しい。なかなかいろんなモノを捨てるのは何においても勇気が要りますね。捨てられないものばかりが身の回りに残って、いつの間にかそれが自分自身の実態になってしまう。これが重い。いつでもハダカになれる人でありたいです。

創設者の意思。

 サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジはgoogleの創設者である。その意思は10年間で地球を半分飲み込もうとしている。すべてのタイミングがすべてのベクトルが「共有する」というキーワードでひとつの方向に向かった時、「多様性」さえも飲み込み、「企業の在り方」さえ震撼し体感するユーザーを凌駕する。情報の本質に触れることとは・・・と考えを巡らせようとする時、googleはタイムマシンになる。それをひとつひとつ紐解くことをここで語るより、いかに軸をひとつにしてチェーンリアクションを派生させ続けることが価値があるかについて考え動き創る事のほうが、この二人の創設者へのリスペクトになるのではないだろうかと思う。昨日はそんな素敵な2時間でしたね。

議論の行方。

 本屋に行くとよく「あなたのWEBサイトのダメな理由は・・・」とか「これで売り上げX倍間違いなし!」とかいろいろなキャッチコピーに彩られた書籍や雑誌が目に入る。そして、チラミでどれどれというところまでは充分にその書籍や雑誌を手にとるという動機付けになる。しかし、書店で書籍を見つけて、もしくは、広告でその書籍を知り、WEBサイトで購入できるという段階になって、はたして、次の検討の段階になる「買うのか買わぬのか?」という選択をクリアするためにはどのような障壁があるのだろう。例えば前述しているようにに「ダメな理由」や「売り上げ倍増計画」というキーワードで興味を抱いても、そのほとんどがシリキレトンボ状態で、意味不明の主観の嵐であったり、「それはナイナイ」ってことになる場合がほとんど。さらに著名な方の書籍で、この人なら確かなことを言っているだろうと踏んでチラミしてみても、なかなか期待に応えてくれる書籍や雑誌は少ない。しかも、「コレは間違いなく買いだ!」と判断できる書籍はそう多くない。ダメな理由が相対的なのか絶対的なのかは別として、あまりにも、著者の経験から判断をくだされた主観の嵐にはお金を出す気持ちはないし、これで売り上げがX倍になるなら、今の日本はないはずである。以前は「勝ち組」「負け組」なんてキーワードがよく使われていたが、そのキーワードも旬を過ぎたのかあまり目にしなくなった。やっと、ユーザーが勝ちや負けに本当は興味がないことにやっと本を作る人、書く人が気づいたのか・・・。
 ということで、前置きが長くなってしまったのですが、あるひとつのテーマで議論する時に、皆さんは何を大切にしていますか?個性ですか?分析力ですか?洞察力ですか?知識と経験値ですか?正論と愚論の見分け方にパーソナリティーを乗算すると何になりがちだと思いますか?私は「時間の無駄」だと思います。議論とは行方が見えていない状態で、互いのポテンシャルとポテンシャルをバトルさせることです。その気がないなら、そこにいる必要はない。そういう人が特に最近、多いと思うのです。議会ではなく、それは報告会or発表会でしょう、みたいな。多分、一番上のその部屋でも同じことが起こっているのでしょうし、今頃、湖畔では「無駄な時間」が流れていることでしょう。

M.T.とW.P.の違い。

 CMSといえば、XOOPSやムーバブルだったのですが、最近では、WORDPRESSが主流になってきているように思います。ということで、いろいろ書籍を読み運用方法などをチェックしているのですが、確かにメリットは多いと思います。インストールもPHPの一部変更とデータベースサーバのアクセス先の記述だけをクリアしたら問題なくインストールもできます。仮に失敗した時でも、ログを貯める先を任意で変更すれば複数のインストールが可能ですから安心。さて、インストール後の更新作業や新規エントリーの方法が肝心になってくるのですが、これも、ブログの一般的なコンパネなので使いはじめたらそれほど難しいことはありません。ただ、オペレーションの際にコンパネの中に記述してある、コメントにもあるように、まだまだ、バージョンアップしてこのプログラム自体の改良の余地があるそうです。例えば、ID順にする場合のIDの振り方が数字なの英字なの?ということだったり。そして、ややこしいのが画像などの素材をアップロードするときが結構エラーが多いように思うのですが、このあたりの解決方法を知っている方がおられましたらまた、こっそり教えてください。私は絶対で記述しているんで、まず、素材を普通にFTPしてから、絶対のURLをコンパネで記述しています。本体の画像を変更する時もスタイルシート内の所在を探して、絶対で記述しています。それ以外に機能面でも海外版になりますが、いろいろなテーマが豊富で拡張機能も豊富ですから、これは、上手い事使いこなしていきたいツールですね。ということで、まず、M.T.から入ったCMSですが、今はWORDPRESSに浮気してとてもいい感じです。皆さんはいかがでしょうか?

ブログオソロシ。

 このブログで最近発売された「木村カエラ」ちゃんの書籍「コレクション」のことを書いた。つい先日である。なのに、「KimuraKaela」をグーグルで検索すると、まず、カエラちゃんのブログとかレコード会社のサイトや書籍関係のサイトがヒットするのですが、その流れで、2ページ目の4つめに私のその書籍の紹介ページがヒットしていた。これはまさにブログオソロシである。それ以上にヒット位置を上げることはなかなかどんな手をかけようが難しいと思いますが、いろいろなジャンルを気ままに書き込んでいるだけで、簡単にヒットしていまうブログの利点をあらためて再認識してしまう。
 でも、ヒット位置が高いといっても、クリックにつなげるための工夫。例えランディングページを表示してもらえても、そこから興味づけが何もなければ、瞬殺で移動されている。どれだけヒットさせても、工夫や思想が伴わなければ、見てほしい画面にナビゲートはできないし、見せられたから何かアクションを起こしていただけるとは限らない。ここまでしっかりと用意するのはかなりの至難の業とエネルギーが必要なのんでしょう。しかし、継続させなければ、それ以上に意味がない。継続していればこそ、工夫点が着想するし、どんなに微細な工夫点でもそれに工夫を重ねていけば、新しいスタイルが見えるということもある。つまり、最初はどんなに小さな種でも植えなければ芽は出ない。芽が出たとしても、水や育てる環境が劣悪だと苗は育たず葉が出ない。葉が出ず、大きく生長しないということは、花も咲かないし結実もしない。実がならねば種もできない。とこのループなんですね。種無しにならぬよう、いい種を探し続けることが何よりも肝心なのである。そんなサインがあふれている時代だからこそ、本物の種を探したい。本物とマガイモノの違いを見極めるためには、やはりのやはりで、本物像を五感で認知するということが全てのスタートラインなのでしょう。そういう意味で、ブログというモノサシはインターネットという手法で自身のそちらのポテンシャルを試す最適の場所とも言えなくないのではないでしょうか。と、調子にのっていたら、今月は過去最高の52エントリーを記録したというわです。
 ブログオソロシ。

 追伸、昨日、グーグルの2ページ目の4番目にヒットしていたのが、今日(6月1日)は発見できなかった、あ~あ、もっと下位に落ちたんだとあきらめたのですが、何々、1ページ目の7番目にヒット。上がってるやん!さらにブログオソロシ#02

こちらのページです。

FLASHっていい道具。

 ブログ型サイト(CMS)も大きな潮流ですし、スタイルシートを極めるということはとても大切なことだと思います。また、安価なエディタソフトで誰でも作れるWEBサイトも実は奥が深く、見た目よりももっともっと大切なモノが多くコンテンツに含まれている場合が多い。何ごとも二極化と分類することはたやすいですが、別にカテゴライズする必要はまったくない。ひとりひとりの創り手の想いが全く同じことなどありえないのだから、ひとつひとつの考え方がそれぞれカタチになっていれば、WEBサイトは完結し面白い運び方ができると思います。情報を整理したから伝わる、テンプレートを利用したから見栄えが劣るということではないと思います。ワードでもキレイなチラシができるし、イラレのCS3を使っていても緩いデザインは緩い。最新ソフトを使っていることがステイタスという気持ちは理解できなくもないが、それと同時に自分にないものを認めている方が機能や構造や仕組みに依存して、ソフトを使っていると思いたいだけ。しかし、それも決して「なし」ではない。そこに綿密なプランやTIPSが注がれていれば、そのコンテンツは素晴らしいと言える。だから、創り方には勿論どんなケースでもこだわらなければいけませんが、創り方にこだわりすぎて完成された作品を冷静に客観的に見れないと底なしである。
 いきなり話がそれてしまいましたが、やはり、FLASHというソフトは凄い。プログラムの知識もそれほ明るくはないのですし、どうも、スタイルシートで作るWEBサイトのデザインが好きになれないので、やはり、何かを創るときは感覚的なアプローチがダイレクトに作品に適用される道具がいい。となると、やはり、FLASHは素敵である。これほど使いやすいソフトはイラレとフォトショップの他では存在しない。使いやすいというよりも、感覚を数値的にオペレイトしてくれるソフトが好きなわけで、まるで、クロッキー帳に鉛筆で描画するように絵が描けるソフトという視点でいろいろなソフトを見ているので、やはり、No.3はFLASHである。第4位はちなみにSHADEですし、第5位は意外とAFTRE EFFECTSですね。
 で、FLASHのサイトづくりはいろいろ、ほんとにいろいろなアプローチがあり、書き出し形式も多岐にわたる。だから、一番大切なのはソフトの機能をある程度知っている上で、創る時は感覚的にならなければいけないこと。しかし、イラレやフォトショップはあくまでも2次元的な平面の世界ですから、感覚的になるにしてもそれなりに雛形があるが、FLASHの場合は時間というモノサシがあり、オブジェクトを動かす・変形させるという非常にシンプルな手法が無限のオブジェクトを生成する。これが、SHADEになると「Z軸」が存在するし、AFTRE EFFECTSになると「効果」が存在する。なかなかこのアプローチを手になじませようとすると時間がかかります。
 昨日、WEBサイトデザインを構想するのに書店に行き、WEBサイト制作プロダクションの年間ファイルをぼぉ~と見ていたのですが、インターフェイスデザインしか見ることはできないのですが、「ええやん!」と視点が止まる会社様は1社しかなかった。それがやはり「FLASHサイト」だったのである。

「WORDPRESSで一歩先をいく」

 この書籍のはじめににはこう書かれている「最近のブログでは、デジタルカメラで撮影した写真を公開するのは当たり前、iTunesで再生している楽曲情報、視聴しているネットラジオの情報なども公開されています。今自分が何に興味を持っているか、物事をどう考えているかを記録したり誰かに伝えたいと思った時に、ブログで表現するというのが、今はごく自然な行動になっています。実際のところ、旧世代に属する著者には、ブログで何でもかんでも公開すればよいというわけではないと思え、ちょっと不思議な時代という感じもします。結局、道具は使い方次第といういところですが、このようにブログを介して、ようやく私たちはインターネットのさまざまな機能を身近に利用できるようになったのだと思います。現在私たちはデジタル機器に囲まれて生きているわけですから、生活のいろいろな局面にデジタル情報が満ち溢れ、それを整理したり、活用するのにブログが関わってくるのはごく自然なことといえるでしょう。ブログは写真や音楽や身近なデジタル機器から、生活や流行、社会や経済の話題に私たちの関心を広げていく新しい道具とも考えられます。そんな現代人の生活様式にビビットに応えてくれるのが、本書で紹介している「WordPress(ワードプレス)」です。ブログは皆同じではありません。以前はWEB日記と同列に語られたブログですが、今や「メール」や「携帯電話」と同じように市民権を得て、さらに時代と共にブログの作法も変わっていこうとしています。」となっています。
 さて、ここにも「時代」が出てきました。「時代とインターネット」「時代とブログ」「時代とデジタル情報」この関係性をどう飲み込み消化して解釈するかは、それを扱う人のポテンシャル次第なのでしょうね。となるとやはりキメテはポテンシャルなんですね。道具に使われぬよう、江戸魂を忘れぬよう。

対応型カートプログラム。

 もうどんなサイトにもあたりまえのように機能している「カートプログラム」その仕組みやプログラムソースの種類は数多です。いろいろなカートプログラムが存在し活用されているわけですが、それぞれの仕組みを比較していると、コスト的にも機能的にもほんとにいろいろな種類があり、ありすぎて、何を基準に選べばいいのか非常に迷ってしまいます。それ自体をユーザー目線で捉えるとどんな方でも一度や二度は書籍や特産品を買ったことがあるでしょうし、使い方としてかなり浸透してきているのでしょう。その相対的な比率や深度を視覚化した資料を見たことがないので、どの程度の浸透率でどのようなカートプログラムが人気なのでしょう。また、面白くも機能的で安価なカートプログラム情報がございましたら、おしえてください。
 大きくは設置型とASP型に分かれ、楽天などのモール形式にはプラスさまざまな運営に関係するオンラインショップ機能が付いています。設置型はまだまだプログラムありきでカスタマイズはかなりハードルが高いし、レンタル型は便利で設置も更新も簡単なのですが、コスト的にもカスタマイズ的にも、まだまだ、物足りないように思います。しかし、多くのWEBサイトで機能しているそれぞれの「カートプログラム」の仕組みをリサーチしていると、いろいろな発見があります。最終的はデザイン面での見方になってしまうのですが、やはり、使うモノだから信頼感と安心感が重要です。
 そこで、こんなのあったらいいのになぁ~と思うのは、テレビ電話やビデオチャットではないのですが、直接画面に人が現れて「いらっしゃいませ~!」から「お買い上げありがとうございました。」までを映像で案内・接客してくれるカートプログラムはないのかな~と思った。商品を知って頂き、特長の詳細を説明してブランド力も伝えることができるような映像付のカートプログラム(CGI+FLASH)作成ツールが買い取りで¥300,000ぐらいであったら買うのになぁ~。創れないかなぁ~。

フレッツ光ネクスト(NGN)

 光ファイバー網を使った次世代ネットワーク(NGN)「フレッツ光ネクスト」が3月31日からスタートする。インターネットの解放性と安全性を兼ね備えた通信網で、大量の情報を速く安全に送れるようになる。プライバシーが重要とされる医療や教育、行政分野などへの活用が期待される。NGNが拓(ひら)く新しいネット社会を展望した~と、今朝の日経新聞の第2部に記載されて紹介されていた光次世代網「NGN」。「速くて安心」はインターネットが進化を遂げる前にもアナログの時代にも何かが起きる時は言っていたような、インターネット時代が到来した時も「速くて安心」はキャッチフレーズだったような、そして、光ファイバーが登場した時も・・・、そして、次世代・次世代・次世代と次から次へと時代が転換される。これは100年に一度の変革だという記事も読む。正直、いったいどうなるの?と思う。文化面でもビジネス面でも教育面でもそうですが、文字や声のコミュニケーションが苦手な日本人が、双方の映像をリアルタイムに感じながらキャッチボールができるのだろうか?一方で孤立する快感と疎外される価値がより強調されつつあるようにも思いますし、取り残された感に支配されないように、景気のボトムアップのために、昔ながらの「右にならえ!」「○○バンザイ!」にならぬよう、妙な次世代が来る前に立ち位置だけは確かめておきたいものです。そりゃ恩恵はたくさんあるでしょうが、目に見えないリスクもあるはず・・・。

映像コンテンツ産業!?

 インターネットで映像に親しむ方法がyoutubeを代表する映像コンテンツ配信サービスでかなり浸透していると思う。自分自身がインターネットに取り組み始めた頃は世の中のWEBクリエイターの皆様のほとんどはテキストエディタでHTML言語を入力してWEBデータを作成しておられた。それを知った時、「ああ、これはちょっと難しいなぁ、自分にはハードルが高い」と感じて傍観していたような記憶があります。しばらくするとHTML言語の知識がなくても、DTPデザイン感覚でWEBデータを作成するソフトが発売されてすぐに飛びついた。でも、できる事はイラストレーターで作っているデザインという言うよりも、ワープロで文字と画像を並べている感覚でとてもデザインしている気にはなれなかった。それが、かれこれ、10年ほどの前の話。そこから、インターネットのインフラの整備はイッキにそのニーズとリンクして深く広く太く進化していく。そして、受け手側のニーズもこの10年間で多種多様になったと言えるだろうし、これからもこの進化は続くでしょう。数年前、あるWEBデレクターが書いている書籍を読んだ時、これからのWEBビジネスの分野には、ビジネス思考とプログラム思考とクリエイター思考の3者が入り乱れて試行錯誤を繰り返し高みを目指していくだろうと予測していた。その未来予告はほぼその言葉どおりになっていると思うし、もっと、他国間の文化や歴史も入り乱れて突き進んでいるように思う。
 さて、そんなここ10年のインターネットの畑のお話の中で、クリエイターとしてビジネスマンとしてひとりのユーザーとしてこの畑にどう関わっていくかにつて、いつも自問自答しながら、取り組んでいるわけです。この10年でソフトウエアの書籍は何冊買ったか分からないし、次から次へとバージョンアップするソフトウエアの書籍に追随しよう、そして、PCでできる事、ソフトウエアができる事を貪欲にリサーチして手が伸ばせる分野には興味の赴くまま触手を伸ばしてきました。が、ふと気がつくと、よほど専門的なプログラム系の書籍コーナー以外のクリエイターが必要とされるソフイウエアの書籍をこの頃、物色していても、そう目新しい書籍が目に止まらなくなったような気がしました。うん?これは、自分自身の貪欲さにかげりが出て、昔のような目力が無くなってしまったのか?いやいや、そんなはずはない。逆に目に止まるのは、素材集であったり、テンプレート集が目立っているように思える。そろそろ、DTPもWEBも映像も音楽もソフトウエアの開発の流れは成熟してきたのだろうか・・・と思っています。ソフトの機能が今後飛躍的に革新的に進化することはしばらくないような気がします。
 そんな中、映像コンテンツ産業という言葉が目に止まった。これは何なんだ?

WEBの基準01

 「オーバチュア」という言葉はWEBビジネスに取り組んでいる人なら一度は耳にした事があるでしょう。その実態については様々な書籍がある。ある書籍の中で「このWEBサイトは大丈夫か?」と思えるサイトがインターネットの中に存在するということであり、その具体例が15例上げられていた。
 1、ユーザーに訴求すべきことが明確になっていない。2、サイトの導線が考えられていない。3、どのような顧客をターゲットにしているのか分からない。4、素人っぽすぎるデザインになってしまっている。5、競合他社と比べてどこが優れているのか分からない。6、商品・サービスを販売しているのに、イメージ写真があまりにもダサイ。7、メニュー構成がわかりにくい。8、情報にまとまりがない。9.色使いというレベルでコンテンツが見にくい。10、「NEWS」のコンテンツがあるのに、情報が全然更新されていない。11、商品・サービスを販売したいのか、それともブランドを広めていきたいのかが曖昧になっている。12、素人にも理解してもらいたいはずのサイトなのに、業界の人にしかわからないような専門用語ばかりが並んでいる。13、資料請求のボタンがわかりにくい。14、そもそもの話、そのサイトで何を売っているのかわからない。15、「本来伝えたいことが伝わっていない」状態で、コンテンツ自体も他社に比べて貧弱である。という15点が列挙されている。つまり、この15点をクリアすればWEBサイトとは大丈夫であるということである。
 また、入札するキーワードの設定もデジタルなプログラムを使って、あくまでも道具として収集して、その結果を分析・検討するのはWEBマスターである人のセンスや感覚にかなり依存している。そして、クローラーが重要視するキーワードやキャッチコピーの作成・選択基準も人の感覚に依存している。そして、最後にランディングページを8秒で認識できる事に試行錯誤するべきだとも書かれていた。だから、オーバチュアとは決して錬金術ではない。インターネット上のマーケティングを個人レベルでできるように補足・サポートしているサービスなんだということが理解できる。で、一昔のSEOやSEMなど、とにかくなんでもかんでも検索エンジンの上位にヒットさせることに集中していた時代のことも、若干冷ややかな視線で否定も肯定もせずに、それよりもLPO対策が最も必要だとくくっている。
 この書籍の中で一番納得できた言葉は「WEBサイトとはテストである。」という言葉に一番気持ちが入っていけた。つまり、空論に時間を費やす暇があれば、動けと言っているように思える。検討していることは大切だけれど、何も生まれない。問題点ばかり列挙して動く理由を探している人が多い。動く理由を探しているあいだに、動く人はすでに先を行っている。先に行くことが全てではないけれど、先行けば元居た場所を振り返ることができる。振る返ることができるというこそが財産であると思う。経験値は絶対にオンライン上には存在しないし、モニターの中の情報値が経験値だと誤解している人が多いように思う。そんなことを考えているとWEBサイトへの取り組みの基準が少し見えてくるような気がします。

Flashの存在03。

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 WEBサイトの目的は多種多様。だから、個人で使うにせよ、企業で活用するにせよ、国単位で活用するにせよ、その目的は多種多様。だから、「WEBサイトはどうあるべきか・・・」という議論は必要ない。何を創るかは創りたい方の軸で決定・確定するべきである。それは、コンセプト・予算・表現・仕組み・運営方針・ブランド化etcと創り手の軸がぶれなければ、それが求めているWEBサイト。創る立場として、勿論、ブログやCMSを活用したりASPを活用したWEBサイトへの取り組みは必須であり、プログラムソースを活用しカスタマイズしてオリジナリティーの高い表現を視覚的にも内容的にも構築することも必須。しかし、このようなサイトを一旦LOADしてしまうと、クリエイティビティとしてのFlashの存在を強く感じ、心から感激・感動してしまいますね。長いロード時間も逆にウキウキ感に変換できるようなWEBサイトも創れねば。と思います。

http://www.soiakyo.com/

Flashの存在02。

 たぶん、その違いは「伝えたい」と「感じてほしい」の違いのように思います。逆に「これは素敵な商品だなぁ~」とか「こんなところまで紹介しているのかぁ~」ということが伝わったサイトで、勿論、デザインもお気に入りなフィーリングのWEBサイトは傾向としてHTMLバージョンで、「こう魅せるのかぁ~」とか「こんな特長をこう感じさせるのかぁ~」というお気に入りはFLASHバージョンが多いと思います。「伝える」「感じさせる」は結局同じことなのかもしれませんが、仕事用でこれはお気に入りに残しておこうと思ったWEBサイトはほとんどがHTMLバージョンで、個人的に「カッコイイ~」「ヘェ~」と感じるWEBサイトはFLASHに片寄るという傾向がありました。インターネットの世界ではほんとうに様々な情報が飛び交っているのですが、その中の情報を個人的な視点(好き嫌い)でカテゴライズしていくとこのような方程式になるように思います。ひと昔はなんでもかんでもFLASHで創られたWEBサイトに感動・感激していましたが、これほどCMSやブログが浸透するとHTMLバージョンにもとても魅力を感じてしまいます。トップでFLASHとHTMLに分岐させる方法は以前はスマートだなぁ~と感じていましたが、それは、欲しい情報まで、ワンクッションが入るので、現在ではちょっとヤボ。それなら、どちらかに決めるといういうコトがそのWEBサイトのコンセプトになるわけですから、ユーザーに選ばせるというのはそういう意味で緩いとも考えます。では、そこで、FLASHの存在感って何だい?と考えてみると、いくつかの特徴があると思います。単にHTMLバージョンとの差別化という視点ではなく、FLASHだからこそ表現できるSomethingがあるように思います。デザイナーの立場から一方的な思い込みになるのかもしれませんが、決してFlashありきではなく、目的をしっかりと設定した上で、Flashを選択するということが大切だと思います。
 で、その存在感についてはまた後日。

Flashの存在。

 最近はどうしてもWEBサイトの方向がCMSなどを代表されるブログ式構成が優位になっているように思います。実際、デザインの自由性も高くなりましたし、更新が楽になり、エンジン対策にも有利だったりすると、WEBサイトを構築するには重宝な仕組みであることには間違いないです。簡単に軽くデザインもスッキリと表現できて、部分的に動画などのリッチコンテンツを配置すれば、いろいろな面でgoodなWEBサイトづくりの大きな潮流だと思います。それに取り組みながら思うことは、やはり、WEBサイトはただ観賞するだけの存在ではなく、ビジネスツールなんだからという結論で納得。しかし、個人的に非常に個人的にではありますが、自分のPCでお気に入りに入れているサイトは圧倒的にFlashサイトが多い。この傾向はそれほど意識していなかったのですが、ふと、あれれ、htmlサイトとFlashサイトに分かれるある一定の方程式があるように思いました。それは・・・。

電子署名。

 インターネットによる通信には、ユーザーを保護するためにさまざまな暗号技術が投入されている。「電子署名」も、その一つ。印鑑やサインの電子版である。ただし実印も役所の証明がなければ役に立たないわけで、いったいそれなら「電子署名」にどれだけの意味があるのでしょう。署名がなければ崩れる信頼関係ならば、どれだけ認証するために何かを用意しても対処しても、それだけの信頼関係のように思える。となるとこのグズグズ感は何もインターネットに関する問題でもないように思えてくる。共有するために様々な技術が進化しインフラが整備されている一方で信頼関係を築くために、認証技術が必要か・・・とも思う。そもそも、情報を与えよう発信しようとしている人が署名があるから信用するわけではないでしょうに。どんなに信頼性の高い署名・認証が得られたとしても、信用できない人はいる。しかし、言葉や文化が違っても繋がっていると心の中心で思える人もたくさんいる。共有しているモノが違うと言えばそれまでですが、まったく電子署名など表面上のペラペラな存在。どれだけ複雑な認証システムで人を判断しようとしてもそれはそれほど意味はない。だから、言葉や文章の中に、認証キーを見出す目ヂカラが必要なわけで、「おお!これこそが信頼関係だ」と思っていても次の瞬間壊れる信頼関係もあれば、「何を言ってのこの人は!」って最初の印象でも、あとからゆっくり冷静に考えたら、この人の言葉って深い!となる人もいる。つまり電子でデジタルで何かを認証するという事に依存しない方こそが信頼の対象であるべきなのではないのでしょうか、と思うのです。指紋や静脈や光彩で認証しても中身が悪人だったらどうする?って感じ。インターネットの中に潜む、デジタルデータの中に潜む、発信者や創造者の意思が見えるような目ヂカラを日々鍛えたいと思います。

お金ではなく知恵。

 「インターネット普及以前は、情報もモノも限られて情報を流通させるためにコストを投入すれば出すほどモノが売れた時代でした。しかし、今はどうでしょうか、TVよりも自分の好きな人のブログから情報を得る時代、必然的にブログやSNSなどのメディアを活用しよと当初は多様な広告モデルが生まれた。企業が書き手にコストを投入して記事を出す手法も生まれた。多くのマーケティング担当者がブログを活用して話題を作りたい、企業の宣伝をしたいと考えました。しかし、個人のブログやSNSにお金を払って情報を流通させようとした結果、多くのブログが炎上することになりました。お金をもらって記事を書いたことが分かった途端、ブログの読者から「本心で書いていることではないのか」「企業の回し者なのか」と叩かれることになり、お金によってクチコミを発生しようとした企業自体も結果的に悪いイメージを持たれることになったのです。クチコミによって、情報が信頼される時代。しかし、そのクチコミの発信自体をお金でコントロールするのはナンセンス。これからはお金でなく知恵。ブロガーが思わず話題にしたくなるニュースを作ること、それが重要なのです。」とWEBの専門マガジンに記載されていました。ある意味今の時代を捉えた鋭い洞察ではあると思いますが、この場合の「知恵」とは何でしょう?それについては深く考察できていない部分と「本来情報とは流通させるためにコストをかければかけるほど~」とは言いますがこれは前提ではありますが、当然のことですから、ブログやSNSが注目されてはいますが、「知恵」となると必ずしもこのメディアに特化したTIPSではないように思います。
 「お金ではなく知恵」といってブログやSNSだけを意識しても本質にはちょっと距離感があるように思います。知恵とは何かという部分をもう少し掘り下げていかなければ・・・という印象でした。

ネットPRなのか・・・。

 そもそも「宣伝」と「広告」と「PR」についてあまり深く違いを考えたことは少ない。インターネットがメディアであると同時に他の価値を確立していることはおぼろげながらに感じてはいますが、具体的にしっかりとその違いを認識しなければ、出来上がるツールはやはり中途半端になると思います。一枚の絵を描くということだけでも、描く紙や画材の特質や使用する画具の知識は勿論のこと、画面構成上のバランスや遠近法やデフォルメの歴史、さらに、テーマや考え方など心の中のイメージの出し方となると、それこそ心理学や解剖学的なアプローチが必要で、さらに、それらをどこかで何かの目的のために発表するとなると、観てもらう方への何かしらのアプローチを固めていないと、その行動の意味が散漫になる。時に散漫に分散することも大切で予期せぬ副産物があるからこそアートの世界は面白くも苦しい表現世界となる。しかし、オンライン、インターネットの世界での「宣伝」と「広告」と「PR」となるとどうだろう?
 「PR」とはピーアールという言葉として何かを伝える手法という程度しか認識していなかったのですが、ネットPRと聞いて何も連想できませんでした。よくよく雑誌の記事を読み進めればそれは、「Public Relations」の略だった。そうか!そうなんだとその入り口が見えたように思えました。広く双方向の関係性を築くためのコミュニケーション活動のことを指すのか。最も大きな特徴として第三者を介して情報を伝えるという点にあり、ソシャールメディアが発達したネットにおいて大きな力を発揮するらしい。宣伝でも広告でもないもう一つの情報の伝わり方が「ネットPR」のようです。
 広告とPRは大きくは5つの違いがあり、それは、「情報発信者の違い」「情報の伝達性の違い」「情報内容の違い」「受ける印象の違い」「コスト」だそうです。また、この部分で実際のお仕事において自分なりに分析できたことについてはこのブログで掲載していこうと思っています。それより、最近読んだ本で日本の迷信の本があります。その中で「ご飯をこぼすと目がつ潰れる」という日本の迷信について少し。
 昔は年貢として米を国に納めることで日本の国民のほとんどは生計を成立させていた、自分の家の食卓に充分なご飯がでないのに、義務として米を献上すること。つまり、貨幣と同じ価値が米にあり、それをひとつぶでもこぼすということが、目が潰れるほどのいけない事だという戒めだったようです。つまり米は生きていく上で生活していく上で最高の価値があった時代だったのです。さて、現代その価値は何に置き換えることができるのでしょうか?米や金ならリアルですし、貨幣についてもリアルに手にできる存在のモノだから価値として認識しやすいが、現代では「情報」という価値判断材料も存在するのではないかと思います。そこで「Public Relations」につながる。公的な関係性が誰しもインターネットというギアでコントロールできる現実こそが生きるために必要不可欠な相互性のようです。「鏡をまたいではいけない。」という迷信の意味は三種の神器に由来するらしい。また、この中に書きます。しかし、不思議な迷信・俗信がありますね。

ノートンのアンチウイルス。

 仕事を終わろうとしていくつかメールを作成していると、突然、ノートン・アンチウイルスがディスクのスキャンを始めた。いきなり何が始まったのかとピクリ。現在PCの中にあるデータやらプログラムをひとつひとつスキャンし始めた。外部からの新種のウイルスの進入なのかと焦ったが、ほぼ、2時間ほどかけて15万個近いデータの中からひとつだけクッキーを探し出した。結局、画面の流れのままそれを削除したら、「現在の状況は快適な状態です。」というコメントが表示された。普段は仕事中になにやら勝手に始まって作業の支障になるような存在で、ちょっとうざいなと思っていたのですが、ほぼ1日の仕事の終わりかけにスキャンを始めて終わる頃に作業を完了させて、ひとつだけ不具合のあるデータを探し出した。なかなかいい仕事をする奴だなぁ~と、ちょっと見直してしまった。
 最近はあまりウイスルウイスルと騒がなくなったのは、このようなソフトが充実して、ユーザーの意識の中に自分のPCは自分で守るという意識が強くなったからでしょう。また、wwwサーバもいろいろなセキュリティー機能を充実しているので、ほとんどウイルスの心配はなくなったのでしょう。と、言いながらも世界のどこかで誰かが何かの目的のためにゴリゴリと悪しき研究をしているのでしょうね。「ダイハード4」はサイバーテロらしいですが、どのようなタイプのお話でアナログ人間J.マクレーンはどう戦うのでしょうか。楽しみです。

楽天のシステム。

 お客様の楽天ページの開店・運営準備を担当させて頂いております。凄い量の導入マニュアルをお預かりしてさまざまな運営方針やノウハウを頭に入れている最中。一般的な書籍やマガジンなど、そして、実際にWEBショップを運営しておられる方、運営を代行しておられる方などから部分的な経験値としてのWEBショップ開店の企画やポイントを聞かせて頂いているんですが、さすがのさすがで楽天さんのWEBショップシステムは完璧です。舌を巻く巻くとてもつない細かいところまで完璧にケアされて、新しい企画やサービスのポイントについての運営方針や具体的な運営TIPSなど凄まじいマニュアルですね。また、それだけではなく、お客様ひとりひとりの目線に立ち、お客様の商品のポテンシャルを引き出すあらゆるコツが記載されています。これは凄い。どれだけ素敵で市場に対して価値を誇れる商品をお持ちでもこのシステムがない限りWEBショップに人は来ないのでしょう。目から鱗が剥がれるどころか、自分自身が魚であることすら剥ぎ取られてしまう程のマニュアルなんです。部分的に「売るコツ」や「WEBショップのお店の販促」について知識として知っているだけではWEBショップは機能しないし、ブランドやデザイン力だけで訪問者は財布の紐をゆるめてはくれない。やはり、商品は人から人へ流れていると知る、みたいな真理が流れていますね。近江商人には「三方よし」という概念があり、売り手・買い手・社会がバランスをキープしてこそという商い魂がありますが、まさに、楽天さんのシステムはこの黄金比率の上に成立していて、さらに、現代のデジタル文化を120%活用している。巻いた舌がもどらない。

これ売れるんじゃない!?

 私は消費者としての目線はかなり片寄っていると思います。しかし、WEBサイトのお仕事をさせて頂いているといろいろなWEBサイトを毎日見ているし、雑誌や情報紙でピックアップされているトレンド的なWEBサイトもチェックする。商品の価値は売れることだけが全てではないと思いますが、やはり売れている商品にはチカラがあります。ニーズとマッチするという吸引力が商品に感じられるのか感じられないのか、最初に見た知った時の印象ってとても大切です。効果な商品ほど最後の最後まで価格や機能を比較検討して結論に達するわけですが、結局、最初に「これええやん!」って感じた商品を購入することが多い。比較検討はあくまでも精神安定剤であって、特効薬ではない。この判断をしてから、WEBサイトでどう売っていくのかについて様々な取捨選択を繰り返し、デザイン的な機能的なブランド的な微調整をしていくわけです。売れるサイトを作るという当初の目的がありながら、その途中で鎮座するケースはよくあることです。沈滞することが結果的にいい方向性に導かれる場合があるのですが、根本のところでボタンを掛け間違うと最後は全体像がグズグズになる。これでは、デザインも機能も語る余地がない。いいWEBサイトを作って商品やお店の認知度を上げ、ビジネスのトルクを上げていきたいといくら創り手が願っても以外と落とし穴は人間にある場合が多い。いや、そのほとんどの要因は人間のチカラ不足が商品の価値も企業のイメージもよからぬ方向に誘導しはじめる。その人がいなければその商品が成立しないというほど大切な存在なのに、その人が負のトルクを暖めはじめるととてもやっかいなことになる。論理的に何事も捉えることは決して悪い事ではないのですが、どこかの段階で論理は必要なのですが、最後は論理よりも感覚で判断をすべき場合が多いと思う。感覚で判断できる人は必ず技術もセンスも経験値も世の中を見る目ヂカラも持っているから。論理に逃げて決断できない人は必ずそのどれも持ち合わせていない。これが見事に当てはまる「印象と論理」の方程式である。最終的に商品の価値は先入観のコントロールでしかないわけで、例えそれが口コミでも先入観であり、購入後に予見と感覚がマッチしたとしても商品の価値とは目に見えないモノだから始末が悪い。食べて消化して排出されることが価値だとしても・・・である。
 と、私の消費者としての感覚がずれているとこうも複雑怪奇な結論にたどり着いてしまう。しかし、いつのころからか感覚的にモノゴトを捉えることが見えてから、創る場合も感覚的な視点が働くようになりはじめた。一旦それが見えると世の中の白と黒が見えたような気がして楽しい。しかし、いろいろな努力や学習を怠るとグレーゾーンが広がり、何が白で何が黒か判断つかなくなる。その時は完全に視力が弱っているので寝ることにしている。睡眠中、カラーの夢を見るとどうのこのうという夢診断的な迷走はしたくないのですが、やはり、世の中「白か黒」「一か八」「二者択一」ですから、小さな日々の判断力は鍛えねば・・・。

はたして情報とは?

 何事も鵜呑みだけはしたくないと思いつつも「情報が溢れている情報が溢れている」という文字や言葉をインプットするたびに「そうかそうなのか溢れているのかぁ~」と思ってしまいます。活字を鵜呑みにしない方もオンライン上やメディアから流れる情報も鵜呑みにしない方も、多かれ少なかれ水中にもぐれば鮎は見えているはず。吐き出さなければいけない獲物だと思っていても鵜は鮎をめがけ水中を突進する。一旦のどに入った鮎を吐き出しながら鵜は何を考えているのでしょう?情報は確かに溢れているとは思いますが、その中で価値がある情報となると非常に少ないと誰も感じているのではないだろうか、でも、溢れているから水に飛び込み鮎を一旦くわえる。でも、消化して自分の栄養にはしない鵜もいる。最初に鵜飼いのことを知った時、なんてセツナイ鳥なんだと思ってしまったが、鵜にしてみれば、それは誰のためにやっているという事でもないような気もする。紐で身体をしばられ川に放たれ一心に鮎を飲み込む鵜。これが本能だとしたら、人間ももしかすると同じことをしているのではないだろうか。鵜呑みにするのは理由があって飲み込むけど吐き出すという学習の結果、まずは鵜呑みにする知恵。となれば鵜呑みもそれほど無意味なことでもないのではないだろうか。川に潜って鮎を飲み込むのが鵜の本能ならば、一旦、PCの中に氾濫する情報を鵜呑みにしてどこかで吐き出し誰かに食べてもらうという目的なら、鵜呑みも悪くない。どんなに欲張りな鵜でも鮎(情報)を食べられる限界がある。身の丈も身の程も知らない鵜が鮎を食べ過ぎて健康を害することを鵜飼いは知っているのでしょう。生きるために食べる鮎と鵜匠のために飲み込む鮎は学習すれば切り替えら得るモードなんでしょう。それを会得できた鵜は紐に繋がれ鮎を飲み、自由な自然の鵜は自分の為だけに鮎を食べる。さてさて、どちらが生物として正解なのだろう?でその場合、鵜匠とは誰なのでしょう?で、この場合この情報は絶対に鵜呑みにはしないでください。

やっぱFlashやん!

 WEBサイトがどこへ向かっているかはそれをビジネスにしている人達が考えればいいと思っているし、どこへ向かっているなんか本当は関係ないのかもしれない。WEBサイトが何なのかなんて絶対に今現在答を出せるような代物ではない。いろいろ試行錯誤している人たちとたくさんの話し合いをして、今誰が何を求めているのかを一生懸命考え、出た答えをカタチにすることの方が大切であり、それ以外にクリエイターにできることはない。フォーマットに依存して世の中のスタンダードに属することでセオリーを満喫したいならそれもひとつの「満足のカタチ」。いつもいつも数字に操られていることで中毒になることは今の時代否めない状況ですが、数字が論理が方程式がと唱える信者に本当の高みは見えないような気がする。とにかく「高み」が見てみたい。ただそれだけ。自分が求めている「高み」がWEBの中に存在しないかもしれないが、やはり、目の前にそびえる美しい山だから頂上に立ちたいと願うのは自然な気持ちでいいんじゃないだろうか。
 さて、ビジネステイストなWEBの定石は今はやはりCMS系なんだろう。エンジンのアルゴリズムに取り組んでいる方が指し示している方向性。だから、この方向でいいんでしょう。でも、なんとなくですが、「危険な香り」がしないのは何故でしょう?これは錯覚なのでしょうか?でもでも、相対するベクトルを意識しなければ山も見えなくなるようで怖い。「これでええやん!」ってその場所にテントを張り、家を建て暮らし始めたらそこがその人の棺おけになる。これは怖い。だから、重い荷物をしょっていても、雨で道がぬかるもうが、荷物を降ろして「これでええやん!」って止まることは避けたい。ならばやはり、クリエイターなら「やっぱFlashやん!」と思う。こんなサイトを見るとドキドキしてしまう。

Gregory Mountain Products

北近江なんでも百科事典企画。

 そもそもこの構想はずっと前に地元のWEB会社様が展開しておられたので、率直な感想は「まとめる作業が大変だろうなぁ~」とか「WEBサイトはコンテンツ勝負だから・・・」とか片寄った判断をしてスルーしていました。このようなポータル系のWEBサイトに取り組むには技術とかセンスって言うよりも、人の手と時間がとてつもなく費やしてしまいそうで、思い切って編集・制作する気持ちになれませんでした。それが5~6年前のお話。で、最近と言いますとブログ関連の様々なソースが存在し非常に安価で便利な機能が付いています。ただ、デザインへのこだわりはかなり制限がありますが、そこは他のCMSサイトとて同じ条件ですから、強力なアドバンテージは自分で探すしかありません。
 で、関東のある街で市内の会社さんや個人商店さんやいろいろなイベントを紹介されているポータル系でちょっとDB系の仕組みで面白い展開をしておられるWEBサイトにぶつかったので、「あっ!これなら面白い!」と「北近江なんでも百科事典」を起案しました。まだがっつりと着手していない段階ですが、更新作業もCMSを活用するので、いちいちWEB用のソフトをいろいろ起動してゴリゴリと1ページ1ページ作成して更新、作成して更新する作業が必要ないのです。具体的な作業はいろいろなカテゴリーの会社さんや商店さんや個人さんなど情報を集め、写真を1点と紹介文を編集して、プログラムを活用してWEBサイト内の情報を増やしていくという流れです。そこでやはりただのガイドブックのWEB版になってしまっては面白くないので、いろいろな楽しいカテゴリーを盛り込んだり、FLASHコンテンツや映像コンテンツは少しづつ増やしていこうと思っております。が、ベースのテクノロジーはブログスタイルなので、サクサクっと情報量を充実させていきたいと思っております。
 一応、11月1日を最初の公開予定として仮トップページを公開してどんなイメージのWEBサイトになるかは早い段階で認知していただきながら、あとは足で情報を集めていきます。現在、その仮の仮のテキストだけのトップのみ公開しています。ドメインは「nandemo-ohmi.net」です。お申し込み頂きこのサイトの中で紹介・掲載させていただく費用は¥0です。北近江2市2郡エリア(長浜市・米原市・伊香郡・西浅井郡)内の情報でしたら「なんでも」お気軽にお申し込みください。

ビジネスブログとは・・・。

 ユーザビリティー・アクセスビリティーへの配慮、SEO対策、コメント・トラックバック機能、アフェリエイトプログラム、RSS、ショッピングサイトと連携、データベースとしての活用、オフライン編集・管理ソフトの導入のノウハウや機能を活用できてこそビジネスブログと呼べるらしい。ちょっと前ならハードルが高いシステムやコンテンツ制作もどんどんソフトウエアやプログラムソースが安価になり、ASPなどの新サービスが続々と登場しそれらを利用するサイドよりも提供するサイドの方がかなり前に進んでいるように思えるのは誤解だろうか。結局、エンドユーザーのひとりでありとても最先端の開発者の皆様の壮大なビジョンの数%しか汲み取れていない上、大きな投資もできずに手軽で手短なところからアリのように亀のように歩を進めているエンドユーザーなので、一度は先頭を走っているうさぎとお話をしてみたい。うさぎと亀のお話なら最初は二人ともスタートラインにいたのが話のはじめ。でも、私がWEBの世界を覗き込んだ時はすでにうさぎさんははるか遠くを疾走していたはず。スタートが遅かったと消沈してみても亀の脚力では到底うさぎさんの姿を見ることなどないのでしょう。とにかく、うさぎさんを追いかけてみようと思う。途中で体力が切れるかもしませんが、追いかけてみようと思う。もしかしたら、古い教訓のように途中でうさぎさんが昼寝しているかもしれませんから、いやいや、このうさぎさんは昼寝などしないしない。逆に昼寝をしながらでも自分のペースで前進し続ける亀でありたい。
 意外とビジネスブログのデザインカスタマイズは面白いし拡張パーツのバリエーションも面白い。ビジネスブログとFLASHを活用した動的でインタラクティブなコンテンツの連携はある意味最強だと思います。これだけツールが揃っているのだから、あとは、あとは、強いデザインとコネクティブでファンクショナリーなアイディアヂカラがあるかないかでしょうね。
 ビジネスブログとは白い紙のようなモノなんでしょうね。なんでもそこに描ける白い紙。その白い紙にflashで絵を描くのか、筆で絵を描くのか、キーボードで絵を描くのか、直接手に絵の具を付けてライブペイントをはじめるか。描き手のポテンシャルがこの場面でも試されている。

北近江なんでも百科事典。

 まだ構想段階ですが、ネーミングは「北近江なんでも百科辞典」を考えております。このネーミングからどのようなイメージを連想されますでしょうか?本日浮かんだアイディアなのでまだまだ具体的なプランは頭の中にありません。イメージがいつも先行してしまうので、もっと、初めからロジックに考えるべきなのでしょうけれど、やはり、その頭がありません。最初にイメージしたのは、「Yahoo!の北近江版」でした。北近江とは滋賀県長浜市が在るこの地域のことを呼ぶ名称で、正確には長浜市と米原市と伊香郡と西浅井郡がそのエリアです。「Yahoo!の北近江版」というとえらい壮大なことを考えてしまったのですが、まぁ、構想の出発点はこの程度のアバウトな感じでいいかな・・・と。結局機能的には、この地域にまつわるいろいろな素材(お店・企業・文化・歴史・人・祭・イベント・芸術などなど)をデータベース化して、カテゴライズしてキーワードや50音で一発検索させようという仕組みです。しかし、編集長が存在するのでデータベースの傾向がアカデミックに片寄るのかエンタメに片寄るのかアートに片寄るのかビジネスに片寄るのか、それとも、いい感じの百科辞典っぽくなるのか、まだまだ未知数。でもどこか便利でお得な情報が集まる仕組みや更新しながら生きた情報がゲットできたりとか、他府県や海外の情報と同じキーワードで繋がっていたりとか、ちょっとびっくりするような大きな看板にぶつかったりとか、とてもとてもレアでディープな情報をゲットできたりとか、宝箱のようなWEB百科事典スタイルが構築できたらいいかな・・・と思っております。もし、このプランに共感いただける方はご連絡ください。データベースへの登録は無料の予定ですし、文字数やビジュアル点数も制限されてしまいますが、早い段階で登録させて頂きます。それに、「なんでも」を名称に入れてしまいましたので、レアでディープな情報をお待ちしています。あくまでも倫理上の不具合や公序良俗誹謗中傷を含んだ情報は排除します。インターフェイスデザインは現在構想・作成しています。下手ベタなよく見かけるローカル色全開だけは回避したいと思っておりますが、また、完成したらブログや情報紙で案内させて頂きます。最初は地道に情報コンテンツを集めたいと思っております。

北近江なんでも百科辞典WEBサイト

#383636なのか・・・。

 どれだけいろいろあれやこれやとWEBサイトの細部にこだわってこだわっても、結局のところ商品の魅力を伝えるべき文章が読みづらければ、当然ネットショップの売り上げには結びつかないそうです。確かに印刷物の場合文字の色は黒(BL100%)が当たり前ですが、様々なモニターの環境で閲覧していただくWEBサイトの場合DTPにおける行間や文字のツメの微調整は勿論のこと、その色にもこだわりたい。と専門書に書いてありました。基本的に白の地色に対して真っ黒(#000000)のコントラストは強いという見解。モニターの白は印刷用紙の白よりも光度が高いので、基本になる文字の色を指定する場合は、こだわりにこだわるなら文字の色は限りなく黒に近い灰色が良いらしい。それが#383636という灰色。早速、このブログにもその色を設定してみました。確かに見やすい、そして、読み続けてて目の疲労度が、真っ黒やグレイよりも少ないように感じます。こんなこだわりは印刷物でも映像メディアでも存在しない。やはり、WEBサイトがそれほど世の中に浸透してきたからこそのこだわりと言えばこだわりなのでしょう。じっくりと読んで頂くために、文体やテーマも勿論大切なのですが、やはり、目で見て感じる部分にもこだわりは大切です。

良いWEBサイト、悪いWEBサイト。

 WEBサイトをお仕事として企画・作成・運営させて頂くようになってほぼ10年になります。しかしながら、その間にWEBサイトの活用方法は進化しました。技術が進化し環境が進化しニーズが進化したと言えるのではないでしょうか。自社のサイトを企画・構想している時(5~6年ほど前)、いったいホームページとは何なんだろうと考えた事がありました。勿論、広告物としての要素が何より先行して認知度が高まり今ほどの浸透率に成りえたわでですが、そんな今でさえ、その用途は多種多様です。構想している時に7つの要素があるように思えた。

 ひとつは「案内・告知物」としてのWEBサイトです。何かメッセージでも企業方針でも商品でも伝えたいモノがある場合、それを画面にまとめる。そして、閲覧して頂くというツールとしての機能。二つ目は「メディア」としての機能。ひとつめの広告・案内・告知するという機能と共有している部分があるよに思えますが、実は、メディアとなると別の意味合いがあります。WEBサイトが広まるまでのメディアと言えばTVであったりラジオであったりしました。メディアとは「CD、手紙、電話、テレビなどは音楽、文章、声や映像などの情報を伝達するのに用いられるモノ」と広義的には言及される場合がありますが、この場合はテレビやラジオなどと同義になり、それそのモノが新しいマスメディアとしての地位を確立していると思います。三つ目は「アーカイブ・記録物」としての機能です。多くの情報が整理されたデジタルデータとしてサーバの中に存在し、目的に合わせて検索後、ターゲットを絞り込むという機能。四つ目は「コミュニケーション」としてのWEBサイトです。電話やFAXと同じように情報を交換する機能。五つ目は「エンターテイメント・娯楽」としての機能。ゲームや映像など娯楽を目的とするコンテンツを設置して、WEBサイトの中で楽しませるという機能。六つ目は「アート・芸術」としての機能。キャンバスに油絵の具で描画するように、粘土で造形物を創作するように、WEBサイトと呼ばれるデジタルデータをサーバの中に創作し画面というキャンバスで鑑賞させるという機能。そして、七つ目が「LAB・実験室」としての機能。クリエイトしたデジタルコンテンツを介してビジュアル的にプログラム的に解析的に様々な目的で設置させるという目的です。
 いずれも相互に深い関係のあるカテゴリーですし、細分化すればキリはないのですが、だいたいこれら七つの機能に分けられるように思えました。で、自社のサイトにどのような機能をセレクトしたのかというと、理想はこれら七つの項目をスマートにごり押しすることなく、表現したいと構想したのですが、結果はこの程度です。でも、この思考パターンを一度、自分なりに時間をかけて考えた結果、お仕事としてお客様とWEBサイト構築のお話をさせていただく時に、いろいろなご依頼に対して自分の中で整理ができていたので、ご依頼される変数がどれとどれに相当するのか頭の中で明確に理解できました。「ならば、この展開がありますね」とか、「その方向性ならこんなデザインとビジュアルで」とか、「そのターゲットでそこが当初の目的地点ならこの機能を重視して」みたいなお話をすることができました。
 さてさて、それから、数年が経ったわけですが、WEB2.0から3.0へと進化は加速していますが、根本的にはこの7つのカテゴリーに当てはまるように思います。ただ、7本のレーダーチャートの七角形のカタチが変化しそのボリュームもかなり肥大していることは言うまでもありません。

 そこで現在の良いWEBサイト、悪いWEBサイトという事なのですが、良い悪いよりも大切なモノサシがるように思います。それが、現在のアクトのWEBサイトに掲げた「Yourself」というキーワードなのです。つまり、らしいのからしくないのかという判断が今は旬のように思うのです。

Webデザインいろいろ。

 ひと昔ならポスターのデザインを構想する時、どんな資料を集めて参考にするのかというと、専門書や著名なデザイナーが集まった図録などを見て、今取り組んでいる物件のテーマにマッチしたデザインの傾向をエッセンスとして参考にしていました。でも、それだけではいわゆるパクリになりますので、テーマにそってデザインコンセプトのオリジナリティーを表現するためのデザインを創作します。ここからがクリエティティブということになります。

 この世界に入った22歳の時、ある東京のデザイナーの先生の事務所(四谷)で半年働かせていただいた経験があるのですが、その時、先生は中国の美術展のポスターをあの頃なら当たり前の版下で作成しておられた。そんな先生のお手伝いをさせていただきながらデザインについて勉強させていただいていました。先生は大きな机に座っていろいろな書籍を見ながらポスターデザインの構想をしておられた。スケッチブックにラフスケッチをたくさん描かれ、結構長期間その作業をしておられた。合間に他の仕事をしながらたくさんのラフスケッチを描いておられた。そして、版下の作成の過程になると、原寸のポスターサイズの紙を壁に貼ってそれに色紙や黒い紙を破ったりカッターで切ったりして自由に張り込み、写植文字をコピーで拡大縮小していろいろな画面の位置に張り込んでポスターのデザインを作り上げていかれた。それを間近で見させていただくことができた私は本当に幸運だった。今では、MacやWinの中でDTP作業はするものの、デザインを構想する場合は必ずパソコンから離れる。というより、パソコンに向かってデザインを構想する事はできないと思っています。いろいろなシュミレーションはPCの中でやりますが、構想する事は絶対にしない、できない。

 さて、そこでWebデザインを構想する場合はどうすればいいのか?ポスターやパンフレットなどは原寸の用紙見本を眺めながら、他のパンフレットも参考にしながら、ラフスケッチ・サムネイルを構想する事からはじまるのですが、Webデザインとなると、実際パソコンの中で仕上がり、モニターサイズによっていろいろな見え方がしますし、動きや音などユーザビリティーやアクセスビリティーってことになると、もうそこまでラフスケッチでプランを構想する事が難しいように思います。専門雑誌で同じようなラフスケッチを見たりすると、ああこんなに有名な方でもはじまりは、やはりラフスケッチかと思いホッとします。でも、そこからの展開能力がきっとこの方達は凄まじいのでしょう。もう、平面でデザインが完結して用紙の上にインクがのったら完成という世界ではないので、Webデザインだけはいつもいつも頭を3回転半ほど捻ります。いやいや、もっとですね。となると、プランニングの構想となると、その展開例たるや皆様もご存知のとおり凄まじい展開プランが存在します。そして、公開後の運営プラン、エンジン対策、販売促進アクションなどなど、その展開のルートは無尽蔵・未知数・千変万化。「だけどもだけど!結局何かが生まれて何かが消えていく。でも、そんなの関係ねぇ~!オッパピー!」的にラテン系で楽しんだ方が絶対にいいと思う。デザインを始めた頃はテンションばかり高くて決して「楽しい」とは言い切れなかったが、最近は少しづつ肩のチカラが抜けて楽しんでいる自分に気づく。しかし、いろんなWebデザインがありますねぇ~。またまた、このブログで無作為に「Webデザインお気に入りベスト10」を紹介させて頂きます。「こんなWebデザインがええですよ~!」とか「ここは素晴らしい!」というようなクールでセンシティブなWebサイトにヒットしたらぜひご連絡ください。それについてああだのこうだのとブレストしたいです。

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ビジネスブログ観。

 オンライン上のルールが増えているように思います。それもこれもインターネット・Webサイトが生活のビジネスの趣味の娯楽の世界へしんしんと浸透しているからに他ならないからでしょう。私のこのブログはMovableTypeというツールで作成してカスタマイズしているのですが、これを検討する時にたくさんのCMS(コンテンツマネージメントシステム)と呼ばれるツールを検討しました。また、一般的なブログサービスの現状もそこそこレベルで検討しました。結果的に印象として無料ブログでもブログを運営するなら十分な機能がありコストも¥0ということでとても魅力的だったのですが、やはり、気になるのは「デザイン」と「拡張性」でした。いずれもカスタマズの問題なのですが、確かに普通にWebサイトを作成してFTPして更新運営するなら、通常のD.W.やF.W.やFlashがあれば問題ないのですが、やはり、どこでもいつでもブラウザから更新できる「手軽さ」を一度体験してみたっかた。気軽さを経験値として得たかったという理由でMovableTypeに取り組み始めました。取り組み始めてほぼ1年なのですが、「これで良かったのかな・・・」と思い始めています。日進月歩の世界ですから、これが最適とは言い切ることは絶対にできないのですが、個人的にCMSに取り組むならMovableTypeとじっくり組み合い、これにできない事が発生したら他のツールに。という考えに落ちついています。その理由はデザインの自由性もさることながら、やはり、拡張性です。とてもたくさんの個人ブログでは必要ない拡張性があります。それは何のため?と思っていたら、やはり、こんな本が出ていました。「MovableTypeかんたんビジネスブログ作成術」という書籍です。読んでみると、現在のCMSやWebサイト運営術のヒントがたくさん丁寧に記述されていました。そうかそうか、そいうことだったのか!なんともどんどん先へ進まれますな・・・という心の声を抑えに抑えて、Webサイトの企画・作成・公開・運営のポイントを知ることができました。一方でFlashを取り巻くリッチコンテンツの流れとブログCMS思考の流れと交わらないようで実は大きな潮流だったりするのでしょうね。現在のビジネスブログはえらいことになっています。まだまだ勉強勉強です。

メルマガ作り。

 毎日いろいろなところからメルマガが届きます。ほとんどが、デザイン関係の雑誌や書籍の出版社やパソコンメーカーからです。NPOや公的な機関からも「起業家セミナー」とか「Web活用術」とか「税金対策」とかっていうテーマでメルマガが届きます。Webの雑誌や書籍を読んでも、自分がメルマガを発行する立場には程遠いので、それほど興味を持って読んでいなかったのですが、Webサイトの運営の部分で特に出版社の販売促進のお手伝いをサポートさせていただくというプランを具体化するために、自分がメルマガを発行する立場で最近はいろいろなメルマガをじっくり読むようになりました。書籍には「いかにURLをクリックさせるか」「いかに無理のない定期的な発行プランを構築するか」など一般的にいろいろなポイントがあるようです。
 でも、興味がないところから興味のない情報をどれだけ効果的に送ってこられてもあまり肯定的に捉えることは難しい。では、逆に肯定的に捉えていただくために何が大切なのでしょうか?よく企画書の本には「ターゲットを絞り込め」と書いてありますし、最近のSEO/SEMではアクセス解析から有益な情報を確保し整理しプラン化する的な仕組みが記述されていますが、それは物事のかなり前段階でなかなかそこから具体案に展開するのが難しいように思います。つまり、これらのアクションは具体案をしかるべきプロにコンサルティングしてもらうための、もしかすると「種」段階なのかとも考えます。それで、具体案を構想できない方が結局同じもしくは同じ以上のコストを費やして専門家に具体案を展開代行して頂き安心安心みたいな。これで結果がでればいいですが、そんなに簡単に市場が反応するとは思えない。かと言って古き良き日本の商人魂におんぶにだっこもナンセンスだと思う。つまり、情報は飽和していると思っているのが実は情報は「鳴門の渦潮」のように渦を巻いている。この渦に巻き込まれるのか巻き込ませるのかの違いなのでしょう。私はたぶん巻き込まれています・・・。

Flashありきではない。

 Webコンテンツの最強ツールと呼ばれるFlash。他のソフトウエアとは比較できないぐらいの機能が拡張され現在のバージョン9(CS3)にたどり着いたと思う。私自身はじめてFlashをこねくりまし始めたのはまだVer3の頃です。その頃はほんとにアニメーションを書き出すことにしか活用していなかった。それが、「あれ!?サイトデザインにも使えるのか!」と思い出したのが4か5ぐらいの段階でした。これではちょっと感覚的に実は遅いのですが・・・。でも、なんとか我流の我流でテキスト本を買いあさり従来の仕事の合間にとにかくいろいろな活用術を読み漁った。雑誌でもいろいろなサンプルサイトを分析して勿論ブラウザでも気になるサイトを分析し続けた。しかし、その頃はまだファイバーケーブル時代ではなかったので、Flash=重くて辛気臭くて自己満足という印象が横行し、一方の潮流であるスタイルシートデザインに分裂していった。その後、プログラムを介するブログツールが無料もしくは安価に出回り、現在のブログ文化の地位を確立させた。その頃、Flashはアクションスクリプトを取り込み、ビデオ映像を取り組み、サーバープログラムと連携し独自の表現と機能性を確立させた。さぁ!どっちだという分岐点に立っているようにも思えたが、実はそうではなかった。双方向のベクトルは実は同じ方向を向いていたように思える。インターネットというメディアのようなツールのようなラボのようなアーカイブのような怪物は、映画のマトリックスのように現実と溶け合い、人間の本能を刺激し始めたと思う。で!さぁ、どうするという気合十分のWebデレクターたちの千里眼はいったい何を見据えているのだろう。雑誌ではいろいろ拝読するが、私はそれほど革新的な波にはならず、もっと根幹の軸がより明瞭に見えてくるように思える。先入観や表面的な殻が崩れ中身があふれて来るように思える。中身が今そのタイミングをいたるところで推し量っているように思えます。例えば人間の健康にベクトルを向けると医学の進歩と薬学の進歩で人は健康になったという仮説。結果的に健康という概念や定義がとても難しいのですが、寿命が延びて人間は何を手に入れたのだろうかという疑問にまず辿り着く。これは難しい疑問で私だけのあやふやで稚拙な知識で引き出せる答はとても貧弱ですが、時に健康が苦になる世界がどこか身近に存在しているように思える。う~ん、Flashの話からかなりそれてしまいましたが、Webサイトの健康管理が今の旬のように思えたのでこの方向の脱線になってしまった。デザインは医学なのか薬なのか魔術なのか・・・というジレンマが頭の中を巡る巡る巡る。

Flashの達人。

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 「デザイン」は、コミュニケーションだ。人を振り向かせ、伝達し、反応させる。
WebデザインにおいてFlashが欠かせない道具となったのは、
グラフィックにも建築にもプロダクトにも存在しない、独自のコミュニケーション方法として
認められたのかもしれない。時にグラフィカルに、時にインタラクティブに。
ここに登場するクリエターたちは、最先端の技術だけでなく、
時代を動かすコミュニケーション論を兼ね備えている。
「道具」が「必然」へと変化していく過程を、知りたいと思った。
~Webデザインノート03/p006より抜粋~
 となっている。いったいどこがその「高み」なのでしょう?なぜ、独自のコミュニケーションが必要になったのだろうか、それとも独自のコミュニケーションは偶然だったのだろうか。平面にも従来のメディアにも、そして、プロダクトにも存在しなかったコミュニケーションの方向とは何なのだろう。アドビのデベロッパーのコメントも楽しみだ。「FLashは重たいからダメだぁ~!」と言っていた10年前から、FLashは確実に進化している。インフラの整備がどのようなコミュニケーションを仮説しているのだろう。その答の一部がこのBOOKの中にあることを期待しています。

定説・セオリー・お約束。

 「稼げるホームページ」という文字を新聞でも雑誌でもよく目にします。キーワード検索で誘導して顧客を獲得する。だから、稼いでいるホームページにするためのコツはうんぬんかんぬん。売り上げを伸ばすポイントはあれとこれとそれと・・・。新聞や雑誌の記事をにぎやかすには丁度いい具合のニュアンス。これでその新聞や雑誌の売り上げが上がればそれでまずはOKなのでしょう。しかも、それを語る人は◎◎研究所の◎◎所長となれば、その研究所も売り上げが伸びる。そして、その記事に紹介された、「こちらの企業はこのやり方で売り上げがこんなにアップ!」ってことになると、その企業もさらに認知度を上げて商品が流通に流れる。これが、昨今のWebサイトとペーパーアイテムメディアの定説・セオリー・お約束のように思えるのは私だけでしょうか?
 さて、その記事を見れば「キレイなサイトは販売に効果的でない」「シロウトっぽい仕上げもポイント」「信頼されるための3大要素」などなど、コピーライトは核心を微妙にはずして真実の上澄みをすくい続ける。「エンジンのヒット」も「売り上げのアップ」も結果であり、原因はもっと別の次元で複合的に存在するように思えます。ただ、メディアの定石として限定した表現を避け、是非を明確にせず、結論を微妙に見送るという技術がどこかはがゆい心地になります。いい切れない理由は十分に理解していますが、いい切れないから机の上になんでも並べて議論チックに「こうあるべきだ」的な餅をホワイトボードに描くのはいかなものかと思ってします。でも、それがメディアの真髄だからいたしかたないが、この仮説から生まれる先入観に振り回されることだけは個人的に避けたい。なぜ避けたいと思うのか?については個人的な主観なのでロジックに答は出せない。複雑なデジタル信号の波はもっともっとうねるのでしょうね。ということで、やはり、Don't think,Feel! となってしまう。このループがきっといろんなところでグルグル回っているのでしょう・・・。

大切な情報とは?

 8月1日、日経新聞の1面で「電子政府」という文字を目にした。市町村合併で地方自治がスリムになり機能性が向上するための・・・。目指すところはどこで、過去に現在にどんな問題があるのか?理解してると思い込んでいるのはただのメディアコントロールされた情報のカケラであり、情報の上澄みのようにも思える。本体の部分や深みの部分はまだまだ淀んでいて「電子化」はただのルアーかもしれない。しかし、ルアーを投げなければバスは釣れない。ルアーフィッシングの醍醐味はターゲットとの駆け引きであり、釣り上げたバスは最終目的ではないためにリリースする。いわゆるゲームフィッシングという概念である。この是非については頭で考えるよりも、ただ単に楽しいから水中にルアーを投げより多く、より大きなバスを釣り上げようと感覚を磨き技術を磨きプランを磨きゲームに臨む。トーナメントで釣り上げたバスは計量後必ず同じ水の中にリリースして完了。「また、いい勝負をしましょう!」と心で唱えながら。これは傲慢なただの人間の業なのでしょうか?
 では、インターネット環境や情報が飽和状態にある現代社会において、本当に大切な情報とは結局のところ何でそれはどこに行けば手に入るのでしょうか?と考える。時間の変数の中にどんなピースを組み合わせていけば自分の描いた絵が完成するのでしょうか。疑いはじめてもキリがないし、信じてみようにも選択肢が多すぎる。中立でいることが疎外になり、対立が調和と認識される不思議な社会構造。政治も文化も経済も芸術も右往左往しながら、ただ、時が刻まれているという不思議な感覚。一回入ったぬるま湯は心地いいが、隣の芝生も青く見える。時に立ち位置を変えてみたいと思う時もあるが、簡単にそれができない状況も多く存在する。さて、What do I do?

ロジックにラジカルに。

 デザインという仕事の深みと高みについて、いつものことながら、いろいろな仕事に直面する時に思考の散歩に出てしまうのです。ちまたではこれを「ひとりブレスト」と呼ばれているらしいのですが。その場合にほんとに様々なモノサシがありましてどれで計測すればいいのか迷います。この仕事に長く携わりたくさんのモノサシを自分なりに持っているつもりでも、どんどんと変化するビジネスの環境やトレンドの潮流のおかげでふと気がつけば邁進しているつもりが猛進であったり、疾走しているつもりが迷走であったりと、ドキリとする場面が多々あるのです。
 そんな時、では「Webデザイン」はどうすればいいのか?というシンプルに見えて非常に高みと深みを含有する問題に直面します。時に「感覚的で行こう!」時に「論理的で行こう!」そして、たまに「ステレオタイプで行こう!」という様々な方向性を決断する判断力が非常に難しい。遠くから見ているとそんなに高い山でもないのが、近づくにつれて霧に隠れていただけで以外と標高が高いじゃん!とか、頂がクリアに見えて「この山はちょっと今のチームでは挑戦できないかな・・・」と腰がひけても登山をはじめると以外と安易にピークに立てる場合がある。この山をどんなスタイルで登るのかというジャッジをして用具をそろえ体力を高めるのですが、最近、どんな用具をそろえて、どの部分を鍛えて、登山にのぞめばいいのかが分からなく場合があります。でも、山が見えている以上、ピークに立ちたいと思うのが人間の業ですから、日々のトレーニングが必須なわけです。
 さて、そこで、「ロジックとラジカル」。論理的に、そして、時に過激にある山に登り始めた。でも、思ったよりその山は低い、しかし、道が険しい。勢いで登りきってしまうのか、一旦、身体を休めて体力と気力が整ってから頂を狙うのか、何にしても、頭の体力勝負。知識として思考として認識している部分と五感で問題を捉えてクリアしていく応用力の部分。けっこう長いことこの仕事をしているのに、またまた、振り出しにもどって小学1年生の気分。地位も名声も肩書きもありませんが、いつでもリセットする勇気があればどんな山でも登れるという実感が最近、妙に鋭敏になっているようないないような。実際、ロジックとラジカルの2本の刀、よく切れるのはどっちだ?

文章のルール。

 メディア進化という大きな仮説が横行する中、さまざまな警笛が響いて久しい。中でも子ども達がネットと接点を持ち活用する時の注意点についてある書籍でなるほど的な記事を読んだ。それにはこう書かれていた。ウイルス・スパイウエアに対するセキュリテイーとアダルト系へのアクセス規制、そして、文字面だけのコミュニケーションで起こるトラブルの回避となっていた。ひとつめとふたつめはいかようにでも規制できなくはない問題点なのですが、問題は3つ目の文字面でのコミュニケーションのトラブルはヘビーだと感じた。確かに何も子ども達にだけに関係する問題ではなく、電話で話せばそんな事にはならないのに・・・みたいなライトだけれどディープなトラブルは実感しています。
 
 学校ででもこれらの問題に対していろいろな対処はしておられるそうですが、最後の最後はやはり親がモラル的な価値観をどれだけリアルに伝えられるかがポイントであると記述してあった。さて、どう対処するのか。DSで頭をやわらかくして目力を鍛え常識度を採点しゲームから何を学ぶのか・・・。親なりの人生観を噛み砕いて教訓化しじっくりと会話する機会をもうけて聞かせてやるのか・・・。

 そもそも親である自分自身が人生の波にもまれすぎアイディンティティを失っているようでは何も継承していないわけだから、子どもに何かを語れるはずもない。背中を見てちょうだいとステレオタイプに教科書どおりな言葉を並べても子ども達は反応しないだろう。自分も子ども頃はそうだったが、これほどコミュニケーションとは、みたいな時代ではなかったからあえて言及するモノではなかったから。そもそも本来在るモノを複雑化し、まな板の上にのせて何でも料理しようとする人間の業の方が無理があるのではないでしょうか。時には記号化せずに象徴化する事も大切ではないかと思うのです。簡単に言うと言語ではなく絵で見せればほとんどの問題に対応できるように思える。つまりコミュニケーションのデッザン力を鍛えましょう!と自分も含めて日本の中心で叫びたい。

Webサイト概論#001

東京でグラフィックデザイン・広告の世界に潜り込んだ23才の頃、アートデレクションという仕事とMacに取り組んでいた新大阪の27才のころ、単身でN.Y.でフラットな気持ちになれた30歳、滋賀県長浜でWebサイト(当時はホームページ)にであった33歳。思えば現在「Webデレクター」という言葉が妙に自分自身にフィットする感覚がある。特にセンスも大きな看板(有名度・知名度とは無縁)も若さ!?も資本!?もない私がその場所その場所で確実に自分の中にあったのは「臨機応変能力」だけだったように思える。なんでも興味のあることに突っ込み、くだらない勝負事にも真剣になり、inであれ、outであれ、パソコンであれ自然であれ、楽しいことを、楽しいことだけをやってきた。やってこれた。仕事ではD.T.P.・製版・印刷営業(見積もりから納品まで)・ほとんどのソフトウエアでデザインやイラストレーションを作成し、3DCGから水彩画・パステル・ガッシュ・アクリル・油絵の具・ペン画などなど、興味のある画材はすべて使いこなす自信がある。機会に恵まれて、たまに陶芸もさせていただいたりしている。そんな万屋(ヨロズヤ)が36歳にWeb用のプログラムにであった。こんな言語は一生無縁と思っていた私が気がついたらプログラムの本を読んでいた。単純に「面白い」と思った。概論というと大げさですが、そんなWebサイトに対して私の考えることや仲間が取り組んでいるプロジェクトや有名・無名を問わず、国内・海外を問わず、いろんな人のWebサイトへの取り組みをつらつらとまとめていこうと思っています。仕事テイストな記事やコメントは非常に少ないと思いますが、楽しいTipsをここにアーカイブできれば・・・と。

MY WEB SITE
http://www.act-khuz.com
※「khuz」はN.Y.にいた時に留学先の寮のルームメイトがくれた私のコールネームです。